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刺戟があたえられているとき、抵抗することができず、かえってそれに従わざるをえないということ

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 報賞と刑罰で人間をあやつる時代は、低級な、まだ原始的な種類の人間を眼中にしている。これは子供の場合にみられることである・・・
 私たち後世の文化のただなかにおいては、その宿命と退化とは、報賞と刑罰の意味を完全になくしてしまう何ものかである・・・このように行為が賞罰を見越すことによって真に決定されるということは、若々しい、強い、力に満ちた種族を前提とする。老衰した種族においては衝動は抵抗力を失っているので、たんなる表象ではまったく無力なのである。--刺戟があたえられているとき、抵抗することができず、かえってそれに従わざるをえないということ、デカダンのこの極端な過敏性が、そうした刑罰・改善の体系を完全に無意味なものにしてしまう。
    --ニーチェ(原佑訳)『権力への意志 下 ニーチェ全集 13』筑摩書房、1993年、255頁。

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海のそとでは、世界史的な大事件が予断を許さぬ状況で推移し、そして国内的には自然災害やら疫病の流行、そして今後30年を占う社会保障と税の問題の検討がつづくなかで……、本当は考えなきゃいけない・詳しく知らなければいけない事案が山積であるにもかかわらず、、、そうではない報道が大半を占めるという本朝の軽佻浮薄な状況というものは、本当に「なんたるちあ」なのではないかと、脱力度百%となってしまいます。

相撲の八百長なんかどうでもええやないか……というのが正味のところです。

ホントに……ねぇ。

しかし、ここで脱力度百%になってしまうと民主主義「ごっこ」を演出するシステムと担当者の思うつぼになってしまいますので、「各員一層奮励努力セヨ」……というところでしょうか。

民衆には「刺戟」を与えておけばなんとかなる……という発想がすでに時代遅れなのだけれども(苦笑、……ねぇ。

まあ、こちらは、そうおもわれているように振る舞いながら、着実に時代を変革すべき足下を掘りつつ、小水石を穿つでいこうかと思いますよ、ホント。

気が付けば、梅のつぼみはおおきくなっているんです。月末の開花を目指してネ。

些細かもしれませんが、「あきらめない」人間の一歩一歩の歩みも同じだとは思いますヨ。

ふふふ。

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著者:フリードリッヒ ニーチェ
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