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2011年12月

覚え書:「米保守革命:第2部・福音派の力」、『毎日新聞』まとめ

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米保守革命:第2部・福音派の力/上 共和党指名争い第1弾、アイオワ州


 米大統領選の共和党の候補者選びが来年1月3日の中西部アイオワ州の党員集会から正式に始まる。保守的な土地柄のアイオワ州などでは、人工妊娠中絶への反対などを掲げるキリスト教右派の福音派の影響力が大きい。保守派候補にとって、いかに支持を取り付けるかが勝敗を分ける。「米保守革命」第2部では、予備選の行方を左右する福音派の動向を現場から報告する。【デモイン(アイオワ州)で古本陽荘】

 ◇「神の言葉」への忠誠 キリスト教右派、結束固める
 デモイン郊外にある多目的ホール。今年10月、約1000人のキリスト教関係者が州内各地から集まった。

 「現在の指導者(大統領)は国を堕落に導いています。父なる神よ。どうか真のキリスト教徒である指導者が当選するよう、お助けください。あなたの言葉に従って国を導く指導者が必要です。アーメン」

 牧師が呼びかけ、参加者全員が祈りをささげる。会場では大統領選と宗教が分かちがたく結びついていた。集会は「アイオワ信仰と自由の連合」というキリスト教右派の非営利団体が共和党大統領候補を招いて開いた演説会だ。参加者は「福音派」と呼ばれるキリスト教右派の信者のうちアイオワ州内で政治的な発言力のある大立者たちだ。

 集会には後に撤退表明した黒人実業家のハーマン・ケイン氏も含め6人の大統領候補が駆け付けた。民主党のオバマ大統領が容認した妊娠中絶や同性愛者同士の結婚に自分がどれだけ反対してきたかを力説し、「我こそ福音派の価値観を体現している」と競い合った。ギングリッチ元下院議長やサントラム前上院議員らは集会閉幕まで残った。

 なぜ大統領選で宗教が大事なのか--。集会に参加していた外科医のニール・ソーカルさん(52)は「アメリカは多民族国家だが、キリスト教の原理で建国された国家だ。大統領になる人は本当のキリスト教徒でなければ駄目だ」と即答した。

 福音派は教派を横断する形で価値観を共有するキリスト教右派と理解されている。聖書の内容を「神の言葉」として信じていることが特徴だ。世論調査会社ピュー・リサーチ・センターが07年に実施した調査によると、福音派と分類される教会に所属しているのは米国民の26・3%だった。

 しかし、「アイオワ信仰と自由の連合」によると、08年の共和党アイオワ州党員集会に参加した有権者の55~60%が出口調査で自らを福音派と名乗った。共和党予備選の出口調査結果を入手した26州の平均でも参加者のうち44%が福音派だったという。共和党の予備選に及ぼす影響力は大きい。

 福音派はブッシュ政権の1期目に政治的な影響力を拡大し、ブッシュ氏の再選をもたらした。だが、その後、福音派団体間の対立などで勢いが衰えたと見られていた。それが今、オバマ政権への反発を軸に結束し、息を吹き返している。

 「オバマ政権は社会主義への道を歩んでいる。『政治活動に参加しなければ手遅れになる』という人々の危機感が我々の活動を後押ししている」。「アイオワ信仰と自由の連合」のスティーブ・シェフラー代表が語る。

 福音派は伝統的な保守市民団体にとどまらず、財政面で「小さな政府」を求める保守系草の根運動「ティーパーティー(茶会運動)」との連携も深めている。大統領選に向けて「反オバマ」の旗印の下、保守派の糾合が進む。いきおいづく福音派がその「保守連合」の中核をなしている。

ことば 福音派 聖書の記述を「神の言葉」とあがめ、誤りがないと信じるキリスト教の教会・信徒。イエス・キリストの教えである「福音」を社会に広める。人間は神によって作られたとの立場から、人工妊娠中絶、同性愛者同士の結婚に反対し、政治・宗教的な立場は保守的で、共和党支持者が多い。
    --「米保守革命:第2部・福音派の力/上 共和党指名争い第1弾、アイオワ州」、『毎日新聞』2011年12月27日(火)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111227ddm007030143000c.html


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米保守革命:第2部・福音派の力/中 モルモン教巡り分裂 信徒ロムニー氏を不支持の動き


ホテルで開かれた対話会合を終え、祈るキリスト教福音派とモルモン教の指導者=米サンフランシスコで
 ◇州で温度差、連携模索も
 「互いの相違を乗り越え、対話で理解を深められますように」。11月20日、米西部サンフランシスコのホテル。会議を終えたキリスト教関係者二十数人が黙とうの後、祈った。

 会議室の入り口に掲げられた集会案内はありふれた「聖書セミナー」。だが、実際は、キリスト教界で対立してきた右派の福音派と末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の指導者による対話会合だった。モルモン教は聖書とは別に独自の聖典「モルモン書」を持ち、聖書を唯一の規範とする福音派から異端視されてきた。

 米大統領選の共和党候補のうちロムニー前マサチューセッツ州知事とハンツマン前駐中国大使の2人はモルモン教の信徒。これを念頭に福音派の牧師が10月に「モルモン教はカルト集団だ」と批判した直後で、福音派とモルモン教徒の間には波風が立っていた。

 福音派参加者は会合で「カルト発言は公式見解ではない」と弁明したという。「双方は人工妊娠中絶や同性愛者同士の結婚への反対で一致する。オバマ大統領の再選を阻止するために団結すべきだ」。会合後、カリフォルニア州の神学校長で福音派指導者のリチャード・モウ氏が語った。

 対話はモルモン教徒が人口の6割を占める西部ユタ州で01年に始まり、今年3月には全国福音主義協会幹部80人が州都ソルトレークシティーを初訪問した。「『家族の価値観』を共有する仲間としての信頼がここ数年で深まった」。ユタ州の福音主義協会幹部、グレッグ・ジョンソン氏(45)が指摘する。08年にはカリフォルニア州住民投票で協力し同性婚禁止案を可決へ持ち込んだ。

 だが、サンフランシスコでの対話会合の翌21日、中西部アイオワ州のデモインでは溝の深さを浮き彫りにする出来事があった。福音派指導者約20人が来月3日の党員集会で「オバマ大統領に勝てるロムニー氏以外の候補者」を支持する方針を確認したのだ。福音派が「ロムニー氏降ろし」に動き出した格好だ。

 ロムニー氏はキリスト教右派の非営利団体「アイオワ信仰と自由の連合」が10、11月に開いた福音派信徒と共和党各候補の集会を欠席した。団体のスティーブ・シェフラー代表は「議論を恐れて逃げた。保守政治家としての資質にも疑問がある」と手厳しい。

 これに対して福音派のコラムニスト、ナンシー・フレンチさん(36)はロムニー氏の地盤・米東部で05年から支援のウェブサイトを運営する。「他に有力候補はなく、いずれ福音派はモルモン教徒を認めざるを得なくなる」。ロムニー氏はアイオワ州で排除されたとしても、東部で巻き返すと読む。

 福音派が多い中西部などではモルモン教への敵対心が根強い。一方、相対的に福音派の影響力が弱い西部や東部では対話や支援の動きがある。対立か、連携か--。共和党の候補選びが本格化する中、福音派はモルモン教への対応で内部分裂を抱えている。【サンフランシスコで堀山明子】
    --「米保守革命:第2部・福音派の力/中 モルモン教巡り分裂 信徒ロムニー氏を不支持の動き」、『毎日新聞』2011年12月28日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111228ddm007030004000c.html


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米保守革命:第2部・福音派の力/下 影響誇示する大学、共和候補が続々訪問

 ◇モノ言う新指導者
 ワシントンから車で南西に3時間半。米南部バージニア州の緑深いシェナンドー国立公園のふもとにリンチバーグという町がある。林を抜けると突然、フットボールスタジアムやドーム形のホールを擁する近代的な建物が姿を現す。

 キリスト教右派・福音派のテレビ伝道師だった牧師の故ジェリー・ファルウェル氏が設立した「リバティー大学」だ。ファルウェル氏は1950年代後半から各地のテレビで、教会での日曜礼拝の様子を放映し、絶大な人気を博した。全米を回るバスツアーにはリバティー大学の学生も動員された。

 大統領選が近づくにつれ、そんなリバティー大学に共和党の大統領候補が次々と足を運ぶようになった。現在の候補者7人のうちギングリッチ元下院議長、ペリー・テキサス州知事ら4人のほか、撤退表明した黒人実業家のハーマン・ケイン氏や、結局は出馬を見送ったペイリン前アラスカ州知事も訪れた。

 リバティー大学に通学している学生は1万2560人だが、インターネットのオンラインで学ぶ在宅生6万1000人を含めると学生数は7万3000人を超す。非営利の4年制大学としては「全米最大」が売り物だ。

 創設者のファルウェル氏は人工妊娠中絶などに反対を唱え、政教分離の姿勢を強く打ち出したカーター米政権時代(1977~81年)と前後して、政治へのかかわりを深めていくようになった。そのカリスマ性と知名度が福音派の勢力拡大に寄与したと言われている。

 現学長は創設者の息子で元弁護士のジェリー・ファルウェル・ジュニア氏(49)。大統領候補のバックマン下院議員が9月に演説した際、「来てくれてありがとう」と報道陣に語りかけてきた姿に父のようなカリスマ性は感じられなかった。堅実なビジネスマンという雰囲気だ。

 なぜ、大統領候補を大学に呼ぶのか--。そう質問を投げかけられると、「レーガン元大統領もここで演説した。政治家が来ることが学校の伝統だ。それが学生たちがこの大学を選ぶ理由になっている」と共和党に及ぼしている政治的な影響力の大きさを誇示した。

 福音派の若手指導者としてはラルフ・リード氏(50)も知られる。著名なテレビ伝道師のパット・ロバートソン氏(81)に目を付けられ、ロバートソン氏が創設した福音派の連合組織「クリスチャン連合」の事務局長に就任した。事実上の後継者と言える。現在は福音派の政治参画を促すキリスト教右派の非営利組織「信仰と自由の連合」の全国代表だ。

 福音派で進む世代交代。「かつて福音派は『政治は汚いものであり、現世のことしか気にかけない』と考え、政治から距離を置いた。だが、新世代は『政治にはモノを言うべきだ』と感じて育った」。宗教と政治を研究するアクロン大学(オハイオ州)のジョン・グリーン教授(政治学)が解説する。来年11月の大統領選に向け、台頭する福音派の新指導者たちは政治への関与をますます強めることになりそうだ。【リンチバーグ(米バージニア州)で古本陽荘】
    --「米保守革命:第2部・福音派の力/下 影響誇示する大学、共和候補が続々訪問」、『毎日新聞』2011年12月29日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/12/29/20111229ddm007030116000c.html

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但し此の浄福は外的なる力によつて彼に与へられるものではなく、彼自身、自らの手を以てそれを把握せねばならぬ、と。

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 私は斯く考へる。人間は不幸に運命づけられたものではない。若しただ彼自身それを欲するならば、既に此の地上至る処に於て、又何時にても、平和、静寂、浄福を得ることが出来る。但し此の浄福は外的なる力によつて彼に与へられるものではなく、彼自身、自らの手を以てそれを把握せねばならぬ、と。人間のすべての不幸の原因は、多様にして可変的なるものを追て散乱してゐることである。浄福なる生の唯一絶対の条件は、深き愛と享受を以て、一にして永遠なるものを把捉することである。尤も、云ふ迄もなく、我々は此の一者に転ずることは出来ないのではあるが。
    --フィヒテ(高橋亘訳)『浄福なる生への指教』岩波文庫、1938年、77頁。

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2011年大晦日。

さまざまな局面で……すなわち、リアルなコミュニケーションから、twitter、facebook、snsなど、みなさまと闊達な意見を交わすことができたことに感謝の一年です。

自分自身と対話し、そして他者と対話し、そして生きている世界や自然、そして時間や歴史と対話しながら、また新しい自分自身をお互いに構築していきたいなと思います。

新年もかわらぬ、否……今年以上に、お互いに刺激を与えていけるような一日一日にして参りたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。


筆主敬白。

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覚え書:「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年 反響特集 疎開、空襲…次世代に伝え」、『毎日新聞』2011年12月28日(水)付。

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白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年 反響特集 疎開、空襲…次世代に伝え

 今月7、8日に連載した「白いハト羽ばたけ 日米開戦から70年」に、多くの感想が寄せられました。79歳で始めたブログで戦争体験を発信している女性に触発され、胸にしまっていた体験を書き送ってくれた方もありました。みなさんに共通していたのは、「二度と戦争は起こしてはならない」という強い思いです。戦争が遠くなりつつある今、どのように記憶を継承していくのか。取り組みを紹介します。【木村葉子】

 ◇「真実語り継ぐ」/戦中日記、冊子に/祖父の「自伝」整理

戦争を伝える朗読会を毎年開いている、小泉靖子さん
 「若い人にこそ知ってほしい。伝えることは戦時中に生まれた者の義務」と話す東京都杉並区の小泉靖子さん(76)は01年から毎年、「戦争を伝える朗読会」を開いている。小泉さんは終戦時10歳で、家族とともに埼玉県川越市に疎開していた。戦火を逃げ惑ったこともなく、特段ひもじい思いもしなかった。「今に比べれば物がなかったけれど、みんな同じ状態だったからたいしてつらくはなかった」。語るほどの体験ではないと、2人の娘にはほとんど話してこなかった。

 子育てが一段落した40歳ごろ、興味のあった朗読を習い始めた。何か社会貢献できないかと始めたのが「戦争を伝える朗読会」だった。新聞やテレビ、ラジオなどで情報を集め、図書館で手記を探し作品を選んできた。限られた自身の体験を補おうと、関連する本を読み史実を学んだ。

 「若い人に知ってほしい」という思いで始めた朗読会だが、来場者は同年代の人ばかりだった。小泉さんが本の読み聞かせをしている小学校の保護者に頼み、2年前から地域の小学生に朗読しに来てもらった。その子の友だちや保護者も参加するようになり、輪が広がった。「ぜひまたやりたい」と手紙をもらうこともある。

 朗読会では、戦地からの引き揚げや空襲に関する自伝などを読み、命がいとも簡単に奪われた時代を伝える。「若い人は信じられないかもしれないけれど、事実です。わたしたちにできることは真実を伝えること。朗読会をきっかけに、どうしたらいいかみなさんに考えてほしいのです」

   × × ×
 東京都日野市の塚本彰二さん(79)は、日本橋の久松国民学校(現東京都中央区立久松小学校)の6年生だった時、半年間、埼玉県伊奈村(現伊奈町)の寺へ集団疎開した。戦後50年近く過ぎて身辺整理をしたところ、存在すら忘れていた疎開日記を見つけた。


塚本さんが、学童疎開中に毎日書いていた日記=塚本さん提供
 ざら紙に書かれた鉛筆の文字はところどころ薄れ、判読しにくくなっていた。「せっかく50年以上保存していたのに、読めなくなってはもったいない」と、数年前にワープロで打ち直し、意味が通るように言葉を補った。数カ月かかって冊子にまとめ、級友や知人らに配った。「後世に伝えてほしい」と、母校にも日記の原本と冊子を寄贈した。

 「最上級生でしたが、さみしくてさみしくて東京へ帰りかった」。塚本さんは振り返る。食料確保でイナゴを捕って食べたこともある。「学童疎開でもっと大変な思いをしていた人は多い」と、声高に経験を語ることはなかった。だが、子どもが家族から引き離されたつらい疎開の日々を、機会があればぜひ語り継ぎたいと考えている。

   × × ×

 兵庫県西宮市の女性(36)は、中国から引き揚げてきた母方の祖父が残した小説に加筆して、自身のブログ「仮住まいな日々 寄居的日子」に小説「開かれた遺言書」として発表している。

 祖父は軍属の通訳として、ロシアと国境を接する中国・黒竜江省に一家で赴任していた。終戦後、日本に帰国するまでに妻と2人の子どもを亡くし、単身帰国した。小説はその半生をつづったものだ。

 祖父は帰国後新しい家庭を築き、女性が生まれる前に亡くなった。写真でしか知らない祖父が、戦争で前の家族を亡くしたことは気づいていた。だが、祖母や母から詳しいことは聞いたことがなかった。「祖母が泣きそうになるのがつらくて、聞き出せなかったのです」

 祖父がこの小説を投稿した同人誌を、女性は7年前に伯父から譲り受けた。原文は旧仮名遣いで時系列も乱れ、読みづらかった。飢餓や寒さの中、命を落とした妻子への罪の意識にさいなまれる祖父の姿があった。小説には、知らなかった事実が盛り込まれていた。

 いつかは整理したいと思いつつ、子育てに追われ手つかずだった。しかし、3月の東日本大震災後、「何が起きるかわからない。子どもたちの手が離れてきた今のうちに」と、取り組んだ。「多くの人に読んでもらいたいと祖父は願っただろう」と考え、原作にはない場面も創作し、読みやすくした。

 「祖父が生きていなければ私も、小学生になる私の娘たちも生まれることはなかった。生きることをあきらめないでいてくれ、すばらしいと思います」。恵まれた時代に生きる人々にも、戦争は無関係ではない。

   × × ×

 愛知県稲沢市の石見潔さん(79)の父は1925年、陸軍に入隊し20年間兵役に就いた。父が戦地に行っている間、家族は軍の命令で横須賀(神奈川県)や広島、山口などの官舎へ数回転居した。陸軍の将校が下宿していたこともあり、子どもだった石見さんの耳にも、一般には知らされない戦況が入った。

 1944年7月、広島市で空襲にあった。母は逃げ込んだ防空壕(ごう)で妹を早産。未熟児で生まれたため、重い障害が残った。「生涯一言も話すことができず亡くなった妹も、戦争被害者の一人。戦時中の父の記録や、私が見聞きしたことを書き残し、後世に伝えたい」と、ブログでの発信を考えている。
    --「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年 反響特集 疎開、空襲…次世代に伝え」、『毎日新聞』2011年12月28日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111228ddm013040122000c.html


関連エントリ http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111210/p2

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暴力使用なしの制度改革を可能にするから

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 民主制(先に提案した意味でこの略号を用いたとして)は政治制度の改革のための制度的枠組を与える。それは暴力使用なしの制度改革を可能にし、それによって新しい制度を設計したり古い制度を調整する際に理性の使用を可能にする。
    --カール・R・ポパー(内田詔夫・小河原誠訳)『開かれた社会とその敵 第一部』未来社、1980年、131頁。

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民主主義が「最良のシステム」だなんて夢想する小学生ではありませんし、多数決というのが最も「民主的な公平な決定方法」だなんて叫ぼうとも思いませんよ。

多数決という決定方法が実は投票を行う順番によって結果が変化する事を暴いた「コンドルセのパラドックス」を引くまでもありません。

しかし、民主主義にしてもその手続きの多数決に関しても、そもそも欠陥があって、私たちはそれを承知のうえで選択・運用しているという事を了解しておかなければならないってことです。

なぜ、他のシステムよりもそちらをあえて選択するのか。

「暴力使用なしの制度改革を可能」になるからですよ。

力で解決しようてことほど「みっともない」ことは多いのですが、最近はそれがひとつのブームのようで……困ったモンですよw

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覚え書:「社説:武器三原則緩和 新基準の厳格な運用を」、『毎日新聞』2011年12月28日(水)付。

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社説:武器三原則緩和 新基準の厳格な運用を

 政府は、武器や関連技術の輸出を原則として禁じた武器輸出三原則を緩和する新基準を決めた。

 官房長官談話で公表された新基準は、国際紛争を助長することを回避するという三原則の理念を堅持しつつ、(1)日本の安全保障に資する場合に、防衛装備品(武器)・技術について、日本と安保の協力関係がある国との共同開発・生産を認める(2)完成品の海外移転は平和貢献や国際協力に限定する(3)いずれも、相手国による目的外使用を認めず、第三国への移転を防ぐ厳格な管理・制度を前提にした日本の事前承認を必要とする--などが柱。これまでの「個別例外方式」に代わり、条件を満たす場合に三原則を緩和する「包括的な例外化措置」となっている。

 三原則は、佐藤内閣が1967年、(1)共産圏諸国(2)国連決議による武器禁輸国(3)紛争当事国やおそれのある国--への武器禁輸を表明したことに由来する。76年に三木内閣がその他の国への輸出も「慎む」として事実上の全面禁輸となった。しかし、83年に中曽根内閣が対米武器技術供与を認め、その後、個別に例外を設ける方法で緩和が進み、ミサイル防衛(MD)の日米共同開発・生産、インドネシアへの巡視艇提供などが例外扱いとなっている。

 新基準は、戦闘機などで主流となっている国際的な共同開発・生産に道を開くことに主眼がある。次期主力戦闘機(FX)として調達が決まったF35は米英など9カ国の共同開発だ。高価な装備品の共同開発・生産に参加すれば、調達コストの低減、国内生産基盤の整備、安保・防衛政策の充実に資するのは間違いない。

 また、国連平和維持活動(PKO)や人道支援目的の重機やヘルメット、巡視艇などの他国への供与はもともと、禁輸の対象である「武器」とすることに疑問の声もあった。

 装備品の調達をめぐる環境の変化や、平和・人道に限定された完成装備品の使用目的を考えれば、新基準はおおむね妥当である。個別例外方式を維持すべきだとの意見もあるが、例外の積み重ねは結局、新基準の内容とほぼ同じになるだろう。

 大切なのは、新基準を運用するにあたって三原則の理念を厳格に順守することだ。輸出相手国の武器・技術の使用目的などを見極め、共同開発した武器や日本の技術が紛争当事国など第三国に流出する可能性があるなどの場合には、日本はこれに反対する姿勢を鮮明にしなければならない。

 「第三国への移転などで米国から強い要請があれば、新基準はなし崩しになるのではないか」--。政府は、少なくない国民にこう見られていることを自覚し、新基準の厳格な運用にあたるべきだ。
    --「社説:武器三原則緩和 新基準の厳格な運用を」、『毎日新聞』2011年12月28日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111228k0000m070140000c.html


大事なことが「こっそり」となし崩しになっていっていますねぇ(涙


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『汝は人間であって、決して神ではないことを知れ』という意味

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 このような古い問題と科学のあの新しい出発に直面して、哲学が今一度自らの古い機能全体を引き受け、われわれの知のすべてを統一的世界像として合一させることができるはずだなどとは、誰も考えないだろう。ところが、人間が哲学への、すなわち〈知らんとする意欲〉への自然の性行をもつということは、一般に認められている。科学〔学問〕の知と、人間文化の偉大な歴史的伝承からわれわれに押し寄せてくる、人間に関する一切の知とを、われわれの実践的意識のうちに移し変えるという課題が、相変わらず存続していないだろうか。私はここに、真正な統合という課題を、つまり、人間の自己自身との新たな自己合意を切り開くために、科学と人間の自分自身についての知とをひとつに結びつけるという課題を見るのである。われわれにはそれが必要なのだ。というのも、われわれは絶えず高まり行く自己疎外のなかで生きており、しかも、この自己疎外は、もはやとうてい、資本主義的な経済秩序の特殊性にのみ基づくものではなく、〈われわれがわれわれの文明として自分たちの回りに獲得してきたもの〉に人類が依存しているという点に基づくものだからである。こうして、人間を再び自己了解へ向かわせるという課題が、次第に緊急さを増して、立てられるのである。哲学は昔から、この自己了解という課題に貢献してきたのであって、私が解釈学と呼ぶ(理論としての、さらには、理解したり、疎遠なものや異種のものや疎遠なになってしまったものを言葉に表したりする技術の実践としての)哲学形態においてさえ貢献するのである。自己了解は、間違いなくわれわれの心を捉えているすべてのことに対してさえも、さらにはまた、われわれ自身能力に対しても自由に振るまえるよう手助けをしてくれるかもしれないのである。結局のところ、プラトンは依然正しいわけである。たしかに自分のものは制御するけれども、自分が何に仕えているのかを知ることができないような科学を脱神話化することによってのみ、知と能力の支配が自己制御されることが可能になる。「汝自身を知れ」というデルポイの要求は、「汝は人間であって、決して神ではないことを知れ」という意味であった。この要求は、科学の時代の人間にも妥当する。というのも、この要求は支配と制御の一切の幻想に対して警告を発しているからである。自己認識だけが自由を、すなわち、単にその時々の支配者によって脅かされているだけでなく、むしろ、実は、われわれが制御していると考えているすべてのものから出来する支配と依存とによって脅かされている自由を、救済することができるのである。
    --ガダマー(本間謙二訳)「哲学に向かう人間の自然の性向について」、本間謙二・座小田豊訳『科学の時代における理性』法政大学出版局、1988年、147-148頁。

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科学の時代において哲学はどのように関わっていくべきかを論じたガダマー(Hans-Georg Gadamer,1900-2002)の文章。

科学はもともと哲学の一分野として出発した経緯から、それではもとどおり「哲学」的「思索」の傘下に戻れ……ってアナクロニスムな議論でも、単純に操作主体としての「人間」の役割を一方的に強調したものでもありません。

科学を脱神話化させるということ……これを解釈学の伝統から引き出す訳ですが、結局の所、複雑になればなるほど「支配と制御の一切の幻想」に対して「警告」を発していくというその眼差しは、今更ながら重要というほかありませんね。

しかもそれを「汝自身を知れ」というデルポイの信託から由来させるとはさすがとしかいいようがないのですが……

「『汝は人間であって、決して神ではないことを知れ』という意味」を深く受けとめるほかありません。

どのように受容していくのか、ここに鍵があるんでしょうね。

「自己認識だけが自由を、すなわち、単にその時々の支配者によって脅かされているだけでなく、むしろ、実は、われわれが制御していると考えているすべてのものから出来する支配と依存とによって脅かされている自由を、救済することができるのである」。

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「学校再興:福島県立磐城高生が東大院教授らと白熱討論 ゆっくりでも諦めず前進」、『毎日新聞』2011年12月26日(月)付。

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学校再興:福島県立磐城高生が東大院教授らと白熱討論 ゆっくりでも諦めず前進

 東日本大震災で津波や原発事故の被害を受けた福島県いわき市にある県立磐城高校(星浩次校長)を今月6日、本田由紀・東京大大学院教授(教育社会学)が訪れた。1年生7人と意見交換した「いわき白熱教室」から見えた福島、そして日本の将来は……。【福田隆】

 ◇怒りから広がる視野 課題解決の「3原則」胸に
 本田教授は、河合塾の「『東日本大震災』復興と学び応援プロジェクト」の企画で訪問した。まず、津波被害調査をした信岡尚道・茨城大准教授(海岸工学)の説明を受けながら、市北部の津波被災地や広野町を視察し、磐城高へ。同高OBで「フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」の著者でもある開沼博さん(27)=東大大学院博士課程在学中=も加わり、1年生約300人に講演した後、1年生7人との討論に臨んだ。

 自宅が損壊した生徒もおり、震災を通して変わった価値観などについて語り始めた。森尾翔平君(16)は「水や食料の情報を教えてもらい改めて人との関わりが大切だと思った」。本田教授が「震災後、絆や人とのつながりが注目されているけど、そこから外れた人はどうする?」と問いかけると、少し考えた後、「居場所を無くして夜の世界でしか生きられない若者を、(学校や仕事に通う)昼の世界に連れ出してあげたい」と答えた。

 佐川奈央さん(16)は「地元は過疎で寂しかった。震災後は少しでも活性化させたい思いが強まった」。本田教授は「仕事を作っていくことが課題」と助言し、開沼さんも自らの高校時代を回想し「自分の問題と社会、政治、経済をつなげると、考えが原発問題にもつながる」と、視野を広げるよう助言した。

 「日本でなぜあの(津波が来る危険な)場所に原発を建てていたのか?」と強い口調で語ったのは、新家(しんか)杏奈さん(15)。「津波で人が死なないような技術を研究したい。専門分野間の溝を埋める人間になりたい」と話すと、信岡准教授が「まさしくそれが必要。専門が分かれると目的がずれて、人命優先を忘れがちだ」とエールを送った。

 情報の信用度に対する意見も相次いだ。児山希さん(16)は原発事故の影響について「テレビは『安全』と言うが、それは一面的でしかなく、自分がどれだけ知っているか、が大切と思った」と振り返った。

 約1時間経過したころ、本田教授が「若者として、怒りや要求はないの?」と水を向けると、場の空気は一変。教育をテーマに、活発な意見交換が始まった。

 「職業に関する専門的なことをもっと知りたいのに、なぜ大学に行かないと学べないのか。もっと高校(の専門性)と社会が密着すべきだ」。法学部への進学を考えている小松真優さん(16)がこう切り出す。新家さんも「学びたいことが学べるオーダーメードの学校が欲しい」と続いた。

 都市と地方の「教育環境格差」について。「都会にいるともっと勉強できる」という小松さんの意見に、酒井大輔君(15)が「生まれた場所である程度違うのは仕方ない」と反論。新家さんから「違いを努力で埋められないのは問題だ」との意見が出ると、山田暁理(あきみち)君(16)が「そこが政府の役割ではないか」と問題提起した。小松さんは「環境にも差があるが個人も少し大切。でも、個性ばかり強調すると、周りの個性をつぶすことになる」とも発言した。身近な教育への不満から始まった議論は、テーマが政治や公共性に広がった。

 ここで本田教授が、課題解決のための「3原則」を伝授した。「かんたんじゃない/すぐにじゃない/でもあきらめない(忘れない)」。この歴史的な苦境を乗り越えてほしい、との強い思いを込めた贈り物だ。「理想がそのまま実現できなくても、生きることをやめるわけにはいかない。ジリジリとでも進めるしかない」と締めくくった。

 星校長によると、同校生徒に犠牲者はいなかったが、20人が転校した。星校長は「生徒は震災の問題を自分たちの課題として、逃げずに考えている。本田教授の来校はいい刺激になった」。本田教授は「生徒は一度被災地を離れても、討論会で伝えたこと(3原則)を覚えていてくれるなら、放射能で汚染された土地を復活させるために、時間と経験を経て戻ってくれるだろう。そうであってほしいと思う」としている。
    --「学校再興:福島県立磐城高生が東大院教授らと白熱討論 ゆっくりでも諦めず前進」、『毎日新聞』2011年12月26日(月)付。

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「今週の本棚:松原隆一郎・評 『社会学の方法-その歴史と構造』=佐藤俊樹・著」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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今週の本棚:松原隆一郎・評 『社会学の方法-その歴史と構造』=佐藤俊樹・著


 (ミネルヴァ書房・3675円)

 ◇「常識」を覆す学問をスリリングに捉える
 「社会って何?」と尋ねたら、「なに青いこと言ってんだ」と返されるのがオチだろう。「机の前で考えてるんじゃなく、世間の風に当たってきなさい」、と。

 では世間を経験するとは、どういうことか。「コミュニティが崩壊しては道徳心がなくなった」とか、「若いヤツはコミュニケーションができなくなった」といった言葉が、世間では横行している。でもそれって、本当なんだろうか? 実はこうした「世間知」には、誤解が多々含まれている。自分の周辺の体験を一般論にした「常識」にすぎないからだ。

 本書によれば、そうした「常識」を覆すのが社会学であるらしい。その百年の経緯を、丁寧な説明と平易な文章で解き明かしている。登場するのは、デュルケーム、ジンメルにウェーバー。パーソンズにマートン、ルーマン。教祖に天才、巨匠に伝道師、達人に鬼才である。それに著者自身が加わって、推論を厳密に突き詰めデータを適切に分析すると、「常識をうまく手放す」方法が鮮やかに示される。

 「共同体が解体しつつある」は日本でも80年前にはすでに言われ始めており(これからも言われ続けるだろう)、「コミュニケーションができなくなった」は「動機の分からない犯罪が増えている」の言い換えにすぎない。しかもデータからすれば凶悪犯罪は長期的に減少傾向にあるから間違いであることが、読み進めば分かってくる。

 本書は「叢書(そうしょ)・現代社会学」という堅いシリーズの一冊。読みやすく最前線を目指すことが執筆の課題とされたという。とすれば普通の社会学の教科書にあるような紹介をそれぞれの偉人に対して手堅く行うというのが、それこそ常識だろう。だが天(あま)の邪鬼(じゃく)な著者は、出版社もしくは編者からのそうした要請に対し一風変わったやり方で応えた。どうデータを扱い推論すれば世間の常識をひっくり返せるのか、その方法こそが社会学であるとみなし、「方法」の展開史を綴(つづ)ったのだ。

 方法の存在に初めて気づいたのがデュルケーム。しかしその方法を上から目線で振り回す特権が社会学者にはないという立場で精妙なエッセイを書いた人がジンメル。方法を駆使し「資本主義は人間の欲望が生んだ」という常識を覆し、「禁欲が生んだ」説の論証に挑んだのがウェーバー。ウェーバーの名人芸を持たない人も使えるスキルの一般化を成し遂げた(つもりで失敗した)のがパーソンズ。パーソンズの失敗を反省し、常識のちゃぶだい返しを連発した達人がマートン。そして法学出身の思考法が社会学や現代思想の最前線にあることを示したのがルーマンだという。そしてルーマンの大振りな表現の鎧(よろい)を脱がせてその方法を使いやすくするのが、著者の挑戦だ。

 推理小説の書き方もしくは手品の種明かしを習うようでスリリングだが、本書にはもうひとつ特徴がある。それは、それぞれの偉人の出自に頁を割いたこと。とくに貧民街出身のマートンが、集票と引き替えに面倒をみる地元のボス組織の分析を行うシーンなど、人生経験を思わせられてグッとくる。

 では、社会って何なのか。社会学の現時点での結論は、「社会とは社会がつくる」というもの。マートンの「予言の自己成就」説は、「A銀行が危ない」という間違った噂(うわさ)が取り付け騒ぎに火をつけると、本当にA銀行は危機に陥るという例を挙げている。社会は、個人の「本当」や「経験」がつくるのではないのだ。常識を振り回すことに疑問を持つ方に、一度をお勧めしたい。
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『社会学の方法-その歴史と構造』=佐藤俊樹・著」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている

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ナショナリストは、味方の残虐行為となると非難しないだけではなく、耳にも入らないという、すばらしい才能を持っている。
    --オーウェル(小野寺健訳)「ナショナリズムについて」、『オーウェル評論集』岩波文庫、1982年、322頁。

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このオーウェル(George Orwell,1903-1950)の慧眼は、何も「ナショナリスト」にだけ限定される話ではないですよね。

ここに「集団」「党派」「民族」「時代」を入れても当てはまってしまう(´Д`*)


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狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である。
    --ニーチェ(木場深定訳)『善悪の彼岸』岩波文庫、1970年、123頁。

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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『負けんな、ヤルキキャンプ』=光安純・著」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『負けんな、ヤルキキャンプ』=光安純・著


 (角川書店・1575円)

 ◇やる気と過激のボランティア奮闘記
 ニューヨークにいた一人の若い日本人が震災のニュースを聞いて、帰国しようと思った。

 もともとはテレビ業界に身を置き、渡米してからもフリーで同じような仕事をしていた。日本に戻って民放の取材クルーに入り込んだが、なんか違う。被災者にカメラが向けられない。

 友だちと一緒に陸前高田の『復興の湯』という急ごしらえの浴場でボランティアとして働くことになった。日々みんなの役に立つ仕事だが、とんでもない重労働。これが四月から五月にかけてのことだ。

 その後、彼はあるスポンサーからボランティア活動の拠点となる小屋を建てなさいと言われる。考えてではなく流れとノリでそうなってしまった。

 ずっと自由勝手でいたいけど、グループとしては名前くらいあった方がいいか。メンバーに共通するのは「やる気」だけだからというので、「ヤルキキャンプ」と名乗ることにした。仲間には全壊被災者も入って、外来と地元の混成旅団。

 最初は河川敷に掘っ立て小屋を造るくらいのつもりだったのに、なぜか話がどんどん大きくなった。プレハブと思っていたら、提供されたのは立派な家一軒分の材料だった。柱と梁と棟と垂木(たるき)がある本格建築である。はっきり言って素人の手には負えない。

 これは六、七人の若い男たちが集まって、大広間と厨房の他に二畳足らずの個室が十一室あるという奇妙な家を建てるまでの奮闘の記録である。

 ボランティア活動の報告をぼくはいくつも追ってきた。中でもダントツにおもしろいと思った「ヤルキキャンプ」のブログが鮮度を保ったまま本になった。「片付ける」が多い中でこれは「建てる」話だから姿勢が積極的だし、波瀾(はらん)万丈の日々に引き込まれる。

 「オレは現場でも裸足にサンダルで作業する。ヒゲ面ユンボは白いタオルを頭に巻き、デビしゃんは金髪をツンツンに立てている。目つきの鋭いオカちゃんは細マッスル、長身のタクヤは無駄にサングラス。みんな真っ黒に日焼けして、どうやってもまっとうなボラには見えない軍団だ。他のボラと一緒に出動すると、いつの間にかオレたちの周りだけ人がいなくなる」という具合。

 この癖の強い連中の上に次から次へと難題が降りかかる。いちばんの難題は何もかもが初めての体験だということ。専門の大工がいなくて果たして真っ直(す)ぐな家が建つか?

