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哲学はある他のものから弁護されるわけにいかない


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 永遠の哲学 哲学は単純で生きた思想の形態においては、あらゆる人間を、否、子供さえをも、感動させるものであるにもかかわらず、哲学を意識的に完成することは一つの課題であって、しかもそれはけっして完結することなく、たえず繰返され、一個の現在的な全体として遂行されるところの課題なのであります。この課題の意識は、それがどんな形態をとろうとも、人間が人間であるかぎりは、目ざめておるでありましょう。
 哲学が徹底的に攻撃せられたり、余計な有害なものとして全然否定されたりするのは、なにも今日に始まったことではありません。哲学は何のために存在するのか。哲学は困窮の場合には役に立たないものであります。
 教会に権威をおくところの考え方からすると、純粋独自的な哲学は非難されます。なぜならそれは、哲学は神から離れ去って、人を現世的なものへ誘惑したり、虚妄なことでもって人間の魂を腐敗堕落さすかもしれないからです。また政治的=全体的な考え方はつぎのように非難します。哲学は世界を単にいろいろと解釈したにすぎない、ところが重要なことは世界を変革することなのである、と。この両種類の考え方は哲学を危険視するものであります。すなわち哲学は秩序を破壊したり、独立性の精神を呼び起こしたりする、したがってまた暴動や反抗の精神を、そして人間をだまして、彼の本当の使命から逸脱させるものである、というのであります。啓示的な神によって照らし出された彼岸の魅力、あるいはあらゆるものを自己自身のために要求するところの神なき此岸の権力、この両者は哲学を抹殺しようとするものであります。
 なおこの他に、哲学を拒否するものに、健康な常識の日常性から由来するところの効用性という単純な基準があります。最古のギリシアの哲学者といわれているタレースは、あるとき天体を観察しながら井戸の中へ落ちたことがあった。ところがこれを見た女中が、あなたはいちばん近くのことにもこんなに無器用なくせに、なぜいちばん遠いものを捜しているんですかといって、タレースを笑ったことがあります。
 そこで哲学は弁護されねばならないわけですが、それは不可能なことであります。哲学はある他のものから弁護されるわけにいかない。と申しますのは、哲学はある他のものにこのような弁護をしてもらうほど、何の役にも立っていないからです。哲学は、あらゆる人間のうちにあって、実際に「哲学すること」に迫りゆく力に頼ることができるだけであります。哲学が知りうることは、哲学はこの世におけるあらゆる利害得失の問題から解放された、目的をもたないところの、人間そのものにかかわる事柄を営むものであるということ、そしてそれは人間が生きるかぎり実現されるであろうということであります。哲学を敵視する勢力といえどもなお、彼ら自身に固有な意義を考え、そして目的と結びついた思惟の構成物を生み出さざるをえないのであります。これらの思惟の構成物は、マルキシズムやファッシズムのように--哲学の一つの代償物ではあるが、しかし意図された効果の制約のもとにおかれるものであります。そればかりでなく、これらの思惟の構成物は、人間にとって哲学が避けることのできぬものであることを証拠だてているのです。哲学は常に現存しているものであります。
 哲学は争うことも、証明されることもできない。しかし伝達することはできるのです。哲学は避難されても何らの抵抗を示さない。哲学は耳をかされることがあっても、勝ち誇らない。哲学は人間性の根底において、あらゆるものをあらゆるものと結合することができるところの、心の一致性のうちに生きているのであります。
 偉大な儀式や体系的な関連をもつ哲学は、二千五百年以来、西洋や中国やインドに存在しています一大伝統が私たちに話しかける。哲学の多様さ・矛盾・相互に排斥しあう真理主張、これらは根底においてある一なるものが働いていることをいなむことができない。ただ何人もこの一なるものを所有することなく、あらゆる真剣な努力がその周囲をつねに回転しているだけなのであります。すなわち永遠に一なる哲学、永遠の哲学(philosophia
perennis)。私たちがもっとも明快な意識をもって、しかも本質的に思惟しようと欲するかぎり、私たちにとっては私たちの思惟のこの歴史的根拠が頼りなのであります。
    --ヤスパース(草薙正夫訳)『哲学入門』新潮文庫、昭和四十七年、16-19頁。

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有用性こそ、その対象を損なうものかもしれません。

……って哲学が「役に立たない」わけがないでしょう(苦笑

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