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日本における革新事業の特色は、必要から発しておこなはれたといふよりは、十分に古いもので間に合つてゐるのに、そこへ新しいものが、ただ新しいがゆゑにはいつて来るというふうにおこなはれてきたのであります。


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 かうした事情は西洋の先進国とまつたく反対です。そこでは錦の御旗はつねに保守派にあつた。革新派はひよつとすると追放されるかもしれません。危険を冒しながら革新をやらうとしてゐるのだ、さういう意識が革新家自身を暗〃裡に支配してゐました。進歩といふものを説明するため、うまく按配された歴史書といふやうなものは、つねにその点を見のがしてゐます。人類は未来に向つて一貫した目的をもつて営〃と動いてきたやうに説いてゐる。ばかな話で、こんな作りごとを真に受けたからこそ、錦旗は自分のものと錯覚する革新派がたくさん生まれたのです。
 日本における革新事業の特色は、必要から発しておこなはれたといふよりは、十分に古いもので間に合つてゐるのに、そこへ新しいものが、ただ新しいがゆゑにはいつて来るというふうにおこなはれてきたのであります。自動車ひとつ例にとつても、一九五三年型ではもう古い、業者もお客も五四年型でなければ満足しないらしい。文明の利器はすべてその調子で外国から輸入されてきました。私たち自身の食欲で食物をとるのではなく、西洋の、あへていへばその資本家の、食欲につきあつて、なんでもかんでもつぎつぎと食つてきた。自分の胃の腑が要求しないうちに、料理のはうで向う側からやつて来る。腹がへらないうちに料理の皿が来るので、それを片端から一所懸命平げようとして焦つてゐる形ですが、つひに食ひ切れないので消化不良を起してしまふ--それが現代日本文化の実情です。要求を前提として、それを土台に、なにか新しいものを生み出さうといふのと、要求がないうちに物のはうがさきに来てしまふのとでは、大変な違ひです。
 大義名分は日本ではつねに革新者側にあつたと申しましたが、なぜさうなるかと申しますと、これはいふまでもありませんが、外国でおこなはれた革新がその地で成功して、すでに良かつたといふ証明ずみのものばかりが日本へはいつてくるからであります。民主主義にしろ、人道主義にしろ、共産主義にしろ、みんなさうでありますが、西洋で実験ずみ、検査ずみのものが日本へはいつて来る。ですから大義名分我にありといふふうになるのであります。それは明治以来の日本が、いはゆる後進国として外国に追ひつかうといふ建前で動いてきた以上、当然といへば、当然でありませう。よく一口に、明治時代の指導者の富国強兵策を悪くいひますが、それはなにも政治家や軍人にかぎつたことではありますまい。日本の学問でも文化でも、みんな富国強兵策の産物なのであります。私たち知識階級もまた富国強兵策によつて、それを利用して、今日まで特権的な地位を享受してきたのであります。
 自分の要求にさきだつて、物のほうから近よつてくるといふ状態、そのために陥つてゐる一種の現代病を、私は自己抹殺病と名づけたい。ちやうどお洒落な女の人がデパートの高級品売場に迷ひこんだやうに、あちこちに買ひたいものが一杯ならんでゐる。……
    --福田恆存「文化とはなにか」、『日本を思ふ』文春文庫、1995年、362-364頁。

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本朝の「闘う」という連中の欺瞞に満ちた原因は、福田恆存(1912-1994)先生の指摘した通りだな、コリャ。

右も左も猫も杓子も含めて革新とは所詮「ごっこ」の世界にすぎないということ。

「大義名分は日本ではつねに革新者側にあつた」なんておかしいだろう。
「革新派はひよつとすると追放されるかも」というリスクを背負って、実現を目指す連中だろう。

だから革新が革新として成立しないんだよ。

所詮、箱庭内での鬼ごっこ。言語ゲームという名のディスカッションごっこ。

負けても別に気にしない。

なぜなら、それは「若気の至りですから」ですみますしね。

はぁ~。


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