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観念や理想の力や光は、その本当の強さを保つためには、自分で一字々々、一行々々ずつ書いて来た文字そのものから放たれるものでなければならない

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 人生とは何ぞやという事は、かつて哲学史上の主題であった。そしてそれに対する種々の解答が、いわゆる大哲学者らによって提出された。しかし、人生は決して、あらかじめ定められた、すなわちちゃんと出来上がった一冊の本ではない。各人がそこへ一字々々書いて行く、白紙の本だ。人間が生きて行くその事がすなわち人生なのだ。
 労働運動とは何ぞや、という問題にしても、やはり同じ事だ。労働運動は労働者にとって人生問題だ。労働者は、労働問題というこの白紙の大きな本の中に、その運動によって一字々々、一行々々、一枚々々ずつ書き入れて行くのだ。
 観念や理想は、それ自身が既に、一つの大きな力である。光である。しかしその力や光りも、自分で築きあげて来た現実の地上から離れれば離れるほど、それだけ弱まって行く。すなわちその力や光は、その本当の強さを保つためには、自分で一字々々、一行々々ずつ書いて来た文字そのものから放たれるものでなければならない。
    --大杉栄「社会的理想論」、飛鳥井雅道編『大杉栄評論集』岩波文庫、1996年、201頁。

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うえの大杉栄(1885-1923)の文章は、1920年6月の『労働運動』(1次、六号)に掲載されたものだから、晩年とはいえ、尤も脂がのってきた時代の筆になるのではないかと。

短い文章ですが、ここで大杉は「労働者はまず、その建設酢用とする将来社会についての、はっきりした観念をもたなければならない。この観念をしっかりと掴んでいない労働者は、革命の道具にはなるが、その主人になる事は出来ないと」いうクロポトキン(Pjotr Aljeksjejevich Kropotkin, 1842-1921)のテーゼを考察の糸口として取り上げ、それを「掴む事」がどうなのか論じていく。

たしかに、社会を変革していこうという様々な試みは、大杉よりも前の時代から提示され、様々な成功と失敗、そして現在進行形の形で……たとえば労働争議……事態は推移しているわけですが、「観念とか理想とかの見本を理屈上の比較研究」するだけではダメだという。

眼前に見せつけられる諸種の社会的観念を理想をそのまま受け入れる前に、何が必要か。大杉によれば、「自身が獲得して来た社会的知識と自由の精神との結合に努力」すること。そしてそれは何よりも「見本の買い入れよりも、その見本の刺激の下に、自分の品物」を作り出してゆくことではないかと論じる。

そして冒頭に引用した部分でまとめに入っていくわけですが、この大杉の指摘は、狭い労働運動や社会的理想の問題だけに限定されるものではありませんね。

極端な構図化をするならば、マルクス主義というのは、キリスト教に対する脊髄反射。変革理論は俗流プラトニズムの劣化ウラン弾にしか過ぎませんから、そこにおいては、理想と現実が相関的なものではなく、たえず隔絶したものとして演出されます。まあ、だからこそ、「理想が先が、現実が先か」式のプロクラステスのベッドにながされがちなわけですが、大杉はその落とし穴を避けながら、且つ、それをどのように相即させていくのかというひとつの示唆を与えているように思えて他なりません。

「観念や理想は、それ自身が既に、一つの大きな力である。光である。しかしその力や光りも、自分で築きあげて来た現実の地上から離れれば離れるほど、それだけ弱まって行く。すなわちその力や光は、その本当の強さを保つためには、自分で一字々々、一行々々ずつ書いて来た文字そのものから放たれるものでなければならない」。

この一言は深く受け止めたいものです。

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