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2011年9月

覚え書:「東日本大震災:トッドさん、三神さん対談 被災地を巡って見えたもの=エマニュエル・トッドさん」、『毎日新聞』2011年9月29日(木)付。

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東日本大震災:トッドさん、三神さん対談 被災地を巡って見えたもの=エマニュエル・トッドさん

 フランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドさんが来日し、8月上旬に東日本大震災の被災地を歩いた。日本の家族構造分析を通して見えてきた、被災地の姿とは--。同行したジャーナリスト、三神万里子さんとの対談により、震災がえぐり出した日本人の本質を語ってもらった。対談の詳細は、雑誌『環』(藤原書店)に後日掲載の予定だ。【構成・鈴木英生、撮影・塩入正夫】

形式主義でない日本社会の深層--エマニュエル・トッドさん
地域、産業の疑似家族的結束生きた--三神万里子さん

 エマニュエル・トッドさん 全般的な旅の印象は、日本社会の深層へと降りた感じです。被災地を南下するうちに、日本の形式主義的な面が消え、お会いする方に庶民的な人が増えました。福島県南相馬市で会った理髪店の奥さんの物腰は、まるで南フランスの女性でした。

 三神万里子さん より激しく被災した場所ほど、「フランスに似ている」とおっしゃっていましたね。特に福島第1原発に近い一部地域などは、私から見ても「日本=秩序」がはがれ落ちていた印象です。

 トッドさん 被災地で見られた集団のあり方を、東北の家族構造から考えてみましょう。伝統的に東北では、ときに長男ではなく長女が家を継ぐ。兄弟の間が緊密で、かつそこに上下関係がある。比較的早く父親が引退し、長男が父親役をする例もある。そこから、東北の家族集団は、他地域より強く大きく広がり、より序列的になると考えられる。逆説的ですが、水平的なつながりも強まり、柔軟にもなる。

 三神さん 一般に東北の人は我慢強いとされますが、厳密には被災後、多くの人がまず、「自分はもっとも悲惨な人よりどのくらい無事か」を考え、「もっとひどい人がいるから文句は言えない」と自制していく図式でした。そこで、被災地間ですら水平的な支援の輪が広がった。

 トッドさん 復興の原動力は、グローバル化が進むなかで集団主義的だと批判される、伝統的な日本の文化でした。しかも、この文化は、排外主義と一体ではない。被災地で私に敵対的な人は一人もいませんでした。

 三神さん 復興を支える伝統的な力を具体的に言えば、岩手県釜石市では、地域の祭りや消防団を支える青年団の存在がカギでした。津波被害がない地区の青年団は、極めて組織的に他地域の高齢者の安否確認や物資調達をした。津波被災地域の青年団は、単に助け合うだけでなく、過去の津波被害を調べて市の復興計画に具体案を出しています。地域が家族的に機能するかどうかは、そこの経済力にも大卒比率にもよりません。また、同じく製鉄所がある北九州市との「兄弟関係」で、同市職員が応援に来ていました。日本は地域や産業の疑似家族的結束が強いのです。

 トッドさん 日本の企業間競争は競技的で、いわばゲーム。いざとなれば、それに勝る価値が大きく働くようですね。

 三神さん 宮城県山元町の金型会社、岩機ダイカスト工業の例が非常に典型的でしたね。主要工場を津波で流されたのに欠品がなかった。同業他社に金型を渡して「代わりに作ってもらえませんか」と頼んだのです。ノウハウが詰まった金型を渡すのは、通常あり得ない話です。

 他方、同県女川町では、幼児的ともいえそうな日本の危うさを自覚しました。女川原発は高台にあったため無事だったと評価されていますが、現地で見ると高さは間一髪の印象です。原発までの主要道路も崩壊しました。つまり、もし原発で何か起きても、容易にアクセスできなかった。住民の脱出用道路も、十分ではなかった。

 トッドさん 日本は何をしても完璧に見えますが、核については恐ろしく非理性的、非合理的です。安全保障上の核兵器は極端に避けるが、地震国でありながら原発はたくさん造る。巨大なリスクと事故の影響を直視していない。

 三神さん 福島第1原発から約25キロまで近づきましたが、物的な破壊よりもむしろ、人々の平常心を奪う被害が重大だと感じました。住民は事故後、本当に危険な場所が分からないまま、たらい回しになった。「若い人に迷惑がかかるから」と自殺する高齢者も出たそうです。日本が崩壊した場合の未来を見るようでした。

 トッドさん あそこの避難所は、まるで日本から出た(排除された)感じでした。

 三神さん ここのボランティアは若者が減り、無職や派遣社員、既存の社会システムになじめていない様子の人々が見られた。避難者は大半が60代以上で、光熱費が払えないため仮設住宅にも移れない。

 トッドさん 日本は原発事故の結果、一方には安全な地域、他方で完全な立ち入り禁止地域、そして中間の不確実で漠然とした地域に分かれた。そこで、経済的、社会的に発達した国からこぼれ落ちた事象が集中する異質な場所ができつつあるのでは。とはいえ全般的に、私は、日本が停滞しているとかもう伸びないとは思いません。「失われた10年」を経ても、世界の特許の3割は日本人が持っている。津波で、世界中の自動車工場のラインが止まった。今ほど世界中が日本製品に依存している時代はない。だから大丈夫でしょう。

■人物略歴
エマニュエル・トッド
1951年生まれ、フランス国立人口統計学研究所所属。著書に『デモクラシー以後』『アラブ革命はなぜ起きたか』など。

みかみ・まりこ
1972年生まれ。慶応大卒。信州大客員准教授。仙台市の東日本放送で「東北ビジネス最前線」のキャスターも務める。著書に『メガバンク決算』など。
    --「東日本大震災:トッドさん、三神さん対談 被災地を巡って見えたもの=エマニュエル・トッドさん」、『毎日新聞』2011年9月29日(木)付。

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家族が支え合う・ご近所で支え合うは「排外主義と一体ではない」。自称排外主義者は「伝統」を再確認すべき。

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その世界に、あり余るほど豊かな手段のみを見て、その背後にある苦悩は見ない「慢心しきったお坊ちゃん」

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 創造的な生は、厳格な節制と、高い品格と、尊厳の意識を鼓舞する絶えざる刺激が必要なのである。創造的な生とは、エネルギッシュな生であり、それは次のような二つの状況下においてのみ可能である。すなわち、自ら支配するか、あるいは、われわれが完全な支配権を認めた物が支配する世界に生きるか、つまり、命令するか服従するかのいずれかである。しかし服従するということはけっして忍従することではなく--忍従は堕落である--その逆に、命ずる者を尊敬してその命令に従い、命令者と一体化して、その旗の下に情熱をもって集まることなのである。
    --オルテガ(神吉敬三訳)『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、1995年、208頁。

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(階層社会を肯定するわけではありませんのが……というような前フリを書かないといけない時点でこの国の「説明責任」の知的風土はお粗末なものだとは思うが……念のため、その旨を最初に言及しておきますが)文明批評家として名高いスペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセト(José Ortega y Gasset,1883-1955)は、主著『大衆の反逆』(La rebelión de las masas,1929)で、盲目的に猪突猛進する近代人の生き方を批判した。

そのなかで、近代以前の階層社会を肯定するわけではないけれども、ひとはいかなる身分・生き方を選択しようとも、自分自身に対する誇りと責任、彼自身の言葉で言えば「厳格な節制と、高い品格と、尊厳の意識を鼓舞する絶えざる刺激が必要」と説いている。

その対極は放逸と自己目的化した自己(欲望)の肥大化でしょう。


オルテガ自身も最初は匿名で出版しようとしたほど誤解をおそれたわけだけし、大上段から批判しようと言うのが彼の意図でもない。

昼下がりのワイドーショーに散見される物知り顔の知識がこれみよがしに「大衆はアホだ」として表題を選んだわけでもありません(ここを間違うとエライことになるけど)。

エリートであろうとも、労働者であろうとも、子供であろうとも、何であろうが、依拠して生きない創造的な生しか、制限なき時代において自分自身をコントロールすることはできない。コントロールできないということはまさに「慢心しきったお坊ちゃん」にほかならいし、その自覚のないまま、専門性を武器に批判だけカマス知識人たちこそそれより手に負えないシロモノとしての「近代の原始人」「近代の野蛮人」にほかならない。

物の支配をめざしたのが近代の市民社会。しかしそのあげくにたどり着いたのは物に支配される時代というパラドクス。それを加速させたのは、「過剰世界の中に安住することを可能とするような性格の文明」であり、その代償に「その世界に、あり余るほど豊かな手段のみを見て、その背後にある苦悩」に対する想像力を放棄してしまった……。

そろそろその矛盾を自覚し、転倒をゆっくりと建て直し、自分自身に即して、そして他者へのささやかな想像力をはたらかせながら、漸進主義的訂正をやっていくしかないんじゃないのか……。

なにしろ「自然に帰れ」といわれてもかえるそんなもんはありャアしませんし、世界から離脱することもできません。

でしたら、そのからくりか構造を自覚して、命令ではなく……命令は自分が自分自身に対してすればよろしいわけだから……対話による協同によって、少し……この言葉も手あかにまみれているけれども……脱構築するしかないのじゃないのかね、、、などとは思ってしまいます。

まあ、どうでもいいザレゴトですけどネ。


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 ところで、十九世紀の文明とは、平均人が過剰世界の中に安住することを可能とするような性格の文明であった。そして平均人は、その世界に、あり余るほど豊かな手段のみを見て、その背後にある苦悩は見ないのである。彼は、驚くほど効果的な道具、卓効のある薬、未来のある国家(ステート)、快適な権利にとり囲まれた自分を見る。ところが彼は、そうした薬品や道具を発明することのむずかしさやそれらの生産を将来も保証することのむずかしさを知らないし、国家(ステート)という組織が不安定なものであることに気づかないし、自己のうちに責任を感じるといことがほとんどないのである。こうした不均衡が彼から生の本質そのものとの接触を奪ってしまい、彼の生きるものとしての根元から真正さを奪いとり腐敗させてしまうのである。これこそ絶体絶命の危険であり、根本的な問題なのである。人間の生がとりうる最も矛盾した形態は「慢心しきったお坊ちゃん」という形である。
    --オルテガ(神吉敬三訳)『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、1995年、142-143頁。

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覚え書:「異論反論 普天間問題『沖縄の理解を』と首相が訴えました 構造的差別を認識せよ 寄稿=佐藤優」、『毎日新聞』2011年9月28日(水)付。

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異論反論 普天間問題『沖縄の理解を』と首相が訴えました
構造的差別を認識せよ 寄稿=佐藤優

 23日(日本時間24日)、訪米中の野田佳彦首相が内外記者会見を行った。〈首相は普天間移設を巡り、日米首脳会談でオバマ大統領に「昨年の日米合意にのっとって推進する」と日本側の考えを伝えたことを説明。抑止力維持と沖縄の基地負担軽減に取り組む姿勢を示し、「沖縄に県外移転を望む声があることもよく承知しているが、丁寧に説明しながら(県内移設に)ご理解をいただくということ」と述べた。〉(24日毎日新聞夕刊)
 野田首相は、沖縄が米海兵隊普天間飛行場の辺野古(沖縄県名護市)への受け入れに理解を示す可能性が皆無であるという現実を直視すべきだ。率直に言おう。政権交代以前ならば、辺野古移設の可能性はあった。しかし、鳩山由紀夫政権が沖縄県外への移設を口にしながら、最終的に辺野古移設に回帰した過程で、普天間問題の位相が変化してしまった。野田首相を含む東京の政治エリート(国会議員、官僚)は普天間問題を安全保障の枠組みで考えている。これに対して、沖縄は普天間問題を東京の政治エリートとによる沖縄への差別問題と捉えている。この認識の差異を正確に理解しない限り、野田首相がいくら誠実に努力しても、空回りするだけだ。
 日本の地上面積の0・6%を占めるにすぎない沖縄に在日米軍基地の74%が所在しているという現状は、明らかに不平等だ。しかし、沖縄はその不平等な現実に耐えてきた。その背景には、以下の琉球語(沖縄方言)の俚諺に象徴される沖縄の精神的伝統がある。
 「チュニクルサッティン ニンダリーシガ、チュクルチェ ニンダラーン(他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠ることができない)」

 民主主義原則の適用 他都道府県と同様に
 当時の鳩山首相が沖縄県外への移設を模索すると宣言したとき、沖縄は「ついにわれわれの痛みを理解し、その解消につとめてくれる首相が現れた」と心から喜んだ。しかし、外務官僚、防衛官僚の包囲網によって鳩山首相は身動きが取れなくなり、辺野古案に回帰してしまった。
 この過程で見えたのが差別の論理だ。沖縄県以外の都道府県が海兵隊飛行場を受け入れないのは地元の民意が反映しているからだ。民意に反する政策を強行しないというのが民主主義原則だ。沖縄の民意も海兵隊飛行場の受け入れに反対しているにもかかわらず移設を強要されるのは、沖縄には民主主義原則が適用されないということに他ならない。これは明白な差別だ。しかもこの差別は、人間にたとえるならば生活習慣病のように構造化しているので、東京の政治エリートにはどこに問題があるか見えないのである。野田首相が構造的差別という観点から普天間問題を見つめれば、新たな展望が開かれる。

さとう・まさる 1960年生まれ。作家。元外務省主任分析官。「アルバニア語の勉強を本格的に始めました。直野敦先生の『アルバニア語入門』(大学書林)は、とてもよい教科書です。小民族であるが名誉と尊厳に徹底的にこだわるアルバニア人の国民性が沖縄と重なります」
    --「異論反論 普天間問題『沖縄の理解を』と首相が訴えました 構造的差別を認識せよ 寄稿=佐藤優」、『毎日新聞』2011年9月28日(水)付。

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この問題は、沖縄だけでなく、さまざまな問題を垂直的に決定してしまう認識枠組みとして存在しているんだよな。

僕自身含めてなんですが東京に暮らすということは、本人に直接の瑕疵がないとしても、その責任・加害として関与しているという自覚は必要なんだとは思う。


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公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして、実は同じ「惑溺」の異なった表現様式にほかならない

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 かくして福沢の場合、価値判断の相対性の強調は、人間精神の主体的能動性の尊重とコロラリーをなしている。いいかえれば価値をアプリオリに固定したものと考えずに、是を具体的状況に応じて絶えず流動化し、相対化するということは強靱な主体的精神にしてはじめてよくしうる所である。それは個別的状況に対して一々状況判断を行い、それに応じて一定の命題乃至行動規準を定立し、しかもつねにその特殊的パースペクティヴに溺れることなく、一歩高所に立って新しき状況の形成にいつでも対応しうる精神的余裕を保留していなければならない。是に反して主体性に乏しい精神は特殊的状況に根ざしたパースペクティヴに捉われ、「場」に制約せられた価値規準を抽象的に絶対化してしまい、当初の状況が変化し、或はその規準の実践的前提が意味を失った後にも、是を金科玉条として墨守する。ここに福沢が「惑溺」と呼ぶ現象が生じる。それは人間精神の懶惰を意味する。つまりそれはあらかじめ与えられた規律をいわば万能薬として、それによりすがることによって、価値判断のたびごとに、具体的状況を分析する複雑さから逃れようとする態度だからである。そうしてその様な抽象的規準は個別的行為への浸透力を持たないから、この場合彼の日常的実践はしばしば彼の周囲の環境への単に受動的な順応として現れる。従って公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして、実は同じ「惑溺」の異なった表現様式にほかならない。かくして、福沢をして「無理無則」の機会主義を斥けさせた精神態度が同時に、彼を抽象的公式主義への挑戦に駆りたてるのである。
    --丸山眞男「福沢諭吉の哲学」、松沢弘陽編『福沢諭吉の哲学 他六篇』岩波文庫、2001年、83-84頁。

