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「アテナイ人諸君よ、私は諸君を尊重しかつ親愛する者であるが、しかし諸君に従うよりも」……

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 「アテナイ人諸君よ、私は諸君を尊重しかつ親愛する者であるが、しかし諸君に従うよりもむしろいっそう多くの神に従うであろう。そして私の息と力の続く限り、智慧を愛求したり、諸君に忠告したり、諸君の中のいかなる人に逢っても常に次の如く指摘しつつ、例の私の調子で話しかけたりすることをやめないであろう。『好き友よ、アテナイ人でありながら、最も偉大にしてかつその智慧と偉力との故にその名最も高き市の民でありながら、出来得る限り多量の蓄財や、また名声や栄誉のことのみを念じて、かえって、智見や真理やまた自分の霊魂を出来得るかぎり善くすることなどについては、少しも気にかけず、心を用いもせぬことを、君は恥辱とは思わないのか』と。」そしてもしその時諸君のうちの誰かが、これに抗議して、自分はそれを気にかけていると主張するならば、それでも私はすぐには彼を放さずまた自分もそこを動かずに、彼に質問し、彼を精査しまた厳しく試問し、そうしてもし彼が徳(アレテー)を持たずして持つと主張すると私が認めたならば、私は、彼は最も貴きものを最も価値なきものと做し、かえって価値少なきものの方を高く評価するといって彼を非難するであろう。
    --プラトン(久保勉訳)「ソクラテスの弁明」、『ソクラテスの弁明 クリトン』岩波文庫、1964年、37-38頁。

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ときどき、頓珍漢な議論を正論と錯覚して大きな声で騒いでいるひとが多見されるのですけれども、それはそれで筋が通っていないので材料と論理で話し合いながら、その酔いをさましてもらうしか方法がありません。

しかし、そういうひとびととおなじぐらいおおくのひとが、たしかに言っている理屈や論理はわかるといいますか、否定できない・なるほどねと思うことがあるのですけれども、言い方が汚い・穏やかじゃないというケースもおなじぐらい多見することがあります。

大切にしているもの・正しいとおもっているものが、いくら大切で正しいものであったとしても、そういうやり方で、いわば相手をねじ伏せるようなことをしているのであれば、大切なものや正しいとおもっているものを、損なってしまい、最初に指摘した頓珍漢な議論をするひとびとと五十歩百歩じゃないのかしら……そんなことをつくづく実感します。

大切にしているものが大切であり、正しいものが正しいものであるならば、それを表現する・伝える手法も大切にしてほしいし、正しくあって欲しいと思うのだけどねぇ。

ぎゃふん。


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