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2012年1月

一人でもいい、他人を幸福にしえない人間が、自分を幸福にしうるはずがない

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 自分や人間を超える、より大いなるものを信じればこそ、どんな「不幸」のうちにあっても、なお幸福でありうるでしょうし、また「不幸」の原因と戦う力も出てくるでしょう。もし、その信仰なくして、戦うとすれば、どうしても勝たなければならなくなる。勝つためには手段も選ばぬということになる。しかし、私たちは、その戦いにおいて、始終、一種のうしろめたさを感じていなければならないのです。なぜなら、その戦いには、結局は自分ひとりの快楽のためだからです。あるいは、最後には、勝利のあかつきに、自分ひとりが孤立する戦いだからです。そういう戦いは、その過程においても、勝利の時においても、静かな幸福とはなんのかかわりもありません。
 まずなによりも信ずるという美徳を回復することが急務です。親子、兄弟、夫婦、友人、そしてさらにそれらを超えるなにものかとの間に。そのなにものかを私に規定せよといっても、それは無理です。私の知っていることは、そんなものがこの世にあるものかという人たちでさえ、人間である以上は、誰でも、無意識の底では、その訳のわからぬなにものかを欲しているということです。私たちの五感が意識しうる快楽よりも、もっと強く、それを欲しているのです。その欲望こそ、私たちの幸福の根源といえましょう。その欲望がなくなったら、生きるに値するものはなにもなくなるでしょう。

 一人でもいい、他人を幸福にしえない人間が、自分を幸福にしうるはずがない。

    --福田恆存『私の幸福論』ちくま文庫、1998年、221-223頁。

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昨夕は、尊敬するS先生とご一献。

引っ越しやら新年度の準備で忙しい情況にもかかわらず、わざわざ時間を作ってくださり、種々、お話を聞いていただくことができました。

世の中って不合理で不条理で、時として、仲間と思っていた人間に後ろから撃たれたり、そのまた逆に敵だと思っていた人間に思わず助けられたりすることがあることを、頭では理解しているつもりでも、なかなか心と体が理解しないときってあるのは分かっているのですけど、

だからといって「降参を決め込む」こともできないし、

だからといって「勇敢に戦う」こともできないし、

だからといって「世の中」から「降りる」こともできないのが現実のところですよね。

だとすれば、僕は僕の唄を謳いながら、進んでいくしかない……って話しになるんですが、

ホント、お忙しいなか、わざわざ時間を作ってくださりありがとうごさいました!

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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『親切な進化生物学者』=オレン・ハーマン著」、『毎日新聞』2012年1月29日(日)付+讀賣の書評。

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今週の本棚:中村桂子・評 『親切な進化生物学者』=オレン・ハーマン著

 (みすず書房・4410円)

 ◇利他的行動にささげられた「天才」の生涯
 五〇〇ページを超える本書を読みながら、書評したいな、いやこんな面倒な本は止めようと揺れ続けていた。結局、あまり自信のないままこの文を書き始めている。

 本書の第一主題は、ジョージ・プライスという天才としか呼びようのない人物の数奇としか言いようのない人生である。そして第二主題が、ダーウィン以来進化論の難題とされてきた利他的行動の研究史である。原題は「The Price of Altru-ism」。ここに「利他的行動の代償」と「利他主義のプライス」という二つの意味がこめられていることを承知しながらの邦題である。利他行動研究で驚くべき成果をあげたプライスは、利他行動にはまりホームレスとして自らの手で生を終える。

 この複雑な心の世界と面倒な学問との絡み合いをなんとか紹介したいと思うのは、ここに科学の本質を見るからである。生身の人間の行為である科学では、その問いと研究者との間に相克があって然るべきだ。とくに生命・人間が関わる場合には。ところが近年、経済上役に立つことばかりが話題になり科学の本質が忘れられている。

 前説が長くなった。適者生存を基本とする進化の中で、「親切な行為」はどう位置づけられるのだろうか、その起源は自然の中にあるのだろうかという問いは、ダーウィン自身のものである。以来、生物学者はもちろん、P・クロポトキン、J・フォン・ノイマンなど多くの人物がこれに取り組んだが、未だに解決してはいない。とくに、利他行動は個体の利益のためか、群のためかという問いがくり返されている。その中で、フィッシャーがダーウィンとメンデルを結びつけ、その後メイナード・スミスやビル・ハミルトンが遺伝子を共有する血縁に注目し、遺伝子からの利他行動の説明を始めたのが一九六〇年代である。そして一九七六年、R・ドーキンスが『利己的遺伝子』で個体は遺伝子の乗り物であり、取りしきるのは遺伝子だと言い放った。この歴史にプライスの名はない。実は、一九六七年から七四年の七年間に、彼が遺伝子、個体、群、種という多層レベルでの淘汰(とうた)を一元的に捉える方程式を出していたのにである。利他行動をレベルで分けたり、血縁淘汰など特定の概念を用いたりせずに一般論で説明しているというのだから驚く(残念ながらこの式の正確な理解は私には難しい)。

 彼の履歴は、ハーヴァード大学での入学面接で「ガラスを見えなくする実験」について説明して、「無茶をするかもしれないが、凡庸になることはけっしてないだろう」と評価され奨学金を得るところから始まる。その後、マンハッタン計画、トランジスタやコンピュータソフトの開発に関わるのだが、ある時突然、利他性、つまり愛や慈善の進化に関心を持つ。そこで考えた数式をロンドン大学の人類遺伝学教室へ見せに行き、九〇分後には名誉職員の身分と部屋を与えられている。ふしぎな人だ。しかし、結局メイナード・スミスとビル・ハミルトン以外には彼の業績の本質は理解できなかったとある。

 しかもプライスは、ある時突如回心し、廃屋を借りてコミューンを開き、ホームレスを助け始めるのだ。アルコール依存症などの人々に金銭や持ち物のすべてを与え、自身もホームレスになり、健康を損ねる。最後には、経済学で真の利他性を研究することを考え始め、周囲もそれを助けようとはしたのだが、再浮上はならず一九七五年一月、五二歳で自らの生涯を閉じた。

 利他とは何なのだろう。読み終わって辿り着いたのは最初の問いである。(垂水雄二訳)
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『親切な進化生物学者』=オレン・ハーマン著」、『毎日新聞』2012年1月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120129ddm015070037000c.html

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『親切な進化生物学者』 オレン・ハーマン著

評・中島隆信(経済学者・慶応大教授)
自己犠牲の起源とは


 ダーウィンの進化論は、環境変化に適応できた生物が生き残るという意味で自然淘汰
の理論として知られる。そのため、生物の営みは利己的な生存競争だと解釈されがちだ。
 しかし、自然界では他者のための自己犠牲という利他行動も広く見られる。たとえば、働きバチは子を産まず黙々と蜜を集めて女王バチに奉仕する。サルは声を発して自らを危険に晒しつつ敵の来襲を仲間に知らせる。こうした利他行動はなぜ進化したのか。この疑問に一般的な解答を与えたのが本書の主人公、天才科学者ジョージ・プライスである。
 プライスの人生はまさに自由奔放だ。自らの関心の赴くまま、原爆開発で知られるアメリカのマンハッタン計画への参画、ガン転移の検査装置の開発、コンピューター支援設計、経済学者サミュエルソンとのモデル構築などほぼ独学で様々な学問を渡り歩いていく。その間、家族を捨て、友人と衝突し、利己的ともいえる行動を繰り返した挙げ句、辿り着くのが生物の利他行動を解明する一般理論の構築とは皮肉だ。
 輝かしい実績を残した進化生物学もプライスの居場所にはならなかった。彼は突然キリスト教に帰依し、すべてをなげうってロンドンのスラム街でホームレスやアルコール症患者の支援を始める。その行動は以前と打って変わって道徳心溢れる宗教者そのものだ。そして、病と飢えに苦しみ、孤独感に苛まれたプライスに悲劇的な結末が訪れる。
 こうしたプライスの一生からどのような教訓が得られるのだろうか。困っている人を見ると助けようとする私たちの利他行動は何に由来するのだろう。それは人類が生き残るための技として進化してきた結果なのか、あるいは感情の生き物でもある人類独特の道徳心によるものか。
 進化生物学の歴史物語としてだけでなく、プライスの人生と重ね合わせて人類の利他行動の奥深さを考えさせてくれる秀逸の一冊といえる。垂水雄二訳。

 ◇Oren Harman=イスラエル・テルアビブ在住。バル・イラン大学教授、専門は生物学史。
 みすず書房 4200円
    --「『親切な進化生物学者』 オレン・ハーマン著 評・中島隆信」、『読売新聞』2012年1月23日(月)付。

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http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20120123-OYT8T00299.htm?from=tw


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われみずからを知るということがいまだにできないでいる。それならば、この肝心の事柄についてまだ無智でありながら、自分に関係のないさまざまのことについて考えをめぐらすのは笑止千万ではないかと

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もし誰かがこれらの怪物たちのことをそのまま信じないで、その一つ一つをもっともらしい理くつに合うように、こじつけようとしたまえ! さぞかしその人は、なにか強引な智慧をふりしぼらなければならないために、たくさんの暇を必要とすることだろう。
 だがこのぼくには、とてもそんなことに使う暇はないのだよ。なぜかというと、君、それはこういうわけなのだ。ぼくは、あのデルポイ社の銘が命じている、われみずからを知るということがいまだにできないでいる。それならば、この肝心の事柄についてまだ無智でありながら、自分に関係のないさまざまのことについて考えをめぐらすのは笑止千万ではないかと、こう僕には思われるのだ。だからこそぼくは、そうしたことにかかずらうことをきっぱりと止め、それについては一般にみとめられているところをそのまま信じることにして、いま言ったように、そういう事柄にではなく、ぼく自身に対して考察を向けるのだ、--はたして自分は、デュポンよりもさらに複雑怪奇でさらに傲慢狂暴な一匹のけだものなのか、それとも、もっと温和で単純な生きものであって、いくらかでも神に似たところのある、デュポンとは反対の性質を生まれつき分け与えられているのか、とね。
    --プラトン(藤沢令夫訳)『パイドロス』岩波文庫、年、16頁。
ステファヌス版229E-230A

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1月30日になってから言うのもナニですが、年が明けてから、哲学の古典をもう一度歴史順に読み直し始めているのですが、プラトン(Plato,424/423 BC-348/347 BC)の初期対話篇で紹介されているソクラテス(Socrates,c. 469 BC-399 BC)の肉声(にちかいもの)をゆっくり読み進めると、そこには、豊穣な人間の息吹というものを感じざるを得ません。

うえに引用した一文など、まさに知を知識ではなく、是非分別として捉えよう、そして「自分に関係のないさまざまのことについて考えをめぐらすのは笑止千万ではないかと」なんて孔子(Confucius,551 BC-479 BC)のいう「鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂うべし」(『論語』雍也第六)と肝胆相照らす発想であり、そこには思想や哲学がひとつのイデオロギーへと先鋭化する以前の豊穣な「人間そのもの」が見えてくるんですよね。

今年はいろいろと忙しい年にはなりそうなのですが、コメンタリーをもう一度いれつつ、年末までは、これもひとつの形に仕上げてみたいものです。

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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評『世界文明史の試み-神話と舞踊』=山崎正和著」、『毎日新聞』2012年1月29日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『世界文明史の試み-神話と舞踊』=山崎正和・著

 (中央公論新社・3360円)

 ◇閉塞する現代への確固たる指針
 瞠目すべき書である。世界文明史の構想だが、シュペングラー、トインビー、ベネディクトら、従来の文明有機体論とはまったく違う。いわゆる地域文明論ではない。人類がいまや史上初めて体験しつつある世界文明、すなわち世界的に統一された文明の成り立ちを俯瞰し、閉塞する現状に明確な指針を与えようとしている。博覧強記に圧倒されながら読み終えて、深い感動に襲われた。
 特筆すべきはまず思索の起点そのものを百八十度転換させたこと。いかなる思索であれ、意識、すなわち「我思うゆえに我あり」から始めるのが定番だが、著者は身体から語り始める。身体は呼吸にせよ歩行にせよ反復から成り立つ。それがうまくいかなかったときに初めてそれまでの身体の慣習が意識される。意識は実体ではない。先験的あるいは超越論的といわれる時間空間意識でさえも身体が育んだ慣習にほかならない、というのだ。明確なカント批判だが、分かりやすく説得力がある。「神話と舞踊」という副題が腑に落ちる。
 身体には、「する」身体と「ある」身体の二つの位相がある。対他と対自といってもいいだろうが、後者が神話、舞踊、言語の起源と目される。考古学や動物行動学の最新の成果を縦横に駆使した意識、言語、文字の発生論には眼(め)を見張るが、後半の西洋文明論にいたって迫力は倍増する。とりわけ、西洋文明と中国文明の比較を含む第九章は鮮烈だ。
 西洋文明はつねに内的葛藤を抱え、キリスト教神学が近代科学を生むといった逆説を孕みながら発展し、世界文明への唯一の踏み台になったが、他の文明はそうでなかった。ニーダムやルージュモンやバフチーンを批判しながら、著者は、しかしその西洋文明が人間中心主義になっても拡張主義と優越意識を残したと指摘する。とはいえそれを文化相対論で批判してはならない。西洋文明は有機的主体ではない。知識や技術の束であって、受け入れる側の問題の方が大きいからだ。たとえば現代中国は資本主義を受け入れたが人権思想は受け入れなかった。その後に展開される中国批判と予測は鋭く厳しい。
 考え込ませられるのは、最後の第十章「近代文明の逆説--人間の矮小化」と終章「無常の世界の人と文明」。問題は神なき文明の倫理。ロールズの正義論はルソーの社会契約論をカントの理性で基礎づけた平等の形而上学にすぎない、そのロールズを批判したマッキンタイアやサンデルの立論も共同体主義にすぎない。アメリカではなお楽天的な科学論が横行しているが、現代の科学技術が提示するのは広大な宇宙空間のなかの芥子粒のような人類と、進行する自然破壊にほかならない。文明を律する倫理の不在をめぐる考察は、議論が前世紀末から始まった爆発的なIT革命に及ぶにいたって悲劇的な色彩を帯びる。インターネットはいまや新聞をはじめとする従来の報道機関、意識産業を壊滅させ、人類を流言蜚語の氾濫に投げ込もうとしている。情報が高速化かつ断片化し、身体から熟考する習慣を奪い去りつつあるというのだ。
 同感するものは少なくないだろうが、啓蒙主義者の末裔たる著者はなおかつ希望を手放しはしない。未来信仰でも過去崇拝でもない、現在を充実させて生きることこそいまやもっとも望まれることではないかというのである。芸術がその手がかりになる、と。
 『社交する人間』『装飾とデザイン』と書き継いできた著者の、文明論の代表作になることは間違いない。
    --「今週の本棚:三浦雅士・評『世界文明史の試み-神話と舞踊』=山崎正和著」、『毎日新聞』2012年1月29日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120129ddm015070042000c.html

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吉野作造大先生の誕生日:路行かざれば到らず 事為さざれば成らず

