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「国民の生存そのもの、あるいはまた国の指導者や国民の基本的な利益が危機に瀕しているとのニュースが集合体の内部に拡まると、まことに印象的な形でこの現象が生ずる」はずなのに

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 (一) 人類については、純粋な集合体、つまり純粋状態の群衆は存在しないと、逆説的にではなしに言うことができる。というのは、純粋な集合体を私は、異質な要素より成るものと定義したが、人類にあっては、集合体の構成メンバーはつねに何らかの程度に集合心性を帯びているから、そのメンバーが全き意味で相互に異質となることは決してないからである。ただし、それだからといって、動物的なものと言ってよい純粋集合体の特徴のいくつかが、人間の集合体に見出されない、などと言うのではもちろんない。
 (二) 集合体のメンバーにあっては、それまでの集合心性を構成していた諸要件は、単に意識の背後に押しやられているにすぎないから、、何らかの外敵事件がそれらの要素を意識の前面に呼び戻しさえすれば、集合体のメンバーは、一挙に強い連帯感を恢復しうる。何らかの激しい成仏によって集合意識がにわかに甦ると、それは集合体に「群衆状態」とでの名付けられるべき新しい性格を付与する。市民意識が高度に発達している、文化水準が高い現代の諸国民にあっては、国民の生存そのもの、あるいはまた国の指導者や国民の基本的な利益が危機に瀕しているとのニュースが集合体の内部に拡まると、まことに印象的な形でこの現象が生ずる。こうした状況では、集合体は一瞬にして、ひとつの国民に属しているという意識をとり戻すのである。
 このように見てくるならば、集合体が急激な変容により革命的結集体へと変化を遂げることがいかにして可能かを理解するのは容易ではなかろうか? この転換のためには、革命的な集合心性があらかじめ人々の裡に醸成されていること、そして、集合体が形成される時の状況のゆえに一時的に意識から排除されていた集合心性が、何かがきっかけとなって再び意識の前面に甦ってくることが必要であり、またそれで十分なのである。集合体が、村祭りの場合のように、生理的興奮を喚び起こしたり、飢饉の時の市場やパン屋での行列の場合のように、反権力的な集合心性を自ずと内包していたりする時には、この変容は一層のこと容易となろう。
 それゆえわれわれは次のように結論できる。すなわち、それに相応しい集合心性があらかじめ醸成されていないならば、「革命的結集体」--常識的であいまいな意味合いになるが、「群衆」という言葉を使いたければ「革命的群衆」と言ってよい--はありえないのだ、と。
    --ルフェーブル(二宮宏之訳)『革命的群衆』岩波文庫、2007年、31-33頁。

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こんなものまで文庫になっていたのかと手にとって驚いたのですが、すでに出版されてから四年が経ったルフェーブル(Georges Lefebvre,1874-1959)の『革命的群衆』。

月曜に入手しましたが、短い一冊といいますか研究報告のようなものですが、なかなか奥深い著作です。

「烏合の衆はいかにして、歴史を動かす群衆に変貌するのか?」
「革命を起こす心性はいかにして造られるのか」

……帯に当たる岩波の扉の紹介文の問いをルフェーブルは、フランス革命下の農村騒擾から探究します。

職業革命家が演出する革命は必ず組織性をもった行動をその性格としますが、それは三々五々とあつまる「群衆」ではありません。

しかし最初のフランス革命には、そうした事例があったことには驚きです。

しかし、読めば読むほど……

「市民意識が高度に発達している、文化水準が高い現代の諸国民にあっては、国民の生存そのもの、あるいはまた国の指導者や国民の基本的な利益が危機に瀕しているとのニュース」がながれているにも関わらず、善き変容へスライドとしていかない本朝の現状には……ため息ばかり(涙


ぎゃふん
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著者:G. ルフェーヴル

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