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「自分で定義をするとき、その定義のとおりに言葉を使ってみて、不都合が生じたら直す」柔軟さ

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 明治のなかば、新渡戸稲造は、日本で学校を終えて、米国のジョンズ・ホプキンス大学に留学した。社会学の先生に試問されたとき、スペンサーならば、どのページに何が書いてあるかまでおぼえているおで、彼の用語についてどんなむずかしい質問にも答えられるつもりだった。ところが、「スペンサーをどう思うか」という質問をはじめにされたので、とても困ったという。そこから定義を墨守しない新渡戸流の学問の転回がはじまった。
 万古不変の定義は、経験のかかわる領域では、むずかしい。その場にあるモノを使って必要に応じて概念を定義する方法は、江戸時代の落語に流儀としてすでにあった。三遊亭円朝作「芝浜」は、酔漢、浜辺、財布の三代を寄席のお客に与えられて、その場でつくられた。酒のみの女房による生活たてなおしの工夫がここにあらわれる。こんにゃくの値段と大きさを取り入れて仏教用語と対比する「こんにゃく問答」などは、つたわらなかった失敗例を通して、あるべき定義術を今日に伝える。

 自分で定義をするとき、その定義のとおりに言葉を使ってみて、不都合が生じたら直す。自分の定義でとらえることができないとき、経験が定義のふちをあふれそうになる。あふれてもいいではないか。そのときの手ごたえ、そのはずみを得て、考えがのびてゆく。明治以降の日本の学問には、そういうところがあまりなかった。
 試験のための学習は、そういうはずみをつけない。ヨーロッパの学問の定義ではこういう、というのを受けて、その適用をこころみ、その定義にすっぽりはまる快感がはずみとなって学習がすすむ。すっぽりはまらないところに注目して、そこから考えてゆくというふうにならない。
    --鶴見俊輔「ぼんやりした記憶」、『思い出袋』岩波新書、2010年、35-37頁。

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落語を少し勉強してみようかなw

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