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「価値をアプリオリに固定」することが信念に生き抜く人生とは程遠いはずなのに、「価値をアプリオリに固定」することを「強靱な主体的精神」と勘違いするケースに最近ちょくちょく直面します。

ひとがものごとを判断する場合において、アプリオリに判断する場合も、そしてアポステオリにそうすることも、現実には混在しております。

しかし、少し余裕をもってそれが妥当するのかどうかという省察が欠如した場合、どちらの判断もうまく機能しないのではないかと思います。

前者は「金科玉条として墨守」する宿痾のような態度として現れ、後者は風見鶏となってしまう。その心根を極限まで排しながら、現実的判断と普遍的な判断をすり合わせようとしたのが福沢諭吉(1835-1901)の戦いではなかったのか……福沢の教説を読むそのことをいつも思い出します。

いみじくも丸山眞男(1914-1996)が指摘する通り福沢の第一規律とでもいうべきものは「惑溺」を避けるという態度。

「あらかじめ与えられた規律」でうまくいく場合を全否定はしませんが、それが「万能薬」であるわけでもありませんし、それでうまく片付くという発想は「価値判断のたびごとに、具体的状況を分析する複雑さから逃れようとする態度」とワンセットになっていることを承知しておくことが必要不可欠。

そしてその対極に位置すると見られがちな「風見鶏」の判断という奴も、つまるところは「周囲の環境への単に受動的な順応」という意味では同じように機能するから、実はひとつもののうらとおもて。共通していることは、「個別的状況に対して一々状況判断」を行うことができない思考麻痺のそれであり、そこから「一定の命題乃至行動規準を定立」する、あるいは学ぶことの出来ない臆病な心。

「具体的状況を分析する複雑さから逃れようとする態度」は、一見すると相反する極端な立場を不可避に招来させてしまうわけですが、どちらからアプローチしようとも、結局の所は両者とも、「いきた人間」を真正面からみることはできないから、現実を分断してしまう寸法です。

福沢は機会主義者として誤解を受けがちですが、それは早計でしょう。思索する余裕を欠如した公式主義と機会主義への挑戦が彼の戦いだった点は承知しておくべきでしょうねぇ。


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覚え書:「記者の目:東日本大震災後の論壇=鈴木英生(東京学芸部)」、『毎日新聞』2011年9月28日(木)付

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記者の目:東日本大震災後の論壇=鈴木英生(東京学芸部)

 ◇重みと覚悟のある主張を
 東日本大震災から半年間、多くの識者が「国難」、「戦後最大の危機」などと語ってきた。私は、政治・経済、社会問題など各分野の学者や評論家の主張を記事にする論壇担当記者だが、今回ほど浮足立った論壇バブルは見たことがない。今の論壇に必要なのは、震災を忘れず、かつ遠く未来をも見据える誠実さだと強く思う。

 かく言う私も、震災で大いに動揺した。仙台市出身。宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の遠縁を2人津波で失い、弟の妻は岩手県大槌町で生死の境をさまよった。自衛隊員のいとこは、福島第1原発に放水をした。別の福島市のいとこは、放射能が子供に与える影響を恐れ、仙台市の実家へ越した。

 私は東京在住、しかも震災当日は米国出張中で揺れすら体験していない。親族と同じ運命を共有しなかったことが負い目になり、しばらくは身動きもできなかった。今も、少し気が緩むと涙がこぼれる。

 ところが、この間の論壇での議論は、いくつかの例外を除いて、あまりにも違和感を覚えるものだった。5月初め、東京・一橋大での公開座談会(東京、中部本社、北海道支社発行5月19日朝刊に抄録。イースト・プレスより「『東北』再生」として刊行)で、小熊英二・慶応大教授(歴史社会学)が、私の印象に近い、こんな趣旨の発言をした。

 ◇「危機」を枕詞に従来の主張展開
 「東日本大震災を『日本の危機』『第2の敗戦』などという論者に限って、『危機』を枕詞(まくらことば)に従来の主張を繰り返す。震災をネタに、自分の依拠する利害構造を増幅して主張しているだけに見える」

 論壇には、大震災で急に「目覚めた」人々もいる。たとえば、突如「脱/反原発」派になった論者たち。人によっては、何も知らされていなかった被害者のように原発を糾弾する。しかし、何十年も前から原発の危険性は指摘されてきた。長く論壇で活躍する識者が、そうした主張を知らなかったとは考えにくい。

 従来の主張を繰り返すか、今更目覚めるか--。もちろん極端な分類ではあるが、どちらもあまりに軽く感じる。私は、そうではない震災論を探したかった。連載企画「戦後史のなかの三一一 9・11」(9月7~15日夕刊)もそのひとつ。あえて60代以上の識者だけに取材した。今の論壇の軽さから離れて震災を考えるには、「戦後」を実体験で知る人に意見を聞くべきではないか、と思ったからだ。

 取材した識者に共通するのは、言葉の重みだった。評論家の渡辺京二さんは、被災と原発事故におびえる言論を批判し、自身の引き揚げ体験や歴史上の災害を引き合いに「人間は死ぬからこそ面白い」と言い切った。どぎつい言葉かもしれないが、本質を突いているように感じた。

 ◇能動的な想像力働かせる大切さ
 渡辺さんの発言に、震災についての対談(東京本社、北海道支社発行6月1日朝刊)に登場してもらった仙台在住のSF作家、瀬名秀明さんの言葉を連想した。瀬名さんは作家、学者、映画監督らの論集「3・11の未来 日本・SF・創造力」(作品社)の中で、SF作家、小松左京さんの大作「日本沈没」を例に、「いまここに生きる人間を考えつつ、そのうえで二億年後の世界にも思いを馳(は)せる」ようなエンパシー(能動的な想像力の働かせ方)の大切さを説いている。エンパシーに基づく言葉は、人間の限界をも見通してしまう。だから、目の前の出来事に動揺する人には、冷たく、無責任に聞こえることもあるだろう。

 だが、渡辺さんや作家・詩人の辻井喬さん、経済学者の伊東光晴さんら「戦後史のなかの~」で語ってもらった識者は、長年、瀬名さんの言う「いま災難に見舞われている人に(略)助けたいと強く願いながら、エンパシーの能力でもって、ときに無責任さを背負いながら、次の『千年に一度の災害』に備え」(「3・11の未来」)るという考えと同様の発言をしてきた。

 目の前のミクロな現実に十分共鳴し、しかし流されることなく、現状を相対的に見て将来を構想するスケールの大きな主張。だから、災害を持論強化のネタにするだけの論者、災害に動揺して今更目覚めた論者とは重みが違う。

 もちろん、この連載で取材した各論者が、結果として正しいことだけを発言してきたわけではないだろう。私は、紙面に載せた彼らの主張のすべてに、必ずしも納得しているわけではない。それでも、こう思う。彼らと同じような覚悟をもって、震災を受け止めることができた若い論壇人にもっと会ってみたい、と。主張の是非以前に、そういう覚悟の感じられる声をこそ、紙面で紹介していこうと思う。
    --「記者の目:東日本大震災後の論壇=鈴木英生(東京学芸部)」、『毎日新聞』2011年9月28日(木)付。

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古来より専制圧制の下ニ生活して干渉せらるゝニなれ、干渉なけれバものを忘れたる如く、干渉せられるハ何やらこゝちよきまでに慣れて、遺伝の天性の如くなり居れる

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仏国の人民が法律を重んずるハ法律を軽んずる如くなれども、その理決して軽ずるニあらずして終ニ完全なる法文を造らしめたり。
我日本の国民が古来より専制圧制の下ニ生活して干渉せらるゝニなれ、干渉なけれバものを忘れたる如く、干渉せられるハ何やらこゝちよきまでに慣れて、遺伝の天性の如くなり居れるものとハ、もとより異るなり。
 二十三年以来立憲政治の実行せらるゝに及んで依然旧の思想を改むる能ハずして、よきもあしきも御上の仰せ御尤、知事様郡長ハ神様なり、有り難し。何様御無理ハ御尤とハ存じ奉り候。……
    --田中正造「瀬山三次郎ほか宛書簡(明治33年6月19日)」、由井正臣・小松裕編『田中正造文集(一)鉱毒と政治』岩波文庫、2004年、235-236頁。

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田中正造翁(1841-1913)が当時のブルジョワ共和主義の自決型立憲政治と対比しつつ……それが実際どうだったかのというコンテクストを無視した現在の眼はひとまず横に措きます……、御一新、文明開化を経て憲政を歩み始めて二十数年たった明治後半に本朝の現状を振り返ってみて吐露した書簡の一節。

ちょうど今から111年前の話なのですが、正造翁の指摘する「古来より専制圧制の下ニ生活して干渉せらるゝニなれ、干渉なけれバものを忘れたる如く、干渉せられるハ何やらこゝちよきまでに慣れて、遺伝の天性の如くなり居れる」ていう精神風土は、殆どかわっておりませんね。

お上は有り難いというわけですが、まさにお上は、「仰せ御尤」、そして「神様なり」ですね。

この“お任せ態度”……いつまで続けることなのやら。

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覚え書:「記者の目:生活保護200万人の時代=小林多美子」、『毎日新聞』2011年9月27日(火)付。

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記者の目:生活保護200万人の時代=小林多美子
「最後のささえ」切り捨てが心配だ

 生活保護の受給者が増え続けている。今年3月、戦後の混乱期以来となる200万人を突破した。8月中旬、新潟面で「働きたいのに 生活保護200万人の時代」を連載し、働く意欲はあっても働けず、生活保護を受給している新潟の人たちの現状をリポートした。痛感したのは「働きたくても働けない」ことが、誰にとっても人ごとではないということ。現在進められている生活保護制度の見直しは、雇用や社会保障の実情を踏まえたものにすべきだ。

 働きたくても働けない人が増えている背景には、まず不景気に伴う厳しい雇用状況がある。7月の全国の有効求人倍率は0.64倍。正社員の職を求めようとすれば0.37倍まで下がる。新潟県新発田市で生活保護受給者の就労支援員をしている広瀬栄子さん(42)は「普通に働いてきた人が、働けなくなり生活保護を受給している」と指摘する。

 新潟市で6月から生活保護を受給している女性(48)は、アルバイトで警備員をしている。日給は5000円ほど。若者に優先的に仕事が回るのか、仕事が毎日入るわけではない。特に3月ごろからは週1回も入らない状態が続き、生活が立ち行かなくなった。

 ◇仕事があるならなんでもやるが
 「ハローワークに通ったり就職活動をしないと、3カ月で支給を打ち切ります」。女性は受給が決まった直後、福祉事務所でケースワーカーに言われた。「仕事があるなら、なんだってやる気はある。ばかにされているような気がした」と打ち明けた。

 女性のような弱い立場の人を助ける機能も、十分に発揮できているとは言えない実情がある。彼女の場合、車の運転免許がないことが就職活動の足かせの一つだった。電車やバスなど公共交通機関が乏しい地方では免許がないと応募すらできない求人も多い。生活保護でも、就労のための技能修得費として運転免許の取得費用が38万円まで受給できるが、運用は各自治体や福祉事務所次第。既に内定が出ている場合に限って支給するなど、厳しい条件が付けられていることが多いとみられる。新潟の女性は制度の存在すら知らされていなかった。

 生活保護法は目的に「最低限の生活の保障」と共に「自立の助長」を掲げる。その意義はもっと評価されていい。

 取材で出会った20代の男性の言葉が忘れられない。「あなたにとって生活保護とは?」との問いに、男性は「国に『生きなさい』って言われている気がする」と答えた。

 男性は昨夏まで、自分が統合失調症とは知らずに苦しんできた。人間関係がうまくいかず、仕事も続かない。自殺未遂を繰り返した。男性は受給が決まり、今は「『生きていこう』と思えるようになりたい」と言う。男性にとって生活保護は欠かせない「支え」であり、自立への第一歩だ。

 だが、支給に期限を設けようとしているのでは、と懸念の声が上がる検討作業が厚生労働省で進んでいる。きっかけは、政令市長でつくる指定都市市長会が昨年10月に発表した生活保護の改革案だ。

 ◇国と地方の協議 密室の議論懸念
 改革案は、生活保護費の全額国庫負担などを求めると共に、「働ける受給者」を対象に「集中的かつ強力な就労支援」を行い、もし受給者が真摯(しんし)に取り組まず自立できなかった場合、3年あるいは5年で打ち切りを検討するとした。5月末に設置された国と地方の協議会は、9月中にも具体案をまとめる見通しだが、メンバーは地方自治体の代表者と厚労省政務三役だけで、当事者やその声を代弁する立場の人は入っていない。しかも協議は非公開(後日、概要を公表)で、生活困窮者の支援団体などからは「密室協議」との批判が出ている。

 改革案の背景には、受給者増による自治体の財政負担の膨張がある。もちろん、増え続けることが望ましくないのは当然だが、議論がまず期限設定ありきで「切り捨て」の方向に向かわないか心配だ。

 08年の金融危機以降、増え続ける「派遣切り」などで、雇用保険に未加入の非正規雇用労働者らが失業後、生活保護に頼るしかないことが問題視された。このため職業訓練とセットの給付金など「第2のセーフティーネット」ができた。求職者支援法として法制化され、来月施行される。また生活上の困難を抱える一人一人を相談員が総合的に支援する「パーソナル・サポート・サービス」なども始まった。

 政府や自治体は、こうした取り組みを踏まえ、免許がないために働けないといった受給者の状況、抱える困難などに応じ、きめ細やかな支援を実施するための制度改革こそ行うべきだ。密室の議論で、それができるとは思えない。
    --「記者の目:生活保護200万人の時代=小林多美子」、『毎日新聞』2011年9月27日(火)付。

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「知っているつもりではいるのですが」 「それならひとつ、言ってみてくれたまえ」。

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 「君はいま、ほかならぬ自分自身の魂の世話を、あるひとりの男--君のいうところによれば、ソフィストであるところのひとりの男--にゆだねようとしているということだ。では、そのソフィストとはそもそも何ものなのか、君がもしそれを知っているとしたら、ぼくは驚くだろう。だが、その点をもし君がしらないでいるとすれば、君は、自分が魂をゆだねる相手がいかなる人かということも--善いしろものかも悪いしろものかも--知らないでいるということになる」
 「知っているつもりではいるのですが」
 「それならひとつ、言ってみてくれたまえ。君の考えではソフィストとは何ものかね」
    --プラトン(藤沢令夫訳)『プロタゴラス』岩波文庫、1988年、19頁。