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 私は東北の片田舎の一商賈のせがれである。少年時代の家業は綿屋だが、如何いふ縁故か、父親は新聞雑誌の取次をもやつてゐた。私の記憶は明治十五六年即ち私の五ツ六ツの頃まで遡り得る。此頃新聞雑誌の取次は未だ一個独立の商売とはなり得なかつたらしい。読者は極めて少ないからである。夕方馬車が着く。仙台市の前日の新聞が届けられる。それを番頭が配達するのによく私がついて歩いたものだ。行く先きざきで煎餅位いを貰へるからである。戸数千以上の宿駅だが、配達する紙数は十枚以下であつたやうだ。無論東京の新聞などはない。否、之は直接郵便で取つたのであらう。東京の出版物では自由民権といつた風の小冊子は取次いだやうだ。売れ残りの斯うしたものが私の大学生時代まで沢山土蔵の中にあつたのを覚えて居る。
 新聞だの雑誌だの又書物などに私が興味を有つたのは、或は斯んな因縁からでもあらうか。
    --吉野作造「投書家としての思ひ出」、『文藝春秋』1926年6月。

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1878年(明治11)の今日。

そう、吉野作造大先生(1878-1933)の誕生日です。

わたしが博士論文で格闘している先達です。

社会科の教科書では、「大正デモクラシー」だとか「民本主義」というタームで、用語としては人口に膾炙された歴史的人物ですが、それは氷山の一角にしかすぎません。

わたし自身も博士課程に入ってから吉野研究をするようになったのですが、同じような認識でした。

しかし、きっかけとしては指導教官・鈴木先生から

「吉野作造でもやってみるか」

……といわれて、著作をひもといたりするうちに、いわゆる「憲政史」「民主主義基礎論」などに収まりきらない、その巨大な足跡に驚いた次第(汗

もちろん、本業としてはそれなのでしょうが、昨日の日記にも書いたとおり、明治文化研究にも偉大な業績を残しておりますし、クリスチャンですがその枠組みにとらわれない寛容の探究、そしてその実践としての社会事業、留学生支援……数え上げるとキリがありません。

本人の著作や様々な資料を読むうちに、吉野作造の魅力に取り込まれていった一人がわたしなのですが、それだけでなく、自分自身もかくあらねばと襟をただせて頂いたことには感謝です。

ようやく今年、それが形になりそうなところです。

というわけで、いずれにしても……。

今日は吉野作造大先生の誕生日。

めでたい。

三重県の誇る純米酒「瀧自慢」にて乾杯です。

あ、写真背景の色紙は、吉野先生の色紙のレプリカですが、

「路行かざれば到らず 事為さざれば成らず」

いい言葉です。


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覚え書:「時流底流 押しつけられる番号と絆 小笠原みどり(ジャーナリスト)」、『毎日新聞』2012年1月28日(土)付。

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時流底流 押しつけられる番号と絆
小笠原みどり(ジャーナリスト)

 原子力発電所の連続爆発から1年もたたず、放射能被害が進行するなか、この国では大増税に電気料金の値上げと、失敗の責任をとるどころか、後始末をすべて個人に押しつける政治が加速している。これがまかり通るのは、私たちがいまだショック状態にあるからなのか、それとも破滅的な現実から目をそらしているからなのか--。
 共通番号法案もこの間に今国会へ提出される。70年代にその構想が「1億総背番号制」として現れ、住民基本台帳ネットワークに至るまで、歴代政権は反対世論の強さに実現を断念してきた。だが今、「社会保障」という新たな口実を見つけ、メディアも賛成に転じた。
 共通番号制は、私たち一人一人への付番、その番号に基づく個人データの共有、ICカードの携帯を三本柱とする。政府の「社会保障・税番号大綱」は、「国民一人ひとりの情報が生涯を通じて『タテ』につなが」り、「分野を超えて『ヨコ』につながる」とことほぐ。官庁に加え、企業も番号を扱い、個人データを束ね、交換し、利用する。
 私たちのデータは各機関で収入、学歴、病歴などに応じて振り分けられ、好ましいカテゴリーに入れば優遇され、でなければ劣った扱いを受ける。データによって格差が不可視に固定化され、差別がもっともらしく正当化されることは、海外では定説となった。
 番号制は「社会保障の充実」どころか、困窮する人に「税金泥棒」のレッテルをはり、住所のない人を今以上に職のない人に変えるだろう。カードによる識別が、権利の行使を抑制するだろう。
 大綱によれば、番号は国民と国との「新しい信頼関係を築く絆」だそうだ。昨年来、世で連呼される「絆」の政治的意味は、ここでも同じだ。破綻した現実の責任者を問わず、不安な人々の心を既存の秩序に取りこむ。
 押しつけられる「絆」は首綱と変わりない。私たちはそれも感じないふりをするのだろうか。
    --「時流底流 押しつけられる番号と絆 小笠原みどり(ジャーナリスト)」、『毎日新聞』2012年1月28日(土)付。

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覚え書:「新聞に対する税制:欧州各国の現状 言論多様性を重視、「活字」の税率に配慮」、『毎日新聞』2012年1月28日(土)付。

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新聞に対する税制:欧州各国の現状 言論多様性を重視、「活字」の税率に配慮

 野田政権は5%の消費税率を15年10月に10%へ引き上げることを柱とする税と社会保障の一体改革を進めている。税率アップに際し財務省などは「混乱を招く」として、2通り以上の税率を設ける複数税率の採用には消極的だ。しかし、世界各国では複数税率が主流で、「民主主義の維持」「言論の多様性確保」という観点から活字メディアの税率を低く抑えている国が大半だ。消費税に相当する付加価値税を導入している欧州29カ国の新聞への税率を見ると、英国など5カ国がゼロとし、フランスなど20カ国は軽減している。新聞に対する税制を欧州を中心に報告する。【吉田啓志】

 ◆ドイツ
 ◇市民の教養「国家が責任」
 付加価値税が1968年に導入された際の標準税率は10%。新聞は5%でスタートし、83年に7%となった。だが、標準税率が19%にアップした07年も新聞は7%で据え置かれた。10年には財務省が新聞の税率見直しに動いたのに対し、政権は7%の維持を決めた。
 ナチス時代への反省も踏まえ、国民には「市民の教養に国家が責任を持つ」との共通認識がある。新聞の税率を抑えていることと、大学の大半が公立で授業料無料という政策は同根という。憲法やメディア法が専門で、ドイツとの比較研究をしている大阪大の鈴木秀美教授は「軽減税率対象リストを作った時の立法資料を調べると、食料と出版物は軽減税率を適用するための積極的理由付けをしておらず、適用が当然視されていた」と指摘する。
 また、ドイツは新聞の定価販売(再販売価格維持)を競争制限禁止法の適用除外としている。出版物の販売に関しては、全国を80地区に分けていて「1地区1卸業者」が基本。卸業者は地区での独占権を与えられる代わり、全商品を消費者に届ける義務を負う。また言論の多様性を守るため、新聞には特別に厳しい合併規制がある。

 ◆フランス
 ◇食品より低率、直接助成も
 標準税率19・6%に対し、2・1%と5・5%の軽減税率があり、新聞には2・1%が適用されている。付加価値税導入は68年で、新聞は77年以降に今の税率となっている。
 イギリス同様、メディアへの優遇税制は民主化の歩みと軌を一にしている。1881年、フランス革命の人権宣言などを基に「出版自由法」が制定された。活字メディアは手厚く保護されており、新聞の税率は5・5%の食料品より低く、国の補助金による直接助成もある。
 日本新聞協会の視察団に対し、文化・通信省の参事官は「自由の国フランスでは政府が活字メディアを支援することは当然視されている。歴史的、文化的遺産として根付いている」と明言している。
 どの新聞が軽減税率の対象となるかは、行政機関、業界専門家らで構成する、独立性の高い審査委員会の承認が必要だ。
 委員会は「最低3カ月に1回発行」「広告が紙面の3分の2を超えない」などを条件に挙げている。ただし、記事の内容は問われない。

 ◆カナダなど
 ◇複数州でゼロ税率適用
 日本の民主党が税制改革のモデルとするカナダは、複数の州が新聞をゼロ税率(連邦分は標準税率の5%)としている。年間所得が約3万2500カナダドル(約250万円)以下の世帯(夫婦と子ども2人)の食料費など基礎的な生活支出額を調べ、そうした世帯に家族全員が負担する消費税分(大人1人につき約250カナダドル=約1万9000円)を還付する「給付付き税額控除」も導入して軽減税率と組み合わせている。
 米国では、50州のうち物品やサービスにかかる「売上税」を新聞に課しているのは7州。29州は非課税で、9州が条件付き非課税(5州は売上税がない)。
 また韓国も、標準税率が10%ながら、77年の付加価値税導入時から新聞は免税されている。欧州では標準税率のインターネット新聞も、免税対象となっている。

 ◆イギリス
 ◇「知識は非課税」原則確立
 付加価値税の導入は73年。標準税率10%でスタートしたが、当初から新聞はゼロ税率だった。11年1月、標準税率が17・5%から20%に引き上げられた時も新聞や書籍、食料品などは0%のままだった。欧州連合(EU)は77年の指令で、加盟国の最低税率を5%と定めたものの、それ以前からゼロ税率があったために0%が認められている。他に5%の軽減税率がある。
 英政府は1694年、印刷物に課税する印紙税法を制定。出版物の価格を上げ、売れないようにすることを狙った事実上の言論統制だった。これに英国新聞協会は反対し続け、1855年、同法は廃止される。こうした歴史的経緯から、「知識には課税しない」との原則が確立している。
 90年代に入り、財政危機の影響で数回浮上した新聞の税率引き上げ案もその都度見送られた。「国民の知る権利を守り、民主主義の維持に欠かせない」として新聞へのゼロ税率適用が続いている。

 ◆スウェーデン
 ◇制作・配達に国庫補助も
 69年の付加価値税導入時、標準税率は11・1%で新聞はゼロ税率だった。その後、財政赤字が続き、90年には標準税率が今の25%に引き上げられ、新聞も96年から6%となっている。6%の税率は、映画、スポーツの入場料などにも適用されている。03年まで25%だった雑誌や書籍も6%に軽減された。他に12%の軽減税率があり、食料品、ホテルの部屋代などが対象となっている。
 財務省によると、新聞業界が6%の税率で負担している税コストは日本円で年間約41億6000万円。標準税率の25%を適用されると約195億円の追加負担が生じるといい、文化省幹部は「新聞は特別扱い」としている。
 その理由はやはり「民主主義の維持」だ。朝刊紙の95%が定期購読され、普及率も高い。さらに軽減税率以外にも、新聞の制作費、配送費に対する国庫補助がある。09年時点で制作助成を受けているのが84紙、配達助成は137紙で、助成総額は約74億円に上る。

ネット社会でも役割大きく
川岸令和享受 早稲田大(憲法)

 自由で民主的な社会が存立していくためには、情報が自由に流通して、人々が物事を考えたり、社会の動きを知ったりできることが不可欠だ。
 欧州各国で軽減税率や非課税対象に生活必需品である食料や医療と並んで新聞や書籍・雑誌を加えているのは、我々が知的に生きていく上で必要な情報を提供するという公共的な役割を果たすことが期待されているからだ。本来は、消費税導入時に議論されるべき問題だった。
 新聞は伝統的に最も身近であり、公権力を監視する法規制のない自由なマスメディアとして存在してきた。今日、ネットで十分だという意見もある。しかし、基本的には関心のある情報しかネットでは見ないのに対して、一覧性のある新聞はそれ以外の情報も見出しによる軽重を含めて接することができる。ユーザーは新聞情報とつきあわせて真偽を見極めており、ネット社会で果たす役割は一層大きい。
東日本大震災や東京電力福島第1原発事故後に新聞各紙が相次いで検証、分析記事を掲載した。調査報道は、テレビと異なり、じっくり考えることができる活字の重要性、特徴を実感をさせた。
 新聞が衰退する社会を我々は受け入れられるのか。それは危険な社会であると思う。
    --「新聞に対する税制:欧州各国の現状 言論多様性を重視、「活字」の税率に配慮」、『毎日新聞』2012年1月28日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120128ddm012040190000c.html

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人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている。2012.1.28

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 人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている。
  大正十三年六月十五日    吉野作造
    --吉野作造「日記 二」、『吉野作造選集 14巻』岩波書店、1996年。

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明日1月29日は吉野作造(1871-1933)の誕生日。

上に引用した吉野の言葉は、日記に記された一節ですが、実は、この言葉は、吉野作造自身が人生において最大の危機中で発せられたものです。

この前の年(大正12/1923年)、吉野作造は東京帝国大学法学部教授の職を辞しております。その理由は次の通りです。


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氏(引用者注……吉野作造)は横浜の某富豪を説いて支那人、朝鮮学生の学費を出して貰つてゐたが、該富豪が自身の打撃で世話が六ケ(むつか)しくなつたので、氏は自分で費用を造らうと考へたのである。それは大学教授の収入よりも新聞社の方がズツト善い待遇を与ふるからであつた。
    --赤松克麿編『故吉野博士を語る』中央公論社、1934年。

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うえの引用は、吉野作造に「新聞社」仲介の世話をとった米田実(朝日新聞社)の言。吉野が東大を辞して朝日新聞社へ転職する遠因は、大正12年9月の関東大震災です。

横浜の素封家が、中国・朝鮮半島からの留学生に援助をしていたのですが、震災によって今後はその支援を見込めなくなったため、吉野作造自身が世話をしようとのことで、収入のよい「朝日新聞社」へ入社という経緯になったのです。

しかし……。
入社後、半年もたたないうちに、筆禍事件によって、退社をよぎなくされてしまいます。その進退窮まった際に、日記に記されたのが、一番最初の引用です。

軍部、枢密院、貴族院に対する吉野の容赦のない批判は、時の権力から常に警戒されていたわけですが、ひとつの些細な記事が筆禍事件へと大発展。

朝日新聞自身も吉野作造を護れきれなくなってしまい、退社という形で「何の過失なくして乃ち失業の群に入る」(吉野日記、1930年3月21日)という、客観的にみれば、マア「どうしようもない状況の中」に投げ込まれまてしまうんです。

そのなかで発せられた言葉です。

しかし、吉野自身は「人生には逆境はない」と力強く自らを励ましながら、このあとも使命の道を歩み通します。

身に降りかかった逆境のなかにおいても、吉野はなお「天に事へ人に仕へる」ことを使命として、まさに“生き抜きます”。

「天に事へ」とは、クリスチャンとして神に仕えることでしょう。
もう少し多元的な表現をすれば、「真理に身を投じる」とでもいえばいいでしょうか。

そして「人に仕へる」とは他人のために事をなすということなのでしょう。

このふたつは吉野の生涯における二つの人生の大指針なのですが、はからずも逆境によって決意として表現されたことに驚いてしまいます。

さて、朝日新聞を退社した後、吉野は社会的には不遇な状況が続きます。
が、同時に次の手を打ち始めます。それが吉野晩年の労作となる「明治文化研究」。

大正~昭和初期の論壇では、盛んにデモクラシー、そして社会主義、その他種々の主張が百家争鳴の如く繰り広げられていくわけですが、その淵源としての日本の近代はどこにあるのか?

