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「先生……では、“生命、自由、幸福の追求”については、どうなのですか?」

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 「…… 人間というものは、どんな種類のものであれ、生まれついての権利など持っていることはあり得ないのだから、その結果は予言できたはずなのだ」
 デュボア先生は話をとぎらした。だれかがその餌にとびついた。
 「先生……では、“生命、自由、幸福の追求”については、どうなのですか?」
 「ええと、そうだ、“奪うことのできない権利”だな。毎年のように、だれかが、このりっぱな詩のような文句を引っぱりだしてくるな。生命か? 太平洋のどまん中で溺れかかっている男に、どのような生きる“権利”があるというんだね? 大海原は、この男の叫びなどに耳を傾けはしない。子供らを救うためには自分の命を捨てなければいけない父親にとって、なにが生きる“権利”なのだ? もし、その父親が自分自身の生命を助けるほうを選ぶとしたら、“権利”があったからそうしたとでも言うのか? ふたりの男が餓死しかかっており、人肉を食べることだけが生存を意味するときには、どちらの人間の権利が“奪うことのできないもの”なんだ? そしてこれが、はたして権利だろうか?
 自由についていえば、重大な文章に署名した幾多の英雄たちは、かれらの生命で自由をあがなうことを誓約した。自由とは、断じて奪うことのできないものではない。これはときどき愛国者の血で新しく生まれ変わらせなければ、常に消え失せてしまうものなのだ。これまでに発明されてきたすべての、いわゆる“人間本来の権利”のうちで、自由は安価なものであったためしはなく、無料で手に入れられることなど絶対になかった。
 三番目の権利は? 幸福の追求だったとな? これもまったく奪うことのできないものではあるが、これは権利などではない。暴君だってとりあげることはできないし、愛国者も返すことのできない単なる普遍的条件なのだ。わたしを地下牢に放りこんでみるか、火あぶりで焼くも結構、それとも王侯中の王にしてみたまえ……それでもわたしの脳が生きているかぎり、わたしは“幸福を追求する”ことができる……だが、神であれ、聖者であれ、賢者であれ、はたまた不可思議な薬であろうとも……わたしが幸福をつかむことを保証することはできないのだ」
 デュボア先生はそれからおれのほうに向きなおった。
 「わたしは、“青少年非行者”とは用語そのものが矛盾しているということをきみに話したな。“非行者”とは“義務を怠る者”の意味なのだ。しかし、義務とは、成人の美徳だ……だからこそ、人間が義務という知識を獲得し、生まれながら持っている利己的な愛情よりもなお一層の愛情をこめて抱きしめるとき、そのときこそ、青少年が成人に達したときなのだ。“青少年非行者”などというものは、存在せず、あり得ないものなのだ。しかし、すべての少年犯罪者には、つねにひとり、あるいはそれ以上、大人の犯罪者が混じっているものだ……義務を知らないか、それとも知っていながら失敗してしまったか、どちらかの、青年に達したものどもだ。
 そしてこれが、多くの点で讃歎すべきものであった文化を破壊してしまった弱点だったのだ。街を年少者の愚連隊がのさばり歩いているのは、より大きな疾病が存在する徴候なのだ。その時代の市民たち(かれらはみなそのように称したのだが)、かれらは“権利”と称する神話を賛美した……そして、かれらの義務の進路を見失ってしまった。そんなことになってもまだ存続できるほどにまで組織された国家など、どこにもあえり得ないのだ」
    --ロバート・A・ハインライン(矢野徹訳)『宇宙の戦士』ハヤカワ書房、1979年、216-217頁。

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金がないので古い本を再読することが多いのですが、ハインライン(Robert Anson Heinlein,1907-1988)の「問題長篇」というやつは一種の「正義論」なのかもしれませんネ。

つうことで、真剣に調子が悪いので、今日は沈没いたします。

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