 初めてと言えば、彼らを取り巻く現地の人々にとっても津波の被災は初めての体験だった。みんなそれぞれの立場で動くのだが、きれい事ばかりではない。誠意と思惑、なかなかのバトルが隠れている。重労働と物資調達、口論と自問自答、しかし達成感のある過激な日々。

 そして、十月二十九日、家は落成式を迎えた。できたのだ。

 震災後の日本を今になって振り返ってみると、被災しなかった地域が被災地を言いくるめてきたように思える。「絆」とか「一緒にがんばろう」って、白々しくないか。こういう場合に偽善が混ざらないようにするのはむずかしい。ボランティアだって善意だけでは動かない。自分探しでは続かない。

 これが営利目的ならば悩むことはないのだ。営利は資本主義日本の国是である。ボランティアにはそれがないから、問題一個ごとに考えて、「いまのオレたちって、社会的には何者扱いなんだろう」と戸惑いながら前へ進む。

 被災地の矛盾を体験的に書いて、それでも読んでいてすごく楽しい。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『負けんな、ヤルキキャンプ』=光安純・著」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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寛容は弱さの表現ではなく、むしろ強さの表現なのである

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 このようにしてニ百年前の宗教寛容法の占める位置は、規定される。この法が置かれるべき枠組みは、キリスト教という国家宗教によって与えられているが、そのキリスト教は、《領土の属する人に、宗教も属する(coujus regio ejus religio)》という原則からして、ハプスブルク家の国々においては、カトリック的キリスト教であった。宗教寛容法は寛容の勅令である以上、ひとつの政治的処置であって、その処置は政治的には、硬化した闘争集団の一種の懐柔策を意味したが、同時に、宗教上の異端宗派の解放と容認を目指している。このような宗教的寛容が自明なものとして前提しているのが、[既存]社会の有する支配秩序とキリスト教体制とは不可侵なものとして妥当するということである。つまり、寛容は弱さの表現ではなく、むしろ強さの表現なのである。それは、宗教上違ったように考える人々にも同等の権利を承認することではない。許容されるのは、私的で内的な生の領域に限られるか、せいぜいのところ、各宗教に固有な礼拝の円滑な実行に限られる。プロシアにおいて啓蒙君主が政治手腕を発揮したある行為を言葉で表現しようとしたとき、彼は、「ここでは誰もが自分のやり方で至福になれるのだ」と述べたがったという。この言葉に現れているのは、実は宗教的な信仰心などではなくて、むしろこのような解放をあえて実行しうる新しい国家意識の強さだったのである。今日でも国家権力は自ら宗教的寛容とブルジョワ的自由の権利を重んじなければならないと感じているのだが、そうした考えは、いまだに衰えない啓蒙のこの遺産から生じるのである。
    --ガダマー(須田朗訳)「1782-1982年の寛容の理念」、本間謙二・須田朗訳『理論を讃えて』法政大学出版局、1993年、103-104頁。

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不寛容であることが、求心力的な結束力を築き、「強い」社会、「強い」共同体、「強い」国家などを連想させがちですが、例えば、ガダマー(Hans-Georg Gadamer,1900-2002)が指摘する通り宗教寛容法の経緯などを概観するならば、それは逆なのかも知れません。

寛容なんていうものは、マイノリティを尊重しましょうとか、権利の分配なんだろみたいな「弱者のなんとか」というイメージが濃厚ですが、それは甚だしい誤解のひとつ。

異なる考え方や異なる人間と共存していくということこそ、その社会の「強さ」の象徴であり、「成熟」なんでしょう。

そしてそれこそが「新しい」共同体「意識」の「強さ」の筈なんですが、なぜか最近、そこを理解せずに、排除と侮蔑という「古い」やり方でそれを追及しようとする連中が多く、「寛容」というものが全くもって「誤解」されてしまうことに……疲れてしまう年末です。

いや、しかし……「言語」を大切にするガダマーのこの再発見は、高く評価されてしかるべきなんだと思うのですがねぇ。


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覚え書:「ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて」、『毎日新聞』まとめ

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ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/1 レオニード・クラフチュク氏=元ウクライナ大統領

 ソビエト連邦の崩壊から25日で丸20年。激動の時代とともに生きたキーパーソンに、ソ連崩壊から今日までの評価や今後の展望を聞いた。

 ◇市民社会、まだ脆弱 民主主義移行、道遠く/あと10年以上は…--レオニード・クラフチュク氏(77)
 --ソ連崩壊をどう総括しますか。

 ◆ソ連は客観的事実に基づき崩壊した。いかなる邪悪な企図もなかった。経済、政治状況が悪化し、このような体制はもはや存在することができなくなった。そこで我々は、深刻な結果につながる成り行き任せで無統制な崩壊から国を守るため、独立国家共同体(CIS)を作ったのだ。

 --ソ連とは何だったのでしょうか。

 ◆全体主義体制のもと、ウクライナは人工的な大飢饉(ききん)で約500万人が餓死し、政治抑圧で約200万人が死んだ。言語や文化など民族に関するものはすべて抑圧された。チェルノブイリ原発事故(86年)が起きた時も、人間とその健康について全く考慮されなかった。

 --CIS諸国のこれまでの歩みは。

 ◆非人間的で管理された体制から、自由貿易や人権に基づく民主主義に移行するための条件が作られた。だが、残念ながら最小の成果しかない。各国の法哲学は権力や金持ちを擁護しても、普通の人は守ってくれない。市民社会は脆弱(ぜいじゃく)で、政権に与える影響はゼロに等しい。ノーマルな情報空間もできていない。これらの問題を解決するには、あと10年以上かかるだろう。

 --今後のウクライナが進むべき道は。

 ◆ウクライナは地理的に欧州の中心に位置し、文化や考え方もヨーロッパの国だ。ロシア帝国に300年間、ソ連に70年間支配されたため取り残されてしまったが、欧州連合(EU)加盟を目指し、政治や経済、法などすべてを欧州スタンダードにまで高める必要がある。一方、ロシアはガス価格などあらゆる手段を使ってウクライナを勢力圏につなぎとめようとし、欧州への道を妨げている。

 --ロシアのプーチン首相が提案した(旧ソ連諸国を再統合する)「ユーラシア同盟」構想をどう見ますか。

 ◆欧州の危機を見て思い付いたのだろうが、単なるアイデアで、実際の基盤や利益は何もない。ロシアがエネルギーや政治面で生き残る可能性を維持したいだけだ。99年に調印後、何も進んでいないロシアとベラルーシの国家連合と同じで、ユーラシア同盟に将来展望はない。【聞き手・田中洋之】=つづく

 ■人物略歴

 ウクライナ共和国共産党の要職を歴任し、90年に最高会議議長。91年12月1日、初代大統領に当選し、同8日に当時のエリツィン・ロシア大統領、シュシケビッチ・ベラルーシ最高会議議長とCIS創設で合意。94年の大統領選で敗れた。
    --「ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/1 レオニード・クラフチュク氏=元ウクライナ大統領」、『毎日新聞』2011年12月19日(月)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111219ddm007030069000c.html


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ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/2 ゲンナジー・ブルブリス氏=元ロシア国務長官

 ◇国民に残る服従の心理--ゲンナジー・ブルブリス氏(66)
 --過去20年のロシア政治の変遷をどう評価していますか。

 ◆共産主義思想による支配体制や、展望のない計画分配経済というソ連全体主義帝国の特徴を捨てることができた。一方で憲法の精神は定着していないし、「管理された民主主義」のような政治的な独占主義に戻る傾向にあらがえないでいる。

 --なぜ民主主義が定着しないのですか。

 ◆わずか20年では帝政ロシアやソ連時代の帝国主義が1億4000万人の国民に植え付けた(服従の)心理を一掃できない。個人的には91~92年という最も困難な時期に、当時のエリツィン大統領(故人)に対し、新しい政治・社会体制を築く必要があると納得させられなかったことに責任を感じている。

 --今でもエリツィン氏の功績について評価が割れています。

 ◆ロシアには「2人の(異なる)エリツィン」がいた。87年から93年までのエリツィン氏は傑出した改革者で、93年12月にロシア憲法を発効させた。一方で94年から徐々にひずみが出てきて、寡頭資本家が台頭するような資本主義を生み出してしまった。

 --何が転換点だったのですか。

 ◆最初は93年9~10月に起きた憲法採択をめぐる危機と、モスクワ騒乱事件(エリツィン氏が反対派の立てこもる最高会議へ砲撃を命じた事件)だった。さらに94年12月に始まった第1次チェチェン紛争が、エリツィン氏の平和に対する姿勢や国内体制に影を落とした。

 --後継者のプーチン前大統領は安定を取り戻しました。

 ◆ロシアが国際金融危機下でも、財政安定を維持していることを過小評価してはならない。テロに勝ったことも功績だ。

 --今月の下院選を契機に「プーチン体制」への反発が強まっています。

 ◆今回の選挙は「偽りの民主主義」の下に置かれた政治体制の問題点をさらけ出した。(プーチン氏の当選が有力視されている)3月4日の次期大統領選の後、プーチン氏にとって最重要課題は、真の安定を導くような複合的な体制改革に取り組むことだ。早急に全政治勢力との対話に臨んで、対決的な状況を変えなければならない。対決は勝者を生まない。【聞き手・大前仁】=つづく

 ■人物略歴

 91年にソ連を構成するロシア共和国の国務長官(後に廃止)に就任。エリツィン氏の側近で、ソ連崩壊の“シナリオ”を書いたが、政敵も多く、92年末に政権を去った。その後、上下両院で議員を務めた。現在は「ロシア戦略財団」総裁。
    --「ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/2 ゲンナジー・ブルブリス氏=元ロシア国務長官」『毎日新聞』2011年12月22日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111222ddm007030082000c.html


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ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/3 アスカル・アカエフ氏=元キルギス大統領

 ◇ロシア中心に統合必要--アスカル・アカエフ氏(67)
 --中央アジアのキルギスは旧ソ連のなかで「民主主義の優等生」と呼ばれました。

 ◆私はもともと学者で、ソ連でゴルバチョフ氏が改革を始めた後の89年に政界入りした。当時のソ連人民代議員大会で経済改革委員会に所属し、市場経済化に向けたプログラムを作っており、独立後すぐに実行した。98年にキルギスは独立国家共同体(CIS)で初めて世界貿易機関(WTO)に加盟を果たした。下からの民主化も進め、90年代は大きな成功を収めた。00年には国際社会の支援も得て10年間の新たな改革プランを始めた。最後まで続いていれば、今日のキルギス経済は繁栄していただろう。

 --05年の政変で祖国を追われました。

 ◆グルジア、ウクライナに続いてキルギスで起きた「カラー革命」は、民主主義の土壌があるところに米国が仕掛けたものだ。キルギスにとって良いことは何もなく、逆に退化を招いた。ポピュリストの素人集団が政権入りし、改革のための10カ年計画は葬り去られた。

 --キルギスの現政権は議会制民主主義を目指しています。

 ◆議会制民主主義が機能するには、政治家が対話し、互いの意見を聞いて妥協する能力を必要とする。しかし、キルギスにそのような政治文化はなく、時期尚早だ。機が熟するには50年かかるかもしれない。

 --ロシアのプーチン首相が提案した「ユーラシア同盟」については。

 ◆支持する。プーチン氏の構想は、経済だけでなく政治を含めた主権国家の共同体を目指すものだ。ソ連末期に浮上した、各共和国の権限を大幅強化する新連邦条約(ソ連保守派のクーデター未遂事件で実現せず)に通じるところがある。

 --旧ソ連諸国の統合に向けた動きは。

 ◆欧州連合(EU)の危機は、旧ソ連統合が特にキルギスのような周辺国にとって必要かつ有益であることを示した。EUがなければギリシャやスペインは破産していただろう。ユーラシアの人々はロシアと何世紀にもわたる関係があり、ロシアを中心に統合するのは客観的なプロセスだ。【聞き手・田中洋之】=つづく

 ■人物略歴

 ソ連時代の90年10月にキルギス共和国最高会議で大統領に選出され、独立宣言後の91年10月に直接選挙で信任。95年と00年に再選されたが、05年の政変「チューリップ革命」でロシアに逃れ、大統領を辞任した。現在はモスクワ大学教授。
    --「ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/3 アスカル・アカエフ氏=元キルギス大統領」、『毎日新聞』2011年12月24日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/12/24/20111224ddm007030138000c.html


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ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/4 エブゲニー・ヤーシン氏=元ロシア経済相

 ◇近代化に必要な政治改革--エブゲニー・ヤーシン氏(77)
 --ロシア経済は20年間で様変わりしました。

 ◆ソ連崩壊直後、自由経済移行に伴う混乱はもっと軽く済むと思っていたが、実際には生活水準が軒並み15~20%落ち込み、工業生産は40%下落。99年まで危機が続いた。しかし今では国民が食料品を求めて行列することもなくなり、市場経済が機能している。移行は成功したといえる。一方で国民が市場経済の下で、金銭の心配をするようになったのはマイナスだ。

 --格差の広がりも指摘されています。

 ◆経済体制が変わって恩恵を受けているのは、国民の4割にとどまる。富める者が貧しい者から搾取しているという単純な構図ではないが、多くの国民は政府が(格差是正に向けて)何もしない状況に慣れてしまった。

 --00年のプーチン政権発足後、経済状況が安定しました。

 ◆90年代は寡占資本家(オリガルヒ)が牛耳る資本主義だったが、プーチン氏は03年から政策を転換、政府主導の資本主義の形を取るようになった。その過程で(経済成長にもかかわらず)実業界の活動が低下した。08年の経済危機以降はロシアを取り巻く状況が変わっており新たな環境へ適応しなければならない。実業界の活性化も必要だ。

 --メドベージェフ大統領は資源輸出に依存しない経済体制への移行(「近代化政策」)を訴えてきました。

 ◆政府首脳は国内の経済機構を変革しなくても、改革を実現できると思っているようだ。だが近代化には機構と(労働)文化の刷新が欠かせない。今のロシアでは「法による統治」を徹底化する措置などが取られておらず、近代化政策はまだ始まっていない。

 --プーチン氏の大統領復帰が有力視されていますが、改革を期待できますか。

 ◆公約通りにメドベージェフ氏が首相に指名されて、彼がプーチン氏の同意を取り付ければ、近代化政策に着手するかもしれない。だが下院選後の状況が示しているように、国民の心はプーチン氏から離れてしまっている。政権はもっと早く政治改革にも取り組むべきだった。プーチン氏が権力維持の狙いで、現在の政治路線を敷いてきたのならば、過ちを犯したと言わざるを得ない。【聞き手・大前仁】(3面に「質問なるほドリ」)=つづく

 ■人物略歴

 ソ連末期に市場経済移行への「500日計画」策定に参画。94年にロシア経済相に就任。97年に経済担当の無任所相に転じ、98年に退任。現在はロシア高等経済大学院の学術顧問。
    --「ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/4 エブゲニー・ヤーシン氏=元ロシア経済相」、『毎日新聞』2011年12月25日(日)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111225ddm007030110000c.html


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ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/5止 エブゲニー・キセリョフ氏=ロシアのテレビ局「NTV」元社長

 ◇危険はらむメディア規制--エブゲニー・キセリョフ氏(55)
 --ソ連で言論統制に変化が始まったのはゴルバチョフ政権時代といわれます。

 ◆ゴルバチョフ氏はソ連共産党書記長に就任後、「グラスノスチ(情報公開)」を始めたが、メディアにはさまざまな規制があった。テレビはほとんど変わらなかった。真の「言論の自由」が始まったのはゴルバチョフ政権が弱体化し、メディアをコントロールできなくなった91年だった。同年末にソ連が崩壊すると、メディアに「黄金の時代」が訪れた。テレビへの規制がなくなり、国営放送以外にNTVなど独立系の民放が誕生した。新聞は読者離れと資金難で部数を減らしたが、テレビは市場経済の波に乗り一気に大衆化した。

 --プーチン大統領時代にメディア規制が始まりました。

 ◆ロシアのエリツィン初代大統領は、不遇な時代に自分を支援したメディアの力を理解し、「民主的な政治家」はメディアを侮辱すべきではないと考えていた。しかし、旧ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン氏にとって、ジャーナリストは余計なことを伝える「三文文士」で、予防措置を取るべき存在だった。

 転換点は03~04年で、テレビから政治トークショーや与野党の討論番組が姿を消し、政府首脳の動向を伝えるニュース番組だけが残った。

 --メディアの現状をどう見ますか。

 ◆ロシアの主要テレビは政府に厳しくコントロールされている。野党の見解はほとんど紹介されず、「存在しないもの」として扱われている。テレビ局員はジャーナリストではなく、当局のプロパガンダに奉仕している。一部の新聞や雑誌には政権批判が見られるが、部数が少なく影響力を持たない。

 --今後の展望は。

 ◆ロシア当局は今、インターネットを「頭痛の種」と考えている。ユーザー数が増え、政権が触れてほしくないことを伝えるからだ。中国やイランのようにネット規制に乗り出す可能性もある。

 情報統制はプーチン氏の支持率が高い時にはうまくいっていた。プーチン氏の人気が低下しているなか、より厳しい締め付けに出るなら、どこにたどり着くか分からない危険な道となるだろう。【聞き手・田中洋之】=おわり

 ■人物略歴

 84年にソ連国営放送局入り。93~01年にNTVの報道番組「イトーギ(結果)」の司会を務め、鋭い政権批判で人気に。00年に社長となったがプーチン政権の圧力で01年に退社。現在はウクライナのテレビ局で政治番組を担当する。
    --「ソ連崩壊20年:第3部 激動の時代を生きて/5止 エブゲニー・キセリョフ氏=ロシアのテレビ局『NTV』元社長」『毎日新聞』2011年12月26日(月)付。

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けれども、いったん打ち倒した状態を、前よりも一層よい状態に建て直すことは、多くの者が企てたが、いずれも無駄骨折りに終わった。

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 〈私がわが国において見出す最悪のものは、不安定ということである。わが国の法律は、われわれの服装の流行と同じく、少しも一定の形をとることが出来ないでいる。ある政治の不完全を非難することはやさしい。まったく、この世のものはすべて不完全にみちているからだ。一国民にその古来の習慣に対して軽蔑をさせることも、甚だやさしいことだ。これを企てて成功しなかった者は一人もない。けれども、いったん打ち倒した状態を、前よりも一層よい状態に建て直すことは、多くの者が企てたが、いずれも無駄骨折りに終わった。〉

 ここにミシェルの理性的な保守主義と呼ばれるものが、典型的にあらわれているのを見る。一言でいうならば、革命否定論である。
 すべての革命は、歴史的必然にもとづいて敢行されるものであったであろう。けれどもその革命が、〈いったん打ち倒した状態を、前よりも一層よい状態に建て直す〉ことが、出来たかどうかの判断を誰がするのであるか。〈私のどっちつかずの判断は、大抵の場合にどちらにも等しく揺れ動くので、いっそのこと籤と賽子にきめてもらいたくなるくらいである。そして、聖書にさえも、疑わしい事柄の決定は、運命と偶然にゆだねる習慣があるという実例を見て、いまさらながら人間の無力さを考えないではいらない。〉と言い、この項の終わり近くで、ぽそりと、不気味な一言を付け加えるのである。

 〈特に政治上の事柄の中には、動揺と異議とに任せられた広大な領域がある。〉

 動揺と異議、それこそが政治の世界そのものであるが、その領域はどれくらい広いのであるか。無限に広いのであるか、有限なのであるか。
 政治家にとっては、背筋に悪寒が走るほどに怖ろしい言葉の筈である。無限に広いのであるならば、その〈動揺と異議〉のなかから、理性的かつ公正な判断と決定を見出すことは甚だ困難であろう。
 されば人間はいずこに帰るべきか。
 〈もっとも軽蔑してはならない階級は、その単純さのために最下層に立たされている人人であると思う。そして彼等の交際の仕方は、ずっと正常であると思われる。私はいつも百姓たちの行状や言葉が、われわれの哲学者たちのそれよりも、真の哲学の教えにかなっていると思う。〉
    --堀田善衛『ミシェル 城館の人 第一部 争乱の時代』集英社文庫、2004年、333-334頁。

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無知に起因するレイシズムは例外だろうと思うけれども、自身のよって立つ党派性に盲目な発言を耳にすると……

「これは痛いなぁ」

……って思うことがしばしばある。

なんども言及している通り党派性の「自覚」は必要不可欠だと思う。

しかし、自分の立脚点を無謬とみたりして「へーい、どんなもんだい(キリッ」って開き直ってしまうのは文脈が違うのだろうよってことです。

例えば、敵対する者に対して「おわってるゼ、ボケっ」っていつ“ツッコミ”を入れただけで、「我は勝ちたり」っていう感覚自体が「おわっている」と思うわけなんだけど、どうでしょうかw
※これまた何度も言及しておりますが、無味無臭の究極の客観としての立場から「お前らアホか」って訓戒をたれようって話しではありませんよ、念のため。

現実に「おわっているゼ、ボケっ」っていう事例に事欠くことはありません。

そして「おわっている」って指摘をしていくことは必要ですよ。しかし、「おわっている」っていう指摘から、「はい、一丁終わり」ってやってしまう……、言葉を換えるならば、指摘することによって自分自身の立脚点は「間違っていないんだよね、エヘン」ってなってしまうとすれば、まあそれは不毛じゃなかろうかってことです。
※「終わっているゼ、ボケっ」っていうには「じゃあ、おまえ、対案だせよ」って恫喝もしようとは思いません。それこそナンセンス。個人的にはマニフェスト系の言説なんて糞の訳にも立たないと思っておりますがねぇ。

確かに問題を指摘することは大切なのですが、そこに熱をいれるあまりに、自分自身に対する点検とか、党派性の「ドグマ」が「無問題」なんて数式を導き出してしまうようであれば、それはそれで問題なんだってことです。

結局のところ、相手をdisることによってのみ自分自身の存在確立をなそうという「相対性」準拠が問題なんだよね。
※だからといって「絶対」準拠を推奨しようというのではなく、これはひとつもののうらとおもてですよwww

批判はしなければならない。

しかし同時に、他者に強要されたかたちでない自己点検も必要なんだけれども、その辺にわりにと鈍感になってしまう議論が多く、まさに……

「これは痛いなぁ」

……なんですワ。

「プロクルステスの寝台」で寝ていると、知らない間に自分自身の肉体が毀損されてしまうということ。

だからこそ、立脚点をきちんと自覚したうえで、「へーい、どんなもんだい(キリッ」っていう言語ゲームをしていかないといけないのにねぇ。

希代のモラリスト・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne,1533-1592)の一言はその消息をよく綴っていると思いますね。

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私がわが国において見出す最悪のものは、不安定ということである。わが国の法律は、われわれの服装の流行と同じく、少しも一定の形をとることが出来ないでいる。ある政治の不完全を非難することはやさしい。まったく、この世のものはすべて不完全にみちているからだ。一国民にその古来の習慣に対して軽蔑をさせることも、甚だやさしいことだ。これを企てて成功しなかった者は一人もない。けれども、いったん打ち倒した状態を、前よりも一層よい状態に建て直すことは、多くの者が企てたが、いずれも無駄骨折りに終わった。

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まあ、不毛な議論は横に置いたとしても、自分自身がなせる実践をつづけていくほかありましぇんねぇ。


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覚え書:「急接近:藤垣裕子さん 原発事故後の科学技術と社会の関係は?」、『毎日新聞』2011年12月24日(土)付。

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急接近:藤垣裕子さん 原発事故後の科学技術と社会の関係は?

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 東京電力福島第1原発の事故後、放射線被ばくの許容量や食品の安全性をめぐって判断がぶれる政府や科学者への不信が高まっている。藤垣裕子・東京大教授は「科学技術と社会が本来の信頼関係を結ぶきっかけに」と提案する。【聞き手・元村有希子、写真・津村豊和】

 ◇自ら学び自律する市民--東京大教授・藤垣裕子さん(49)
 --事故をめぐる政府の対応は、外国の人たちにどう映っていますか。

 ◆ 今年の国際科学技術社会論学会が秋に米国で開かれ、関係3学会が合同で企画したセッションは「フクシマ」がテーマでした。発表した米国人研究者が「日本政府はディスオーガナイズドな(整理されていない)知識を発表していた」と、作業服姿で記者会見する枝野さん(幸男・官房長官)と菅(直人)首相(いずれも当時)の写真を示すと、800人の聴衆から失笑がもれました。

 --なぜ政府が機能不全になったのでしょう。

 ◆ 原発事故という緊急事態下で、科学技術に関する情報を国民と共有する「科学コミュニケーション」が非常に下手でしたね。「科学はいつもただ一つに定まる正しい答えを用意しなければならない」「一般市民は科学に疎いので、こわい情報を流すとパニックになる」。こうした思い込みから政府は安心情報しか流さなかったし、「分からない」と明言しなかった。状況が分からないのだから、「うまくいっていればこの程度で済むが、最悪の場合はこういう事態もあり得ます」というように、幅を持たせて情報を出すべきでした。幅があっても偏りのない、たとえば安全側にのみ偏っているのではない知識が求められていましたが、「出してもパニックにならない」という信頼感がなかったのでしょう。「当面は問題ない」という情報ばかり流し、逆に信用されなくなりました。

 --「新聞とネットで書いてあることが違う」と、受け手の側に不安も生まれました。

 ◆ 本来、複数のメディアがあり、そこで紹介される意見に違いがあるのは当然で、その中から信頼できる情報を選べる程度に成熟している社会なら問題ないと思います。そうではない側面もあったので混乱が生まれた。しかし混乱の中から「自分たちで勉強しよう、測ろう」という動きが出てきました。福島県郡山市の小学校では、父母が「もう文部科学省に任せておけない」と、校庭の線量を測り、自分たちで表土をはぎ、行政を動かしたし、ホットスポットを抱える千葉県柏市の市民グループも動き始めました。

 長い間日本人が慣れてきたパターナリズム、「お上に任せておけば大丈夫」という考えが崩れたことは「自律への兆し」だと思います。こういう大事なことを人任せではなく、自律的に判断しなくちゃと、行動し始めたのは評価されていいのではないでしょうか。英国では、BSE(牛海綿状脳症)で多数の死者が出て、「政府は信用できない」と怒った市民が、自ら科学技術について考え始めました。

 --パターナリズムや科学への信頼は日本特有ですか。

 ◆ 北欧などは、科学技術の問題に関しても専門家の意見は割れて当然と考えるんですね。だから政策決定の時には両方の意見を聞いて国民が決める。ところが日本人には「科学(者)はいつも正しい。科学の答えは一つ」という思い込みがある。それを政府がうまく使っているのが審議会という政策決定プロセスで、「御用学者」と呼ばれる専門家の意見を持ち出し国民を納得させてきたわけです。

 ◇世界に貢献、日本の出番
 --社会の側に課題は?

 ◆ 理科教育ですね。たとえば高校物理の教科書で放射能を教える場合、「半減期1600年のラジウム1グラムが4分の1になるまでに何年かかるか」という問題を解かせる。それに対し、英国の高校生が学ぶ「21世紀科学」という教科書の物理では、「あなたがロンドンからオーストラリアへ行くとして、計18時間のフライトで浴びる放射線量を計算しなさい」となる。入試に合格するための知識か、日常生活で不可欠な知識かという大きな違いがあります。予防接種、遺伝子組み換え食品など、科学的な知識を応用して判断しなければならない日常的な問題はいくらでもある。理科の教科書も変えないといけません。

 --日本はどう変わるべきですか。

 ◆ この事故を経験した民主主義国家である日本が今後どのような対応を取り、どういう情報発信をするか、世界が注目しています。チェルノブイリ原発事故後、原子力に関するいくつかの国際的な条約ができました。「フクシマ後」は日本が貢献するのが当然です。

 科学者に関してですが、私は4月下旬、34学会に所属する科学者44万人が出した声明に失望しました。「研究費削るな」とか研究者共同体本位のことが書いてある。同じ時期、フランスの科学者団体が出した声明は「福島をきっかけにエネルギー選択や原子力の安全性について科学者が議論すべきだ」との内容でした。倫理観や社会的責任を信念として行動する科学者が減っているように思います。事故後始まった「自測活動」では、同じ地域に住む科学者が協力しているところもある。市民と一緒に活動する、こういう形での貢献もあると思います。

 ■ことば
 ◇科学技術社会論
 科学技術と社会との境界で発生する課題を研究する分野。公害、原子力、食品の安全など、科学技術が生活に影響を及ぼすテーマについて、社会学、人類学、政治学、哲学、歴史学、計量学などさまざまな方法論を使って分析する。

 ■人物略歴
 ◇ふじがき・ゆうこ
 東京大大学院博士課程修了。東京大助手、科学技術政策研究所主任研究官、東京大准教授を経て現職。編著書に「専門知と公共性」「科学コミュニケーション論」など。専門は科学技術社会論。
    --「急接近:藤垣裕子さん 原発事故後の科学技術と社会の関係は?」、『毎日新聞』2011年12月24日(土)付。

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覚え書:「秘密保全法案:反対意見続々と 識者に聞く」『毎日新聞』2011年12月24日(土)付。

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秘密保全法案:反対意見続々と 識者に聞く

 政府が来年の通常国会への提出を目指している「秘密保全法案」に、研究者など各団体から反対意見が相次いでいる。外交、防衛、治安の幅広い分野で、国家の安全を揺るがしかねない情報を「特別秘密」とし、公務員らによる漏えいに対し厳罰を科すことで未然に防止しようという狙いだ。一方で、国民の知る権利や取材の自由は大きな制約を受けることになる。何が問題点なのか。識者に意見を聞いた。【臺宏士、日下部聡】

 ◇情報非公開、流れ助長--現代史家・日本大講師、秦郁彦氏
 政府保有の公文書は国際的慣行に沿って一定の年月(例えば30年)が経過すれば極めて一部の例外を除き原則としてすべてを秘解除して公開する「自動的秘解除」方式を採用するよう私は訴え続けてきた。どんな文書でも担当官が全文に目を通してから秘解除する現行の方式では新たな秘密文書が増加していくスピードに追いつけないからだ。外務省だけは原則として30年経過した外交文書を公開すると宣言しているが、実際には50年以上経過した日ソ、日韓交渉の記録を出していない。

 国立公文書館は「80年原則」を唱えているが、「人手不足」を理由に100年以上前の文書を黒塗りのまま放置している。他省庁では年限さえ決めていないところが多く、問い詰めると1000年前の文書でも申請があれば検討して秘解除することもありうるとの答えにはあぜんとしたことがある。

 情報公開法(01年施行)は、こうした閉塞(へいそく)状況に風穴を開けると期待されたが、抱き合わせで生まれた個人情報保護法(05年施行)によって骨抜きどころか、かえって不自由になってしまった。個人情報の範囲がとめどなく広がり、児童の連絡簿さえ作れなくなる事態を招いている。著名人でも生存や没年を確かめられないので遠からず人名事典の刊行は不可能になりそうだ。

 国立公文書館で開示されたBC級戦犯の裁判記録では、以前は公開されていた被告の人名がアルバイトの手で全部消され(黒塗りされ)ている。館長に会って「せめて館長の判断で消してください」と要望したが、「政府の方針ですから」とにべもなかった。「紫式部や徳川家康でも消させているのか」と聞いたら、「人名はすべてと指示しているからそうなっているかもしれません」との返事だ。それでも外国人の名(多くは被害者)を消していないのは不思議である。

 世界最悪とも言える非常識がまかり通っている現状を改めるには、個人情報を含めた30年経過後の自動的秘解除方式しかない。政府はまず情報公開法、個人情報保護法の欠陥是正に着手すべきで、情報非公開に輪をかける秘密保全法は絶対に反対だ。

 ◇知る権利の保障、先に--弁護士・田中早苗氏
 今問題になっているのは情報漏えいではなく、情報公開の不十分さだ。

 政府は東京電力福島第1原発事故の直後、放射性物質の飛散に関する情報を隠したため、多くの人が被ばくした。

 秘密保全法制の下では「公共の安全及び秩序の維持」を揺るがすという理由で、こうした情報も秘密に指定されることがあり得る。

 また、最近はクレジットカードやネット書店での購入記録など、プライバシーに関わる多くの情報がコンピューター上に蓄積されており、公安当局の情報収集に利用される可能性がある。名義を勝手に使われるなどして無関係の人が誤って「危険人物」扱いされることもあり得るが、秘密保全法制の下では、そのような情報収集自体が秘密になるため、誰もチェックできなくなる。

 「公共の安全と秩序の維持」が秘密の対象に加えられていることは大きな問題だと思う。

 「適性評価」も基準が曖昧で気味が悪い。日本という同質性の強い国でこれを行うと、家族の思想信条にまで食い込むような息苦しいものになるのではないかと懸念する。

 秘密を管理するのは公務員の中でも幹部や幹部候補だろう。今の人事は、出自や家族がどうであろうと、ある意味では純粋な能力主義によって行われているが、適性評価制度の下では幹部への登用に不透明な裁量が働く可能性がある。日本の公務員制度を変質させる恐れがある。

 政府は秘密保全法制の必要性を説くときに「他国にもあるから」という論理を持ち出すが、歴史の違いを考えるべきだ。

 日本が長らく強力な秘密保護法を持たなかったのは、戦前の体制への回帰を恐れた米国の意向や日本自身の反省があったからだ。政府が例示する欧米諸国の多くは、秘密情報でも50年後には公開が義務づけられるなど、情報公開の原則が確立している。

 日本で求められているのは秘密保全ではなく、先延ばしになっている情報公開法の改正など、国民の知る権利の保障である。(談)

 ◇きっかけは「尖閣ビデオ」流出問題 外交・防衛・治安が対象、罰則も
 秘密保全法案は、沖縄・尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した様子を撮影した映像が10年11月にインターネットの動画投稿サイトに流出したことを受けて、仙谷由人官房長官(当時)が制定に意欲を示したことがきっかけだ。

 この時期、警視庁などが作成したとみられる国際テロに関する捜査資料のネット上への流出が重なり、情報保全が政治問題化。同年12月には官房長官をトップとする「政府における情報保全に関する検討委員会」が設けられ、その下の有識者会議で今年1月からたたき台づくりが始まった。

 今年8月、同会議が公表した報告書によると、「国の存立にとって重要な情報」だとして、「特別秘密」の指定対象は▽国の安全(防衛)▽外交▽公共の安全及び秩序の維持--に関する3分野の機密情報だ。これらの情報は情報公開法でも不開示にできるとして「国民の知る権利を制約しない」としている。

 特別秘密の取り扱いにかかわる公務員らに対して、日本の利益を害する思想の持ち主かどうかや犯罪歴などの「適性評価」を実施し、対象者は配偶者も含めるという。

 罰則の上限は、故意の漏えいについて、自衛隊法に定める防衛秘密漏えいと同じ懲役5年と、MDA(日米相互防衛援助協定)秘密保護法などと同じ同10年とする2案がある。また、特別秘密にかかわらない一般人も社会通念上是認できない手段による情報入手については、「特定取得行為」として処罰を認めた。「たまたま文書を拾った」などの行為は処罰されないが、取材手法によっては含まれる。政府の検討委員会は「法案化作業に当たっては、国民の知る権利や取材の自由等を十分に尊重する」との留意事項を示した。

 民主党内には取材活動であっても規制するよう求める声もあり、メディア規制法と批判を浴びた個人情報保護法同様、「保全」を口実に不祥事や情報隠しに悪用するという落とし穴を法案に潜ませる懸念は大きい。

 それでは、報告書が参考とした防衛秘密制度は、どう運用されているのか。

 05年、南シナ海で中国海軍の潜水艦が火災事故を起こしたことを読売新聞が報じた。これに対して、陸上自衛隊警務隊は防衛省情報本部の1等空佐を防衛秘密漏えいで東京地検に書類送検(起訴猶予)。同省は懲戒免職処分にした。当時、識者らからは、付近の民間船舶の安全航行上、率先して公表すべき情報で、秘密には当たらない、との批判が出た。

 検討委員会事務局の内閣情報調査室が作成したリストにある8件の主要な漏えい事件のうち起訴は2件。MDA秘密保護法違反で起訴された元3等海佐の懲役2年6月(執行猶予)が最も重い確定判決だ。また、不起訴(起訴猶予)は4件と半分を占める。現行法による抑止が十分働いているとも言えるほか、リストには立法化して保護する必要性に疑問が残る「尖閣ビデオ」も含まれている。
    --「秘密保全法案:反対意見続々と 識者に聞く」『毎日新聞』2011年12月24日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/12/24/20111224ddm012010028000c.html


覚え書きにコメンタリーするのもナニですが、いやしかし……

PC監視法、それから今回の秘密保全法案。

関東大震災後の一連の治安立法の矢継ぎ早の成立の歴史を振り返ると、危機を煽るわけではありませんが、すこしづつ暮らしにくい世の中へシフトしているような気がするんだよな。

加えて世間様では犯罪が増加しているという権力の利益誘導が功を奏して、「何でも規制じゃ」って空気が圧倒的。

しかし実際には刑法犯罪は減少しているんだよね。
→メディアにも問題はあるけど、刑法犯は9年連続で減少へ 警察庁の犯罪統計 - 47NEWS

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刑法犯は9年連続で減少へ 警察庁の犯罪統計

 警察庁が15日まとめた1~11月の犯罪統計(暫定値)によると、刑法犯認知件数は、前年同期から9万5633件(6・5%)減の136万9279件で、通年での認知件数は昨年を下回り9年連続で減少する見通し。検挙率は前年同期比で0・2ポイント減の31・6%だった。

 東日本大震災の被害が大きかった岩手、宮城、福島の3県では震災発生後の3~11月の認知件数を分析。前年同期比で17・6%減少したが、東京電力福島第1原発事故を受け立ち入り禁止となった警戒区域の大半を管轄する福島県警双葉署管内では、窃盗犯が253・8%増となった。
    --2011/12/16 05:00 【共同通信】

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http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011121501001765.html


拙速かつコッソリと進む様がこわい。

そもそも考えてみれば、原発の輸出という死の商人と、人間精神の自由を制限しようとする人が同一人物だということ(;_;)も忘れてはいけないんだろねぃ(涙

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覚え書:「ザ・特集:「通販生活」の思想 創業者・斎藤駿さんに聞く」、『毎日新聞』2011年12月22日(木)付。

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ザ・特集:「通販生活」の思想 創業者・斎藤駿さんに聞く

 ◇原発国民投票呼びかけ/旧ソ連の被災者支援18年
 雑誌「通販生活」が、原発の是非を問う「国民投票」を呼びかけるCMを流そうとして、放送局に拒否された。護憲や環境保護を訴え、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちを支援する異色のメディア。その「思想」の在りかを、創業者の斎藤駿さん(76)に聞いた。【宍戸護】

 ◇電化製品を売るうちにも「チェルノブイリ」の間接的な責任はある 支援活動を通じて日本の電力会社に注意喚起したかった
 <原発、いつやめるのか、それともいつ、再開するのか。それを決めるのは、電力会社でも役所でも政治家でもなくて、私たち国民一人一人……>。黒い画面に流れる白い字幕を、俳優の大滝秀治さんが読み上げる。「通販生活の秋冬号の巻頭特集は、『原発国民投票』」と結ぶ、30秒のCM。通販生活を発行するカタログハウス(東京都渋谷区)は10月、以前からCM枠を持つテレビ朝日の報道番組「報道ステーション」での放送を希望したが、断られた。
 テレ朝の早河洋社長は11月29日の記者会見で、この問題について<報道番組のCMは番組内容と混同されないようにする><社会・公共の問題で意見が対立しているものについては、できるだけ多くの角度から論じる>という日本民間放送連盟の基準に抵触する恐れを挙げ、現状では国民投票は憲法改正しか問えないのに「あの表現だとすぐにでもできてしまうということになる」と語った。

