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原水爆がもたらす黙示録的な危険は、ある完結された行為によって、永遠に除去される性質のものではない

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 原水爆がもたらす黙示録的な危険は、ある完結された行為によって、永遠に除去される性質のものではない。そうではなくて、毎日毎日、行為をくりかえしてゆくことによってのみ、それは可能なのである。このことは、つまり、こういう意味である。現在存在する原水爆や、その製造や、その実験や、貯蔵だけを対象にしてわれわれの反対運動をつづけるだけでは、けっして十分ではないということを、われわれは理解すべきである、と。このことを認識するならば、われわれは、今日のわれわれの状況がいかに重大な困難をかかえたものであるかを、はっきりと知るであろう。
 そもそも、われわれがめざしている究極の目標は、単にあの“代物”の所有をやめる、ということではないはずである。そうではなくて、たとえ万が一にもその所有をやめることができなくても、その使用だけは金輪際やらない、ということでなければならないはずである。すなわち、使用しようと思えば使用できる日が、かりにおとずれたとしても、絶対に使用はしない、ということでなければならないのだ。
 いかなる具体的な処置、すなわち原水爆の完全なる破棄という処置をもってしても、それは決して絶対かつ究極の保障たりえぬ。むしろ、われわれとしては、たとえ使用可能のチャンスがおとずれようとも、このチャンスを行使することは絶対にしないという決意を一瞬もすてないことこそが、真の保証である。--人類がこの認識を身につけるために協力することが、君の使命である。もしも、われわれに、つまり君や私に、このことができないとすれば、われわれの存在は、もはや望みなきものとなるであろう。
    --ギュンター・アンデルス「〈手紙の4〉原子力時代の最初の犯罪 原子力時代の道徳綱領」、G・アンデルス、C・イーザリー(篠原正瑛訳)『ヒロシマ わが罪と罰』ちくま文庫、1987年、71-72頁。

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広島に原爆を投下した第509混成部隊の気象観測機(ストレートフラッシュ)のパイロットとして8月6日に参加したのがクロード・ロバート・イーザリー(Claude Robert Eatherly、1918-1978)。

その操縦技術は天才的といわれたが、広島、長崎へ原爆を投下したB-29部隊の搭乗員ではただ一人、二つつの原爆投下に関わったことに悩んだ人物として知られております。

その操縦技術は天才的と評されましたが、退役後、酒におぼれ、そしてその奇行ゆえに「疑問視した」「悩んだ」ことを疑う向きもありますが、病院の中からイーザリーは、哲学者ギュンター・アンデルス(Günther Anders,1902-1992)との文通を交わし始め、その心中を吐露しておりますが、その書簡集が死後アンデルスによって出版されます。

それが『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』。

うえに引用した一節はイーザリーの悩みを受け、アンデルスが返信した手紙に付録のようなカタチで付け加えられた一文(「原子力時代の道徳綱領」)から。

イーザリーは悩まざるを得なかった訳ですが、それはやはり必然なのでしょう。

アンデルスは、原子力の問題とは、パワーゲームのキーアイテムとみるような表層的な扱いでは対処できないとして、それを人類全体の「道徳」の問題として措定します。

原子力の力とは何でしょうか……。

それは、もつ・もたない、使用する・使用しないという方法論の上の問題には収まりきらない問題ということなのではないでしょうか。

そして、それはとりもなおさず、「行使することは絶対にしないという決意を一瞬もすてないこと」が必要不可欠で、それによって人類の安全が「真の保証」と担保される。

だとすれば、この問題は、やはりどこまでいっても、方法論、技術論、コスト論の問題ではなく、深い人間への洞察へ基づいた生命の問題として考えなければならないのではないかということ。

まさに「原水爆がもたらす黙示録的な危険は、ある完結された行為によって、永遠に除去される性質のものではない」わけですし。

そしてこのことは敷衍するならば、原子力以外の「圧倒的なもの」に対しても同じかもしれません。

その意味では、イデオロギー闘争としての脱・推進という二元論を乗り越え、現代の状況と対話しながら、今後、どのように「金輪際」していくのかというのを考えていかないといけないと僕は思うのですがねぇ。

図らずも「アトムズフォーピース」の欺瞞とコスト的インチキが暴露された現在、これはとりもなおさず人間の生命に関する問題として洞察する必要がありますね。

別々に考えていたことは自分自身も含めて自覚しおなす必要はあると思います。

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