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是非ともその存在を抽象的概念に変換してしまうことが「不」必要

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 わたくしが、これらの存在者(=隣人)を絶滅する用意をせねばならなくなるその瞬間から、まったく必然的にわたくしは、亡ぼさねばならないかもしれないその存在者の個人的実在についての意識を、失ってしまう。かかる人格的存在を蜉蝣(かげろう)のごとき姿に変えるためには、是非ともその存在を抽象的概念に変換してしまうことが必要である。すなわち、コミュニストだとか、反ファシストだとか、ファシストだとか等々のものに変えてしまわねばならぬ。
    --マルセル(小島威彦・信太正三訳)『人間 -それ自らに背くもの-』創文社、1958年。

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基本的に野生動物は、個体が存続を危ぶむほど異常繁殖したような場合など極めてイレギュラーな場合を除いて、基本的には同族殺しをしない。

人間も動物のひとつである。

しかし人間もひとつの動物でありながら、極めてイレギュラーな場合でなくても、同族を同族として容易に扱わないものであるのまた事実。

どのような時にそうした判断が下されるのか。

第二次世界大戦下における塗炭の苦しみを肌身を通して味わった哲学者ガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel,1889-1973)は、「抽象化の精神」にその根拠を見出した。

「やれ、奴はコミュニストだから」

とか

「やれ、奴はファシストだから」

……等々。

換言不可能な固有名詞や息づかい、そしてその実存をもって代えることのできない隣人をテキトーなカテゴリーに封印し、抽象的スローガンを連呼して、聞く耳を持たなくなれば簡単にそれは遂行される。

いわば人情不感症とでも人間不感症とでもいうべき状態。

人間が人間であることの証ともいうべき対話やコミュニケーションを斥け、公式的決まり文句や空疎なスローガンが飛び交うようになると、最終的には殴り合いがはじまってしまう。

言葉がもつ意思疎通の機能が喪失した瞬間、問答無用としての相互不信が招来されてるというわけだ。

人間を人間として扱わない秘訣は何か。

テキトーにカテゴリーで扱えばよい。

それは何を導くのか……。

絶え間のない暴力と同族殺しが始まるだけだ。


……ってことなので今日は忘年会がひとつ。

面と面とを向き合った言語空間……それはネットでもリアル対面でも何ンでもいいんだが……における誠実な対話空間においてしか、それにあらがうことはできない。

だから……呑んできたorz


Marse2


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