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覚え書:「語る:加藤陽子さん 『昭和天皇と戦争の世紀』を刊行」、『毎日新聞』2011年11月10日(木)付。

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語る:加藤陽子さん 『昭和天皇と戦争の世紀』を刊行

 ◇不本意だった開戦…心情探る
 昭和天皇をテーマにした書籍が、相次いで刊行されている。戦後生まれ、気鋭の研究者による力作ぞろいだ。『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社)を著し、謎の多いその人物像に迫った加藤陽子・東京大教授に聞いた。【栗原俊雄】

 日本史を歴代の天皇から読み解くシリーズの第8巻。主に大正期の皇太子時代から第二次世界大戦の敗戦までを振り返っている。
 序章「焦土に立つ人」の項目でまず、昭和天皇の前半生を俯瞰する。皇太子時代に視察した、第一次世界大戦で荒野になったヨーロッパ。関東大震災後の焼け野原。そして国破れた第二次世界大戦。天皇が激動の時代を生きたことが、改めて分かる。
 大正期、発達したメディアなどによって皇太子は広く国民に親しまれた。加藤さんはその露出を、牧野伸顕宮内大臣ら宮中グループの意図とみる。「普通選挙などデモクラシーの機運は高まっていましたが、小作農民や労働者に対する社会政策は不十分だった。国民の不満を吸収するものとして、皇太子の人気を利用しようとした」のだ。
 本書は続いて、なぜ“勝ち目のない”太平洋戦争に踏み切ったのか、という、昭和史最大の謎に迫る。
 1941年の開戦前、対米交渉の延長を模索する政府と、陸海軍強硬派の綱引きが続いた。「欧州視察で戦争の悲惨さを実感していた天皇は、戦争を避けたがっていました」。軍部は説得にかかる。海上補給路を確保する船舶確保の見通しなど都合のいいデータをそろえ、陸海軍ともに勝算あり、と主張した。「天皇は説得されてしまった。情報は軍部が握っており、それを覆すだけのデータは、天皇にはありませんでした」
 「政治と軍事が衝突したとき調整するのは天皇の役割」と規定する。「例えば1893年の建艦詔勅です(※注1)。対立する政府と政党に妥協を促しました」
 こうした「天皇の利用のしどころ」を、伊藤博文ら国家をつくった人々は心得ていたという。明治天皇には伊藤や山県有朋ら、維新を成し遂げた超重量級の政治家、軍人がいた。しかし戦前には、テロと暗殺が相次ぐ。「井上準之助、団琢磨、犬養毅、斎藤実、高橋是清ら……。生きていれば議会や軍、財界の要となっていた人材が倒れたことも大きかった」。1940年、元老として昭和天皇の後見役だった西園寺公望が死去。「その後、昭和天皇は個人として歴史を動かさざるを得なかったのです」
 対米関係の緊張が高まった41年7月2日から12月1日までの間に、「御前会議」(※注2)が4度開かれた。9月6日の会議で、昭和天皇は異例の行動をとる。「四方(よも)の海皆同胞(はらから)と思ふ世になど波風の立騒ぐらむ」という明治天皇の「御製」を読み上げた。非戦を望むメッセージだった。
 「読み上げるだけでなく、例えば『(戦争を回避しようとしていた)近衛(首相)に従え』と、はっきり言うべきでした。天皇の意思が公の場ではっきり示されれば、軍の首脳といえども、ないがしろにすることはできなかったはず」
 昭和天皇の戦争責任を巡っては長年、議論が続いている。本書では政治学者、丸山眞男らの言葉を引き、その責任を浮き彫りにする。内大臣として天皇を支えた木戸幸一が敗戦後、退位を主張していたことにも触れた。
 加藤さんの立場がどこにあるかは、明らかだ。なぜ、自らの言葉で責任を問わなかったのか。「昭和天皇にとって、戦争は本当に不本意だったはずです。その心情を思うと……」と、非戦を望んでいた君主を思いやった。

  ×  ×  ×
 近年、「富田メモ」など昭和天皇をめぐる史料が明らかになった。それに呼応して、今年は古川隆久・日本大教授による『昭和天皇』(中公新書)や伊藤之雄・京都大教授の『昭和天皇伝』(文藝春秋)などの評伝が相次ぎ刊行されている。いずれも、かつてのように天皇の戦争責任の有無だけを問う筆致ではなく、史料に基づいてその歴史的評価を試みる仕事だ。
 「恩讐のかなたに、ということもあるでしょうか」と加藤さん。戦争で多くの人が辛酸をなめた昭和だが、時の流れとともに研究者が総括を進める環境が整ってきた、ということだ。
 これまでの仕事と同様、1次史料から過去の基礎研究はもとより、若手の最新研究にまで幅広く目を向け、取り込んでゆく。400字詰め原稿用紙で700枚分。しかし、戦後40年以上におよぶ天皇の後半生には、言及が少ない。
 講和問題や沖縄返還との関係、政治家による「内奏」の問題……。75年10月の会見で、広島への原爆投下について「戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています」と語ったことなど、難解ではあるが論ずべき点がたくさんある。躊躇(ちゅうちょ)しましたか、と問うと「もちろん戦後憲法の下での天皇も書きたかったんですが、分量オーバーで。続編が必要ですね」。

 ※注1
 第2次伊藤博文内閣は軍事予算を巡り、衆議院で多数を占めていた民党と対立。明治天皇が宮廷費削減などを約束しつつ、軍備拡張について議会は政府に協力するよう求めた。詔勅を利用した、伊藤の議会政策。
 ※注2
 政府と軍部の首脳が集まり天皇臨席のもと、国策を決定するもの。御前会議の前に開かれる、首相や陸海軍首脳らによる「大本営政府連絡会議」(一時期は「大本営政府連絡懇談会」)で決まった内容を天皇が追認する場であり、天皇は発言しないのが慣例だった。

人物略歴 かとう・ようこ 1960年、埼玉県生まれ。専攻は日本近代史。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で小林秀雄賞を受賞。
    --「語る:加藤陽子さん 『昭和天皇と戦争の世紀』を刊行」、『毎日新聞』2011年11月10日(木)付。

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» 朝日は沈む・加藤陽子東大教授のインタビュー記事 [罵愚と話そう「日本からの発言」]
 開戦記念日の朝日新聞オピニオン面で小沢智史記者が東大の加藤陽子教授にインタビューしている。“歴史修正主義者といわれる人たちは”などという言葉が質問中に出てくるあたりに朝日の体質がにじみ出るインタビューなんだが、それ以上に面白いのは加藤の「30.40年代の日本の空気は、いまの中国に似ているように思います。中国は環境・資源・資源・貿易・資本のルールを押しつけてくる米国にいらだっている」という部分だった。  “歴史修正主義”ってなんだろうか?“歴史修正主義者”ってだれのことだろうか? の疑問...... [続きを読む]

受信: 2011年12月 9日 (金) 08時33分

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