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名古屋の皆様、愛をありがとう:「学問の道は、いったん開かれると決して雑草に埋もれることのない、また行人を迷わすことのない唯一の道である」

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哲学は、一切のものを智慧に関係せしめるが、しかしそれは学という道を通じてことである。学問の道は、いったん開かれると決して雑草に埋もれることのない、また行人を迷わすことのない唯一の道である。数学、自然科学はもとより、人間の経験的知識すら大方は偶然的な目的に対する手段として--とは言え、結局は人類の必然的、本質的目的を達成するための手段として、それぞれ高い価値を持っている。しかしこのことは純粋な概念による理性認識を介してのみ可能である、そしてこの理性認識が--これをどんな名前で呼ぶかは諸人の自由であるが、--即ち本来の形而上学にほかならないのである。
 こういうわけ形而上学はまた人間理性のあらゆる開発の完成でもある。たとえ形而上学が学として或る一定の目的に及ぼす影響を度外視するにしても、この学は人間理性にとって欠くべからざるものである。形而上学は、理性をその諸要素と最高の格律とに従って考察するものだからである、そしてこれらの要素と格律とは、若干の学を可能ならしめる根拠であり、兼ねてまた一切の学の使用の根底におかれねばならない。形而上学が純然たる思弁として、認識を拡張するよりもむしろ誤謬を防ぐに役立つということは、この学の価値を損なうものではなくて、却って検問官としての職権によってこの学に威厳と権威を付与するのである。この職掌の本分は、学という公共物の一般的秩序および調和、それどころか福祉をすら確保し、また豊かな成果をもたらす進取的な学的努力を、人類一般の幸福という主要目的に背反しないように規制するにある。
    --カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判 下』岩波文庫、1962年。

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2-3日、ブログをアップしておらずスイマセン。
先週末の金曜日から日曜日まで通信教育部の地方スクーリング(倫理学)担当のため、出張しておりましたが、いやはや、非常に心身共に応える数日間でしたので、記事をアップする気力・体力・知力とも萎々モードになっておりましたので、思索をまとめることが遅くなりまして……って、いつも思索してないやないけというツッコミは無しで……、まあ、さきにその非礼のお詫びをと冒頭で思った次第です。

さて、今回は16名の受講者(+オブザーバー参加1名)にて開講。
これまで何度か担当しておりますが、履修予定者すべての方が1名も欠席されず開催できたスクーリングは初めてでした。

年末のお忙しい中、体調を崩しやすい季節のなか、万全の状態で参加いただいた履修者の皆様の当日までの戦いに感謝です。

倫理学は、広義の哲学の中に分類される一部門です。すなわち、狭義の哲学(形而上学)、論理学ともに哲学を形作る実践哲学になるわけですが、この学問の特徴は何かといった場合、やはり倫理に関する考え方やその変遷を、できあがったシステムや理論として体系的に覚えるような学問ではありません。

むしろ過去の賢者たちの倫理に関する言葉に耳を傾けながら、「ああ、そういう考え方もあるのか」とか「この考え方には納得できないなあ」、「そう考えるしかないよね」と自分自身の頭と心を使って徹底的に探求していく学問です。

もちろん、そういう考え方の積み重ねを知識として覚える・学ぶということが無駄というわけではありませんが、それが主たる役割ではないことは確かです。

様々な考え方と対決しながら、今生きている自分が、どのような選択をしていくのか。世界や人間をどのように理解していくのか、そこが何よりも重要になってくるかと思います。

その意味では、どこまでいっても学問はひとりひとりの人間が幸福になるための手段であり、目的ではないと言い切ることもできるでしょう。

二日間の教室は、どこまでいっても「夢の教室」「幻の世界」でしかありません。

そこで学んだものをもって、生活世界においてひとりひとりがそこで生きる人間として、ほんものの教室・教科書・ノートが立ち上がるはずです。

勝つ必要はありませんが、負けない・諦めないひとりひとりの一歩一歩を大切にして欲しいなあ、そう思う次第です。

二日間、誰一人寝ることもなくw、徹底的にそうした問題を、白熱議論できたことは本当に参加された一人一人の皆様のおかげです。

そしてこうした教鞭をとる機会を与えてくださった大学の創立者に感謝すると共に、現状に満足することなく、私自身もさらに研さんを深め、より深化した学問というものを構築していかなければならない……と、衿をたださせて頂いた次第です。

「倫理学」@名古屋スクーリングに参加されました一人一人の皆様、ほんとうありがとうございました。

学問とは何か。

「学問の道は、いったん開かれると決して雑草に埋もれることのない、また行人を迷わすことのない唯一の道である」。

カント(Immanuel Kant,1724-1804)のこの言葉を今一度深く味わいたいものです。

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