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覚え書:「今週の本棚:張競・評 『仏教、本当の教え』=植木雅俊・著」、『毎日新聞』2011年11月6日(日)付。

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今週の本棚:張競・評 『仏教、本当の教え』=植木雅俊・著
中公新書・840円
 ◇原始仏典の精読にもとづく宗教文化論

 アメリカで信仰のことを聞かれたら、口が裂けても無宗教とはいえない。道徳心がないと見なされ、人格を疑われてしまうからだ。そんな場合、仏教徒です、と逃げまくるのが得策だが、もし仏教のことを少しでも聞かれたら、多くの人が冷や汗をかくであろう。
 日本では仏教は身近な宗教だが、基本的な知識でも知らないことが多い。キリスト教にはバイブルという正典があるのに対し、仏教は経典が多い。おまけに文章が回りくどくてわかりにくい。こと漢訳の仏典はまるで謎の記号で書かれている呪文のようだ。
 そんな苛立ちを感じる人にとって、本書はわかりやすい入門書になる。しかも、従来のように、基本的な教義、主な宗派を羅列的に紹介するのではない。仏教の原点に立ち戻って、原初の宗教精神から説き起こしている。さらに、中国と日本における受容を振り返り、最後に、日本、インドと中国の文化と関連しながら、三つの文化における仏教の特徴について分析を行う。
 原始仏典の教えを読むと、これまで知られている仏教とかなり違う世界が見えてくる。万人の平等を唱え、迷信を否定する。女性差別をせず、呪術的な儀式を批判する。原始仏教についてはこれまであまり多く知られていない。専門家向けはいざしらず、一般読者を対象とする書物についてはそういう印象がある。著者はそこに着目し、近年発見された資料を生かして、いままであまり語られていないことを紹介している。
 最大の特徴は、論拠として引用された仏典はすべてサンスクリット語の原典にもとづいていることである。新発見の資料はいうまでもなく、すでに漢訳された経典についても、必ずサンスクリット語のテクストと綿密な照合を行っている。一句ずつ精読し、文中の単語については、逐一その品詞類と語根と格を検討し、文脈との関係においてその意味を徹底的に吟味する。釈迦が生きている時代の教義を復元することで、仏教のイメージが一新された。
 バラモン教をはじめ、当時の既成宗教に対する疑問と批判は仏教誕生の一つの背景となる。インドの民族宗教が社会的な階層性を容認し、差別に加担していたのに対し、原始仏典の言葉が示したように、新生仏教は出身階級よりも人間の行いをより重視する。そうした指摘は仏教の起源を知り、その多様性を理解するのに役に立つ。欲を言えば、釈迦が入滅した後の展開についてもう少し触れてほしいが、仏教について、無常、無我、涅槃の三題噺に終わるのではなく、釈迦が何を唱道していたかは、現代的な考えに置き換えて新しい解釈が試みられている。
 漢訳における仏典の変容には面白くも驚くべきものがある。原音を写した語には難解なものが多く、一旦、漢語に直されると、音写であることが忘れられ、古文の表現にこじつけて解釈されることが多い。
 故意の改竄も少なくない。原典では「母と父」という順番になっているところは、漢訳のなかで儒教倫理に合わせて、「父と母」のように改変された。甚だしくは、仏典のなかの片言隻句を取り出し、漢文の文脈に沿って訓詁学的な注解が行われている。
 日本では漢訳仏典を通して仏教を受容したのだから、最初からまちがいの多い版本に依拠している。しかも、中国と同じに、漢訳された仏典の漢語を日本語ふうに理解していたから、いわば二重の誤謬を犯している。
 著者はたいへんな努力家で、サンスクリット語をはじめ、複数の語学を習得している。従来の仏典翻訳と解釈から満足のいく説明がえられなかったため、壮年にして一念発起し、主要な経典の翻訳を思い立った。研究の環境と時間に恵まれた専門家にとっても困難の多い挑戦だが、著者は余暇を利用し、二〇〇八年に綿密な注釈をつけた『法華経』を新たに訳出した。さらに、今年の四月に岩波書店から『維摩経(ゆいまきょう)』の現代訳を出すという離れ業を見せた。

 翻訳の苦労は本書でもその一端が披露されている。鳩摩羅什が「妙音」と漢訳した菩薩の名前がある。サンスクリット語ではガドガダ・スヴァラ(gadgada-svara)だが、ガドガダは擬声語で「吃音」を、スヴァラは「音」「声」を意味する。「吃音」がなぜ「妙音」と訳されたのかは長いあいだずっと謎とされてきた。著者も最初は手こずっていたが、答えが出ないまま辞書を何気なく眺めると、二十行ほど上に「明瞭に話す」という意味のgadという文字が目に飛び込み、鳩摩羅什がなぜ「妙音」と訳したか、疑問が氷解した。粘り強い努力が報われる瞬間を語った好個のエピソードである。
 本書の帯に「壮大な伝言ゲームの果てに」という名コピーがある。振り返ると、仏教の解釈史は確かに壮大な誤解の歴史といえるかもしれない。そうした誤訳、誤読、誤解のすべてを解くには多くの人たちの、たゆまぬ努力が必要である。原典の翻訳も含め、著者による一連の仕事はそうした誤解を解くための、意味深い第一歩となるであろう。
    --「今週の本棚:張競・評 『仏教、本当の教え』=植木雅俊・著」、『毎日新聞』2011年11月6日(日)付。

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