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覚え書:「大震災後の12・8 成田龍一」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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大震災後の12・8 成田龍一
いま「切れ目」の検証を

 東日本大震災があった今年、70年目の12・8を迎える。70年前のこの日、いったい何があり、歴史的にどのような意味をもつのか。このことは、これまで繰り返し考えられてきた。「戦後」という時間は、この追及に充てられてきたといっても過言ではなかろう。

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 1941年12月8日にアメリカ、イギリスとの戦闘が開始されたとき、同時代の多くの人びとは衝撃を受け、戦争の新たな切れ目を見出した。新聞が忙しく「専横」を報道するなか、中国文学者の竹内好は、いまや日本は「強者」に立ち向かったと述べた(『中国文学』42年1月号)。竹内はのちにここに、戦争への抵抗から協力という「心理の屈折の秘密」を見出した。「世界史的立場と日本」という高坂正顕、鈴木成高らによる座談会も、ヨーロッパ近代と異なる日本を主張し、あらたな戦争の哲学を探るものであった(『中央公論』42年1月号)。
 こうした戦争をめぐって、戦後には、アメリカ、イギリスなど連合国との戦闘に至る道筋ーー回線の原因を、外交的な観点から探ることから考察がはじまる。「太平洋戦争への道」という共同研究が60年代はじめに出されたが、そのタイトルは、こうした問題意識をよく示している。
 他方、軍部の横行に力点を置く戦争の考察も出される。この考え方からすれば、12月8日は、それ以前の中国との関係において把握される。日中戦争から太平洋戦争への流れと把握し、満州事変以来の戦争像を示すことになる。「十五年戦争」という提起が、評論家の鶴見俊輔によってなされ、70年代以降の歴史学界の多くはこの見解に立った。ここでは、満州事変のきっかけとなった9月18日が強調される。

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 9月18日と12月8日。ともに、戦争の刻印する日であるが、その強調のしかたによって戦争像が異なってくる。ここで意味されるのは、「戦時」としてひとくくりにまとめあげずに、その切れ目を問うことである。同時代の衝撃を探ることは、戦時の蹉跌を性急に総括しようとした戦後の営みの再検討に通ずる。
 戦時は、ともすればひとくくりにされがちである。戦後における戦争への緊張感のなかでは、この認識も必然性を有していた。しかし、冷戦体制が崩壊したいま、東アジアのなかでの日本を考えるにつけ、あらためて12月8日の意味が浮上する。この日は、日本が、ヨーロッパ、アメリカの勢力を追い払うと言いつつ、自らの支配を画策し、アジアの国々にあらたな不幸を強いた、はじまりの日でもある。植民地認識とあわせ、大東亜共栄圏をめぐる諸問題も、いまだ過去のものとはなってはいない。アジアとの関係を考えるためには、この観点かrなお12月8日も検討されなければなるまい。
 こうした検討は、「戦後」における戦争の総括、戦争像の作り方を介して、戦後の切れ目を確認することにも連なっている。東日本大震災による戦後の切れ目もまた、戦争の捉え方の反省と連動していこう。12月8日に着目することは、その手がかりとなるはずである。
なりた・りゅういち=日本女子大学教授、日本近現代史。
    --「大震災後の12・8 成田龍一」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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