当時の誰もが顧みることのなかった近代日本の出発点の資料を蒐集し、結果としては、実のところ民本主義論以上の、業績を後世に残すことになります。
※そこで集められた資料、そして史料に対するコメンタリーは、現代の「群書類従」と評価されております。蛇足ですが、学生支援は継続しております。


で……。
何かといいますかと、5年ほど非常勤講師としてお世話になった通信教育部を3月いっぱいで「退職」することになってしまいました。

専任教員で担当科目を回すことができるようになったので、申し訳ないのですが、4月から「担当をはずれてくだしあ」という「馘首」というのが早い話(涙

年末には新年度の予定をすべてセッティングして、新年度も

「さあ、がんばるか」

……と思っていた矢先なんですが、

まあ、人生には色々ありますね。

とほほ、というか、

おるず、というか、、、。

博士論文のほうも目処がついてきたので、今年こそと思っていたのですが……、ね。

まあ、人生には色々ありますね。

……かといって、人生をこれでやめるわけにもいきませんが、

何といいますか、正味のところ、「こころにぽっかりと穴があいてしまった」……という支えきれないほどの脱力感があるのは確かなところですが、ただ、うちひしがれてもはじまりませんので、私自身が研究をしている吉野作造の言葉を思い出した次第です。

ただこれも正直なところ、そこまで私も人間ができておりませんので、「逆境はない」と深く決意することへは少し時間がかかりそうですが、

それでも、、、、

「人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている」。

この言葉を忘れないようにといいますか、命には刻んでおきたいと思います。

昨日、SNSでその速報を少しだしたところ、履修された学生諸氏から、

「先生は辞めても、私の先生です」

というありがたい言葉をいくつも頂戴しました。

ありがたいことです。

正直、今後、どういう形で、組み立て直していくのか、全く暗闇の中です。

ただ、しかし、5年間という短い間でしたが、通信教育部で、ウンコのような私の講義を熱心に聞いてくださり、そしてオン・オフ問わず、真剣に様々な世代のひとびとと魂の交流を続けることができたのは、私自身の貴重な財産になったことは確かです。

皆様、ありがとうございました。

だから、誰を恨もうとか、ナニだとかというのは、ないのですが、その感謝と報恩の気持ちだけは忘れることなく、新しい挑戦を続けていきたいと思います。

皆様との交流……それはレポートを介したそれであったり、また教室のそれであったり、また酒席のそれであったり、キャンパスでの雑談であったり、さまざまな形をとりましたが、どれも金の思い出です。

本当にありがとうございました。

くどいですが、もう一度、新しい挑戦を開始しようと思います。

で……長くなるのが私の文章ですが、蛇足ついでにひとつ。
ブログ読者の方々で、レポートが未提出の方は、早めにだしましょうねw
3月まではまだ担当をしておりますので、どうぞよろしくお願いします。
まずは、「書いてみる」ここから卒業への一歩は始まりますからね、どうぞよろしくです。


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覚え書:「みんなの広場:原発誘致した人は福島に住んで」、『毎日新聞』2012年1月26日(木)付。

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みんなの広場
原発誘致した人は福島に住んで
主婦 63(福島市)

 今どこに行っても「福島です」と言うと皆優しく温かく「頑張って!」と励ましてくださり大変うれしいのですが、私たち福島県人は、どう頑張ればいいのでしょう? 一人一人がどんなに頑張っても放射能の問題は解決できません。全県除染なんて完璧にはできないことを私たちは知っています。
 福島への原発建設を推し進め、誘致に賛成し、福島をこんなにしてしまい、今は福島から遠く離れた所で結うがに暮らしておられるであろう政治家、役人、識者と呼ばれる方々、東電の歴代役員たち。私たちは皆さんに、これまで感じたことのないほどの怒りを感じています。
 あなた方、福島にお住まいになってはいかがでしょうか? 首相、収束状態って何ですか? 福島大好きな私の娘は第1子を妊娠中ですが、実家に帰省し出産することは、かないません。
    --「みんなの広場:原発誘致した人は福島に住んで」、『毎日新聞』2012年1月26日(木)付。

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覚え書:「引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂」、『毎日新聞』2012年1月25日(水)付。

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引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂
テレビをつまらなくする
極小タレント共同体

 われわれの笑いというものは、常に、ある人間集団の笑いなのである。(中略)笑いには、現実のものであれ、想像されたものであれ、ともに笑う人々のあいだでの了解済みの底意が、わたしに言わせれば共犯性が、潜んでいる。観客の笑いは、劇場の客席が埋まっていればいるほど大きく広がる、とは繰り返し言われてきたことではないだろうか? また、喜劇的効果の多くは、ある言語から別の言語に翻訳できない、したがって笑いはある特定の社会集団の風俗や観念に相関している、と何度指摘されてきたことか? (アンリ・ベルクソン『笑い 喜劇的なものが指し示すものについての試論』竹内信夫訳、白水社)

 地上デジタル放送への移行のおかげで、視聴可能なチャンネル数が増えたが、それによってひとつ確認できたのはテレビにはお笑いと通販しかないという事実である。チャンネルを変えても、出てくるのは健康や肥満への不安を煽って製品を売ろうとする通販か、さもなければ、おかしくもない笑いを振り撒いて一人悦に入っているお笑いタレントだけだ。
 前者はさておき、後者のお笑いタレントの連発するギャグネタがなぜ、全然おもしろくないのかを考えてみよう。
 ベルクソンが指摘するように、笑いというものには、笑う側にしろ、笑わせる側にしろ、ある特定の人間集団に幻想的に属している共同体意識を前提としている。
問題は、いまの若いお笑いタレントにとって、この《幻想の共同体》が非常に狭く見積もられていることだ。極端にいえば、両手を広げてグルリと回った範囲、つまり、家族と友達とクラスメートと先生と……それ以上は存在しない。あとは、テレビないしはインターネットへと直に接続しているだけだ。
 これは《幻想の共同体》どころか、むしろ《実体的共同体》であり、想像力の中で同じ価値観を共有するなんらかの中間的社会集団とつながっているという意識は希薄なのだ。つまり、彼らが多少売れ出しても、「笑いを取ろう」とする相手の集団は、あいも変わらず「両手を広げてグルリと回った範囲」の《実体的共同体》でしかなく、それを超えたところに笑いを届かせるにはどうしたらいいかなど考えたこともない。
 であるからして、テレビの画面の中にいる(つまりスタジオに集められた)彼らの同類(似たようなお笑いタレントやバカギャル)の笑いは取れても、画面のこちら側にいる視聴者の笑いはまったく取れないということになるのだ。
 しかし、これはデビュー当時のタモリがそうだったような「密室芸人」というのとは位相を異にしている。「密室芸人」時代のタモリが前提としていた《実体的共同体》は、数人しかいなかったその共同体の成員が山下洋輔や赤塚不二夫だったことからわかるように、笑いに関する高度な批評性を有する集団であった。そのハイレベルの集団を笑わすことができたのだから、タモリの芸も相当にレベルが高かったと想像される。
 密室性ということであれば、昭和初期の頃までの寄席というのもまたこうした性格を有した「聞き巧者」の共同体であったに違いなく、その共同体のレベルの高さが逆に芸人の笑いの質を支えていたのだ。
 いいかえると、笑うというものは、笑わせる側とインテリジェンスが同一レベルにあって、しかもある程度「塞じられた」フィールドにいる必要があるという、ベルクソンの「共犯性」を宿命としている。さて、翻って現代のお笑い状況を見てみよう。
 お笑いタレントたちは、《幻想の共同体》を笑いのフィールドとして出発するが、かつての芸人とは異なり、寄席に類する中間的な密室的フィールドでの試練を経ることはほとんどない。いきなりテレビという密室性を欠いた公共のフィールドへと連れ出されてしまう。
 それゆえ、「両手を広げてグルリと回った範囲」の笑いをテレビにそのまま持ち込むことになる。しかし、それでは、画面の向こう側の人間たちを笑わせることができるわけはない。おまけに、彼らには密室で「笑ってもらえなかった」というシビアーな経験がないため、自己批判性も備わっていない。
 思うに、これは、お笑いに限らず、政治についてもいえるのではないか。寄席というものを「派閥」という密室性を備えた中間的集団とのアナロジーでとらえてみれば、いまの 政治家がお笑いタレントと似たような状況にあることがわかるだろう。
 密室性をもった中間的集団の消滅が、お笑いタレントと政治家の質をともに落としているのである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 不朽版 お笑い番組 鹿島茂」、『毎日新聞』2012年1月25日(水)付。

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《単純化》した論理で、あれかこれかの《二者択一》を迫ってみたりする、内外の政治家たちの言動など……

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政治の世界では、言葉というものが大きな働きをなす。言葉を用いればこそ、民衆の支持をとりつけことも、その逆も可能になる。世論を誘導するのも言葉の力によるところが大きいのはいうまでもない。

デモクラシーの国であれ、独裁者の国であれ、政治過程において「言葉」を扱うことには変わりない。それは平時でも戦時においても同じ事だろう。

本書は、政治的言語を中心にして、ナチ・ドイツ社会の政治レトリックと人々が巻き込まれ過程を分析した一冊だ。

ナチズムの言語は、時代から半世紀以上立った今なお有効に機能している。その特徴は次の通りだ。


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たとえば、簡潔で《断定的》な語法によって細かい議論を拒絶したり、「悪の枢軸」との対決といった《単純化》した論理で、あれかこれかの《二者択一》を迫ってみたりする、内外の政治家たちの言動など。とくに、それが、しばしば疑似宗教的な粉飾を帯びるとき、その感が深い。実際、ヒトラー演説には、一般に考えられているより以上に《摂理》や《絶対者》といった言葉がちりばめられ、その歴史観と政治観の特色を示している。
    --宮田光雄『ナチ・ドイツと言語 ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』岩波新書、2002年、まえがきii頁。

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この一節を読み想起するのは、「既得権益」という仮想敵を自ら演出し、パフォーマンスに手際の良い某市長の姿だろう。


本書は政治イデオロギーの分析だけでなく、映像メディアや教育の言語も取り上げているが、興味深いのは、それらに対する抵抗の言語も紹介していることだ。

人々が選択した武器は笑いとジョークだ。そして、圧倒的ともいえる全体主義の統制のなかでも、鋭い風刺的なジョークを用いた受動的な抵抗者が少なからず存在することには驚くばかり。


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 ナチ・ドイツの政治的ジョークは、けっしてひとりでに生まれたものではない。それは最終的には、何百万という犠牲者をともなうことになった政治体制によって、いわば呼び出されて成立した。これらの犠牲者には、国籍や人種、宗教や思想などを異にする多くの人びとが入っている。彼らを結び合わせていたものは、共通の苦難の運命だった。ヒトラーとナチズムに向けられた政治的ジョークもまた、同じである。それは、共通の敵にたいして、ヒューマニズムにたつ人間をすべて一つに結び合わせるものだったから。
    --宮田、前掲書、163-164頁。

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風刺は連帯を必然する。
笑いは本朝にも存在する。しかしそれは、2chに代表されるように、相手の生命を害することで自益するdisりのネタ文化と本書で指摘される笑いとは程遠いものがある。
それは、閉じた笑いにほかならず、人間同士を結びつけるヒューマニズムとは程遠いものだろう。

この陥穽を乗り越えるヒントが本書には沢山詰まっている。


※ブクログへ投稿した内容に少しだけ手をいれたものですいません。


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 貧困対策、本格始動の年に 湯浅誠」、『毎日新聞』2012年1月20日(金)付。

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くらしの明日 私の社会保障論 貧困対策、本格始動の年に
湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

日本型福祉社会の見直し

 2012年は日本の貧困対策が大きく動く年になるかもしれない。
 日本では、貧困の存在は高度経済成長以降、長く忘れ去られてきたが、90年代後半以降の少子高齢化の進行、低所得化の進行、非正規雇用の拡大、教育格差の拡大、生活保護受給者の増大は、「貧困などない」と言い張り続けることを困難にした。男性正社員の片働きで家族を扶養するという「日本型雇用システム」が崩れ、セットになっていた「日本型福祉社会」モデルはカバーできない領域が増大した。
 団塊の世代が大量に高齢化する一方、生産年齢人口は急速に減り続け、しかも資力の乏しいワーキングプアが増大し続け、次世代の子どもたちは減り続けている。このままでは社会の持続可能性がないことに、多くの人たちが気づくに至っている。
 政府も、税と社会保障の一体改革で「貧困・格差対策」を優先項目の一つに位置づけ、社会防衛に乗り出し始めた。構成労働者に社会的困窮者自立支援室を設け、貧困指標の見直しに着手し、今秋までに「生活支援戦略」を立てて中期プランを策定する予定だ。その中には生活保護の見直しも入っている。また、懸案の消費税増税に際しては、低所得者の負感増を抑える逆進対策として、給付つき税額控除の導入と、導入までの過渡的施策を検討している。
 半世紀近く続いた「日本型福祉社会」のモデルの本格的見直しがスケジュールに乗り始めた。個々の施策がどのように新設・改変され、それぞれがどのように組み合わされるかによって結論は大きく変わるだろう。まだ、良くなるとも悪くなるとも言い切れない。総選挙がささやかれる政治状況にも左右されるだろう。

私たちはそれに対して、「お手並み拝見」と評論家然としていることも、「どうせ悪くなる」と無為にやり過ごすことも、できないし、すべきでもない。かかっているのは私たちの生活だからだ。積極的に事態を伝え、意見を出していく必要がある。しかし実際には、多くの人たちは仕事と生活に追われ、丁寧に議論を追う余裕も、自分の意見をじっくりと練り上げる余裕もない。そうした状況の中では、威勢のいいワンフレーズのキャッチコピーを編み出した人の勝ち、という不毛な結果い終わりかねない。年に一週間くらい、一人一人が「日本のこれから」をじっくり検討するスペシャルウィークを持てないものだろうか。
 ……年の初めだからか、そんなことを夢想した。

日本型福祉社会 企業の正規雇用や安定した家庭の存在を前提に、所得の保障や福利厚生の提供、子どもの育成・教育、高齢者の介護などを企業や家族が担ってきた社会のこと。国は高齢者に向けて年金などの制度を整える以外は、生活保護といった最終的なセーフティーネットを提供するだけでよかった。長引く不景気や少子化、独身者の増加などで、その根幹が揺らいでいる。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 貧困対策、本格始動の年に 湯浅誠」、『毎日新聞』2012年1月20日(金)付。

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旨いもの・酒巡礼記:大阪府・大阪市編「わたしの大阪放浪記」

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 食について
 人間は生まれ出た瞬間から、死に向かって歩みはじめる。
 死ぬために、生きはじめる。
 そして、生きるために食べなくてはならない。
 何という矛盾だろう。
 これほどの矛盾は、他にあるまい。
 つまり、人間という生き物は、矛盾の象徴といってよい。
 他の動物は、どうだろうか。
 他の動物は、その矛盾を意識していない。
 だから、例外としておこう。
 よくよく考えてみると、世に生まれ出たことが、
 「厄災そのものですよ」
 といった知人がいるけれども、
 「そんなことはありますまい」
 反駁はできない思いがする。
 だが、人間はうまくつくられている。
 生死の矛盾を意識すると共に、生き甲斐をも意識する……というよりも、これは本能的に躰で感じることができるようにつくられている。
 たとえ、一椀の熱い味噌汁を口にしたとき、
 (うまい!)
 と、感じるだけで、生き甲斐をおぼえることもある。
 愛する人を得ることもそうだし、わが子を育てることもそうだろう。
 だから生き甲斐が絶えぬ人ほど、死を忘れることにもなる。
 しかし、その生き甲斐も、死にむすびついているのだ。
 このように矛盾だらけの人間の世界は、理屈ではまかないきれぬ。むかしの人びとは、 そのことをよくわきまえていたらしいが、近代の人間たちの不幸は、何事も理屈で解決 する姿勢が硬直しすぎてしまったところにある。
 などと、この文章も、いささか理屈っぽくなってきたから、ほかのはなしをしよう。
    --池波正太郎「食について」、『日曜日の万年筆』新潮文庫、昭和五十九年、210-211頁。

