« しかし、「自分が正しい」と思うことの責任説明は丁寧にやる、そしてその実践的運動においても「みぐるしくない」ことを実践するのは一つの責任だと思う | トップページ | 法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず »

人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか--それとも

00000_p1000045


-----

 人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか--それとも、本来的人間への自己変化によって、また与見されえない本来的人間への機会によって、飛躍をなしとげるか、いずれかを選ばなければならない。
    --ヤスパース(松浪信三郎訳)『哲学の学校』河出書房新社、1966年。

-----


私一人ぐらいが何をやっても変わらない……って発想が有るかぎり、何も変わらないということでしょうか。

それをすることによって当座として目に見える変革が一挙に立ち上がるわけでないことは承知ですが、自分自身の身近な行動と連帯によってこそ、時代は大きく転換すると思うのですけれどもネ。

「関係ねぇや」っていう無関心と、「どうでもいいや」って開き直りのあきらめを廃しないかない限り、希望というものは形にはならないと思うのですけどネ、なにしろ希望とは、強い意志の力、精神の力によってはじめて担保されるものですから。


Resize0252

|

« しかし、「自分が正しい」と思うことの責任説明は丁寧にやる、そしてその実践的運動においても「みぐるしくない」ことを実践するのは一つの責任だと思う | トップページ | 法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず »

現代批評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/40809557

この記事へのトラックバック一覧です: 人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか--それとも:

« しかし、「自分が正しい」と思うことの責任説明は丁寧にやる、そしてその実践的運動においても「みぐるしくない」ことを実践するのは一つの責任だと思う | トップページ | 法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず »