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知性の一面的な訓練は、しばしば分業的な技術に導くこと、またかえりみられなかった非合理的な心の衝動にとつぜん反作用をおこさせるおそれがある

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 第三帝国に先立つ時代のこの観察者は、次のように語った。大学でりっぱな専門教育をうけてきた技術家、技師等々は、十年ないし十五年間は自己の職業にまったく献身的に専念し、脇目もふらずにひたすら有能な専門家になろうとする場合が、現在非常に多い。やがてしかし、三十代の中ごろないし終わりころになると、かれらが以前には決して知らなかったあるもの、かれらが職業教育をうけたさいにもかれらにはまったく近づかなかったもの--おさえつけられた形而上的要求と呼んでよいもの--が、かれらのなかで目をさます。そしていまやかれらは、なにかある特殊な精神的な仕事に、すなわち、国民のあるいは個人の幸福にとってとくに重要であると自分に思われるところの、ちょうど流行しているなにかある事柄に--それは禁酒論でも、土地改革でも、優生学でも、神秘学でもよい--はげしい食欲をもって身を投ずる。そのとき、従来の分別ある専門家は、一種の予言者に、熱狂家に、あるいはそれどころか狂信家や偏執狂に変化する。世界改革者の類型はこのようにして発生する、と。
 ここにわれわれは、知性の一面的な訓練は、しばしば分業的な技術に導くこと、またかえりみられなかった非合理的な心の衝動にとつぜん反作用をおこさせるおそれがあること、だがしかし、批判的な規律や創造的な内面性をそなえた真の調和をもたらすのではなく、いまや荒々しくかつ際限なく広がるあらたな一面性に導くことを、知るのである。
ナチス指導者の多くのもののなかには、この類型が認められると思う。たとえばアルフレッド・ローゼンベルクは、技術家として出発し、その後、かれが『二十世紀の神話』のなかで世界に布告したあの粗野な歴史哲学的複合物にとびついたのであった。
 もっとも、技術的な職業がつねに世界改革者の陶酔に先立つ必要があるとはかぎらない。熱した頭と独学の創作本能と名誉心をもつ人間もまた、技術的に規格化されたこんにちの労働作業にむりやり押しこまれるならば、心と環境のあいだのこのような衝突のなかで、内心の均衡をかんたんに失い、炎々と燃えあがる可能性がある。とるにたらぬ製図家であり水彩画家であったヒトラーは、かつて建築工事で働いて自己の貧しいパンを得なければならず、そのさい自己のユダヤ人にたいする憎悪を、救世の熱情をもって一つの世界観にまで育てあげたのであったが、このヒトラーは、このような一例である。
    --マイネッケ(矢田俊隆訳)『ドイツの悲劇』中公文庫、1974年、65-66頁。

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オウム真理教による一連の事件の公判が11月21日の今日、全て終わった。

結局ははっきりしないまま結審したというのが実状であることは誰の目からも否定できないし、その問題点の指摘を積み上げるだけで……もちろんその指摘には混交玉石という状況だし、どちらかといえばやや針小棒大なものが大多数を締めることも事実……山のようになるから、今更、新しい論点も何もないんだけど、気にとめておかなければならないのは、これは、決して「過去にあった事件」ということだけで「片づけてはならない」んだろうとは思う。

嚆矢から見ればおよそ20年来の問題ということになるのでしょうが、自分自身が生きている環境そのものは、その時代とエートスもシステムも殆ど代わりがない。基本的には「脇目もふらずにひたすら有能な」人材育成を目指す治育という意味では。

もちろん「脇目もふらずにひたすら有能な」人材を育成していくことは必要なんだろうけれども、それが人間の幸福に直結するのか……っていう眼から見た場合、やはり疑問を抱いてしまう。

「脇目もふらずにひたすら」走り続け、ふと立ち止まったときに、闇に転落しないという保証はどこにもない。

「脇目もふらずにひたすら」走り続けることは大事だけれども、走り続けることは不可能だから、ときどき立ち止まることはある。しかし立ち止まったときの「省察」を誰も教えてくれないし、立ち止まる行為すら疎まれるのが現在の社会認識。

思い起こせば……マイネッケ(Friedrich Meinecke,1862-1954)の『ドイツの悲劇』からで連投で恐縮ですが……、こんな話しは、オウムだけに限ったわけじゃないんだど、理性か感情か、知か無知か、合理か非合理か……って二者択一しか選択できないところに、大きな落とし穴があると思うんですが、なかなかやりきれないといいますか、考えること自体を拒むような圧倒感に涙目ですね。

しかし、まあ、いいや……ってする訳にもいかないわけなんだけど。。。

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