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1.「ビアホール ニューミュンヘン」
金曜日から日曜日までスクーリングの関係で大阪へ出張したのですが、その思い出を「探訪記」としてひとつのこしておきます。

金曜は13時の新幹線で新大阪へ。
その日は、約束が2件あり、まずは大阪駅(梅田)へ移動して、ビアホールの「ニューミュンヘン 本店へ」。
大阪駅で降りるのも初めてでしたが(だいたいタクシー利用なので)、そこから商店街のようなところへ案内されたわけですが、いわゆる「ザ・ビアホール」って感の「ニューミュンヘン」。

親戚の案内にて店内へ誘われてから、小麦麦芽を使用した「ヴァイツェン」を一気にかけつけ三杯。

ビールには「揚げ物」が定石ですから、そのあたりを頼んで、「黒ビール」。

交互に「ヴァイツェン」をいれながら、締めは「ベルエクストラスペシャル」(スコッチ)をダブルで。

予定があったので1時間程度の滞在でしたが、ひさしぶりにうまいビールを味わわせていただきました。

ありがとうございました。

店内は、昭和といいますか、戦前のドイツとでもいいますか、なかなか渋い造作で、
「ミュンヘン一揆」の密談もここで行われたのではないかと錯覚するほどです。

客層もよく、店員さんもきちんとしつけられていることにしばしば感動。
名残を惜しみながら、ホテルへ。

■ ニューミュンヘン 本店
〒530-0057 大阪府大阪市北区曽根崎2-9-13
TEL 06-6311-3381
営業時間 11:30~22:30(L.O.22:00)
ランチ  月~金 11:30~14:00
定休日 年中無休
http://r.gnavi.co.jp/k015500/


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2.「ホルモン焼き肉 まんてん」
荷物を整理してから、大学時代の先輩と合流。
案内されたのは、谷町9丁目のホルモンやさん「まんてん」。

大阪といえば、やっぱり「焼肉」。
そして、それ以上に名高いのが「ホルモン」。

どちらもいったことがありませんでしたので、興味通津で入店。
小さなお店ですが、お店の方が丁寧に清められた店内はあかるくさわやかで、こちらで、プレミアムモルツで乾杯し、おまかせの盛り合わせで。
何がどれなのかわからないのですが(苦笑、「はぁ、これがホルモンかぁ」とため息をつくほど、おいしかったのは事実。

中盤からいただいた「マッコリ」も初体験。
とても飲みやすく、やさしい味わいが印象的でした。

案内してくださった先輩、ありがとうございました。


■ まんてん
大阪府大阪市中央区谷町9-4-5 新谷町ビル 1F
TEL 06-4392-7373
営業時間 17:00~24:00
※ 夜10時以降入店可、日曜営業
定休日 月曜

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3.「氏家を肴に呑む会」
翌日は朝から夕方まで「倫理学」の講義。
その夜は、大阪と中部の学生諸氏(卒業生含む)が、「私を肴に飲む会」を企画してくださいましたので、ホテルへ戻ってから一路「梅田」へ。
チェーン店になりますが、時間を気にせずにゆっくり「話し込む」ことができるので「坐・和民」さんへ。
少し、遅れてから参加しましたが、有意義な時間をすごすことができました。また今回、履修されているKさんも、「ぜひ、ご一緒に」ってことで参加してくださいました。この日は遅くまで飲みましたが、いやー、学生さんと飲むのが一番うまいですね。いちおー、立場的には「教師」という「役」になりますが、当方、その自覚も薄く、真理に肉薄していくという「意味」では、学生も教師も平等ですから、そこには、高低浅深なんてありません。

■ 語らい処 「坐・和民」 スイング梅田店
住所 〒530-0057 大阪府大阪市北区曽根崎2-15-20 スウィングうめだビル5F
TEL 050-5522-6251
営業時間   17:00~03:00
金・土・祝前 17:00~05:00
定休日 年中無休
http://r.gnavi.co.jp/k672759/


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4.急遽「慰労会」
さて・・・
翌日もまる一日「倫理学」。
スクーリング試験を終えてから、20時の新幹線で帰宅予定でしたので、少々時間が。
試験も終わったところで一息ですから、10名ほどの学生さんと急遽「慰労会」。
※・・・って表現ですが、結局声かけはこちからなんですが(苦笑

しかし、37名のうち、10名参加とはすごい割合です(キリッ

ちょうど地下鉄淀屋橋の駅ビル2Fの「がんこ」。
こちらもチェーン店ですが、はじめての利用。
メニューも豊富で、味付けもよく、なかなかどうしてというのが印象的。
個室をたくさん完備した宴会場施設がととのっており、そこでゆっくり皆さんといろいろ語り合えたことは、僕の一生の思い出になりました。
結局、「先生、指定席で帰らずに、自由席でもその券で乗れますから」

・・・などということになり、20:30ぐらいまでゆっくりしてしまいましたorz

いや、しかしながら、短い滞在でしたが、ほんと、一緒に向き合うことのできた皆様ありがとうございます。
お互いに切磋琢磨しながら、自分自身を学問の世界で磨いていきましょう!!!


■ がんこ NEX-T1淀屋橋店
住所 〒541-0041 大阪府大阪市中央区北浜3-5-29 NEX-T1ビル2F
電話番号 06-6201-7002
http://www.gankofood.co.jp/group/washoku/shop/next1yodoyabashi/


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5.〆が締めることに(涙
・・・ってことで蛇足ですが、最寄り駅に降りてから「小腹がすいたので」

「風風ラーメン」(武蔵小金井店)にて「バリコク豚骨」なんぞを注文。
いや、たしかにうまかったのですが、翌日のダメージがここにすべて起因している模様にてなみだ目。

■ 風風ラーメン 武蔵小金井店
住所 東京都小金井市本町5-12-14 森ビル 1F
営業時間 11:00~翌5:00
ランチ営業、夜12時以降入店可、始発まで営業
定休日 無休


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※なお集合写真等はFBの方にupしてますので、そちらへお越し下さいませ。

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「『思索人の如く行動し、行動人の如く思索する』というベルグソンの言葉」を餞に

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 現代の知性人とは如何なるものであるかという問いに対して、「思索人の如く行動し、行動人の如く思索する」というベルグソンの言葉をもって答えることができる(第九回国際哲学会議におけるデカルト記念の会議に寄せた書簡)。ところで思索人の如く行動し、行動人の如く思索するということは構想力の媒介によって可能である。我々の眼前に展開されている世界の現実は種々の形における実験である。相反し相矛盾するように見えるそれらの実験が一つの大きな経験に合流する時がやがて来るであろう。「そこへ哲学が突然やって来て、万人に彼等の運動の全意識を与え、また分析を容易ならしめる綜合を暗示するとき、新しい時代が人類の歴史に新たに開かれ得るであろう。」知性人は眼前の現実に追随することなく、あらゆる個人と民族の経験を人類的な経験をに綜合しつつしかも経験的現実を超えて新しい哲学がを作り出さねばならぬ。この仕事の成就されるためには偉大な構想力が要求されている。すでに個人から民族へ移るにも、構想力の飛躍が必要であろう。今日の知性人は単に現実を解釈し批評するに止まることなく、行動人の如く思索する者として新しい世界を構想しなければならない。新時代の知性とは構想的な知性とはである。
    --三木清「新しい知性」、『哲学ノート』新潮文庫、昭和三十二年、19-20頁。

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日曜深夜に東京へ戻ってから翌日が勤務する短大の「哲学」の講座の定期試験。

結局のところ、試験によって「その人に哲学の力があるのかどうか」なんてわかるようなものではありませんが、大学という「制度」は「試験」を必要としますので、

「断腸の思い」にて敢行せざえるを得ないのですが、いずれにしまして、15回の講義、それから試験に参加された皆様ありがとうございました。

いわゆる一般教養の「哲学入門」、「哲学概論」に当たる講座ですが、クロニクルに哲学「史」を過去から現在への歴史として「概念」や「知識」として習得するというスタイルは当初よりとっておりません。

その辺は、最初の数回で概観してから、さまざまなテーマに関して、哲学者たちの考え方や人間の足跡を紹介しながら、「一緒に考えてみよう」というスタイルをとっているのですが、最後の試験の解答やこれまでの15回分のリアクション・ペーパーなどを読み返しておりますと、その試みは、今回もなんとか成功したのではないかと思います。

いや、別に「概念」や「知識」として哲学なるものを習得することが悪いってわけではありませんよ。
しかし、それと同時に、そしてそれ以上に大事なことは、それを使ったり、利用したり、また納得したり、反発したりしながら、

実際のところ・・・

「私はこう考える」

・・・っていう「哲学する」ことへ収斂させていかない限り、「哲学を学んだ」ことには多分ならないのでしょう。

だから、本を読めばすむような話は、自助努力にお願いすることにして、思索することを一緒に楽しむことで、「哲学する」練習にはなったのじゃないかと思います。

哲学なんて、はっきりいえば別に就職するうえで、ぶっちゃけたところ、ダイレクトに役に立つわけではない、今日(こんち)隆盛の猛威を振るう「キャリア科目」なるものからみれば、「不毛な科目」ってことになるのでしょうし、実際のところ教養教育軽視の風潮はますます強まるばかり。

しかし、今回は70名以上の方が履修してくれ、本当にありがとうございました。

確かに「就職」の役にもたちませんし、給料をupさせることもできません。

しかし、自分で考える、そして全体との関係を切断せずに思索することは、人間として不可欠なはずなんです。

何かあったときに、そう、

「これは、いっぺん、自分で考えてみないとまずいな」

・・・ことが時々、人生にはあるんです。

そのとき、今日までやってきた「哲学する」訓練は、さりげなく、あなた方をサポートしてくれるはず。

受け売りの手垢に汚れた言葉を右から左に使って「さも、わかった」ように生きていくのではなく、たとえば、「自分はどう判断していくのか」って局面で、力になると思います。

そのときまでは、直接の「役立つ」ものではないことは忸怩たるところですが、人間世界のなかで、その世界から退避するのではなく、ひとつひとつの言葉と真正面から格闘するなかで、何か、「さあl、もういちどやるぞ」って態度をとることができると思うんですよね。

だから、そういったとき、15回、一緒にやってきた「哲学する」を思い起こしてくだされば・・・などと思う次第。

ともあれ、試験が終わると、長ーい春休みですよね。

大学生は何をやるのも・・・「まあ、自由ですよ」

有意義な長期休暇であってほしいですね。

・・・ってことで後期の授業、ありがとうございました。


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白雪の東京:我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ

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我が宿は 雪降りしきて 道もなし 踏みわけてとふ 人しなければ 読人知らず
    --0322「巻六 冬歌」、『古今和歌集』。

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夕方から降り始めた雨が20時すぎぐらいから、雪に。

東京では今期初の本格的な大雪ですね。

もちろん、朝になれば、路面が凍結して大変なことになることは承知しておりますが、雪がふると心が躍ってしまう……というのは僕一人だけではないとは思うのですけどね。

……ということで、その様子を少々撮影しましたのでひとつ。


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幸福こそが哲学の目標です

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 幸福こそが哲学の目標です。もっと正確に言うなら、哲学の目標とは叡智であり、だからこそ幸福でもあるのです--なぜなら、繰りかえしになりますが、哲学の歴史を通してみると、そしてとりわけギリシアの伝統のなかでもっとも評価されている見解の一つによれば、叡智がそれと認められるのは幸福のもとでのことであり、すくなくとも幸福のある種のあり方においてのことなのですから。というのも、賢者が幸福であるとしても、そのためには、どんな方法によっても、どんな犠牲を払ってもよいというわけではないからです。叡智が幸福であるとしても、そのためには、どんな幸福でもかまわないということではありません。
    --アンドレ・コント=スポンヴィル(木田元・小須田健・C・カンタン訳)『幸福は絶望のうえに』紀伊國屋書店、2004年、16頁。

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土曜と日曜の二日間、大阪にて通信教育部の地方スクーリングで「倫理学」を講じてきました。

37名の履修者の皆様、拙い講義を熱心に聞いてくださりありがとうございました。

様々な目的や関心によって、通信教育という形ですが、

「もう一度、大学で学問を挑戦しよう」

……という姿は美しい。

学問とは、おそらく、これまでの生活の中で「みえていなかったもの」に「言葉」と「形」を与え、そのひとの前に可視化する役割があるのだろうと思う。

そのことによってこれまで表現できなかったものを表現できるようになり、見落としていたものをもういちど、俎上にあげてやることができるようになるのだろうと思う。

たった二日間でしたが、そのひとつのきっかけになればとは思う次第です。

本年度の担当はすべて終了。

4月からまた全国を回ります。


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『こども東北学』 著者・山内明美さん」、『毎日新聞』2012年1月22日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『こども東北学』 著者・山内明美さん

 (イースト・プレス・1260円)

 ◇切り刻まれた歴史の先に--山内明美(やまうち・あけみ)さん
 自身の経験を軸に、東北の貧しさと豊かさの歴史を描いた。1976年、宮城県南三陸町生まれの東北研究者。東日本大震災で、実家は辛うじて残った。

 もともと専業農家だが、今は自動車の4次下請け工場なども営む。「高卒後、親の工場で働いたけど、仕事が減って家族の私からクビに。3年ほど町の民俗資料館に勤めて、2001年に慶応大に入りました」

 共同体の固い殻で自然災害に耐えてきた東北。国と社会の矛盾を押しつけられ、「へき地」扱いされ続けてきたと感じる。

 先の大戦の戦場の記憶から逃れられない祖父は、アルコール依存症だった。「これから天皇陛下さ会いさ行く」と、田んぼに背広と長靴姿で現れたことも。ある親戚は、親が戦前、本家の財産を処分し旧満州(現中国東北部)に移民した「罪」を子として背負い、戦後も本家の敷居をまたげなかった。実家の裏山には、由来のよく分からない「蝦夷(えぞ)塚」があった。「蝦夷が本当はどんな人だったかも分からないほど、東北の歴史は悲しく切り刻まれ、忘れられてきたと思う」

 小学生の頃、標準語の「発音練習」をした。中学の同級生で4年制大学に進んだのは自分一人。親に黙って受験し合格すると、親は親戚から「結婚もさせないで、あまやかして遊ばせていいのか」と責められた。

 それでも、小学6年生で初めて上京したとき、一人暮らしの人々の存在に驚き、家に鍵をかけるとは「なんて寂しい」とも思った。郷里の人々は、深酔いする祖父のことを「狐に化かされた」とうわさしたが、そこには、さげすみと共に優しさがあった。「今も、東北にとらわれ続ける愛郷心のようなものがある。故郷を出た後ろめたさゆえのものかもしれませんが」

 共同体に比重を置く田舎と、個人に比重を置く都会の両方の良さが活(い)きる社会がほしい。そのためにも「震災と原発事故で奪われた東北の土と海は、必ず取り戻さなくてはいけない」と思う。マイナスの札を延々と並べたうえでも、なお東北を愛したい。「この本のまとまりのなさ、混乱のありようこそ、私の内面そのものなのです」<文と写真・鈴木英生>
    --「今週の本棚・本と人:『こども東北学』 著者・山内明美さん」、『毎日新聞』2012年1月22日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120122ddm015070052000c.html