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月曜は短大で後期3回目の哲学の講義。
だいたい3回の授業で「哲学とは何か」っていうのをざっくりやるわけですが(あとはテーマ別に関心を深める内容)、その幕引きを飾るものとして、僕の方から一応の哲学の定義とやらを……一応ですよ、一応……やるわけですが、それはつぎのようなもの・・・。

「哲学とは、人間が世界について、自分について考えるということ。その際、哲学とは、人間が言語を通して徹底的かつ精確に、合理的に考えようとする試みである。その営みは、自分の考えを“普遍的真理”と思い込んで他者に押しつけようとするものではない。その反対に、自分の考えを他者の吟味に委ね、相互批判を通して、多くの人を納得せしめるような強い考え方(普遍的な考え方や原理)を作り出そうとするものでなければならない」。


もちろん、いろんな流派や強調点の置き方によって様々に定義できるのでしょうが、根本的には言語を通じた共通了解を「目指す」試みということ。

だから、学生諸氏に対してもこの定義へ到達したあとは、その練習をしていただきます。

アタリマエと思っていることを、あえて「言語」を徹底的に使って「説明」してみようというソレです。

今回は、まさにこれもテキトー中のテキトーですが、

「鉛筆とは何か」

考えてもらった次第です。

様々な意見が闊達に出て刺激に満ちたひとときとなったわけですが、この「敢えて」「考えてみる」ってことは大事かもしれませんね。

鉛筆なんて「書くための道具」やないけ……っていわれてしまうとそこまでです。
しかし「書くって何?」「道具って何?」ってなっていくと……、結構「アタリマエ」って思っていることを自分で定義し直すって言うのは面倒であり難儀なんですね。

彼女たちも苦労していたようです(汗

しかし、この「敢えて」言語で「挑戦する」ことは人間にしかできません。

「アタリマエ」ってものは元来「アタリマエ」として存在するわけではありませんし、「アタリマエ」ってテキトーに「認識」しているだけに過ぎません。

その間隙をどこまで突くことが出来るのか。

これが根元的挑戦ですねw

みなさまも是非ご挑戦くださいまし。

臆見(ドクサ)をうち破っていくのが知への愛としての哲学。
臆見とは自分で考えない「他人思考」。

だから「自分で考えない」そしてそのことを「他者とすり合わせない」、「臆病な見解」なわけですよ。

この臆病をうち破る言語への挑戦としての勇気が哲学なんですね。

このブラッシュアップのひととき、生活のなかで大切にしたいものです。

「アタリマエ」なんて斥けてしまうともったいないもんですよw


ちなみにいつも講義がおわるといっぺえやって帰るわけですが、行きつけの飲み屋が開店前。虚しく「てんや」に逗留しましたが、何気に正解でおどろきw

松茸の天ぷらがうましでした。

まさに「てんや」でなんていっぺえやるもんじゃないって臆病な見解うち勝った正解です(ぇ


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プロタゴラス―ソフィストたち (岩波文庫)Bookプロタゴラス―ソフィストたち (岩波文庫)


著者:プラトン

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覚え書:「田中優子評 原発と原爆--「核」の戦後精神史」、『毎日新聞』2011年9月25日(日)付。

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田中優子評 原発と原爆--「核」の戦後精神史
川村湊(河出ブックス・1365円)

不信と恐怖にとらわれた歩み

 「ゴジラ」「アトム」「AKIRA」「ナウシカ」……これら、それぞれの世代になじみ深い映画やアニメの主人公たちの共通点は何か? それは、すべてアメリカに輸出された戦後日本文化であるということと、すべてが「核」にかかわっているということである。
 私も思い出した。子供のころ見ていた「ゴジラ」「モスラ」が、戦後の科学文明によって呼び起こされた(あるいは生み出された)奇形の怪獣であり、その元凶である都市の人間たちが襲われるのは「当然で仕方ないことなのだ」と思っていたことを。しかしその怪獣たちの指し示す科学文明の具体的なものは何かと問われれば、原爆あるいは原水爆実験と答えていいだろう。放射能は原爆とその実験によってまき散らさるのであり、それは戦争の暗喩であると考えていた。しかし、であるならばなぜ、怪獣は被爆国である日本を襲うのか? 今さらながら、その疑問が頭をもたげる。
 筆者は言う。彼ら怪獣は戦後の平和社会を脅かす放射能の恐怖の体現者であり、原水爆実験や第五福竜丸の被爆による汚染が「原水爆反対運動」を生み出すとともに、「放射能恐怖映画」をも生み出したのだと。つまり怪獣は放射能への「恐怖」であり、怪獣映画はその恐怖を共有する映画なのである。怪獣にはゴジラやモスラの他にも、アンギラス、ラドン、ドゴラ、そして明らかにヘドロを意味するヘドラまである。宮崎animeはこれらの上に出現したきたのであろうことも想像できる。さらに『マタンゴ』『美女と液体人間』などの娯楽から『原爆の子』『第五福竜丸』『生きものの記録』などの原爆映画まで取り上げているが、それらも戦後日本の精神史のなかに「放射能恐怖映画」として位置づけられる。そして『鉄腕アトム』。
 しかし『鉄腕アトム』は原爆漫画ではない。では「核の平和利用」漫画なのだろうか? 著者は、そのように区別して考えてしまう分裂状態こそが、戦後日本人の「原子力」観なのだという。本書はその分裂を意識化し、原爆と原発を一緒につかんで、映画から小説、評論までを一望のもとに見渡した。
 が、いろいろ挙げて紹介したという意味ではない。本書の最大の特徴は、明確な批評による一刀両断である。『風の谷のナウシカ』は自然による浄化や自然治癒というファンタジーで終わってしまった。『AKIRA』は破壊と崩壊のカタルシスだけが残った。吉本隆明は原子力を養護し、それが原水爆反対運動と反原発の分裂を助長した等々。そして、水上勉、井上光晴からノンフィクション『原発ジプシー』まで、数々の「原発」文学を俎上に乗せる。「原発の文学史」の筆致に一貫しているのは、「誰かが犠牲とならなければならないという、エネルギー政策は根本的に間違っている」という考えだ。
 3月11日から著者は『福島原発人災記……安全詩話を騙った人々』(現代書館)を書いた。インターネット、ユーチューブ、新聞を駆使して、3月11日から25日までの、福島原発をめぐる動き、発信者の思想傾向、立場など掌握できる限界まですべてメモしていった記録は、極めて貴重で興味深い。まさに怒りの書である。しかしそれでも怒りは収まらなかった。こんどは自分自身に向けられた「怒り」から本書を書いた。原水爆反対を言いながら原発に反対してこなかった、そこから目をそむけていた自分自身への怒りである。原爆と原発……核への不信と恐怖を様々な形にしてきた日本人にとって、この二つは同じ物だったのだと、改めて気づく。
    --「田中優子評 原発と原爆--「核」の戦後精神史」、『毎日新聞』2011年9月25日(日)付。

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福島原発人災記――安全神話を騙った人々Book福島原発人災記――安全神話を騙った人々


著者:川村 湊 著

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著者:川村 湊

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覚え書:「急接近:エマニュエル・トッドさん 「アラブの春」を予言、背景と見通しは?」、『毎日新聞』2011年9月24日(土)付。

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急接近:エマニュエル・トッドさん 「アラブの春」を予言、背景と見通しは?

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 中東の民主化運動「アラブの春」の行方を国際社会がかたずをのんで見守っている。4年前に著書「文明の接近」でアラブ諸国の近代化を予言していた仏歴史・人口・人類学者のエマニュエル・トッド氏に予言の背景と今後の見通しを聞いた。【聞き手・福島良典、写真・秋山信一】

 ◇出生率、識字率で先読み--仏歴史・人口・人類学者、エマニュエル・トッドさん(60)
 --「文明の接近」(藤原書店、石崎晴己訳)で「アラブの春」の到来を予言し、16日に邦訳が刊行された「アラブ革命はなぜ起きたか」(同)で予言に至る分析を説明されています。ソ連の崩壊、米国の衰退に続く「第3の予言」の的中です。どうやって先を読んだのですか。

 ◆ 手法はソ連崩壊の場合と同じです。当時、ソ連の人々は共産主義体制に抵抗できないと言われていましたが、出生率(女性1人が一生に産む子供の平均数を示す合計特殊出生率)が低下していました。「子供の数を少なくしよう」と個人主義的になっていたのです。やがて政治分野でも個人主義的になるだろうと予測したのです。

 アラブ諸国でも出生率の低下傾向が出ていましたので、変革があるだろうと考えました。政変前のチュニジアでは出生率が2に下がっていました。識字率も革命時のフランスや英国、ロシアをしのぎ、若者世代では90%以上です。ただし、いとこ同士で結婚する内婚率が高い(保守的な)家族の型が民主化にブレーキをかけているとみなしていました。チュニジアで事態が平和的に推移したのは独裁下でも近代化が進行していたからかもしれません。

 エジプトの識字率はチュニジアよりも下で、出生率は2・9ですが、他のアラブ諸国に比べて内婚率が低いのです。サウジアラビアでは内婚率が35%に達しているが、エジプトはわずか15%です。エジプトの政情安定には時間がかかるでしょうが、市民社会は逆戻りできない変容を遂げています。内婚率の低下はいずれアラブ世界全体に波及するでしょう。

 --なぜ、識字率や出生率、結婚による家族の型が政治体制に影響を及ぼすのですか。

 ◆ 識字率が50%を超すと、「両親は読み書きができないが、子供はできる」状況が生まれます。(親子間の)権威関係が揺らぎ、読み書きできる人はイデオロギー面で活動的になります。女性の識字率が上昇することが出生率低下の条件となります。出生率が低下すると、男女関係がより平等な形へと変化し、流動的な社会になります。

 イランでは(1979年の)イスラム革命前に識字率が50%を超えていました。民主化の第1段階だったのです。イランの出生率は2。出生率が低い国で信仰心が強い場合はまれです。おそらくイラン人はそれほど信仰心が強くないのではないでしょうか。信仰心の落ち込みに続くのはたいてい愛国心です。イランはイスラム主義の段階でなく、むしろナショナリズムの段階にあると思います。

 家族の型も政治に反映します。英国の家族は極めて個人主義的で、子供は平等ではありません。それが、英国政治のリベラルな伝統の基盤です。英国的なものは「自由」であり、人々は「平等」にはあまり関心がありません。一方、フランス的なものは「自由」と「平等」です。

 ◇民主化運動、中東を二分
 --アラブ世界の未来は?

 ◆ 「アラブの春」はアラブ世界を二つに分かつ結果をもたらしています。中東・北アフリカの地図を眺めると、人口学的な変化が進み、父系社会への異議申し立てが起きている国々は(地中海を挟んで)欧州に面する地域です。北アフリカ諸国の出生率は3未満ですが、他の中東諸国は3~4です。

 革命の決定的な瞬間は軍が国民への発砲を拒否する時です。しかし、リビアのカダフィ政権は国民の税金でなく、石油収入によって軍を強化し、軍を国民から遠ざけてきました。カダフィ(大佐)の権力は石油収入の掌握であり、西側諸国がそれを支えてきました。今回の対リビア軍事介入で西側はその「負債」を支払っているわけです。

 次はどこか? ペルシャ湾岸諸国には莫大(ばくだい)な石油収入があり、米国も変化を望んでいません。シリアは識字率こそアラブ最高水準ですが、(多数派の)イスラム教徒スンニ派と(権力を握る少数派の)アラウィ派の分裂があり、事態が進展していません。イエメンは人口学的にはアラブで最も遅れています。

 --民主化の動きは世界全体に波及しますか。

 ◆ 民主主義は世界にほぼ行き渡ることになるでしょう。中国では共産党が権力を握っていますが、識字率、教育水準が高い。政府が出生率を低下させる政策を取っていますが、多くの場合、あまり子供を産まないのは中国の人々自らの意思でもあります。中国は、独裁下で近代化が進んでいた政変前のチュニジアのようにも映ります。

 ただし、各国が民主主義に至るには移行期があり、それが暴力的である場合もあります。内戦が起きれば、人々は「後退」とみなしますが、内戦は識字率が高まったところで起きます。コートジボワールはほとんど内戦状態ですが、進んだ国です。ルワンダは虐殺の舞台となりましたが、農民は生産性が高く、ドイツに似ているところもあります。アフリカは移行期危機の始まりの段階だと思います。

 ■ことば

 ◇「アラブの春」と欧米の中東外交
 欧米は中東・北アフリカの安定を最優先し、イスラム原理主義やテロの流入に対する「防波堤」としてアラブ諸国の独裁政権を支えてきた。だが、「アラブの春」で従来の中東外交政策の見直しを迫られ、民主化促進や市民社会育成に対する支援を強化している。

 ■人物略歴

 ◇Emmanuel Todd
 英ケンブリッジ大で博士号(歴史学)。パリ政治学院修了。仏国立人口統計学研究所研究員。識字率、出生率の分析により「最後の転落」でソ連崩壊を予言。「帝国以後」で米国衰退も指摘した。
    --「急接近:エマニュエル・トッドさん 「アラブの春」を予言、背景と見通しは?」、『毎日新聞』2011年9月24日(土)付。

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教育の力にもおのずから限りがある

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 世には教育万能者があって、何か社会におもしろくない事が起こると、すぐに教育者を責めるけれども、教育の力にもおのずから限りがある。
    --河上肇『貧乏物語』岩波文庫、1965年、44頁。

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確かに、殆どの問題のたいていの原因は教育に起因する。
だから、「教育を変革しなければならない」「人間教育を今こそ」なんて脊髄反射が出てしまうことはよくわかります。

確かに、原因は教育に起因するんですけどね。
しかし、教育を変革するだけで良くなるわけでもありませんし、教育……特に「公教育」……に関しては守備範囲的にもおのずから限界があるんです。

この事実を見ないで、「教育を変えなければならない」から「教育を変革すればすべての問題が片づく」という短絡的思考は、結局のところ何を変革することも多分できない。

なにしろ、それは自己変革とはほど遠い他者依存の感情に依拠するからだ。

もちろん、制度的に変革することも、そして現況を冷静に分析し善処していくことは必要不可欠です。しかし、それで「解決する」と発想するのは大きな間違いなんじゃないか……そんなことをここ数年実感しております。

くどいですが、その変革への労苦を批判しようというわけではありません。
しかし、批判してものごとを丸投げして、そして同時に批判することで自分自身を安全地帯に定位するようでは、何をやってもかわらないどこから、却って悪くなっちまう。

ただ、それだけの噺ですよ。

しかし、河上肇(1879-1946)も読まれなくなって久しいですなぁ~。

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著者:河上 肇

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隣人とは、端的に、ただそのひとが、ひとりの人間として存在するというだけの理由によって、私がなにものかを負おうている者のこと

