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伝統なんてものはない。あんなもん、「過去」の恣意的意図的選択的抽出によって、強者によって明白に「創造/捏造」されたものである。

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 「天皇陛下万歳」
 アジア・太平洋戦争では、洋々たる未来を有し得た日本の若者たちが、そう叫びながら無数に死んでいった。虫ケラのごとく殺された。
 さて、この美しき日本の「伝統」である「万歳」とは、いったい、いつ頃、どのようにして誕生したものなのか。
 『古事記』にも『日本書紀』にも出てこない。光源氏が美女をコマして「万歳」と叫んだ話は聞かないし、関ヶ原で東軍兵士たち西軍兵士たちが「万歳」吶喊を試みたという記録もない。勝利の「祝声」としては、由緒正しい「えい、えい、おうっ」というのがあっただけである。
 弥次さんも言わなかったし、喜多さんも仰言らなかった。近松文学にも歌舞伎にも登場してこない。
 すると、この両手を挙げて「万歳」と叫ぶ日本の「伝統」は、誰かがつい最近に恣意的に意図的にデッチ上げたものなのだ。
 誰が? いつ? なんの目的で?
 日本の「伝統」として自明のものとされる「万歳」は、一八八九(明治二二)年二月十一日に、突然「発明」されたものであった。
 以下その経緯を説明する。
 だいたい江戸の住民にとっては「天皇」とは馴染みのないものだった。それで東京遷都以降、明治新政権は、東京市民を教化(藤岡信勝の言葉を使えば「洗脳」)する目的で、
 「天皇というのは、お稲荷さんより偉いんだ」
 と、喧伝して回ったのだが、これがあまり効果がない。
 天皇が東京市内を馬車で通れば、
 「所きらはず折重なりて(中略)其の喧噪一方ならず」(『読売新聞』八九年一月十二日)
 「一時に右往左往に散乱する」(『朝野新聞』八九年一月十二日)
 「国旗だも掲げず冷淡に観過し」(『朝野新聞』八九年二月五日)
 というありさまだった。
 「国民」の創造に腐心していた明治政府は(「国民」とは恣意的に創造されたものなのだ。これについては、あとで触れる)、「祝声」の制定を試みる。これを統轄したのが文部大臣・森有礼だった。
 西洋には、「祝声」として、
 「ヒップ、ヒップ、ホレーッ」
 というのがある。しかし、
 「天皇陛下ホレーッ」
 というのは、どうもいただけない。
 森は、「奉賀」を提案したのだが、これは連呼すると、
 「ホーガァホーガァー」
 となってしまうので、没。
 紆余曲折の末、帝国大学教授・外山正一の「バンザイ」案が、なんと教授会で承認されたのであった!!
 天皇の慶事に「バンザイ」を唱えることは古代にもあったにはあったらしいのだが、その際は、「バンゼイ」と漢音で発音されて、雅楽「万歳楽」などの「マンザイ」(呉音)と区別されていた。
 蛇足だろうが書き加えると、「万歳」の起源(オリジン)は、もちろん中国で、官吏たちが皇帝に対して、
 「バンゼイ、バンゼイ、バンバンゼイ」
 と九跪三拝したところからきている。
 帝国大学教授などと「偉そーな」肩書きを持っていても、やっていることは、切って、貼り付けただけなのだ。キッタ、ハッタ。つまりヤクザと一緒。
 「天皇前で大声を発するなど不敬きはまりない」
 とする宮内省の強い反対を押し切り、森有礼は「万歳(ばんざい)」を「祝声」として日本に定着させた。
 つまり、天皇の前で、
 「天皇陛下万歳」
 などと叫ぶ奴らは、それまでは、
 「不敬きわまりない」
 ものであったのだ。
 新しい「伝統」の誕生。
 ついでに書くと「理窟をいへば」天皇だけに「万歳」は使うもので、皇后には「千歳(せんざい)」、それ以下には別の言い方があるべきだった。しかしなぜかみな「万歳」となってしまったらしい。この伝でいけば、中曽根康弘サンなんかは、(精神年齢)「十三歳」といったところか。
 「祝声」を政府が勝手に制定したところで、民衆が突然「万歳」などと叫びだすはずもない。そこで帝国大学書記官・永井久一郎たちが、帝大生(!!)を集めて特訓を繰り返した。
 一八八九年二月十一日、『大日本帝国憲法』授与式を終えた天皇の馬車が皇居正門を出ると、整然と列をなした帝国大学生五千余名が、
 「天皇陛下万歳、万歳、万々歳」
 と叫んだのであった。
 ちなみに帝国大学書記官・永井久一郎とは、(あのエロ本書きの)永井荷風のお父っつぁんである。
 こうして、新しい「伝統」は、「創造/捏造」されたのだ。めでたし、めでたし。
 「伝統」にかかわるわたしの疑問とは、以下の通りだ。
 一、「お稲荷さんより偉い」天皇をひと目見ようと、「所きらはず折重なりて」「一時に右往左往に散乱」し「国旗だも掲げず冷淡に観過し」た東京市民のそれまでの「伝統」は、いったいどうしてしまったのか?
 二、「天皇の前で大声を発するなど不敬きはまりない」とするそれまでの「伝統」は、どこへ行ったのか?
 三、なぜ、「西洋」の真似をして「祝声」などあげなければならないのか?
 四、そしてまた、「西洋」の真似をするのが、どうして「日本の伝統」なのか?
 以上。文化国民主義者(カルチュラル・ナショナリスト)たちからの回答をお待ち申し上げます。