 カタログハウスを訪ねた。

 「正面から『原発をやめさせたい』と主張すれば、テレビCMで禁止されている意見広告になります。ただ、いつやめるか、いつ再開するか、みんなで決めればいいというのは、中立な意見だと思ったのですが……」。創業者で現相談役の斎藤駿さんは、そう話した。結局、ほぼ通常内容のCMに差し替えたが、1点だけ違いがあった。「『原発国民投票を』と刷りこんだ表紙が放映されたことは、進歩ですね」と苦笑した。この号では、作家の落合恵子さんと自民党の河野太郎元幹事長代理の対談や、「原発なしでは電力需要はまかなえないのウソ」といった記事が掲載されている。
 早大文学部卒業後、出版社の編集者などを経た斎藤さんが通販生活を創刊したのは1982年。年3回(春、夏、秋・冬)発行で、1号200~300ページ。1冊180円で書店などで売っている。スポンサー広告を一切掲載しないのも特徴だ。「街では入手しにくい商品」をコンセプトに、生活雑貨から衣類、野菜まで扱い、伊デロンギ社のオイルヒーターなどのヒット商品も世に送り出してきた。著名人の使用体験談や実証実験を載せて多方向から紹介し支持を広げた。「きんさん、ぎんさん」をCMに初めて起用したことでも知られる。現在の読者は約130万人、年商約300億円という。
 雑誌は、通販コーナーが半分を占め、残り半分には、編集部が企画した特集や読み物を掲載。斎藤さんによると、87年、中曽根康弘内閣時代に防衛費が国民総生産(GNP)の1%を突破したことについて、読者に是非を問うたのが政治的主張の始まりという。
 以来、護憲やオゾン層破壊の影響などさまざまな問題を提起し、86年のチェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちを、救援するキャンペーンも展開した。
 「原発の危険性を身をもって証明してくれたのが、チェルノブイリで被災した子どもたち。掃除機など電気を使った製品で利益を得ているうちの会社にも、あの原発事故に間接的な責任があると思ったのです」。斎藤さんは声を大きくした。
 通販生活は、旧ソ連が崩壊しかけた90年、チェルノブイリ事故被災者の「現地からの手紙」を載せ、1口2000円の寄付を読者から募り始めた。以後、18年間続いたキャンペーンで集まった寄付は約4億8000万円。チェルノブイリを支援する国内12市民団体や、各地の医師とも連携し、甲状腺がんを診断するための超音波診断装置や、白血病の治療に必要な無菌室、抗がん剤を現地に届けた。チェルノブイリ関連の雑誌記事は通算で100ページを超え、一部は本にもなった。
 「子どもたちの可哀そうな現状を訴える記事を出し続けることで、日本の電力会社に緊張感を持ってほしいという思いも半分あった。チェルノブイリを反面教師として、日本では事故を起こさないで、と言いたかった」。だが、3月11日の東日本大震災で福島第1原発事故が起きた。
 すぐに福島の子どもたちを支援する活動を始めた。読者から救援金を募り、8月末までに集まった寄付は約3600万円。食品の放射線量を測れる測定器8台を、県内に順次設置し、空間線量測定器50台の貸し出しも始めた。夏には福島県の母子約810人を長野県に1週間招待したほか、被災者の甲状腺検査を進めるNPOも支援している。
 だが今、斎藤さんは苦渋の表情を浮かべる。「私たちは結局、原発に反対していたというアリバイ作りをしていただけではないのか。それがうら悲しくてね」
 「新聞は政治や生活のジャーナリズムを追求するが、商品をテストし、批評する通販生活もジャーナリズムの一分野、商品ジャーナリズムと言える。そこから『今の生活はおかしい』という視点が生まれ、社会問題を考えるようになるのは当然の成り行きです。カタログ誌と論壇誌がごっちゃになっているところは、何事もあいまいな今の時代に合っている」。そう語るのは購読者でコラムニストの天野祐吉さんだ。
 一方、同じくコラムニストの泉麻人さんは「広告主体で記事自体は無難なものにまとめている雑誌が多い中、他社広告がないため、広告スポンサーの意向に左右されない、作り手側がやりたいことをやれる数少ない雑誌」と評価する。
 15日、東京・新橋のカタログハウスの直営店を訪れてみた。ミニトマトやニンジン、リンゴなど福島の農産物が店頭に並ぶ。全ての値札の下には1キロ当たり「10ベクレル以下」の表示があった。「15年来の読者」という東京都豊島区の主婦、関京子さん(60)は、これまで通販で掃除機や枕、靴などを購入し、特集ページにも目を通すと言う。「もういい年ですし、放射能のことはあまり気にせず福島の人を応援したい」と、タマネギ、春菊、大葉を買った。
 再び斎藤さん。「通販会社は従来、送り手と受け手が買い物だけで結ばれていましたが、企業が思想を表明し、共感した人が商品を買う時代になっていると思います」
 「原発国民投票」を呼びかけた号の表紙の言葉が、この会社の「思想」を集約しているようだ。

 <今後の原発のありようを決める権利者は、万一のときには子どもの命、ふるさとの喪失、農業牧畜漁業の崩壊を賭けなくてはならない国民一人一人です>
    --「ザ・特集:「通販生活」の思想 創業者・斎藤駿さんに聞く」、『毎日新聞』2011年12月22日(木)付。

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「耳をかたむけようとすらしないひとびと」さえも説得し、かくして理性の真の普遍性を基礎づける「力」

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……顔の現前化は、真なる現前化というわけではない。真なるものなら、永遠にそれに随伴する真ならざるものに関係し、懐疑家の微笑と沈黙とに出会うことをまぬがれない。顔において存在が現前することは、その現前に矛盾するものが存在する論理的な余地を残さない。だから、顔としての顕現が拓く語りにあって私は、いらだったトラシュマコスが『国家』第一巻でこころみたように(もっともそのこころみは成功するにはいたらないのだけれども)、沈黙することで逃れることができない。「糧をもたない人間たちをそのままにしておくことは、どのような事情によっても打ち消すことのできない過ちである。だから、その過ちには、故意であったかなかったかという区別は適用されない」と、ラビ・ヨハナンは語っている。人間たちの飢えのまえで責任は、ひたすら「客観的に」測られる。この責任は回避不可能である。顔によって拓かれる本源的な語りの最初の語は責務なのであって、どのような「内部性」によってもこの責務を避けることはできない。本源的な語りとは語りへと参入することを義務づける語りであり、語りをそもそも開始することである。それこそが合理主義が切実にもとめることがらなのであって、「耳をかたむけようとすらしないひとびと」さえも説得し、かくして理性の真の普遍性を基礎づける「力」なのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限 下』岩波文庫、2006年、45-46頁。

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今日は私淑する20世紀最大の思想家、エマニュエル・レヴィナス老師(Emmanuel Lévinas、1906-1995)のご命日。

(仏式で言えば)一七回忌。

謹んで手を合わせさせていただきました。

「耳をかたむけようとすらしないひとびと」が猛威を振るったのがこれまでの人間の歩み。

であるとするならば、それが「フツー」な状態であることを承知のうえで、どのように「汝殺す勿れ」の戒律をリアリティのあるものとして受け止めていくのか。

前日の24日はクリスマスイブ。

僕の辞書には「休日はない」。

……というわけで、姿勢の職場で仕事していたのですが、閉店後かなりの時間が経ってから…フロアで営業時間が違うので…、取り置きしていた商品を引き取りに来たお客様が来店。

別の人間が一次応対にて「その旨」お伝えしたところ、、、

「責任者だせや、ゴルァ」

……って結局、僕が赴かざるを得なくなり、お話を伺い、イレギュラーな対応ですが商品授受をして案件クローズ。

※てか、けっこう面倒な商品だったので探すので一苦労。いきなり恫喝とかなしだろうと思いつつも、それがお客様のお子さまへのクリスマスのお祝いの一品だったようですから……「責任者だせや、ゴルァ」というのもわからなくもないものの、それでも「お客様は神様ではないだろう」と思いつつ、引き裂かれたワタクシ。

まあ、いずれにしても、お子さまも喜ばれ、ゴルァさんも安堵されたことだし、僕も胸をなで下ろしましたから、人間の地平がそこにあるという寸法なんでしょうなぁ(´Д` )

ただ、そんなことを経験しつつ、哲学だの宗教だのの言説を研究していると、まあそのひとこと、ひとことがリアルな言葉として生活の中で「立ち上がってくる」のは否定しがたい事実であり、そのことでは「ゴルァ」さんにも感謝すべきだし、また人間的と非人間的の狭間を示唆する老師の論考には、読むたびに深く啓発をいただいております。

人間の存在への責務。

今日をひとつの区切りに、また自分自身も現実のただ中で考察を深めていきたいと思います。


以上。


Levi


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覚え書:「隠れキリシタン墓地、長崎・垣内集落に現存」、『読売新聞:九州版』2011年12月24日(土)付。

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隠れキリシタン墓地、長崎・垣内集落に現存

長崎市多以良町の垣内集落に残るキリシタン墓地について、地元研究者らのグループ「外海(そとめ)キリシタン研究会」は23日、禁教令が出されていた江戸時代に造られた可能性が高いと発表した。隠れキリシタンの墓地が破壊されずに現存しているのが確認されたのは初めてという。
 墓地は約120平方メートル。石を長方形に並べた「長墓」と呼ばれる墓碑64基が40~50センチ間隔であり、その一部は複数の石の上に1枚の長方形の石を置く1600年代中頃(江戸時代初期)の特徴を有しているという。江戸時代の垣内集落は佐賀藩深堀領の飛び地。周囲に領地があった大村藩は幕府の禁教令を受け、キリシタン墓地を破壊し、仏教式に改めさせていた。
 長崎歴史文化博物館(長崎市)で地域史研究に携わる同会の大石一久会長(59)は「深堀領では弾圧が厳しくなく、飛び地だったこともあって見逃されたのでは」と推測する。
    --「隠れキリシタン墓地、長崎・垣内集落に現存」、『読売新聞:九州版』2011年12月24日(土)付。

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覚え書:「奪われた私:DV防止法10年」、『毎日新聞』1~4まとめ

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奪われた私:DV防止法10年/1 見えない暴力、傷深く

 ◇人格否定、罵倒、無視… 相談しても理解されず
 志村まさ代さん(37歳、仮名)は今、大手メーカーに勤める夫(38)と離婚調停を進めている。
 恋人同士だった12年前、「ミニスカートをはいてほしい」と強要され、無理やりスカートの裾をはさみで切らされた。異常な言動に戸惑い、結婚を決める際は迷ったが、「優しい時もあるし、私が努力すれば何とかなるのでは……」と思った。
 だが一緒に暮らし始めた直後、夫は「パーマや友人との会話は禁止」などと命じた。まさ代さんが友人の結婚式に行こうとすると、「俺の飯はどうなる」「つまらないやつと付き合うな」と怒鳴った。自分の思い通りにならないと、まさ代さんの髪をつかんで部屋中を引きずり回し、真冬の深夜、暖房のない納戸に「反省するまで出るな」と押し込めた。 それでも「100%家事や育児をこなせば夫は怒らないだろう。自分の努力が足りないのだ」と思った。
 しかし、3、4年前、「仕事を辞めろ」と迫られた時、「私の人生、これでいいのか」と疑問がわいた。長男(8)と長女(6)はいつもおどおどし、母親に強く甘えるなど赤ちゃん返りするようになっていた。
 思い切って地元の家庭支援センターを訪ねた。だが「男の人は子どもみたいなもの。3人育てるつもりで頑張りなさい」と言われただけだった。不眠が続き、突然涙が出たり、気力もなくなった。心療内科に通ったが、医師は薬を処方するだけ。離婚調停のために取り寄せたカルテには、医師に訴えた夫の暴力について何の記載もなかった。
 今年2月、必死の思いで子どもを連れ、民間のシェルターに駆け込んだ。助言を得て離婚調停を申し立てたが、裁判官からは「夫婦のいざこざに子どもが巻き込まれてかわいそう」「私は転勤の多い仕事だから、妻は仕事を辞めた。当たり前のこと」と言われた。

     *
身体的暴力が明らかでも、専門の相談員や司法関係者の中にはDV(ドメスティックバイオレンス)と認めない人がいる。これが言葉や態度による支配など精神的暴力となるといっそう困難だ。
 「体に暴力をふるわれていれば、20年も一緒にいなかった」と、山口みのりさん(47歳、仮名)は話す。
 24歳で大学の同級生だった夫と結婚した。みのりさんは教師だったが、家業を継ぐ夫のため退職した。
 夫は食事が気に入らないと、「なんでこんなものを作るんだ」と何時間も責め立てる。「でも……」などと一言でも口答えすれば、「うるさい!」と怒鳴ってテーブルをたたく。2週間以上、一切口をきかず、みのりさんが読んでいる本や友人らを罵倒し、「おまえはおかしい」「バカだ」と日々繰り返す。
 「何を、どのタイミングで切り出すか、よく考えてから夫に話さないとすぐに攻撃された。とにかく怖かった」という。だが、夫は一人娘を溺愛し、友人や親戚からは「家族思いのいい夫」と評価されていた。
 4年前、みのりさんは持病のぜんそくが悪化し入院。不眠症やうつ傾向も出た。夫の帰宅時間になると体が震え、心臓がバクバク鳴った。そんな時、ふと手にした本に「精神的ハラスメント(暴力)」の記述があった。
 「(相手が)口をきかない」「家の不出来を次々に指摘する」「いったん始まると数週間から数カ月続く」--。自分の家で起きていることと一致した。
 すぐに地元のDV相談センターを訪ねたが、「身体的暴力がないと対応できない」と言われた。その後、離婚裁判を起こした。精神的DVを訴え、友人7人の意見陳述書や医師3人の診断書を提出したが、「すべて却下され、被害妄想とされた」。
 今は実家に戻り、週2回、高校の非常勤講師を務める。しかし娘には理解されず、会えないままだ。朝晩の抗うつ剤と睡眠薬は欠かせない。「実母や妹もいまだに理解してくれず、つらい」と話す。
 内閣府が今年2~3月に実施した「パープルダイヤル-性暴力・DV相談電話」には約2万3000件の相談が寄せられた。89%は女性からで、暴力に関しては精神的暴力(75・9%)が身体的暴力(50・9%)を上回った。
 原宿カウンセリングセンター(東京都渋谷区)の信田さよ子所長は「身体的暴力はわかりやすいが、精神的なものは見えにくく、なかなか理解されない。本人もDVと気づくまで時間がかかるため、精神的ダメージがより大きくなる」と話す。

     *
 DV防止法が施行され今年で10年となる。夫婦や近親者の間の暴力が社会の問題として認識されるようにはなったが、まだ十分に理解されず、恋人間の暴力「デートDV」など、新たな問題も浮上している。DVの被害に苦しむ女性たちの話を聞き、現状を探った。=つづく

 ◇DV防止法
 01年施行。04、08年の改正で、身体的暴力だけでなく、精神的暴力や性的暴力も防止対象に含まれた。被害者の申し立てにより、裁判所は被害者や子ども、親族らへの接近禁止や退去などを命じる「保護命令」を出す。警察庁によると、10年のDV事案は3万3056件。被害者の97・6%を女性が占める。

 ■DVの主な相談・支援機関
 ◇配偶者暴力相談支援センター
 DV防止法に基づき、被害者の一時保護などを行うセンターが各都道府県に設置されている。
 ◇DV相談ナビ
 (24時間。最寄りの相談窓口を音声ガイドで案内)電話0570・0・55210
 ◇デートDV110番
 (火曜18~21時、土曜14~18時)電話050・3540・4477
 ◇日本司法支援センター
 (法テラス・平日9~21時、土曜9~17時)電話0570・078374
 ◇警察相談専用電話
 (平日8時半~17時15分)電話#9110
    --「奪われた私:DV防止法10年/1 見えない暴力、傷深く」、『毎日新聞』2011年12月20日(火)付。

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http://mainichi.jp/life/housing/news/20111220ddm013100019000c.html


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奪われた私:DV防止法10年/2 別れぬ理由「怖いから」

 ◇「交際中の束縛」愛と誤解 法の対象外、対策に地域差
 「そんなことして何になるの?」「バカじゃない」

 森由香さん(20代、仮名)は数年前、ある男性と付き合い始めて数カ月たったころ、何かに興味を持つたび、男性からけなされるようになった。「けんかして前の彼女をボコボコにしてやった」とも聞かされた。ある日、由香さんの携帯電話を勝手に見た男性は、別の男性からのメールを見つけて激高。由香さんの髪をつかんで殴りつけた。顔の骨が折れ、鼓膜も破裂。由香さんは裸足で逃げた。
 「今思うとあのころは毎日うつうつとして、無意識に彼の言動におびえていた」と話す。
 吉田遥さん(30代、仮名)は高校時代、他校の男子生徒と「ラブラブのカップル」だった。学校の休み時間も電話で連絡を取り合い、友達に「愛されてるね」とうらやましがられ優越感があった。彼とずっと一緒にいることが自分の幸せだと信じていた。でも本当はとても嫌なことを我慢していた。
 会うたびにセックスを迫られた。コンドームを使わないことも多く避妊もいいかげんで、毎月、生理が来るまで頭は不安でいっぱい。それでも「彼の要求を断る」という発想はなかった。「付き合えばエッチは当たり前」と思っていたからだ。
 20代でその男性と結婚したが、「お前は最低の人間」など言葉の暴力が激しくなり、ついに離婚。「互いに束縛するのが愛だと信じていた。人生の大事な時期を無駄にした」と遥さんは悔やむ。

   *
 交際中のカップルの間に起きる暴力は「デートDV(ドメスティックバイオレンス)」と呼ばれる。内閣府が10~20代で交際相手がいる(いた)1742人に実施した調査(09年3月公表)では、身体的な暴力や心理的攻撃、性的行為の強要を一つでも受けたことがある、と答えた女性は13・6%で7人に1人だった。男性の場合は4・3%。うち命の危険を感じた経験があるという女性は21・9%(男性は2・9%)に上った。
 デートDVの特徴は、相手を束縛して、支配すること。携帯電話の普及が束縛を容易にし、相手がメールにすぐ返信しないと怒ったり、異性のアドレスを強引に消去させたりする行為も広がっている。ただ本人も周囲も「束縛は愛されている証拠」と肯定しがちなため、支配されていることに気づかないのが実態だ。悩みを独りで抱え込む人も多く、公的機関に持ち込まれるケースはほとんどない。
 「デートDVが生まれる背景の一つに、メディアの中の誤った情報の氾濫がある」と、デートDVの防止に取り組む一般社団法人「notice」の竹内由紀子代表は指摘する。
 漫画の中では、好きな相手に突然キスしたり、強引に連れ去るなど相手の意思を無視した行為はロマンチックに描かれる。「特に恋愛=性関係という思い込みがすごく強い」と竹内さん。男女が付き合えば当然のようにセックスの場面になり、望まない妊娠や性感染症のリスクを知らせることはほとんどない。
 デートDVの被害者は「別れればいいじゃない」と思われがちだが、実際には簡単にいかない。内閣府の調査では、被害を受けた女性の35・9%が「別れたいと思ったが、別れなかった」と回答し、その理由を「相手の反応が怖かった」などとした。たとえ別れても、携帯メールで脅されたり、ツイッターなどで追跡され、数年たっても「追われている」とおびえる被害者も多いという。

   *
 「相手と別れようという時が危ない。そんな時は絶対2人で会わないこと。『別れたら死ぬ』と言うのも言葉の暴力ですよ」
 12月初旬、神戸市の神戸学院大で学生を対象に「デートDV予防啓発講座」が開かれた。NPO法人「ウィメンズネット・こうべ」の講師、柴田多恵さんが、束縛の定義や男女の役割の偏見、カップルが対等な関係を築くヒントを紹介。「みんな良い恋愛をしてね」と語りかけると、学生たちは神妙な表情でうなずいた。
 NPOや一部の自治体がここ数年、デートDVの予防活動に乗り出している。横浜市のNPO法人「エンパワメントかながわ」は07年から啓発講座を始めた。高校生の間で既に多くのデートDVが発生しているとして、1月からは県と連携し、若者向けのデートDV専門相談110番も開設。「彼が避妊してくれないので2度中絶し、3度目の妊娠をしている」「彼に車でひかれかけた」など深刻な被害が寄せられ、加害者側の男子生徒からの相談もあった。
 しかし現行のDV防止法は交際中のカップルを対象としていない。このためデートDVへの取り組みは地域間でバラツキが大きい。エンパワメントかながわの池畑博美・事務局長は「現在はデートDVの被害者に対し、支援団体や公的機関ができる範囲で何とか対応している。法律でカバーし、きちんとした受け皿を整えるべきだ。当事者が中高生や大学生の場合、学校や保護者との連携も欠かせない」と訴える。=つづく

■デートDV危険度チェック

◇相手の暴力的態度を見分ける
□相手は「ブス」「バカ」など傷つく呼び方で呼ぶ
□他の用事で会えないと相手は「自分を最優先にしない」とふてくされる
□しょっちゅう携帯に電話してきたり、あなたがどこで誰と会っているか気にする
□あなたの携帯をチェックして異性の友人のアドレスを消すよう要求する
□あなたは相手を怖いと思うことがある
□相手はとても優しかったり、すごく意地悪だったりする(二重人格的)
□ケンカした時、怒らせるのはあなたが悪い、あなたのせいだと責める
□「おれ(私)のことが好きならいいだろう」と気の進まないことをさせる

 ◇自分の暴力的態度に気付く
□相手が自分の意見に従わないと腹が立つ
□相手の行き先、服装、することに、いちいち指示する権利があると思う
□相手がどんな人と話しているかすごく気になりイライラする
□「自分とあいつ(人や物)とどっちが大切なんだ」と言ってしまう
□腹が立つと、相手の目の前で物をたたいたり、大きな声を出す
□相手はいつも自分の言うことを聞くべきだと思う
□相手が自分のことを好きなら、嫌なことでも応じるべきだと思う
※一つでも該当すれば要注意。
 (ウィメンズネット・こうべのデートDV予防啓発講座資料より)
    --「奪われた私:DV防止法10年/2 別れぬ理由『怖いから』」、『毎日新聞』2011年12月21日(水)付。

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http://mainichi.jp/life/housing/news/20111221ddm013100129000c.html


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奪われた私:DV防止法10年/3 悪いのは俺だけ、じゃない

 ◇「加害」の認識乏しく 価値観変える取り組み始まる
 川野洋二さん(30代後半、仮名)はすらりとした長身。笑顔がさわやかだ。とても問題を抱えている人のようには見えないが、「今にして思えば、妻を力でコントロールすることが自分にとって一番楽だったんでしょうね」と話し始めた。
 30歳の時、7歳年下の妻と結婚。3年前に長男が生まれたが、当時は仕事が忙しく、帰宅するのは毎日深夜。育児も家事も手伝うことはなかった。ストレスから家にいると意味もなくイライラし、ドアを思い切りたたいたり、雑誌や新聞を壁に投げつけたりした。 妻から話しかけられるとわずらわしく、「うるさい」「イエスかノーで答えろ」と怒鳴った。夫婦のくつろいだ会話はほとんどなく、妻の言葉は無視するか、ことごとく遮るだけだった。
 一昨年2月、親子3人で家族旅行に行くことになった。出掛ける直前、子どもが誤って炊飯器の湯気でやけどをした。川野さんは「なんで子どもをちゃんと見られないんだ!」と妻を怒鳴り、激しく責めた。宿泊先の宿に着いてからも、「包帯の巻き方が違うだろ!」などと怒って、妻の手の甲を思いきりたたいた。その後、妻は子どもを連れ実家に帰ってしまった。
 妻から届いたメールに、意外な思いがした。「あなたのやっていることはDV(ドメスティックバイオレンス)です」。でも、この時は自分をじっくり省みることもなく、「俺だけが悪いわけがない。妻の方にも問題がある」と思い、憤りさえ感じた。
 1カ月後、妻の実家を訪ねた。川野さんを見ると、顔が真っ青になり、全身をぶるぶる震わせた。自分を激しく怖がる妻の様子に、「初めて自分のしたことの重大性を感じた」という。

     *
 1年前、妻が家を出てしまい、現在1人暮らしをする林義雄さん(62歳、仮名)。部屋の隅々まで掃除が行き届き、チェストの上には子どもや孫の写真が飾られている。食卓には柿やくず餅などが置かれ、来客への心遣いが感じられた。
 同い年の妻とは24歳で結婚し、2人の息子に恵まれた。息子たちも独立し、結婚生活は40年近くになる。この間、林さんの口癖は「誰が食べさせてやってるんだ」「なんで俺の言うことがきけないんだ」「嫌なら出ていけ」の三つの言葉だった。
 「男は外で稼いでくる、女は男に言われた通り、家の中のことをすればいい。妻を奴隷的に扱っても構わない、と思っていた」と林さんは振り返る。
 10年ほど前にも、妻は、家を出たことがあった。この時、息子は「お父さんのやっていることはDVではないか」と言い、DVに関する本を2、3冊送ってきた。「自分がやってきたことは精神的DVだったのか」と初めて気付いた。
 民間団体が実施しているDVの加害者向け更生プログラムに1年間通った。でも「夫婦だから、お互いに至らないところはある」という思いは変わらず、自分に大きな問題があるとは考えられなかった。妻に対する怒りはある程度、抑えられるようになったが、数カ月後には以前と同じDV状態に戻った。
 2年前に金融関係の仕事を退職し、一日中家にいるようになると、DVはエスカレート。自分の気分で「飯!」と要求した。風呂が沸いていなかったり、湯が熱すぎたりすると「なにやってんだ!」と妻を罵倒し、日常のささいなこと一つ一つに声を荒らげた。

     *
 DVをなくすには、被害者女性の緊急保護や心身のサポートだけでなく、加害者が自分自身の暴力に気付き、価値観を変えることが必要だ。そんな思いから、東京都千代田区の民間団体「アウェア」では02年、「DV加害者男性のための教育プログラム」を始めた。20~60代の公務員、会社員、自営業などさまざまな男性が参加している。
 参加者は原則として、週1回、計52回以上通わなければならない。妻への虐待行為をはじめ、「DVは犯罪だ」「DVは支配だ」などをテーマにグループで話し合いが持たれる。
 プログラムに参加していることを理由に、男性が離婚調停を有利に進めたり、妻に戻ってもらう手段にしないよう、アウェアは妻にも必ず面談し、夫の参加を希望するか否かを確認している。
 同団体の山口のり子代表は「DVはコミュニケーション能力の有無ではなく、価値観の問題だ。自分が優位に立ちたいという思い込みがDVに結びつくということに気づいてほしい」と話す。
 千葉県で同様のプログラムを実施している「notice(ノーティス)」の竹内由紀子代表は「DVの加害者が変わることは難しい。でも、暴力は後天的に学んだことなので、変われないはずはない。重くて脱ぎにくい男のよろいや、男女役割意識の価値観から脱却することが大切だ」と強調する。
 川野さん、林さんとも現在、加害者更生プログラムに週1度、1年以上通っている。林さんは「人を支配したりコントロールするのは悪いことだと思うようになった。妻が喜ぶこと、望むことを1日1回は考えるようになりたい」と話す。
 川野さんは「自分を見つめ直すことで、怒りを抑えることができるようになった」という。そして今、できることなら、妻とやり直したいと思っている。「自分がまず、変わらなければいけない。妻にしたことは一生かかっても取り返せないが、一つずつ笑顔の共通体験を重ねていけたら」と希望を持つ。=つづく


 ■DV加害者プログラムを実施する民間の相談機関
 ◇アウェア(東京都千代田区)
 電話03・3292・5508
 ※プログラムのファシリテーター(実施者)の養成もしている。

 ◇RRP研究会(同渋谷区)
 電話03・5485・3636

 ◇SEDA(シーダ、同豊島区)
 電話03・5928・5277

 ◇notice(千葉県船橋市)
 電話047・402・6572

 ◇松林カウンセリングルーム(静岡県藤枝市)
 電話054・635・8587

 ◇地域支援ネットそよ風(徳島市)
 電話088・654・1225

    --「奪われた私:DV防止法10年/3 悪いのは俺だけ、じゃない」、『毎日新聞』2011年12月22日(木)付。

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http://mainichi.jp/life/today/news/20111222ddm013100013000c.html


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奪われた私:DV防止法10年/4止 おびえ、傷つく子ども

 ◇夜泣き、多動…虐待連鎖の恐れ 影響軽減へ心理教育
 当時3歳だった長男は食が細く、その日も食事が進まなかった。夫はテーブルを思いきりたたき、「もう食うな。腹が減って謝っても絶対食わすな!」と怒鳴り、食べかけの食事を台所に投げつけた。長男は急に魂が抜けたような表情になり、目は宙をさまよった。 「もうだめだ、このままでは子どもがどうにかなってしまう」。岡田育子さん(43歳、仮名)は覚悟を決め、長男の手を引いて民間のシェルターに逃げ込んだ。
 同い年の夫とは職場で出会い、恋愛結婚した。とても優しかったが、結婚して一緒に暮らし始めると一変。何か気に入らないことがあると怒鳴り、部屋に引きこもった。「こんなもの食えるか!」と、食事を捨てるよう命じたり、育子さんの服や靴が「邪魔だ」といってはゴミ袋に入れた。
 攻撃は育子さんより、むしろ長男の方に激しかった。まだ乳児だった長男が風呂でぐずると、無言で湯に沈めた。育子さんが気づき、慌ててやめさせると「こいつが勝手におぼれた」と言った。長男がぐずって父親をたたくと、力いっぱいたたき返すこともあった。虐待は日々、繰り返されるようになった。
 シェルターに移って数週間、長男の夜泣きが続いた。友達をたたくことも多かった。育子さんがしかると「ママは僕のことが好きじゃないんだ」と泣きじゃくった。
 半年後、支援者の力を得て離婚した。母子支援施設で暮らし、生活も安定してきたが、長男は小学校に通うようになると、「どうせ僕なんか何もできない」「僕が子どもでごめんね」と、自分を否定するようになった。ある子どもの集まりで、長男の言葉や態度が乱暴で目に余ったため、きつくしかると「ママをもっと怒らせたら、優しくしてくれると思った」と話した。
 その場にいたカウンセラーが「暴力のサイクルができあがっているのではないか」と言った。そして、育子さんに「怒った後で優しくするのはやめる」「大声で怒鳴らない」などを心掛けるようアドバイスした。
 このアドバイスに従って接すると、長男は少しずつ落ち着きを取り戻してきた。ただ、今でもテレビで動物の世界の弱肉強食の場面が映し出されると、「嫌だ。見たくない」と泣きながら激しく拒絶する。学校で担任の教師に大声で怒鳴られた時は、「もう怖くて行けない」と言い、1週間学校を休んだこともあった。メンタルクリニックの主治医には「PTSD(心的外傷後ストレス障害)とうつ状態」と診断された。
 「夫から離れ6年たった今でも、子どもにはDV(ドメスティックバイオレンス)の影響が残っている。お互いを尊重するコミュケーションをとりながら乗り越えるしかありません」と育子さんは話す。

   *
 DVは基本的に夫婦間の問題ととらえられ、子どもへの影響が置き去りにされてきた。しかし、子どもに対する虐待の深刻さに加え、子どもがトラウマを抱えたまま成長するなど問題は小さくない。暴力をふるう父親が男性モデルとなるため、大人になった時に同じようなDVや虐待が繰り返される確率も高いとされる。
 DV被害女性の緊急一時保護や就労支援など幅広い活動をしているNPO法人「女性ネットSaya-Saya」(東京都荒川区)は、こうした子どもへの影響を軽減するため、被害女性とその子どものための心理教育プログラム「びーらぶ」を07年から始めた。
 松本和子代表は「子どもたちは夜泣き、多動、暴力などさまざまな問題を抱え、母親は受け止め方がわからず戸惑っている。こうした親子が落ち着きを取り戻し自分らしく生きるためのプログラムは大切」と話す。
 スタンダード(12回受講)を基本に、高学年、低学年、就学前など、年齢に応じたプログラムを準備している。遊びや人形劇を通じ「自分は大切な存在であること」を子どもたちに知らせ、「自分の気持ちを感じ、表現する」方法を学ばせる。また、インストラクターの養成講座を徳島、熊本など全国11カ所で開き、現在までに250人が習得した。
 川崎早紀さん(44歳、仮名)は、インストラクターとして月に数回、子ども向けのプログラムを担当している。早紀さん自身、07年に当時小学3年と幼稚園だった2人の子どもを連れ、暴力を振るう夫から逃げ出したDV被害者だ。
 夫は生活すべてを支配し、気に入らないことがあると早紀さんを殴りつけた。子どもが口答えすると、髪を引っ張って玄関まで引きずり、家の外に突き飛ばそうとした。思いあまって「離婚したい」と切り出したとたん張り倒され、気がつくと夫は馬のりになり、早紀さんは首を絞められていた。「ああ死ぬんだ、と思った」という。
 「こんな生活は、子どもにとってよくない」と決意して夫の元を飛び出した。今は常勤で働き、親子3人協力しながら穏やかな生活を過ごしている。
 「家庭内の暴力は、子どもにとって虐待そのものです。子どもが生きた心地がしないまま暮らすのはおかしい、と気づくことが大切。DV被害の当事者として自分らしく生きられる社会を作るため、私は精いっぱい活動をしていきたい」と力強く話した。=おわり(この企画は小川節子、稲田佳代が担当しました)

 ■DVの子どもへの影響
・不眠、悪夢、眠りへの恐怖感
・頭痛、腹痛など
・攻撃的、怒りの感情
・異常なほどの多動・神経過敏で常に心配している
・それまでできていたことができなくなる(トイレトレーニングなど)
・友達から遠ざかったり、子どもらしい活気がなくなる
・何に対しても感情を表さない
・愛する人の安全を過度に心配する
・集中できない
・繰り返し暴力的なことをして遊ぶ
 (日本DV防止・情報センターによる)

 ■子どものための相談機関
 ◇チャイルドライン
 18歳以下が対象。月~土曜の午後4~9時。電話0120・99・7777

 ◇児童相談所全国共通ダイヤル
 24時間。最寄りの相談窓口へ案内。電話0570・064・000

 ◇Saya-Saya
 電話03・6806・8684~5
    --「奪われた私:DV防止法10年/4止 おびえ、傷つく子ども」、『毎日新聞』2011年12月23日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111223ddm013100005000c.html

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あらゆる政治運動というものは、近寄って見れば、人間的なものから見れば、つねに陰惨で暗澹とした色彩を有する

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 あらゆる政治運動というものは、近寄って見れば、人間的なものから見れば、つねに陰惨で暗澹とした色彩を有する。どのように高尚な理想であっても、現実の地上に具体化された場合には、つねにその理念の姿はゆがめられているものである。
    --ツワイク(高橋 禎二、秋山 英夫訳)『マリー・アントワネット 上』岩波文庫、1980年、341頁。

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そうなってしまう理由にはいくつかあるんだろうけれども、まず一つは、自分自身の党派性を「失念したまま」“中立”を装うパターンがひとつ。

人間には神の如き、完全な真空地帯としての「客観性」の眼差しなど選択しえないから、それを自覚したうえで、異なる見解と向かいあう必要がある。それを失念して自らの考え方を中立的見解であると見たりすると、まあ、「人間的なもの」から遠ざかってしまうてことだよな。

それからこの観点にひとつ付け加えると、そうした「中立」装いすらもすっ飛ばして「猛進」してしまう手合いも多いがそれも「人間的なもの」から遠ざかってしまうことは言うまでもありません。眼としての「神」ではありませんが、自分自身を「神」と錯覚している暴挙ですからね。

そしてもう一つは、「椅子取りゲーム」の勇者をめざすためには、あらゆる立場を利用して、自分を「善」へと位置づけるやり方。「私は正しいです」「差別主義者ではありません」ということを「アピール」することが目的にされた小市民的メンタリティーですが、これは結局の所、自分自身の領地や椅子の保全が最大限になるから、すべての人間は「目的」ではなく「手段」として扱われてしまうて話。

これも同じように「人間的なもの」から遠ざかってしまう。

自分自身が糞野郎であるということ、そしてそれから糞の意見が「中立」でも何でもないてことを自覚しながら、他者とすり合わせていくことが大事なんだが……、このところいろいろな問題で正反が衝突する言説をみるにつけ、その辺りに「盲目」「無自覚」である手合いが多くて「涙」ってことです。

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覚え書:「ひと アーサー・ビナードさん 『核の平和利用』の虚構を切る米国人詩人」、『毎日新聞』2011年12月22日(水)付。

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ひと アーサー・ビナードさん(44)
「核の平和利用」の虚構を切る米国人詩人

 「放射性物質は村正の日本刀よりも鋭い。被ばくしてバサッとやられると、まさに鼻唄三丁矢筈斬り」。知らぬ間に人体を傷付ける放射線を生む原発を、落語ネタで斬る。つじ斬りに遭った人が気付かずに歩き続けたとの内容。福島第1原発事故、核の危険性を語る巧みな話術が関心を呼んでいる。
 日本語に興味を持ち、米国の大学卒業式を待たず90年に来日。落語の寄席に通い出した。95年に初めて広島を訪れ、「ピカドン」という言葉に出合った。原爆を落とされた側の体感から生まれた呼称と知り、視野が広がった。
 少年時代、米国の自宅に父親が好きな画家、ベン・シャーンの画集があった。ビキニ環礁での米国の水爆実験(54年)で死の灰を浴びた第五福竜丸。圧倒的な力強さを持つシャーンの絵をテーマに06年に本を出版しようと、実験の歴史的背景などを調べた。アイゼンハワー米大統領が1953年末、「平和のための原子力」を打ち出し、日本でも原子力時代への夢が語られていたと知った。「軍事利用の行き詰まりをカムフラージュしたペテンだ」
 「核の平和平和利用」の虚構。次作本の構想を進めていた時に東日本大震災が発生。広島に部屋を借り、広島原爆資料館で弁当箱や靴、時計を見つめる。遺品に語らせ、モノに宿る人間の営みと、原爆から原発につながる物語を紡ぎ出さなければいけないと思っている。文・加藤小夜 写真・西村剛

Arthur Binnard 米ミシガン州出身。東京都在住。詩集「釣り上げては」で01年中原中也賞。詩人の妻・木坂涼さんと2人暮らし。
    --「ひと アーサー・ビナードさん 『核の平和利用』の虚構を切る米国人詩人」、『毎日新聞』2011年12月22日(水)付。

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立法者と--法律を施行する者、訓練の教師と--訓練をうけて冷酷に厳正になった者たち。

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七一八(658ー59)
 君たちはみな、人を殺し、ないしはたんに鞭打つだけすらの、ないしは云々するだけすらの気力をもちあわせてはいない--、しかるに国家という巨大な機械は個々人を圧倒し、そのため個々人をは、おのれのなすことに対して責任を負うのを拒否する(服従、誓約、その他)。
 --人間が国家に奉仕して実行するすべてのことは、人間の本性に背いている。
 --同様に、人間が国家における未来の奉仕に関して学ぶすべてのことは、人間の本性に背いている。
このことは分業によって達成される(そのため誰ひとりとしもはや全責任を負う者はない)。すなわち、
 立法者と--法律を施行する者、
 訓練の教師と--訓練をうけて冷酷に厳正になった者たち。
    --ニーチェ(原佑訳)「権力への意志 下」、『ニーチェ全集』第13巻、ちくま学芸文庫、1993年、242頁。

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国家や共同体……それからまあ会社なんてものも加えていいでしょうし、家族ってぇのもいれてもいいでしょう……そのために死んだ人間は数え切れないぐらい存在するが、ひとりひとりの人間のために死んだ国家や共同体は恐らく存在しない。

声高に「ために」を高調する人はそのことを理解しているのだろうか。

 立法者と--法律を施行する者、
 訓練の教師と--訓練をうけて冷酷に厳正になった者たち。

口角泡を飛ばして「ために」「死ね」とか言われても、言っているひとそのものが前者を「気取っている」つもりであっても、その内実は後者にしかすぎないのにね。


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覚え書:「発信箱:まるでカフカ=伊藤智永(ジュネーブ支局)」、『毎日新聞』2011年12月21日(水)付。

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発信箱:まるでカフカ=伊藤智永(ジュネーブ支局)

 アラブ、欧州、北朝鮮。世界があまり激しく動くので、福島第1原発事故が早々と収束し、外国に原発輸出を再開しても、そんなものかと受け流しがちだ。私たちの生き方は変わらざるを得ないと心したのは、ほんの9カ月前のことなのに。
 原発はこりごり、という感情は無理もない。それなら、反原発かと言えば、一足飛びの核兵器全廃論や非武装中立の一国平和主義と似て、自分にだけ都合のいい主張へのためらいがどうしても残る。
 困るのは、権力や専門家にだまされていた、今は目覚めた正義の側にいる、という純真な気負いに出くわす時だ。とはいえ、あからさまに戸惑うのも芸がない。
 そんな時は、寓話の効用である。カフカ創作のこのエピソードはどうだろう。
 掟の前に門番がいる。男が入れてくれと頼むと、「今はだめだ」と断られる。
 門は開いているが、中には次々に門があって、屈強の門番たちがいるという。
 男は懇願を重ね、許しを待ったが、ついに聞き入れられず、死の時が訪れる。
 初めてある問いが浮かび、尋ねた。
 「だれもが掟を求めているのに、どうして私の他にだれも来なかったのです」
 すると、門番は男の耳元で言った。
 「この門はおまえ一人のためのものだったのだ。おれは行く。門を閉めるぞ」
 己の失敗を門番のせいにする限り、男は何世代生まれ変わろうと門に入ることはできない。門はいつでも開いていて、入らなかったのは男自身なのだから。
 男は掟を他人が作る決まり、社会の仕組みと思い込んでいた。しかし、実は男自身の生き方こそ掟に他ならない。
 原発推進派は、別の掟で同じ呪縛にかかっている。原発推進も廃絶も、掟の門の前で待つ身としては同類だ。
    --「発信箱:まるでカフカ=伊藤智永(ジュネーブ支局)」、『毎日新聞』2011年12月21日(水)付。

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安全は魂の本質的要求の一つである

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安全
 安全は魂の本質的要求の一つである。安全とは、魂が不安や恐怖の重圧のもとにないことを意味する。ただし、偶然的な事実が重なったばあいのごく稀な短期間にかんしては、このかぎりではない。持続的な魂の状態としての不安や恐怖は、その原因が失業の可能性であろうと、警察の弾圧であろうと、外国人の征服者であろうと、起こりうると予想される侵略であろうと、あるいは、人間の力を超えるように思われる他のもろもろの不幸であろうと、そのすべてはほとんど致命的な毒である。
 ローマの主人たちは、玄関のなかの奴隷たちから見えるところに、鞭をかけておいた。それを見ると、奴隷たちの魂は、隷従に不可欠な半死の状態に陥ることを知っていたからである。他方、エジプト人にしたがえば、義人は、その死後、「私はなんびとにも恐怖を与えなかった」と言うことができなければならぬとされていた。
 恒常的な恐怖が単なる潜在状態をなし、苦悩として自覚されることがきわめて稀な場合でさえ、その恐怖はつねに一つの病いとなる。それは魂の半麻痺状態である。
    --ヴェーユ(山崎庸一郎訳)「根をもつこと」、『シモーヌ・ヴェイユ著作集 V』春秋社、1967年、52頁。

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まじで意味不明なのですが、10/20から1日も「休日」がない。

いったい、日本社会はどーなってンだorz

これが非正規雇用の実態だ!!!

