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「冷静な論争の方法と習慣を作っておかないと、まやかしの議論に引きずられて」しまいますよ。

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 戦争について意見をもち、討論をし、合意を作り出す上で、どうしても知っておく必要のある基本的な論点(argument)を、しっかりと集約して示しておきたいと思う。
 「戦争はきらいだ、自分はどんな力の行使にも反対だ」という人に対しては、「目の前であなたの友人が外国の工作員によって、誘拐されようとしているとき、あなたは実力で救いだしてはならないと考えていますか」と問いかけなくてはならない。「自分は戦争をやりたいと思う。略奪も強姦もあらゆる暴力が承認された状態が戦争であって、戦時の人権侵害を禁止すべきではない。それは人間の根源的な暴力性の開放の祝祭である」とうそぶく人がいたら、「あらゆる犯罪を許容することと、どこが違うのか」と問いかけなくてはならない。そういう一見無駄で、ばかばかしくて、白々しいような応答の訓練をし、準備しておかなくてはならない。
 どんな問題にも、一見すると、まことしやかな、かっこいい、まやかしの議論がある。現代の日本では、特に戦争について、そういうまやかしの議論が横行している。
 たとえば、「日本軍が南京で三〇万人の中国人を殺害したはずがないから、南京事件はでっち上げだ」とか、「東京裁判では戦争が終わってから一方的に裁く側でつくった法律をもとにして裁いたから、日本は無罪だ」とか、こういう問題について論争をすると、どうしても感情的になってしまうかが、冷静な論争の方法と習慣を作っておかないと、まやかしの議論に引きずられてしまう。
    --加藤尚武『戦争倫理学』ちくま新書、2003年、7-8頁。

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「どんな問題にも、一見すると、まことしやかな、かっこいい、まやかしの議論がある」のは、戦争についての問題に限定されるわけではないんでしょうねぇ、とくに現代の日本においてはですが。

幅広く支持を受けている意見というものを冷静に観察するならば、「まことしやか」どころか「かっこいい」かどころか、それとは正反対の「まやかしの議論」ばかりが流通しているのが実情ではないかと思います。

だから、様々な問題について「意見をもち、討論をし、合意を作り出す上で、どうしても知っておく必要のある基本的な論点」というものが存在するわけです。

そのへんの「基本的な論点」というものをすっ飛ばして、「誰がいっている」「そこに書いてある」「ネットでは……」などという珍妙な典拠をもとに「議論」のようなものが遂行されるので、不幸な不毛な殴り合いというものが存在するのかも知れません。

「冷静な論争の方法と習慣を作っておかないと、まやかしの議論に引きずられて」しまいますよ。

何が大事なのか……そのあたりの目的的意識を喪失することなく、相反する基礎的な見解に耳を傾けつつ、意見というものをひとりひとりが築き上げていかないかぎり、出来合いの意見や理論に、現実の人間が右往左往してしまうことになってしまいますよ。

……ということで、こんな時間……深夜の2時……ですが、かなり腹が減りましたので、蕎麦でも食べてから沈没します。

この場合、目的意識を喪失していない議論においても、そして出来合の意見や理論においても……、

「この時間に、食べるのはマズイだろう」

……ということですが、マア、これは一つの例外ということでご容赦を。

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