小さなひとりの美しい女性の呟きを是非お聞きくださいまし。
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145番(彼女の肖像に描きこまれた称賛の意を、錯誤と呼んで否定しようとするもの)
あなたが目にするこの、色塗られた嘘
それは巧みな技のかぎりを尽くして
色彩の生み出す偽りの論法にのっとって
感覚をずる賢く騙すもの。
この偽り、へつらいの思いが
年月の恐るべき技を見逃そうとし
時の苛酷さを打ちやぶって
老いと忘却を乗り越えさせようとしたこの偽りとは、
それはおもねりの生んだ空虚な細工品
それは風に揺れるかよわい花
それは運命に対する無益な防壁
それは愚かにして誤った努力
それははかない熱意、よく見てみれば
それは屍、それは土くれ、暗がり、そして無。
--ソル・フアナ(旦敬介訳)『知への賛歌 修道女フアナの手紙』光文社古典新訳文庫、2007年、30-31頁
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積読のまま開かなかった一冊の本を久しぶりに手に取ったのですが、なかなか素晴らしい一冊。
アメリカ大陸最初の作家ソル・フアナ(Sor Juana Inés de la Cruz、1948-1695)の詩や書簡を集めたアンソロジー『知への賛歌 修道女フアナの手紙』。
オススメです。
ソル・フアナは日本語版wikipediaでは項目すらなく、ほとんど知られていない女性知識人。
〈訳者まえがき〉から紹介すると次の通り。
「この美貌の修道女は、十七世紀後半に四十数年の短い人生を生きたメキシコの詩人であり、詩こそが文学の最高ジャンルであったこの時代のスペイン語世界全体に文名を轟かせたスター」
「紙幣に載るような作家といえば(引用者註……メキシコの二百ペソ紙幣の顔)、誰からも尊敬されるような模範的な人生を生きた人、それが修道女であればなおさら、信仰厚い模範的な修道女として生き、宗教的に崇高な作品を書いた人だと誰しも思うだろう。しかし、ソル・フアナはまったく違った。彼女は本を読みたいがために、学問をしたいがために、作家になりたいがために、しかたなく、というよりも、きわめて戦略的に修道女になることを選んだ人だった。巨万の富に恵まれていない当時の平民の女性にとって『文』の道を目ざしたければ、それ以外に選択肢はなかったからだ。そして、彼女はそのことを公言してはばからない勇気と率直さの持ち主だった。しかも、彼女が書き、生前から全集に集められて刊行され、広く愛された作品は、まったく世俗的なテーマのものだった」。
三百年前のメキシコの地で、悩みを誰にも相談できずひとりで黙々と考え、悩み、「どうして」「なぜ」と世界の不合理を問い続けた、小さなひとりの美しい女性の呟きを是非お聞きくださいまし。
知への賛歌――修道女フアナの手紙 (光文社古典新訳文庫)
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