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「ポジティヴな意味における自由は、平等な者のあいだにのみ可能」なものだとすれば、

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 自由は、それが触れることのできるリアリティとして存在したときは、いつでもかならず、空間的に限界づけられている。このことは、ネガティヴな自由(リバティーズ)のなかでももっとも基本的で最大のもの、つまり移動の自由のばあい、とくに明白である。国家の領土の境界線や都市国家の城壁は、人間が自由に動きまわる空間を内包し、それを保護した。条約や国際的保障は、市民にたいして、その国の外部にもこのように領域的に限界づけられた自由の広がりを与えてはいる。しかし、このような近代的条件のもとでも、自由と限界づけられた自由の広がりを与えてはいる。しかし、このような近代的条件のもとでも、自由と限界づけられた空間との基本的合致は、依然として明瞭である。移動の自由についていえることは、かなりの程度、自由一般についてもいえることである。ポジティヴな意味における自由は、平等な者のあいだにのみ可能である。そして、平等そのものは、けっして普遍的に妥当な原理ではなく、やはり限界づけを伴っており、空間的眼科医の内部においてのみ適用できるものである。このような自由の空間は、--ジョン・アダムズの用語をそのまま使うのではなく、ただその主旨にしたがっていえば--現われの空間(スペイス・オブ・アピアランス)とも呼ぶことができよう。そこで、もし、この自由な空間を政治的領域そのものと同じであると考えるならば、それは、ちょうど大洋のなかの島か、砂漠のなかのオアシスのようなものに思われるだろう。このイメージは、比喩の一貫性によってばかりでなく、歴史の記録によってもまた、われわれに示唆されているように思われる。
    --ハンナ・アレント(志水速雄訳)『革命について』ちくま学芸文庫、1995年、434-435頁。

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東日本大震災以降、「衣食住」のうち「住」の概念が大きく転換してきている感があります。

愛着・愛郷は尊重されてしかるべきですが、それによってしか判断できない乃至はその他の多様な選択肢を遮断してしまうまなざし(慣習・法体系)は温存されたまま……。

ふうむ。

住み続けることは自由であり義務でも目的でもありません。しかしそれと同じぐらい空間を越境する自由もあるはずなんだけど……ねぇ。

「ポジティヴな意味における自由は、平等な者のあいだにのみ可能」なものだとすれば、まったく不自由な社会なのかもしれませんね、


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