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自然の意味を考えると、われわれは自然がひとつの訓育だという新しい事実にたちどころに到達する

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 自然の意味を考えると、われわれは自然がひとつの訓育だという新しい事実にたちどころに到達する。世界のこの効用には、それ自身の部分として、これまでに述べたさまざまな効用がふくまれている。
 空間、時間、社会、労働、寄稿、食物、運動、動物、機械力が、くる日もくる日もわれわれに、限りない意味をそなえた教訓を与えてくれている。「悟性」と「理性」をいずれも教育してくれている。物質に固有なあらゆる性質、--その個体性あるいは抗性、その惰性、その伸縮性、その形状、その可分性のひとつひとつが、悟性のための学校なのだ。悟性は加算し、分割し、結びつけ、測定して、この立派な場面のなかにおのれの活動のための養分と舞台を発見する。いっぽう、これらの教訓を「理性」は、「物質」と「精神」とを結び合わせるアナロジー〔類縁〕を認識することによって、ことごとく、おのれ自身の住む想念の世界に移してしまう。
    --エマソン(坂本雅之訳)「自然」、『エマソン論文集(上)』岩波文庫、1972年、67-68頁。

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自分自身はあまり意識せず生活をしていたのですが、細君は節句と季節のたべものをというものを非常に重要視して生きている人間のようでして、3月3日は桃の節句ということで、わが家は男の子でありますけれども、節目節目を大事にする人間ですから、今日は、珍しく!「はまぐりのお汁」を夕餉に用意しておりましたが……、

夕刻・息子殿が帰宅すると、やはりわが家で貝が出てくるのはやはり珍しいので(私が貝がNGなので)、まだ生きているはまぐりを少し観察していたようです。

生きているので「飼う」などと申しておりましたが、それができないことをきちんと説明すると納得したようで、夕餉の膳へと変換された次第です。

しかし、この節句には節句のもの、季節には季節のものをいただくというライフスタイルは大切かもしれません。

この世の中、マア、真冬でも西瓜を食べようと思えば食べることはできるわけですが、季節の節目、節目で旬のものをいただいたり、意義ある食べ物をいただくというのは、大事なことかもしれません。

もちろん、これは強制されるべきものでもなにでもありませんが、少しだけ、生活感覚に対して意識的に敏感に対応するようになると、そこから、大自然の営みに対して少し感動をもったり、その移り変わりに感謝できるようになるのかもしれませんね。


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