「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。
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「観る」とはすでに一定しているものを映すことではない。無限に新しいものを見いだして行くことである。だから観ることは直ちに創造に連なる。しかしそのためにはまず純粋に観る立場に立ち得なくてはならない。
--和辻哲郎『風土』岩波文庫、1979年、106頁。
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ひとまず月曜日で年度ではなく年内の講義が終了。
後期は70名近くの皆さんが履修してくださり、ありがとうございました。
本日は引き続き人間主義の問題を取り扱い、そのあと最終講義へつなぐための導入を最後にやったのですが、自分の手応えとして、
「少し、難しい話をしてしまったかなぁ」
……と思っていたのですが、リアクション・ペーパーを読み返してみると、完全な杞憂ではなかったようで、それなりに理解してくださったことが分かり少し安堵。
哲学はどこまでも「自分で考える」ことが基本になります。
しかしそれと同時に他者とその考え方をすり合わせる、そして歴史や社会と対話することで独りよがりになることを避けようとする挑戦です。
そこで大事になってくることは何かといえば、やはり、「所与」のものを「所与」のものとして「受け取らない」ってことになるかと思います。
「所与」のものを「所与」のものとして受容するということは、そこで既に思考麻痺が始まることになり、哲学的思索とはほど遠いものになってしまいます。
だからこそ好奇心をもって「これはどうなのか」「実際は?」「おもしろそう」……という形で対象を「観る」ことが必要です。
そのきっかけになるのが、やはり一人一人の良心の内発性ということに収斂していくんだとは思いますが、その意味では、まあ、義務教育自体が相なので仕方アリマセンが、できあいの「他者の思考」を「自分の思考」と錯覚することなく、どこまで丁寧に事物に向き合っていくことができるのか、ここが肝要になってくるんだとは思います。
冬休みはレポートの作成など忙しいとは思いますが、人間や書物、そして世界を丁寧に「観る」ことで価値を「創造」できるひとりひとりに成長する機会にして欲しいなと思う次第。
ともあれ、少し早いですが、受講生のみなさま、よいお年を。
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