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しかし、投票する機会とともに、脅かされることなく発言し他の意見をきくことができる機会があれば、のことなのです。選挙のもつ効力も、その影響がおよぶ範囲も、公の場の開かれた議論の機会があるかどうかで決定的に変わります

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 近年、民主主義を擁護することに関して、国際的に多くの支持を得て、特にアメリカとヨーロッパで外交上の議論に影響を与えている反対意見が二つあります。これについては、もっと広い観点からの検討が必要でしょう。一つは、民主主義は貧しい国で何をなしとげられるのか、という疑問です。民主主義は開発のプロセスを阻害して、経済や社会を変革するための優先事項--十分な食料の供給、一人当たりの所得の増加、制度的な改革の実現など--について、人びとが関心をもつのをさまたげる障壁なのでしょうか? 民主主義の政治はきわめて狭量なものになる可能性があり、民主主義国では有力な多数派に属さない人びとは苦しめられる、とも主張されます。権威主義的な統治が与えるほうが、弱者にとってはありがたいのでしょうか?
 もうひとつの反対意見は、民主主義を「知らない」とされる人びとに民主主義を推進することへの歴史的および文化的な疑念に凝縮されています。原則としてすべての人に民主主義を保障しようとすると、その試みが国内組織および国際機関、あるいは人権活動家によるものであっても、しばしば激しい非難を浴びます。欧米以外の社会に、西洋の価値観と習慣を押しつけているからというわけです。こうした主張は、現代の世界では、民主主義がきわめて西洋的な慣習である--まさにそのとおりなのですが--と認めるだけではすみません。民主主義は、ヨーロッパのなかだけで長いあいだ興隆をきわめ、そのルーツは明らかに西洋の思想だけに見いだせるもの、というところまでいきつくのです。
 こうした疑問は正当ですし説得力があります。かなり執拗に問われつづけたものでもあります。しかし、ほんとうに確かな根拠にもとづいているのでしょうか? そうではないと証明するには、これらの批判がたがいにまったく関連していなくもないことに注目する必要があります。実際、二つの見解の欠陥は、そもそも民主主義を、ひどく狭く限定して見ようとすることにあるのです。なかでも問題なのは、どちらも公開選挙という見地からのみ民主主義を解釈し、ジョン・ロールズ〔アメリカの倫理学者〕が「公共の理性の実践」と呼んだ、広い見地から見ていないことです。ロールズのこの見方には、市民が政治議論に参加して、公共の選択に影響をおよぼす機会が含まれています。民主化を非難する二つの見解が、それぞれどこでどう間違えているのか理解するには、民主主義が求めているのは、投票箱だけではない、と正しく認識する必要があります。
 たしかに、選挙はとても重要な手段ですが、市民社会における議論に効力をもたせる方法のひとつにすぎません。しかし、投票する機会とともに、脅かされることなく発言し他の意見をきくことができる機会があれば、のことなのです。選挙のもつ効力も、その影響がおよぶ範囲も、公の場の開かれた議論の機会があるかどうかで決定的に変わります。選挙制度だけではなんとしても充分ではありません。それは、スターリンのソ連からサダム・フセインのイラクにいたるまで、権威主義体制下の選挙で、独裁政権が驚くべき勝ち方をしてきたことで充分に証明されています。こうしたケースの問題点は、実際の投票行動で有権者が圧力をかけられることだけでなく、検閲制度、反体制派の弾圧、市民の基本的な権利および政治的自由の侵害などを通じて、公の場における議論ができなくなることにもあるのです。
 投票の自由をはるかに超えた、もっと広い見地から民主主義を見る必要性は、現代の政治哲学だけでなく、社会選択理論や公共選択理論などの新しい分野でもさかんに論議されています。こうした問題は政治思想と同じくらい、経済学の理論からも影響を受けます。議論を通じて意志決定をするプロセスによって、社会や個人の優先事項に関する情報は増えるでしょう。そうなれば、優先事項は社会的な討議によって変化するかもしれません。公共選択理論の主導者であるジェームズ・ブキャナン〔アメリカの経済学者〕が述べたように、「民主主義を『議論による政治』として定義することは、意志決定のプロセスで個人の価値観が変わる可能性があり、そして実際に変わることを意味する」のです。
 こう考えると、国際情勢に関する議論で選挙に重点がおかれていることに疑問がわいてきます。また、サミュエル・ハンチントンが『第三の波--20世紀後半の民主化』のなかで明らかにしている見解、すなわち「自由で平等な公開選挙は民主主義の神髄であり、絶対必要条件」とういう考え方の妥当性にも疑いを抱かざるを得ません。<公共の論理〔公共の理性にもとづく思考や推論〕>によるより広い考え方では、民主主義は政治思想上もその実践においても、公の場の自由な議論と相互の協議を保障することに主眼をおかなければなりません。それは単に選挙によるだけでも、あるいは選挙のためだけのものではないのです。ジョン・ロールズが述べたように、そこで必要とされるのは、「原則の多様性--多元主義という事実」を保障することなのです。これは「現代の民主主義国の公共文化」にとってきわめて重要ですし、「基本的な権利と自由」によって、民主制のなかで守られなければならないものです。
    --アマルティア・セン(東郷えりか訳)「民主化が西洋化とは同じではない理由」、『人間の安全保障』集英社新書、2006年。

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いろいろと話し合いながら考えなければならないのですが、とりあえず、本日は、勤務校の公募推薦入試の担当でございまして・・・、こんな更新をしている暇はないのですけど、とりあえず。。。

寝る。

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