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【研究ノート】政府の目的は、人類の福祉にある。

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 一五七 この世界の事物は、絶えず流れているので、同じ状態に止っているものは全くない。そこで、人民も、冨も、商業も、権力も、その位置を変え、繁栄した強大な都市は亡び、時を経て、人に捨てられた、寂しい土地となるとともに、他方、他の、人の訪れぬ土地が、人口の大きな国となり、冨と住民に満ちてくる。けれども物事は決していつも平等には変化せず、私的な利益が、しばしば理由のなくなった慣習や特権を維持するし、時には立法府の一部が人民の選挙した代表から成っているような政府の場合、時と共に、この代表が、はじめてそれの設けられた時の理由からみて、極めて不平等、不均衡となるということが、しばしば起るのである。理由のなくなった慣習にしたがうことが、どんなに大きな不合理に導くかは、次の例で明らかである。というのは、家といったら羊の檻ばかり、住民といえば羊飼しかいないようなところが、町と呼ばれているばかりに、立法者の大会議に、人口の多い、富強な郡と同じだけの代表を送っている場合がある。知らない人は、これをみてびっくりする。そうして誰もが、矯正が必要だという。たいていの者は、しかしその方法を見付けることは困難だと考える。何故なら、立法府の組織法は、社会の本来的かつ最高の定めであり、そこでの一切の実定法に先行し、全く人民に依存しているので、下級の権力はそれを変えることができないからである。そこで、人民は、立法府が一たび構成されると、われわれが論じているような、そういう政府においては、政府が存続するかぎり、行動する権力を全くもたないのである。したがってこの不便は、これを救済することは不可能であると考えられている。
    --ロック(鵜飼信成訳)『市民政府論』岩波文庫、1968年、159-160頁。

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 第十九章 政府の解体について

 二一一 政府の解体ということを、いくらかでも明快に論じようとすれば、何よりもまず、社会の解体と政府の解体とを明確に区別しておく必要がある。協同体を形成し、人々がルーズな自然状態を去って、一箇の政治的社会に入るようにするものは、一人一人が他の人々との間で結ぶ協定、すなわち団体をなし、一体として行為し、かくして一箇の独立の国家となるという協定である。この結合が解体される普通の、そうしてほとんど唯一の途は、彼らを征服する外敵の侵入である。というのはこういう場合には(自分たちを一つの全体としての独立体として維持保全することができなくて)、その団体の本質である統合が、必然的になくなり、各人は、彼らが前に属していた状態に戻ることになる。そうしてそこではめいめいが自活の道を講ずる自由があり、自分が適当と考えるところんびしたがって、何か他の社会で、自分の安全を確保する自由がある。もし社会が解体されれば、その社会の政府が存続できないことは確かである。それであるから、征服者の剣は、政府の根を断ち切り、社会をずたずたに切り裂き、征服され、追い散らされた群衆を、彼らの暴力から保護しなければならないはずの社会の、保護や依存から切り離してしまう。世間は、この種の政府の解体については、よく知っており、それを許すには、余りに進歩しているので、これ以上、このことについて述べる必要はない。そして、社会が解体されれば、政府は存続し得ないことを証明するために多くの議論をする必要はない。それはちょうど、一軒の家の枠組みは、その材料が旋風で吹き散らされ、散逸させられたり、地震でがらくたの山にくずされてしまった場合に、存立しえないのと同じである。

 二一二 このように外部からてんぷくされるほかに、政府は内部からも解体される。
    --ロック(鵜飼信成訳)『市民政府論』岩波文庫、1968年、213-214頁。

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 二二九 政府の目的は、人類の福祉にある。ところで、人民がいつも専制政治の無限界な意志にさらされているのと、もし支配者たちが、その権力行使に当って法外なものになり、その人民たちの財産の保存ではなしに、破壊のためにそれを用いる場合には、これに抵抗してもよいというのと、どちらがいったい人類の最善の福祉にかなうのだろう。
    --ロック(鵜飼信成訳)『市民政府論』岩波文庫、1968年、229頁。

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久しぶりにロック(John Locke,1632-1704)を読んでいたので少しだけ抜き書きをしておきます。

フィクションとしての国家という共同体を神話から解放した嚆矢となるのがロックの議論です。しかし、フィクションとしての国家というものも、できあがって時間がたってくると「再」神話化してしまうことがorzであり、最近その傾向が顕著になってきていることに違和感を覚えてしまいます。

どのような形態をとろうとも、国家(政府)の目的は何か……という根っこの部分を失念してはいけないのですが、その辺がスルーされてねぇ。

ホント、困惑してしまうというものです。

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