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21世紀を生きるひとびとのマニフェスト:ポパーの寛容論

01

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VI
ですから、こんにちでも「わたくしは、自分が何も知らないということ、そしてそのことをほとんど知っていないということを知っている」というソクラテス的洞察がきわめて実際的である--おそらくソクラテスの時代よりもはるかに実際的である--ことを示す四つの理由が存在します。またわれわれは寛容を養護するために、この洞察から、エラスムス、モンテーニュ、ヴォルテールそしてのちにはレッシングが引き出した倫理的帰結を引き出す根拠をもっています。そしてさらに、それ以上の帰結を引き出す根拠ももっています。あらゆる合理的討論、つまり、真理探求に奉仕するあらゆる討論の基礎にある原則は、本来、倫理的な原則です。そのような原則を三つ述べておきましょう。
 一、可謬性の原則。おそらくわたしが間違っているのであって、おそらくあなたが正しいのであろう。しかし、われわれ両方がともに間違っているのかもしれない。
 二、合理的討論の原則。われわれは、ある特定の批判可能な理論に対する賛否それぞれの理由を、可能なかぎり非個人的に比較検討しようと欲する。
 三、真理への接近の原則。ことがらに即した討論を通じて、われわれはほとんどいつでも真理に接近しようとする。そして、合意に達することができないときでも、よりよい理解には達する。
 これら三つの原則は、認識論的な、そして同時に倫理的な原則であるという点に気づくことが大切です。というのも、それらは、なんと言っても寛容を含意しているからです。わたくしがあなたから学ぶことができ、そして真理探求のために学ぼうとしているとき、わたくしはあなたに対して寛容であるだけでなく、あなたを潜在的に同等なものとして承認しなければなりません。あらゆる人間が潜在的には統一をもちうるのであり同等の権利をもちうるということが、合理的に討論しようとするわれわれの心構えの前提です。われわれは、討論が含意を導かないときでさえ、討論から多くのことを学ぶことができるという原則もまた重要です。なぜなら討論は、われわれの立場が抱えている弱点のいくつかを理解させてくれるからです。
 ですから、自然科学の基礎にあるのは倫理的な原則です。根本的な規制原理としての真理の理念は、そのような倫理的原則です。
 真理探求および真理への接近という理念は、さらにそれに付け加えられるべき倫理的原則です、知的正直さの理念、そして、われわれが自己批判的な態度と寛容へと導いていく可謬性の理念もまたそうです。
 われわれが倫理の領域でも学びうるということ、これもまた非常に重要な点です。

VII
わたくしはこの点をさらに、知識人にとっての倫理という例に即して、とりわけ、知的職業の倫理、つまり、科学者、医者、法律家、技術者、建築家、公務員、そして非常に重要なこととしては、政治家にとっての倫理という例に即して、示してみたいと思います。
 わたくしは、みなさんに、ひとつの新しい職業倫理を表すいくつかの原則、つまり、寛容と知的正直さの理念とに堅く結びついている原則を提出しておこうと思います。
 そのために、最初に古い職業倫理の特徴を述べ、そしておそらくは少しばかり戯画化しておくことになるでしょう。といいますのも、古い職業倫理をわたくしの提案する新しい職業倫理と比較するためです。
 両者、つまり、古い職業倫理と新しい職業倫理の基礎にあるのは、明らかに、真理、合理性そして知的責任の理念です。しかしながら、古い職業倫理が基礎をおいているのは、個人的な知および確実な知の理念であり、したがって権威の理念です。それに対して、新しい職業倫理が基礎をおいているのは、客観的知および不確実な知の理念です。これによって、基礎にある思考様式も、したがってまた、真理、合理性そして知的正直さと責任の理念の役割も根本的に変化しました。
 古い理想は、真理と確実性を所有し、そして可能とあれば、論理的証明によって真理を確実なものにするということでした。
 このこんにちでも依然として広範に受け入れられている理想には、賢者という個人的理想--もちろん、ソクラテス的意味においてではなく、ひとつの権威である知者、つまり、同時に王として支配する者でもある哲学者というプラトン的理想--が対応しています。
 知識人にとっての古い命令は、権威たれ、この領域における一切を知れ、というものです。
 あなたがひとたび権威として承認されたなら、あなたの権威は同僚によって守られるであろうし、またあなたは、もちろん同僚の権威を守らなければならないというのです。
 わたくしが叙述している古い倫理は誤りを犯すことを禁じています。誤りは絶対に許されないのです。そこから、誤りは誤りとして承認されないことになります。この古い職業倫理が非寛容であることは強調するまでもありません。そして、それはまたいつでも知的に不正直でした。それはとりわけ医学においてそうなのですが、権威を保護するためにあやまちのもみ消しを招くのです。

