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覚え書:「急接近:鷲田清一さん 「3・11」後の知と大学のあり方とは?」、『毎日新聞』2011年9月17日(土)付。

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急接近:鷲田清一さん 「3・11」後の知と大学のあり方とは?

<KEY PERSON INTERVIEW>

 東日本大震災の発生から6カ月。東京電力福島第1原子力発電所事故の発生で、科学の信頼は大きく揺らいだ。知のあり方、知を育む大学のあり方は、「3・11」でどう変わるのか。前大阪大学総長で臨床哲学者の鷲田清一さんに聞いた。【聞き手・鈴木敬吾、写真・川平愛】

 ◇専門外からも逃げるな--前大阪大学総長・鷲田清一さん(62)
 --原発事故はいまだ収束のめどがつきません。特に放射能汚染の不安は増幅しています。

 ◆ 国民の多くが不安を感じるのは、さまざまなデータが提供されても、それがどういう視点から導き出されたものか、自分では確定できないからです。

 事故後、多くの「原子力工学者」がメディアに登場しました。原子力工学会が研究者団体としてどのような見解を表明しているのか調べましたが、そのような学会は存在しませんでした。「日本原子力学会」はありますが、「原子力の開発発展に寄与することを目的」に設立された産学協同の団体で、厳格な入会資格審査のある研究者コミュニティーではありません。

 そもそも原子力工学は、核融合工学、熱力学、電気工学、材料科学、制御工学など幅広い専門分野を集積した研究領域です。関係者に安全性を尋ねても、全体像ではなく自分の専門でしか答えてくれない。さらに原発推進派と反対派では、言うことが180度違う。

 --「原子力ムラ」の存在も明るみに出ました。

 ◆ この夏、ある理工学系の学会に招かれました。原発研究の問題点が話題になったとき、みなさん、「あそこは特殊なムラだから」と話されるので、驚きました。国、電力会社、研究者が深い闇の中でもたれ合う構図がある一方で、反対派の研究者は露骨なパージを受けていた。そんな事情をみなさんよくご存じだったのです。

 科学者は自分の専門外のことには口出ししないことが美徳とされてきました。しかし、それでは済まない時代なのです。研究者の専門領域はどんどん細分化していますが、社会が解決を求める課題は、その専門を幅広く横断しています。「専門じゃないから」と逃げていたら、解は永遠に求められません。

 --大学はどう対応していますか。

 ◆ 大阪大学は05年にコミュニケーションデザイン・センターという新しいタイプの教育機関を設けました。大きな柱が大学院生の共通教育です。

 どんな分野でも、日常生活に深くかかわるイノベーションをするのが博士後期課程の研究教育です。自らの研究によって社会がどう変化し、文化が活性化するか、逆にダメージを受けるか、そこまで考えぬく力が求められます。

 そのためには専門性を深めると同時に、もっと大きな枠組みのなかでものを考える訓練が必要です。教養、つまり社会的な判断力を磨くと同時に、高いコミュニケーション能力も求められます。

 自分の研究を誰にも分かる言葉で説明し、「私の専門ではここまでしか言えませんが、こう考えることはできませんか」と、異分野の研究者に提案し、討議する力が必要です。

 ◇市民との回路築かねば
 --しかし、そうしたディスカッションは市民の間でこそ必要です。原発をどうするかも、「難しいから」と逃げる人が多くては、社会的合意はいつまでたっても形成されません。

 ◆ 異なる専門家間だけでなく、専門家と非専門家との間に適切なコミュニケーションの回路がないことが、今の日本社会の大きな問題点です。原発のみならず、再生医療などの生命技術、情報テクノロジー、財政再建など、科学技術や政治・経済が直面する課題は、すべて私たちの日々の生活に深くかかわる問題だからです。

 大阪大学は、従来の「先生が教える」市民講座ではなく、双方向型のワークショップの開催に力を入れてきました。私鉄駅構内などで哲学カフェやサイエンスカフェを開き、通勤客らが自由に参加して、「原発事故はどういう問題なのか」などというテーマで討論するのです。

 そこで感じるのは、「本当の問題を知りたい」という市民の強い思いです。解決策を教えてくれ、ではないのです。時間と手間のかかることですが、こうしたことを積み重ねて市民との回路を築いていくことも、大学の大きな使命でしょうね。

 --原発問題では、そうしたコミュニケーションの広がりはありませんでした。

 ◆ 原発事故に後ろめたさを感じる人は少なくないでしょう。安全性への危惧や警告は書籍などでずっとなされてきたのに、それには耳を傾けず、国や電力会社からの楽観的な発信を都合のいいところだけ聞き取ってきたことの後ろめたさ。沖縄の普天間飛行場移設問題と同様に、判断を国に「お任せ」し、市民として責任を分かち合うというシチズンシップを果たせなかったのです。

 今、考えるべきは「文明の転換」ではなく、私たちが繰り返してきたことが、どんな危機を招いたかをしっかりと見つめ直すことでしょう。今回の体験を、市民的成熟をいかに果たすか、そのきっかけにしたいものです。私も副学長時代から7年半離れていた地べたをはいずり回る臨床哲学の活動に戻り、その動きに参画するつもりです。

 ■ことば
 ◇臨床哲学
 医療や介護、教育や貧困など、社会で生じているさまざまな問題を、専門家ではなく市民の<対話>のなかで考えていこうとする活動。阪神大震災を機に鷲田清一さんが提唱した。学説よりも問題発生の現場でのフィールドワークを重視する。
 ■人物略歴
 ◇わしだ・きよかず
 京都市生まれ。京都大大学院博士課程単位取得退学。関西大教授、大阪大文学部教授、副学長を経て、07年大阪大史上初の文系出身総長に就任。1期4年を務め、8月末に退任し、9月から大谷大学教授。
    --「急接近:鷲田清一さん 「3・11」後の知と大学のあり方とは?」、『毎日新聞』2011年9月17日(土)付。

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