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……現代人は、テクノロジーや非人間的で抑圧的な国家権力に対する反動として、自分の優越性または優先性を確証したがる(同一性論理の勝利を讃え、それに基礎づけを与える)傾向あるようですが、それと同時に、みずからの解体と疎外を、間接的で技術的なコミュニケーションを通じて乗り越えようとしてもしております。こうした場面におきましては、わたしたちが実存的・社会的にコミュニケートすべき他者なるものは、本来的人格ではなく、同一性論理に支配された仮面であるにすぎません。テクノロジーによって急速に変貌し、ホロコーストによる真の脅威にさらされることによって、正義が第一の戒めとならざるをえないこの世界にありましては、「私が愛さねばならぬ隣人、それは、いった誰のことか?」という問いは、いささか逆説的な響きをもちます。けれども、その問いは、思想的にも現実的にも、その重大性において低く見積もられるべきものではないのです。
 何故ならば、隣人とは、端的に、ただそのひとが、ひとりの人間として存在するというだけの理由によって、私がなにものかを負おうている者のことだからです。彼は、私の傍らにいます。が、しかし、私からはるかに離れたとかろにいる者でもあります。彼は、ホメーロスの世界の貧者、漂白の乞食であり、福音書にいう富める者です。彼は、「正義のおこなわれる」「法治」国家で盗賊に出会うひとびと、支えてやるのが私の義務であるひとびとです。彼は、「豊かな社会的に」における貧しき者・富める者であり、アフリカやインドで飢餓に苦しむひとびとです。こうして、私の隣人とはで現にあり・あるであろう、多くのひとびとが存在するのです。ですから、社会科学や政治家学その他の諸科学は、これまで未解決であった社会問題を解決できる方法や方策やテクニックを発見・応用することによって、生活の万端においてあらわれてくる正義への要求に応え、これがひろく普及するよう努力を積み重ねなけれあなりませんが、それらの努力は、共同体、社会、国家のなかでわたしたちすべてが仕える目標が見失われないようにと援助する、哲学的・理論的考察と別個のものとされてはならないのです。
    --K.I.ブドゥリス(山川偉也訳)「正義と倫理」、『正義・愛・政治』勁草書房、1991年、127-129頁。

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あらゆるシステムのまなざしというものは、人間を人間として扱うことができない。人間をその当人に即した代換え不可能な人間として扱ってしまうとシステム自体が破産してしまうからだ。

この当然の事実をスルーすることによってあらゆるシステムというものは、息を長らえることができるし、それがそれとして機能する。

別にそのことにいちゃもんをつけるつもりはありませんけどネ。

しかし、その流儀に生きている人間が乗っかかってしまうと、それに輪をかけたの負の連鎖が天文学的に拡大してしまう……こっちのやっかいさに頭を抱えてしまう今日このごろです。

その流儀にのっかかってしまうとは何を意味するのか。

すなわち、システムに準拠したアドミニストレイターという匿名の立場を利用して現実に生きている人間をこねくり回してしまうということです。

そうした負荷が係り続けてしまうとどうなってしまうのか。

いろいろあるでしょうけれども、フツーの人もそれを同じようにやってしまうって話しであり、目の前にいる人間を人間として扱わないっって寸法です。

人類はこの歴史を数千年にわかって収奪構造と反収奪構造変革論の出来レースとしてやってきた。

しかし、そろそろそうした「ごっこ」の時代はやめにしませんかね???

正義も倫理も活字のなかや「号令」のなかに存在するわけではない。

それはひっそりと生きている人間の世界に存在するのだ。

クソッタレが。

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覚え書:「ザ・特集:脱原発「6万人」デモ 「子供守ろう」母の声届け」、『毎日新聞』2011年9月22日(木)付。

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ザ・特集:脱原発「6万人」デモ 「子供守ろう」母の声届け


脱原発を訴えデモ行進する人たち=東京都渋谷区で、9月19日、小林努撮影
 東京都内で19日に開かれ、6万人(主催者発表)もが参加した脱原発デモ「さようなら原発5万人集会」。来年2月までに1000万人の署名を集めようというプロジェクトの一環だが、果たして脱原発の強力な推進力となりうるのか。一緒に歩きながら考えた。【宍戸護】

 ◇娘からセシウム検出。将来の健康影響、不安 「福島だけではなく、国の問題として広がってほしい」
 午後1時半、集会開始時刻には、会場の明治公園(東京都新宿区)はいっぱい。会場からあふれた人々で周囲の路上まで埋まっていた。舞台前のアスファルトには、ピンクの水玉模様の横断幕を持った小学生3人が座っていた。幕には「げんぱついらない!!」。ひらがなの上にはかわいらしい手のイラスト。山形県米沢市に避難している渡辺加代さん(35)の長女(9)=小3=は「(原発)バイバイの意味だよ」とポツリ。

 参加者6万人のうち、福島関係者は数百人。渡辺さんは午前5時50分米沢発のバスに乗ってやってきた。

 一家は福島第1原発事故前まで福島市に住んでいた。事故後、渡辺さんは放射能のイロハから調べた末、子供の健康への影響を心配し6月から2歳の長男と長女を連れ米沢に避難。夫は地元で仕事を続け、家族は二重生活を送っている。これまでデモと無縁だったが、今回は声を出さずにはいられなかった。「長女の尿から放射性セシウムが検出された。国や自治体は何でも『安全』と口をそろえるが、『将来の健康影響は分からない』が実態。こうなったら自分たちで行動を起こすしかないでしょう」

 集会場では、作家の落合恵子さんが「ひらがなしか知らない小さな子供が夜中に突然起きて『放射能来ないで』と泣き叫ぶ社会を続けさせてはいけない」と訴え、作家の澤地久枝さんは「今日まで一人の戦死者も出さなかった戦後は、二度と戦争はさせないと決心した日本の女たちの力だと思います。命をはぐくむ女性たちが役割を果たすべき時は今です」と熱弁を振るった。

 集会場の外にあふれた人波のなかに、脱原発を訴える老舗NPO「原子力資料情報室」の青いのぼりを見つけた。共同代表の山口幸夫さん(73)は「70年代以来、脱原発に関わっているが、デモでこんな多くの人を見たのは初めて」。それも手をつないだ70代前後のカップル、銀座が似合いそうなファッションの50代ぐらいの女性、小さい子連れの親とさまざまだ。「子連れが目立つのは、子供が放射能の人質に取られていると考えている親が多いからでしょう」と山口さんは見る。

   ■

 国内原発は、66年に東海発電所、70年敦賀、美浜両原発、71年福島第1原発が運転を開始した。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが編集した「開かれた『パンドラの箱』と核廃絶へのたたかい-原子力開発と日本の非核運動-」(七つ森書館)などによると、反原発運動は60年代後半から労働、反公害運動と連動しながら広がった。山口さんは「漁民が『(原発からの排水で)海が汚れる』と始めました。その漁民の相談に学者が応じた。故・高木仁三郎氏や、(小出裕章助教ら)京大原子炉実験所の6人がその走りです」と話す。

 反原発の署名運動は過去にもあった。79年の米スリーマイル島原発事故後、作家の野間宏さんら30人が3年間の原発運転停止などを求めるアピールを発表、30万人の署名を集めた。86年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故後には、高木さんらが脱原発法制定を求める約330万人の署名を集め、90~91年に国会に提出したが、無視された。

 山口さんは「政治勢力を動かす仕掛けがなかった。今は少しましになりましたが、政治勢力が受け入れるほどの運動になるかは今後にかかっています」と話す。

   ■

 集会に続くデモでは、福島の人々が「浜通り隊」「中通り隊」「会津隊」の大きなのぼりを掲げ、渋谷区の代々木公園まで約4キロの道を行進した。横断幕を持っていた吉田優生さん(43)は小1、小3、小5の3人の子供と一緒に参加。福島県田村市に住んでいたが、山形県長井市に避難中だ。子供が持っていた緑色の風船にはこう書かれていた。<友だちをかえせ 自ぜんをかえせ 森かえせ 家かえせ ふくしまかえせ>

 素朴な言葉に、福岡に住む2児の母、甘蔗珠恵子(かんしゃたえこ)さんの手紙「まだ、まにあうのなら」を思い出した。

 <自分はともかく、子どもを守ろう、生まれたばかりの生命を守ろうとする尊い生物の本能です。私もまた生物です。そして母親です、その本能に衝(つ)き動かされます(略)原発は怖いから反対だと心の中で思っていても、黙ってじっとしていたら、それは原発を推進する側の力に組み込まれていることになるのではないでしょうか……>

 今ではなく、87年5月に書かれたものだ。チェルノブイリ事故を受けて、勉強会に参加し、原発関係書を読んで感想を友人に書き送ったこの手紙。反響を呼んで出版され、50万部も売れた。

 今では書店で見かける機会も少ないこの本の著者と、集会場の母親たちのなんと似通っていることか。

 吉田さんは気丈な表情でこう語った。「子供を守るために、脱原発は福島だけの問題としてではなく、国の問題としてぜひ広がってほしいのです」

 米国の同時多発テロがあった01年に「世界がもし100人の村だったら」を出版した翻訳家の池田香代子さん(62)もデモに参加していた。「9・11の時は、若い人が右や左の思想も関係なく言葉を発した。今回も同じで、さらに裾野が広がっている。二つに共通するのは、私たちが生きていく上でよって立つ人権を侵害していることです。テロや戦争では生命が侵され、原発では人々のふるさと、つまり家屋敷、なりわいが突然取り上げられてしまった。ただ『忘却』が気になります。イラク戦争には多くの人が反対したけれど、すでに忘れ去られていますから」

 夕方、代々木公園前の坂道を歩く渡辺さんを見つけた。

 「デモに初参加したのは、家族の健康と生活が脅かされているから原発をやめてほしいという普通の感覚から。遠い国ではなく身近に起きた事故として、今声を上げないでいつ上げるんだと。脱原発をそう簡単にあきらめることはできないのです」。これからバスで山形に帰るという。

 脱原発の市民運動は新たな歴史を切り開くのか、再び政治にはねつけられるのか。答えはまだ分からない。
    --「ザ・特集:脱原発「6万人」デモ 「子供守ろう」母の声届け」、『毎日新聞』2010年9月22日(木)付。

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資料として残しておきます。

日本のデモ史を振り返ると単なる示威活動で落ち着いてしまうというのがその殆どでしたが、デモクラシーなうになればとは思います。


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秋は来ぬ おくれさきだつ秋草も みな夕霜のおきどころ 笑ひの酒を悲みの 盃にこそつぐべけれ

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  秋は来ぬ
  秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草も
みな夕霜のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
盃にこそつぐべけれ
    --藤村藤村「秋思」、島崎藤村自薦『藤村詩抄』岩波文庫、1995年、60頁。

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昨夕、台風15号が首都圏を直撃。
夕刻、嵐の中を家人とひやひやしながらその災禍をやり過ごしましたが、時間が経つと……っていいますかその間は市井の仕事ちうでしたが……すっかり秋の気配。
※(こういうことを表記しないとスコボコにされるので、言表しておきますが、もちろんその厄災に対する何がないわけではありません、念のため)

このところ、日本の秋は「短くなった」といわれます。
たしかにその側面も否定しがたいのだとは思いますが、それだけではないのかもしれません。

普段聞き落としがちな虫の声、風の匂い、星のきらめきにも秋の気配は感じられるはず……。

一番大好きな季節が秋ですが、さて……、今年はどのように楽しみましょうか。


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覚え書:「核心 大江健三郎 フクシマをみつめて」、『毎日新聞』2011年9月19日(月)付。

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大江健三郎 「フクシマを見つめて」

 大量の使用ずみ放射性廃棄物を、途方もない深さの穴に埋めるが、未来で処理にあたらねばならぬ人たちに、どんな言葉で警告するか? 誰が署名するか?

 そういう黒い笑いのS・Fを読んで、あまり時がたちませんが、すでに私らの課題です。いま現在の重荷を一方的な依頼心で未来に送りつける。そのモラル放棄を、いつから人類は自分に許すことになったのか? 歴史の根本的な転換点が、踏み超えられたのか?

 三・一一以降、毎日深夜までテレビの前に座っていました(そういう新しい習慣がついていました)。避難指示で真暗になった木立の一角に灯のついた家をテレビ局の人間が見に行く。馬が出産するので離れられない。日を置いて再訪した記者は、暗い屋内で馬の母子を見ますが、飼主は憂い顔です。放射性物質をふくむ雨が降った草原には、仔馬を放して初めて走らせてやることはできない。

 多くの人たちに、取り返しのつかない(しかし取り返そうとする)日々が続いているのです。そこにどのように実効性のある言葉を届けうるか? なにより自分でそれを必要とする私が頼りにするのは、ヒロシマ以来、体内被曝の危険の根深さをいって来られた肥田舜太郎医師ですが、最近の発言に次のものがありました。(「世界」九月号インタビュー)

 ≪そういう被害をもう受けてしまったのなら、腹を決めなさいということなのです。開き直る。下手をすると恐ろしい結果が何十年かして出るかもしれない、それを自分に言い聞かせて覚悟するということです。/その上で、個人の持っている免疫力を高め、放射線の害に立ち向かうのです。≫

 そして先生は続けられます。
≪しかし例えば野菜は危ないものは買わないという努力で絶対に身を守れるのか。しないよりはした方がいい。でも今も福島から放射性物質が出続けています。汚染された食べ物も出回っていて、残念ながら確実に被曝を防ぐ方法はないのです。それよりも原発をやめて放射能の元を断つ方が早い。≫

 私はこの呼びかけを、生産力、経済力第一の電力政策の作り出した・なお作り出している、使用ずみ放射性廃棄物の困難な後始末は未来の人類に押しつけるつもりの政治家、官僚、実業家にじゃなく、フクシマのいま現在もたらしている子どもらへの脅威に敏感で、それに直接対処しようとねがっている若い母親たちにこそ伝えたい。

 イタリアの原子力計画を再開しないことを九割が求めた国民投票に女性の力が大きいのをほのめかす用語法で、「集団ヒステリー状態」だと日本の自民党幹事長が侮辱した時、

 ―むしろ生産性、経済力尊重のマス・ヒステリアに、この国の男たちは動かされているだろう、と言い返したイタリア女性の映画関係者がいます。この国の男たち、というのは、どの国においてであれ、女たちは生命というものの上位にどんな価値もおかないからだ。もし日本が経済大国どころか貧困におちいっても、ついには見事に乗り超える女性たちを、私らは日本映画で知っている!

