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ギリシア哲学のロゴスとキリスト教のロゴスについてのスケッチ

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ギリシア哲学のロゴスとキリスト教のロゴスについてのスケッチ

以下でいくつかのキーワードの辞書的定義を紹介しますが、ギリシア哲学のロゴス観とキリスト教のロゴス観の大きな違いは、前者がいわゆる「ロゴス」(言葉・理性・理法)を示すだけであるのに対して、後者はもともと「出来事」をも意味する言葉であったことにあるかと思います。

旧約でいえば、それは「言葉」と「事柄」の二重拘束です。
義なる神の言葉がこの世にどのように顕現していくのかという歴史認識がユダヤ教を貫いておりますが、これが言語として示される事態が「預言」であり、聖書はその「記述」ということになります(⇒神の言葉)。

それがどのようにリアリティをもったものとして顕現していくのか……というのがユダヤ教を超克する宗教運動としてのキリスト教、すなわち神の子としてのイエス・キリストの存在(キリスト論)になるのだろうと思います。

先に「言葉」と「事柄」の二重拘束という事態に言及しましたが、前者はギリシア風の「理性・理法」という性格はもともとは貧弱です。

しかしヘレニズム期のキリスト教の登場が、ここに新しい風を迎え入れることになるというとです。

よくいわれますがヘブライズム(ユダヤの知恵)とギリシアの知恵の対面という事件です。

この「理性」「理法」という意味が加味・強調されることにより、ユダヤ=キリスト教の人間観・世界観が大きく転回するというわけですが、三位一体の理論的整備なども、私見になりますがギリシア哲学抜きには考えられないでしょう。
もちろんその影響を過度に評価することは早計ですけどね。なにしろ新プラトン主義との出会いによる変容(それを変容といっていいかどうかは定かではありませんが)もありますので。

しかし、いずれにしても、たとえば、東洋における仏教で扱われるような言葉とは扱い方が異なる側面は多々あるかと思います。理性・理法という意味、そして宗教的な力を象徴する意味でのロゴス観は共有しているかと思いますが、イエス・キリストの出来事としてのロゴスという発想は、東洋にはあまり散見されないのではないかと思います。

参考までに岩波書店から出ている(教派色が薄い)『岩波 キリスト教辞典』(岩波書店、2002)から「ロゴス」、「ダーバール」、「言葉」の三つのワードの定義を抜き書きしておきます。
※発音記号は省略。

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ロゴス[ギ]logos ギリシア思潮では、言葉、理性、宇宙の理法などを、聖書的世界では言葉以外に特に出来事を意味する。聖書においてギリシア語のロゴスに相当するヘブライ語のダーバールdabarは言葉と出来事を意味し、預言者の預言やアブラハムが生きた出来事〔創15:1〕に示される。新約でロゴスは受肉した神の言(ことば)としてキリストに収斂する〔ヨハネ1:1-18〕。このロゴスは旧約ですでに様々に顕現していた〔ヘブ1〕が、今やイエスの言葉や生の出来事がロゴスあるいはレーマである〔ルカ1-2〕とされる。パウロにとっては<十字架のロゴス>はギリシア人の知恵にまさる知恵であった〔Iコリ1:18〕。すなわちロゴスこそ信じる人を生かす霊的生命なのである〔ヨハ6:63〕。
 ギリシア哲学にあって対立流転する現象の中で一切を統合する理法をロゴスとして洞察したのはヘラクレイトスであり、後にこれを承けストア学派は、宇宙生成の理法<種子的ロゴス>を説いた。他方問答法(dialogos)の祖ソクラテスの系譜に連なるアリストテレスは人間をロゴス(言葉、理性)的動物と定義し、後のキリスト教の理性的人間像に大きな影響を与えた。
 以上の聖書とギリシア思想のロゴス概念は教父。中世時代を経て統合・展開された。最初のキリスト教哲学者ユスティノスは、人類にまかれた諸真理が真理自体であるロゴス・キリストを分有する種子的ロゴスだと看破した。この神学ヴィジョンに基づき神=人的ロゴス・キリスト論、三位一体論と言による子の規定、言による世界創造論、言たるキリストの照明による認識(照明説)、神の似像である理性(ratio)的人間像、知的神秘主義などが形成された。近代以降、ロゴスは様々な仕方で思想、宇宙観、文芸などに影響を与えた。人間理性が神の座につくと(デカルト)、諸民族の歴史を支配する絶対精神にまで高められた(ヘーゲル)。その結果歴史は理性によって無限に進歩をとげるとされ、宇宙自然の理法も物理科学的法則にとってかわられた。
 現代文明ではこうした自然や他民族の征服が、西洋文明の根幹であるロゴス中心主義の帰結として深刻に批判されている。キリスト教に本来的に伏在する生命的ロゴス観が今日躍動することが期待されている。⇒神学、キリスト論。 〔宮本久雄〕 1230-1231頁。

