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【覚え書】ネグリ+ハート 私有化のパラドクス

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私有化のパラドクス
 資本主義的発展の初期段階を司っていた論理は、誰が所有権を有するのかという、非物質的所有権とバイオ所有権の拡大にとって二つ目の困難を引き起こす。伝統的な資本主義的所有権はその基礎を労働に置いていた。ある財を所有する権利は、それを創出する労働を行った者である--「この家を建てたのだから、私のものだ」--というわけだ。この論理はすでに見たように、今日の新たな所有権論争においても依然として基礎的な役割を果たしている。バクテリアであれ、種子や動物種であれ、裁判所がその所有権はそれを作り出した科学者にあるとの判断を下すとき、そこで働いているのはこの労働の論理である。さらに言えば、非物質的生産の領域で人間の労働が直接的に生命-形態や知識を生産する度合いが増しているという事実と、かつてないほど多くの生命-形態や知識が私有財産になりつつあるという事実との間には、必然的な関係があるのだ(非物質的財産の重要性が増していることは、非物質的労働が主導権をもつにいたったという私たちの先の主張を裏づけている)。
 もっとも非物質的生産の分野全体で言えば、所有財産に対する権利や権原はそれを肯定するのと同じ論理によって骨抜きにされる。なぜなら財産=所有権を創出する労働を誰か一個人、または集団によるものとさえ同定することは不可能だからだ。非物質的労働は無数の個別生産者の間の途切れることのない協働、すなわち<共>的活動としての度合をますます強めている。たとえば、遺伝子コードの情報は誰が作るのか、あるいは植物卯を医学的に有効利用するための知識は誰が生み出すのか、という問いを考えてみよう。どちらの場合も情報や知識は人間の労働と経験、創意工夫によって生み出されるが、どちらの場合もその労働を他から切り離されたある個人に帰することはできない。こうした知識は常に拡張的で限界のない社会的ネットワーク--先の二つの問いに即して言えば、前者の場合は科学者共同体におけるもの、後者の場合は先住民共同体におけるもの--のなかで行われる協働とコミュニケーションによって絶えず生み出されるのである。科学者はここでふたたび、知識と情報は個人によってではなく集団的協働によって生産されるという事実の、もっとも雄弁な証人となっている。
 そしてこの協働とコミュニケーションを土台にした知識の生産の<共>的プロセスは、科学以外のあらゆる非物質的および生政治的生産の領域も等しく特徴づけている。ジョン・ロックによれば、指摘所有権を創出する労働は身体の延長にほかならないが、今日その身体はますます<共>になりつつある。私的所有の法的正当性は、生産の社会的特性である<共>によって崩されつつあるのだ。こうして所有に対する伝統的な資本主義的権利や権原が弱体化すれば、指摘所有権を守る方法は暴力以外にないという状況も生じてくる。
 今日の非物質的財産をめぐるパラドクスを考えるとき、若きマルクスが人間主義的な観点から私有財産を罵倒した次の言葉が改めて新鮮に響く--「私有財産はわれわれをひどく愚かにし、一面的にしてしまった」。そしてその結果、所有という単純な感覚を手に入れるために、あらゆる存在の形態が軽視されるにいたったとマルクスは言う。知る、考える、愛するといった人間のあらゆる感覚、すなわち生の全体が、私有財産のせいで堕落しているというのだ。だがマルクスは、いかなる種類の原始的な共同体所有にも戻るつもりはないと明言する。そして資本の論理の矛盾に着目することで、本来における新たな解決策を見出そうとするのだ。
 一方では、すでに見てきたように資本主義的な私的所有権は生産者の個別的ろうどうにその基礎を置いている。だが他方で、資本は絶えず、より集団的で協働的な生産形態を導入しつづけている。労働者が集団的に生産する富は、資本家の私有財産となるのだ。このむじゅんは、非物質的労働と非物質的財産の領域においてますます極端なものになりつつある。私有財産は一面で、価値あるものはすべて誰かが私的に所有しなければならないという考えを私たちに植えつけ、人間を愚かにしている。経済学者は飽きもせずに、ある財を有効に保持したり利用するためには誰かがそれを私的に所有することが不可欠だと繰り返す。だが実際には、この世界の大部分は私有財産ではないし、私たちの社会的生が機能しているのもそのおかげにほかならない。
 この節で見てきたとおり、土地や産業、鉄道といった伝統的な所有物の形態に加えて、現代では遺伝情報や知識、植物、動物といった新たな財が私有財産の仲間入りをしている。これは先に私たちが<共>の収奪=収用と呼んだものの一例である。だがもし言語や話し方、身ぶり手ぶり、争いの解決法、人の愛し方など、人間生活を成立させている慣習実践の大部分が<共>的なものでなければ、日常生活における人間同士の相互作用やコミュニケーションはまったく成り立たない。知識や情報、研究方法など膨大な蓄積が<共>的なものでなければ、科学の進歩はたちまち停止してしまう。<共>なくして社会的生は成り立ちえないのだ。いつの日か人間が今の時代をふり返り、あれは私有財産によるさまざまな形態の富の独占化を許すことで革新にブレーキをかけ、生を堕落させた愚かな時代、まだ人間が社会的生を全面的に<共>に託すことのできない時代だたと総括する時がくるかもしれない。
    --アントニオ.ネグリ・マイケル.ハート(幾島幸子訳)『マルチチュード[上]』NHK出版、2005年。

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先程まで、ネグリ(Antonio “Toni” Negri,1933-)とハート(Michael Hardt,1960-)の『マルチチュード』を読んでいたのですが、途中で寝ていたようです。

もはや限界。

寝ます。

ただ入力だけはしていたので、少し残しておきます。

<私有化のパラドクス>……侮りがたし。

そしてこの強烈な睡眠……侮りがたし。

ただ、オモシロイのは、ネグリとハートは共著(=共同研究)をなしていることで有名ですが、同世代人かと思っていたら親と子ぐらいはなれていた世代でした。

近しい世代ではなく少し~けっこうかけはなれた世代で「喧嘩」して何かをまとめる方が、創造性は高いのかもしれません。

でわ☆

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