 私はヒロシマ、ナガサキから敗戦、占領下という時期の少年でした。周囲みな貧しいなかで、新しい憲法ができると、前文の「決意」という繰返しに、大人たちは本気で決意したんだと誇りに感じました。いまフクシマを老年の目で見つめ、この国の困難な情況を思いつつ、しかし、新しい日本人の決意を、と心に期しています。
    --「核心 大江健三郎 フクシマをみつめて」、『毎日新聞』2011年9月19日(月)付。

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資料として残しておきます。

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覚え書:今週の本棚:渡辺保・評 『語りえぬものを語る』=野矢茂樹・著」、『毎日新聞』2011年9月18日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『語りえぬものを語る』=野矢茂樹・著

 (講談社・2625円)

 ◇「言語的な世界」を逸脱する現実を捉える
 ガラにもなく私のような門外漢が、哲学の本を書評するのは無謀な話かもしれない。しかし面白い本だし、その面白さも普通の読み物としての面白さだからいいだろう。

 まず文章がいい。平易で、簡潔で、分かりやすい。その上洒脱(しゃだつ)でさえある。たとえばその冒頭。

 「人間はあれこれと後悔する。こんな連載、引き受けなければよかった、等々。では猫はどうか。いや、別に猫にかぎらない。人間以外の動物は、後悔をするのだろうか。猫が鳥に襲いかかる。逃げられる。でも、惜しかった。そのときその猫は、『もう少し忍び足で近づいてから飛びかかればよかったにゃ』などという日本語に翻訳できるような仕方で後悔するのだろうか」

 これが哲学の本か。この分かりやすさは、入門書の類(たぐい)の、ワザと噛(か)み砕いてお分かりになるように書きましたという態度がチラチラする嫌味なものではない。本当に考え抜いてよく分かっていることを、読者と同じ視点で、しかも一ひねりして書いているから面白いのである。

 私は、この視点、いや、精神のあり方が大事だと思う。その精神はどんな難しい問題に出会ってもビクともしないし、かつサラリと受け流す。

 たとえばここにある問題があって、議論が真ッ向から二つに分かれる。どちらにも一理ある。しかし一方に賛成するとどうも何かが物足りない。もう一方も同じ。その時、著者はこういう。「どっちもありじゃないか」。こう簡単に書くと著者の態度がいかにもどっちつかずの曖昧さに聞こえるが、そうではない。二つの議論の間にあるものを掬(すく)い取ろうとしているのである。しかしそれには現実を考え抜く辛抱強さが要る。そう、この人には、現実的な感覚と柔軟な精神の働きがあって、それが著者独特の視点を作っているのである。

 この本の中で著者はフッとつぶやく。哲学は学問的に厳密であろうとするあまり、時に現実を忘れる。このつぶやきは何気ないようであるが実はアカデミックな哲学に対する批判であり、一般読者の、普通の常識に立った視点である。この視点ゆえに、私のような門外漢が読んでも面白い読み物が出来上った。

 こうして私たちは、人間という存在、世界のあり方、人間の認識の仕方、その行動の意味、そこで言語がどういう役割を果たすのかを知ることになる。それは一方で社会と人間、集団と個人の関係に及び、さまざまな思考の可能性を含んで示唆に富んでいる。たとえば「一寸先は闇か」という章では、私はしばしば東日本大震災のことを思った。絶対などというものがこの世に存在しないかぎり「想定外」などという言葉も存在するはずがないのである。

 しかしこの本の白眉(はくび)は、なんといっても書名にまでなった「語りえぬもの」を「語る」という分析である。

 私たちを取り囲む世界は、二つの側面を持つ。一つは言葉によって表現することの出来るもの。もう一つは、とても言葉では言い尽くせないものである。言葉で言い尽くせる場合。たとえば道を歩く犬を見て「ああ犬だ」といった時、私たちは「犬」という概念を使って「犬」を表現する。しかし個別の犬がどういう動きをし、どういう表情をしているかは概念だけでは表現できない。その微妙な印象を言葉にすることはきわめて難しい。著者は、この言葉に言い尽くせない世界を「非言語的な場」と呼び、こういう。

 「われわれもまた分節化されない非言語的な場に晒(さら)されている。だが人間の場合には、そこに言語によって分節化された世界もまた開けている。非言語的な場に晒されつつ、言語的に文節化された世界に生きる、この二重性こそ、人間の特徴である」

 この「二重性」のなかで、「非言語的な場」はたえず細かなデテールを提供し、「言語的な世界」から逸脱し、あふれ続けていく。したがって「世界を語り尽くすことはできない」。そのあふれ続けていくものを著者は「実在性(リアリティ)」と呼ぶ。

 著者の、あの現実感覚はここでもっとも遺憾なく発揮されている。逸脱していくもの、言語化の網の目をすり抜けていくものを決して見逃したりせずに拾い上げ、それを一つの関係、運動として捉えている。大急ぎで紹介したから分かりにくいところもあるだろうが、この動態的な思考こそこの本の中心であり、著者の精神の鮮明なところである。

 私は大いに感心した。しかしそれは私の特殊な事情によるかもしれない。私はほとんど毎日劇場に通い、舞台の上に役者の身のこなしの微妙繊細な感覚や、そこに描かれる蜃気楼(しんきろう)のような幻想を言語化しようとしている。それはまるで夏の逃げ水のように捉えにくい。それを相手に日々悪戦苦闘している。そういう私にとって著者の主張は切実な実感だからである。

 しかし逃げ水と苦闘しているのは私だけではないだろう。言語を扱う人間の全て、いや、言語に準じる記号を扱う人間の全てにとって、いま、自分がなにをしているのかは日々の切実な問題であり、かつまたそれを十分に意識することが必要に違いないからである。    --「今週の本棚:渡辺保・評 『語りえぬものを語る』=野矢茂樹・著」、『毎日新聞』2011年9月18日(日)付。

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著者:野矢 茂樹

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自分で考えると同時に学ぶこと

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 子供は遊技から学習という厳粛な行為へ移行することによって少年になる。子供たちはこの時代に、好奇心、とくに歴史に対する好奇心にもえ始める。子供たちにとって彼らに直接には現われない諸表象が問題になる。しかし主要な問題はここでは、彼らの心のなかに、彼らが本来そうあるべきものに実際まだなっていないという感情が目ざめるということであり、彼らがかこまれて生きている大人のようになりたいという願望が生き生きとしているということである。ここから子供たちに模倣欲が発生する。
    --ヘーゲル(舟山信一訳)『精神哲学 上』岩波文庫、1965年、128-129頁。

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哲学を講義していると、よく学生諸氏から言われるといいますか、「哲学ってこういうものですよね」ってものの一つが、結局のところ「(哲学とは一人一人が考えるものだから)他者……それは人間の場合もあるし、古典名著といった過去の賢者のそれということも……から学ぶ必要はないし、そういうもんですよね」ってうものです。

たしかに、哲学とは、他人に考えてもらう代わりに「自分自身」で考えるものということは間違いありません。

しかし、恣意的であってはならない……これが哲学的思考のルールといってもよいかと思います。その辺を誤ってしまうと、いかに他人に考えてもらう代わりに「自分自身」で考えたとしても、それは哲学的思索とは全くことなったものになってしまう……その辺を月曜の授業でお話しした次第です。

これは倫理学……何しろ倫理学は哲学の一部門ですから……でも同様ですが、既成概念がどれほど正しいものだとしても、自分自身でそれを考える・検証していくのが哲学的思索の始まります。

いわば「それどうよ」ってツッコミ精神といっても過言ではありません。そのツッコミ精神というものが、まさに「知を愛する」ことであり、「自分自身で考える」ということです。

しかし、哲学的思索とは、論理学が哲学のこれまた一部門であるように、恣意的・勝手気まま・矛盾に満ちた論証であることを大変嫌いいます。

この部分を失念してしまうとまあ、まずいわけですネ。

思い起こせば、人類の教師ソクラテス(Socrates, c. 469 BC-399 BC)は「汝自身を知れ」をモットーに、他人思考の当時のアテナイ人たちに「自分自身で考えてみようじゃないか」と対話を繰り広げ、対話によって相互訂正を行い、いわば、臆見から普遍的真理へ到ろうとしました。

ソクラテスはいきた人間と対話しました。しかしこの相互訂正としての対話というものは、人間だけが対象ではありません。時には自然が相手であったりすることも、そして過去の賢者たちが残した知的財産が相手であることもあります。

そうした自分とは異なるものと正面から向き合い検討・検証していくことが自分自身で考えることと同時に必要になってきます(もちろん、その論証のルールを学びその議論の枠内で勧めていくことも大事です)。

ホント、ここを一歩間違えるとそれはとんでもない思考になってしまいますから、少し時間をさいて訳ですが、ここ5年ぐらいでしょうか……、そうした反応・受け止め方が多くなってきているなーってことには驚くとともに一種の恐怖すら感じてしまいます。

自分自身で考える、それと同時に、自分自身の考えが独りよがりなものでないのかどうかそれを確認しながら思索する。そしてその後者の実践事例の一つが広義の対話という概念になるかと思いますが、これをもっと広い意味で捉えるならば、他者から学ぶという構えといってもよいかと思います。

確かに、自分自身で考えることは必要です。しかし自分自身で考えることが、人間や世界、自然や環境と孤立した自分自身を対象として遂行するならば、それはとてもいただけないものになってしまいます。だからこそ、他者から学び、自分自身を検討していく……。
確かに他者から学習しても自分自身で考えなければ意味がない。しかしそれと同時にいくら自分で考えても他者から学習しないのであれば、それは独断専行的な危険な思考に陥ってしまう。

孔子(Confucius,551 BC-479 BC)が『論語』(『論語』為政篇)で「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し 思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」と指摘する通りです。そしてこの一節で興味深いのは「学んで思わざれば」と同時に「思うて学ばざれば」を併置している点でしょうか。

その意味では、「(哲学とは一人一人が考えるものだから)他者……それは人間の場合もあるし、古典名著といった過去の賢者のそれということも……から学ぶ必要はないし、そういうもんですよね」という言い方は成立できない……という話しです。

自分で考えつつ、他者から学ぶ。
他者から学びつつ、自分でどこまで考えていく。

この車輪の両軸があってこそ哲学的思索は遂行される・・・。

ここを哲学を学ぶうえで、最初にふまえておく必要はありますね。

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覚え書:「児童がつづった朝鮮人虐殺」、『毎日新聞』2011年9月17日(土)付。

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児童がつづった朝鮮人虐殺
「デマ」の事実、継承されず

関東大震災から88年後の今月1日、横浜市南区の宝生寺に、喪服を着た男女50人が集まった。セミしぐれが響き、むせかえるような残暑の中、参列者が手向けたのは朝鮮人犠牲者の慰霊碑。地震が発生した午前11字58分をはさみ、佐伯真魚住職(40)の読経は30分間続いた。
 関東大震災の後、日本人によって朝鮮人が虐殺されたことはよく知られている。「朝鮮人が襲ってくる」「井戸に毒を入れた」といった根拠のない流言が飛び交い、悲劇を拡大させた。横浜も虐殺の現場だった。同寺の法要は、震災の翌1924(大正13)年から毎年開かれている。
 当時、在日朝鮮人の同胞団体を主催していた李誠七氏(故人)が、朝鮮人の供養をしてくれる寺を探したがことごとく断られ、宝生寺だけが引き受けたという。現在は在日本大韓民国民団(民団)が開催している。南区も虐殺が記録されているだけに、佐伯住職は「この地で(法要を)行うことには意味があります」と話す。
 横浜市では、当時の小学生が震災の見聞をつづった作文が相次ぎ発見されている。南吉田第二尋常小学校(現南吉田小)の児童が書いた「震災記念綴方帖」はその一つで、556人の体験が収められている。
 書かれたのは震災の記憶も鮮明な12月後半ごろ。日本人が棒や刃物で朝鮮人を攻撃したり、川に投げ込むなど、虐殺の場面が生々しく記されている。
 また「朝鮮人が攻めてくる」といった流言におびえる気持ちを記した児童も多い。これらの作文は横浜開港資料館で閲覧することができる(手続きが必要)。
 虐殺の歴史を研究する中学講師の後藤周さん(62)は、南吉田小以外の「震災作文」を含め700人分の作文を読んだ。虐殺の様子を記した作文に、被害者への同情をつづったものはほとんどないのが特徴という。
 「大人たちがデマを信じて虐殺したことを、子どもたちは知らされていない。だから反省もない」と嘆息する。
 宝生寺の法要に参列した民団神奈川県地方本部文教部長の李相哲さん(49)は、「歴史教育の中で、しっかりと教えてほしい。風化させてはいけない」と語った。
    --「児童がつづった朝鮮人虐殺」、『毎日新聞』2011年9月17日(土)付。

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〝ヒトラーの哲学は稚拙である〟以上に稚拙だけど声が大きいんですよw

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 ヒトラーの哲学は稚拙である。けれどもそこでは多大な始原の潜在力が消費されて、その圧力のもとで、見すぼらしい空説虚言の殻は炸裂してしまう。そうした潜在力がドイツの魂の秘められた郷愁を目覚めさせる。伝染病とか狂気とかである以上に、ヒトラー主義は基礎的な諸感情の覚醒なのである。
    --レヴィナス(合田正人訳)「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」、『レヴィナス・コレクション』ちくま学芸文庫、1999年、92頁。

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東京都知事、それから大阪府知事の暴走をヒトラー(Adolf Hitler, 1889-1945)とアナロジーさせる言説をちらほら見受けることがありますが、正味のところ、ヒトラーレベルに達してもいない……というか僕の認識では手法としてもその初手にも到っていない〝禿びマッチョ〟orzってのが正味のところですが……「稚拙」な議論だとは思いますが、ただひとつ共通している点は、それでもなお存在するもんですネ。

大声で怒鳴る・罵倒する・断定することが思考麻痺を呼ぶというスタイル……。二人は何かをデザインしようとしているのではなく、ただ壊したいだけ。

現状が良くないってことは大抵のひとは理解している。

そこにつけ込み、「昔の方がましだった〝かもしれない〟」って「郷愁」を目覚めさして力を増幅させているのが実状でしょう。

たしかに「昔の方がましだった」ものもあるし、そうでない部分もあります。ただ、その精査を割愛して〝かもしれない〟ってところに乗っかかり、デザインなき暴走へ突き進むことには敏感になっておく必要があるのか知れません。

時代が時代だけに、〝騒音の向こう〟にあるところをじっくり見ていかないとまずいっすね。

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レヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)Bookレヴィナス・コレクション (ちくま学芸文庫―20世紀クラシックス)


著者:エマニュエル レヴィナス

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覚え書:「急接近:鷲田清一さん 「3・11」後の知と大学のあり方とは?」、『毎日新聞』2011年9月17日(土)付。

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急接近:鷲田清一さん 「3・11」後の知と大学のあり方とは?