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ダーバール [ヘ]davar 語られたものとしての「言葉」とそれによって語られる「事柄」の双方を意味する語。旧約聖書では特に<神の言葉>がこの語によって表される。それは一方で、義なる神の絶対的な法的意志・命令として律法(より適切には「戒め」)を意味し〔出20:1;申8:3〕、他方では歴史における神の意志の告知として預言〔エレ1:9-13;エゼ3:4-9〕をなす。預言の言葉は単に未来の出来事を予告するだけでなく、自ら歴史に働きかけて出来事を想起させると考えられている〔イザ9:7;55:10-11〕。このような神の言葉は同じ「言葉」を表すギリシア語の「ロゴス」の理論的、主知的、かつスタティックな精確と際だった対象をなしており、ユダヤ的知恵とギリシア的知恵を対比する場合にしばしば引き合いに出される。⇒言葉 〔山我哲雄〕 724-725頁。

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言葉 [ヘ]dabar [ギ]logos [ラ]verbum [英]language 人間は日々言葉を用いて生きている。しかも高度な科学や学問の言葉を発見して文明社会を築いている。さらにそれら言葉自身を反省し研究する言語学を確立している。あるいは文学などを創作し文化を豊かにし、また言葉を神が降臨する聖域として聖典とするかと思えば、逆にマス・メディアの情報や新造語の氾濫の中に思考停止を強いられている。言語こそ、人間の可能性を善くも悪しくも様々に実現・発展させる場である。この言葉の複雑な重層構造や相関関係を以下でまとめつつ、キリスト教の言葉の性格にもふれる。
 日常言語:人間の基本的な生活や相互関係を支える最も多義的で広汎な言葉。言葉の故郷である。自然科学言語:観察可能な自然世界を法則化・説明する理論体系であり、一義的概念を用い調和的整合的性格をおびる。技術力と結合し、物質的世界を支配し文明社会を創造する。人文・社会科学の言葉:学問としては自然科学理論をモデルにするが、他方で価値に関わる言葉をもつ。論理学言語:人間精神がもつ共通の思考形式やその普遍性に由来する人工的言語・記号系。自然科学理論の形式的整合化のため最も用いられる。文学・詩の言葉:心に虚構の世界を織り成して人間の真実に迫ろうとする。科学的一義性の記号や日常生活の言語を超えて、比喩や象徴というような想像を遊ばせ、心の新しい風光を被く言葉が多用される。哲学の言葉:今・ここに魂と世界の根拠(存在、善など)を被く筋道をつける思惟的言語。またこの根拠から拓ける現実世界(自然、歴史、価値など)の有り様を跡づけてゆく言葉。
 宗教言語も、哲学の言葉に似て神仏を探究する思索的用法(神学や論)をもっているが、他方で人間の思惟や言葉を超えて神仏からの恩恵を受ける用法をもつ。例えば、祈りや告白、説教や勧告、祭儀典礼的表現や共同体の規則、修徳行や神秘主義において用いられる言葉などである。キリスト教の言葉は宗教言語に分類されうる。しかしそこでは聖書、殊に自らロゴス=言葉=理性であるイエスの類例ない言葉=ロゴスが核心となっている。それは敵にまで及ぶ愛(アガペー)の言葉、貧しく心砕かれた人々が属する神の国のメッセージ(山上の垂訓)、父なる神への祈り(「アッバ」の叫び)、たとえ話、復活の言葉度人間の心をゆさぶり新たな歴史を創造する福音にほかならない。
 最後に文字言語(エクリチュール)そして宗教的教典の言葉が注目される。西欧にあってはプラトン以来、ロゴス・意味を現在に自己同一的なものとして現前させる音声言語が、文字・書面言語より高い特権的地位を占めてきた。近年デリダなどによって、それが他者より自己同一性を優先させ、理性。男性などの支配を許すロゴス中心主義として批判されてきている。そこから東洋漢字文化の意義が再評価されうる。
 現代の幻想的宗教、大量消費社会、マス・メディアが流すマインド・コントロール的言語の氾濫の只中にあって、しかも多様な文化を担う言語伝承が地球的規模で出会う<時=カイロス>(⇒カイロスとクロノス)にあって、言葉の構造や相互関係および機能を考究しつつ、自閉せずに他者を尊重するキリスト教の言葉がどのように宗教的生命にみちて甦るのか、言語哲学や比較宗教学あるいは神学の諸視点から深刻に問われている。⇒言語行為論、言語論的展開 〔宮本久雄〕 401-402頁。

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