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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『負けんな、ヤルキキャンプ』=光安純・著」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『負けんな、ヤルキキャンプ』=光安純・著


 (角川書店・1575円)

 ◇やる気と過激のボランティア奮闘記
 ニューヨークにいた一人の若い日本人が震災のニュースを聞いて、帰国しようと思った。

 もともとはテレビ業界に身を置き、渡米してからもフリーで同じような仕事をしていた。日本に戻って民放の取材クルーに入り込んだが、なんか違う。被災者にカメラが向けられない。

 友だちと一緒に陸前高田の『復興の湯』という急ごしらえの浴場でボランティアとして働くことになった。日々みんなの役に立つ仕事だが、とんでもない重労働。これが四月から五月にかけてのことだ。

 その後、彼はあるスポンサーからボランティア活動の拠点となる小屋を建てなさいと言われる。考えてではなく流れとノリでそうなってしまった。

 ずっと自由勝手でいたいけど、グループとしては名前くらいあった方がいいか。メンバーに共通するのは「やる気」だけだからというので、「ヤルキキャンプ」と名乗ることにした。仲間には全壊被災者も入って、外来と地元の混成旅団。

 最初は河川敷に掘っ立て小屋を造るくらいのつもりだったのに、なぜか話がどんどん大きくなった。プレハブと思っていたら、提供されたのは立派な家一軒分の材料だった。柱と梁と棟と垂木(たるき)がある本格建築である。はっきり言って素人の手には負えない。

 これは六、七人の若い男たちが集まって、大広間と厨房の他に二畳足らずの個室が十一室あるという奇妙な家を建てるまでの奮闘の記録である。

 ボランティア活動の報告をぼくはいくつも追ってきた。中でもダントツにおもしろいと思った「ヤルキキャンプ」のブログが鮮度を保ったまま本になった。「片付ける」が多い中でこれは「建てる」話だから姿勢が積極的だし、波瀾(はらん)万丈の日々に引き込まれる。

 「オレは現場でも裸足にサンダルで作業する。ヒゲ面ユンボは白いタオルを頭に巻き、デビしゃんは金髪をツンツンに立てている。目つきの鋭いオカちゃんは細マッスル、長身のタクヤは無駄にサングラス。みんな真っ黒に日焼けして、どうやってもまっとうなボラには見えない軍団だ。他のボラと一緒に出動すると、いつの間にかオレたちの周りだけ人がいなくなる」という具合。

 この癖の強い連中の上に次から次へと難題が降りかかる。いちばんの難題は何もかもが初めての体験だということ。専門の大工がいなくて果たして真っ直(す)ぐな家が建つか?

 初めてと言えば、彼らを取り巻く現地の人々にとっても津波の被災は初めての体験だった。みんなそれぞれの立場で動くのだが、きれい事ばかりではない。誠意と思惑、なかなかのバトルが隠れている。重労働と物資調達、口論と自問自答、しかし達成感のある過激な日々。

 そして、十月二十九日、家は落成式を迎えた。できたのだ。

 震災後の日本を今になって振り返ってみると、被災しなかった地域が被災地を言いくるめてきたように思える。「絆」とか「一緒にがんばろう」って、白々しくないか。こういう場合に偽善が混ざらないようにするのはむずかしい。ボランティアだって善意だけでは動かない。自分探しでは続かない。

 これが営利目的ならば悩むことはないのだ。営利は資本主義日本の国是である。ボランティアにはそれがないから、問題一個ごとに考えて、「いまのオレたちって、社会的には何者扱いなんだろう」と戸惑いながら前へ進む。

 被災地の矛盾を体験的に書いて、それでも読んでいてすごく楽しい。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『負けんな、ヤルキキャンプ』=光安純・著」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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