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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評『世界文明史の試み-神話と舞踊』=山崎正和著」、『毎日新聞』2012年1月29日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『世界文明史の試み-神話と舞踊』=山崎正和・著

 (中央公論新社・3360円)

 ◇閉塞する現代への確固たる指針
 瞠目すべき書である。世界文明史の構想だが、シュペングラー、トインビー、ベネディクトら、従来の文明有機体論とはまったく違う。いわゆる地域文明論ではない。人類がいまや史上初めて体験しつつある世界文明、すなわち世界的に統一された文明の成り立ちを俯瞰し、閉塞する現状に明確な指針を与えようとしている。博覧強記に圧倒されながら読み終えて、深い感動に襲われた。
 特筆すべきはまず思索の起点そのものを百八十度転換させたこと。いかなる思索であれ、意識、すなわち「我思うゆえに我あり」から始めるのが定番だが、著者は身体から語り始める。身体は呼吸にせよ歩行にせよ反復から成り立つ。それがうまくいかなかったときに初めてそれまでの身体の慣習が意識される。意識は実体ではない。先験的あるいは超越論的といわれる時間空間意識でさえも身体が育んだ慣習にほかならない、というのだ。明確なカント批判だが、分かりやすく説得力がある。「神話と舞踊」という副題が腑に落ちる。
 身体には、「する」身体と「ある」身体の二つの位相がある。対他と対自といってもいいだろうが、後者が神話、舞踊、言語の起源と目される。考古学や動物行動学の最新の成果を縦横に駆使した意識、言語、文字の発生論には眼(め)を見張るが、後半の西洋文明論にいたって迫力は倍増する。とりわけ、西洋文明と中国文明の比較を含む第九章は鮮烈だ。
 西洋文明はつねに内的葛藤を抱え、キリスト教神学が近代科学を生むといった逆説を孕みながら発展し、世界文明への唯一の踏み台になったが、他の文明はそうでなかった。ニーダムやルージュモンやバフチーンを批判しながら、著者は、しかしその西洋文明が人間中心主義になっても拡張主義と優越意識を残したと指摘する。とはいえそれを文化相対論で批判してはならない。西洋文明は有機的主体ではない。知識や技術の束であって、受け入れる側の問題の方が大きいからだ。たとえば現代中国は資本主義を受け入れたが人権思想は受け入れなかった。その後に展開される中国批判と予測は鋭く厳しい。
 考え込ませられるのは、最後の第十章「近代文明の逆説--人間の矮小化」と終章「無常の世界の人と文明」。問題は神なき文明の倫理。ロールズの正義論はルソーの社会契約論をカントの理性で基礎づけた平等の形而上学にすぎない、そのロールズを批判したマッキンタイアやサンデルの立論も共同体主義にすぎない。アメリカではなお楽天的な科学論が横行しているが、現代の科学技術が提示するのは広大な宇宙空間のなかの芥子粒のような人類と、進行する自然破壊にほかならない。文明を律する倫理の不在をめぐる考察は、議論が前世紀末から始まった爆発的なIT革命に及ぶにいたって悲劇的な色彩を帯びる。インターネットはいまや新聞をはじめとする従来の報道機関、意識産業を壊滅させ、人類を流言蜚語の氾濫に投げ込もうとしている。情報が高速化かつ断片化し、身体から熟考する習慣を奪い去りつつあるというのだ。
 同感するものは少なくないだろうが、啓蒙主義者の末裔たる著者はなおかつ希望を手放しはしない。未来信仰でも過去崇拝でもない、現在を充実させて生きることこそいまやもっとも望まれることではないかというのである。芸術がその手がかりになる、と。
 『社交する人間』『装飾とデザイン』と書き継いできた著者の、文明論の代表作になることは間違いない。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評『世界文明史の試み-神話と舞踊』=山崎正和著」、『毎日新聞』2012年1月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120129ddm015070042000c.html

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