 つまり、わたしの理解では、
 「伝統なんてものはない」。
 あんなもん、「過去」の恣意的意図的選択的抽出によって、強者によって明白に「創造/捏造」されたものである。
 「百五十年の伝統を誇る」と言った場合、それはまた同時に、百五十年前までには存在していた「伝統」を破ったということに他ならない。
 誤解のないように書いておくと、わたしは、「弱者の伝統」は条件つきで支持する。話が難しい方向に進むので、ここでは触れないが、これは「弱者」のアイデンティティ構築と絡み合う部分があるからだ。「表象の政治学」である。
 わたしが幸運にも、あと三十年間も生き永らえるとすると、そのうちに『弱者の資本論』全三十六巻を書く。ペンネームは、空飛(そらとび)マルクス。乞うご期待。

 息子は辛い思いをしたのかもしれないが、そこいらへんは仕方がない、とわたしは考えていた。繰り返すが、強者によって作られた「伝統」だとか「習慣」「規範」などは、無視できるものなら無視した分だけ、人間はより自由になりうる。
 「パトリックよ。お前のような奴を、日本では『ハーフ』と言うんだ。つまり『半分日本人』だ。はははは」
 息子は、美味な料理を鯨食馬食。わたしはペタルマのシャードネーを一人で鯨飲馬飲していたので、酔っ払って息子の感情の襞を傷付けるような言葉を吐いてしまった。
 「それは、ちょっと違うと思うな。僕の感覚で言えば、『ハーフ』ではなくて『ダブル』だ」
 と息子は応えた。
 偉いっ!!
 畏れ入った。本当だ。親は阿呆でも子は育つ。助かったね、藤岡さん、小林さん、渡部さん、その他、大勢のおバカさん。
    --森巣博『無境界家族』集英社文庫、2002年、104-110頁。

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別にわたしは、天皇崇拝でも否定でもありませんが、確認しておきたいことがひとつ。

現代の我々が、それを永遠不滅と信じて疑わぬ“自明”の「伝統」なるものの殆どは、--うえの「万歳」の事例でも明らかなように--、極めて近い過去に「間に合わせの」「都合のいい」「創造/捏造」されたものであるという点ということを忘れてはいけないでしょう。

どのような立場を取ろうとも、そのことを把握しないで、それを振り回すのであるとすれば、これこそ軽挙妄動も甚だしいったらありゃアしません。

これを俗に「裸の王様」というのでしょうか……。

そして付け加えるならば、「それは、ちょっと違うと思うな。僕の感覚で言えば、『ハーフ』ではなくて『ダブル』だ」というような柔軟な物事をみるまなざしを兼ね備える必要があるのだろうと思います。

『ハーフ』だろうって反省しない在り方・言い方・決めつけというものが都合のいい「創造/捏造」された伝統を伝統たらしめてしまいますからねぇ。

まあ、「万歳」以外にもたくさんありますよwww


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