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覚え書:「教育基本条例案:「大阪維新の会」案 各地の教育界に拒絶感 教師「『罰』ありきの印象」/識者は政治介入を問題視」『毎日新聞』2011年12月19日(月)付。

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教育基本条例案:「大阪維新の会」案 各地の教育界に拒絶感 教師「『罰』ありきの印象」/識者は政治介入を問題視

 教育への政治介入や評価の低い教員の処分規定を盛り込んだ地域政党「大阪維新の会」の教育基本条例案。11月27日にあった大阪の府知事・市長ダブル選で維新の会が圧勝し、実現に向け一歩進んだ。「維新ショック」は全国の教育界にも広がっている。【田中博子、福田隆、遠藤拓、木村健二】

 「教育委員会は、今回の選挙の結果をしっかりと重く受け止めるようお願いしたい」
 ダブル選の当選記者会見で、橋下徹・新大阪市長はこう述べた。維新は現在、府、大阪・堺両市の3議会での条例案可決を目指している。維新の条例案には、これまで「橋下教育改革」に協力してきた府の教育委員も反対を表明。中西正人教育長を除く全委員5人が、条例案が可決されれば辞任する意向を一時表明するなど異常事態となっている。

     ◇
 維新の条例案について、全国の教育関係者は一様に否定的だ。特に現役の教師からは、厳しい批判の声が上がっている。
 栃木県立高校の30代の男性教諭は「教員にも生徒にもまったくためにならない」と言い切る。「教員は自分の評価を高めることにきゅうきゅうとし、同僚と協力しなくなり、クラス編成で成績の低い子を押しつけ合うことにもなりかねない」とし、学校の雰囲気の極端な悪化を予想。「そんな職場で働きたくない」と話した。東京都の市立小に勤める男性教諭(34)は東京の実情と比較しながら「石原都政の10年余りで、都教委が教員への管理を強めた結果、特に若手は現場の状況に即していない指示でも、そのまま従うようになった。大阪もそうなるのでは」と懸念。「問題教員もいるが、背景に過密な労働環境があることも知ってほしい。処分強化で学校は良くならない」と訴える。
 千葉県内の公立高校の50代の男性教諭は条例案について「まず『罰』ありきの印象。教育の質向上が目的なら、処分より研修の充実が先ではないか」とし、統廃合も「定員割れを一方的に努力不足と評価するのは乱暴。結果的に行き場のない子供が増える」と疑問視する。しかし「今の学校には批判をはね返す力はない。生徒が活躍することで、教師の仕事を理解してもらうしかない」とも話した。

 一方、教育行政の立場からは慎重な意見が目立つ。
 文部科学省は府教委の問い合わせに、知事には教育目標の設定権限がないことから、条例案が地方教育行政法に抵触する可能性を示した。同省幹部は「教委に府民の意見がなかなか反映されていない、という改革を求める声自体は前向きに受け止めなければならない。議論を見守りたい」と話した。東北地方のある市の教育長は「一般論だが、教育は信頼関係を基に課題を共有することで、効果が上がる。学校と教育行政に加え、市長部局と教委の信頼関係も非常に重要だ」と慎重な姿勢を示した。

     ◇
 また、有識者は、条例案が基本概念として教育への政治介入を認めている点を問題視する。
 政治評論家の森田実氏は「条例案の一番の問題点は、政治のトップが教育に口を出せる体制を作ること。言うことを聞かない教員を排除するのであれば、戦前、戦中と変わらない」と指摘。「政治権力は『今すぐ成果がほしい』と考え、教育を利用しようとする傾向が強い。教育は国家百年の計で、長い目で考えるべき課題ばかり。たとえ世論の支持があっても、政治権力は教育に干渉、介入すべきでない」と警鐘を鳴らす。
 法政大の佐貫浩教授(教育学)は「橋下氏らは『不当な支配に服することなく行われるべきだ』と規定した教育基本法の趣旨を全く理解していない。知事が教育目標を設定し、教員の処分を厳格にすれば、教育は事実上知事の思いのままになる」とし、「教育基本条例と銘打っても、実態は『取り締まり条例』『処分条例』だ」と皮肉った。

     ◇
 批判的な見方が大勢を占める中、松井一郎府知事は今月、条例案修正の姿勢を見せている。維新の会が少数会派の堺市議会では15日、条例案を否決した。それでも、維新が過半数を占める府議会では、強行採決する可能性は否定できず、2月府議会の最終日まで緊張は続く。

 ◇維新の会の大阪府教育基本条例案骨子
・知事が教育委員会と協議し教育目標を設定
・府立高全校長を公募
・3年連続定員割れの府立高は統廃合
・学力テストの学校別結果を公表
・保護者らの学校協議会が校長・教員を評価
・2年連続最低評価の教員は分限処分(免職含む)
    --「教育基本条例案:「大阪維新の会」案 各地の教育界に拒絶感 教師「『罰』ありきの印象」/識者は政治介入を問題視」『毎日新聞』2011年12月19日(月)付。

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もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

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青年たちの心意気に喝采 
主婦(大阪市)

 今年は東日本大震災に始まり、世界各地で大規模な自然災害が起きました。亡くなられた方や被災された方のことを思うと胸を痛める毎日です。
 そんななか、一つの記事が目に留まりました。大震災で被災した宮城県石巻市の市民らが深刻な洪水被害に遭っているタイの人たちに「がんばれ タイ!」とエールを送る応援ビデオがタイで話題になっているという内容です。
 震災の際にタイの人たちが支援してくれたことを知った日本の青年たちがお返ししようと作成したとのことで、私も動画投稿サイトの「ユーチューブ」で見てみると、感動的な内容でした。どんな災害に見舞われても、今まで積み上げてきた心の宝は壊すことはできない、必ず乗り越えていこうという青年たちの心意気に喝采を送りました。そして私自身、どんな困難にも絶対負けないで乗り越え、周りの人たちに励ましを送れる人間に成長しようと誓いました。
    --「みんなの広場:青年たちの心意気に喝采」、『毎日新聞』2011年12月20日(水)付。

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関連エントリ1 http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111029/p2
関連エントリ2 http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111116/p1


昼食を取ってから、新聞のいわゆる「声」の欄を読んでいてひとつ驚きました。

火が次々に灯じられていくというのはまさにこのことでしょうか。

先に関連エントリのリンクをはっている通りブログでも何度か紹介させていただいておりますが、動画「心の財は絶対に壊れない」。

3月の震災のおり、タイから真心の支援を頂戴したのは記憶に新しいですが、秋にはそのタイが洪水の被害。「あの時の真心を忘れないよ」という東北の被災地からタイへ向けたメッセージを日本の学生たちが作ったというエピソードです。

「心の財は絶対に壊れない」/【Thailand floods】Japan for Thailand」
http://www.youtube.com/watch?v=O3kgdigcHqM:movie


授業でも紹介させていただき、この動画とエピソードから、「自分なんて無力で何もできない」ってややもすると問題の大きさに圧倒されそうになる学生たちに勇気をいただきました。

ひとつの灯火がつぎの灯火をともしていく……そのことを実感したのですけど、それがまたこういう形で紹介されるというのは非常に「希望」がもてるというものです。

冷温停止してないのに「冷温停止」だの、収束していないのに「収束宣言」だの、嘘八百を垂れ流すバカは相手にしてもしょうがないのですし、その非は断固として責めていかないといけません。しかし、そのチャンネルだけに「お任せしてもはじまらない」のもこれまた事実。

であるならば一喜一憂することなく、目の前の人から「希望」をともしていく……ここにつきますねぇ。


「どんな災害に見舞われても、今まで積み上げてきた心の宝は壊すことはできない、必ず乗り越えていこうという青年たちの心意気に喝采を送りました。そして私自身、どんな困難にも絶対負けないで乗り越え、周りの人たちに励ましを送れる人間に成長しようと誓いました」


いやぁ、負けていらねぇ!!!


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 希望ということに考え及んだとき、突然、私はギクッとなった。閏土が香炉と燭台を望んだ際、私は、彼の相変わらずの偶像崇拝ぶりを思って、いつになったら忘れる気かと、心ひそかに彼をわらったのであったが、いま私のいう希望も、私自身の手製の偶像ではないだろうか。ただ彼の願望は手近であり、私の願望は遙かなだけである。
 ぼんやりした私の眼に、見はるかす海辺の緑の砂地がうかんでくる。頭上の紺碧の空には、一輪の金色の丸い月がかかっている。思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
    --魯迅(竹内好訳)「故郷」、『魯迅選集』第一巻、岩波書店、一九五六年、84-85頁。

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覚え書:「時代の風:『1969』の成功=東京大教授・坂村健」、『毎日新聞』2011年12月18日(日)付。

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時代の風:「1969」の成功=東京大教授・坂村健

 ◇「日本はダメ」論を疑う
 暗く重い雲が日本の上空を覆っている。まず経済的状況。日本が特別悪いわけでもない--というより、元気だった中国経済まで変調をきたし世界全体が落ちこんでいる。東日本大震災もあった。そして、前々から言われている財政赤字や少子高齢化に伴う市場の縮小もいまだ改善のめどがない。

 そこで「日本の中に閉じこもっていてはダメだ」、「もっとイノベーションを」というようなことが、声高に言われる。社内の公用語を英語にする企業がもてはやされたり、「米国の有名大学で日本からの留学生が減っているなど、内向きの若者たち」と報道されたりもする。

 若い人たちにしてみれば、生まれたときには高度成長は終わっていて好景気を知らず、物心ついてからずっとデフレや不況が続いている感じだろう。昔も若者の給料は決して高くはなかった。それでも、女の子とのドライブデートを夢見て働き、借金してでもいい車を買ったものだ。「明日は必ず今日より良くなる」という発展途上の「未熟」な国ならではの感覚に基づくモチベーション。それを今の日本の若者に求めるのは無理がある。日本は利益の分担でなく、負担の分担が政治の中心課題という「成熟」した国になってしまった。

 そこに「由紀さおり」である。由紀さおりといえば、まさに「成熟」した大人の歌手という感じだが、その由紀さおりの歌が欧米で話題になっている。連日の米国ツアーも大成功。アルバム「1969」のCDや配信も各国のチャートで上位に。最もうれしいのは、彼女が英語を勉強して新しい路線を始めたのでなく、1969年当時の歌謡曲を日本語で自然体で歌っていることだ。アルバムに加えたボサノバまで日本語である。

 政府の全面バックアップだとか、広告代理店の仕掛けとか、観客は自国ファンがほとんどの「ブロードウェイ世界デビュー」でもなく、そのままの姿の日本が、すでに過去のものだと思っていた日本が、世界で新しいものとして評価されている。なぜ彼女の歌が世界ではやることになったのかというと、スーザン・ボイルの歌声のようにインターネットが関係している。

 「1969」の場合は、米国のジャズ系のバンド--「ピンク・マルティーニ」のリーダーが、由紀さおりの古いレコードを米国の中古レコード店で見つけ、気に入った曲をカバーしてユーチューブにアップしたところから話は始まる。それを見た日本側の関係者が米国にコンタクトし、由紀さおり&ピンク・マルティーニで、コラボ・アルバムを出すところまで行った。さらにロイヤル・アルバート・ホールでの「世界デビュー」画像から、由紀さおりの古い日本の歌謡番組を発掘して英語タイトルを付けたものまで、続々ユーチューブにアップされ人気を増幅している。

 日本の知られざる良品がネットを通じて世界で「新発見」される例は、実は最近いろいろな分野で出ている。例えば「QRコード」。スマートフォンのアプリとして簡単にリーダーをネットからインストールできるようになったおかげで、世界は今「QRコード」の便利さを「新発見」している。ロンドンの街でQRコードがでかでかと貼ってあったり、フランスの雑誌広告、米国のテレビ番組などさまざまな場面で、日本がとっくの昔にやったような企画が花ざかりだ。QRコードの企画ノウハウのある日本企業にとって今はチャンスだ。

 日本の国内市場は巨大で、無理して海外に出る必要もなかった。その結果、ほとんど国内だけで消費され世界で知られていなかったいいものが、日本にはまだまだたくさん埋もれている。逆にいうと、いままでの日本の方がはるかに「内向き」だった。ここにきて少子高齢化などで国内市場がシュリンクし「外向き」が求められるようになってきた。その状況と、変わらぬ「内向き」志向が軋轢(あつれき)を生んでいるから、それが非難され目立つようになってきただけだ、と思ったほうがいい。

 「日本はダメ」論が多すぎる。歌謡曲は「ベタに日本的」で「古くてダサい」から、世界に受けるはずがない、というのは思い込み。単に「知られていなかっただけ」というのは、意外な盲点だ。「すごいですよね、日本語の歌謡曲がそのまま世界発売なんて」と、ご本人はキツネにつままれたようだが、英語が話せれば世界でやっていけるわけではなく、若ければ良いわけでもない。内容があれば、言葉の壁はなんとかなってしまったりする。日本オリジナルな良いものも多いが、どのように世界に出すかといった場合、ピンク・マルティーニのような、世界に主張することにたけている人々と協力する方法もある。そんな考え方も、自分だけで頑張りたがる日本人的には盲点だ。

 英語を話したり留学したり、主張したりすることに向いていない人も多い。しかし彼女はすばらしい内容を持っていたからこそ、米国人が発見し協力して世界に出してくれた。本当にいいものは、知られれば必ず世界は評価してくれる。その「気づき」のチャンネルをインターネットが提供してくれる時代なのだ。=毎週日曜日に掲載
    --「時代の風:『1969』の成功=東京大教授・坂村健」、『毎日新聞』2011年12月18日(日)付。

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「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。

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 「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。
    --和辻哲郎『風土』岩波文庫、1979年、106頁。

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ひとまず月曜日で年度ではなく年内の講義が終了。
後期は70名近くの皆さんが履修してくださり、ありがとうございました。

本日は引き続き人間主義の問題を取り扱い、そのあと最終講義へつなぐための導入を最後にやったのですが、自分の手応えとして、

「少し、難しい話をしてしまったかなぁ」

……と思っていたのですが、リアクション・ペーパーを読み返してみると、完全な杞憂ではなかったようで、それなりに理解してくださったことが分かり少し安堵。

哲学はどこまでも「自分で考える」ことが基本になります。
しかしそれと同時に他者とその考え方をすり合わせる、そして歴史や社会と対話することで独りよがりになることを避けようとする挑戦です。

そこで大事になってくることは何かといえば、やはり、「所与」のものを「所与」のものとして「受け取らない」ってことになるかと思います。

「所与」のものを「所与」のものとして受容するということは、そこで既に思考麻痺が始まることになり、哲学的思索とはほど遠いものになってしまいます。

だからこそ好奇心をもって「これはどうなのか」「実際は?」「おもしろそう」……という形で対象を「観る」ことが必要です。

そのきっかけになるのが、やはり一人一人の良心の内発性ということに収斂していくんだとは思いますが、その意味では、まあ、義務教育自体が相なので仕方アリマセンが、できあいの「他者の思考」を「自分の思考」と錯覚することなく、どこまで丁寧に事物に向き合っていくことができるのか、ここが肝要になってくるんだとは思います。

冬休みはレポートの作成など忙しいとは思いますが、人間や書物、そして世界を丁寧に「観る」ことで価値を「創造」できるひとりひとりに成長する機会にして欲しいなと思う次第。

ともあれ、少し早いですが、受講生のみなさま、よいお年を。


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覚え書:「VIEWPOINT イランで困窮するアフガン難民=ベルナルド・ドイル UNHCR駐イラン代表」、『毎日新聞』2011年12月17日(土)付。

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VIEWPOINT イランで困窮するアフガン難民
ベルナルド・ドイル 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐イラン代表

 イランは、治安悪化が続くアフガニスタンから102万人の難民を受け入れ、パキスタンに次いで世界で2番目の「難民受け入れ大国」だ。イランにいるアフガン難民の大半はキャンプではなく、首都テヘランなど都市部で生活し、イラン人とも共存している。イラン政府は長年、難民に医療や教育など社会サービスを提供し、私たちはその寛大な政策を評価かしている。パキスタンにも同様に大量のアフガン難民を抱えるが、生活水準は格段に低い。
 一方で今、イランから母国に戻るアフガン難民が急増している。今年1年間の帰還者数は、昨年の2倍以上の約2万人と推計される。理由は、イランの経済情勢の悪化だ。イラン政府は財政悪化を受けて昨年12月、電気や水道の料金、パンなどに支出していた大規模な補助金を撤廃し、これにより生活費が大幅に上昇した。政府はイラン人の貧困層には補助金撤廃の影響軽減のため、1人当たり月額約45万リヤル(約3000円)の給付金を払うが、難民まで手が回らず、支給対象外とした。このため難民の困窮が進み、母国に戻る決断をする難民が増えているのだ。
 難民が母国に自発的に帰還するのは歓迎すべきことだ。しかし、今のアフガン情勢を考えると気持ちは複雑だ。治安は十分に改善せず、経済状態も依然悪い。仕事もなく、教育や医療が十分に受けられなければ、帰還しても再びイランへ戻る人が増えるだろう。アフガン難民は今、イランに滞在しTUDUKERUのも、母国に帰るのも困難な状況だ。
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ではイラン政府と協力し、困窮するアフガン難民に健康、教育、生活向上の3本柱で支援している。健康面では、今年6月から難民に医療保険料の補助を始めた。教育の充実も不可欠だ。知識や技術は、母国への帰還後も仕事の幅を広げ、将来の国の再生にも貢献できる。アフガン人は実に勤勉かつ賢明で、潜在的な可能性は大きい。
 日本を含む多くの国が現在、アフガン難民の支援にかかわるが、まだ支援額は大幅に不足している。イランは核開発問題などで孤立する傾向にあるが、国際政治と人道問題とは分けて考えるべきだ。難民受け入れ国というイランの積極的な面にも目を向け、国際社会が支える必要がある。【まとめ・鵜塚健】

 アフガニスタン難民 79年の旧ソ連侵攻による治安悪化を機にイランとパキスタンへの大量の難民流入が始まる。96年のイスラム原理主義組織タリバンによる実効支配、01年の米軍侵攻などで情勢悪化のたびに、新たな難民が増加。アフガン情勢は改善せず、帰還は一部にとどまる。イランでは102万人の登録難民に加え、150万人以上の不法難民が生活。イラン国民が避ける建設や清掃などの低賃金労働に就き、イラン社会を支えている面もある。
    --「VIEWPOINT イランで困窮するアフガン難民=ベルナルド・ドイル UNHCR駐イラン代表」、『毎日新聞』2011年12月17日(土)付。

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国民的憎悪というものは、特種なものである。--文化の最も低い段階にあって、最も強烈に現われるのがつねである

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 国民的憎悪というものは、特種なものである。--文化の最も低い段階にあって、最も強烈に現われるのがつねである。しかしながら、こうしたものが全然姿を消し、いわば国民的なるものを超絶し、隣国の幸不幸も自分の事のように観ずる境地がある。この文化段階が私の性質に適わしい。
    --エッカーマン(神保光太郎訳)『ゲーテとの対話』角川文庫、1965年。

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ちょと時間がないので、先日のtwitterの連投のまとめ(汗

……ってことでw

しかしなぁ、ホント、自分自身(そしてその所属する集団)を尊敬・宣揚するために、他者を毀謗することによって、それを示すことのできない連中(排外主義)っていうのは最低だと思う。

自分自身をそして自分が準拠する集団を輝かせようと思うならば、その批判の眼差しは他者に向けるものではなく、まず第一に自分自身に向けなければならないはずではないでしょうか。

はっきりいうけど、中華人民共和国や朝鮮半島での愛国教育が問題なのは分かっている。「問題なわけ」ですよね。

であるならば、同じような「愛国マンセー」を、対抗心メラメラでやっても、結局は、自分が否定したい相手と「同じ」なんじゃないのかってこと。

いやだから俺たちもそれ以上にやるんだぜ、ゴルァってアホが多いけど、それはそれだけの話しですよ。

要するに「とやかくいう」という意味でのそれ以上に、仮にですが、「道義的」に「美しく」振る舞いたいのであれば、同じ土俵にたってどうすんの?とも思いますよ。
※何度言及しておりますが、そもそも国民国家の概念なんてフランス革命によって「創造」された幻想にしかすぎないわけですよ。それを幻想として受容することができず、実体として流通することに無批判である時点でorzって話しなんだけど、まあ、ひとまず起きます。


さて……。

要するに・・・結局「対他」概念。

「対自」しろって話ですよ。

だからこそ、よその国がどうのこうのというよりも、みずからが所属する国家や精神風土に引き起こされた問題にまず目を向ける必要はあると思うんだよな。
※政治「屋」のお約束パターンは、内政がヤヴァイときは、対他てきに外交でセンセーショナルに「戦略」するっていうのは、どこの国家でも同じなんですがね(汗

まあ、はっきり言うけど、僕はアナキストだから国家爆発しろって立場です。

だけど、中共との関係がどうのだとか云々かんぬん議論スル前にてめぇの所属する国家によって引き起こされた問題についてもスルーするのではなくきちんとみていかないといけないって話しだ。

ポストコイズム以降の歪曲された自己責任論。

例えば生活保護抑制の議論なんてものも、根拠なき誤解にすぎませんよ。要するに失政による不況を始めとする構造的暴力。

日の丸を掲げて行進することは表現の自由だから否定はしないけど、「美しき日本」をだな……造りたいのであれば、外にむかってわいわいがやがややるだけでなくて、国内的問題にもきちんと目を向けよってことです。

そのへんをすべてばっさり割愛して、「国士」様として、威勢のいいことだけいったとしても、「国士」様が大事にしようとしている「大日本帝国」臣民の生活は改善されないってわけですよ。国家によって「酷使」されつづけるのみです。

まあ、要するにかっこわるいって話しですよ。

ゆるやかな文化共同体……というか文化共同体自体もひとつのフィクションなんだどサ……としてではなく、仮にですが実体として受容しつつも、内実を問わず、対他的概念によってのみ宣揚しようとする脳天気さは、要するにかっこうわるいて話しですよ。

あきれる。

結局、僕が一番信頼できないのは、自分の生活とか家族とかそういうものを大切……これは字義通りであって、守るために他者は無視すると同義ではない……にできない職業革命家気質というか、国士気取りで世界をかえてやるゼっていう地に足のつかない議論。どんな理想を語ろうとも、そういう人の欺瞞は苦手だ。

今の世の中、欺瞞工作であふれかえっているよね。


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覚え書:「みんなの広場 米の出荷停止に怒りこみあげる」、『毎日新聞』2011年12月16日(金)付。

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みんなの広場 米の出荷停止に怒りこみあげる
福島市 女性

 福島市の一地域と近隣市で生産された米から基準値を超える放射性物質が検出された。牛肉の時と同じように、東京電力も国も表に出ず、あたかも県・生産者に落ち度があるような態度に怒りがこみあげる。
 藤村修官房長官は記者会見で、「福島県に米の出荷停止を指示した」と発言した。なんと失礼な上から目線のもの言いではないか。謝罪の一言もなかった。
 放射性物質は気流に乗ってどこまでも行くし、ところかまわず付着するやっかいな代物だ。作付けの次期に調査していたらこんなことにならなかったはず。農家の人々の苦労と落胆を思うと、どうしたらいいのかわからない。補償の問題もさることながら、こんな状態では福島県民は生きていく張り合いもなくなってしまう。東電の幹部、政治家の方々、福島県に移住してはどうか。
    --「みんなの広場 米の出荷停止に怒りこみあげる」、『毎日新聞』2011年12月16日(金)付。

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覚え書:「私の社会保障論 興味深い新市長のあいさつ=湯浅誠」、『毎日新聞』2011年12月16日(金)付。

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私の社会保障論 興味深い新市長のあいさつ=湯浅誠(反貧困ネットワーク事務局長)
福祉は最高収益の投資

 「深刻化する住宅難、減少し続ける働き口、憂いが深まる伝統市場や路地商圏、競争力が低下している自営業や中小企業。増える非正規職。そのどれもが、新しい解決策を求めています」
 先ごろ当選した新市長の就任あいさつ文の一節である。新市長は、現政権や既成政党に不満を持つ多くの市民の支持を集めて当選した。「圧勝
」とは言えなかったが、それでも対立候補に7ポイントの差をつけた。弁護士出身でアイデアマンとしても知られ、旧来の政治家像とは異なる雰囲気に、市民は「やってくれるかもしれない」と期待を抱いたのかもしれない。政策は十分に練りこまれているとは言えず不確実な部分も少なくないが、今回の選挙結果は既成政党に大きな衝撃を与えており、すでに新市長を「台風の目」とする政界再編が始まっている。
 新市長のあいさつ文は次のように続く。
 「1%が99%を支配する、勝者が独占し多数が不幸になるという現象は公正な社会ではありません。過度な競争で皆が疲れ弱っていく生活は、公平な世界ではありません」
たしかに、過度な競争は多数の人々を疲弊させ、社会の活力を失わせるだろう。それは公正ではないだけでなく、効率的でもない。だから新市長は次のようにも言う。
 「福祉は人間に対する最も高利回りの貯蓄であり、将来に対する最高収益の投資です。福祉か、成長かの二分法はもはや通用しません。過去10年の間に、成長かのが必ずしも福祉をもたらすわけではないということが明らかになりました。むしろ、福祉が成長を牽引する時代になったのです。何よりも我々は、OECD(経済協力開発機構)加盟国で最下位の福祉水準という不名誉から抜け出さなければなりません」


 投資とは、何も企業に対するものを指すわけではない。新市長がさっそく実現した公約は大学の授業料半額化だった。授業料負担に耐えられず疲弊していく若者の存在は、生産年齢人口が減る中、端的に社会の損失である。それを回避し、人を育てる費用は、貯蓄であり投資だろう。福祉のない成長を、結果的に将来世代の可能性を食いつぶす。それゆえ新市長は宣言する。
 「福祉は施恵ではなく、市民の権利である」と。
 新市長とは、朴元淳(パクウォンスン)。10月26日に誕生した韓国の首都ソウルの新市長である。途中まで「あの人」と似ていると思った方がいたかもしれないが、全然違う。そもそも朴氏は「市長こそが市民であり、市民こそが市長なのです」と言い、独裁を掲げてはいない。

OECD加盟国の福祉 年金や家族給付、就職支援などといった公的社会支出の一般政府支出における割合(07年)でみると、韓国は26・4%とOECD32カ国中(チリとトルコはデータなし)最下位。唯一、30%を切っている。日本は51・7%で11位。トップは57・8%のドイツ。
    --「私の社会保障論 興味深い新市長のあいさつ=湯浅誠」、『毎日新聞』2011年12月16日(金)付。

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結局のところ、時代と目標が異なっても、権力の表象は相変わらず王政のイメージに取り憑かれたままでいる

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 結局のところ、時代と目標が異なっても、権力の表象は相変わらず王政のイメージに取り憑かれたままでいる。政治の思考と分析においては、人は相変わらず王の首を切り落としてはいないのだ。そこから、権力の理論において、相変わらず、法律的権利と暴力の問題に、法と違法性の、意志と自由の、そしてとりわけ、国家と主権の問題に(主権が君主の人格においてではなく集団的存在において問われている場合でも)重要さが与えられるという事態が生じるのである。権力をこれらの問題から考えるというのは、これらの問題を、我々の社会に極めて特殊な歴史的形態すなわち法律的王政から考えるということだ。しかしそれは、極めて特殊であり、結局のところは過渡的な形態にすぎない。というのも、その形態のうち多くの要素が残ってきて、現在なおも残っているとしても、様々な極めて新しい権力メカニズムが次第次第にそこに浸透しているのであり、そのような権力メカニズムは、法律的権利の表象には還元され得ないものだからである。後で見るように、これらの権力メカニズムは、少なくともそのある部分に関しては、十八世紀以降、人間の生命を、人間に生きた身体として引き受けてきたものである。そして、法律的なるものが、完全な形ではないにせよ、権力を本質的に徴収と死とに集中したものとして表象するのに役立ったことが事実だとしても、それは権力の新しい仕組み、すなわち、法律的権利によってではなく技術によって、法によってではなく標準化によって、刑罰によってではなく統制によって作動し、国家とその機関を越えてしまうレベルと形態において行使されるような型の社会に突入しているのだ。我々の下降線は、我々を法律的権利の支配からますます遠ざけているが、その後退は過去において、すでにフランス大革命と、それと共に憲法や法典の時代が近い未来に法律的権利の支配する時が来ると約束していたまさにその時代に始まっていたのだ。
     --ミシェル・フーコー(渡辺守章訳)『性の歴史I 知への意志』新潮社、1986年、115-116頁。

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とりあえず、わかりやすい敵を作ってしまいそれをたたきつぶせば解決すると夢想させたのは、19世紀後半から猛威をふるった社会変革理論ではないかと思います。

さまざまな思潮がその運動理論を補完・強化していったのがその歩みですが、戦争と暴力とよばれた20世紀(そして現在としての21世紀)を概観するならば、その単純なものの見方は何ら積極的なものを生み出すことはありませんでした。

否、それどころか、人間に塗炭の苦しみを味わわせたのがその実際の所ではないでしょうか。
※もちろん、精緻な社会構造論としてのマルクス(Karl Heinrich Marx,1818-1883)の指摘はその群鶏の鶴といいますか秀逸な部類と評価できましょうが、過激さをました後続する実践は、構造分析から遠くかけ離れていったのは事実ですが、ここではひとまず置きます。

そしてそのひとつの沸点が1968年の五月革命(フランス)であり、その見直しが現代思想の課題となるわけで、なかでもフーコー(Michel Foucault,1926-1984)の権力批判論は、今となってみればスピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak,1942-)に指摘された限界としての瑕疵が随伴しますけれども、その卓見は今なお色あせるものではありません。

古典的権力論は、生殺与奪の殺と奪にその特徴を見出します。市民を虐げるものとして過度に演出される嫌いがあったけれども、現代の権力とはそれだけではありません。人間を生かし与えることによって、市民一人ひとりが心から服従するようにディシプリンしていく……。

それを系譜学として見出したのがフーコーの指摘ですが、彼によって明らかにされたこととは何でしょうか。

さまざまあるでしょうが、悪い権力が堅塁のごとく一方に存在し、無辜なる民が一方に対峙しているわけではない……その実情を鮮やかに暴き出したことがその一つでしょう。

左翼思想に代表される急進的な社会変革思想は、体制としての権力を「悪」としてその根治として“たたきつぶす”ことに専念してきました。

たしかに体制としての権力には問題は存在しますから、その業績をすべて否定しようというわけではありません。そして現実に虐げられている人々が存在する事実をスルーしてよいというわけでもありません。

しかし、対決構造演出型のものの見方をとって向き合ってしまった場合、先に言及したとおり、結局の所、悲劇の誕生にしかならないことが多いからです。

イエスorノー、イエスorノーとしてツメていくそのスタイルは、本来の改善・改革よりもあぶりだしに専念し、結局、心根としては「敵をたたきつぶしてしまえば(そして加えるならば、賛同しない人間も敵として一括)、問題はすべて解決する」というお花畑のような発想になってしまうからでしょう。

要するに反対者を取り敢えず叩き潰したら解決するというお花畑のような発想が、あらゆる善意と変革を台無しにしてしまう、この歴史に学ばない限り何をやろうとも破壊になってしまうことは明らかだと思うのですけどねぇ。

たとえば、現在、正味の所民主党政権がうまくいっているとはとても思えません。

しかし「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式に、民主党という言葉に対して「全部ぶっこわせ」っていう脊髄反射は、何ら創造的ではないだろうという噺。

いうまでもありませんが、僕は民主党支持でもありませんし、これは主語を変えてしまえば何に関しても適用できるものだとも思います。

坊主憎いのはしょうがないですよ。

その坊主が糞だったからw

しかし、袈裟切りまでやっているのであれば、我々が唾棄すべきと思っていた歴史上の血塗られた革命家と五十歩百歩。

この原初の事実はふまえておくべきでしょう……ねぇ。

くどいですが、要するに反対者を取り敢えず叩き潰したら解決するというお花畑のような発想が、あらゆる善意と変革を台無しにしてしまうということです。

破壊は一瞬……、建設は死闘ですね。

ぎゃふん。

目の前の人間とどのように関わっていくのか……ひとつひとつの勇気ある関わり、対話、実践、友情……そうした手あかにまみれて振り返ることがほとんどない概念こそ改めて「脱構築」しながらやっていくしかありませんね。


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覚え書:「東日本大震災:アイヌの歌手・熊谷さん寄付 CD売上金を震災遺児に 地方版/東京」『毎日新聞』2011年12月15日(木)付。

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東日本大震災:アイヌの歌手・熊谷さん寄付 CD売上金を震災遺児に /東京

 アイヌ民族のジャズ歌手、熊谷たみ子さん(59)=横浜市=が東日本大震災の犠牲者を悼み、有志で自主制作した支援CD「大地よ」の売上金の一部5万円と、熊谷さんの夫が勤める建設機械レンタル会社「エスシー・マシーナリ」(同市)の協力企業から寄せられた8万円の計13万円が14日、毎日新聞を通じて毎日希望奨学金に寄付された。
 CDは、アイヌ民族の宇梶静江さん(78)が詠んだ詩に曲をつけ、熊谷さんが日本語とアイヌ語で歌う「大地よ」などを収録。現在、がんと闘いながら歌手活動を続ける熊谷さんは「命の重みを日々、感じている。子どもたちの役に立てば」と話した。
 毎日希望奨学金は震災で保護者を亡くした高校生や大学生らを対象に給付している。【明珍美紀】
    --「東日本大震災:アイヌの歌手・熊谷さん寄付 CD売上金を震災遺児に 地方版/東京」『毎日新聞』2011年12月15日(木)付。

