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「おまえは味方か、敵か」……って

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 善意をもつということや同情するということは、幸いにして、宗教の繁栄や衰退とは関係がない。これに反して、善なる行動をなすということは、宗教的な命法によってひどく規定されたものである。義務にかなった善なる行動の極めて広汎な部分が、何らかの倫理的価値をももたず、むしろ強制されたものなのである。
 実践的な道徳性は、宗教のあらゆる崩壊に際して、極度に苦悩するであろう。処罰し報償する形而上学は、不可欠なものであるように思われる。
 もしも風習が、強力な風習が、創造され得たならば、いいであろうに! そうすれば、またひとは、人倫性も、もつことになるわけである。
 しかし、風習は、個々の強力な人格者たちの率先によって形成されるものである。
 多数の所有者階級の中に目覚めつつある善意というものを、私はあてにはしていないが、しかしそれを、一つの風習に、旧習に対する一つの義務に、もって行くということは、できるかもしれないであろう。
 これまで教会の建設に用いて来たものを、人類が、教育と学校とに用いるならば、いいであろうに、神学にふり向けて来た知性を、教育にふり向けたならば、いいであろうに!
    --ニーチェ(渡辺二郎訳)「哲学者に関する著作のための準備草稿」、「哲学者の書」、『ニーチェ全集』3巻、ちくま学芸文庫、1994年、247-248頁。

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twitterのまとめで恐縮ですが、やはり大事なので乗せておきます。
ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844-1900)はその事例として宗教の限界を指摘しておりますが、これは宗教だけに限定される問題ではないし、その影響力からいえば、政治的主張や教育や学校、その他の世俗的次元の方が現在ではより深刻であるという点は先に断っておきます。

さて……。
まじめになやみながら生活と格闘している後輩が、同輩から「おまえは仲間かそれともアンチか」っていうようなお話にもならないような恫喝を受けてしまったとのことで、僕もぶち切れてしまった次第。まじめになやみ考え模索している人間を頭ごなしに否定する感性にあきれた……。

たしかに生命そのものに対する敵は歴然として存在すると思う。
だからそれに対して全力で戦っていかなければならないし、立場を越えて連帯する必要がある。

しかしそれに対する異議申し立てというものが時を経るにつれて、お前はこれに賛同するのかどうかという二者択一が当初の問題意識より「重要事」となってしまい、イエスかノーかを迫る査問になってしまうことが、人間の世界にはよくある。

しかし、これはいけない。

様々な高等宗教は、生命そのものを「無」としてしまうものを「サタン」だとか「第六天魔王」とか表象し、その特質を、人間…そして人間の生きている世界・森羅万象そのもの……の敵とみなした。

くどいのだが、これに対しては全力で立ち向かうしかない。
しかし愚かな人間は、立ち向かうなかで、立ち向かうべき相手のことを忘れてしまい、仲間内での魔女狩りに奔走してしまう。

要は「おまえは仲間かそれともアンチか」ってネ。
そんな貼附で人間なんて判断できないし、世界を理解することなんてできゃアしない。

正味のところまったく、冗談じゃねぇよって話しですよ。

大切にすべき人間、生命、そしてそれの住まう環境を無視した「排除の論理」には僕は、それがどのような清き清しいスローガンを掲げるものだろうとも、賛同することはできない。

それで苦しむ仲間もいるんだ。わかるか!

「あなたはアンチですか」だと、バカにするな!

日頃からこうしたところは大切にしているのだけれども、その自由さ?に対して「アンタ、大丈夫か」ってよく聞かれる。

だけど、それもよけいなお世話と申し上げたい。

どのように高邁な志をかかげようとも、内心をコントロールしようとする暴挙には、僕は組みすることは出来ないってことです。

目的と手段の転倒、そして準拠する認識枠組みに盲目であることが悲劇を生みやすいし、欺瞞となる。

「おまえは仲間かそれともアンチか」って他者を尋問するまえに、自分自身に対して聞けって話しですよ。

「アンチか」って迫る態度なんてまさに前々世紀の壮士気取り……。

博物館にでも「ご安置(アンチ)」したいところです。


さて……。

ヴォルテール(1694-1778)の有名な言葉、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というのを生きる上での大切な格律の一つにしているけれども、最近、それを維持し続ける困難さを痛感する。

時代に試されていると思うけれども、僕は負けたくはない。


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