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「他人の目で[私たちの感情と信念を]観察する、あるいは他人からそれを眺めるであろう方法を心がける」必要

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 孤立した社会のなかでは、完全に「正常」で「良識ある」ものだと思われている習慣でも、幅広い根拠にもとづいて、あまり制約を受けないかたちで検証されると、生き残らないかもしれません。本能による偏狭な反応がひとたび批判的な精査に代わり、世界各地の慣習と規範にさまざまな違いがあることがよく認識されるようになった場合、にはそうなるでしょう。
 一定の「距離」をおいた精査は、さまざまな慣習を検討するうえで何かしら役立つのではないでしょうか。それは、たとえば、タリバン政権下のアフガニスタンでの姦通女性にたいする石たたき刑から、アメリカの一部の州で(ときには大衆に歓迎されながら)、死刑が頻繁に執行されていることまで、じつに多様な慣習が対象となります。これこそ、アダム・スミスが「刑罰が確かに公正か」どうかを知るために、「他の人間の目」に照らしてみなければならないと主張したような問題なのです。結局、道徳面からの批判的な精査のためには、「他人の目で[私たちの感情と信念を]観察する、あるいは他人からそれを眺めるであろう方法を心がける」必要があるのです。
 国境を超えた双方向の交流の必要性は、裕福な社会にとっても、貧しい社会にとっても重要です。ここで気をつけなければいけないのは、国境を越えた精査が容認されているかどうかではありません。ある地域だけに限られた道徳感情であっても、それを厳しく評価するには、そうした精査が必要、ということなのです。
    --アマルティア・セン(東郷えりか訳)「人権を定義づける理論」、『人間の安全保障』集英社新書、2006年、177-178頁。

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「人権を定義づける理論」という所論の中でアマルティア・セン(Amartya Sen,1933-)が「完全に「正常」で「良識ある」ものだと思われている習慣でも、幅広い根拠にもとづいて、あまり制約を受けないかたちで検証されると、生き残らないかもしれません」とボソッと言っていることは、地域的・文化的な特殊性に限定される問題ではないのかも知れませんね。

さまざまな習慣・慣習は、それを無批判に受け入れることで成立していますが、「習慣だから」「慣習だから」“許される”“シカタガナイ”ものばかりなのかどうかは、それを受け入れる場合においても、精査することは必要かも知れません。

その辺りをスルーしてしまうことで、本来、問題であることが「そんなことは問題ではない」……って裏付けのない否定として機能してしまうわけなのですが……。

精査のうえ、それを受け入れるのか・受け入れないのかは「次のステージ」の問題です。しかし、精査することは必要不可欠だと思うわけなんですけどねぇ。

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