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幻滅して徹底的な極端に走ってみるとか(怖

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 ワイマール共和国がヒトラーによって崩壊したのは、ナチスの突撃隊の蛮行もさることながら、まだ磐石ではないワイマール体制を進んで守ろうとする者がほとんどいなかったからである。共産党と社会民主党は非難の応酬に忙しく、ナチスの驚異がどれほど深刻なものか、十分に理解することができなかった。
 大正デモクラシーも、擁護者は少なかった。すでに一九一六年の時点で吉野作造は、著作の中で、日本の知識人には普通選挙の意義を理解できていない者が多いと指摘している。それどころか、現実には多くの知識人が普通選挙に猛反対していた。ドイツでも知識人が何人もワイマール体制に幻滅したように、日本人も民主主義に低俗・堕落・利己主義・腐敗を見たのである。その結果、ある者は急進的な反自由主義へ走り、ある者は病的なほど徹底した内省へと向かった。また反自由主義から内省へ向かう者や、その逆の道をたどる者もいた。
 二十世紀前半の日本で最も影響力のあった哲学者は、西田幾多郎である。仏教思想とドイツ観念論を深く研究していた西田は、新たに日本人独特の思考様式を明らかにしようと試みた。日本らしさの神髄を求める西田の取り組みは、ドイツ観念論の日本版といえよう。その成果は、近代日本の所産の例に漏れず和洋折衷で、禅思想にヘーゲルとニーチェを混ぜ合わせ、さらに弟子の手を借りてハイデッガーを加えたものとなった。西田哲学の基本は、主観と客観の融合にある。そこでカギとなるのが、理性に妨害される前の直接経験だ。これは、仏教の悟りとヘーゲルの「絶対精神」を合わせたようなものである。直接経験において個人は集団と合一しているという。
 こうした思想は、京都帝国大学の教室の中で学問的に論ずるだけであれば何の問題もなかっただろう。しかし現実は違った。一九三七年、文部省は有名な冊子『国体の本義』を刊行し、国民に「小我を捨てて」、自分たちの生命の源を「天皇に仰ぎ奉る」よう説いた。さらに同所には、日本人は精神の純粋さにおいて他のどの国よりも優れており、「西洋諸国に於ける所謂人民と全くその本性を異にしてゐる」と書かれている。政治的害毒に満ちた文書だが、これなどはまさに西田哲学の主観を日本国民、客観を天皇に置き換えて両者の合一を説くのに利用した一例と言える。
    --イアン・ブルマ(小林朋則訳)『近代日本の誕生』講談社、2006年、93-95頁。

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ちょいと、忙しく言及できないのですが、メモだけ少し。

結局の所、別にはナチスは今存在しないけれども、批判ではなく非難の応酬に忙しいと碌なことはないね、ということがひとつ。

それから吉野作造(1878-1933)への言及があったので、抜き書きしたわけですが、イアン・ブルマ(Ian Buruma,1951-)が描写する通り、体制への幻滅=どのような無茶をやってもいいわけじゃなし、その結果はこれまた碌なことがないね、ということがふたつめ。

最後は、西田哲学の暴力性の簡潔なまとめ。

よく突いていると思います。

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「専制政治が悪いということから出発」しないとねぇ

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 また実際、主権のパラドックスを免れた民主的抑制の理論が展開できることを示すことは困難ではない。私の念頭にある理論は、いわば多数派支配が本来良いとか正当であるという教説から出発するのではなく、むしろ専制政治が悪いということから出発するのである。もっと精確に言えば、専制政治を回避しそれに抵抗しようとする決定、ないし提案の採用に基づくのである。
 というのは、統治の二つの主要な類型を区別してよいからである。第一の類型は、流血なしに――例えば総選挙で――排除できる政府から成る。すなわち、被支配者が支配者を解任できる手段を社会制度が与え、またこれらの制度が権力の座にあるものによって容易に破壊されないように社会の伝統が保証するのである。第二の類型は、被支配者が革命成功の場合を除いては――すなわち大ていの場合には全然――排除できない政府から成る。私は第一の型の政府の略号として「民主制」という言葉、第二の型には「専制政治」または「独裁制」という言葉を提案する。
    --カール・R・ポパー(内田詔夫・小河原誠訳)『開かれた社会とその敵 第一部』未来社、1980年、129-130頁。

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民主主義に対する批判は、それを真理の実在という観点から、不完全として斥けようとするアプローチが多いけれども、おそらくそれはひとつの誤解なのかも知れません。

別に、民主主義を全肯定し、金科玉条のようにその橋頭堡を死守するぞってつもりは毛頭ありませんが、なぜそれを採用した方がいいのかってところは、突き放したような形であれ、理解しておいて損はないと思うんですよね。

要するにそれが採用される必然は、まさに「よりマシ」だから……ってところに収斂していくという事だけなんです。

だから、民主主義自体に文句をいってもしょうがないし、システムの不備や運用状況の問題をdisるだけdisって、ぶっ壊せというのは「早計」以外の何者でもありません。
※加えて、そのより「マシ」を活用するためには、絶えざる「たらしめる努力」が要求されることはいうまでもありませんがw

アマルティア・センが「選挙はとても重要な手段ですが、市民社会における議論に効力を持たせる方法の一つにすぎません」と指摘するとおり、投票箱や代議制でのみ民主主義というものを見てしまうと、形体論に囚われすぎて、「投票する機会とともに、脅かされることもなく発言し他の意見をきくことができる機会」という大切な実の部分を見失ってしまう。

たしかに問題は多いと思いますし、ここの事案に対しては対処していくことは必要であることは否定しません。

しかし、機能していないンなら、ぶっ壊せっていうのは乱暴だし、「専制政治が悪いということから出発」して見ていかないとマズイんだよな……と思う訳なのですが……ねぇ。

ここ最近、機能不全を理由に、声高が議論が容認されるような風潮が顕著だから、なおさらそう思ってしまいます。

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 確かに、選挙はとても重要な手段ですが、市民社会における議論に効力を持たせる方法の一つにすぎません。しかも、投票する機会とともに、脅かされることもなく発言し他の意見をきくことができる機会があれば、のことなのです。選挙のもつ効力も、その影響がおよぶ範囲も、公の場の開かれた議論の機会があるかどうかで決定的に変わります。選挙制度だけでは何としても充分ではありません。それは、スターリンのソ連からサダム・フセインのイラクにいたるまで、権威主義体制下の選挙で、独裁政権が驚くべき勝ち方をしてきたことで充分に証明されています。こうしたケースの問題点は、実際の投票行動で有権者が圧力をかけられることだけでなく、検閲制度、反体制派の弾圧、市民の基本的な権利および政治的自由の侵害などを通じて、公の場における議論ができなくなることにもあるのです。
 投票の自由をはるかに超えた、もっと広い見地から民主主義を見る必要性は、現代の政治哲学だけでなく、社会選択理論や公共選択理論などの新しい分野でもさかんに議論されています。こうした問題は政治思想と同じくらい、経済学の理論からも影響を受けます。議論を通じて意思決定をするプロセスによって、社会や個人の優先事項に関する情報は増えるでしょう。そうなれば、意思決定は社会的討議によって変化するかもしれません。公共選択理論の主唱者であるジェームズ・ブキャナン〔アメリカの経済学者〕が述べたように、「民主主義を『議論による政治』として定義することは、意思決定のプロセスで個人の価値観が変わる可能性があり、実際に変わることを意味する」のです。
    --アマルティア・セン(東郷えりか訳)『人間の安全保障』集英社新書、2006年。

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覚え書:「異論反論 雨宮さん ことし一年を振り返ると?=雨宮処凛」、『毎日新聞』2011年12月14日(水)付。

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異論反論 雨宮さん ことし一年を振り返ると?=雨宮処凛
これ以上ない変革の予感
今年もあとわずかだ。

 今、改めて振り返ると、本当に怒濤の一年だった。
 去年の今頃生きていた人たちの命が、大震災によっておびただしい数で奪われた。福島第1原発が爆発し、多くの人が住む場所を追われた。この国に、立ち入り禁止区域が出現した。そして今も、放射能汚染は続いている。
 私たちにとって、本当に大切なものはなんなのか。あの日以来、この国に住むすべての人が常に問われていることだ。「絆」という言葉が強調され、家族の大切さが繰り返される。一方で、原発は「経済」か、「命」かという問いを今も私たちに突きつけている。
 世界を見渡しても、今年は激動の一年だった。アラブの春に始まり、2月にはエジプトで独裁政権が倒された。スペインやロンドンでも人々が街頭に繰り出し、9月にhアメリカで「我々は99%だ」を合言葉にウォール街占拠が始まった。この動きは世界各国に広まり、10月15日には世界1000近くの都市であらゆる場所が「占拠」された。
ここに浮かび上がるのは、資本主義の暴走の限界だ。「99%」という言葉が示すように、あらゆる国でいびつな格差が広がっている。そしてそれは、人々から社会への信頼を奪い、希望の芽を摘んでいる。
 11月、厚生労働省は、生活保護受給者g205万人を突破したことを発表した。このことは、貧困の拡大を示している。受給者の役8割を占めるのは高齢者、障害、傷病世帯。社会的弱い立場の人たちが、最後のセーフティーネットで命をつないでる。しかし、「受給者が増えた」ことは時に「お荷物」のように語られる。3・11を受け、多くの人が「命」について真摯に考えたはずなのに、時にそれは「財源」の陰に隠れてしまう。

経済を基準にするのか
命を基準にするのか
 そもそも、この国は3・11前から満身創痍の状態だった。そこを襲った震災と原発事故。国の財政が厳しいというのはわかる。しかし、基準にすべきは、当然だが「命」だ。そしてそのことは、原発の問題とも通じる。経済を基準にするのであれば、どれほど被ばく労働にさらされる人が増えようとも、原発をつくり、輸出すればいいだろう。しかし、命を基準に考えるとおのずと答えは出てくるはずだ。
 3・11以降。この国では脱原発を掲げた集会やデモが1500以上開催されているという。アラブの春で始まった2011年、この国の人々もまた、立ち上がり始めている。原発事故を受けての国の無策、原子力行政の機能不全、そして故郷を追われた人々、必ず誰かが犠牲になる矛盾が噴出した日本で、多くの人が今、「未来を変える」ために行動している。
 最悪のことばかりの1年だたけれど、私が今感じているのは、これ以上ないくらいの変革の予感だ。
あまみや・かりん 作家。1975年生まれ。反貧困ネットワーク副代表なども務める。「来年1月14、15の両日、横浜市西区のパシフィコ横浜での『脱原発世界会議』に登壇します。世界の人たちと原発を考える会です。デモもあり。ぜひ参加を」
    --「異論反論 雨宮さん ことし一年を振り返ると?=雨宮処凛」、『毎日新聞』2011年12月14日(水)付。

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人間の魂に欠くべからざる糧は自由である

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自由
 人間の魂に欠くべからざる糧は自由である。語の具体的な意味における自由は、選択の可能性に存する。もちろん、ここでいう可能性とは、実際的な可能性である。共同生活があるところではどこでも、共同の利益のために課せられる規律が選択を制限することは避けられない。
 しかしながら自由は、その制限の範囲が狭いか広いかにしたがって、大きくなったり小さくなったりするものではない。自由はそれ固有の十全性をもち、その十全性の諸条件は、そんな安易な尺度で測ることはできない。
 規律は、十分に合理的かつ単純なものであって、そのようにのぞみ、また中程度の注意力をそなえた人間ならだれでも、それらの規律に対応する利益と、それらの規律を課した事実上の必要とを理解できるといったものでなければならない。また規律は、外国のものとか、敵のものとかみなされない権威、それに服する人間たちのものとして愛される権威から発する規律でなければならない。さらに十分に安定し、十分に数少なく、十分に一般的であって、思惟はそれらを決定的なかたちで自己に同化し、なにか決心しようとするたびごとにそれらと衝突することがないといった規律でなければならない。
 こんなわけで、善意の人間たちの自由は、事実上は制限を受けているけれども、自己の意識においては完全な自由なのである。なぜなら、規律は彼らの存在自体と一体になってしまうために、禁じられた可能性は彼らの思惟に現われず、拒否される必要がないからである。これと同様に、嫌悪すべきもの、ないしは危険なものを食べないという習慣が教育によって植えつけられている場合には、その習慣は、正常な人間であるかぎり、食物の面における自由の制限として感じられない。制限を感じるのは子供だけである。
 善意を欠く人間たち、子供から抜け出せない人間たちは、どんな社会状態においてもけっして自由ではない。
 選択の可能性が共同の利益を損なうまでに広範囲におよぶ場合、人間は自由にたいして歓びを感じない。なぜなら、彼らは、無責任、幼稚な言動、無関心といった避難場所、つまり、倦怠しか見出すことのできない避難場所に授けを求めるか、さもなければ、他人を侵害するのではないかという危懼によって、ことあるごとに責任の重圧に押しひしがれてしまうか、このどちらかの状態に追い込まれてしまうからである。このような場合、人間は、おのれが自由を所有すると誤認し、しかもその自由を享受していないと感じる結果、ついには、自由は善ではないと考えるにいたるのである。
    --ヴェイユ(山崎庸一郎訳)「根をもつこと」、『シモーヌ・ヴェイユ著作集 V』春秋社、1967年、31-32頁。

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「東京都青少年の健全な育成に関する条例」が改正されてからほぼ一年。

震災を挟んで多難にみちた時間の経過であったと思いますが、振り返ってみると、ますます「人間の自由」を損なう時代へシフトしてきたような気がするのは僕一人ではないだろうと思います。加えてPC監視法も成立し、ますます……という情況。

気がつけば、ここの人間の奮闘や連帯のヒューマン・パワーが発揮されたかと思うと、ここの人間の息づかいを無視して…そしてついでに言えば、震災下での連帯や共助は日本人同士だけではなかったし、外国人と日本人、外国人同士と様々なパターンがあったにもかかわらずご丁寧にその辺は無視したりしてね…、いきなり上から目線で「日本人はすごい」というグルーピングがはじまったり、「絆」という閂でいきなり締め始めるとかw

すでに国民国家という幻想が揺らぎ始めているにもかからず最後の抵抗を強烈にしはじめたなぁということを、振り返ってみれば痛感した道のりだったかと思います。

自由を制限したいという人間は確かに存在するでしょう。
しかし「自由を制限したい」と欲求するあなた自身の自由も「制限」されるというトリックはお忘れなくという次第です。

現実には、自由という「権利の上に眠る者」は存在するし、それはそれで個別対処していくしかないし、自由を「空気」のように享受している人間は、その意味を内実化たらしめる努力を放擲してはならない。

歴史を振り返れば「無責任」「幼稚な言動」「無関心といった避難所」が人間そのものを結果としては阻害する要因として機能してきたし、権威・権力というものはそこを突破口にして制限へとシフトする。

気が付いたら遅かった……などとなりませぬように、「醒めている」しかありませんな。

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覚え書:「どうする人類、核のゴミ」、『毎日新聞』1~5まとめ

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どうする人類、核のゴミ:/1 英「ピーターラビットの古里」候補地に
最終処分場にすがり 炭鉱、鉄鋼……。この地を去った

 「ピーターラビット」の古里として知られる英イングランド北西部の湖沼地帯。日本人も含め、多くの観光客が訪れるその人気観光スポットが、今、余剰となったプルトニウムも含めた核廃棄物最終処分場の有力候補地となっている。

 誘致しているのは、湖沼地帯が属するカンブリア州、三つの湖沼があるコープランド郡、アラデル郡。両郡ともカンブリア州内の自治体だ。最も早い08年7月に誘致に名乗りを上げたコープランド郡の役場があるホワイトへブンを訪ねた。
 「プルトニウムも含め、英国の核廃棄物の7割は、ここから南10キロにあるセラフィールドにある。他の地区に処分場が決まった場合でも、必ず廃棄物は私たちの町を通る。当初から計画に参加して、情報収集を図るのは市民への務めだ」。誰もが嫌う処分場誘致に乗り出したいきさつを尋ねると、核廃棄物問題を担当するエレーネ・ウッドバンさんは、一気に話し出した。
 「情報収集」という言葉が気になり、質問を重ねると「化学工業、炭鉱、鉄鋼業。いずれもこの地を去った。一貫して雇用を増やしてきた原子力産業にも陰りがみられる」と、事情を語り始めた。
 50年代初頭から核兵器開発の拠点として開発が始まった英国最大の核複合施設セラフィールド。原発や核燃料再処理施設、日本向け中心のMOX燃料工場などが集積した。だが、核兵器開発施設などが役目を終え相次いで閉鎖。今年8月には、福島第1原発事故の影響で、MOX燃料工場の閉鎖も決まった。「直接雇用で1万2000人、間接雇用を入れれば3万人」という中心産業が、揺らぐ。
 その中で、建設開始から閉鎖まで100年以上もの間、500人の雇用が見込める処分場は魅力的に映る。セラフィールドで暮らすケイトさん(68)が「この土地は、原子力とともに生きるしかない」と語るように、直近の世論調査でも地元住民の6割が誘致を支持する。ウッドバンさんは、「処分場は安全が最優先だ。観光業に悪影響を与える報道は許さない」と言った。
 英国の処分場選定は、多くの国と同様、迷走している。政府は94年、地元に相談無しに、カンブリア地域を「候補地」に選定した。だが、地元住民の猛反発で、97年に撤回に追い込まれた。これを反省材料に政府は03年、独立の放射性廃棄物管理委員会(CORWM)を設置。3年の検討を経て、地下処分が最適と判断し、地元との対話を重視する答申をまとめた。答申を受け入れた政府は08年6月、地元と協調しながら処分地を決める手順方針を発表した。
 マッケロン委員長(当時)は「英国は核開発着手から50年間、廃棄物の扱いを何も考えてこなかった」と振り返り、英エネルギー・気候変動省の担当者は「フィンランド、スウェーデンがこの方法で成功した。その例に倣う」と打ち明けた。
 来春以降に地表調査に着手。候補地を1カ所に絞り、本格的な地質調査の後に最終判断される。着工は25年、廃棄物の搬入開始は40年を予定するが、着工直前まで自治体に「辞退」の権利も認めた。
 コープランド郡のウッドバンさんは「海外の処分候補地を視察、コンサルタント業者を雇って独自調査も進めている。観光業界や自然公園関係者とも、議論を尽くす」と話した。そして、費用は「政府が負担している」ことも明かした。
 CORWMのピッカード委員長は「観光への影響を恐れて処分場を隠そうとするのはいけない。科学産業史記念館も建設すれば、立派な産業遺産だ」と話した。しかし、施設建設が決まった後でも、この地がピーターラビットの古里として観光客が訪れるかは未知数だ。【セラフィールド(英イングランド北西部)会川晴之】=つづく
    --「どうする人類、核のゴミ:/1 英『ピーターラビットの古里』候補地に」『毎日新聞』2011年12月9日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111209ddm007030112000c.html

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どうする人類、核のゴミ:/2 処分地選定、ドイツ迷走
岩塩ドーム調査進むが--

 今年もフランスから高レベル放射性廃棄物を詰め込んだ特殊容器「カストル」がドイツの北部ゴアレーベンに運ばれてきた。91年まで高速増殖炉計画を進めたドイツは、プルトニウムを取り出すための核燃料再処理を英仏両国に依頼。その過程で生まれた「核のゴミ」が、毎年11月に列車で輸送される。

 ドイツでは使用済み核燃料収納容器を「ポルックス」と呼ぶ。いずれもギリシャ神話に登場し、双子座で対をなす星だ。原子力用語には神話や宗教に由来する言葉が多い。
 旧東独との国境だったエルベ川を目指し、紅葉真っ盛りの森を走ると、突然、空が開けた。森を切り開いて設置した高レベル放射性廃棄物の中間貯蔵施設、最終処分地建設に向けた調査が進むゴアレーベンの核施設だ。入り口には天を突くかのような二重の鉄条網。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で見た光景と重なる。
 高速エレベーターで1分44秒。地下840メートルの坑道は、ほんのりと暖かい。幅6メートル、高さ4メートルのかまぼこ状の坑道は、塩の結晶で覆われ、雪の祠(ほこら)にいるような気分だ。
 ドイツ連邦放射線防護庁のニトシュさんによると、この一帯は、2億年前までは海だったが、約1000万年前に隆起し、岩塩ドームが出来た。
 岩塩層は、塩の採掘技術が確立されているほか、200度の高温に耐えられる特性があり、放射性廃棄物の保管に最適だという。北部ドイツには約200カ所の岩塩ドームがあり、核関係者は「自然からの贈り物」と表現する。旧西独時代の70年代後半、地元が誘致したのを契機に、東独との国境「鉄のカーテン」からわずか2キロまで調査が進んだ。
 だが、98年に中道左派の社会民主党と連立政権を組んだ環境派の緑の党が「待った」をかけた。00年から10年間の猶予を設け、他の適地を探したが、見つからなかった。メルケル政権は10年10月、10年ぶりにゴアレーベンでの調査再開を決めた。

 「伯爵」を隣町に訪ねた。300年前からこの地を治める家系のフォン・ベルンシュトルフさん。現在も6000ヘクタールの土地を所有、1割が処分予定地内にあり彼が首を縦に振らないと処分地建設は不可能と言われる。
 「先祖から受け継いだ土地と住民を守る義務が私にはある」「地下水や天然ガス層があるゴアレーベンは地層的に適地ではない」。伯爵は静かな口調ながら「政府は土地の強制収用もできる」との気がかりも口にした。
 伯爵家で、バイオマス技師として働く夫とこの町で暮らす光恵・ディーレさん。福島県浪江町出身で、移住して34年目。実家だけでなく、双葉町に住む妹夫婦も福島第1原発事故で故郷を失った。「第2の故郷が想定外の事故に見舞われなければ良いが」と言った。
 保守系が強い南部ドイツには、「処分適地」とされる花こう岩層や粘土層がある。社民党などの勢力が強い北部ドイツだけで処分場選定を急ぐのは「不公平だ」という政治的な対立もあるのだ。
 22年までの原発全廃を決めたメルケル政権は11月11日、最終処分地選定についても「タブー無しに全土で選定し直す」と表明した。世界5位の原発大国だったドイツの処分地選定は、再び迷路に入り込み、「ポルックス」も落ち着き先を失った。【ゴアレーベン(ドイツ北部)会川晴之】=つづく
    --「どうする人類、核のゴミ:/2 処分地選定、ドイツ迷走」『毎日新聞』2011年12月10日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111209ddm007030032000c.html

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どうする人類、核のゴミ:/3 豪で処分、02年実現寸前

国際専門家グループ主導
 国際社会が「テロとの戦い」に重心を移した02年。世界の核・原子力保有国や地域の悲願だった、核廃棄物の最終処分場問題が、すべて解決する一歩手前まで来ていた。
 仕掛けたのは、各国の原子力企業やゼネコンなどの出資で活動している専門家組織「パンゲア・グループ」。オーストラリアで国際的な処分場を造るというこの極秘計画は、しかし、豪州のメディアにすっぱ抜かれたことで立ち消えとなった。毎日新聞は、このグループの中核メンバーらとの接触に成功した。

 2億年以上も前に存在したとされる仮説上の超大陸「パンゲア大陸」の名を冠したこのグループは、英、スイス、カナダなどの核科学者や核廃棄物専門業者が中心となって90年代後半に設立された。
 核ゴミ問題は、原子力推進のアキレスけんだ。問題解決の道筋をつけないと、原発内の使用済み核燃料貯蔵施設が満杯となり、原発は成り立たなくなる。中核メンバー8人が主導するグループの任務は、専門知識や技術をフルに使った処分地探しと候補地での説得工作だった。
 メンバーのグレッグ・バルター氏によると、まず世界中で地質調査を実施。最も安定した地層は、豪州、アルゼンチンとチリの南部、南アフリカとナミビアの国境地帯、中国西部の4カ所だと突き止めた。これらの地域は「パンゲア大陸」の中で近接していたことから、グループの名称が定まった。
 豪州に照準を合わせたのは、「核関連物質をテロリストの手に渡さないため」。豪州は西側諸国の一員で、核拡散の心配がないからだった。
 「建設費60億ドル、年間維持費用4億ドル、直接雇用2000人、間接雇用は6000人、豪州の国内総生産(GDP)を1%押し上げる」「地表部分5平方キロ、地下500メートルに20平方キロのスペースを造り、世界の使用済み核燃料の3割強に当たる7万5000トン分をまず収容する」
 バルター氏らは資料を手に豪州に渡り、極秘裏に働きかけた。候補地は、西欧がすっぽり入る大きさで、最も安定した大地がある西オーストラリア州から南オーストラリア州。「豪州が受け入れを決めれば、世界で原発輸出や再処理ビジネスが拡大する。原子力産業は未来永劫安泰だ」
 しかし、豪州側への根回しをほぼ終えた02年夏、事件は起きた。
 グループの技術者トップだったスイス在住のチャールス・マコンビー博士によると、何者かによって豪州計画に関する内部ビデオが保管庫から消え、しばらく後、豪州のテレビ局が「豪州に核のゴミを捨てる秘密計画が進んでいる」と特報。豪州世論の反発などを招き、計画は頓挫した。資金源が手を引き、事実上の解散となったグループは「アリウス」と改称。現在は、欧州連合(EU)と連携し、地域の核処分場計画立案を手がける。マコンビー氏は「日本のゼネコンもアリウスに出資している」と明かし、社名を挙げた。
 豪州での処分場計画は、イラク戦争への豪州軍派兵に批判が高まった06年に再び持ち上がった。当時のハワード政権は「処分場ができれば、豪州の安全保障環境が高まり、二度と若者を戦地に派遣しなくてすむ」と強調したが、07年の総選挙で反原発の労働党政権が誕生し、再びついえた。
 ただ、豪州の外交筋は「鉱山会社を中心に計画再開を望む勢力は豪州内に依然多い」と指摘。テロ対策や安全保障上、限られた場所でしか造れない最終処分場は、夢のエネルギーだったプルトニウムが「核のゴミ」となりつつある今、最大の原子力利権としても認識されている。
 日米が主導して極秘裏に進めたモンゴルでの最終処分場計画も、その文脈の中から生まれたものだった。【ロンドン会川晴之】=つづく
    --「どうする人類、核のゴミ:/3 豪で処分、02年実現寸前」『毎日新聞』2011年12月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111211ddm007030149000c.html

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どうする人類、核のゴミ:/4 モンゴルに処分場計画

中国台頭、米に焦り
 プルトニウムを利用する核燃料サイクル事業の断念が世界的潮流となる中で、核の平和利用において最も厄介な問題であり、最大の利権となった核廃棄物処分場建設。国際的な処分場計画が浮かんでは消えたオーストラリアを尻目に、米国と日本が昨年9月から交渉を進めた先は、地下にウランが豊富に眠る内陸国モンゴルだった。
 米国は核不拡散問題を最も重視し、日本は国家戦略として原発輸出を進めるため使用済み核燃料の引き取り先を国外に探していた。
 モンゴル外務省のオンダラー交渉担当特使(今年9月に辞任)は今年4月、ウランバートルを訪れた記者に建設予定地がゴビ砂漠のウラン鉱山周辺だと明らかにし、モンゴルの狙いについてこう言った。「将来、使用済み核燃料を引き取ることで、モンゴル産核燃料の輸出を優位に進めたい」
 ウランを使った核燃料製造工場を日米の技術で造り、燃料を輸出、さらに使用済み燃料を引き取る「核燃料リース」方式だ。米エネルギー省のポネマン副長官を筆頭にした米交渉団は、核拡散の懸念を排除するため、使用済み燃料を大量に保有する韓国や台湾のそれらもモンゴルで引き受ける構想をオンダラー氏らに働きかけた。
 さらに、米国側は「日本の青森県六ケ所村に中間貯蔵する核廃棄物を移管すれば、処分地の建設・維持費用確保にメドがつく」とも説明。日本側は否定しているが、当時の交渉過程で米国はモンゴルに対し、日本側から建設資金等が期待できると示唆していた。
 3カ国は今年2月3~4日、米ワシントンで合意文書署名を準備し、日本側からは当時の菅直人政権下で原発輸出促進を担った内閣官房参与の望月晴文・前経産事務次官が渡米。初日の事務レベル会合には、日本の原子炉メーカー・東芝も事業参加を目指して出席した。
 だが、一連の交渉から外されていた日本外務省が「問題点が多すぎる」との理由で署名に「待った」をかけ、3月の東京電力福島第1原発事故で協議は棚上げに。5月に毎日新聞が計画を報じたことでモンゴル国内で反対運動が発生した。9月にモンゴルのエルベグドルジ大統領が「交渉禁止令」を出し、計画は事実上ついえた。
 「核燃料リース方式」を柱にした処分場利権の行使をにらんでいるのが、10年後には米国に次ぐ「原発大国」となるのが確実視されている中国だ。日本の原子力委員会の尾本彰委員は「中国とロシアがこれからの世界の原発市場を席巻する可能性がある」と指摘した。
 東芝傘下の米ウェスチングハウスは06年、原発輸出契約獲得の見返りに、中国に最新型炉「AP1000」の技術移転をのまされた。中国は、これをもとに国産原発「CPR1000」を開発し、14年から輸出する目標を据える。モンゴル国境に近い甘粛省のゴビ砂漠に高レベル廃棄物最終処分場建設も決めており、ロシアと同様、使用済み核燃料引き取りをエサに原発売り込みを図る素地が整いつつあるのだ。
 さらに、中国は、核兵器開発を進めるパキスタンに旧型原発2基の輸出に合意しており、米国などは核不拡散上の懸念も高める。
 米国務省のストラットフォード部長(核不拡散担当)は3月末の講演で、新興国の台頭で「米国のグリップが低下しつつある」と嘆いた。影響力がある間に韓国や台湾、中東諸国から使用済み核燃料を引き取る場所を確保したい。モンゴル計画には、米国のこうした焦りも色濃くにじんでいた。【ウランバートル会川晴之】=つづく
    --「どうする人類、核のゴミ:/4 モンゴルに処分場計画」、『毎日新聞』2011年12月13日(火)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111213ddm007030169000c.html

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どうする人類、核のゴミ:/5止 「夢のエネルギー」プルトニウム


想定されなかった廃棄
 「時代は変わった」。高速増殖炉の解体などを監督する英原子力廃止措置機関(NDA)の担当者が11月下旬、ロンドンの事務所で取材に応じた際、大きなため息をついた。「プルトニウムはもう夢のエネルギーではなくなった。私たちは5通りの廃棄法を検討している」と言い、使い道を失った余剰プルトニウムの処分法を書き込んだ一覧表を手に説明を始めた。
 8キロで核兵器が製造可能なプルトニウムは、一定量を超すと臨界事故を起こすため、小分けにして処分する必要がある。現時点では、プルトニウムの割合を0・05%に薄めてセメントと混ぜる方法がある。
 しかし、世界最多の114・8トンもの余剰プルトニウムを抱える英国にとって、これらすべてを小分け処分すれば、廃棄物の総量は20万トンを超える。テロ対策一つとっても、広大な処分場と膨大な追加費用が派生する。
 米国が研究している「カン・インサイド・キャニスター(大筒の中に小筒の意)」という処分法も検討中だ。
 プルトニウムを他の物質と混ぜ、アイスホッケーのパックのような形状に加工した上で長さ約50センチの金属製の小筒に詰める。この筒をより大きなステンレス製の長さ約3メートルの大筒に入れ、隙間に、遮蔽がなければ数秒間で死に至る強い放射線を出す高レベル放射性物質を流し込む。
 テロリストが、大筒からプルトニウムを取りだそうと容器を開けたとたん、即死する仕掛けだという。
 ただ、これらいずれの手法も、コスト面や技術的に未確立な部分が多い。「永遠のエネルギー工場」を急ぐばかりに将来的な解体を前提に建造されなかった高速増殖炉と同様、その燃料プルトニウムも捨てることになるとは想定されなかった。原爆の原料となる物質であるにもかかわらず、これまで廃棄のための技術開発が放置されてきた理由だ。
 「冥土(地獄)の王」という意味のプルトニウムは、毒性が極めて強い。一般人の摂取制限量は100億分の5・6グラム。1グラムで18億人分の摂取制限量に当たる計算だ。半減期が2万4000年と長く、20万年以上も安全に管理する必要がある。
 NDAの担当者は「近く研究を本格化させるが、技術が確立するまで長い歳月が必要だ」と語り、再びため息をついた。英政府は12月に入り、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料には使えない一部のプルトニウムを廃棄物として処分することを決めたが、余剰量は130トンまで膨らむ見通しだ。
 再利用の道も険しい。世界原子力協会のジュリアン・ケリー上級研究員は「MOX燃料の値段は、通常のウラン燃料の3割増しから2倍」と指摘する。原発を運用する電力会社は「使用拒否」を明言、英政府が目指す再利用は販路確保という難問に直面しそうだ。「いかに上手にMOXを作り、国際価格にあったものを供給するか」(エネルギー・気候変動省)。失敗すれば、国民負担もどんどん増える。
 核科学者らで構成する「核分裂性物質に関する国際パネル(IPFM)」によると、10年末時点の世界のプルトニウムは、軍事、民生双方をあわせて約500トン。再処理による生産量が消費量を大幅に上回る状態が続いているのだ。
 「地球上の生物が出す廃棄物はすべて再利用できる。だが、人類は、核のような再利用できないゴミを作り出してしまった」
 英政府の独立委員会、放射性廃棄物管理委員会(CORWM)委員長で生物学者のロバート・ピッカード教授が自戒を込めて口にした言葉は、後始末の用意をせずに未来世代に危険と不安を押しつけながら原子力利用を続ける、私たちの傲慢さを言い表している。【ロンドン会川晴之】=おわり
    --「どうする人類、核のゴミ:/5止 『夢のエネルギー』プルトニウム」『毎日新聞』2011年12月14日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/world/news/20111214ddm007030061000c.html


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覚え書:「今週の本棚:山崎正和・評 『「ぐずぐず」の理由』=鷲田清一・著」、『毎日新聞』2011年12月11日(日)付。

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今週の本棚:山崎正和・評 『「ぐずぐず」の理由』=鷲田清一・著
角川選書・1680円

 ◇オノマトペから探る言語の本質
 まず驚かされるのは、この著者の底知れない語彙の豊かさである。本の主題は日本語のオノマトペの分析だが、引用される擬音語や擬情語や擬態語の数は優に数百に届くし、それを翻訳し解説する形容詞や形容動詞、いわゆる実詞の語彙はその数倍に及んでいる。このめざましい言語力を武器に、著者はオノマトペの魅力を縦横に語り尽くし、それを通じて言語と文明の本質に深く斬りこむのである。
 通常の実詞が外の対象を指し示すのにたいして、とくに擬態語や擬情語に代表されるオノマトペは語り手の身体の近くにあって、いわば世界の感触を直接に表現する。本の表題に引かれた「ぐずぐず」をはじめ、「どろどろ」や「ぼろぼろ」など、音は表現対象と強い関連を感じさせながら、一対一の厳密な対応を示さない。必ず意味に幅と含みが生じるのだが、これは感覚そのものが固有の抽象能力によって造語しているからである。
 理性だけではなく、感覚そのものにも抽象能力があるというのが著者の創見であって、この着想が全編を通じて展開される。
 擬態語は抽象の産物だから、言語一般と同様に表現対象から一定の距離を保っている。その点、みずからの内部で響きを立てる感動詞とも異なり、みずからを陶酔へと誘う歌謡とも違っている。にもかかわらずそれは「人間的自然」から直接に芽生え、その結果、理性の言語、記号と対象の恣意的な結合と見なされる言語とは一線を画するのである。
 著者は人間の生理的な発音がそれ自体で意味を志向し、その組み合わせが一定の気分を表現する事実に注目する。ザ行の音には強い摩擦を暗示する傾向があって、「ざらざら」「じりじり」「もぞもぞ」などと、身体が外界と擦れ内部で軋み、抵抗や躊躇(ちゅうちょ)を示す状態を表すことが多い。「ぐずぐず」もその一つであり、人が決断を躊躇し、自己の行動への志向と摩擦を起こしている状態だといえるだろう。
 オノマトペは「音の絵」とも呼ばれ、対象を描写する機能が認められているのだが、これも著者によれば感覚による抽象の一つの姿にほかならない。本来、対象を描くとは身体の営みであって、輪郭を描いて形を把握するのは、理性以前の運動感覚の仕事だからである。身体は内部で統一されているから、その運動はすべての感覚に浸食し共感される。目で眺め、舐めるように手で形をなぞるとき、身体の内の反響として、おのずから生じる発声運動がそのままオノマトペになる。
 反面、オノマトペと実詞のあいだには相互移行の関係もあって、「せかせか」と急く、「さばさば」と捌く、「くよくよ」と悔ゆなどと、類縁を想像させる例も多い。現に意味と音には今も密接な関係が意識されていて、意味の脈絡がテクストと呼ばれるのにたいして、音の脈絡はテクスチュア(肌理)と名づけられて、文学者に重視されている。
 著者は言語の発生論には慎重であって、すべての実詞がオノマトペから生まれたと断定はしない。だが少なくとも実詞が対象の様態とは無関係に、ただ意味の違いを恣意的に示す記号にすぎない、という主知的な言語論には懐疑的である。かねてみずから身体の哲学的な意味を重視する評者も、この懐疑論に強い共感を覚える者だが、これ以上踏み込んで、著者の結論を忖度するのは避けるべきだろう。
 なにぶん著者は、現代人がとかく結論の断定を急ぐ弊風を戒め、思索のうえでも「ぐずぐず」することを奨めているからである。
    --「今週の本棚:山崎正和・評 『「ぐずぐず」の理由』=鷲田清一・著」、『毎日新聞』2011年12月11日(日)付。

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マルクスが「私はマルクス主義者ではない」と言ったのは非常に有名な言葉でありますけれども