<KEY PERSON INTERVIEW>

 東日本大震災の発生から6カ月。東京電力福島第1原子力発電所事故の発生で、科学の信頼は大きく揺らいだ。知のあり方、知を育む大学のあり方は、「3・11」でどう変わるのか。前大阪大学総長で臨床哲学者の鷲田清一さんに聞いた。【聞き手・鈴木敬吾、写真・川平愛】

 ◇専門外からも逃げるな--前大阪大学総長・鷲田清一さん(62)
 --原発事故はいまだ収束のめどがつきません。特に放射能汚染の不安は増幅しています。

 ◆ 国民の多くが不安を感じるのは、さまざまなデータが提供されても、それがどういう視点から導き出されたものか、自分では確定できないからです。

 事故後、多くの「原子力工学者」がメディアに登場しました。原子力工学会が研究者団体としてどのような見解を表明しているのか調べましたが、そのような学会は存在しませんでした。「日本原子力学会」はありますが、「原子力の開発発展に寄与することを目的」に設立された産学協同の団体で、厳格な入会資格審査のある研究者コミュニティーではありません。

 そもそも原子力工学は、核融合工学、熱力学、電気工学、材料科学、制御工学など幅広い専門分野を集積した研究領域です。関係者に安全性を尋ねても、全体像ではなく自分の専門でしか答えてくれない。さらに原発推進派と反対派では、言うことが180度違う。

 --「原子力ムラ」の存在も明るみに出ました。

 ◆ この夏、ある理工学系の学会に招かれました。原発研究の問題点が話題になったとき、みなさん、「あそこは特殊なムラだから」と話されるので、驚きました。国、電力会社、研究者が深い闇の中でもたれ合う構図がある一方で、反対派の研究者は露骨なパージを受けていた。そんな事情をみなさんよくご存じだったのです。

 科学者は自分の専門外のことには口出ししないことが美徳とされてきました。しかし、それでは済まない時代なのです。研究者の専門領域はどんどん細分化していますが、社会が解決を求める課題は、その専門を幅広く横断しています。「専門じゃないから」と逃げていたら、解は永遠に求められません。

 --大学はどう対応していますか。

 ◆ 大阪大学は05年にコミュニケーションデザイン・センターという新しいタイプの教育機関を設けました。大きな柱が大学院生の共通教育です。

 どんな分野でも、日常生活に深くかかわるイノベーションをするのが博士後期課程の研究教育です。自らの研究によって社会がどう変化し、文化が活性化するか、逆にダメージを受けるか、そこまで考えぬく力が求められます。

 そのためには専門性を深めると同時に、もっと大きな枠組みのなかでものを考える訓練が必要です。教養、つまり社会的な判断力を磨くと同時に、高いコミュニケーション能力も求められます。

 自分の研究を誰にも分かる言葉で説明し、「私の専門ではここまでしか言えませんが、こう考えることはできませんか」と、異分野の研究者に提案し、討議する力が必要です。

 ◇市民との回路築かねば
 --しかし、そうしたディスカッションは市民の間でこそ必要です。原発をどうするかも、「難しいから」と逃げる人が多くては、社会的合意はいつまでたっても形成されません。

 ◆ 異なる専門家間だけでなく、専門家と非専門家との間に適切なコミュニケーションの回路がないことが、今の日本社会の大きな問題点です。原発のみならず、再生医療などの生命技術、情報テクノロジー、財政再建など、科学技術や政治・経済が直面する課題は、すべて私たちの日々の生活に深くかかわる問題だからです。

 大阪大学は、従来の「先生が教える」市民講座ではなく、双方向型のワークショップの開催に力を入れてきました。私鉄駅構内などで哲学カフェやサイエンスカフェを開き、通勤客らが自由に参加して、「原発事故はどういう問題なのか」などというテーマで討論するのです。

 そこで感じるのは、「本当の問題を知りたい」という市民の強い思いです。解決策を教えてくれ、ではないのです。時間と手間のかかることですが、こうしたことを積み重ねて市民との回路を築いていくことも、大学の大きな使命でしょうね。

 --原発問題では、そうしたコミュニケーションの広がりはありませんでした。

 ◆ 原発事故に後ろめたさを感じる人は少なくないでしょう。安全性への危惧や警告は書籍などでずっとなされてきたのに、それには耳を傾けず、国や電力会社からの楽観的な発信を都合のいいところだけ聞き取ってきたことの後ろめたさ。沖縄の普天間飛行場移設問題と同様に、判断を国に「お任せ」し、市民として責任を分かち合うというシチズンシップを果たせなかったのです。

 今、考えるべきは「文明の転換」ではなく、私たちが繰り返してきたことが、どんな危機を招いたかをしっかりと見つめ直すことでしょう。今回の体験を、市民的成熟をいかに果たすか、そのきっかけにしたいものです。私も副学長時代から7年半離れていた地べたをはいずり回る臨床哲学の活動に戻り、その動きに参画するつもりです。

 ■ことば
 ◇臨床哲学
 医療や介護、教育や貧困など、社会で生じているさまざまな問題を、専門家ではなく市民の<対話>のなかで考えていこうとする活動。阪神大震災を機に鷲田清一さんが提唱した。学説よりも問題発生の現場でのフィールドワークを重視する。
 ■人物略歴
 ◇わしだ・きよかず
 京都市生まれ。京都大大学院博士課程単位取得退学。関西大教授、大阪大文学部教授、副学長を経て、07年大阪大史上初の文系出身総長に就任。1期4年を務め、8月末に退任し、9月から大谷大学教授。
    --「急接近:鷲田清一さん 「3・11」後の知と大学のあり方とは?」、『毎日新聞』2011年9月17日(土)付。

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機械的技芸《artes mechanicae》ではなく自由技芸《artes liberales》

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 政治的情熱に含まれるのは目的に憑かれた状態であり、理論的情熱に含まれるものは目的からの自由である。目的からのこの自由は学問においてはまさしく制度化されている。つまり学問とは自由技芸《artes liberales》であって、機械的技芸《artes mechanicae》ではない。この自由な術をひとびとは美しき術とも呼ぶことができる。というのは「美しい」という言葉は耽美主義者の趣味の敏感さが推測させるものよりかなり広い意味をもっているからである。
 しかし、目的に憑かれた状態と目的からの自由との間を調停することは人間的生そのものに関わることである。人間的生が人間的なものとして可能になるのは、われわれの目的に定位した行為のうちで同時に目的からの自由が成立する場合だけだからである。自分自身から距離を取ることのできる人、自分の生の領域の被制限性を洞察できる人、したがって他の人々の生の領域に対して公正でいられる人、そうした人は絶えず現実による訂正を経験するのである。学問はその現実による訂正を自己のもっとも気高い義務としてきた。学問の目的からの自由は、われわれの幻想的な願望がわれわれのうちので絶えず作り上げるあまりにの狭い目的からわれわれを解放するのに役立つのである。それこそが研究者の本質をなすかの有名な客観性への教育なのである。
    --ガダマー(本間謙二訳)「科学と公共性」、本間謙二・須田朗訳『理論を讃えて』法政大学出版局、1993年、78-79頁。

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機械的技芸ではなく、自由技芸であることの重要性は、おそらく、学問とか政治運動にだけ限定された問題じゃないだろうな~。

ちょい今日はスコールにてずぶぬれなので、とっとと寝ます。


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著者:ハンス・ゲオルク ガダマー

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新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。

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 むかし景気のよかったものは、復古を主張し、いま景気のよいものは、現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは、確信を主張する。
 相場はこんなところだ、相場は!

 かれらのいう復古は、かれらの記憶にある若干年前にもどることで、虞・夏・商・周の古代ではない。
    --魯迅「小雑感」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年、100-101頁。

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どうやら引き裂かれた現場を降りることなく佇み、状況を怜悧に観察した人間の箴言ほど寸鉄心を打つものはなく、そして人間に対する慈愛において追随を許さないものはないのだと思うことがよくあります。

魯迅(Lu Xun,1881-1936)の言葉のひとつひとつがそれであり、右から左へ大きく揺れ動いた訳者の竹内好(1910-1977)が魯迅に仮託していったものなかも知れません。

宿痾のようにこびりついた儒教イデオロギーを撃つと同時に、革新ラッパの虚偽を撃ち、常に生きた人間の「味方」であったのが魯迅の生涯……。そして、あれか・これかと単純に判断できない稜線から紡ぎ出された言葉の迫力には身震いするほどです。

復古の立場をとるにせよ、現状維持を主張するにせよ、革新を唱えるにせよ、「主義の宣伝者」には必ず「思惑」が潜在してしまう。

そのカラクリを丁寧に見出していかない限り、提示されるものがどのような甘露であるにせよ、それは一種のマヤカシでしょう。

例えば、守旧的復古主義者を見ればよくわかる。「かれらのいう復古は、かれらの記憶にある若干年前にもどることで、虞・夏・商・周の古代ではない」。

事例として拝外主義を唱えてみたものの、鎧甲に太刀をひっさげ、背中に一陣の幟旗で戦うわけではありませんしね。

拝外先で誂えられた輸入衣類で身を鎧い、外来テクノロジーで武装するのがせいぜいのところ。加えるならば、鎧甲であったとしても千年前のそれではなく……。

数えると切りがありません。
大概の場合、理想とされるのは、国民国家によって「神話化」された近い過去……。いわば「ある若干年前にもどる」程度が関の山。

そして同じように、現状維持と革新が武装する・・・。

そうした拡声器に脊髄反射してはならないと思う。
琴線が触れるのは脊髄反射ではない。
相手への反応は、自分自身の心のそこからの反応でなければ、それは本当の炎にはならない。

このことを失念してしまうと、共鳴無き、殺し合いのゲームだけが永遠に続くことになってしまうのだろうと思う。


安易に燃料を失う必要はない。

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 新しい主義の宣伝者を、かりに火つけ役だとすれば、相手に精神的な燃料があってこそ、火がつけられるのだ。弾奏者だとすれば、相手の心に琴線があってこそ、演奏効果があらわれるのだ。発声器だとすれば、相手も発声器であってこそ、はじめて共鳴がおこるのだ。
    --魯迅「随感録抄」、竹内好編訳『魯迅評論集』岩波文庫、1981年、68頁。

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「ひと アイヌ語で歌うジャズ歌手 熊谷たみ子さん(59)」、『毎日新聞』2011年9月15日(木)付。

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 ひと アイヌ語で歌うジャズ歌手 熊谷たみ子さん(59)

 東日本大震災の被災者支援のCD「大地よ」を有志で自主制作した。
 <多くの民があなたの重さや痛みとともに波に消えて そして大地にかえっていった>
 アイヌ民族の復権運動に力を注ぐ宇梶静江さん(78)が震災に寄せてつづった詩に曲を付け、日本語とアイヌ語で歌う。「愛する者と別れる悲しみ、無念さは、いまの私にも想像できる」
 「アイヌが来た」と石をぶつけられた子ども時代。中学卒業後、郷里の北海道本別町から集団就職で上京した。東京・渋谷でスカウトされ、20歳で歌手デビュー。出した歌謡曲のレコードは売れず、心機一転、米国に飛び、オーディションを受けたが実力不足を痛感した。帰国後、29歳で建設会社に勤める日本人と結婚し、一人娘を育てながらジャズ歌手として活動してきた。
 4年前のハル、大腸がんが判明した。09年春、再発して「余命1年」と宣告された。「それまでアイヌと公表していなかった。でも限られた命と分かり自分自身にうそをついているような気がしてね」。大地や自然、カムイ(神)に感謝する生き方は「君の先祖の教えだ」と夫に背中を押された。迫害に耐えた黒人や世界各地の先住民を思い、アイヌ語で「アメージング・グレース」を歌い始めた。
 今夏、改めて余命一年未満と告げられた。抗がん剤治療を受け、家族や同胞、歌の師匠であえるマーサ三宅さんらに励まされながら「生きている限り、歌う」と前を向く。 文と写真・明珍美紀
    --「ひと アイヌ語で歌うジャズ歌手 熊谷たみ子さん(59)」、『毎日新聞』2011年9月15日(木)付。

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「我々の為し得る最善のことは、他者に対する冷酷さを抑制することである」の現況……

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……私は漠然と、西洋の考え方では、他者との組み合せの関係が安定した時に心の平安を見出す傾向が強いこと、東洋の考え方では、他者との全き平等の結びつきについて何かの躇いが残されていることを、その差異として感じている。我々日本人は特に、他者に害を及ぼさない状態をもって、心の平安を得る形と考えているようである。「仁」とか「慈悲」という考え方には、他者を自己のように愛するというよりは、他者を自己と全く同じには愛し得ないが故に、憐れみの気持ちをもって他者をいたわり、他者に対して本来自己が抱く冷酷さを緩和する、という傾向が漂っている。だから私は、孔子の「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」という言葉を、他者に対する東洋人の最も賢い触れ方であるように感ずる。他者を自己のように愛することはできない。我々の為し得る最善のことは、他者に対する冷酷さを抑制することである、と。
 慈悲という仏教系の考え方は、もっと強い、もっと積極的なものだろう。他者は愛さなければならない。しかしそれは憐れみや同情という形となり、そこには、優れたものが劣れるものと接する時には、という条件がつけられているように思う。もし、神とか仏という絶対者を想定して、現世のマイナスが来世において、または神の支配する理想社会において償われる、という確信を予定するのでなければ、我々は絶対に他者を自己と同様に愛することはできないし、また自己を殺してまで他者を憐れむこともできない。「死」について語ることを拒否し、「現世」の秩序のみ考えた孔子の立場では、自己と他者との関係を、「仁」という寛容な言葉で規定し、自分の望まないことを他人に押しつけるな、という最低法則をもうけたことは当然であったと思う。そこには、現世において、利己心を核として生きている人間の関係に基礎を置くところの、消極的な他者との結びつきの安定した形が設けられている。しかしそこから、どんな秩序を求めることができるだろう? 「礼」というような節度によって、上下の秩序の安定を予定することしかできず、利己的な人間と人間との間の冷酷な区別感の消滅する希望は極めて薄いように思う。孔子はレアリストである。
    --伊藤整「近代日本における『愛』の虚偽」、『近代日本人の発想の諸形式』岩波文庫、1981年、140-141頁。

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文芸評論家伊藤整(1905-1969)が「近代日本人の発想の諸形式」で示したした日本人の発想形式の見取り図にはもちろん、問題もあるし、その類型化によって、彼自身が、西洋的なるものを全肯定し、東洋的なるものを全否定しようとしたわけではないけれども、そこで暴かれた「消極的な」エートスというものは、それでもなお、否定することは難しいのではないかという感はあります。

「人にかくせられんと思うことを人に為せ」という黄金律を一つの積極性とみるならば、「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」という名辞は、一つの消極性とみることができます。そしてそれぞれに長所短所があるわけですが、やはり本朝はどこまでもいっても、後者が土台となっている精神文化。
※くどいですが、どちらがいいという議論ではありません。

しかし「己の欲せざる所を人に施すことなかれ」が有効に機能するためには、いくつかの条件が必要不可欠となります。

たとえば、「他者を自己のように愛することはできない」という消極性は、「他者に対する冷酷さを抑制」が必要となり、そこから具体的な行動が出てきますし、「礼」というような節度も同じだと思います。

ただ、最近、世間……「社会」じゃなくて「世間」ですよ、一応w……をみるにつけ、その条件とか発動に至る経緯が割愛されたまま、その名辞のみが先行するといいますか、一人歩きしているような感を強く抱きます。

積極的に関わることができないとしても消極的に関わることを智慧としたのであれば、それは関わらないという無関心とは違うと思うのですけどねぇ。

本来的に「利己的な人間と人間との間の冷酷な区別感の消滅する希望」が薄い土壌ですから、その辺の感性を丁寧にとぎすませていかないと、うまく機能しないはずなのですが……ふぅうむ。


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覚え書:「シュレーダー前ドイツ首相:脱原発『日本国民の決断次第』」、『毎日新聞』2011年9月13日(火)付。

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シュレーダー前ドイツ首相:脱原発「日本国民の決断次第」
独前首相 技術力を高く評価

