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覚え書:「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/下 語り継ぐ責任、若者にも」、『毎日新聞』2011年12月8日(木)付。

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白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/下 語り継ぐ責任、若者にも

体験ではなく想像力の問題。平和な時代に生まれたからこそ
「習わなかった歴史」の案内役に 戦争体験者の声を記録
 電灯に黒い布をかぶせた、うす暗い部屋。「ここに1発の焼夷弾が落ちてきたら、逃げられるだろうか」
 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)の展示室。戦時中の灯火管制下の暮らしぶりを再現した3畳間で、石橋星志さん(29)は高校生に語りかけた。考え込む生徒たちに再び問いかけた。
 「当時は1メートルくらいの竹の先に荒縄を付けた、大きなはたきで火を消すように言われていた。あたりは火の海なのに、消せるかな」
 「えー、無理でしょ」。展示品の火たたきを手にした生徒から、声が上がった。
 明治大学大学院で日本の近現代史を研究する石橋さんは、同センターのスタッフでもある。修学旅行や社会科見学など小中高生を中心に年約1万人が訪れる。高熱で溶けた瓦、焼け焦げた子どもの着物……。数々の資料を「関心を持ってもらえるよう、例えを入れて説明しています」。
 近現代の戦争に興味を持ったのは、中学生のころだ。学校の図書室で日中戦争や太平洋戦争について書かれた本を読み、「習わなかった歴史がある」と漠然と感じた。大学受験では、日本の近現代史が専門の大学教授に会い、志望先を決めた。
 石橋さんは戦争遺跡ガイドの顔も持つ。慶応大学日吉キャンパス(横浜市)の地下に張り巡らされた、海軍連合艦隊司令部の地下壕で月1~2回、見学客を案内する。市民団体が主催するガイド養成講座を受講し4年前から始めた。壕には作戦室や電信室があった。米機に撃沈された戦艦大和や、敵艦船に体当たりする特攻機から通信が入り、戦況が手にとるようにわかった。
 見学に訪れた小学生の中には、探検気分の子もいて、キャアキャアと楽しげな声が響くこともある。石橋さんは静かに切り出す。
 「沈んでいく戦艦大和からの通信を、ここにいた人が涙を流しながら聞いていたんだって。大和の通信兵は、死ぬまで連絡してこいと命令されていたんだ」
 子どもたちは静かになり、石橋さんをじっと見つめる。「ここに来たことを覚えてくれていればいい。何らかの形で将来、平和の種が芽吹けば」と願う。
 そんな石橋さんも以前、「自分の思いは届いているのだろうか。戦争継承は自己満足ではないか」と迷っていた。22歳のときに映画監督の黒木和雄さん(故人)と出会い、気持ちが固まった。
 黒木さんは「美しい夏キリシマ」や「父と暮せば」などの作品で、戦争と日常を描いてきた。当時石橋さんは毎日新聞紙上(東京本社管内)で学生がつくるページの記者をしており、取材で黒木さんに会った。「戦争は体験したかどうかではなくて、想像力の問題です」。そう言われ、体験していない自分たちも伝えていけると感じた。将来研究職についても、ガイドは続けたいと思っている。

   ×  ×
 父方の祖父は満州に行っていたが、体験は聞いたことがない。小学生の時に訪ねた広島の原爆資料館は「怖かった」という印象しかない。戦争に興味はなく、政治的なことにも関わりたくなかった。
 そんな同志社大4年生の伊藤信和さん(22)は2年前、「戦争を語り継ぐ活動をしたいので協力して」と、大学の講師を通じて京都の経済人クラブ代表世話人から頼まれた。迷ったが「社会を知り、自分の成長にもなる」と引き受けた。
 伊藤さんら京都市内の大学に通う学生が中心となり昨年1月、平和の尊さを次世代へ伝えるプロジェクト「きょうから始まる温CO知新」を設立した。伊藤さんは学生代表を務めた。戦争体験者にインタビューして映画を作ることになったが、資金がない。
 伊藤さんは企業や団体を回り、協賛金を募る「縁の下の力持ち」を務めた。授業の合間に100社近くに電話をかけ、手紙を出した。会って話を聞いてくれたのは30社ほどだ。
 きつい「仕事」ができたのは、元特攻隊員で茶道裏千家の前家元、千玄室さん(88)との出会いがあったからだ。同志社大出身の千さんは昨年6月、沖縄での海上慰霊祭に後輩の伊藤さんらを招いてくれた。
 千さんが海軍に入隊し、特攻隊員になったのは伊藤さんと同じ年ごろだ。仲間が出撃する直前、千さんは茶をたててふるまったという。多くの若者が眠る海に茶をささげ、肩をふるわせて泣く千さんの背中を、伊藤さんは見た。
 「当時の若者は描いた夢をかなえられずに死んだ。君たちには夢をかなえてほしい」。その後、京都市内での講演で千さんの思いを聞いた伊藤さんは、選択の余地なく死んでいった人たちの気持ちを知り、恵まれていることを認識した。
 千さんに生かされた責任があるなら、自分たちは平和な時代に生まれたからこそ果たす責任がある。訪問先の企業で思いを語り、約20社から協賛を得た。
 「戦争体験者の声を子どもたちに伝えたい」。完成した映画を教材に、京都市内の中学校で授業もした。米軍の攻撃で沈没し、多くの子どもが亡くなった学童疎開船「対馬丸」に乗船していた男性の映像を見せた。
 「同じ年ごろの子どもたちは、おぼれながら何を思ったのだろう」。そう問いかけ感想を書いてもらった。真剣に取り組む中学生を見て、平和を考えるきっかけ作りができた、と感じた。
 「高齢化する戦争体験者の肉声を、直接聞ける最後の世代」。伊藤さんは自分たちをこう表現する。戦争を知らない世代から、より若い世代へ。白いハトを高く、遠くへ羽ばたかせる試みは続く。【木村葉子】
    --「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/下 語り継ぐ責任、若者にも」、『毎日新聞』2011年12月8日(木)付。

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