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新しい形の自己疎外 思想史にはこういう例がしばしばある。マルクスが「私はマルクス主義者ではない」と言ったのは非常に有名な言葉でありますけれども、マルクスのように、非常に膨大な著作を書き、自分の思想というものをきわめて体系的な形で展開した学者でさえ、マルクス主義あるいはマルクス主義者についてのイメージが現物から離れて自立的に発展していくのをどうすることもできなかった。そこに私はマルクス主義者でないという彼の嘆声が生まれるわけであります。いわんや今日のように、世界のコミュニケーションというものが非常に発展してきた時代にありましては、大小無数の現物は、とうてい自分についてのイメージが、自分から離れてひとり歩きし、現物よりもずっとリアリティーを具えるようになる現象を阻止することができないわけであります。むしろ或る場合には、現物の方であきらめて、あるいはその方が都合がいいということからして、自分についてのイメージに逆に自分の言動を合わせていくという事態がおこる。こうして何が本物だか何が化けものだかがますます分からなくなります。現代にはこういう一つの非常に新しい形態の自己疎外が起こっているといえるのじゃないか。ところがこういう世界的な傾向と同時に、日本では特にそういう化けものの横行を許す事情があるのじゃないか、われわれと環境との間につくるイメージの壁を厚くする条件があるのではないかという気がするのであります。
    --丸山眞男「思想のあり方について」、『日本の思想』岩波新書、1961年、128-129頁。

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いや、別に「何が?」っていうわけじゃないし、何か「特定」の対象について、それおかしいンじゃアねェか、ゴルァっていうわけじゃないんだけど、このところ、物それ自体よりも、物を祭り上げる連中の騒音がうるさいと感じることがよくあるんだけど……、たぶん、これは僕一人でもないと思うんだけど……、

とにかく、ここ数年、息苦しくなってきているような感があるんですよ。

いや、先に言及したとおり、別に「何が?」っていうわけじゃないんですけどね( ・ω・)∩

僕ひとりの杞憂ですめばいいはなしなんですけどね。

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覚え書:「時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環」、『毎日新聞』2011年12月11日(月)付。

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時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環

 ◇自由な個人の連帯こそ
 3月の震災以降、しきりに連呼されるようになった言葉に「絆」がある。「3・11」「帰宅難民」「風評被害」「こだまでしょうか」といった震災関連の言葉とともに、今年の流行語大賞にも入賞を果たした。
 確かに私たちは被災経験を通じて、絆の大切さを改めて思い知らされたはずだった。昨年は流行語大賞に「無縁社会」がノミネートされたことを考え合わせるなら、震災が人々のつながりを取り戻すきっかけになった、と希望的に考えてみたくもなる。
 しかし、疑問もないわけではない。広辞苑によれば「絆」には「(1)馬・犬・鷹(たか)など、動物をつなぎとめる綱(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛(けいばく)」という二つの意味がある。
 語源として(1)があり、そこから(2)の意味が派生したというのが通説のようだ。だから「絆」のもう一つの読みである「ほだし」になると、はっきり「人の身体の自由を束縛するもの」(基本古語辞典、大修館)という意味になる。
 訓詁学的な話がしたいわけではない。しかし被災後に流行する言葉として、「縁」や「連帯」ではなく「絆」が無意識に選ばれたことには、なにかしら象徴的な意味があるように思われるのだ。
 おそらく「絆」には、二つのとらえ方がある。家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの。個人がそうした「いとおしい束縛」に対して抱く感情を「絆」と呼ぶのなら、これほど大切な言葉もない。
 しかし「ピンチはチャンス」とばかりに大声で連呼される「絆を深めよう」については、少なからず違和感を覚えてしまう。絆はがんばって強めたり深めたりできるものではない。それは「気がついたら結ばれ深まっていた」という形で、常に後から気付かれるものではなかったか。
 つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。
 もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。
 絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。
 絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。たとえ社会やシステムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。
 それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。
 なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
 かつて精神障害者は私宅監置にゆだねられ、高齢者の介護が全面的に家族に任された。いま高年齢化する「ひきこもり」もまた、高齢化した両親との絆に依存せざるを得ない状況がある。そして被災した人々もまた。
 さらに問題の射程を広げてみよう。
 カナダ人ジャーナリスト、ナオミ・クラインが提唱する「ショック・ドクトリン」という言葉がある。災害便乗資本主義、などと訳されるが、要するに大惨事につけ込んでなされる過激な市場原理主義改革のことだ。日本では阪神淡路大震災以降になされた橋本(龍太郎)構造改革がこれにあたるとされ、さきごろ大阪市長選で当選した橋下徹氏の政策も、そのように呼ばれることがある。
 人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。
 もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、未来を賭けてみたいと考えている。
    --「時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環」、『毎日新聞』2011年12月11日(月)付。

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旨いもの・酒巡礼記:東京都・国分寺市編「かまどか 国分寺店 釜飯・串焼」

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 食べ物は会話の話題としては天候よりも新鮮で面白い。天候についての話題はどうしても限度があるけれど、食べ物なら、いくらでも延々と喋ることができる。それに、気候状態の話では(どういう天気が好きで、どういう天気が嫌いかについては同意見の人が多いから)熱っぽく議論を戦わせることは殆どない。議論しないのであれば、意見が同じ者同士が親しみを覚えることもない。しかし、食べ物の好みははっきり差があるので(確か、ラテン語でもフランス語でもそういう趣旨の諺があった)、明確に意見の一致があれば、それはあらゆる結びつきの中でももっとも親密なものになる。例えば、誰かタピオカのプディングが大嫌いな人がいれば、その人は私の親友になるのだ。
    --ミルン(行方昭夫訳)「昼食」、行方昭夫編訳『たいした問題じゃないが イギリス・コラム傑作選』岩波文庫、2009年、199頁。

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先月お世話になったのが「かまどか 国分寺店」なのですが、はやく書いておかないとと思いつつ、季節は秋から冬へと変わってしまい忸怩たるものがありますが、気にしてもいたしかたありませんので、紹介しておきます。

ちょうどその日、勤務校の公募推薦入試があったのですが、終わってから最寄り駅で下車すると16時。

国分寺は、割合と「居酒屋激戦区」ですので、いつもの店に寄らず、

「ちょいと面白いところ開拓するかっ!」

……ってことで、時間も時間ですので、「国分寺 居酒屋 16時」なんて単語で検索してから訪問したのがこちら。

串焼きと釜飯が名物とのことですが、帰宅してから食事の用意があると聞いていたので、串焼中心のオーダー。

まずプレミアムモルツをお願いしてからという訳ですが、お通しの「トロトロ豆腐(`_´)ゞ」もなかなかこっているではありませんかw

黒蜜を垂らせば、和風プリンにでもなるのではないかと思えるほど濃厚な自家製豆腐です。

お通し、お通しと一言で片づける人は多いし、ここで手抜きをするお店が多いのも事実ですが、こういう「当然」のことにきちんと「力」を入れることは大事なことですよね。

さて「ねぎどか三本盛り逢わせ」をお願いしてからまつことしばしば。


ねぎどかとは、要するに、たっぷりの葱と隠し味程度の大蒜をみじん切りにしたのを軽く浅漬けにしたような薬味を「どか」ってどっさり、串焼きに乗せるってことですが、まあ、これがサッパリしてやヴァイw

単純ですが奥行きのある味わい。
ご飯にかければそれだけでいただけると思えるほどの完成度!

鶏もほどよく堪能しつつ、つぎは「かまどか発祥!幻の牛串(岩塩)」。

こちらのお店の「ウリ」がこれということでしたが、

「はぁ、間違いないッスね」

鶏、豚串はわりとポピュラーですが、牛串をだすところはなかなかありません。
申し訳程度でメニューにあるところのはテキトーな仕上りで失敗することが多いのですが、さすが「看板」に掲げるだけのことはあります。

いわば上品な和風ステーキですね。
岩塩が肉自体のもつうま味を絞り出してくれますし、それをわさびがアクセントとなって加速されるという始末ですよ、完敗です。

最後は、「鶏皮」。

串焼きにいくとだいたい頼むのですが、こちらもクリティカルヒット。「鶏皮は熱いうちにやれ」というのがセオリーですが、ばくばくやってしまうのがもったいないほどで、アツアツでカリカリに仕上げられているのに、閉じ込められた脂が口蓋でうれしく爆発するという寸法w

たった30分ほどの滞在でしたが、いい時間を過ごさせていただきました。

もう冬ですが、先に言及したとおり、訪問したのはミッドオータム。 盛り付けに「紅葉」を添えるのもなかなか「粹」な振る舞いじゃア、ありませんかwww

また、近いうちによせてもらおうかと思います。

■ 居酒屋 かまどか 国分寺店 釜飯・串焼
〒185-0012 東京都国分寺市本町2-9-10 丸八ビル3F
http://r.gnavi.co.jp/b439550/


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「今の日本を形づくっているすべて、沖縄の犠牲の上に成り立つといって過言ではない」

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野坂昭如の「七転び八起き」連載119回 日米開戦70年
自称平和国家の旧態


 このところたて続けに、政府官僚のの失言暴言が飛び出し、お粗末さが露呈された。世間はこれを機にいかな政権のしたで政治が動いているか、真剣に考えた方がいい。
沖縄防衛局長の物言いは論外、一川保夫防衛相の物知らずは不勉強うんぬんの域ではない。両者ともその立場にありながら沖縄を知らな過ぎるという以上に、人間としての質の問題である。
 今の日本を形づくっているすべて、沖縄の犠牲の上に成り立つといって過言ではない。戦中、さらに戦後、沖縄は日本の楯にされた。唯一地上戦が行われた沖縄。空襲だってもちろん過酷だったが、沖縄は特別。空襲による爆撃とケタが違う。逃げる場所はなく、見つかれば殺された。ごく普通の島人が人間の極限の姿を目にし、地獄を見た。地上戦の後、一木一草すべて失われ、影のない島人に、二十数万の遺体が放置され、これを島人たちが片づける。沖縄地上戦は、本土防衛のための虚しい戦い、第日本帝国が沖縄を見捨てたことによる。
 戦後日本は、沖縄を人身御供として差し出しながら自らを守り、繁栄に走った。沖縄はその役割を上手く果たしてきた。ただ、その経緯は実に悲惨である。本土はいささかも傷つかず、沖縄だけがひどい目に遭ってきた。他にも米軍基地は全国に存在する。しかし、沖縄ほど極端じゃない。猛々しい尾翼の連なり、繰り返されるタッチアンドゴー。しかしすぐそばで、ごく普通の暮らしが営まれているのだ。沖縄の日常にあるあたり前の物音は掻き消され続けてきた。その中には、ウチナンチュの悲鳴も隠されている。その悲劇が県民たちの声となったのが、1995年、少女暴行事件である。屈強な米兵3人による卑劣極まりない出来事だった。これまでも度々起きていた米兵の不祥事。犯人たちは鬼畜、いや鬼畜以下である。しかし、基地の中に沖縄があるといっていいような現状では、こういう事件がいつ起こっても不思議ではないともいえる。この事件を機に、沖縄では大規模な県民大会が開かれた。
 沖縄は戦後、基地漬けにされ続け、基地によって自分たちの衣食住を支えざるを得ない状態が続く。反基地を訴えることは即ち、食えなくなることにつながる。その上で基地の縮小、あるいは抹殺を追ってきた経緯がある。本土の 人間はこの暴行事件に対し、当初眉をひそめ、アメリカへの恨みごとを口にしt。しかし結局は他人事。これを機に浮上した普天間の基地問題についても同様だろう。メディアも沖縄の基地について、取り上げはするものの、うわべばかり。何が問題なのか、沖縄と向き合い、基地の本質を論じないまま今日に至る。
 沖縄だけが今なおアメリカの占領下、植民地であることを知りながら、我が家の近辺に基地のないことで安心している。
 一川防衛相は防衛のトップ。国民の生命、財産を守り、国家の安全を守る最高の責任者でもある。95年に起きた少女暴行事件はその内容と同時に、日米の在り方が広く浮き彫りになったことに意味をもつ。つまり、日米安保にすがりつつ、平和を唱える日本、世界の警察国家を自任しつつ、やりたい放題のアメリカ。軍事面での主権在米が、政治面でもずっと尾を引いている。
 日本の立場を考えれば、なるほどアメリカは大切な同盟国であろう。しかし、日本における防衛は日本人が考えれなければならない。日本の在り方、沖縄の基地問題、今後の展開を図るには、現防衛相には、荷が重すぎる。


 昭和16年12月8日米安保、太平洋の真ん中、真珠湾とマレー半島を日本軍が奇襲。日米開戦である。以後、昭和20年8月15日敗戦まで、日本は世界を相手に戦い、多くの死者を出し、一切合財焼けて飢えに苦しむ、文字通り世界の孤児となった。どうしてあんな馬鹿げた戦争をしたのか、未だによく判らない。そのよく判いまま、平和国家を自称。昭和16年の12月8日、第日本帝国の真珠湾攻撃成功を、世間は熱狂的に喜び、歓呼の声を上げた。当時の日本の国力について疑う人などいなかった。国民は何の疑問も抱かず、戦争を協力した。しかし、だからといって、衆愚とはいえない。
 愚かなリーダーたちの下、民は一致団結、敵と戦う地獄へと突き進んでいるなど、考えるゆとりはなかった。しかし、昭和11年ごろまで、軍の暴走に歯止めをかける動きもあった。これは、中国に兵を進めて以後、一切なくなっていく。
 この12月8日で、日米開戦から70年が経つ。ぼくには今の日本が、少しづつ旧態に戻ろうとしているように思える。旧態とは一億思考停止の状態をいう。
 今は何をいってもいい時代。だが、言うべき時に言わなければ、考える時に考えなければ、あらゆることが手遅れとなってしまう。(企画・構成/信原顕夫)
    --「野坂昭如の「七転び八起き」連載119回 日米開戦70年」、『毎日新聞』2011年12月10日(土)付。

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正直なところ野坂昭如氏(1930-)の斜め目線……これもまた戦略的諧謔なんだろうけれども……と歴史認識に関しては、全肯定はできないのだけれども、この「七転び八起き」で指摘する沖縄に対する歴史認識は、最低限必要なんじゃないだろうか……ってことで覚え書として残しておきます。

「今の日本を形づくっているすべて、沖縄の犠牲の上に成り立つといって過言ではない」。

正直に目を向けないと。

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覚え書:「記者の目:大阪ダブル選挙「橋下・維新」圧勝=林由紀子(大阪社会部)」、『毎日新聞』2011年12月9日(金)付。

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記者の目:大阪ダブル選挙「橋下・維新」圧勝=林由紀子(大阪社会部)

政策のデメリット含め語って
 大阪府知事と大阪市長のダブル選(11月27日に投開票)で大阪市民が市長に選んだのは、「市長なんかいらない」「市役所をつぶして一から作り直す」と訴え、府知事から転身した橋下徹氏(42)だった。大阪市などを解体して都と特別自治区に再編する「大阪都構想」を掲げた橋下氏は、行政改革の断行や経済再生など、有権者の心をくすぐる訴えで75万票(得票率59%)を集めた。その選挙戦術のうまさには脱帽したが、一方で都合の良い部分だけを拡大して見せる政治手法には違和感を覚えた。
 私は、告示前から約4週間、橋下氏を追いかけた。街頭では連日、有権者に交じって演説を聞き、商店街での練り歩きにも同行した。

巧みな弁舌で聴衆を感化
 橋下氏の演説手法は明快だ。相手候補や既成政党を、改革を阻害する「抵抗勢力」として一刀両断。「このままでは大阪はじり貧だ」「5年、10年後には給料が3割下がる」と断定口調で危機感をあおり、「変えるのか、変えないのか」と二者択一を迫る。巧みな弁舌が醸し出す高揚感の中で、聴衆たちが次第に感化されていく雰囲気がはっきりと体感できた。
 こんな場面もあった。
 橋下氏が自ら率いる政党「大阪維新の会」は、選挙に先立つ8~11月、大阪市内24区で、政策を説明するための「区民会議」を開いた。橋下氏や市議が学校選択制などについて政策を示し、地域住民と話し合う。ある区では、冒頭、制度への賛否を問うと、「賛成」は2~3割だった。それが、橋下氏が数十分話した後では、8割近い人が賛成に手を挙げた。橋下氏のカリスマ性が際立ち過ぎて、人気という言葉だけでは表せない怖さも感じた。
 一方、巧みな弁舌とは裏腹に、政策の中身に関する説明には不信感を抱いた。
 例えば、最大の争点となった都構想だが、維新が作成した「大阪都構想推進大綱」などでは、市内24区を30万人規模で8~9の特別自治区に再編するとしている。ところが、橋下氏は個人演説会の会場や街頭でそうした説明はほとんどせず、灰色一色に塗りつぶした大阪市の地図と、24区を24色に色分けした地図を並べたちらしを配布。「今はネズミ色一色の24区を24色多色豊かな大阪市に」と訴えた。
 ちらしを見れば思わず橋下氏の訴えに飛びつきそうになる。だが巧妙な「争点ぼかし」に思えた。市民になじみのある現在の区をなくして再編することに対する拒絶反応を考慮し、都構想の根幹に関わる大事な部分を隠したといわれても仕方ないだろう。
 橋下氏はこうした手法について記者から「都構想を問うていることにならないのでは」と質問されると、「8~9というのはゴール。まず方向性を示すのが政治であって、手法のことは今言わなくていい」「民意をいかにマネジメントしてうまく利用するかを考えるのが政治戦略だ」とかわした。しつこく追及すると、「マニフェストに書いていることを全部言わなきゃいけないのか。正確に伝えるのはメディアの皆さんの責任だ」と反ばくする。これでは責任転嫁ではないか。
 間近で見ると危うさをはらむ橋下流だが、多くの有権者の目には、大阪を前向きに変えてくれそうな「期待の星」と映ったようだ。

「停滞ムードを変えてほしい」
 「何かを変えてくれそうだから」。橋下氏を支持する有権者に理由を尋ねると、この言葉が多く返ってきた。長引く景気低迷は、中小企業が多い大阪に深刻な影響をもたらし、停滞ムードが強まっている。橋下氏に集まる支持は、「新しい切り口で大阪を再生してほしい」という有権者の意識を反映している。橋下氏は、そんな雰囲気を鋭くかぎわけ、「改革者」を演出することで選挙に勝利した。
 だが、選挙結果で見逃せない点がある。橋下氏に対抗した現職候補の平松邦夫氏(63)が、前回を16万票上回る52万票(得票率41%)を集めたことだ。民主、自民両党だけでなく、共産党まで自主的支援に回ったのは、政治的立場の違いを超えて、橋下氏の政治手法に対する共通の危機感があったからだ。
 大阪を活性化させる改革には、確かに突破力も必要だろう。しかし、市民はすべてを白紙委任したわけではない。橋下氏の政治手法に警戒感を抱く人が多いことも示された。選挙中に説明が不足していた政策の中身を、デメリットも含めて正直に市民に語ることが何より重要ではないか。
 性急なやり方では市民はついてこない。人々が本当に納得できる形で、大阪再生を目指す改革に取り組んでほしい。
    --「記者の目:大阪ダブル選挙「橋下・維新」圧勝=林由紀子(大阪社会部)」、『毎日新聞』2011年12月9日(金)付。

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私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則……の記録

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ここに二つの物がある、それは――我々がその物を思念すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すところなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則である。私は、この二物を暗黒のなかに閉されたものとして、あるいは超越的なもののうちに隠されたものとして、私の視界のそとに求め、もしくはただ単に推測することを要しない。私は、現にこれを目のあたりに見、この二物のいずれをも、私の実在の意識にそのままじかに連結することができるのである。
    --カント(波多野精一ほか訳)『実践理性批判』岩波文庫、1999年。

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皆既月食の記録〔2011/12/10~11、東京都小平市〕

1枚目 22:21頃

2枚目 22:55頃

3枚目 23:06頃

4枚目 23:55頃

5枚目 翌11日、0:06頃

すべてFUJIFILM F550EXRにて手持ちマニュアル撮影。
1~4:ISO800 f5.3、1/8
5  :ISO1600 f5.3、1/15

仕事の合間に少し取ったのですが、まあ、コンデジでは取れている方でしょう(汗
しかし、一眼レフ持参すべきだった……数年後の再会時に挑戦でしょうかw

まあ、いずれにしましても、夜空を見上げながら、そしてお月様やお星様と対話しながら、対話する自分をまた考えてなおしてみたりするなかで、イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)の言葉を少し思い出した次第です。

いやはや、今日ほどカントの言葉のリアリティを感じた日はなかったという話です(ぇ

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覚え書:「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/下 語り継ぐ責任、若者にも」、『毎日新聞』2011年12月8日(木)付。

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白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/下 語り継ぐ責任、若者にも

体験ではなく想像力の問題。平和な時代に生まれたからこそ
「習わなかった歴史」の案内役に 戦争体験者の声を記録
 電灯に黒い布をかぶせた、うす暗い部屋。「ここに1発の焼夷弾が落ちてきたら、逃げられるだろうか」
 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)の展示室。戦時中の灯火管制下の暮らしぶりを再現した3畳間で、石橋星志さん(29)は高校生に語りかけた。考え込む生徒たちに再び問いかけた。
 「当時は1メートルくらいの竹の先に荒縄を付けた、大きなはたきで火を消すように言われていた。あたりは火の海なのに、消せるかな」
 「えー、無理でしょ」。展示品の火たたきを手にした生徒から、声が上がった。
 明治大学大学院で日本の近現代史を研究する石橋さんは、同センターのスタッフでもある。修学旅行や社会科見学など小中高生を中心に年約1万人が訪れる。高熱で溶けた瓦、焼け焦げた子どもの着物……。数々の資料を「関心を持ってもらえるよう、例えを入れて説明しています」。
 近現代の戦争に興味を持ったのは、中学生のころだ。学校の図書室で日中戦争や太平洋戦争について書かれた本を読み、「習わなかった歴史がある」と漠然と感じた。大学受験では、日本の近現代史が専門の大学教授に会い、志望先を決めた。
 石橋さんは戦争遺跡ガイドの顔も持つ。慶応大学日吉キャンパス(横浜市)の地下に張り巡らされた、海軍連合艦隊司令部の地下壕で月1~2回、見学客を案内する。市民団体が主催するガイド養成講座を受講し4年前から始めた。壕には作戦室や電信室があった。米機に撃沈された戦艦大和や、敵艦船に体当たりする特攻機から通信が入り、戦況が手にとるようにわかった。
 見学に訪れた小学生の中には、探検気分の子もいて、キャアキャアと楽しげな声が響くこともある。石橋さんは静かに切り出す。
 「沈んでいく戦艦大和からの通信を、ここにいた人が涙を流しながら聞いていたんだって。大和の通信兵は、死ぬまで連絡してこいと命令されていたんだ」
 子どもたちは静かになり、石橋さんをじっと見つめる。「ここに来たことを覚えてくれていればいい。何らかの形で将来、平和の種が芽吹けば」と願う。
 そんな石橋さんも以前、「自分の思いは届いているのだろうか。戦争継承は自己満足ではないか」と迷っていた。22歳のときに映画監督の黒木和雄さん(故人)と出会い、気持ちが固まった。
 黒木さんは「美しい夏キリシマ」や「父と暮せば」などの作品で、戦争と日常を描いてきた。当時石橋さんは毎日新聞紙上(東京本社管内)で学生がつくるページの記者をしており、取材で黒木さんに会った。「戦争は体験したかどうかではなくて、想像力の問題です」。そう言われ、体験していない自分たちも伝えていけると感じた。将来研究職についても、ガイドは続けたいと思っている。

   ×  ×
 父方の祖父は満州に行っていたが、体験は聞いたことがない。小学生の時に訪ねた広島の原爆資料館は「怖かった」という印象しかない。戦争に興味はなく、政治的なことにも関わりたくなかった。
 そんな同志社大4年生の伊藤信和さん(22)は2年前、「戦争を語り継ぐ活動をしたいので協力して」と、大学の講師を通じて京都の経済人クラブ代表世話人から頼まれた。迷ったが「社会を知り、自分の成長にもなる」と引き受けた。
 伊藤さんら京都市内の大学に通う学生が中心となり昨年1月、平和の尊さを次世代へ伝えるプロジェクト「きょうから始まる温CO知新」を設立した。伊藤さんは学生代表を務めた。戦争体験者にインタビューして映画を作ることになったが、資金がない。
 伊藤さんは企業や団体を回り、協賛金を募る「縁の下の力持ち」を務めた。授業の合間に100社近くに電話をかけ、手紙を出した。会って話を聞いてくれたのは30社ほどだ。
 きつい「仕事」ができたのは、元特攻隊員で茶道裏千家の前家元、千玄室さん(88)との出会いがあったからだ。同志社大出身の千さんは昨年6月、沖縄での海上慰霊祭に後輩の伊藤さんらを招いてくれた。
 千さんが海軍に入隊し、特攻隊員になったのは伊藤さんと同じ年ごろだ。仲間が出撃する直前、千さんは茶をたててふるまったという。多くの若者が眠る海に茶をささげ、肩をふるわせて泣く千さんの背中を、伊藤さんは見た。
 「当時の若者は描いた夢をかなえられずに死んだ。君たちには夢をかなえてほしい」。その後、京都市内での講演で千さんの思いを聞いた伊藤さんは、選択の余地なく死んでいった人たちの気持ちを知り、恵まれていることを認識した。
 千さんに生かされた責任があるなら、自分たちは平和な時代に生まれたからこそ果たす責任がある。訪問先の企業で思いを語り、約20社から協賛を得た。
 「戦争体験者の声を子どもたちに伝えたい」。完成した映画を教材に、京都市内の中学校で授業もした。米軍の攻撃で沈没し、多くの子どもが亡くなった学童疎開船「対馬丸」に乗船していた男性の映像を見せた。
 「同じ年ごろの子どもたちは、おぼれながら何を思ったのだろう」。そう問いかけ感想を書いてもらった。真剣に取り組む中学生を見て、平和を考えるきっかけ作りができた、と感じた。
 「高齢化する戦争体験者の肉声を、直接聞ける最後の世代」。伊藤さんは自分たちをこう表現する。戦争を知らない世代から、より若い世代へ。白いハトを高く、遠くへ羽ばたかせる試みは続く。【木村葉子】
    --「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/下 語り継ぐ責任、若者にも」、『毎日新聞』2011年12月8日(木)付。

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覚え書:「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/上 「80ばあちゃん」ブログ発信」、『毎日新聞』2011年12月7日(水)付。

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白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/上 「80ばあちゃん」ブログ発信

四六時中命の心配。防空壕から出て米機に狙い撃ちされそうに…
「若者に伝えたい」講習受け開設 小学校で出前授業も
 横浜市郊外の住宅街。人々が眠りについているころ、荒武千恵子さん(81)は書斎にこもり、パソコンのキーボードに指を走らせる。戦争体験をつづったブログ「80ばあちゃんの戯言 聞いてほしくて」(http://blog.goo.ne.jp/fujimi09/)を更新し、コメントを読んで返信するためだ。数時間パソコンに向かう夜もある。

 きっかけは孫娘の一言だった。15年ほど前、家族で遠出する車中で昔の空襲のことを話した。「敵機が空を低く飛んで、飛行士の顔が見えるほどだった。飛行機からどんどん弾を撃ってくるのよ」。しかし、小学校入学前だった孫はあっさりと言い放った。
 「そんなことあるわけない」
 満ち足りた日本で暮らす子どもには、あり得ない世界なのか。ショックを受けた。
 荒武さんは40代で家具製造販売の会社を起こし、母の介護や夫の海外赴任など、70代まで忙しい日々が続いた。「いつか体験を伝えたい」と思いながら、手つかずだった。
 8年前に夫に先立たれ、気持ちを前向きにしようと朗読を習い始めた。戦争作品の朗読会にも行ったが参加者は高齢者ばかり。「若い人に言いたいのに、これでは伝わらない」。ブログを紹介するテレビを見てひらめき、講習を受けに行った。
 10代後半で英文タイプを身につけ、パソコンの扱いにも慣れていた。ブログは習ったその日に始めた。「豊かな世の中が続いてきたのではなく、空襲で家を焼かれることがあったのだと知ってほしい」。人の目に触れるよう、今では三つのブログを運営する。
 <私、数えの80歳。しわくちゃのギャルです>
 最初にブログを書いたのは09年3月だ。
 <横浜で焼夷弾(しょういだん)、爆弾、機銃掃射にあいましたし、四六時中命の心配をしていたのです。いつもお腹(なか)はぺッコペコでした。膝ががくがくしていました>
 反応があるか不安だったが、初日は10件の感想が書き込まれほっとした。政治やスポーツのことも語るが、多いテーマは戦争だ。

   ×  ×
 70年前の12月8日。小学校5年生だった荒武さんは真珠湾攻撃の戦果を学校で聞いた。算数の時間の最中で、そろばんを振り上げ万歳したのを覚えている。帰ってくると、陸軍予備将校だった父が行李(こうり)の中の軍服や軍靴を虫干ししていた。
 <「フランスには昔、ジャンヌダルクという少女がいて、先頭に立って国を勝利に導いた。お前も何かあったときには気概を持って戦え」>。父は娘に向かい、そう言った。
 荒武さんはその心中を思いやる。
 <小さな女の子にこんな言葉を残さなければならなかった父はどんなにつらかっただろうか>
 空襲のことは折に触れて書き込む。おしっこがしたいという弟を連れ防空壕(ごう)を出て、米機に狙い撃ちされそうになったこと。全焼した自宅跡に戻ると、分厚い辞書がそのままの形で灰になっていたこと……。
 <戦争を知らない世代ですけど……80ばあちゃんの体験談にはいつも鳥肌が立つ思いです><このブログは大変貴重な存在だと思います>。熱のこもったコメントが届く。11歳の子から感想をもらったこともある。三つのブログは1日約100人が読んでおり、コメントには丁寧に返事を書く。「いろいろな人とつながって幸せです」
 福岡市の竹森久美さん(43)とは互いのブログを通じて知り合い、メールや電話でやりとりするようになった。竹森さんは旧満州(中国東北部)から引き揚げてきた母をもつ。幼いころ聞いた戦争体験はぴんとこなかったが、荒武さんのブログを読み「点と線がつながった」と話す。
 竹森さんの次男は小6の時、夏休みの宿題で戦争をテーマにした「平和新聞」を作った。荒武さんのブログを読み、戦後の食料事情のくだりを引用させてもらったという。
 小学生から高校生までの3人の子をもつ竹森さんは、我が子に「戦争のことを学んでほしい」と願う。「日本と世界を知ることにつながり、人の痛みを考える力がつくと思う。荒武さんに出会えたことを感謝しています」

   ×  ×
 ネットから戦争体験を広めていた荒武さんは焦っていた。生きているうちに、直接子どもたちに話したい。ブログでも呼びかけた。
 横浜市立中川小学校で授業をしてほしいという話が舞い込んだ。依頼したのは、学校と地域社会をつなぐボランティアをする高橋満さん(43)だ。ブログを読み「生の声を子どもたちに聞かせたい」と思ったという。荒武さんは体調を崩さないよう外出を控え、時計を見ながら原稿を読む練習もした。大豆かすや麦だらけだったお弁当や、焼夷弾の模型を紙粘土などで手作りした。
 今月5日、念願の授業の日。焼夷弾の模型を手に空襲のことを話した。「飛行機から、ばらばら降ってくるんです。油や薬品が入っていて燃え広がります。火の海を頭から水をかぶって逃げました」。食料事情も伝えた。「お弁当のおかずは、半分に切ったたくあんが4切れだけ。育ち盛りなのに体重が減りました」
 真剣な表情の子どもたちに向かい、荒武さんは最後に笑顔で呼びかけた。「会えて本当にうれしい。戦争になったら大変だから、なる前に反対しましょう」

   ×  ×
 1941年12月8日、日本は米国に奇襲をかけ、泥沼の戦争にのめりこんでいった。それから70年。十分な食べ物もなく、炎の下を逃げまどった日々は遠い。戦争の記憶をどう次世代につないでいくのか。ブログで、映像で、当時を残そうとする戦争体験者と若者の取り組みを追った。【木村葉子】
    --「白いハト羽ばたけ:日米開戦から70年/上 「80ばあちゃん」ブログ発信」、『毎日新聞』2011年12月7日(水)付。

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欲望の最大限、仕事の最大限、資本の最大限、生産能率の最大限、野心の最大限、権力の最大限、外的自然改変の最大限、交渉と交易の最大限に対峙する「最大限」の挑戦。

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 『ヨーロッパ精神』の君臨するいたるところに、欲望の最大限、仕事の最大限、資本の最大限、生産能率の最大限、野心の最大限、権力の最大限、外的自然改変の最大限、交渉と交易の最大限が現れているのが見られるのだ。
 これらの最大限の総体が『ヨーロッパ』である、或は『ヨーロッパ』の相(イマージュ)である。
    --ヴァレリー(渡辺一民・佐々木明訳「ヨーロッパ人」、『ヴァレリー全集11』筑摩書房、1978年。

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ヴァレリー(Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valéry, 1871-1945)のいうとおり、環境問題や産業社会や経済システムのひずみ等々、現代社会の問題点の原因を「○○の最大限」という「ヨーロッパ」に認めることは否定できません。

しかしだからといって、「自然に優しい」だとか「ほほえみの人情」などというフレーズとともに頭をもたげてくる、例えば、アニミズムだとか、東洋的なるもの、というものを安易に持ち上げて、こちらを新しい理念にすれば万事解決するという発想に首肯することもできません。

確かに「ヨーロッパ精神」における「○○の最大限」が問題を引き起こしたのは事実ですけれども、それに「対処しようとする方向性」を「最大限」に取り組もうとする挑戦も「ヨーロッパ精神」から出てくる事実を忘れてはいけないからだ。

別に西洋が偉くて、東洋はダメだというわけでもないし、東洋が偉くて、西洋はダメだというわけでもない。

そういう価値観の対立だけを継続して問題に目を閉ざしてしまうことが一番恐ろしい。

また少し西洋に肩入れして踏み込んで付け加えるならば、東洋の伝統的エートスというのは「忍従」という構造で「問題」に対する挑戦というものがどちらかといえば、及び腰だった経緯もあるから、安易にそれに依存することには警戒的になってしまう。

まあ、いずれにしても、最大の原因は人間そのものに起因するわけだから、そこを直視したうえで対応しなければならないわけだけら、西洋だの東洋だの言っている「暇」もないのがリアルなところなんですけど。

こうした議論になってしまうと、そこも見落とされガチだから、議論に酔う人を見かけると、自分自身を振り返らないその脳天気さに驚くと同時に、ちょいと辟易とすることがよくあります。

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覚え書:「異論反論 どう見る? オフレコ懇談報道 寄稿=佐藤優」、『毎日新聞』2011年12月7日(水)付。 + 『琉球新報』報道

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異論反論 どう見る? オフレコ懇談報道 寄稿=佐藤優

国民の知る権利考量せよ

 11月28日夜、那覇で行われた報道関係者とのオフレコ懇談の席上、田中聡沖縄防衛局長が米軍普天間飛行場の移設先の環境影響評価(アセスメント)の提出時期を一川防衛大臣が明言していないことについて、「犯す前に犯しますよと言いますか」と発言していたことが、翌29日の琉球新報の報道関係者で明らかになった。一部の新聞や有識者は、琉球新報のオフレコ破りを批判するが、この批判は間違っている。
 筆者自身、外務官僚だったときにオフレコ懇談を行ったことが何度もある。オフレコ懇談は、酒席での放言ではない。報道されないことを前提に、踏み込んだ情報を提供し、政府の政策に対して理解を求める公務なのである。オフレコ懇談は真剣勝負の場だ。ここで発信を誤ったならば、国益を毀損することになる。オフレコ懇談でも、仮に記者が約束を破り、記事にしたならば国益にどのような影響があるかを頭の片隅に置きながら官僚はオフレコでの情報を提供するのである。
 オフレコにもさまざまな形態がある。ほんとうに機微に触れて話をするときに、官僚は1対1のオフレコで懇談をする。田中氏が行ったような約10社が参加するような懇談は、冒頭で「完オフ(完全オフレコ)です」と言っても、実際はオフレコに参加した記者がその内容をメモして、会社に報告sることを前提にしている。業界常識においては、縛りの緩いオフレコ懇談だ。しかも、そのメモが政治家に流出することもよくある。官僚はそれを織り込んだ上で、この種の完オフ懇談を通じて、政治家にメッセージを流すことがよくある。官僚がオフレコ懇談を行うのは、メディアに対する純然たるサービスではなく、省益にとってこのような形態での情報伝達が役に立つからである。

沖縄防衛局もノーコメントが筋だ
 マスメディアの仕事は、国民の知り権利に奉仕することだ。オフレコ懇談の内容を報道することによって、情報源(並びに情報源が所属する組織)との信頼関係が崩れ不利益を被るリスクと国民の知る権利への貢献を比較考量し、後者の方が圧倒的に重ければ、真実を報道することがマスメディアの職業的良心だ。
 しかも、琉球新報は、不意打ちで報道したのではない。沖縄防衛局にオフレコ懇談の内容を報道すると通告した。それに対し〈沖縄防衛局報道室は「(懇談は)オフレコだ。発言は否定せざるを得ない」とした上で、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきた〉(11月30日琉球新報)。オフレコなので否定するという沖縄防衛局の対応は、誤りだ。オフレコ発言が報じられても、事実ならば否定してはならない。あくまでノーコメントで通すのが筋だ。うそをついてはならない。

さとう・まさる 1960年生まれ。作家。「鈴木宗男・前衆議院議員が刑務所から仮釈放になりました。私たちが鈴木氏を北方領土交渉に巻き込まなければ、こんな事態になりませんでした。申し訳なく思っています。鈴木氏のバイタリティーを日本のために何とか生かせないかと願っています」
    --「異論反論 どう見る? オフレコ懇談報道 寄稿=佐藤優」、『毎日新聞』2011年12月7日(水)付。

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佐藤優(1960-)が異論反論で言及している11月30日付『琉球新報』報道は以下の通り。


