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だいたい「忠誠」や「服従」を強要することはろくなことを招きはしない。

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「自民が「国旗損壊罪」提出へ 君が代替え歌に刑事罰検討」
http://www.asahi.com/politics/update/0302/TKY201103020333.html

 自民党は2日、国旗損壊罪を新設する刑法改正案を今国会に提出する方針を決めた。日本を侮辱する目的で日章旗を焼いたり破いたりしたら2年以下の懲役か20万円以下の罰金を科す内容。民主党や公明党など他党にも協力を呼びかけて成立をめざす。

 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件などをきっかけに自民党は保守色を強めており、「君が代」の替え歌など国歌への侮辱に刑事罰を科す改正案も検討する。

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だいたい「忠誠」や「服従」を強要することはろくなことを招きはしない。


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 政府の権威は、私が進んで服従しようとしているものでさえ--というのは、私は自分よりも知識が豊かで実行力に富んでいるひとびとばかりでなく、それほど知識や行動にすぐれていないひとびとにも、いろいろな点で、こころよく従うつもりでいるからだ--、まだまだ不純な権威である。厳密な意味で正当な存在となるためには、政府は統治される側の承認と同意を得なくてはならない。政府は私の身体と財産に対して、私が容認するものを除いては、なんら純粋な権利をもち得ないのである。絶対君主制から立憲君主制へ、立憲君主制から民主制への進歩は、個人に対する真の尊敬に向かっての進歩である。現在、われわれが知っている民主制は、はたして政治において可能な進歩の最終段階を示すものであろうか?
人間の諸権利を認め、それを体系化する方向に向かって、さらに一歩前進することはできないものであろうか?
 国家が個人を、国家よりも高い、独立した力として認識し、国家の力と権威はすべて個人の力に由来すると考えて、個人をそれにふさわしく扱うようになるまでは、真に自由な文明国家は決してあらわれないであろう。すべての人間に対して正しい態度でのぞみ、ひとりの人間を隣人として敬意をこめて扱う国家が、ついに出現する日のことを想像して、私はみずからを慰めるものである。そのような国家は、隣人や同胞としての義務をすべて果たしている少数の人間が、国家に口出しせず、かといって歓迎もされず、そこから超然として生きてゆくとしても、それが国家の安寧を乱すものだ、などと考えたりはしないだろう。国家がそのような実を結び、実が熟すればたちまち地上に落下するにまかせるならば、それはいよいよ完璧なすばらしい国家に向かう道を準備することになるであろう。私はこれまで、そのような国家についても想像をめぐらせてきたのだが、そうしたものはまだどこにも見あたらない。
    --H.D.ソロー(飯田実訳)「市民の反抗」、『市民の反抗 他五篇』岩波文庫、1997年、53-54頁。

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