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覚え書:「これが言いたい:「大衆迎合」としたり顔で断罪しても意味がない=北大大学院准教授・吉田徹」、『毎日新聞』2012年1月19日(木)付。

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これが言いたい:「大衆迎合」としたり顔で断罪しても意味がない=北大大学院准教授・吉田徹

 ◇ポピュリズム生む背景直視を
 「政権交代のある民主主義」が早くも失望に変わった中で、日本政治におけるポピュリズムの台頭を懸念する議論が目立ってきた。

 確かに、ポピュリズム政治は「大衆迎合」「衆愚政治」などと、よく批判される。しかし、断罪したからといってポピュリズム政治が雲散霧消するわけではない。まずは、なぜ発生するかを問うてみることが必要だ。

 歴史的にみて、ポピュリズムは既存の政治に対する信頼が揺らいだ時に発生する。政治が主権者たる「人々」の欲求や欲望を満たすことができない時、人々の政治不信は高まる。

 事実「失われた20年」は際限なく延長されて、閉塞(へいそく)感は強まる一方だ。意識調査では有権者の2人に1人は「政治家を信用していない」と答える。代表民主制は政治家が「人々」を代表していると「人々」が感じなければ円滑に機能しない。

 政治の失墜で生まれるのが、ポピュリズムだ。ポピュリズム政治は議会に陣取る政治家への否認を原動力に、「与野党問わず党利党略に明け暮れ普通の人々(庶民)のことを考えていない」と主張する。そして、議会や官僚制などわかりやすい権力の在りかを道義的な「敵」として非難し、人々を動員しようとする。経済危機で中間層の没落が現実となり、政治の無策にいら立つサイレント・マジョリティーにとって、カリスマ政治家によるメッセージは魅惑的に映る。

 ポピュリズム政治は、具体的争点に固執はせず、政治のあり方そのものを非難する運動だ。だから公約の中身は必要性から考えられたものではない。そしてマスメディアを含め政治家や政党に対する不信を募らせるのが作法となっているような環境でポピュリズムはますます勢いにのる。

 人々はポピュリスト政治家の政策的主張に賛同しているのではなく、おそらくポピュリストが象徴しているものに強くひかれているのだ。「ポピュリズムは民主主義の敵だ」としたり顔で批判している政治家は、自分の胸に手を当て、それを生み出しているのが自分たちではないのか、と自問すべきだろう。

    *

 民主主義が危機に陥っているからこそ、ポピュリズムが立ち現れる。複雑なことに、そのもたらすものは決して負の効果に限らない。

 ポピュリズム政治には、既存の政治の対立軸を揺り動かし、民主政治に緊張感をもたらし、人々を今一度政治へと向かわせるチャンネルを作るような効用もある。窒息死しそうな民主政治の起爆剤であり、場合によっては堕落しきった政治システムを鍛えなおし革新をもたらし、より優れた代表性を備えた政治を生み出すきっかけを提供し得る。

 だが、それはやはり危うさと裏腹である。ポピュリズムのもうひとつの特徴は、権力批判を糧にしていることにある。権力を奪取した途端に現実の壁にぶつかり穏健化すれば、「人々」の政治に対する失望に拍車をかけることになる。民主政治の本当の危機はその時、始まるのかもしれない。

 少なくとも今、求められるのは、ポピュリズムを唾棄して事を済まそうとするのではなく、その先にある不気味な「人々」の欲求や欲望を、政治がきちんとすくい取り、必要があればそれらはなぜ否定されなければいけないのかを説く勇気と知恵を政治家が持つことだろう。そうでなければ、ポピュリズム批判は天に唾するも同然である。

よしだ・とおる 東大総合文化研究科を経て現職。パリ政治学院非常勤講師。著書に「ポピュリズムを考える」。
    --「これが言いたい:「大衆迎合」としたり顔で断罪しても意味がない=北大大学院准教授・吉田徹」、『毎日新聞』2012年1月19日(木)付。

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覚え書:「異論反論 城戸さん! 女性の貧困が深刻化しています」、『毎日新聞』2012年1月18日(水)付。

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異論反論 城戸さん! 女性の貧困が深刻化しています
SOSに耳を傾けよう
寄稿=城戸久枝

 かつて一億総中流といわれていた日本だが、最近は格差や貧困という文字があちこちで目につくようになった。
 女性の貧困は深刻だ。国立社会保障・人口問題研究所の分析によると、勤労世代の単身女性の3人に1人が貧困なのだそうだ。
 20歳未満の子どもをもつ母子家庭の相対的貧困率は、07年で55%、10年でも48%と、減少傾向だが、依然高い水準にあるという(国立社会保障・人口問題研究所 阿部彩「相対的貧困率の推移 2007年から2010年」参照)。
 まだ働けるうちはいい。しかし高齢になるにつれ、貧困に対する不安は一層大きくなるだろう。65歳以上の単身女性の相対的貧困率は47%と高い(同)。
 女性たちはどうすれば貧困から抜け出せるのか。
 女性や高齢者の雇用の拡大、非正規雇用社員への保障改善、保育施設の拡充や子育て環境の整備など、国がすべきことはたくさんある。行き届いた対策をとるためには、より多くの当事者たちの声を集めることが必要だ。
しかし、女性たちの声はあまりにも小さい。


耐え忍ぶこと美学?
結局何も変わらない
 ある友人は、夫の家庭内暴力(DV)が原因で離婚した。当初は体調がすぐれず、生活保護を受給していたが、その後就職し、ぎりぎりの生活を送りながらも、無事子ども2人を育て上げた。ところが子育てに区切りがついた後、体調を崩し、会社を退職、再び生活保護を受ける生活に戻ってしまった。それでも彼女は「仕方がない。自分で頑張るしかない」と、自立にむけて懸命に再就職先を探している。
 貧困に陥る女性のなかには、彼女のように、問題を一人で抱え込んでしまっている人もいるのではないか。だから一番声を上げるべき人の声がなかなか国や世間に届かない。いや、声を上げようにも、日々の生活で精いっぱいで、
その余裕すらないのだ。おそらく、数値に表れない、埋れた貧困に苦しむ女性たちはもっといるのではないかと思う。
 苦しいとき、耐え忍ぶことは、日本人の美徳とされてきた。だが、ただ、耐えているだけでは、結局何も変わらない。もっと自身の苦境を訴えるべきだが、彼女たちが、声を上げる機会は乏しい。苦しいときこそ、苦しいと声を上げていいのだと、社会がもっと寛容になるべきだと思う。「甘え」だとか、「そんな余裕はない」という声も出るかもしれない。しかし、日本社会全体が停滞した状況から抜け出すためには、まず、「苦しい」という声に、一人一人が耳を傾ける必要があるのではないか。
 簡単に経済成長が望めない今を、私たちは生きなければならない。一人がでも多くが貧困から抜け出すことが、日本社会全体の明るい未来につながると信じている。

きど・ひさえ ノンフィクションライター。1976年愛媛県生まれ。子育てと仕事の両立は難しいが、取材を続けてきた引き揚げ女性の話を早く出版できるよう、取材・執筆を進めている。
    --「異論反論 城戸さん! 女性の貧困が深刻化しています」、『毎日新聞』2012年1月18日(水)付。

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【ご案内】1/21-22:地方スクーリング,A1期 大阪 『倫理学』

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 すべての知識は、分離、区画、制限によって生ずる。或る全体的なものの絶対的知識などというものは存在しない!
    --ニーチェ(渡辺二郎訳)「哲学者の書」、『ニーチェ全集』第3巻、ちくま学芸文庫、1994年、294頁。

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賞罰告知といいますか、定型文といいますか、毎度同じ呼びかけで恐縮ですが、例の如く、アカデミズム底辺の荒涼たる裾野をさまよう氏家で御座います。

開催まで数日……もとい前日になりましたので、告知ということで、、、。

表題のとおり、今週末より、大阪で開催される通信教育部の地方スクーリングA1期にて「倫理学」を講じてきます。


受講される学生さん方がいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお願いします。


で……。

例の如く引き続き定型文のような内容ですが……

できれば……といいますか、学生さん方へのお願いです。

できれば……教材の序論だけでも結構です。必ず読んできて欲しいと思います。

忙しいとは思いますが、目を通さずに、授業に望まれてしまうと、これはきわめて“モッタイナイ”状態です。

是非、宜しくどうぞお願いします。

お互いに気の抜けない過酷な(?)剣豪のごとき真剣勝負をやりましょう!

こちらも万端の準備と仕込みで乗り込んでいきますのでどうぞ、よろしくお願いします。

今回は四十名弱の予定です。

大阪は一年ぶりですね。楽しみにしております。

眠ることもできないほど最高のフルコースですよ( ・ω・)∩

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無邪気さについての雑感

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 世界がどれほどの価値あるものなのかということを、世界の最小の小部分でさえも、顕示してくれるに違いない、--人間を見よ、そうすれば諸君は、世界についてどう考えるべきであるかを、知るであろう。
    --ニーチェ(渡辺二郎訳)「哲学者の書」、『ニーチェ全集』第3巻、ちくま学芸文庫、1994年、305頁。

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twitterとFBで昨夜、少し吠えた内容なんだけど、大事だと思うので、少し加筆して残しておきます。

さて・・・・
(それが悪い訳じゃないけど)無邪気に前進できる人ってうらやましい。

当然、否定できないほどそれが自他ともに「善いこと」をやっている場合もなんですよ。別にそれを貶めようというのは筋ではありませんが、無邪気というのを「無反省」と置き換えてもいいんですが、そういうわだかまりがあります。
*もちろん、僕が念頭においているのは、そういう事例よりも、どちらかといえば、明らかに「オカシイ」ことをそうやっている場合とか、たとえば敵対勢力を「批判」するだけで、それを「勝利」と勘違いする連中のことですので、念のため。加えて、「勝利」という言葉の値打ちも天文学的に崩壊したなとは思けど、これはまた別の機会に。

戻りましょう。

で、、、現実のところ、それ以上に唾棄すべきは、それを喰いものにする連中だ。うとましい。

こういうわけで、僕は慎重になってしまう。

純粋さを人と比べようとはおもわないし、「オレの方が正義のレースに熱心なんだ」って浅はかな決意発表みたいなのには反吐がでる。

大声をださないで慎ましくいきていく。

そしてその取り組みのなかで、時代を変革しゆく連帯をデザインしたい。

たぶん、連帯っていうのは、何か、特定の枠組みがあって、そこに自分を鋳造していくのではなく、「ほぉ~」って感覚で近所のひとが集まって(=離脱自由を含む)、それぞれが取り組んでいくことなんだろうな。

日本ではそれが特に政治的イシューに収斂されるから連帯できないんだよ。

いろいろとかかわりもあるし、文句もあろうだろうから、政治的人間として振る舞わざるを得ないことは承知だけどさ、そういう上っ面な部分だけでない、集合離散のルーズな人間同士の連帯がたぶん、必要なんだろうと思う。55年体制の最大の問題は、すべて「政治」で解決できると夢想したことだ。

困った人に手をさしのべるのには(そしてそれは裏をかえせば、自分が手をさしのべられるには)、本来、思想信条は関係ないはずなんだよ。だけど、あいつは赤だとか、右だとか、……ねぇ。(表現はわるいけど)津波や地震の前には、そんなもんは関係ない。

それを利用する権力に騙されないようしないと。

政治的イシューに熱心になればなるほど、敵と味方の二元論に収斂されてしまう。

そして結局、手を入れるべき問題がスルーされ、こぼれおちていくということを自覚する必要があると思うのだけど……ねぇ。

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覚え書:「リアル30’s:働いてる?」、『毎日新聞』まとめ

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リアル30’s:働いてる? (1) 歯車には ならない

◇仕事はする。自分のために
 「キ・オーラス・サォン?」(何時ですか)。東京・有楽町のブラジルレストラン。都内の大手企業に勤める美晴さん(33)が声を上げる。男女の生徒10人が一斉に時刻を答えると、「イッソ!」(その通り)。週に1度のポルトガル語教室。ここでは会社員ではなく講師だ。

 ボサノバから入り、ブラジル好きが高じてポルトガル語にはまった。日系ブラジル人が多い群馬県大泉町に住んで働いたこともある。日本とブラジルの交流団体「キモビッグ」を作り、昨年6月から語学教室を始めた。講師は無償だ。

 昼間の仕事はブラジルにすべてをつぎ込むための手段。だが、手は抜かない。猛烈に働いて5時半には会社を出る。「早く帰りたいから、すんげえがんばる。トイレに行くヒマも惜しい」

 でも9時から5時、私は「死んでる」し、ブラジルにかかわる時間以外は、私は私じゃない。「私のアイデンティティーはキモビッグ。少なくとも会社の仕事じゃない」

     ◇  ◇ 

 社内政治に興味はない。でも「フェイスブック」で必要な友だちとはつながっている。

 都内の広告代理店で働く32歳のサトルさん(仮名)は、昼が近付くと資料を広げて忙しさを演出する。そろそろ先輩が誘ってくるころだ。

 「ご飯行く?」「すみません、手が離せなくて」。先輩を嫌いなわけじゃない。行けばたわいのない話で盛り上がる。でも、意味を感じない。「社内でコネ作って、何のメリットがある?」

 大卒で東証1部上場のITサービス会社に入った。「歯車として働き、歯車として終わりたくない」と4年で退職。次のコンサルタント会社も「寝る間を惜しんで働くほどの仕事か」と、4年で辞めた。

 思春期直前にバブル経済が終わった。それから日本はずっと不況。いい思いをしたことはない。仕事を始めて、ベテラン世代があっさりクビを切られる姿も見てきた。

 「『継続は力なり』って言われても、力になってないじゃんって。会社を出た時にどうやって食っていくか、いつも考えてる」

 200社受けて、今の会社に契約社員として採用された。仕事は面白くやりがいもある。望めば正社員登用試験も受けられる。だが、この会社で自分は満足か。2年目に入ったが、10年後、20年後をイメージできない。居場所としての「職場」は要らない。「夢は在宅勤務。今の仕事なら、全然できると思うんだけどね」

     ◇  ◇ 

 マークシートの(2)をひたすら塗りつぶす。会社に受けろと言われたTOEIC(国際コミュニケーション英語能力テスト)。解答づくりの単純作業が恨めしい。海外勤務に興味はない。

 メガバンク総合職、29歳のマキコさん(仮名)は都内の支店で法人営業をしている。私立大経済学部を07年に卒業、入行した。

 仕事は忙しい。午前7時半に出勤。外回りを終えて午後5時に職場に戻り、遅くまで書類を作る。家に帰ると日付が変わっていることも。営業成績は上位だ。「仕事は好き。ちゃんとやりたい。若手でも社長に会えるし、業界を広く見られるし」--ただし、会社の評価が自分のすべての価値とは思わない。

 どう働くか自分のルールがある。仕事に本気なのに、そう見られたくないので格好はわざとちゃらく、髪は明るい茶色。仕事がやりやすくなるなら上司と酒を飲み、たばこを吸って距離を縮める。「私はガチで生きてる。かなり不器用に、したたかに」