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「知る権利」優先 本紙、オフレコ懇談報道 2011年11月30日
 米軍普天間飛行場の移設問題に関する田中聡沖縄防衛局長の県民を侮辱した問題発言は28日夜、那覇市内で開かれた報道陣との非公式の懇談会であった。関係者の発言内容について記録、報道しないことを前提とした「オフレコ」形式の懇談だったが、琉球新報は読者に伝える責任があると判断して報道に踏み切った。識者はオフレコの原則よりも「国民の知る権利が優先される」と指摘する。
 懇談会は各社負担する会費制で、県内外の9社の記者が参加した。午後8時ごろから始まった懇談は、テーブル中央に座った田中局長を記者が取り囲み、飲食を伴いながら、基地問題について意見を交わした。
 政府が年内提出を予定する環境影響評価(アセス)の評価書提出問題に話題が移った時、本紙記者が「政府はなぜ『年内提出する』と明言しないのか」と問いただした。すると、田中局長は女性を乱暴することに例えて「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と応じた。田中局長は、1995年の少女乱暴事件後に、「レンタカーを借りる金があれば女が買えた」と発言し更迭されたマッキー米太平洋軍司令官(当時)の発言を自ら話題にし、肯定する言いぶりもあった。
 公表を前提としないオフレコ内容を報道したことについて、沖縄防衛局報道室は「(懇談は)オフレコだ。発言は否定せざる得ない」とした上で、「(公表すれば)琉球新報を出入り禁止することになる」と警告してきた。
 専修大学の山田健太准教授(言論法)は「メディアはオフレコを守る信義則はあるが、国民の知る権利はそれに優先される」と指摘。「全ての取材は報道する目的で取材するのが原則だ。公人がメディアに対する時、その後ろにいる国民に対して説明責任を果たす認識が必要だ。公共・公益性があると判断した場合、メディアは報道する原則に戻るのが大前提となる」と話している。
    --「『知る権利』優先 本紙、オフレコ懇談報道」、『琉球新報』2011年11月30日(水)付。

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是非ともその存在を抽象的概念に変換してしまうことが「不」必要

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 わたくしが、これらの存在者(=隣人)を絶滅する用意をせねばならなくなるその瞬間から、まったく必然的にわたくしは、亡ぼさねばならないかもしれないその存在者の個人的実在についての意識を、失ってしまう。かかる人格的存在を蜉蝣(かげろう)のごとき姿に変えるためには、是非ともその存在を抽象的概念に変換してしまうことが必要である。すなわち、コミュニストだとか、反ファシストだとか、ファシストだとか等々のものに変えてしまわねばならぬ。
    --マルセル(小島威彦・信太正三訳)『人間 -それ自らに背くもの-』創文社、1958年。

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基本的に野生動物は、個体が存続を危ぶむほど異常繁殖したような場合など極めてイレギュラーな場合を除いて、基本的には同族殺しをしない。

人間も動物のひとつである。

しかし人間もひとつの動物でありながら、極めてイレギュラーな場合でなくても、同族を同族として容易に扱わないものであるのまた事実。

どのような時にそうした判断が下されるのか。

第二次世界大戦下における塗炭の苦しみを肌身を通して味わった哲学者ガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel,1889-1973)は、「抽象化の精神」にその根拠を見出した。

「やれ、奴はコミュニストだから」

とか

「やれ、奴はファシストだから」

……等々。

換言不可能な固有名詞や息づかい、そしてその実存をもって代えることのできない隣人をテキトーなカテゴリーに封印し、抽象的スローガンを連呼して、聞く耳を持たなくなれば簡単にそれは遂行される。

いわば人情不感症とでも人間不感症とでもいうべき状態。

人間が人間であることの証ともいうべき対話やコミュニケーションを斥け、公式的決まり文句や空疎なスローガンが飛び交うようになると、最終的には殴り合いがはじまってしまう。

言葉がもつ意思疎通の機能が喪失した瞬間、問答無用としての相互不信が招来されてるというわけだ。

人間を人間として扱わない秘訣は何か。

テキトーにカテゴリーで扱えばよい。

それは何を導くのか……。

絶え間のない暴力と同族殺しが始まるだけだ。


……ってことなので今日は忘年会がひとつ。

面と面とを向き合った言語空間……それはネットでもリアル対面でも何ンでもいいんだが……における誠実な対話空間においてしか、それにあらがうことはできない。

だから……呑んできたorz


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覚え書:「くらしナビ:「怒らず生きる」極意」、『毎日新聞』2011年12月6日(火)付。

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怒り:「怒らず生きる」極意

自分の怒りを採点
記録/怒ったら行動、思考を止める
親子の力関係、変えてみる

 イライラしてすぐカッとなる。そんな自分に気づいたら--。長引く不況で世の中から余裕が失われたせいか、街角でも声を荒らげている会社員や高齢者を見かける。怒りをテーマにした本が続々出版されており、心のもち方を説くセミナーも盛況だ。「むやみに怒らない」ために、どうすればいいのか。【中村美奈子】

 11月中旬の午後7時過ぎ。仕事帰りのサラリーマンらが都心の会議室で黙ってメモを取る。「アンガーマネジメント体験クラス」に参加した約20人で、30~40代が中心だ。
 「夫や子どもなど、身近な人には怒りを強く感じます。自分の力で変えられると思っているから。でも、人を変えるのは、天気を変えるのと同じくらい難しい」。講師の安藤俊介さんの声が響く。
 「アンガーマネジメント」は、怒りと上手に付き合うための心理教育で、70年代に米国で始まった。怒りをなくすのが目的ではなく、怒りを一つ一つふるいにかけ、注ぐエネルギーの配分を考える。
 安藤さんは初歩的なテクニックを二つ紹介した。一つは「スケールテクニック」。10点満点で自分の怒りにすべて点数をつける。10点は人を殺す寸前の人生最高の怒り。0点は全く怒っていない状態で、何点にするかは個人の判断でよい。安藤さんによると、怒りの感情は非常に幅が広く、普段感じる怒りの大半は大して強い怒りではないという。
 二つ目は「アンガーログ」。頭にきたことがあったら、その場で日時、場所、怒りに至った出来事、自分の感情、怒りの点数を記録する。分析はしない。続けると自分のパターンが浮かび上がり、客観視できるという。
 参加した首都圏のハローワーク職員の男性(37)は日ごろ、窓口で求職者から怒りをぶつけられているという。「求人票に年齢不問と書いてあるのに、45歳以上はだめと言われたじゃないか」などと、机をたたいて憤る求職者もいる。男性職員は「相手の怒りも分からないではないが、自分もストレスがたまり、怒りっぽくなってきた」。
 アンガーログを10日間試したところ、自分を客観視できるように感じてきたという。怒る場所は電車内と職場の2カ所。1日2~3回で、平均3・5点。急いでいたり焦っていたりする時に邪魔されると、腹が立つことも分かった。窓口で求職者が憤っている時も、「この人の怒りは何点かな」と考え、「生活がかかっているから怒るのも仕方ない」と思えてきた。
 講師の安藤さんは7年前から実践し、「他人への許容度が上がった」という。今年5月、「日本アンガーマネジメント協会」を設立し、講習会を開く。「今は万事に余裕を持って生きている。多くの人が学べば、蔓延(まんえん)する怒りの連鎖を断ち切れる」と語る。
      *
 仏教思想で怒りを鎮める方法もあるという。91年から日本で活動するスリランカ人僧侶、アルボムッレ・スマナサーラさんは06年に「怒らないこと」、昨年「怒らないこと2」(ともにサンガ刊)を出版した。「一切の物事は無常で、無常が怒りの原因。人は怒らずにはいられない」と説く。
 そもそも自我があると思うから怒りが生まれるという。人ごとだと腹が立たないが、「私の」何かが関係したとたん、腹が立つという見方だ。
 初心者の対処法は「怒ったら止まる」。何もせず、何も言わず、思考も心も止める。収まらなければ、ゆっくり呼吸しながら1から5まで心の中で数える。怒りをなくそうとするのも怒りだという。
 スマナサーラさんは「世の中が変わるというのは自分が変わること。世直しは妄想です」。

      *
 精神科医の水島広子さん(元衆院議員)は治療現場の経験から、怒りをどう扱うかが人の幸せを左右する、と見る。5月に出版した「『怒り』がスーッと消える本」(大和出版刊)では、相手にどんな役割を期待しているかを考えるなど、怒りの原因の取り除き方を紹介した=別稿参照。
 2児の母親でもある水島さんは、親子関係でも「ガミガミ怒り続けるのは百害あって一利なし」という。幼児が片付けをしないなど、日常のささいなことで親はイライラしがち。そんな時は「親子の力関係を逆転させ、子どもに助けてもらう」のも得策だ。
 「お母さん、疲れちゃった。助けて」と言ってお手伝いをさせるなど、人を助けるのが大好きな幼児の特性を生かす。怒る代わりに、子どもの体をくすぐるのもいいという。「叱るのをやめるのも一つの手。ガミガミ怒ってしまったら、子どもを抱きしめて『ごめんね。あなたのせいじゃないよ』と必ず伝えることが大事です」と話した。

      *
ちょっとしたことで怒りがわく人へ
▽自分で作り出した「ストーリー」が現実をゆがめていることに気づこう
▽相手には自分の知らない事情がある、と考えよう
▽現実をありのままに受け止め、評価を下さないクセをつけよう
▽正しさにこだわるのは、やめよう
▽余計なことは考えないで、「相手が今、話していること」に集中しよう
 =水島広子さん著「『怒り』がスーッと消える本」より抜粋
    --「くらしナビ:「怒らず生きる」極意」、『毎日新聞』2011年12月6日(火)付。

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「この男の気が狂っているんだよ。そして、こいつの狂気は、我々の狂気なんだよ」

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 戦争の本質は人を殺すことである。戦争で勝つために最も重要なことは、人を殺すことをためらわないことである。カーツ大佐の一見特異な性格は、この本質をつきつめて行動するところからきている。
 映画を見終わってから、カーツ大佐はビンラディンにそっくりだなと思った。そのあとたまたま筑紫哲也さんに会ったのでその話をしたら、いやー、ぼくもそう思ったよといっていた。
 カーツに似ているのは、ビンラディンだけではない。ビンラディンを狩り立てるために、アフガニスタンに攻めこみ、原爆なみの広域破壊高性能爆弾「デイジー・カッター」をアフガニスタン全土に落としまくり、人を殺しまくっているアメリカ軍の行動様式は、カーツの行動様式とそっくりである。そういえば、湾岸戦争のアメリカ軍もそうだった。無慈悲かつ徹底的な武力の行使でことの決着をつけようとするのだ。アメリカがベトナム戦争の敗北から学んだことは、もっとカーツ的にふるまえということだったのではないか。
 ピーター・カーウィーの前傾書に、コッポラとマーロン・ブランドが、カーツの役作りのために話し合った記録が残っていて、コッポラはこんなことをいっている。
「この男の気が狂っているんだよ。そして、こいつの狂気は、我々の狂気なんだよ」
    --立花隆『解読「地獄の黙示録」』文春文庫、2004年、186-187頁。

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戦争をしたら問題が一挙に片付くんだという話しをよくきくけど、結構、そういう声高な言説を吐くひとっていうのは、いわゆる「徴兵年齢」を既に脱した御仁が多いことに驚くことがよくある。

戦争への反対は臆病ではない。

剣士以上の勇気がなければ、これを口にすることはできない。

僕はどのような主張があってもかまわないと思う。

しかし、自分は遠くの安全地帯に陣を構えて、「いけ」とか「やれよ」ってやる感性だけは理解できない。

「この男の気が狂っているんだよ。そして、こいつの狂気は、我々の狂気なんだよ」

……他人事としてではなく、これを自分自身の問題として考えていかないと、戦争だけでなく、様々な問題に関して、僕たちは、臆病を理由にして雪崩をうってしまうんだろうと思う。


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覚え書:「論壇:この1年 「論壇をよむ」執筆者対談・語り下ろし」、『毎日新聞』2011年12月5日(月)付(東京・夕刊)。

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論壇:この1年 「論壇をよむ」執筆者対談・語り下ろし

 東日本大震災が、この国の積み重ねてきた矛盾を露呈させた今年。論壇では、大震災をはじめ2年目の民主党政権の評価、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)問題などが語られた。「論壇をよむ」(東京本社版朝刊文化面)執筆者のうち、添谷芳秀・慶応大教授(国際政治学)、牧原出・東北大教授(政治学)の対談と、中島岳志・北海道大准教授(近代政治思想史)の語り下ろしで、2011年を振り返る。【構成・鈴木英生、写真・手塚耕一郎】

 ◇もっと世界にアンテナを--添谷さん
 ◇変わった政権の意思決定--牧原さん
 ●東日本大震災

 添谷芳秀さん 日本の課題を考える「きっかけ」としても、東日本大震災以上の国家的危機はありませんでした。復興の道筋を今後の国のかたちに結びつけて論ずべきなのに、論壇を含めて、そうした議論がほぼなかった気がします。

 牧原出さん 確かに、論壇誌も紋切り型のルポが多かった印象です。とはいえ、特に大震災後1カ月ほどは、原発事故がどうなるか分からず、誰もが思考停止していましたから。ともあれ、論は後追いになる。日本の今後についての議論は、これから出てくるのでは。

 添谷さん 原発については、国際的な「風評被害」を今も感じます。政府や東京電力は、不利な話を含めて正確に情報開示して信頼を得ることができなかった。国境を越えた問題だという視点での総括が必要です。

 ●民主党政権

 牧原さん 他方、大震災に経済危機が相まって、民主党政権の「決められない政治主導」がいかにだめかが明確になった。菅直人前首相と大震災ほどのミスマッチはなかった。ただしその結果、枝野幸男氏や細野豪志氏ら新しいタイプの政治家が前面に立った。野党時代の党代表経験者による政治には戻らないでしょう。菅さんらの「やれるか分からないが言ってみる」ではなく、野田佳彦首相の1日おいてTPP交渉参加を表明するようなやり方がいいんです。野田政権で、意思決定の仕組みは変わってきました。最近は、前よりはよく動くようになってきたと思います。

 添谷さん 民主党の若い政治家が急速に学びつつあるという見方は同感です。

 牧原さん それと、野田政権は自民党型ではない。たとえばTPPです。自民党ならば、あれだけ党内が割れたら絶対に決まらなかった。

 添谷さん 他方、世界各国で、誰が政治をしてもなかなか結果の出ない時代です。橋下徹氏の大阪市長選当選は、既成政党に先を託せないとの意識の表れでしょうか。

 牧原さん 橋下氏は、サルコジ氏、ベルルスコーニ氏などポピュリストの系譜の最終走者か、新時代の制度設計者の旗手となるかの岐路に立っていると思います。

 ●外交・TPP

 添谷さん 日本の政治家で、普段から外交について考えている人は、5%もいないでしょう。戦後、米国さえいれば大丈夫という構造が続いた結果です。ただ、その構造の意義を理解せず、鳩山由紀夫さんのように「対米依存が過剰だ」と唐突に言ってもむちゃです。次の菅さんは、何も考えていなかったから「現実主義」、野田さんも同じで、だからとりあえず官僚を尊重する。官僚を毛嫌いした菅さんよりましですが、中国の台頭に欧州危機など外交課題は以前と完全に違っています。挙国一致で世界にアンテナを張り、それを政治がリードしなくてはならないのですが……。

 牧原さん 欧州危機もあり、いよいよ日本の国債の危機も叫ばれています。おかげで、TPPへの交渉参加のように、国内のあるセクターは多少切ってでもこちらを伸ばすというような思考が、ようやくできる環境になってきたのでは。

 添谷さん TPPは国の戦略的選択の問題で、内政の個別課題とは決定の次元が違います。国内的で身近な論理に基づく反対論が出るのは当然です。だからこそ、戦略的決定と同時に国民一人一人への気配りが政治に求められる。その緊張感がなく、二元論的な対立に陥ってしまっているように見えます。

 牧原さん 国内の強い反対は外交カードになりますが、そこまで考えて反対している人がどれだけいるのか。

 添谷さん それにしても、対外政策でここまで国論が分かれたのは、60年安保以来でしょう。反対論の根底に米国の陰謀論があるのも安保に似ている。戦後日本が、米国の意味をいまだ整理できていない証拠。実際の交渉では、各国が結束して米国にもの申す場面も出てくるはずです。そうした多国間の視点での議論が見られない。ほかに国際経済で気になるのは、欧州危機と日本の財政赤字の関係ですね。

 牧原さん 欧州で財政危機が叫ばれている国々の国債発行残高は、サブプライムローンの3倍と聞きます。これが一気に吹っ飛んだときのインパクトは大きいでしょう。

 添谷さん 中国もバブルが崩壊しつつある。先日、マカオで中国のナショナリズムについて話したら、中国本土出身の大学生が「国家台頭による自信なんて全くない。むしろ、今後の心配ばかりです」と。欧州危機が中国に波及する可能性を空気として感じます。中国がくしゃみをすれば、米国を含む世界が風邪をひきますよ。

 牧原さん 世界同時不況になりますね……。それがどう政治に波及するか。

 添谷さん 中国のような権威主義体制では、社会・経済が不安定化したときに、国民の不安を外に向ける可能性も否定しきれません。

 牧原さん メルケル独首相が先日、「平和と繁栄の欧州はもう来ないかもしれない」と言っていました。「繁栄」はともかく、「平和」と言ったことが驚きです。来年は、主要国で大統領選挙があります。危機の下で政治変化が起こることになります。目が離せない日々になりそうです。

 <今年の3点>

 ◆添谷さん

<1>ナショナリズムと組織の論理(高原明生)=外交10号

<2>日朝平壌宣言までの長い道程(田中均)=中央公論7月号

<3>文化と外交(渡辺靖)=中公新書

 ◆牧原さん

<1>「戦後」が終わり、「災後」が始まる(御厨貴)=中央公論5月号

<2>津波に耐えた「死者ゼロの街」(葉上太郎)=文芸春秋9月号

<3>アーカイブズが社会を変える(松岡資明)=平凡社新書

 ◇広まった「救世主」待望論--中島さん
 今年は、東日本大震災と福島第1原発事故、それへの対応のまずさを含む民主党政権の不安定さが、シニシズム(冷笑主義)をますます社会に広めた。これが小泉ブームに似た「救世主」待望論となり、大阪市長選での橋下徹氏の当選にもつながったと思う。

 原発事故では、政府や東京電力への不信感が膨らんだ一方、「ベクレル」や「マイクロシーベルト」など難解な用語だけが流布して、人々は、究極の自己責任を強いられる日常を送った。そこで事故後しばらくすると、多くの人に「放射能について知るほど不安になるだけ。だから、深く追及せず考えないことにする」という、いわば「状況へのネグレクト(拒否)」が起きた印象だ。

 しかし、いくら状況を拒否してみても、不安は消えるものではない。だからこそ、分かりやすい「敵」を叩(たた)くことで不安を解消する、「救世主」を求める雰囲気が広まったのではないだろうか。橋下氏の論理は一貫して「既得権益バッシング」。ちょっと得をしているとみえる人たちを徹底的に叩き、支持を集める。構造は、ユダヤ人を批判して政権を取ったナチスに類似する。

 小泉ブーム後、格差批判が民主党政権を生み、「救世主」待望論は下火になったはずだ。だが、民主党は新自由主義的な政策に流れ、結局、人々の不安を解消できなかった。小泉ブーム後は民主党政権という別の選択肢があったが、今は民主も自民もダメという状況だけに、問題はますます深刻ではないか。

 脱原発ブームも、対話よりバッシングが先行している。橋下氏への支持に似た構造を感じる。希望は、橋下氏の人気が必ずしも盤石ではないことだろう。有権者には、やはりどこか、健全なバランス感覚がある。

 もう一つ、原発の是非を巡って保守系の論壇が分裂したことも、肯定的にとらえたい。今後そこから、単なる反左翼、現状追認や排外主義ではなく、近代や科学、合理主義を問い直すような本来の保守主義が再興することを期待している。

 <今年の3点>

<1><フクシマ>論(開沼博)=青土社

<2>日本の大転換(上)(中沢新一)=すばる6月号

<3>「脱原発」の思想的課題(宮崎哲弥)=正論9月号
    --「論壇:この1年 「論壇をよむ」執筆者対談・語り下ろし」、『毎日新聞』2011年12月5日(月)付(東京・夕刊)。

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覚え書:「ポーランド:ナチス戦犯捜査再開 犠牲者証言、今も」、『毎日新聞』2011年12月5日(月)付。

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ポーランド:ナチス戦犯捜査再開 犠牲者証言、今も

 第二次大戦中、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の主な舞台となったポーランドで、今年10月末からナチスとその協力者の犯罪を暴く捜査が再開された。戦後66年を経て多くの関係者が世を去り、記憶の風化も進む中、歴史の検証には多くの難題が立ちふさがる。【クラクフ、オシフィエンチム(ポーランド南部)で樋口直樹】

 「今も犠牲者の証言は続いています。これは今日届いたものです」。ナチスと旧共産政権による犯罪捜査を行う国家記憶院のクラクフ支局。グラムザ検察官が示した真新しい証言書は、1940年6月14日にアウシュビッツへ移送された90歳代半ばの元「政治犯」のものだった。しっかりした筆跡の手紙には、当時の様子を示す地図も添えられていた。

「やぶ蛇」懸念
 第二次大戦でドイツに占領されたポーランドでは、ソ連軍による45年の解放前後からナチスの戦犯捜査が始まった。だが、東西冷戦時代の捜査は難航した。西側へ逃げ込んだ戦犯の追及が事実上不可能だったうえ、ポーランドの独裁的な共産政権にとってナチス時代の戦犯追及は「やぶ蛇」になりかねなかったからだ。56年には特赦で大量のナチ戦犯も釈放され、「捜査に重大な支障をきたした」(グラムザ氏)。
 89年の東欧革命でポーランドがソ連のくびきを離れてから11年。国家記憶院は00年に活動を開始した。すでに新憲法が制定され、ナチスの戦争犯罪には時効が設けられないことになっていた。
 旧共産政権時代から引き継がれた未処理案件は5000件以上。記憶院は、ドイツ語の指令書をポーランド語に翻訳したり、重複する資料を整理し、証言と照らし合わせたりという膨大な見直し作業に忙殺された。

有罪1件のみ
 結局、01年初めから02年3月末までに48件のナチスの戦犯捜査が行われたが、有罪に持ち込めたのは1件のみ。以後大きな成果はなかったが、「05~06年にそれまでの資料などから、アウシュビッツやクラクフの強制収容所で起きたいくつかの未解決事件が浮かび上がり、今回の再捜査開始につながった」(グラムザ氏)という。
 再捜査は、強制収容所の「実像解明」も目的にしている。例えば、アウシュビッツや隣接するビルケナウ(第2アウシュビッツ)収容所に送られたユダヤ人、少数民族ロマ、ナチスに抵抗したポーランド人「政治犯」などの総数や、150万人と言われる死亡数でさえいまだに諸説があるからだ。
 「戦犯がどれだけ年老いても、我々には捜査を続ける責任があります。強制収容所から生還した人々には、そこで何があったのかを語り、政府にあらゆる努力を払わせるだけの価値があるからです」。グラムザ氏は再捜査の意義をこう締めくくった。

「関係国の意識低く」--ユダヤ系人権組織関係者
 「ナチ戦犯追及の最大の障害は関係国の意識の低さです」。ユダヤ系人権組織「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・米国)で「ナチ・ハンター」として活動し、戦犯との戦いを描いた「Operation Last Chance」の著者でもあるズロフ氏は毎日新聞にこう答える。「高齢化した戦犯が凶悪犯罪に走る可能性は極めて低い。捕まえなくても死ぬのを待てばよいと考えているのです」と言う。
 センターの報告書によると、01~10年に世界各国で有罪判決を受けたナチスの戦犯は計87人。最も多いのは米国(37人)で、イタリア(35人)、カナダ(6人)、ドイツ(5人)が続く。うちドイツでは昨年3月、オランダでユダヤ人をかくまった民間人ら3人を殺害した罪で、当時88歳の元ナチス親衛隊員が終身刑を言い渡された。
 大戦中、欧州でも東と西では「反ユダヤ主義」の強弱によって迫害に違いがあった。ズロフ氏は「ドイツ占領下の西欧ではナチスの協力者がユダヤ人を追い立て財産を奪ったが、東欧では協力者が積極的にユダヤ人を殺害した」と指摘。東欧ではこうした負い目も「歴史の真実」から目を背けることにつながったと分析する。また、東欧では89年の民主化後、ナチスよりもむしろ旧共産政権の罪を裁くことに多くの労力がつぎ込まれる傾向が強かった。

ことば ホロコースト ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺。犠牲者数には諸説あるが、通説では欧州各地で600万人以上が組織的、計画的に殺害されたと言われる。このうちポーランド南部のアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所では、ユダヤ人を密室に閉じ込め毒ガスで殺害する手段がとられた。欧州やロシアでは古くから、宗教や文化の違いなどからユダヤ人を差別する風潮が強く、アーリア人優越論を掲げるナチスにとって格好の攻撃対象になった。
    --「ポーランド:ナチス戦犯捜査再開 犠牲者証言、今も」、『毎日新聞』2011年12月5日(月)付。

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偽りの楽天主義、人間の性質についての浅薄な楽観主義の幻想や、虚偽の理想主義

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 ぼくは、ニーバーの哲学のなかに不満なところをたくさん見いだしたけれど、それでも彼がぼくの思想をつくりあげてゆく上に積極的に影響した点は二つや三つにはとどまらなかった。ニーバーが現代の神学に及ぼした偉大な貢献は、彼が大陸の神学者カール・バルト〔一八八六生、現代スイスの神学者、弁証法、神学のももっとも有力な代表者〕の反合理主義や、そのほかの弁証法神学者たちの半ファンダメンタリズム〔アメリカのプロテスタントの内部に第一次大戦後におこった思想で、聖書に記されている創造説や奇蹟やキリストの復活などを文字通りに信ずることをキリスト教信仰の基本でえあると唱えた〕におちいることなしに、プロテスタント自由主義の偉大な流れの特徴をなしている偽りの楽天主義をしりぞけた点にある。そればかりではなく、ニーバーは、人間の性質--とくに民族や社会的集団の態度にたいしてなみなみならぬ洞察を示しているし、人間を行動にかりたてる動機や道徳と力の関係の複雑さをするどく意識している。彼の神学は、人間存在の一切の面に罪が存在することをたえず思いださせる。ニーバーの思想のなかのこうした点は、ぼくが、人間の性質についての浅薄な楽観主義の幻想や、虚偽の理想主義の危険をみとめることを助けてくれた。ぼくは依然として人間の善への可能性を信じてはいるけれど、ニーバーは、人間の悪への可能性をもさとらせてくれた。その上、ニーバーは、ぼくが人間の社会的環境の複雑さと集団的な悪の目くるめくばかりの現実性をみとめることを助けてくれたのだ。
 多くの平和主義者たちはこの点を見おとしている、とぼくは感じた。あまりにもたくさんの人たちが、人間に関して、なんら保証されておらぬ楽観主義をいだき、無意識のうちに自己の正しさにたよっていた。ぼくが平和主義につよく傾きながらも決して平和主義団体に加わらなかったのは、ニーバーの影響の下でこうした態度に反抗したからだ。ニーバーをよんでのち、ぼくは現実的平和主義に達しようとこころみた。いいかえるならば、ぼくは、平和主義者の立場を罪なきものとは考えないで、一定の環境のなかでほかの人たちほど悪くはないものと考えるようになった。
    --M.L.キング(雪山慶正訳)「非暴力への遍歴」、『自由への大いなる歩み -非暴力で闘った黒人たち-』岩波新書、1959年、117-119頁。

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月曜の講義では、非暴力主義の問題を事例に従ってポイントとなる概要だけを紹介したのですが、結局、ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi,1869-1948)の場合もそうですし、キング(Martin Luther King, Jr.,1929-1968)の場合もそうですが、「人間」という存在をどのように見ていくのか……という立脚点をしっかり押させておかないとまずいし、人は容易にイズムの問題に陥ってしまうことがわかる。

二人に共通しているのはやはり、イズムの問題に対して無自覚となるのではなく、自覚的に向き合い、そしてそこから積極的に挑戦していったからこそ、その「運動」が「主義」に陥らずに、成功したのだろうと思う。

例えば、平和構築を目指して尽力することは大事だし、尊い営みだと思う。
しかし、平和を妨げる人間だけが問題であり、それを指摘する人間だけが善なるものを独占するという二項対立を温存させたままでは、理想的なるものと、この世の現実は引き裂かれたままになってしまう。

合理性に対する非合理の宣揚や近代性に対するストレートな反動といった脊髄反射を選択しないためには、まず人間自体を眼差した上での選択が必要なはずだ。

ガンジーの場合は、悠久なるインドの大地からそれを学んだわけだが、キングはそれをプロテスタント神学者・ニーバー(Reinhold Niebuhr,1892-1971)から学んだという。

これは実に、意外だった。

しかし、ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer,1906-1945)の元で学んだことがあるからこそ、「社会派」であることは、より立ち位置を自覚した上での積極性が必要となると見れなくもない。

人間は「神の似姿」をもつ存在としてはたしかに「善」の一端を内在していると理解することも可能だが、「罪人」としての側面も同時に内在している。もちろんどちらを強調すかということだし、勿論、これは相即概念だから、相互批判がうまく機能することによって人間に創造性を与えるものなんだけど、往々にして、どちから一方を極端に強調して問題に向き合うことが多いのが現実だろう。

そして特に「何かを指摘」するとき、一方が完全にスルーされてしまうことが多い。

社会的な問題や人間の負の側面をきちんと指摘し、それを組み立て直していくことは必要だ。しかしそれは自分の「外」に存在するとのみ「眼差し」てしまうことは別の問題だ。しかし人はたやすくそれを選択する。

そして「偽りの楽天主義」、「人間の性質についての浅薄な楽観主義の幻想」といったものはたやすく魔女狩りへと転じてしまう。換言すれば「理想」実現を目指しているもののその実「虚偽の理想主義」へと転落してしまうパラドクスに他ならない。

「ぼくは依然として人間の善への可能性を信じてはいるけれど、ニーバーは、人間の悪への可能性をもさとらせてくれた」。

両目を開いて人間を見る。そして自分自身を振り返る。

ここから始めない限り、どのような理想を掲げようとも「なんら保証されておらぬ楽観主義をいだき、無意識のうちに自己の正しさにたよっていた」イズムに陥ってしまうんだろうと思う。

……まあ、そんな話しをしたわけなんだけど、同時にいえば、だからといってこれは社会的な不正義をスルーしてもよいって単純な道義論ではありませんので念のため。

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覚え書:「中学公民教科書:沖縄・八重山問題 混乱の背景に法律の不備」、『毎日新聞』2011年12月5日(月)付。

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中学公民教科書:沖縄・八重山問題 混乱の背景に法律の不備

 沖縄県八重山地区(石垣市、竹富町、与那国町)で来年度から使われる中学校の公民の教科書を巡り、混乱が続いている。教科書無償化には地区内で統一する必要があるが、採択した教科書は3市町間で異なったまま。文部科学省が当初地元に求めていた11月末までの一本化はできなかった。こじれている背景を探った。【三木陽介、木村健二、鈴木美穂】

地区内で統一するか? 各市町村教委の採択か?
 混乱が始まったのは8月23日にあった「八重山採択地区協議会」。教科書は4年に1度見直され、中学は来年度に更新時期を迎える。八重山地区では各教科の教科書を協議会が選んで3市町教委に答申。それを受け各教委が最終決定する。
 この日、公民教科書は協議会委員の投票の結果、育鵬(いくほう)社5票、東京書籍3票の多数決で育鵬社に決まった。同委員は3市町教育長、3市町教育委員各1人、保護者代表、学識者の計8人で構成される。次の数学の選定に入ろうとした時、保護者代表委員の八重山地区PTA連合会長が異議を唱えた。
 「なぜマイナスのものが選ばれたのか」
 「マイナス」というのは、協議会が任命した調査員による事前調査の結果だ。公民は、教師3人が調査を担当し、7社の中から「推薦教科書」として、東京書籍と帝国書院を選んだ。育鵬社については14カ所の問題点を指摘しており、同連合会長は「調査結果軽視」と疑問を投げかけたのだ。
 これに対し、協議会会長の玉津博克・石垣市教育長は「調査員の報告はあくまでも参考」と反論。連合会長は食い下がったが、玉津教育長は「もう投票は終わりました」と打ち切った。
 その後、混乱は拡大の一途をたどる。石垣市と与那国町は協議会の答申通り、育鵬社の採択を決めたが竹富町は東京書籍を選んだ。
 慌てたのは、各教委を指導・助言する立場にある県教委だ。教科書無償措置法は採択地区内で同一の教科書を使うよう定めている。これまで同一地区内で各教委の採択が割れたことはなく、今回のケースは「全国初」(文科省)だった。
 県教委は3市町に再協議を要請。9月8日に3市町の全教育委員13人による会議が開かれた。多数決で一転、東京書籍が採択されたが、石垣市と与那国町は「有効なのは8月23日の決定だ」と反発。行きづまった状態の中、今度は文科省が乗り出し、さらに深刻化する。10月26日に「収拾案」として、竹富町に自費購入を促したからだ。同町の慶田盛安三教育長は「無償配布は義務教育制度の根本だ」と猛反発した。
 竹富町教委の言い分はこうだ。「協議会の答申に拘束力はない。採択権は町側にある」(町教委幹部)。実は、教科書を巡ってはもう一つ法律がある。地方教育行政法。それには、採択権限は市町村教委にあると定めている。
 二つの法律が存在する現行制度では、「同じ採択地区内の市町村教委の間で考えが違った場合の解決の手立てはない」という矛盾を抱えているのだ。
 広域採択が制度化されたのは無償措置法施行の1963年。それまでは学校単位で教科書を決めることもあった。教科書の大量発注で経費を減らしたり、教員が共同研究しやすくするのが狙いだったが、教科書問題に詳しい高嶋伸欣・琉球大名誉教授によると、採択への日教組の影響力を弱めるという政治的意図もあったという。
 高嶋名誉教授は「今まで問題が表面化しなかったのをいいことに文科省は放置してきた。採択は元来の学校単位に戻すべきではないか」と提案する。ただ八重山地区の問題に関しては「話し合いで決着を図るしかない」としている。
 中川正春文科相は、制度の不備について「確かに二つの法律が重なり合って解釈が難しい。法律の整理はしていきたい」と話し、将来的に見直す考えを示している。ただ、今回の八重山地区の問題に関しては「法的に解釈のできる範囲の中で収めていくしかない。法律改正は間に合わないので次の段階になる」と現行制度内での収拾を図る方針を強調。年末まで期限を延ばして決着を求めている。

八重山地区の教科書採択を巡る動き

8月23日 八重山採択地区協議会が来年度から中学校で使う公民教科書に育鵬社版を多数決で採択
  26日 石垣市と与那国町が育鵬社版を採択
  27日 竹富町が東京書籍版を採択
9月 8日 沖縄県教育委員会の求めに応じて開かれた3市町の教育委員の全員協議が、多数決で東京書籍版を採択
      その後、石垣市と与那国町の教育長が「全員協議は無効」の文書を文部科学省に発送
  15日 文科省が採択地区内で一本化するよう県教委に通知
10月26日 中川正春文科相が衆院文部科学委員会で、東京書籍版を採択した竹富町を無償措置の対象外とし、自費購入を促す方針を表明
11月28日 県教委の呼びかけで3市町教委が意見交換したが、物別れに
12月 1日 森ゆうこ副文科相が竹富町の対応について12月末まで報告期限を延長する方針を表明
    --「中学公民教科書:沖縄・八重山問題 混乱の背景に法律の不備」、『毎日新聞』2011年12月5日(月)付。

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「知識人は、歴史や慣習によって押しつけられる系譜的役割を否認することを任務とする」訳ですから……

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 知識人は、歴史や慣習によって押しつけられる系譜的役割を否認することを任務とする。彼は自己が、<真理>とか<知>といった概念に対してすら、それらが(比喩的にしろ、字義的にしろ)高いところから<降りてくる>かぎり、あるいは、<始源>から表層へと<昇っていく>かぎり、従属しているとは見ないのである。真の理論は全体を示すことはせず、増幅するものである、とドゥルーズは言う。現象をそれらに対応する思想に還元する代わりに、理論は現象と経験とを実際に起こったことによって課せられる限界点から解放する。理論は経験と知を含まず、拡大もしないし、また処理された真理の形でそれらを送り渡すこともしない。理論は、知のおびる明白な不規則性と非連続性とを、したがって知が単一の中心的<ロゴス>を持っていないことを想定するが、それはさらに進んで、知が発生する分散の秩序を明瞭にするか、それを作り出すかする。
 ここでフーコーやドゥルーズは、ヴィーコや、マルクス、エンゲルスや、ルカーチや、ファノンなどに、またチョムスキー、コルコ、バートランド・ラッセル、ウィリアム・A・ウィリアム、その他の人々のラディカルな政治的著作に見られるところの対立的認識論の流れに合流する。書くことは、たんにある思想を文字通り反復するためでなく、なにかをするために<言語を捉える>(prendre la parole)行為である。ふたたびフーコーを引用する--

 もし〔権力の〕出発点を指示し、それらを否認し、それらのことを公的に語ることが戦いであるならば、それは、このことを意識する人が今までいなかったからだということではなくて、この命題について言語を捉え(prendre la parole)、体制の情報網に挑戦し、誰が何をなしたかを名指しで言い、的を示すこと、これらすべてが、権力の最初の方向転換を、権力に対する他の戦いのためになされる第一歩を作り出すことになるからである。……戦いの言述は、無意識的なるものに対立しはしない。それは秘かなるものに対立するのである。

 攻撃的とは言わなくとも積極的なエクリチュール感覚が、この引用文を支えている。というのは、<言語を捉える>(prendre la parole)は普通<話し始める>、つまり<発言する>を意味する。普通内意されたままにされていることをはっきりさせること、専門的な合意のために通常は述べられない、あるいは疑問とされないものを述べること、指示された時点で、また伝統によって決められたやり方で忠実に書くことを行うよりも、再び書き始めること、なかんずく、確立されている<真理>に対する礼儀正しい義務感からよりも発見の行為の中で、また発見の行為として書くことーーこれらが集合して知の生産へと導き、それらが、この私の著作が問題としている始めることの方法を要約するのである。
    --エドワード・E・サイード(山形和美・小林昌夫訳)『始まりの現象』法政大学出版局、1992年、562ー563頁。

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3-4日の土日の「倫理学」のスクーリングでは、これまで以上に、はっきり言えば、割合と「踏み込んだ」内容と発言、換言すれば、やや「挑発的」とも思えるような構成でしたが、試験の最後に簡単に書いてもらったリアクションの部分の全てに目を通したところ……、

すべての受講生のみなさまが、

「刺激になった」ないしは「もう一度リセットしてみます」

……というような感じで、意図を理解してくださったようで、ひとまず安堵している氏家です。

倫理学者・和辻哲郎は主著『倫理学』のなかで、「学が特に知識に関する場合でも、すでにできあがった知識を単に受け取って覚え込むのは学ぶことではない」と指摘しておりますし、終局としては「学ぶのは考え方を習得して自ら考え得るに至ること」がその目的になるわけですから、なるべく自分自身が無反省に身にまとっている「臆見」(ドクサ)を“撃つ”ことが必要なんだろうと思うわけですので、戦略的にも、そういう踏み込みをやってしまうわけですが、こちらも真剣であれば、うける側も真剣でありますので、思った以上に、投げたボールをがっちり受け取ってくれたのかな……などと思う次第です。

作業としての学習という狭義でみるならば、そのための仕込みや知識の認知は孤立人の観照のように錯覚してしまうフシはありますが、「学とは人と人との間の面授面受の関係」であることを踏まえるならば、まあ、そうならざるを得ませんし、

「知識人は、歴史や慣習によって押しつけられる系譜的役割を否認することを任務とする」訳ですから、やはり、大学で遂行される学問というものは、ある意味では、

“これまでの考えは正しかったのか?”「動執生疑」をおこさせ、もう一度、自分自身で発想を組み立て直す……これをスピヴァク(Gayatri Chakravorty Spivak, 1942)ならば「unlearning(私たち自身の損失として私たちの特権を学びつつ解体すること)」という姿勢になりますが……ものになりますからね。

つまるところは、「秘かなるものに対立する」……この挑戦が大事かもしれませんネ、

さて、結局、二日間の授業は朝の9時から18時近くまでぶっ通しですが、それで終わるわけもなく、二日間とも、そのまま、「教室」を代えて(ぇ! 有志で「倫理学」の「第二陣」!!!

