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「誰が誰を選ぶのか」

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またしても卒倒しそうな状況ですが、何かを残して置かねばという慚愧にかられ、ツィの連投を少し残しておきます。

すんましぇんw

でわ

J・ハリスの「サバイバル・ロッタリー(以下SL)」(10人の命を救うために1人を殺すことは許されるか/生存率最大の原則)のつづき。SLとは直訳すれば、「生存のくじ引き」。これはひとつの作業架設ですので遠い未來の話というわけですが、、、。

生存率の増大と死亡率の減少を正義として、死亡率の増大と生存率の喪失をその対極としてみた場合、1人の犠牲で10人が生きる方が合理的にはマシだろう。しかもくじ引きだから平等・公平というわけ。

一人の健康な市民のあらゆる臓器を、完全に生きた状態から移植するなら一人以上(例えば10人)を救うことが可能となる。この制度によって、この世界の生存率ははるかに上昇することになる(臓器移植以外のすべての問題はクリアされた社会という想定)。

現代倫理の三本柱とでもいうべき①功利主義、③民主主義はクリアしている。②自由主義は若干制限模様だが、ロッタリーを避ける「自由」が残されている場合、フィフティフィフティになりますから(「不健康」は選ばれない)。

※ちなみにここで共同体主義の限界も出てくる。リバタリアンの主張は自由至上で美徳なき文化を招くといいますが、共同体主義も不可避的に「美徳」招かないこともあるかもしれないということ。

話がずれましたが、この議論のツメはここでは問題といたしません。何しろ作業架設の議論ですし、それよりも考えたいことがあるので。まあそれが選びの宗教、ノアの箱船の精神風土ということです。

それがまさに「10人の命を救うために1人を殺す事は許されるか」ということ。サンデル的議論でも良く出てきますか「こちがマシかあちらがマシか」という「選択」に注目したいのです。

この選択の発想がどこに由来するかと言えば、いうまでもなくヘブライズムになります。いわゆる「選民」性(chosenness)ということです。ユダヤ教においては、ユダヤ人が神と契約を結ぶために選ばれた民であるという意識と発想があります。神に「選ばれた」ここが大切になってきます。

もともと、この選民性は、排他的集団形成を目指したものではなく、「自尊心」とアイデンティティと捉えた方がよいのですが(古代においても自由な改宗は認められている)、これがキリスト教を経て、形式化していくなかで、

承前、「誰が誰を選ぶのか」というのが世俗倫理として確立されていくなかで、世俗的「選び」の発想へとなっていくのだと推察されます。

※ただ、くどいけど、ヘブライ語旧約聖書に散見される「選ばれた」という意味あいは、神から祝福を受けるという「対他的」なものだけでなく、責任を負うという意味での「即自的」な側面もあるので、形式化・世俗化されるなかで、前者が強調されたことはいうまでもありません。

※また伝統的なキリスト教信仰においては「ヨハネ伝」(14:6)を根拠にキリスト者になることで選民となりますので、ユダヤ教徒=選民ではありません。同時に「ロマ書」(2:6-11)を根拠に「選ばれたものだけの救い」を否定して「ユニバーサル・サルベーション」を認める人々もいることにも注意。

しかし、伝統的には、宗教的土壌、そして封建的制度の確立のなかで、「選ぶ」という発想は、聖俗かかわらず顕著であることは否めません。ついでにいえば、「責任」はできるだけ少なく(というより無い方がいい)という平等・公正性を声高に「祝福」だけは欲しいという状況。

でわ、東洋ではどうなのか。これは私も残念ながら未踏派の分野ですからなんともいえませんので後日の課題。イスラームに関しても同じです。まあ印度を除き漢字文化圏においては、超越的な宗教的な根拠なしに、トップが恣意的にやるという無節操が伝統なのでしょうけど(苦笑。

しかし、「選ぶ」「選ばれた」という発想は、西洋文明においてポピュラーであり、必然的に二者択一の議論が出てくるにはそれなりの根拠はあるのだよ、ということです。そしてその超越的な根拠が吹っ飛び、世俗化の中で、頭を抱えている。それが共同体主義とリバタリアンの対峙にもなっている。

……って話がずれまくりやし、補足の方が長いやんけ。すいません。呑んでいるのでw。

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