 ここ数年、摂食障害で体調が悪く、一時休職。昨秋に復職し、病気も公表した。病気を治して同じ場所に戻ることが自分なりのけじめ。「病気は悪いことじゃないでしょ。『こういう病気を公表して、堂々と成績上げてやればいいんだ』と思ってる」

 自分なりにがんばるが、「無理しろ」と言われてもしない。そう言った人はたぶん責任を取ってくれない。「がんばる」と「無理する」は絶対、別と思う。

 今の時代は生きづらい? 「すごくそう思う。年間自殺者3万人って、未遂はもっといるってこと。ちょっとした戦争状態。私もみんなも、その時代を必死に生きてて。それを人ごとと思って漫然と生きてる人たちの想像力のなさは、超つまんない」

 会社の目標より、自分のペース。TOEICは990点満点で190点だった。

【鈴木敦子、水戸健一】

     ◇  ◇ 

 「失われた20年」に青春期を過ごした世代が今、30代を迎えている。仕事、結婚と岐路に立たされる年齢だが、社会は閉塞(へいそく)感に覆われ、どんどん生きづらくなっている。誰のために、何のために働き、生きるのか--懸命に考え、悩み、迷う30’sを追う。=つづく

 ◇「生きづらさ」最も感じる世代
 30代(30~39歳)の人口は約1800万人。総人口の約14%を占める(2010年国勢調査)。思春期~青年期がバブル崩壊以降の「失われた20年」と重なり、「生きづらさ」を最も感じている世代とも言われる。

 その大きな理由が「仕事」。1993~2005年は就職氷河期とされ、不況で企業が新規採用を抑え、労働市場からはじかれる若者が急増した。00年代前半には派遣労働規制が大幅に緩和され、正規雇用の職に就けなかった現在の30代前半の若者の多くが、低賃金で不安定な非正規の職に就かざるを得なくなった。その後も、経済のグローバル化や円高などが進み、従業員を正社員から非正規に置き換えたり、非正規雇用労働者の雇い止めや解雇が起きた。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (1) 歯車には ならない」、『毎日新聞』2012年1月1日(日)付。

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http://mainichi.jp/photo/news/20111231mog00m100009000c.html


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リアル30’s:働いてる?/2 会社員になりたくない 「面白いこと」求めて起業

 毎朝7時に家を出て、帰宅は深夜。土曜日は一日中眠り続け、日曜の夜に深いため息をつく--。科学教育事業のベンチャー会社「リバネス」(東京都新宿区)社長の丸幸弘さん(33)が見てきたサラリーマンの父の姿だ。「会社員にはなりたくない」と思った。

 薬科系大学で学んだ。在学中はバンドの活動に熱中。3年の秋、仲間のリクルートスーツ姿に怒った。「お前ら、ロックに生きるって約束はどうなったんだよ」「そうは言ってもよ、働かなきゃいけないんだぜ」

 周囲は製薬会社に就職を決めていく。それでも一人動き出せなかった。人事担当者にペコペコして「御社で一生働きたい」なんてウソでも言えない。結局大学院に進み、寝る間も惜しんで顕微鏡をのぞき続けた。

 2000年代初め、学生ベンチャーブームが起きた。博士課程在籍中。「何か面白いことをしたいよね」と他大学にも声をかけ、15人が集まった。02年、「リバネス」を設立し、代表に就いた。「ソニーもホンダも、最初は気の合う仲間で始めた。なら、おれにもできるじゃん」

 バブルを知らない自分たちは景気が良かったことを知らない。1世代上の「先輩」経営者はIT景気の波に乗り、バブルを再現しようとしていた。でも、「僕たちは金もうけに興味がなかった。夢を仕事にしたいだけ」。

 看板事業は中学や高校への出前科学教室。地道に全国の学校を回った。紫キャベツを使った太陽電池、ホタルの光の再現、遺伝子組み換え実験……手作りのキットで科学の面白さを伝えた。07年には「宇宙教育プロジェクト」を開始。植物の種をスペースシャトルで国際宇宙ステーション(ISS)に運び、帰還後に小中学生と育てている。種が戻る前に紛失し、ニュースになったことも。

 今も「会社サークル」のようだ。社員は平気で社長に盾突く。社長は社員をニックネームで呼ぶ。でも創業から10年、右肩上がりで成長し、15人だった社員も約40人になった。

 社内で決めていることがある。「がんばってるね」と絶対に言わない。「がんばって一生食っていけるならがんばりますよ。でも今は、がんばってもメリットはない。そもそも、僕らの世代は食うことが目標じゃない。自分が面白がって、オタク的にやったことに対して『へえ、おもしれえじゃん』と言われたいだけ」

 がんばらないが猛烈に働く。徹夜もするし、休みなしで1カ月働くこともある。「オタクですよ僕らは。好きなことだから、働かされていると思ってない」

 ◇  ◇
 入社式の前日、内定していた大手旅行代理店に辞退を告げた。決意は固かった。

 都内のウェブ制作会社社長、33歳のケンジさん(仮名)は学生時代、バックパックを背負ってアジア各地を旅した。大学4年の時はタイに留学。1年後に帰国し、遅れた就職活動でも人気企業をあっさり射止めた。

 数年働いて独立するつもりだった。会社は腰掛け。その間に海外赴任を--。だが、入社前の研修で「簡単に海外には行けないよ」と言われ、萎えた。

 職場を見学した。社員はずっと電話に張り付き、航空券の予約に追われていた。延々と同じ作業。疲れた表情が印象に残った。下積みの時間がもったいないと感じた。

 「うまくやってはいけそうだったが、歯車になりそうで。いったい何を学べるのか見えなかった」

 小さな広告代理店に入って仕事を覚え、4年後に中学の同級生と2人で会社を起こした。場所は秋葉原。ウェブ制作を請け負いながら、萌(も)え系カフェも経営する。08年の無差別殺傷事件で業績は一時落ち込んだが、今は持ち直した。

 もしタイに行かなければ、素直に会社員になっていたと思う。活気に満ちたアジアを見た後、みんなと同じ流れに乗れなくなっていた。よく、タイ人の妻が言う。「日本はどんよりしてる。みんな楽しそうじゃないね」。自分もそう思う。「会社員、しんどそうですもん。心も体も病気になるまでがんばるって何だろうって」

 ディスコ、キャバクラで遊んで、何でも買えた世代に比べて、地味に生きていると思う。家でフェイスブックをして友だちと遊んで、それで十分。「いい車に乗りたいとかも思うけど、今の働き方を変えてまで手に入れたいものじゃない」【鈴木敦子、戸嶋誠司】=つづく

 ◇「定年まで勤めたい」 時代で差
 財団法人・日本生産性本部は1969年から、企業の新入社員を対象に「働くことの意識調査」を実施し、「同じ会社でずっと働きたいか」という質問を設けている。新人が「定年まで勤めたい」と答えた割合から、時代性をうかがうことができる。

 今の30代が新人だった90年代と00年代前半は、10~20%台と低い水準。一方、11年春入社の新人は過去最高の34%だった。93~05年は有効求人倍率が1を切る「就職氷河期」。雇用状況は厳しかったが、それが長く続くとは思われていなかった。新人が「会社に縛られたくない」という意識を、まだ持つことができた時代だったと見ることができる。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる?/2 会社員になりたくない 「面白いこと」求めて起業」『毎日新聞』2012年1月3日(火)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120103ddm013100005000c.html


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リアル30’s:働いてる?/3 使い捨ていつまで

◇派遣転々…身も心もボロボロ

 「何とか就職できたよ」--昨年秋の高校の同窓会。近況報告でとっさにうそが出た。同級生は働き盛りの会社員や公務員。仕事の苦労も楽しそうに語り合っていた。


 横浜市で1人暮らしの31歳のダイスケさん(仮名)は今、生活保護を受けている。派遣切りに遭い、仕事が見つからないままもう2年がたった。

 埼玉県の私立高を99年に卒業。家計が苦しく進学できなかった。フリーターになり、ファミレスで週5日のアルバイト、うち2日はコンビニと掛け持ちした。多い日は1日14時間働いた。それでも月収約13万円。

 8年目、長時間労働がたたって体を壊し、アルバイト生活をやめた。だが、正社員の面接を受けても不採用が続く。履歴書の資格欄はいつも「なし」。運転免許すら持っていない。

 専門学校に行く学費を稼ごうと、派遣労働者になった。製造業派遣が解禁された頃。フリーペーパーの求人に「月収30万円!」「入社祝い金もあり」と景気のいい文字が躍っていた。

 初めての派遣先は自動車組み立て工場。1週間で後悔した。諸経費と寮費を引かれて手取りはわずか月10万円。学費などたまらない。自分が何の部品を組み立てているかも分からず、やりがいを持ちようがなかった。

 働く仲間は40~50代の元正社員。「バブルの頃はよかった」「パチンコ行くから残業代わって」と、だらしなく映った。「俺が正社員だったらまじめに働いていたぞ」。生まれた時代を呪った。

 リーマン・ショック翌年の09年秋、派遣先を解雇された。年始に寮を追い出され、とうとう生活保護を申請した。月13万円を受け取る。

 ハローワークで職を探す毎日。履歴書の写真代や面接の交通費が響き、月に3、4日は3食を抜く。面接までたどり着ける会社は多くて月に5社。「また『ご縁がなかった』という言葉を聞かされるのかと思うと緊張して眠れない。心はとっくに折れた」。唯一の楽しみは子どもの頃から買い続ける「少年ジャンプ」。1週間、繰り返し読む。

◇  ◇ 

高速道路の中央分離帯に激突しそうになり、あわててハンドルを切る。心臓がバクバクし、冷や汗が流れた。しばらくするとまた、まぶたが重くなる。

 09年までの約3年間、関東地方の運送会社でトラック運転手として働いた31歳のコージさん(仮名)は「1日の睡眠は2、3時間。いつ大事故を起こしてもおかしくなかった」と振り返る。

 午前5時出社。7時に東京都内の配送センターで荷物を受け取り、午後9時ごろまで関東一円の工場に部品を運ぶ。月収は手取り約20万円。残業代もボーナスもなかった。友人の葬儀のため休みを申し出ると、上司から「サボりたいだけだろ。嫌なら辞めろ」と言われた。

 高校卒業後、都内の職業訓練校に通った。金属加工会社に就職したが、「違う仕事も経験したい」と再び職業訓練校に。ところが体調を崩して中退。約1年半の休養後は、建設作業や警備員、引っ越し、代行運転手、日雇い仕事で食いつないだ。

 プリンター工場や自動車部品工場の派遣も経験したが、休日出勤を断ると嫌がられ、半年で契約を切られた。26歳で飛び込んだトラック業界は、ようやく見つけた正社員の職だった。

 だが不況で業界はコスト削減に追われ、ドライバーにしわ寄せがきた。「高速道路は使うな」と指示され、荷待ちや車両点検の時間は勤務外と見なされた。得意先の配送センター社員は王様みたいに振る舞った。それでも愛想良くしないと、会社が契約を切られる。

 一般道を時速100キロで飛ばし、食事やトイレもがまんした。事故より、遅配による上司のしっ責におびえた。居眠り運転は日常茶飯事、信号無視もした。

 大学を出ていればと何度思ったか。でも「自分みたいに選択肢がない人間は、クズみたいな使われ方でも続けるしかない」。運転中に追突され、持病の腰痛が悪化して退職した。傷病手当ももらえなかった。

 運送会社の次に就いた仕事も長時間残業が当たり前。昨年夏、うつ病と診断されて辞めた。失業保険は1月半ばに切れる。

 いつまで使い捨てなんだろう。「もうすぐ自分もああなるのかな」--視線の先には、寒風が吹く公園で背を丸めるホームレスがいる。真冬の路上生活は死と隣り合わせだ。「普通に働いて、普通に眠って、普通に食べられる生活をしたい」。途切れがちの声が冬空に吸い込まれていく。【水戸健一、鈴木敦子】

=つづく

◇非正規雇用25~34歳の4人に1人
 25~34歳の非正規雇用率は、1991年は約10人に1人(10.9%)だったが、2010年は約4人に1人(25.9%)となった。男性の非正規雇用労働者(全年齢)の6割は年収200万円未満で、生活保護の受給水準よりも低い「ワーキングプア」になっている(総務省調べ)。
 一方、生活保護の受給者は11年9月時点で過去最高の206万人。09年のデータでは、働き盛りの30代の受給者が約11万2000人と00年の約1.9倍になり、全体の伸び率(約1.6倍)を上回った(厚生労働省調べ)。

 ◇ご意見お寄せください
 郵便は〒100-8051(住所不要) 毎日新聞くらしナビ「くらし」係へ。宛先に「リアル30’s」と明記して。ファクスは03・3212・5177、メールはkurashi@mainichi.co.jpまで。ツイートでも受け付けます。毎日新聞社の媒体に転載してよい場合はハッシュタグ#rt_30を付けてください。取材記者も@real30sでつぶやきます。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 4/ 使い捨ていつまで」、『毎日新聞』2012年1月4日(水)付。

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http://mainichi.jp/life/today/news/20120103mog00m100006000c.html


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リアル30’s:働いてる? /4 入社2カ月解雇通告
昨年の秋も深まったころ、突然、上司に呼ばれた。「余裕があるみたいだね。今年は大きな仕事をしてないよ」--穏やかな口調が不気味だった。小さな出版社に入社して2年目の30歳のマコトさん(仮名)。繁忙期に定時で帰ったのが気に障ったようだ。「またクビになるかも」と不安がよぎる。

 早稲田大在学中に演劇にのめり込み、就職活動をしなかった。04年に卒業後は飲食店のアルバイトで食いつなぎ、しばらくしてコールセンターの仕事を始めた。時給制のアルバイトで手取り月16万~17万円。その後、契約社員になったものの、不安定な仕事から逃れようと初めて就職活動に臨んだ。


 就職あっせん会社に登録した。だが、50社申し込んで面接にたどり着けるのは半分。「演劇に打ち込んだので就職活動をしませんでした」と話すと、面接官は冷ややかにほほ笑んだ。好きなことやって就職の機会を捨て、調子のいいこと言ってるねえ--そんな声が聞こえた気がした。

 結局、正社員をあきらめ、06年に派遣会社に登録。ところが、派遣切りが始まった。09年夏に派遣先の契約が前倒しで打ち切られ、派遣会社の支店待機に。会議室に派遣30人が集められ、パソコンに向かって自習を命じられた。外出も居眠りもだめ。このまま会社に残っても給与は出ないと言われ、退職した。身勝手なのは自分か会社か、分からなくなった。

 両親はバブルのころ、関東近郊に家を買って多額のローンを抱えた。都心から遠くて住みにくく、借り手も見つからず、結局手放した。年金から今もローンを返済する。親子でマンションに暮らすが、余裕のない両親に代わってマコトさんが家賃を払う。「何で俺がバブルのツケを払うのか」

 今の出版社では正社員。最近は進んで残業もする。休日出勤も多い。「いつクビになるか不安。また惨めな就職活動はしたくない」--向かいの席に座る上司の一挙手一投足が気になる。

◇  ◇ フリーターやネットカフェ難民に比べたら「自分はまだまし」と思っていた。

 01年3月、34歳のケンジさん(仮名)は学習院大を卒業した。就職先は従業員約500人の自動車部品メーカー。経理部で働いた。

 08年、リーマン・ショック直後に年齢を問わないリストラが始まった。数年前、元請け会社の業績悪化のあおりを受け、中高年は一掃されたあと。31歳だったケンジさんにも希望退職の声がかかった。