土曜日は今回履修された学生さん。

全ての講義がおわった日曜は、履修生数名と、先の秋期スクーリングで受講された学生さんとその友人。

まあ、私の場合、教室がどこであろうと、ぶっちゃけますので自由闊達なやりとり、模索や挑戦の語らいなど……有意義な時間を濃厚に過ごさせていただくことができましたので感謝です。

いや、しかし、明細をみているとどうも二日間で、日本酒×一升4合、麦酒×14杯、ハイボール×3杯、焼酎(泡盛)×3杯もいただいていたようで……、

ヘロヘロです。

しかしながら、「勝つ」必要はありませんけれども、「負けない挑戦」を継続することは何においても大切ですね。


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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『カール・ポランニー』=若森みどり・著」、『毎日新聞』2011年12月4日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『カール・ポランニー』=若森みどり・著
NTT出版・4200円

 ◇経済に「本来の姿」を求めた学者を知る
 アメリカ経済学会の創設者セリグスンに『無視された経済学者たち』という著書があるが、経済学あるいは社会科学の正流から長く無視された「偉大な」社会科学者はカール・ポランニーであろう。事実、戦後日本での最初の『経済学事典』(平凡社、一九五四年)は、一七五〇ページの大部のもので、極めて多数の経済学者を網羅しているが、ポランニーの名はない。私にこの人の存在を教えてくれたのは、宇沢弘文さんであった。
 やがて、その主著『大転換』(一九四四年)が訳され(一九七五年)訳者によるすぐれた「あとがき」によって、その業績がわかった。
 本書は社会科学者ポランニーの生涯、思想、業績をひとつひとつ原典にあたり、資料を海外に求め、未発表論文に目を通し、かれの全体像を明らかにしたわが国で最初の本である。著者の全力投球の本といってよい。私も学ぶところが多かった。
 オーストリア・ハンガリー帝国華やかなりし十九世紀末のウィーンにポランニーは生まれ、ブダペスト大学で学んでいる。経済学者でいえば、シュンペーター、ケインズより三年のちに生まれているのであるから同世代とみてよいだろう。
 この時代オーストリア・ハンガリー帝国の社会は保守的で停滞し、それに対抗する知識人の動きの中に、かれも入っている。この本でマンハイムとルカーチとの交流があることがわかる。
 第一次世界大戦に陸軍将校として従軍したことが、心身ともに傷を与えたが、二〇年代後半のかれの思想の形成を、著者はギルド社会主義の思想、オーストリア学派の経済学、オーストリアのマルクス主義者、マルクスの疎外論、物象化論の四つに求めている。
 市場競争力の圧力のもとに動く社会を一貫して批判し、それが形成されていく過程と崩壊を記した『大転換』の著者ならば、初期マルクスに注目したのは当然だろう。注目しなければならないのは、ギルド社会主義である。ギルド社会主義の影響をうけたイギリス労働党の論客G・D・H・コールが、異端の労働党員であったように、ポランニーは、それが持つ自主管理思想を受けつぎ、自由な社会を求めている。
 オーストリアのマルクス主義者とオーストリア学派第三世代(ではないかと私は思う)の影響は、一九二四年からはじまるかれの『オーストリア・エコノミスト』の副編集長としての現状分析に生かされていくのではないかと思うのであるが、これは著者の文献的実証をえられそうにない。このジャーナリストとしての活躍が、三〇年代の市場経済の危機に対する二つの政治集団の対立--ファシズムと共産主義--に対し、自由を尊重する第三の道を求めさせながら、かれに三〇年代の歴史的意味を考えさせている。
 かれによると二〇年代までは、自立的な市場経済と人間的自由が対立していた時代であった。ところが三〇年代に入ると、経済危機にさいし、アメリカのニューディールや、ヨーロッパのナチズム、ファシズムのように、経済領域と政治領域が融合し、対立しだした。これに対してポランニー自身は、マルクス主義とキリスト教左派との批判的融合を試みているという。このキリスト教との関係が私には解らないところであるが、日本でも矢内原忠雄や、大塚久雄がそうであったように、マルクスの考えにキリスト教が介在し、機械的唯物論批判と人間の自由の問題が浮び上ってくるのであろうか。ポランニーにあっては、経済決定論--一方で市場メカニズムの強制の受容と効率主義、他方で機械的唯物史観--の否定であろう。
 三〇年代後半のナチスの台頭によって、ポランニーはイギリスに亡命し、さらに、ニューヨークのコロンビア大学に移る。この大学はニューディールを支えたブレイントラストを出し、制度学派の流れが強い。著者が制度への関心が強まるのは当然である。
 戦後のポランニーはガルブレイスの『ゆたかな社会』に注目し、いくつもの注目すべき小論が残されているという。『ゆたかな社会』が明らかにした現代社会の病をアリストテレスと重ね、よき社会、よき生活のための手段であったはずの経済を、本来の姿にしようと考えている。また、「産業的に発展した国が経済効率を新興諸国と競う現状」に疑問を投げかけているという。
 ポランニーは現代的感覚を持ったすぐれた思想家である。一九五三年、国連で原子力の平和利用が論議されたとき、その産業的利用の危険性を指摘していたという。「私たちは欺かれている」と。他方、二九年恐慌や三〇年代の不況についての経済的分析は、極めて弱い。
 最後に社会主義者ポランニーの到達点として著者の文章の中から「人間は、完全な自由や完全な共同体を現実の社会で実現することができない。こうした謙虚な認識こそ、社会主義(者)が必要とするものであり、(それが)社会制度の不断の改良の原動力となるものである」という一節をあげておこう。
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『カール・ポランニー』=若森みどり・著」、『毎日新聞』2011年12月4日(日)付。

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覚え書:「急接近:原田正純さん 水俣病の失敗に学ぶ原発事故対策とは?」、『毎日新聞』2011年12月3日(土)付。

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急接近:原田正純さん 水俣病の失敗に学ぶ原発事故対策とは?

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 福島原発事故は、環境や人の健康に与える影響や、国が推進する経済政策のひずみが根底にあることから、水俣病との共通性が指摘されている。水俣病の教訓をどう生かすのか。一貫して患者の立場で研究を続ける原田正純医師に聞いた。【聞き手・足立旬子】


健康調査、救済とセットで--熊本学園大水俣学研究センター顧問で医師・原田正純さん(77)
 --福島原発事故と水俣病の共通点をどうみていますか。
 広範囲に汚染され、何万という一般市民が被害を受けたという点では共通している。だが、福島原発事故は水俣病とは比べものにならないくらい複雑で深刻だ。医学的に水俣病の病像ははっきりしていて、半世紀たっても水俣病が解決しないのは、行政が救済を怠ってきたからだ。原発事故では、放射線の影響が出るのは10年、20年も先のことで、将来どうなるかはっきりしていない。そこが違う。水俣で何をやったかではなく、何を失敗したかを学ぶことだ。

 --水俣病の教訓とは?
 福島県で放射線の影響について健康調査が始まった。10年、20年と追跡すべきだ。水俣病はこの追跡調査が実施されなかったため、後にさまざまな問題が起きた。原発事故では「みなさんの不安を取り除くために調査をやりました。異常はありませんでした」と、調査が幕引きに利用されないよう用心すべきだ。

 --どんな対策が必要ですか。
 科学的に危険だ、あるいは分からない、というだけでは問題は解決しない。将来を見越した対策が必要だ。健康調査は、きちんとしたデータを基礎に、将来にわたって影響が出た場合、行政が救済する条件とセットでなければならない。そうでないと、かえって住民の不安をあおることになる。水俣病は汚染された魚を食べたことが原因で、母親の胎盤を通して水銀が赤ちゃんに影響したと分かっているのに、(「伝染病」などと言われ)差別が起きた。放射線は次世代に影響があるかよく分かっていない。子孫に対する影響調査は必要だが、新しい差別につながりかねない。差別があると住民は隠す。そうなると、ますます実態が分からなくなる。

 --難しいですね。
 実は行政の方が、問題が起こらないようにどうすればいいか教訓をよく研究している。例えば1970年代に土呂久鉱山(宮崎県)一帯でヒ素中毒事件が問題になった途端、医師会を動員して調査し、問題はなかったと結論づけた。栃木、群馬県の渡良瀬川流域などで明治に起きた足尾鉱毒事件は、見舞金と引き換えに被害者は「子々孫々まで文句は言いません」という契約内容で、水俣病はまるでそのコピーだった。

 --「ただちに健康に影響がない」を連発した政府の対応で信頼が失われました。
 放射線の「安全基準」という言い方は間違い。人間にプラスでないのだから、どこまで我慢するかという「我慢基準」だ。50年も前に物理学者の武谷三男さんが、原子力の安全性を考える上でそう訴えた。水俣の第1次訴訟で(原因企業の)チッソは「前例がないから有機水銀が人体に及ぼす影響は不明で予防のしようがなかった」と主張した。だが未知イコール安全ではない。原発事故も同じだ。

 --「想定外」という言い方ですね。
 インドのボパールで起きた世界最悪の化学工場の爆発事件(84年)では、五つの安全装置が同時に動かなくなった。福島でも原発にあると言われた5重の壁が崩れた。絶対安全ということはありえない。常に最悪の事態を想定するのが専門家。「想定外」と言うことは科学者が自らの無能を認めることで、責任逃れだ。

政治は異論葬り去るな
 --原発事故や震災で戦後積み上げた日本のシステムが総崩れしました。
 水俣病患者は病気のせいで差別されると思っていた。ところが、世界の公害現場を歩くうちに、弱者に対する差別のあるところに公害というしわ寄せが来ると分かった。原発も都会で使う電気が地方でつくられ、廃棄物まで押しつけられる。事故を機に研究や教育のあり方を問い直すべきだ。大学や学会は何なのか。さらに言えば、学会や専門家を容認してきた国民は何なのかということにもつながる。技術にはプラス面もあるが、廃棄物が出るといったマイナス面も必ずある。それを札束を使って安全性を振りまいてきた。政治と科学が一体化して反対派を抹殺してはならない。

 --専門の壁を越える「水俣学」が生まれた背景ですね。
 水俣病は、社会的、経済的、政治的側面があり、極めて複合的な事件だが、「病気だから」と医学者に丸投げされた。カナダの水俣病の補償委員会は医者がいて、被害者代表、法律家、行政が入っている。日本の審査会は医者だけだ。足尾鉱毒事件以降、専門家の委員会が行政にうまく利用されてきた。原発でも反対していた研究者は教授になれなかった。私は水俣病患者を一番多く診ているが、水銀問題に関する委員会には一切入れてもらえなかった。学問にいくつ異論があってもいいはずなのに、国の政策に沿った人だけを採用するのはおかしい。原子力行政は、賛成派の専門家だけでなく批判的な学者や場合によっては放射線以外の専門家の意見も取り入れるべきだろう。

ことば 水俣病 有機水銀による慢性中毒。チッソ水俣工場(熊本県水俣市)の排水が原因で、汚染された魚介類を多く食べて発症した。水俣学は、水俣病の教訓を生かすため、学問の枠を取り払い、被害の現場や当事者から学ぶ総合的な学問。02年に原田氏が開講した。

人物略歴 はらだ・まさずみ 熊本大大学院医学研究科修了。水俣病患者の診療に尽力する一方、世界各地の水銀汚染の現場を調査。94年国連環境計画グローバル500受賞。昨年熊本学園大水俣学研究センター長(教授)を退職。
    --「急接近:原田正純さん 水俣病の失敗に学ぶ原発事故対策とは?」、『毎日新聞』2011年12月3日(土)付。

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人生の息づかい、人生の魂と丁寧に向き合うこと

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 人生の改造ですって! そんなことを平気で論議できるのはですね、なるほど経験だけはいろいろと積んできたかもしれないが、一度として人生のなんたるかを知ったことのない連中、人生の息づかい、人生の魂を感じたことのない連中だけですよ。そういう連中は、存在というものを、まだ自分たちが手をかけてよりよきものに仕上げていない原材料のかたまり、これから加工すべき素材のように考えているんです。ところが人生というものはですね、それ自体がたえずみずからの手で自分を改造し、改変していく、それは、ぼくらの愚鈍な理論などをはるかに超越したものなんです。
    --パステルナーク(江川卓訳)『ドクトル・ジバゴ(上)』新潮文庫、1989年。

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人間の歩みとはひとつの積み重ねなのかも知れません。
その具体的形象としての「文化」ひとつをとって見た場合でも、これは同じだと思う。

新しい文化が古い文化の上に積み重なっていく。そのため一見すると、古い文化が駆逐されたかのように見えることがしばしばある。しかし、その深層には古い文化が厳然として生きており、人間の思考や行動に影響を与えていることは否定できない。

新しい文化は時の推移とともに精選、淘汰され、古い文化の蓄積、すなわち伝統の中に、しかるべき位置を与えられて付加されていく……。

それは今日、ひとつの法律が廃棄され、明日から新しい法律が施行されるというようなものとは全く違う現象であり、今日から明日へ--古い文化が全面否定されて、新しい文化にとってかわるというわけではない。

もし、強引にそれをやろうとすれば、残るのはアナーキーな混乱だけでしょう。

考え方や発想を転換することは人間が生きていく上では不可欠です。しかしそれは単なる「取り替え」ではないということ、この人間の重層的な営みを熟知したうえで、ひとつひとつの賢明な選択・展開・発展というものが必要になってくる。

ボルシェビニズムの急進的な暴風を勇気ある筆致で描いたパステルナーク(Boris Leonidovich Pasternak, 1890-1960)の『ドクトル・ジバゴ』は、「取り替え」によって全てが「解決する」という単純な発想のもつ暴力性をそっと教えてくれるように思われます。

さて……、
土日は、勤務校の通信教育部の地方スクーリングにて43名の学生のみなさんと「倫理学」について深く考えることができたように思います。

 日本を代表する倫理学者・和辻哲郎(1889-1960)は主著『倫理学』(岩波書店)のなかで孟子(Mencius,372 – 289 BCE or 385 – 303/302 BCE)の言葉を引用しながら次のような言葉を残しております。

「倫理そのものは倫理学書の中にではなくして人間の存在自身の内にある。倫理学はかかる倫理を自覚する努力に他ならない。道は邇(ちか)きに在りとは誠に至言である」。

参加された一人一人のみなさま、つたない講義を熱心に聞いてくださりありがとうございました。レポートの提出もお待ちしております。

一人一人の生活の現場で、負けない歩みを続けて欲しいと思います。

そして人間の生というものが重層的であることを踏まえ、「シカタガナイ」とあきらめることなく、ひとつひとつと丁寧に向き合いながら、漸進主義的アプローチの挑戦を共に開始したいと思うものです。

ともあれ……

ありがとうございました!!!


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覚え書:「記者の目:大震災「支援される気持ち」=前田洋平」、『毎日新聞』2011年12月2日(金)付。

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記者の目:大震災「支援される気持ち」=前田洋平

 ◇負い目感じる心情に配慮を
 東日本大震災の発生直後、3カ月、半年と宮城県に出張して避難所や仮設住宅で被災者に取材し、「支援される側の気持ち」という問題に気づかされた。私が書いた記事を読んだ方たちから支援が届いた男性がいる。励ましになっただろうかと再訪すると、「心苦しい」と言うのだ。その心情を知ることは、今後も続く被災者支援を考える手がかりになると思う。
 津波で家族全員を失い、宮城県山元町坂元の避難所に身を寄せてハローワーク通いを続けていた会田正始さん(64)のもとに6月下旬、小包が届いた。差出人の名に覚えはない。中には、タオルなどの支援物資とともに、会田さんの苦境を伝える記事(本紙東京本社6月15日夕刊)のコピーと「がんばってください」とのメモが入っていた。その後も、支援物資は20個ほど届き、大阪と名古屋の女性は現金5000円も送ってくれた。

 ◇激励に感謝
 一連の過程で心の交流も生まれた。横浜市の女性は、自らの大切な人を自殺で失った経験を記し、家族を失った会田さんに寄り添う内容の手紙を添えた。会田さんがお礼のはがきを送ると、「仕事を見つけたら教えてほしい」と返信してくれたという。「勇気づけられた。仕事を見つけたらまた連絡しようと思う」と、泣きながら会田さんは語った。女性に報告する日を心の支えに職探しを続けている。
 だが、会田さんは複雑な心情も漏らす。
 生活は苦しく支援はありがたい。それでも、受け取りづらい気持ち、言葉ではうまく表現できない居心地の悪さが胸にわく。周囲の避難者の視線も突き刺さる。全国から寄せられた善意が自治体などを通じて公平に分配される義援金とは異なり、物資や現金を直接届けられたことに、特に負い目を感じる--というのだ。「全く知らん人がさ、気にかけてくれるのはありがたいよ。だけど、素直に受け取れん自分がいるのね……」
 相手を知る手掛かりは小包や封筒に記された住所と名前のみ。会田さんが礼状を送っても返事がないことが多い。もちろん、先方にもいろいろ事情があるだろうが、皆が横浜市の女性のように手紙のやりとりになるわけではない。会田さんは「自分は与えられるだけの存在なんだな」と落ち込むこともあるという。

 ◇自分で稼ぎたい
 立ち直りの歩みは被災者ごとに異なる。だが、公的な援助やボランティアの助けなど、さまざまな支えが年単位で必要なことは間違いない。記事をきっかけに個人的な支援を受けた会田さんのような経験はなくとも、一方的に支援されることへの戸惑いを感じる人はいる。
 50代の娘と2人で山元町の仮設住宅に暮らす早川元子さん(75)も「ありがたいけど、お礼を伝えることもできない。このまま、もらい続けてしまっていいのだろうか」と”負い目”を語った。福島県浪江町から山形市の借り上げ住宅に避難している女性(42)も「半年以上たったのに、ほとんど支援物資と義援金だけで生活が成り立っているのは情けない。自分で仕事をして稼いだお金で物を買わないと、生きている実感もわかない」と漏らす。
 こうした心情について、ボランティア研究が専門の仁平典宏・法政大准教授(社会学)は「支援する側とされる側が対等の関係とは言えず、支援される側を『孤独』に追いこむことになる」と分析する。どのように配慮したらよいだろうか。横浜市の女性と会田さんのように双方向で心通わすことが理想だけれど、多少でも近づける代替手段を考えてみた。

 ◇恥じる必要ない
 一つには、支援を受け続けてよいのだと、支援する側から伝え続ける「カウンセラー」役が必要だと思う。被災者と顔を合わせる行政職員や支援団体スタッフが好適だろう。支援を受け続けるのは何ら恥じることではないと、繰り返し伝えてほしい。
 もう一つ、被災者の感謝の言葉を私たちが報じることも大事だと思う。会田さんが「支援は本当にありがたかった。私がそう思っていることを新聞に書いてください」と語った表情は胸のつかえがおりたようにホッとしていた。その顔が忘れられない。他の被災者からも何度も同じように頼まれた。そうした思いを、間接的にでも支援する側に届ける役目を、記事は担える。毎日新聞の「希望新聞」はこうした試みでもある。
 支援法制の整備が進み、自治体によっては復興計画もできた。そうした大きな流れの中では、ささやかな問題かもしれないが、法律や制度、何より善意に基づく支援が、被災者の心情に配慮するものであってほしい。(山形支局)
    --「記者の目:大震災「支援される気持ち」=前田洋平」、『毎日新聞』2011年12月2日(金)付。

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【ご案内】12/3-4:地方スクーリング,L1期 東京 『倫理学』

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【ご案内】12/3-4:地方スクーリング,L1期 東京 『倫理学』

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 諸君は、形而上学に逃避してはならない。生成する文化に対して活動的に献身しべきである! それ故、私は、夢想的観念論に対しては厳しいのである。
    --ニーチェ(渡辺二郎訳)「哲学者の書」、『ニーチェ全集』第3巻、ちくま学芸文庫、1994年、294頁。

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賞罰告知といいますか、定型文といいますか、毎度同じ呼びかけで恐縮ですが、例の如く、アカデミズム底辺の荒涼たる裾野をさまよう氏家で御座います。

開催まで数日……もとい前日になりましたので、告知ということで、、、。

表題のとおり、今週末より、東京で開催される通信教育部の地方スクーリングL1期にて「倫理学」を講じてきます。


受講される学生さん方がいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお願いします。


で……。
例の如く引き続き定型文のような内容ですが……

できれば……といいますか、学生さん方へのお願いです。

できれば……教材の序論だけでも結構です。必ず読んできて欲しいと思います。

忙しいとは思いますが、目を通さずに、授業に望まれてしまうと、これはきわめて“モッタイナイ”状態です。

是非、宜しくどうぞお願いします。

お互いに気の抜けない過酷な(?)剣豪のごとき真剣勝負をやりましょう!

こちらも万端の準備と仕込みで乗り込んでいきますのでどうぞ、よろしくお願いします。

今回は五十名弱の予定です。

地方スクーリングを東京会場(大学)で担当するのは、実に4年ぶり。

楽しみにしております。

眠ることもできないほど最高のフルコースですよ( ・ω・)∩


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覚え書:「大震災後の12・8 成田龍一」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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大震災後の12・8 成田龍一
いま「切れ目」の検証を

 東日本大震災があった今年、70年目の12・8を迎える。70年前のこの日、いったい何があり、歴史的にどのような意味をもつのか。このことは、これまで繰り返し考えられてきた。「戦後」という時間は、この追及に充てられてきたといっても過言ではなかろう。

◇◇
 1941年12月8日にアメリカ、イギリスとの戦闘が開始されたとき、同時代の多くの人びとは衝撃を受け、戦争の新たな切れ目を見出した。新聞が忙しく「専横」を報道するなか、中国文学者の竹内好は、いまや日本は「強者」に立ち向かったと述べた(『中国文学』42年1月号)。竹内はのちにここに、戦争への抵抗から協力という「心理の屈折の秘密」を見出した。「世界史的立場と日本」という高坂正顕、鈴木成高らによる座談会も、ヨーロッパ近代と異なる日本を主張し、あらたな戦争の哲学を探るものであった(『中央公論』42年1月号)。
 こうした戦争をめぐって、戦後には、アメリカ、イギリスなど連合国との戦闘に至る道筋ーー回線の原因を、外交的な観点から探ることから考察がはじまる。「太平洋戦争への道」という共同研究が60年代はじめに出されたが、そのタイトルは、こうした問題意識をよく示している。
 他方、軍部の横行に力点を置く戦争の考察も出される。この考え方からすれば、12月8日は、それ以前の中国との関係において把握される。日中戦争から太平洋戦争への流れと把握し、満州事変以来の戦争像を示すことになる。「十五年戦争」という提起が、評論家の鶴見俊輔によってなされ、70年代以降の歴史学界の多くはこの見解に立った。ここでは、満州事変のきっかけとなった9月18日が強調される。

◇◇
 9月18日と12月8日。ともに、戦争の刻印する日であるが、その強調のしかたによって戦争像が異なってくる。ここで意味されるのは、「戦時」としてひとくくりにまとめあげずに、その切れ目を問うことである。同時代の衝撃を探ることは、戦時の蹉跌を性急に総括しようとした戦後の営みの再検討に通ずる。
 戦時は、ともすればひとくくりにされがちである。戦後における戦争への緊張感のなかでは、この認識も必然性を有していた。しかし、冷戦体制が崩壊したいま、東アジアのなかでの日本を考えるにつけ、あらためて12月8日の意味が浮上する。この日は、日本が、ヨーロッパ、アメリカの勢力を追い払うと言いつつ、自らの支配を画策し、アジアの国々にあらたな不幸を強いた、はじまりの日でもある。植民地認識とあわせ、大東亜共栄圏をめぐる諸問題も、いまだ過去のものとはなってはいない。アジアとの関係を考えるためには、この観点かrなお12月8日も検討されなければなるまい。
 こうした検討は、「戦後」における戦争の総括、戦争像の作り方を介して、戦後の切れ目を確認することにも連なっている。東日本大震災による戦後の切れ目もまた、戦争の捉え方の反省と連動していこう。12月8日に着目することは、その手がかりとなるはずである。
なりた・りゅういち=日本女子大学教授、日本近現代史。
    --「大震災後の12・8 成田龍一」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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「喰わぬば餓死する恐あるから」食べるというのと、「物を喰うにさえ美味を楽むという望を以て」するの違い……

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人間の行為の動機は二あり
 いったい自由というは決して自分勝手な事をする意味ではない。即ち放肆とは違う。ルソーの説はともすれば人間と動物との区別を忘れ勝ちであったと思われる。彼は動物社会には何の制限もなく、喰いたい時に喰い、眠くなれば寝る、他より何ら制限を受けぬところを以て自由の如く説き、太古の有り様を以て人間社会の理想としたのである。さればルソーがその著書を友人のヴォルテーアに贈った時、後者の書いた挨拶の書状に名著は喜んで拝見したが、御教訓の趣を実行し兼ねることは甚だ遺憾に存ずる。老生既に七十の齢を越えたれば、貴兄の教えらるる如く、今更四ツ這いになって歩くことも致し兼ねると答えたという話がある。動物社会には我々の尊ぶ自由というものはないのであろう。
 人間が何事を行うにも必ず二の動機の何れか一によりて為すものである。一は希望、一は恐怖である。物を喰うにさえ美味を楽むという望を以てするか、然らざれば喰わぬば餓死する恐あるからである。学問するにも偉い者になりて立身するを希望するのと、学校に通わねば親に叱られたり他人に笑われたりするから恐からする。商売するにも政治運動するにも、詮じつめればこの二つの動機の何れかによりて人は動いている。希望を以てすることを仮りに積極的行動と名づくれば、恐怖の念より為すことを消極的行為というても可い。積極に出る行為をすることは取も直さず自由の意思によりて動くということになり、消極的に出ることは自己以外の威力に強制されて為るので、独立自由の人格の好まない所、甘んじない所、止むを得ざること、謂わば脅迫され強られて為る如きものである。政治に就ていうも同じ税を払うにも村会なりあるいは議会なりに於て、自分なりあるいは自分が好んで選び出した人が承諾して課する税ならば、これ自由の意思を以て定めた税である。その用途も自分自らが選んで出した者の承諾した上に使うならば、これまた自由の行為というべきものである。これが昔のように自分は一向承知しないにも拘らず、強いて財産の一部を捲き上げたり、あるいはこれを自分の一向賛成せぬことに用うれば、自由のない国家として、今日より見れば専制、独裁、野蛮の政治と非難さるる訳である。
    --新渡戸稲造「デモクラシーの要素」、『実業之日本』22巻3号、1919年2月。

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新渡戸稲造(1862-1933)が行為の動機を二つに分けることの「還元主義」的側面や、希望に対する楽天的人間観を指摘することは簡単だけど、そこには興味がないのでひとまず横に措き、そして何より新渡戸は、自由の問題を社会システムとしてのデモクラシーの基盤としての自由に注目しているから最後のところに注目したい。

まず、動機論から、新渡戸は、制約(恐怖)をうけてなす立場を「消極的行動」、自ら構想して望んで(希望)おこなう立場を「積極的行動」として類型化している。

たとえば、食事一つにとっても「喰わぬば餓死する恐あるから」食べるというのと、「物を喰うにさえ美味を楽むという望を以て」するのでは、同じ行為であったとしてもその内実は大いに違ってくる。

前者が外面的強制によって制約された立場であるとすれば、後者は内発的自律によって規律していく立場であると見て取ることが出来る。

そしてこれは人間の内面だけの問題だけに限定され得ない課題として、個人と共同体の関係として類比していく。税の徴収・運用を強制とみるのか、それとも自らの選択によるコントロールとみるのかというものの見方を当てはめていくと、自由がないのか・あるのかという判断がつくという話しである。

そしてそれが具体的な形態をとるとき、消極的立場は、専制、独裁、野蛮の政治となり、積極的立場は、デモクラシーの形態を選択する。

大正デモクラシーの全盛期の言及なんですが、それにしても「時代“性”」を勘案するならば、かなり過激な議論だけど、実にわかりやすい論旨。

しかし、「専制」、「独裁」とまではいわなくても「野蛮の政治」であるのは、90年以上立った現在でもあんまりかわらないわけですけどねぇ。

まあ、これは制度や運用の状態云々よりも、それを支えるエートスの問題なんだろうけれどもorz

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覚え書:「太平洋戦争:日米開戦から70年 運命の12・8 作家らはどう記したか」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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太平洋戦争:日米開戦から70年 運命の12・8 作家らはどう記したか

 70年前の1941年12月8日、日本海軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争の火ぶたが切られた。その後の日本のありようを大きく変え、今日までさまざまな形で影響を与えている大戦だ。当時の作家や評論家たちは、運命の12・8をどのように見つめ、記したのか。【棚部秀行、栗原俊雄】

当時の小説やエッセーをひもとくと、開戦賛美一辺倒の世間のムードが伝わってくる。

伊藤整
「いよいよ始まった」と高揚感吐露
 作家の伊藤整(05~69)は真珠湾攻撃のニュースを聞き、夕刊を買うため新宿へ出かけた。混雑したバスの中で<「いよいよ始まりましたね」と言いたくてむずむずするが、自分だけ昂(こう)ふんしているような気がして黙っている>と、高揚感を吐露している。そして<我々は白人の第一級者と戦う外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持っている>と記した(『太平洋戦争日記(一)』)。

高村光太郎
「時代は区切られた」
 また詩人の高村光太郎(1883~1956)はこの日、大政翼賛会中央協力会議に出席していた。エッセー「十二月八日の記」に<世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた>と、開戦の感激を書き留めている。

太宰治
「けさから、ちがう日本」
 太宰治(09~48)には、「十二月八日」という短編小説(『婦人公論』42年2月号)がある。「作家の妻」という女性の一人称で、開戦の日の興奮と感動を描いた。早朝、主人公は布団の中で女児に授乳しながら、ラジオから流れる開戦のニュースを聞く。<しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。(中略)日本も、けさから、ちがう日本になったのだ>
 夫の作家は極端な愛国心をもっている。妻は開戦に感動しつつも、少し距離を置いて夫を見つめ、<日本は、本当に大丈夫でしょうか>と問う。直接的ではなく一歩ずらした視点にはユーモアがあり、戦争を賛美するような表層とはうらはらの、作者の抵抗が感じられる。
 文芸評論家の高澤秀次さんは「“戦争協力小説”という印象を逃れているのは、男同士の時局への会話を避けて、晴れの日の到来に高揚する主婦のけなげさを印象付けているから」と分析する。

竹内好
「うしろめたさ払拭された」
 37年に始まった日中戦争は、国民の間で不人気だった。戦争目的がよく分からないまま100万人に及ぶ兵士が動員され、死傷者と遺族が増えていったからだ。中国文学者・評論家の竹内好(10~77)は真珠湾攻撃直後の日記で<支那事変(注・日中戦争)に何か気まずい、うしろめたい気持ちがあったのも今度は払拭された>とし、新たに始まった戦争を<民族解放の戦争に導くのが我々の責務である>と記した(12月11日)。
 日本人は12月8日の開戦によって、アジアを欧米の植民地支配から解放するという大義名分を得たのだ。

小林秀雄
「晴れ晴れとした爽快さ」
 評論家の小林秀雄(02~83)は開戦の日、文芸春秋社で「宣戦詔勅」奉読放送を直立して聞いた。<眼頭は熱し、心は静かであった。畏(おそれ)多い事ながら、僕は拝聴していて、比類のない美しさを感じた>。さらに海軍の戦果を「名人の至藝」とたたえた(『現地報告』42年1月)。

こぞって開戦支持 日記にも「反戦」書けず
 多くの文筆家が開戦に快哉(かいさい)を叫んだ。作家の坂口安吾(06~55)も、報道に感激している。当時は新聞も、戦争に突き進む政府や軍を支持していた。また言論が統制される中、職業作家や評論家が「反戦」を表だって主張することは難しかった。高澤さんは「そうしなければ生活できなかった。現時点で彼らを無条件に批判しても意味がない」という。
 また、民衆も開戦を支持。日本は、中国との戦争やアメリカによる経済制裁などによる重圧感にあえいでいた。当時11歳だった作家の半藤一利さんは、開戦によって<晴れ晴れとした爽快さのなかに、ほとんどの日本人はあった>(『〔真珠湾〕の日』)と振り返る。
 日記にさえ「反戦」を記すことは難しかった。昭和史が専門の作家、保阪正康さんは「そういうことを書きそうな人間は、いつ特高(特別高等警察)に踏み込まれるか分からないから用心する必要があった」と指摘する。

永井荷風
異色なのは永井荷風(1879~1959)だ。日記『断腸亭日乗』によれば荷風は12・8の夕暮れ、街中にいた。<日米開戦の号外出づ。帰途銀座食堂にて食事中灯火管制となる>。街頭の商店の灯も消えた。開戦当日にして「銃後」は戦時色に染まった。荷風が帰宅のため電車に乗ると「乗客雑沓せるが中に黄いろい声を張上げて演舌をなすものあり」。演説の内容は記されていない。保阪さんは「『黄いろい』という表現に荷風の思いがにじんでいますね。ピーチクパーチクと、浮足だった人たちを皮肉るような」。
 12日の日記によれば、開戦後は街のあちこちに「屠れ英米我等の敵だ進め一億火の玉だ」というスローガンが掲示された。荷風は、ある人がこれをもじって<むかし英米我等の師困る億兆火の車とかきて路傍の共同便処内に貼りしと云ふ>という伝聞を記す。留学経験から欧米をよく知る自身の気持ちを、代弁してくれたと思ったのだろうか。
    --「太平洋戦争:日米開戦から70年 運命の12・8 作家らはどう記したか」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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人が死んで喜ぶような人であってはならない。たとえ、それが人殺しであっても同じだと思う。

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みんなの広場 カダフィ大佐の死、喜ぶべきか
中学生 13 (東京都)

 私は、テレビでリビアのカダフィ大佐が死んだことを知った。リビア国民の手によって殺されたそうだ。その時見た映像は彼がリビア国民に殴られ蹴られ、血だらけになった姿だった。私は彼のことをあまりよく知らない。しかし、ここまで国民に暴力を受けているのだから、悪い人なんだろうと思った。
 けれど、そのリビア国民を「良い人」とは思わなかった。その後、リビアの観光客がピースサインをしながら彼が死んだ場所で写真を撮っているという記事を新聞で読んで、私は絶句した。人が死ぬことを喜んでもいいのだろうか。確かに彼は人殺しだ。しかしそんなことをするのなら、リビアの国民も同じではないか。
 人が死んで喜ぶような人であってはならない。たとえ、それが人殺しであっても同じだと思う。カダフィ大佐の罪はとてつもなく大きい。だから、死を喜んでいいということにはならない。そう考えさせた彼の死だった。
    --「みんなの広場 カダフィ大佐の死、喜ぶべきか」、『毎日新聞』2011年11月30日(水)付。

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twitterで少し言及したし、【覚え書】で紹介しておこうかと思ったのですが、やはりふつうに残してきます。普通って何よってツッコミはなしで、まあ、要するに少しコメンタリーを加筆して残しておくって事です。


13歳の中学生の正直な「違和感」なんだろうと思います。
しかし、そう綴られた「違和感」といいますか「わだかまり」は大切にした方がいい。

要するに「大佐の罪は大きいが、その死を喜ぶ人間の心への疑問」。

彼女の考えを甘いよって批判することは簡単なんです。

しかし……

「実はこういう世界情勢のからくりがあるからさァ、そう単純に判断できないんだよ」

……なんてネ、「物知り顔」の“評論家”風に「解説」してみせたところで彼女の「わだかまり」は解消しないと思う。

いろんな観点から、それは「甘い」とか「実は……」ってフレーズで切り出したとしても、彼女のいう「大佐の罪はとてつもなく大きい。だから、死を喜んでいいということにはならない」との言葉を跳ね返すことは不可能だろう。

死や不幸を悼む心は人間に内在する。
しかし、それと同じぐらい、死や不幸を喜ぶ心も人間自身に内在する。

何かによってそれは滅却することはできないから、それが内在することを自覚しながら、主(あるじ)としてコントロールしていく他ない。

だからこそ、素朴な「違和感」は大切にしたいし、だからこそ、「喜ぶ」のではなく「……いいということにはならない」って人間に成長していきたいと思う。

よく「他人の不幸は蜜の味」っていわれますし、その人間の心根を否定はしません。しかしそれだけが人間の総てでもないし、僕は、できるだけそういうものにあらがいたい。

13歳の中学生の素朴な「吐露」……。

これは、様々な「解説」やら「主張」やらが横行するなかで、「人間とは何か」……って原点に連れ戻してくれるような「魂」の「叫び」に聞こえるんですよねぇ。

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