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学問的真実、政治的真実、妄想的真実の混乱……

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 普通のひとは日常生活に忙しすぎて専門書を読んで議論したり、生活圏以外のことを考えたりする時間があまりない。だから、学者がちゃんと勉強して、まともな情報をまともに解析して、「世の中はこうなっていますよ」、「こうしてはいかがですか」、あるいは「こういう便利なものができました」といって公開する、それをメディア、ジャーナリズムが報道して、主権者である生活者に判断してもらう、それが学問と社会のとのあいだの理想的な関係であろう。そうした方向での貢献が学者の社会的使命だろうし、社会科学の目的であるのにたいし、自然科学の目的は、自然界の仕組みとその社会的影響について客観的な情報を提示することにある。つまり、相対としての学問の目的、学者の責任とは、世の中の事実や真実がどういうものであるかを分析し、わかりやすく提示すること。また、今まで発見されていなかったものを見つけたり、今までの解釈が間違っていたりするものについて、訂正を加えるということ、社会的に圧迫されているものに対して、その権利回復の後押しをする理論的援助をすることだと私は考える。
 しかし学者が研究してきたものはしばしば一般のひとには理解しにくいから、やさしい、普通のことばで説明し直すのがメディアとジャーナリズムの役割になる。大手メディアに長くいるとそのところがわからなくなって、聞きかじり程度の知識しかないのに、自分は賢いと錯覚したり、自分は何をしてもいいと誤解して社会的迷惑行為をしているものが自称(ジャーナリスト)たちに多い。
 私個人は書くものが己の良心にのみ左右され、時代を超えて正しくありたいと願っている。科学的にわかる範囲で、いかなる権力にも遠慮することなく、学問的真実を書き抜いていくことだと信じる。が、情報と事実・真実ということを考えると、世の中には①<学問的真実>のほかに、より多くの人が幸せを感じる②<政治的真実>、教典などに従うだけの③<妄想的真実>の三つのレベルがあることを知って行動するようにしたい。
 第一の学問的真実というのは、先述のように、良心にしたがってものを見て、誰もが納得する方向に従って分析すると、いつでもほとんど同じ結果が出るものである。政治的真実とは、事実とは違うかもしれないが、関係する人びとが満足すればそれが正解という立場である。妄想的真実とは自ら調べ考えることなく、今度のニューヨークの世界貿易センタービルと国防総省に突っ込んだイスラム原理主義者(の一部)やサリン事件まで突っ走ったオウム真理教(アレフに改称)のような、彼らにだけ通用する<確信>である。第二の政治的視点でもエリート支配層の存在と関係者の独善を是認するという意味では必ずしも是認できるわけではないが、第三のケースはとうてい私のいう「市民主権」性とは相容れない。
    --渡辺武達『市民社会と情報変革』第三文明社、2001年、15-17頁。

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自然科学やメディア論が専門ではない、ただの神学研究学徒にすぎませんが、渡辺先生の指摘する行動指針は大切にしたいと思う。

たしかに世の中には、「①<学問的真実>のほかに、より多くの人が幸せを感じる②<政治的真実>、教典などに従うだけの③<妄想的真実>の三つのレベル」が存在するのは疑うことの出来ない真実。

ただしかし、この国では、①も政治的影響を受けると同時に、②は逆ベクトルへと進み、③は肥大化の傾向を増しつつあるというのが現状でしょうか。

ふうむ。

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