 会社に残りたいと言ったら、工場に異動させられた。塗装ラインでひたすらバンパーを上げ下ろしする肉体作業。強硬な説得に負けて、結局退職した。8年勤めた退職金は100万円。東京・日比谷公園に派遣村ができてしばらくたった頃。若手の正社員ですら簡単に職を失う時代が来たと思った。

 再就職を目指し、失業給付を受けながら簿記2級の資格を取った。「当時はまだ大丈夫と思ってた。大学を出て、正社員を8年して、簿記を持ってて、何とかなると」--現実は甘くなかった。

 転職サイトに「製造業・正社員・事務職」で登録したが、応募しても書類ではねられる。100社に応募し面接に進めたのは10社。転職サイト担当者は「年齢の割に薄い職務経歴、1年のブランク、職務経歴のアンマッチ」を理由に挙げた。

 ようやく内定をもらった都内の食品会社。年収は約400万円。一生懸命働こうと思った。しかし、入社1カ月後に採用担当者に呼び出された。「こんな好待遇なのにさ、あなたそれに見合う能力がないよ。会社が求める10分の1も働いてないじゃないか」

 2カ月目、別室で「解雇します」と通告された。離職票には「能力不足」の文字。何が足りなかったのか、今も分からない。現在は関東地方で団体職員として働いている。

◇  ◇ 昨年12月9日夜。勝ち組の象徴と呼ばれた六本木ヒルズそばの雑居ビル地下に、20~30代の若者が次々集まった。若者の労働・貧困問題に取り組む「反貧困たすけあいネットワーク」がクラブを借り切って開いたイベント。代表で、首都圏青年ユニオン書記長でもある河添誠さんは「もう8回目。あえて六本木でやるのがおもしろいでしょ」と笑う。

 専門家のトークと、食事や酒を楽しむ。厳しい日常の中のささやかな息抜き。過労死寸前の働き方や貧困にあえぐ若者への共感が会場を包む。「いつ自分がそうなるか分からない」--30代の実感だ。

【水戸健一、戸嶋誠司】=つづく

◇バブル崩壊若手の雇用直撃
総務省の労働力調査によると、11年1月の25~34歳の完全失業率は6.4%。全年齢の平均値(4.9%)と比べても厳しい。就職氷河期(93~05年)が始まる直前の92年1月では、25~34歳が2.4%、全年齢の平均値が2.1%とほとんど差はなかった。バブル崩壊以降、働き盛りの25~34歳を取り巻く雇用状況は激変した。

 また、10年の同調査によると、勤め先や事業の都合で職を失い、求職中の人は102万人。07年の59万人から急増している。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? /4 入社2カ月解雇通告」、『毎日新聞』2012年1月5日(木)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120104mog00m100021000c.html


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リアル30’s:働いてる? (5) つながって生きる シェアハウスで、ネットで

 「やっぱりうどんには日本酒でしょ」--。夜9時前、煮込みうどんの鍋を囲み、近所の友人も交えて夕食が始まった。


 京都市内の2階建て借家。30歳会社員のヨーコさん(仮名)は学生時代の仲間2人と、この「シェアハウス」で暮らす。

 3居室を分け合い、広さごとに家賃は月2万5000~3万1000円。光熱費や食費を含め、月5万円程度で暮らせる。それ以上に「誰かといる静かな暮らし」が心地よい。

 大学を卒業した04年、大阪の広告関連会社で働き始めた。3年目になると仕事量が急激に増え、連日深夜まで残業。たまの休日は自宅にこもり、テレビやパソコンの画面に向かって一人笑う。体と心に不調が出た。息切れや不眠が続く。それでも上司は「働いてもらわないと困る」。ある日、何かがプチッと切れた。「ここに自分を委ねるのはいや」。心療内科にかかり、退職した。

 働くことは大事。でも楽しんで、自分が変われるような働き方をしたい。そう思って転職し、今は社内報の制作を請け負う会社でライターを務める。企業の若手社員にインタビューし、苦労談をまとめる仕事。地道にがんばる同年代を見るたび、素直に感動する。調子を崩した時、今の上司や同僚は「そうなることもあるよ」と時間をくれる。

 一方で、「何かあっても社会は自分を助けてくれない」とも感じる。長生きも望んでいない。「老後のために貯金してどうするって思う。貯金は人生の選択肢を増やすため、会社が立ちゆかなくなった時のため」

 シェアハウス入居は、転職後の09年。風邪をひいた時はショウガ入りの雑炊を作ってもらった。共有の連絡帳には「水が出しっぱなしでした」と注意書き。緩やかな関係が安心できる。「結婚して2人きりになるのはしんどい。都合の悪いことがあると、相手のせいに思えてしまう。今の私には3人ぐらいがいい」

 2年ごとの契約更新で入居・退去は自由。いずれメンバーは代わるかもしれないが、結びつきを求める人と、この先もつながるような気がする。

 会社でも家族でもない、第3のつながりが今の居場所。「友だち以上家族未満でつながって、しんどくもおもしろい時代に生きてるよね」--同居仲間の言葉に、ほろ酔い気分でうなずく。

 ◇  ◇ 
 恋に破れた男女の相談メールがパソコン画面に並ぶ。「前向きに、悩み続けず、恋愛以外に自分がやりたいと思うことに目を向けて集中して」--。回答メールを送信する。

 和歌山県内の観光ホテルで働く義信さん(35)には、本職以外にもう一つの顔がある。復縁専門の「恋愛相談マスター」。ネット上では知る人ぞ知る有名人だ。

 もともと人付き合いが苦手だった。高校を出て、地元の自動車部品販売会社に就職。しかし物足りなくなって大阪に出た。昼は工場に勤め、夜は道路工事現場の警備員をした。和歌山を出たら何とかなるだろうと思ったけれど、やりたいことも見つからなかった。28歳で和歌山に帰り、ホテルに勤め始めた。初めての接客業は意外におもしろかった。

 だが、給料は手取りで月20万円ほど。地方なのでそんなに仕事を選べない。有料の恋愛相談を始めたのは、単にもっと稼ぎたかったからだ。ネットの副業なら身一つで両立できると思った。

 相談を募ると、予想以上の反応があった。次第に復縁の相談が増えたため、専用ブログを開いた。メールだけのコースで1週間2500円、電話相談も含むと1カ月1万5000円など。今は20~30代の女性を中心に、毎日10~15人を相手に相談に応じる。

 自分は未婚で、交際経験も少ない。だが、親身な励ましは見ず知らずの人の心をつかみ、この3年で復縁させた人は50人近い。「みんな不安を抱え、応援されたい、勇気づけられたいと求めているんだと思う」。希望者を集め、オフ会も開くようになった。

 相談者の経験を聞くたび、自分の体験も深まるような充実感を覚える。「人と接しない生き方が無難と思ってきたが、今は違う。どんな仕事も人がいないと成り立たない。僕のアドバイスで人を幸せにできるなら、それが最高の報酬です」【青木絵美】=つづく

◇荒波を一緒に乗り越えようと
関西学院大社会学部准教授の鈴木謙介さん(35)

 今の30代は何かを期待して裏切られた世代。たくましく生きる覚悟はあったのに、2000年代に厳しい現実に直面して「やっぱ無理だった、一生懸命やったけど、何にもなんなかったじゃねえか」と怒っている。同時に「自分の努力が足りなかった」という自己責任感も強く引きずっている。逆にその下の20代はハナから「期待するな」と教えられた世代。もっと冷めていて保守的だ。

 意識ある人たちはすでに「仲間」「つながり」で荒波を乗り越えようとしている。会社外で横断的な仲間を作ったり、地元・地域でつながったり。「みんなが敗者になる前に助け合おうよ」と動いている。震災のボランティアでも見られたが、関わりとつながりの仕組みと場所を、社会にもっと多く用意しないといけないと思う。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (5) つながって生きる シェアハウスで、ネットで」、『毎日新聞』2012年1月6日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/biz/news/20120105mog00m100017000c.html


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リアル30’s:働いてる? (6)誰かの役に立ちたい 社会貢献 ビジネスで


夕暮れの被災地を見つめる及川武宏さん。「まだ何も始まっていません」=福島県南相馬市で、丹野恒一撮影
 「ほしい物があったら何でも言って。食べ物? おむつ?」。東日本大震災から4カ月たった昨夏、故郷・岩手県大船渡市に住む友人に電話すると、予想外の答えが返ってきた。「震災があったことを忘れないでほしい」 

 及川武宏さん(32)は当時、東京のコンサルティング会社から島根県のアミューズメント会社に転職したばかり。「まるで逃げたみたいだ」と後ろめたさを感じていた。友人の一言で心を決めた。

 ソフトバンクの孫正義社長が設立した公益財団法人「東日本大震災復興支援財団」の正規職員に応募し、面接で本心をぶつけた。「大船渡のためだけに働きたい。それ以外は興味がない」。採用され、島根の会社は2カ月で辞めた。

 少年のころは美しい海で泳ぎ、釣りに明け暮れた。県立大船渡高校時代は、サッカー部でフォワードとして活躍。小笠原満男選手(現・鹿島アントラーズ)らと全国大会で3度ベスト16入りし、町を挙げて祝ってもらった。「将来は大船渡に帰ろう」と考えていた。

 新卒で人材紹介会社に入社したが、希望の部署に行けず、半年で見切りをつけた。アルバイトをしながらニュージーランドを1年間旅行。バックパッカー向けの安宿に泊まり、ワイナリーで働いて旅行資金を稼いだ。「海外からの旅行者を、こんなふうに大船渡に集められたら」。起業を考え始めた。

 26歳で帰国し、IT系ベンチャー企業やコンサルティング会社で働いた。「待遇を気にしたことも、レールに乗らなきゃと思ったこともない。それより、たった一度のチャンスが巡ってきた時、逃さない自分になっていたい」。サッカーで学んだ教訓だった。

 今は被災地と東京を往復する生活。財団で奨学金を担当する一方、起業の構想を膨らませる。大船渡の休耕地にブドウを植え、ワイナリーを造る。空き家を改修して外国人旅行者向けのゲストハウスも造りたい。水産業の回復に時間がかかる中、内陸で産業を育てたい。古里への思いが、被災地全体の復興につながると信じている。

 「若いころの夢は空回りばかり。でも今は夢だけで終わらせない自信がある。人とつながり、人を巻き込んで形にするすべを学んだから」。これまでの仕事で一番やりがいを感じている。

◇  ◇ 小倉譲さん(34)は、介護付き旅行を手掛けるNPO法人「しゃらく」(神戸市)の代表。06年に事業を始めた。

 最初は6畳一間で仲間3人と共同生活。食事はコロッケ一つを4等分。ビジネスが軌道に乗るまで、休みはゼロだった。各自3万円の月給では暮らせず、夜もアルバイトをした。「はいあがろうぜ」と、毎日声を掛け合った。2年後、1400万円がたまり、月18万円の給与を払えるようになった。

 中学・高校時代はずっとヤンキー。誰かに認められたかった気がする。高2の時、阪神大震災に遭った。勤め先で陣頭指揮を執った父は10日間、家をあけた。「従業員もその家族もお客さんも、みんな家族。だからこの家はお前が守れ」。初めて認めてもらえた。自分も誰かの役に立ちたいと思った。

 福祉を志すきっかけは、入院していた時に知り合った年下の友人。不治の病気だった。涙を流しながら彼が言った。「俺にも夢がある。入院中ずっと本読んでたから、文章に自信がある。校正の仕事に就いたら両親に楽をさせられる」。自分とはスタートラインが違う、と打ちのめされた。社会の矛盾をなくしたいと、ソーシャルビジネスを考え始めた。

 障害者向けの服づくりを目指して入社したアパレルを、「まず利益」の社風に反発して退社。そのころ、自分では歩けない岡山在住の祖父が「生まれ故郷の徳島の神社に行きたい」と言い出した。大手の旅行代理店に介護付き旅行を相談したが「うちでは難しい」。自ら連れて行った。

 参道で祖父は車いすから立ち上がり、長い階段を自分の足でゆっくり上り切った。旅の持つ見えない力に気付いた。旅を必要とするのにサービスが届かない人たちがいる。友人たちとNPOを作った。

 「お金より大切なものっていっぱいあると思うんですよ。僕らが追求するのは、心から『ありがとう』って言ってもらうことだけ。仕事と人生、多くの人はすみ分けてるけど、僕にとっては一緒。自分で道を切り開きたい」

 事業が軌道に乗り、コンサルタント会社から「今より数倍の報酬でうちに来ないか」と引き抜きの声がかかったこともある。だが、仲間を裏切る気はない。

【丹野恒一、細川貴代】

=つづく

 ◇商売でも奉仕でもなく
 ソーシャルビジネス(SB)は、子育てや障害者の支援、貧困、医療、まちづくりなどの社会的課題の解決にビジネスの手法を用いて取り組む事業。利益追求も事業を持続的に成立させるのが目的で、一般的なビジネスやボランティアと区別される。社会的課題を解決しながら、新たな産業・雇用創出にもつながると注目されている。

 経済産業省が07~08年、SB事業者に実施したアンケートを基にまとめた「ソーシャルビジネス研究会報告書」(08年)によると、全国のSB事業者数は約8000で、雇用規模は約3.2万人、市場規模は約2400億円(いずれも推計)。組織形態はNPO法人が46.7%と約半分で、営利法人は20.5%。1団体あたりの年間収入は「1000万円以上5000万円未満」が最も多かった。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (6)誰かの役に立ちたい 社会貢献 ビジネスで」、『毎日新聞』2012年1月9日(月)付。

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http://mainichi.jp/life/today/news/20120108mog00m100009000c.html


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リアル30’s:働いてる? (7)新しいこと「俺がやる」 業界の常識に挑み 理想へ


 昨年末、大阪市内で開かれたヨガイベント。浄土宗総本山知恩院(京都市東山区)僧侶の池口龍法(りゅうほう)さん(31)は若者ら約20人の参加者と汗を流し、語りかけた。「仏教の枠にとらわれず、膝突き合わせて坊さんと話しませんか、ってところから活動しています。お坊さんのイメージを良くしたいんです」

 兵庫県の寺の長男。跡を継ぐつもりで京都大大学院に進み、仏教の文献学を学んだ。だが、家業の手伝いで檀家(だんか)のお年寄りを訪ねると、話題は天気や足腰の具合ばかり。「これって別に、僕がやらんでもいいやん」

 経典に足腰のケアは出てこない。社会と仏教との関わりに関心が移り、指導に逆らって論文を書こうとしたら猛反発を受けた。大学院は中退した。

 05年に知恩院に入ったが、約100人の僧侶がいても活気を感じなかった。「葬式仏教」と言われて久しく、その葬式も年々簡素化され、寺を訪ねる住民は減っていく。「俺たち必要とされてない?」。転職に備え、コンピュータープログラミングの勉強に走ったりもした。

 社会に関わりたいと、フリーペーパーを思いついた。隔月発行の「フリースタイルな僧侶たちのフリーマガジン」(通称・フリスタ)。取材編集は20~30代。ツイッターで知り合った人もいる。

 他宗派や宗教社会学の識者を紙面にどんどん登場させる。ホームレスや自殺者遺族を支援する僧侶が取り上げられたり、若手僧侶と研究者が日本仏教の未来を激論したり。宿坊の魅力、精進料理レシピも紹介する。若い人に仏教を伝えるためには、今までのやり方ではだめだと思う。ヨガイベントを企画したのも池口さんたちだ。

