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【覚え書】フィヒテ:生、愛、浄福が端的に同一のものであること

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 生即ち浄福である、と私は云つた。それ以外ではあり得ない。何となれば、生は愛であり、生の形式と力とは愛の中に存し、愛より発生するからである。--かく云ふことによつて私は認識の最高の命題の一つを陳べたのである。但し此の命題は、眞に懸命に集中された注意を以てすれば直ちに明らかになるであらうと思ふ。愛は、それ自身に於ては死せる存在を分ち、存在を存在の前に置くことによつて、いはば二重の存在となし、かくしてそれを、自己自身を観、自己自身を知る自我又は自己となすのである。此の自我の中に総ての生の根元が存する。更に愛は、此の分たれた自我を内的に合一し、結合する。自我は、愛なくしては、ただ冷ややかに、無関心に自己自身を観るに過ぎないであらう。此の一によつても、かの二は仕様せられず永遠に残るものであるが、此の二に於ける一こそ生である。此のことは、課せられた概念を鋭く思考し、結合する人には直ちに明かになるに相違ない。さて又、愛は自己自身に対する満足でえある、自己自身に対する喜びである、自己自身の享受である、従つて又浄福である。かくの如くにしで、生、愛、浄福が端的に同一のものであることは明らかである。
    --フィヒテ(高橋亘訳)『浄福なる生への指教』岩波文庫、1938年、15-16頁。

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