【ベルリン篠田航一】ドイツのシュレーダー前首相は毎日新聞との会見で、何度も「決断」を口にし、脱原発に抵抗する電力業界を説得した経緯を説いた。官僚や側近任せではない、自らが政治決断した自負があるからだ。
 ドイツが脱原発を選択した理由について、国内では「使用済み核燃料の最終処分場が決まらない状況」があり、国外では「86年のチェルノブイリ原発事故」のような放射能汚染への懸念があったと指摘し、「このような状況を長期にわたり社会に強制できなかった」と語った。
 戦後、国土が東西に分断されたドイツは米ソの中距離核ミサイルがにらみ合う冷戦の最前線で、市民も「核の脅威」を身近に感じていた。このため反核を訴える学生・市民運動は、環境政党・緑の党などの政治勢力とも結び付き、世論形成に一定の役割を果たした。
 だが、60年代にドイツで原発が次々に運転を開始して以降、シュレーダー政権が登場するまで40年近く、脱原発は「絵に描いた餅」だった。
 前首相が会見で「日本は技術的に(原発とは)違うエネルギー政策が可能」と述べた理由は、日本特有の環境だ。世界トップ級の太陽光発電技術を持ち、ドイツよりも日照時間が長く、風力も「極めて大きな潜在力」(日本の環境省)を持つ。
 前首相は「安全への哲学は日本国民の決断次第だ」と語った。原発停止が数年後か数十年後かの違いは、地震国では即、生命・財産に直結する。ドイツのように期限付きで原発停止を詰める作業は、政治にしかできない。
    --「シュレーダー前ドイツ首相:脱原発『日本国民の決断次第』」、『毎日新聞』2011年9月13日(火)付。

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哲学の目的は思考の論理的明晰化である。

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四・二二
 哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
 哲学は学説ではなく、活動である。
 哲学の仕事の本質は解明することにある。
 哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
 思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。
    --ウィトゲンシュタイン(野矢茂樹訳)『論理哲学論考』岩波文庫、2003年、51頁。

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今日から後期の「哲学」の授業。

「早ッ!!!」

……って思いきや、去年は13日から授業開始してたようにて……今時の学生さんは夏休み短いんだなアと驚きつつも、授業は無事に終了。

真夏のような34度でしたが、初回の講義に参加されたみなさまありがとうございました。

哲学とはカント(Immanuel Kant,1724-1804)も指摘している通り、なにかできあがった「哲学なるもの」を学習するのが哲学ではありません。

みなさんのもっている言葉にならない考えや観念、生活実感に言葉を与え、明晰にしていくのも哲学のひとつ。

これから15回、どうぞよろしくお願いします。

しかし、今日は暑かった。

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学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。

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 学問上の「達成」はつねに新しい「問題提出」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。
    --ヴェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波文庫、1980年、30頁。

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ヴェーバーの指摘する「構え」としての「謙遜の念」は、学問だけに当てはまる問題じゃないんだよな~。

最近、このことを至極実感する次第です。

「問題提出」に対して、それと格闘することを回避して、守旧するという態度は、自分自身が「大切」にしているものすら「汚して」しまうわけなのですけど……、そのことを理解していない人間が多すぎて(涙

むか~し、「反省は猿にでもできる」というキャッチコピーがありましたが、「猿にはできるけど、人間にはできない」って註釈をいれたほうがいいんじゃねえのかって思うことが多いですねぇ。

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生についての省察から、生活経験が成り立つ

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 生についての省察から、生活経験が成り立つ。種々の衝動や感情が私たちの内で束ねられ、それが周囲の世界や運命と遭遇することによって惹き起こされる個々の出来事は、生活経験において対照的で一般的な知識へととりまとめられる。人間の本性が常に同一であるのと同様に、生活経験の根本特徴も万人に共通のものである。人事の無常と、その無常の内にありながらも一国を享受する私たちの力。強靱な性質や偏狭な性質の持ち主たちにおいて、自らの実存の強固な足場を築き上げることにより、かかる無常を克服せんとする傾向。更には柔軟で思い煩いがちな性質の持ち主たちの内にある、かかる無常に対する不満、そして不可視の世界の内で真に持続せるものへの憧憬。あるいは幻想の解体するまでは、あたかも夢のように想像心性を創り出す情熱の突き進むような力。このようにして生活経験は、それぞれの個人において様々な仕方で形成されている。しかし一切の人間において、その生活経験の共通の底層をなしているのは偶然の力についての直観、すなわち私たちが所有し、愛し、あるいは憎んだりする一切のものを腐敗させる力についての直観であり、私たち人間の一人一人に対して、生の意義と意味を全能なまでに規定してしまう死と、絶えず私たちが向かいあっているという直観である。
 個人と個人とを結ぶ連鎖の内に一般的な生活経験が成立する。
    --ディルタイ(久野昭監訳)『世界観学』以文社、1989年、121-122頁。

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ふう。
締め切りを10日すぎてようやく原稿が完成。
担当者様、ご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした。

ご迷惑ついでに予定校より5枚ほどオーバーもしちゃっているのですが、、、ご寛恕のほどを。

ともかく・・・生活経験の成り立つ世界というのは、どの人においても大変な世界ですね。

「トホホ……」と同時に「ふう」です。

さて、次の仕事にとりかかりますかw


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僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる

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大杉栄「僕は精神が好きだ」『文明批評』一巻二号、一九一八年二月。

 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらだ。生まれたままの精神そのものすらまれだ。
 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神すら持たないものがある。
 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。
    --大杉栄(飛鳥井雅道編)「僕は精神が好きだ」『大杉栄評論集』岩波文庫、1996年、141-142頁。

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常軌を逸脱したような自由奔放な行動を取る必要はないとは思う。
ただし、精神における「自由」だけは、どこかで堅持しておかないと、結局は、他人の頭を借りて思考してしまうことになってしまう。

体系や理論を学ぶことが無意味だとまでは言わない。
だけど、それをそのまま受容することは、どこかで「まやかし」を生んでしまう。

発露として発想し、動くこと。

どこかで心がけておかないとネ。

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悲しみにしろ喜びにしろ、それに心をおどらせたことのない人は、けっしてまともな人間とはいえないだろう。

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 悲しみにしろ喜びにしろ、それに心をおどらせたことのない人は、けっしてまともな人間とはいえないだろう。
    --ギッシング(平井正穂訳)『ヘンリ・ライクロフトの私記』岩波文庫、1951年、106頁。

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自分が失念したいといえばただそれまでの噺なのですが、木曜日は市井の職場の指定休の予定だったのですが……

金庫に鍵をしめて、、、、

「いちおう、念のため……」

……って思って、Mgrのスケジュール確認すると、、、

「出勤日」

……になっていたようにてorz

たしかに今月は棚卸しとか夏休みの取得とかいろいろ入っていて不規則になっていること、そして今月のスケジュールは先月組み立てられていたにもかかわらず・・・

大事なことを失念していたことに「汗」と「涙」。

木曜にひとつ締め切り間近の原稿を仕上げる予定だったのですけど。。。

少し予定を組み立て直すほかありませんね。

まあ、いずれにせよ「喜び」の一報ではなく「悲しみ」のそれに属するアレですが、そのことに「心をおどらせた」という意味では、僕も「まともな人間」に属してよいのかしらん????


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覚え書:「『さようなら原発』決断を 大江さんら新政権に要請」、『毎日新聞』2011年9月7日(水)付。

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「さようなら原発」決断を
大江さんら新政権に要請

 東京電力福島第1原発事故を受け、作家の大江健三郎さんら原発依存からの脱却を訴える「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人が6日、東京都内で記者会見し「経済合理性や生産性ばかりにとらわれない理念を掲げる勇気と見識を求める」との声明を発表、野田新政権に原発の再稼働をさせないことなどを求めた。
 会見には作家の落合恵子さんやルポライターの鎌田慧、「賛同人代表」として宇都宮健日弁連会長が出席。大江さんは「原発事故は広島や長崎に次ぐ事態。二度と起こさない決意で政治を動かす必要がある」と訴えた。
 同アクションには音楽家の坂本龍一さんや作家の瀬戸内寂聴さんも名を連ねる。署名活動を行い、来年3月に衆参両院議長と首相に提出する予定。言語学者のノーム・チョムスキーさんからも賛同メッセージが届けられているという。

19日に都内で集会
 8日に日本青年館大ホール(新宿区)で大江さんらの講演会、19日に明治公園(同)で参加者5万人を目指す「さようなら原発集会」を開く。問い合わせは事務局(03・5289・8224)。【吉住遊、写真も】
    --「『さようなら原発』決断を 大江さんら新政権に要請」、『毎日新聞』2011年9月7日(水)付。

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「ポジティヴな意味における自由は、平等な者のあいだにのみ可能」なものだとすれば、

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 自由は、それが触れることのできるリアリティとして存在したときは、いつでもかならず、空間的に限界づけられている。このことは、ネガティヴな自由(リバティーズ)のなかでももっとも基本的で最大のもの、つまり移動の自由のばあい、とくに明白である。国家の領土の境界線や都市国家の城壁は、人間が自由に動きまわる空間を内包し、それを保護した。条約や国際的保障は、市民にたいして、その国の外部にもこのように領域的に限界づけられた自由の広がりを与えてはいる。しかし、このような近代的条件のもとでも、自由と限界づけられた自由の広がりを与えてはいる。しかし、このような近代的条件のもとでも、自由と限界づけられた空間との基本的合致は、依然として明瞭である。移動の自由についていえることは、かなりの程度、自由一般についてもいえることである。ポジティヴな意味における自由は、平等な者のあいだにのみ可能である。そして、平等そのものは、けっして普遍的に妥当な原理ではなく、やはり限界づけを伴っており、空間的眼科医の内部においてのみ適用できるものである。このような自由の空間は、--ジョン・アダムズの用語をそのまま使うのではなく、ただその主旨にしたがっていえば--現われの空間(スペイス・オブ・アピアランス)とも呼ぶことができよう。そこで、もし、この自由な空間を政治的領域そのものと同じであると考えるならば、それは、ちょうど大洋のなかの島か、砂漠のなかのオアシスのようなものに思われるだろう。このイメージは、比喩の一貫性によってばかりでなく、歴史の記録によってもまた、われわれに示唆されているように思われる。
    --ハンナ・アレント(志水速雄訳)『革命について』ちくま学芸文庫、1995年、434-435頁。

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東日本大震災以降、「衣食住」のうち「住」の概念が大きく転換してきている感があります。

愛着・愛郷は尊重されてしかるべきですが、それによってしか判断できない乃至はその他の多様な選択肢を遮断してしまうまなざし(慣習・法体系)は温存されたまま……。

ふうむ。

住み続けることは自由であり義務でも目的でもありません。しかしそれと同じぐらい空間を越境する自由もあるはずなんだけど……ねぇ。

「ポジティヴな意味における自由は、平等な者のあいだにのみ可能」なものだとすれば、まったく不自由な社会なのかもしれませんね、


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自分の死を子供が深く悲しまぬように、わざと飲めもせぬ酒を一口飲み、すえもせぬ煙草を一口すい、ユーモアの芝居をみせてくれた「所作」と「言葉」……。

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 上智大学にデーケンという素晴らしい神父がおられる。彼は昔から「死の準備教育」「悲しみの教育」を若いときから学ばねばならぬと提唱されている。その教育を受けることによって、人間すべてに訪れる死を静かに迎え入れるよう準備しておくのだ。
 「悲しみの教育」のほうは配偶者に先だたれた者がどうしても孤独と空虚のなかで押しつぶされていく--その試練に耐えるため、あらかじめ心の準備をする教育なのである。
 デーケン先生は私の尊敬する神父の一人だが、彼はユーモアというものを強調する。
 神父からこういう噺をうかがったことがある。
 神父の御母堂が臨終の時、お子さまたちが心配して集まった。
 御母堂はお子さまたちにこう言った。
 「わたしにお酒を一杯くれない」
 子供たちは驚いた。御母堂は平生、酒を召し上がらない方だったからである。
 子供がコップにお酒を入れてわたすと、それを一口のんで、
 「ああ、おいしい。ついでに煙草を一本くれない」
 子供たちは更に仰天をした。御母堂は煙草をすう人ではなかったからである。
 仕方なく一本わたすと、
 「前から一度煙草をすってみたかった」
 と言い、一口、煙をすってから、
 「満足。これで眠れるわ」
 と言い、それから息を引きとられたという。
 この噺をうかがった時、私はデーケン先生の御母堂の、子供へのやさしさ、愛にうたれた。自分の死を子供が深く悲しまぬように、わざと飲めもせぬ酒を一口飲み、すえもせぬ煙草を一口すい、ユーモアの芝居をみせてくれた御母堂なのである。素晴らしい御母堂なのである。
 ねがわくは私も死ぬ時は右のようなユーモアで死ねればと願っているが、私などにできますかなァ。
    --遠藤周作「我が子を思う親心」、『変わるものと変わらぬもの』文春文庫、1993年、174-175頁。

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優れた作家というのは、優れた随筆家でもあるもんだ……と常々思っているわけですが、毎度毎度のことながら、狐狸庵先生こと遠藤周作先生(1923-1996)の随想にはうならせられてしまいます。

小説もそうなんですが、荘厳な設定のなかに「ちょいとした」ユーモアがあるからなんだろうと思いますが、人生においてもこの「ちょいとした」というものが必要かもしれませんね。

「ちょいと」というのは漢字で書くと「一寸」。度量衡では3センチ弱というところでしょうか……。

このへんの「余裕」というものがないと、人間の生活世界というものはモノクロームな風情になるってものかも知れません。

さて……。
遠藤周作先生は、「死生学」( thanatology)で有名なデーケン師(Alfons Deeken,1932-)のエピソードをさらりと紹介しておりますが、この部分も同じかも。

通俗的に現代文明は……通俗的な批判だから厭なのだけれども……、「死を忘れた文明」と俗に言われますが、その、学問における最大の問題のひとつは何かといえば、やはり、計量化と再現可能性と座学を圧倒的なものしたことなのかもしれませんね。もちろん、計量化・再現可能性・(そしてその学習としての)座学の一切合切を否定するわけではありません。

しかし、それだけではない、所作や息吹というものも人間世界には存在するということは否定できない事実。

……その意味では、死生学……たしかに「学」ですから「座学」と「講義」を軸にアカデミズムされますけれども、それは横に置く……というものは、計量化とか再現可能性とか座学でフォローしきれない「根元的なるもの」へ人々の眼をたち戻させたという意味では、甚大な意味があるのだと思います。

ユーモアや、それを発動させるウィットというものは、どこまでも個人的なもの……もちろん家庭教育や文化的制約による「訓育」がなければそれはどこまでも発動しないものですが……だから「恣意的」=「再現不可能」として退け、鋭利にとぎすませてきたのが現代の学問。

