【ご案内】10/22-23:秋期スクーリング,1期B群 東京 『倫理学』
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小津安二郎の「お早よう」の中に出てくるテレビには、彼岸の気配が立ち現れている。兄弟が、家にテレビがないので、お隣りさんに見に行く。ささいなことがきっかけで、兄と弟は家出をする。夜になって、家族が心配する。英語の先生が、街でテレビを見ている二人を見つけて届けてくれる。兄が、廊下に置かれている「ナショナル・テレビ 高性能遠距離用 14型」と書かれた大きな段ボール箱を見つける。とたんに機嫌が良くなって、大人立ちと話しはじめる。弟が、たまらず、フラフープを回し始める。
この場面で、テレビがその中に入った段ボール箱は、間違いなく形而上の世界の気配を伝えている。弟が回す、真っ赤なフラフープにも形而上の世界の気配がある。紙でできた箱だからと、プラスティックでできた輪だからと、バカにしてはいけない。これらの、ごくありふれたものたちをバカにすることで、私たちの精神は油断し、そこに立ち現れている深遠なものを見逃してしまう。
パリのカフェで現象学者から「目の前のコップからも、哲学を語ることができるんだよ」と聞かされたサルトルは、青ざめたと、ボーヴォワールが証言している。目の前のコップから哲学を論じることができるのならば、テレビ・ゲームから普遍を論じても良いではないか。
テレビ・ゲームとは、一体どんな存在なのか? テレビ・ゲームをやるということに伴う主観的体験を、社会的な位置づけなどを意識することなく、ためらいを捨てて曇りのない目で見るとき、そこに現れてくるものは一体何なのだろうか?
そのような問題を考えることは、「真理とは何か」「空間とは何か」「時間とは何か」という問題を考えるのと同じ権利を持って、形而上学の問題である。油断をしていては、そのような大切な問題を考えられない。
生きている人間を前にして、油断してはならない。一見取るに足らないようにも思える、具体的なモノをないがしろにしてはいけない。
--茂木健一郎『脳と仮想』新潮文庫、平成十九年、129-131頁。
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賞罰告知といいますか、定型文といいますか、毎度同じ呼びかけで恐縮ですが、例の如く、アカデミズム底辺の荒涼たる裾野をさまよう氏家です。
開催まで数日になりましたので、告知ということで、、、。
表題のとおり、今週末より、東京で開催される通信教育部の秋期スクーリングにて「倫理学」を講じてきます。
受講される学生さん方がいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお願いします。
で……。
例の如く引き続き定型文のような内容ですが……
できれば……といいますか、学生さん方へのお願いです。
できれば……教材の序論だけでも結構です。必ず読んできて欲しいと思います。
忙しいとは思いますが、目を通さずに、授業に望まれてしまうと、これはきわめて“モッタイナイ”状態です。
是非、宜しくどうぞお願いします。
お互いに気の抜けない過酷な(?)ロードレースをやりましょう!
こちらも万端の準備と仕込みで乗り込んでいきますのでどうぞ、よろしくお願いします。
今回は五十名弱の予定です。
今年は夏のスクーリングもそうでしたが、様々な与件で例年の2/3程度の規模ですが、その分、顔の見える距離ではないかと思います。授業中には寝ることもできない……の贅沢を提供いたします、はい。
眠ることもできないほど最高のフルコースですよ( ・ω・)∩
秋期スクーリングは今回で四回目です。
初回は胸ぐらをつかまれるようなスリリングな展開。
二回目は、ほろりと涙するようなひととき。
三回目は、記憶を失いました(ぇ
今回はどうなるのでしょうかッ!
倫理学の神髄とは「生きている人間を前にして、油断してはならない。一見取るに足らないようにも思える、具体的なモノをないがしろにしてはいけない」ですから……ねぇw
でわ、教室でお会いされる学生諸氏、どうぞ宜しくお願いします。
でわでわ。
脳と仮想 (新潮文庫)
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