VIII
ですから、わたくしは、とりわけ、自然科学者のために、しかし、自然科学者のためにのみということではありませんが、新しい職業倫理を提案したいと思います。わたくしは、その倫理を以下の一二の原則に基礎をおくように提案します。そしてそれらを述べて〔この講演を〕終えたいと思います。
 一、われわれの客観的な推測知は、いつでもひとりの人間が修得できるところをはるかに超えでている。それゆえいかなる権威も存在しない。このことは専門領域においてもあてはまる。
 二、すべての誤りを避けることは、あるいはそれ自体として回避可能な一切の誤りを避けることは、不可能である。誤りはあらゆる科学者によってたえず犯されている。誤りは避けることができ、したがって避けることが義務であるという古い理念は修正されねばならない。この理念自身が誤っている。
 三、もちろん、可能なかぎり誤りを避けることは依然としてわれわれの課題である。しかしながら、まさに誤りを避けるためには、誤りを避けることがいかに難しいことであるか、そして何びとにせよ、それに完全に成功するわけではないことをとくに明確に自覚する必要がある。直感によって導かれる創造的な科学者にとっても、それはうまくいくわけではない。直感はわれわれを誤った方向に導くこともある。
 四、もっともよく確証された理論のうちにさえ、誤りは潜んでいるかもしれない。それゆえ、そうした誤りを探求することが科学者の特殊な課題となる。よく確証された理論、あるいはよく利用されてきた実際的な手続きのうちにも誤りがあるという観察は、重要な発見である。
 五、それゆえ、われわれは誤りに対する態度を変更しなければならない。われわれの実際上の倫理改革が始まるのはここにおいてである。なぜなら古い職業倫理の態度は、われわれの誤りをもみ消し、隠蔽し、できるだけ速やかに忘却させるものであるからである。
 六、新しい原則は、学ぶためには、また可能なかぎり誤りを避けるためには、われわれはまさに自らの誤りから学ばねばならないということである。それゆえ、誤りをもみ消すことは最大の知的犯罪である。
 七、それゆえ、われわれはたえずわれわれの誤りを見張っていなければならない。われわれは、誤りを見出したなら、それを心に刻まねばならない。誤りの根本に達するために、誤りをあらゆる角度から分析しなければならない。
 八、それゆえ、自己批判的な態度と誠実さが義務となる。
 九、われわれは、誤りから学ばなければならないのであるから、他者がわれわれの誤りを気づかせてくれたときには、それを受け入れること、実際、感謝の念をもって受け入れることを学ばなければならない。われわれが他者の誤りを明らかにするときは、われわれ自身が彼らが犯したのと同じような誤りを起こしたことがあることをいつでも思い出すべきである。またわれわれは最大級の科学者でさえ誤りを犯したことを思い出すべきである。もちろん、わたくしは、われわれの誤りは通常は許されると言っているのではない。われわれは気をゆるめてはならないということである。しかし、繰り返し誤りを犯すことは人間には避けがたい。
 一〇、誤りを発見し、修正するために、われわれは他の人間を必要とする(また彼らはわれわれを必要とする)ということが自覚されねばならない。これはまた寛容に通じる。
 一一、われわれは、自己批判が最良の批判であること、しかし他者による批判が必要なことを学ばなければならない。それは自己批判と同じくらい良いものである。
 一二、合理的な批判は、いつでも特定されたものでなければならない。それは、なぜ特定の言明、特定の仮説が偽と思われるのか、あるいは特定の論証が妥当でないのかについての特定された理由を述べるものでなければならない。それは客観的真理に接近するという理念によって導かれていなければならない。このような意味において、合理的な批判は非個人的なものでなければならない。
 わたくしは、みなさん方と以上に述べたようなことがらを提案として考察してくださるようお願いします。わたくしの提案は、倫理の領域においても討論可能で改善可能な提案がなされうることを示す一助となるべきものです。
    --カール・R・ポパー(小河原誠訳)「寛容と知的責任(クセノファネスとヴォルテールからとられた)」、小河原誠・蔭山泰之訳『よりよき世界を求めて』未來社、1995年、315-321頁。

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入力したら息絶えた。

スマソ。

今日はねまふ。

コメンタリーは後日以降で。
※そのまえにさえずるとはおもいますが・・・苦笑。

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