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フェアプレーの義務は、基本的な道徳的観念としての忠実や感謝のような、他の一応の義務と並ぶものである。しかし、これらの義務と混同されるべきではない

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 フェアプレーの義務は、基本的な道徳的観念としての忠実や感謝のような、他の一応の義務と並ぶものである。しかし、これらの義務と混同されるべきではない。これらの義務はすべて、それらの定義から明らかなように、明確に異なっている。あらゆる道徳的義務の場合と同様に、フェアプレーの義務も、個々の事例いおける私利に対する制約を含意している。この義務は、しばしば、厳密に定義された合理的な利己主義者ならば決意しないであろうような行動を要求する。従って、正義は、たしかに、何人に対しても、その一般的状況においては、すなわち、正義の諸原理が提案され承認される手続きにおいては、自分の利害を犠牲にすることを要求しない。けれども、ある実践に携わるという脈絡において生じる個々の状況においては、自分の境遇の特異性からすれば手に入ることが許されるであろう特定の利益を、差し控えることを要求されるであろうという意味において、フェアプレーの義務が、しばしば彼の利害と衝突するということが生じるかもしれない。
--J・ロールズ(田中成明訳)「公正としての正義」、田中成明編訳『公正としての正義』木鐸社、1979年、51-52頁。

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フェアプレーつうのを最近、めっきり聞かなくなったねい(涙

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