僕は池波正太郎のファンですと自己紹介して、私に名刺をくれた。ファンというより池波キョウかなと
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行きつけの酒場でひとりで飲んでいたら、となりの客が話しかけてきた。もちろん、酒場ではこういうことはべつに珍しくない。はじめて会った客同士が意気投合し、肩を組まんばかりにして、つぎの酒場へと出かけてゆく光景もときどき見かける。逆に先刻まで仲よく話あっていたのが、口ぎたなく罵りあい、つかみあいの喧嘩をしていることもある。
その夜、私に声をかけてきた、まだ三十代はじめのひょろひょろした内気そうな青年はひとりでオン・ザ・ロックスを飲んでいた。彼とはおたがいに顔も職業も知っていたが、それまで言葉をかわしたことはなかった。酒場で顔を合わせれば、目で挨拶してきたにすぎない。それに、いつもおたがいに誰かといっしょだったから、カウンターにとなりあわせにすわっても、口をきく機会がなかった。
彼もひとり、私もひとり、ほかに客がカウンターのすみにいるだけだったからだろう。青年は親しげに、僕は池波正太郎のファンですと自己紹介して、私に名刺をくれた。ファンというより池波キョウかなと彼が言ったのをおぼえている。キョウは「狂」でもあり「教」でもあります、と彼はひとりで笑った。釣られて、私も笑いだした。
--常盤新平「解説」、池波正太郎『剣客商売3 陽炎の男』新潮文庫、昭和六十一年、302頁。
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せっかくの休日だったにもかかわらず、爆睡してしまい、気が付くと昼過ぎ。
夕方まで少し仕事は片づけましたが、生産性のひくい1日になってしまったのが最大の恥辱です。
ただ、考えても仕方ありませんので、明日からまた仕切直すしかありませんね(苦笑
そーいうときは私淑する池波正太郎先生(1923-1990)の作品でも読みながら、ゆっくりと過ごすことがベストです。
ちなみにわたしも「池波キョウ」の一人ですから。
でわ。
酒を飲みながら……。
陽炎の男 (新潮文庫―剣客商売)
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