しかし、それだけでは、人間のトータリティは理解できない。

そのひとつが、死生学の挑戦かも知れません。

思い返せば「哲学は死のリハーサル」と言葉を残したのはプラトン(Plato,424/423 BC-348/347 BC)。

しかしプラトンは一冊も活字を残さなかったソクラテス(Socrates,469 BC-399 BC)が存在しなければ、活字魔・プラトンは存在し得なかった……。

と、同時に、著作を全く後世に伝えなかったソクラテスは、プラトンの筆記がなければ、二千年を経た現代にその息吹が伝わらなかった……とすれば、「恣意的か」「非恣意的か」という枠組みは、ホントに単なる作業仮説にしか過ぎないものかもしれませんネ。
※だからといって江原啓之(1964-)のようなアプローチは勘弁して欲しいけれども(苦笑

ユーモアの所作とユーモアを「言語化」する努力。

これは別々のものではなくひとつもののうらとおもてであり、その両方を大切にしながら、ユーモアの感覚っていう奴をきちんと養っていきたいものですね。

※例の如く呑みながら書いているのでイミフですいましぇん、。

……てか、昨日、細君の祖母が御遷化されてました。

合掌。


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研究ノート:内村鑑三とロシア

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 ケーベルを介して「ロシア」が日本に入ってきていたことと関連して、内村鑑三とロシア思想家の関係を簡単に紹介しておきたい。内村とロシアとの関係は、一九〇三(明治三六)年に日露戦争を前にして内村が非戦論をとなえたことから、ロシアで同じ声をあげたレフ・トルストイとの思想的関連ばかりが強調されてきた。しかし宗教思想家としての内村については、ドストエフスキーやその若い友人の宗教哲学者ヴラヂミール・ソロヴィヨーフとの関連にも目をむける必要がある。内村のキリスト再臨の信仰や、神のはからいとしての世界史の見方は、その内奥にはキリスト教の神秘主義を含んでおり、それはドストエフスキーやソロヴィヨーフが生々しいヴィジョンとして抱いていたものである。
 内村自身、一九一八(大正七)年の説教「ツルーベツコイ公の十字架」で、ロシアの思想家への共感を語り、ロシアの思想家にはヨーロッパ人の理性とは違う「アジア人の情性」がある、「ロシア人の思想が日本人に了解せられやすきはすなわちこのゆえである。キリスト再臨につき最も深き印象を余に与えた者も、同じくロシア人たるウラジミール・ソロヴィエフ〔ママ〕であった」と告白している。
 また内村の一九二二年の日記には、チュービンゲン大学のハイム博士と会ったが、博士が「キリスト再臨信者であるのに、余は深く驚いた。博士は、同信の士としてドストエフスキー、メレシコフスキーらの大家を挙げた。実に愉快の至りである」と書いている。
 北大図書館蔵の内村文庫の一冊にアルセーニエフ著『神秘主義と東方教会』の英訳がある。内村はこの英訳が出版された一九二六年にすぐに取り寄せて読んでいる。アルセーニエフがドストエフスキーについて書いている箇所には例外なく太いアンダーラインが引かれて、例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の「兄弟たちよ、人間の悪意を恐れてはならぬ」ということばには、「無政府主義者に対しても」という書き込みがなされている。内村鑑三は「アジア人の情性」を持つロシアの思想家に触発されていたのである。
 ニコライについては内村は核心をついたことを言っている。
 「予がニコライ師に対して殊に敬服に耐へないのは、師が日本伝道を開始せられて以来、彼の新教派の宣教師の如く文明を利用することなく、赤裸々に最も露骨に基督を伝へた事である」(「美しき偉人の死」、『正教時報』大正二年二月一〇日号)
 内村はニコライの葬儀に参列した。その後しばらくしてかれは駿河台を訪ね、「ニコライ師が五十年間の生活をせられた室内を参観」し、その質素な遺品を見て「深き感動」を受けたという。
    --中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』岩波新書、1996年、160-161頁。

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内村鑑三(1861-1930)とロシアの思想家といえばやはりトルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj,1828-1910)という脊髄反射をしてしまいそうになりますが、決してそれだけではなかったという箇所を非常にコンパクトにまとまった一文がありましたので紹介しておきます。

プロテスタンティズム、カトリシズムにくらべると、やはり、(ロシア)正教関係というのは、日本ではなかなか広まっていないといいますか、理解がまったくすすんでない分野の一つなのですが(といっても前二者に関しても正確な理解が定着しているのかと問うた場合、!!!と疑問が大きく出てしまいますが)、その最初の巨人であるニコライ師(Nicholas of Japan,1836-1912)の足跡をたどった新書の中に一節がありましたものですから、冒頭に掲げさせていただきました。

しかし、ホント、内村鑑三の再臨思想というものは、西洋の着物を来たキリスト教@遠藤周作(1923-1996)という観点だけでは理解しがいものがありますから、そのヘンの思想的交流・影響関係をきちんと整理してみるとおもしろい発見が沢山ありそうですね。

……ってことで、このへんで。

すいません、なかなか忙しいものでして・・・。

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覚え書:ザ・特集:「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る」、『毎日新聞』2011年9月1日(木)付。

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ザ・特集:「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る

粘りに粘ったが、ついに俵を割って官邸を去る菅直人首相(64)。批判のしどころは多々あるにせよ、結局、何がいけなかったのか。「市民運動出身」という同じルーツを持ち、東日本大震災後は災害ボランティア担当の補佐官として支えた辻元清美衆院議員(51)に尋ねた。【宍戸護】

 ◇権力維持には「まめさ」必要だが、理念重視のあまり気が回らず。
 ◇妥協、利害調整できず立ち往生。「浜岡」「脱原発」は考え抜き決断。
 「自分の言葉で。終わり良ければ全てよし、でっせ」

8月26日昼、衆院議員会館。テレビ画面の中で「退陣の弁」を語り始めた菅首相に、そう声をかけた。立ったまま、安堵(あんど)とも無念ともつかぬ表情の辻元さんである。約5分、聞き終えるとポツリ。「あっさりしてたなあ……」

 昨年7月、長年所属した社民党を離党、現在は無所属ながら民主党と会派を組む。震災から2日後の3月13日、首相補佐官に起用され、官邸で半年間、一緒に仕事をした。「知り合って四半世紀」という間柄。新しいスーツづくりの採寸にも立ち会った。

 「一国の総理だからヨレヨレの格好はあかん。欧米の首脳の横に立ってもひけをとらんように、と服、つくらせたんです。馬子にも衣装やから。ハハハハ。なのに昨年11月の横浜APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議で、オバマさんと一緒にいるところを見たら、ネクタイは曲がってるし、胸の当たりも盛り上がっている。メガネを入れているわけ。何してんねん、と。すぐに電話をして『高いスーツ買うてるんやから、ポケットにもの入れたらあかん!』と言ったら菅さん、『ごめん……』の一言だけ」

 菅首相は厚相時代、薬害エイズ問題で厚生省(当時)が隠していた内部資料を明るみに出し、国会でも舌鋒(ぜっぽう)鋭い論客として名をはせる。だが、総理大臣の椅子に座ってからは精彩を欠いた。

 就任から間もない昨年7月の参院選。唐突に「消費税10%」を口にして大敗を招き、滑り出しからつまずいた。

 「私自身、自社さ政権を経験して実感したのは、『まめさ』こそが権力維持の最大の装置やということ。ある自民党の幹部は『芝居ではステージの幕が上がったときには準備が終わっているのと同様、政策も公になったときにはほとんど終わっていないと周りが混乱する』と教えてくれた。ところが菅さんは、自分で幕を上げてから『さあ始まりだ』とやるからなあ」

 「策を弄(ろう)さず」という姿勢は、宰相としては弱点でしかなかった。

 「私も親しいけど、菅さんから総理大臣になってからおごってもらった覚えはないなあ。昔からかな。確かに面倒見はあまりよくないよ」

 苦笑する辻元さんに、「ケチなんですかね」と突っ込むと、こう解説した。

 「いや、気が回らないんですよ。理念や考え方を重視するあまり、そこでつながっていればいいんだ、みたいなところはありますね」

 保守派を中心に、「市民運動出身の政治家の限界」を指摘する声も相次いだ。

 「確かに(市民運動出身の政治家には)批判するのは上手でも、批判を受けるのは下手という特徴がある。私もそうなわけですよ。そりゃ『総理!総理!』と言ってるほうが簡単やで」

 そこには、辻元さん自身の苦い経験がある。早稲田大在学中に民間国際交流団体「ピースボート」を設立し、96年に衆院議員初当選。2期目の02年3月、秘書給与詐取問題の責任をとって辞職した。予算委員会に参考人招致されたとき、菅首相は傍聴席で終始見守っていたという。

 そして、話は「統治論」へと進んでいった。

 「一議員なら権力のチェックをすればいい。大臣は、時の政権の政策を実行すればいい。でも、総理大臣になったら『統治』をする。統治とは考え方が違う人、相反するイデオロギーを持つ人をも守ること。そして、やりたい仕事だけでなく、やりたくないことでも妥協しつつ利害関係を調整することなんです」

 しかし、野党、官僚、財界、そして党内の対立勢力……菅首相にとっては、いずれも闘うべき相手だった。

 「私ら市民運動から出てきた人間はね」。かみしめるように言葉を継ぐ。「何もないところから自分が動き回り、ものごとを形にしてきた。憲法を守るため、脱原発の理念を守るためなら命をかける。同じ志を持った仲間となら、それでいけるんです。でも、統治はそれだけではあかん。立場の違う人たちと、どう付き合うか。そこを訓練しておかないと、いざリーダーになった途端に立ち往生してしまう。菅さんも、そこに悩み続けたと思うんです」

 「菅直人」という総理大臣の出現は早過ぎたのか、遅過ぎたのか。

 「統治には2種類あると思うんですよ。一つは中曽根康弘元首相のように自らが引っ張る『強いおやじ型』。もう一つが、市民一人一人に社会に参加してもらう市民参加型です。こちらは、まず子育てやまちづくりで同じ考えを持った人が地域にいて、さらにそういう発想の地方議員が増えなければ安定しない。現実には自民党長期政権のもと、市民型統治は未成熟のまま今日まで来てしまった。菅さんの理想と首相としての行動が合致しなかったのは、そこにも原因があると思うんです」

 菅首相の政治決断で、是非は別にして歴史に残るものがあるとすれば、5月6日の「浜岡原発停止要請」、そして7月13日の「脱原発表明」が含まれることは間違いない。

 「原発事故直後、東電の報告を受けた菅さんが気にしていたのは『本当に情報は全部、おれに来ているのか。都合がいい情報しか上がってきていないのではないか』ということだった。同時に、最悪の事態を考えた。原子炉格納容器が爆発すれば東京がやられると。東京の人口すべてを避難させるすべはない。背筋に寒気を感じ、そのときに、地震が多く狭い土地で人がひしめき合うこの国では原発と共存するのは難しいと心底、思ったと。浜岡原発停止もその流れで、一つ一つものすごく考え抜いて決断している」

 「最小不幸社会の実現」との理念や関連の政策も、激しい「菅降ろし」にかき消されてしまった。

 「在任中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」

 そう言い残し、菅首相は去ろうとしている。

 8月30日、衆院本会議。辻元さんは菅首相と言葉を交わした。「お疲れ様でした。近く市民運動の仲間で一杯やろうよ」とねぎらうと、「やろうやろう」とうれしそうに答えたという。
    --「ザ・特集:「菅首相」なぜコケたか 同じ「市民運動出身」辻元衆院議員が語る」、『毎日新聞』2011年9月1日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/wadai/archive/news/2011/09/01/20110901ddm013010006000c.html

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なんら責任を負う気のない奴隷たちは上司たちに服従するわけだが……

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 なんら責任を負う気のない奴隷たちは上司たちに服従するわけだが、当の上司たち自身も監督すべき事物の量に圧倒されているだけでなく、奴隷たち以上にいっそう広範囲において無責任を決めこんでいるので、労働の遂行じたいにおいても無数の不手際や落度がひきおこされる。
    --ヴェイユ(冨原眞弓訳)『自由と社会的抑圧』岩波文庫、2005年、126-127頁。

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結局の所、この「奴隷根性」が「だましだまし」の自転車操業としての現代を支えているわけだけれども、それは絶えず劣化を招来させる無責任の連鎖に他ならない……ウルトラセブン的に言えば「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」……わけですけども、その「無数の不手際や落度」が前世紀以上にリアリティをもったのが現在。

なにがしかの力あるものは、パンとサーカスで空目にさせようとしますけれども、どこまであらがうことができるのか。

ひとつ試されているような気がします。


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1923年9月1日の吉野作造の軌跡

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 最初に目に着きしは事務室の屋根瓦は一トたまりもなくゆすぶり落される光景也。地上の震動にからだもふら/\する 之は容易ならぬ地震だわいと思ふ間に遙に研究室の二階の上の煉瓦壁、法文科本館の夫れ六畳敷八畳敷位のがボタ\/落ち且所々縦に亀裂を生ぜるを見て頓と度肝を抜かるゝの思あり。
    --吉野作造『吉野日記』一九二三年九月一日。

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1923年9月1日、関東地方をマグニチュード7.9を記録する激震が襲った。ちょうどお昼時であり、折からの強風であおられて各地で火災が発生し、煙火は東京全体に広がった……。

その日その時、吉野作造(1878-1933)……すいません、これは僕の研究対象ですから……は未曾有の災害のなかで、どのように行動したのでしょうか。

その日。
吉野は十時には大学の研究室に出勤。
そして学生の……後にジャーナリストとして名を馳せる……鈴木東民(1895-1979)に頼まれて経済学者・河上肇(1879-1946)への紹介状を書いていたという。現在の岩手県釜石市出身の鈴木東民は、当時、吉野から生活面での援助を受けており、大阪朝日新聞社に就職が内定していた……。

紹介状を書いてから、地震の起こる正午直前。。、
同僚の上杉慎吉(1878-1929)……上杉自体は「天皇親政」論者であり、デモクラシーを説く吉野とは対局のスタンスだったが、両者は友人として親密につきあった……や、日本法制史を専門とする同僚の中田薫(1877-1967)らと昼食をしようと、研究室の建物を出たところで激震が襲った。

吉野はすぐさま、神明町の自宅に戻ったが、自宅は火の手からまぬがれた場所にあり、家も家族も無事。そこでもう一度、大学に向かう。

研究室の資料を整理……しかし、ホントに必要な文献は灰燼に……してから、著書原稿などの重要な書類をカバンにまとめ再び神明町の自宅に戻る・・・。

自宅近辺の火災は二日後にようやく鎮火。
そして、吉野は道を行く知り合いの罹災者に声をかけて自宅に住まわせたという。

時系列でその動きを追跡しましたが……、、、、

なかなかできることではないですよ、ホント。

そして……
震災から三日後の九月四日から二一日までの八回にわたり焦土と化した帝都を歩き回り、倒壊し焼け落ちた瓦礫と死体の焼ける死臭のなかを、知人の安否の確認を求めて歩きつづけた……。

吉野作造の議論は、デモクラシーの制度論としては「カタ手落ち」という批判が数多くあるけれども、僕はそんな批判など容赦しない。

なにしろ、吉野作造は議論はつくりつづけつつも、自分自身で格闘しながら、人々と連帯し、目の前のひとりひとりを大切にした人物だから。

精緻な議論はもちろん必要かもしれません。
しかし、同時に、動くことのできなかった人間だけは信用できませんよ……ネ。
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