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だから「想定しない」ものは全部「想定外」。

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 21世紀型ファシズムの始まり
 菅氏の行動原理を間近で見てきた菅伸子氏はこう述べる。
 <菅はロジックのあるものが好きで、読む小説も、歴史小説がほとんど。ですから、菅を「情」で説得してもダメ。理屈で説得されるほうが納得する人です。でも、一般的に女は情でなければ口説けません。だから、女性にはもてないと思います。私も、似ているところがあるので、ロマンチックな美辞麗句では頷かなかったかもしれませんね。>(菅伸子『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの』76頁)
 ここで言う菅氏のロジックは、アリストテレスが定式化した同一律、矛盾律、排中律を核とする形式論理だ。目に見えない世界の論理である形而上学、人間の心情の論理である無意識の心理に菅氏は関心をももたない。関心をもたないというよりも、「目に見えないもの」があるということがわからないのである。
 この点では、菅伸子氏の方がより徹底している。
 <私の母は、菅直人ともよく似ていて、合理主義者です。二人の結婚に反対なので、それを阻止するために、「私が菅直人よりも条件のいい男を見つけてくれば、あなた、文句はないでしょう」と言って、次から次へとお見合いの話を持ってきました。
 あれはすごかった。そこで、私はそれに対抗する説得材料を作るために、点数表を作りました。容姿とか、学歴とか、職業とか、将来性とかを点数にして、それで、合計点で菅直人よりもいい男がいたら、しょうがない、その人と結婚するしかないかなあ、と。>(前掲書54頁)
 点数表を作って合理主義を結婚にまで適用しているのであるから、菅伸子氏は筋金入りの情勢論者である。人間を数値化し、それで評価するという発想がキリスト教の人間観と根本から対立する。
 これまで見てきたことから、菅氏は合理性によって最小不幸社会を実現することが可能と考えている。菅氏は、機械的モデルで国家や社会を操作可能と見ている。菅氏にとって官僚は道具である。ナイフを用いた殺人が起きた場合、ナイフを除去するという対処は正しくない。殺人にナイフを使うような人間を排除することが重要だ。まっとうな人間がナイフを用いるならば、リンゴの皮をむいたり、肉を切ったりと有益な目的のために用いることが出来る。官僚も道具である。自民党政権が道具である官僚を誤った目的のために用いていた。自分は正しい目的のために官僚を使うことができるので、権力を掌握した後、道具である官僚と対立する必要はないという結論が、菅氏の政治哲学から導き出される。思想史の系譜で見た場合、菅氏の発想が戦前、陸軍(当時、影響力が最も強かった官僚集団)と連携した左翼政党・社会大衆党と親和的だと私は考えている。菅氏の下で21世紀の日本ファシズムが育まれるかもしれない。もちろん、ファシズムという看板を掲げないファシズムである。そして、それは菅氏一人の問題にとどまらず、現下日本の政治エリート共通の問題なのである。この危険から抜け出すために、一方において、現在の社会の構造を冷徹に、存在論的に分析し、他方において、目に見えるこの社会を支える背後にある「見えない世界」を感知する力を取り戻さなくてはならないのである。いまここで新約聖書を読む意味は、まさにこの焦眉の課題を解決するためなのだ。
    --佐藤優「非キリスト教徒にとっての聖書--私の聖書論I」、『新約聖書I 新共同訳 解説・佐藤優』文春新書、2010年、351-353頁。

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昨夜のツィートのまとめで恐縮ですが残しておきます。

一元的還元主義の世界観の問題は、どの事象へ還元するかという問題はあるけど、付随する負荷が多すぎるものです。

このへんのイデオロギー分析は、(あまり好きではないけど)佐藤優氏(1960-)の『新約聖書I 新共同訳・解説』(文春文庫)の末尾の「非キリスト教徒にとっての聖書--私の聖書論I」が秀逸です。

理念先行は確かに悲劇を招いたけれど、理念のない情勢論も不幸を招いてしまうということ。

結局情勢に籠絡されてしまうということです。


僕は点数主義を否定しないけど、ゆとり教育は批判します。
だけど、同一律・矛盾律・排中律を核とする形式論理(点数主義)「外」をみとめない合理主義にはNo!

返す刀で斬りつけたいのは「外」のみを見つめる眼差し、江原某的「目に見えない」が代表ですが、これも同根。

いずれにしても形式論理から排除された世界を想定しない限り、世界は正しく理解できないと思う。そしてその逆も然り。

ここが落とし穴。
そして、その逆もまた然りなり。

だから「想定しない」ものは全部「想定外」。
世界を限定した枠内でしか認識・議論できないorzになってしまう。

ついでにいえば、江原某は、存在しない世界を演出しているだけというorz

サン=テグジュペリ(ntoine-Jean-Baptiste-Marie-Roger de Saint-Exupéry,1900-1944)のいう「みえないもの」はその両岸にないところに存在するのだろうねえ。

くどいようですが、菅首相をdisろうというのが主眼ではありませんし、すでにdisりすぎられておりますから、ぼくが新しいことをやる必要もないのですが、再度感じるのは、理念論と情勢論の対立関係からそれを有機的な相即関係に転換していかない限り、問題はどこまでも二律背反的に推移してしまう。

そら恐ろしや。


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