 「違う宗派と付き合って何になる」と周りは冷ややかだったが、「普通の会社でもライバルのことは学ぶはず」。若者からの反響やテレビ取材が増えるにつれ、次第に理解者は広がった。

 フリスタの事務局があるマンションの一室はオーディオ機器や仏教マンガ本が並び、小さいながら仏壇もある。1万部を発行し、京都や東京のカフェなどに置く。

 「手を合わせて育ってきた人は、生き方のシンみたいなものを持っている。でも、悩んでいる人に神さま仏さまの話も何かねえ……。そこは、一生懸命生きていかないと。みんな逃げたら、この社会良くならないから」


 東京の介護サービス業社長、左敬真(ひろまさ)さん(34)は工科大学の院生時代、高齢者施設を見学した。設計士を志し、今後は高齢者が顧客になると踏んだ。電話で適当な施設にあたりをつけて訪ねた。

 衝撃だった。徘徊(はいかい)に備えてロの字形になった廊下、白い壁は職員の掃除のしやすさを優先しただけ。尿や汚物のにおいが充満する。「一生懸命働いて生きて、最後はここで死ぬの?」。こんな老後は嫌だ、こんな場所で介護されるのはまっぴらだと思った。

 設計士になる夢をいったん脇に置き、介護業界を志した。現場を知ろうと、ヘルパー2級の資格を取って高齢者施設で1年間ボランティアをした。とにかく焦っていた。「早くちゃんとした介護インフラを作らないと、自分が先に老いる、やばい」

 24歳で株式会社「いきいきらいふ」を設立し、元手のかからない訪問介護から手がけた。当初は年上のスタッフばかり。自分なりの理念を伝えても、逆に「教えてあげようか」と下に見られた。それでも、全国初となる短時間の入浴専門デイサービスを始め、フランチャイズ方式での拡大も目指す。理想は自分が50年後に受けたい介護。「誰かがやるだろう」ではなく「俺がやる」。

 経営はまだ綱渡りだが、充実している。従業員は115人にまで増えた。昨年11月には、東京の日比谷公会堂で「第1回介護甲子園」を開いた。応募した135の事業所が取り組みを発表し、魅力ある介護サービスを競った。

 介護業界の仕事はきつい。給与水準は低く、離職者が多くて慢性的な人手不足。そんなイメージを変え、優れた介護に取り組む事業所に光をあてたいと思った。そこで働く人と介護される人が、もっと希望と夢を持てるようにと。

 「どうせみんな、いつかはお世話になるんなら、介護業界をもっと楽しくしたい」

 上には上がいる。自分の会社も応募したが最終選考に残らなかった。「次は優勝を目指すよ」【細川貴代、青木絵美】
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? (7)新しいこと「俺がやる」 業界の常識に挑み 理想へ」、『毎日新聞』2012年1月10日(火)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120110ddm013100007000c.html


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リアル30’s:働いてる?/8 人生設計、目指さない 心地よさ求めフリーター

 黒いケープをまとい、手になじんだ78枚のタロットカードを机に置いて一呼吸。28歳のケイさん(仮名)=京都府=に「占師」のスイッチが入る。占い館に週2日座り始めて3カ月がたった。

 両親は国語教師。幼いころから塾に通い、受験勉強に明け暮れた。私立女子高から京都の名門女子大に進学し、そこで力尽きた。「もう私終わっていいですか、みたいな。その後はまるで余生」

 受験勉強以外の道を示されず、合格した後どうなるかも教えてもらえなかった。精神的に不安定になり、リストカットするようになった。授業には出たが、就職活動に興味を持てない。

 一足先に短大を卒業し地元の銀行に就職した友人は、簿記の試験勉強に悲鳴を上げていた。受験地獄の無限ループ。「ここにはまってはいけない」。早逝した樋口一葉や自殺した太宰治に自分を重ね、人生設計に背を向けた。

 「どの会社に行ってもつぶれる時代。シューカツをしなくても私を裁ける人はいない」--卒業後、フリーターになっていた。

 2年後、母親に誘われて高校の非常勤講師になった。生徒たちと好きな作家の話で盛り上がれたが、翌年、月給制から時給制に変わり収入が減った。授業の下準備など時間外の努力が無視されたようで悔しかった。結局、1年余りで辞めた。

 友人にタロットの勉強会に誘われたのはこのころだ。

 もともと占いに興味があった。大学4年の時、有名占師に「あんたは個性が強いから一般企業は無理」と断言され、胸のつかえがとれた気がしたからだ。「自分のせいじゃなく、何か大きな力が働いていると思えば楽になれる」。あるがままの自分を受け入れられる占いに夢中になった。

 稼ぎは完全歩合制。発掘調査のアルバイトと合わせて月収は10万円ほど。実家は出られない。両親も何も言わない。

 安定した職を目指さない自分は、世間から見れば「逃げている」のか。だが「今は、すごく安定している」と感じている。

 総務省の労働力調査によると、10年の25~34歳のフリーターは約97万人。前年より6万人増えた。国はフリーターの正規雇用化のため「若年者等試行雇用制度」などを進めているが、そもそも「正規雇用を望んでいない、望めない」若者も少なくない。

      ◇  ◇

 耳障りな電子音が鳴り響く。30歳のショウタさん(仮名)の最近の職場は、東大阪市内のゲームセンター。「いかにもゆるそう」が選んだ理由だ。午前中から、学校をサボった中学生や高齢者が遊びに来る。「他に行き場はないのか」と思ってしまう。

 子どもの頃の夢は「普通のサラリーマン」で、普通に大学を出て、みんながなるものだと思っていた。

 高校を出てストレートで京都の有名私大に入った。1カ月後、朝起きられなくなった。特定の友だちとつるめる「学級」がなく、居場所を見付けられなかった。「おれは死んだ方がいい」と思った。

 中退後は絵に描いたようなフリーター生活。親は「専門学校でもどこでも、勉強するなら金は出す」と言う。20代半ばで東京のタレント養成学校に通った。同期生はマジで夢を追っていた。次第に足が遠のいた。

 両手の指で足りないほどの仕事を経験した。すべて短期や単発。ホストやアダルトビデオ男優も。今やりたい仕事は特にない。

 サラリーマンになるのに、そんなに強い動機がいるのかとも思う。実家暮らしで家と食べ物には困らない。CDを買う金と、サッカーで汗を流す時間だけ欲しい。

 「みんな仕事仕事って言い過ぎちゃう? 仕事って気持ちよく生きるための手段やろ」。強がりか本音か、自分でもよく分からない。【反橋希美、鈴木敦子】=つづく
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる?/8 人生設計、目指さない 心地よさ求めフリーター」、『毎日新聞』2012年1月11日(水)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120111ddm013100136000c.html


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リアル30’s:働いてる?/9 理想の仕事、追い求め 「はまる何かがあるはず」

 夢が見つかれば一直線に進む。合うか合わないかは体験してから決めたい。

 関西地方の実家で暮らす29歳のヒロアキさん(仮名)は高校時代、大好きなプロレス雑誌の広告に目を留めた。「日本人練習生を募集」。中米プエルトリコで活躍する日本人レスラーが「後輩」を探していた。柔道の経験もある。高校卒業後、迷わず海を渡った。入学金30万円は親が出してくれた。

 だが共同生活が予想以上にこたえた。夜は雑魚寝。洗濯など身の回りのことは自分でやらなければならない。「練習には耐えられたけど……」。1カ月もたずに帰国した。

 フリーターを経てIT系の専門学校で資格を取り、卒業後はシステムエンジニア(SE)になった。ものづくりの現場にあこがれて入社し、徹夜も苦にならないほど働いた。だが、お客の顔が見えない仕事に不満が募り、2年で辞めた。

 その次は警察官。かっこよくて、人の役に立てると期待した。しかし交番に配属されてすぐ、嫌気が差した。当直の夜は仮眠すら取れない日もある。「疲れた体でいい仕事ができるはずがない」。仕事は法令にがちがちに縛られ、事務作業も半端でなく多い。「クリエーティブな仕事じゃない。世界一、自分に合わない」。約1年で辞めた。迷惑をかけた人も多く、申し訳なく思う。だが、やりたくない仕事に時間を取られるなんて無駄、夢に向かって努力するのが好きだ。

 今は、電子書籍の仕事をしたいと思っている。「趣味が読書だから。これから成長しそうだし」

    ◇  ◇

 「今の30代が就職活動をした2000年代初めは、小泉改革を背景に『社会は変わるかもしれない』という期待がふくらんだ時期」と、中央大教授の山田昌弘さん(家族社会学)は指摘する。

 IT系を中心に新興企業の若手社長がメディアをにぎわし、「ベンチャー企業がどんどん出て、チャレンジすれば大企業の社員や公務員でなくても将来が開けるように見えた」。その結果「収入はなんとかなる。やりたい仕事をしている方が幸せ」と、やりがい重視の若者が増えたといわれる。「自分探し」もブームだった。

    ◇  ◇

 32歳のメグミさん(仮名)はテレビ業界にあこがれ、番組制作会社に入った。だが、退職の日が近づいている。

 04年に国立大を卒業し、最初は中堅のIT企業に就職した。SEの仕事は「一生懸命やったけど、お金のためだけに働く感じ」。夜遊びする方が楽しかった。そのうち夜遊びに疲れ、「仕事ぐらいは楽しくやろうか」と、転職を考えた。

 自宅近くの行きつけの飲み屋で仲良くなった常連さんに、東京都内の小さな番組制作会社を紹介され、即決した。当初は年収が約170万円ダウンしたが、気にならなかった。

 給与明細がなく、社長の機嫌次第で給料が変わった。知らないうちに、契約社員から正社員になっていた。数日勤めただけで姿を消す社員もいた。むちゃくちゃな会社だったが、ディレクターに昇格してがぜん楽しくなった。自身の裁量が大きく、クリエーティブでやりがいがあった。体力的にも苦じゃなかった。

 だが、次第に疲れてきた。取材相手に無理に頼んで映像を撮らせてもらい、嫌がることもやってもらう。視聴者より制作や営業の都合を優先した。「『テレビ的』な物差しで作った番組を、視聴者が求めているのか」と悩んだ。

 ある時、編集テープにミスがあった。テレビ局側から指摘され、ミスに気づけなかったことを正直に話したら、上司からは「うそぐらいつけなきゃ社会人失格だぞ」と怒られた。適当にごまかせば済んだ話かもしれない。でも心に引っ掛かった。「社会人としてうそをつく場面があるのは理解していた。でも突き詰めて考えたら、うそをつかない生き方の方がいいんじゃないのと」。昨年11月に退職を申し出た。

 次に何をするか、全然決めていない。だが「次の仕事を一生の仕事と考えない」ことだけは決めている。貯金はわずか、家賃の支払いもおぼつかない。でも、人にはそれぞれ魅力があり、その人に向いた職業があると思う。「一つのことを続ければ、ある種の才能が生まれるのかもしれない。一方で、もしかしたら、自分にすごくはまる何かが、まだどこかに残っているかもしれないとも思ってしまう」【鈴木敦子】=16日から識者インタビューを掲載します

 ◇個性尊重の社会で成長
 厚生労働省が10年度に労働者約2万人(有効回答7991人)に実施した「能力開発基本調査」によると、語学教室に通ったり、インターネットで自習したりするなどの自己啓発をしている正社員は41.7%。自己啓発にあてた平均時間は30代は95.7時間で、20代の74.4時間、40代の80.8時間、50代の79.7時間より長かった。費用の平均も30代が6万円と突出。20代は4万6000円、40代は4万7000円、50代は5万6000円だった。

 30代が義務教育を受けた時代は主に、80年代から90年代にかけて。学習指導要領が改定され、学習の負担を軽減する「ゆとり教育」にかじが切られたころと重なる。キャリア30年の女性小学校教諭(58)は「詰め込み教育が批判され、勉強ができるできないに関係なく、子どもの個性や『自分らしさ』の尊重を社会が求めた時期だった」と振り返る。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる?/9 理想の仕事、追い求め 『はまる何かがあるはず』」、『毎日新聞』2012年1月12日(木)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120112ddm013100036000c.html


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リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/上 社会学者・古市憲寿さん/作家・津村記久子さん

 生きづらい時代を懸命に生きる30代を追った連載「リアル30’s」に、多くの反響をいただきました。研究者や当事者世代の識者に、30’sが生きる今の時代を、共感や応援の気持ちとともに語ってもらいました。3回に分けて紹介します。

 ◇「がんばる」職場も仕組みもない--社会学者・古市憲寿さん(27)
 若者に「がんばれ」と言う上の世代に、都合の良さを感じます。若者が能力を発揮できるような社会を作ってくれるなら、ありだと思うんですが。

 昔は、ずっと会社があって自分も成長できて、年功序列で上がっていけたから、若い人は安い給料でがむしゃらにがんばれた。今は大企業でもつぶれちゃう。散々働かされて突然職を失うリスクを、若者も引き受けざるを得ない。

 例えば、キャリアアップしたいと思っている人でも、高卒で特に資格がないままフリーターを繰り返して25歳になると、ちゃんと働ける職場もレベルアップする仕組みもない。いくら「がんばれ」って言われても、はしごが用意されていない。非正規の仕事がたくさんあるだけ。だから、若者に「がんばれ」と言うのなら、お金か権利かチャンスを渡さないと意味ないですよね。これは社会問題だと思います。

 派遣への置き換えや若年労働力の使い捨ては、短期的には合理的な話です。でも中長期的には日本の良質な労働力を空洞化させるだけ。日本の国力をそぐ。ただし、若者自身はその問題に気付きにくい。20代は社会に出たばかりで目の前の仕事をこなすしかないし、フリーターも正社員も収入に大差がない。顕在化するのは30代になってからです。

 しかも、キャリアや家族のことをそろそろ決めなきゃいけない。若者気分でもいられるので、ちょうど端境期。今は結婚にしても独り立ちにしても「何歳までに」という社会規範が弱くなり、大人になったという意識を持ちにくい。自由に生きられる分、路頭に迷う人も増えていると感じる。

 内閣府の生活満足度調査を見ると、20代の6割が将来に不安を抱いている。現状に不満はなくても、安定した足場がほしい、堅実に生きたいという人にとって、生きづらい社会になっているのは確か。正社員のパイはどんどん減り、9時5時で働けるような仕事や、そこそこの給料でちゃんとした働き方ができる仕事がなくなってきている。

 「今どきの若者には覇気がない」「もっと怒れ」という上の世代に対しては、勝手に言ってればいいんじゃないかなと。ポストに就いて権力もある方は、若者に期待するだけでなく、自分たちで世の中を良くしてもらいたいですね。【聞き手・鈴木敦子、写真・木葉健二】

 ◇勤勉さや忍耐力、もっと認めて--作家・津村記久子さん(33)
 私もそうですが、今の30代って疲れてますよね。でも、それを言いにくい雰囲気がある。だったら「疲れている」ということを肯定的に描いてみようと、「ワーカーズ・ダイジェスト」という小説を昨年、発表しました。

 ワーカーズ・ダイジェストもそうですが、私は“普通のOL”の話を書きたくて、今も土木関係の会社で働き続けています。会社から帰宅後に仮眠し、深夜2時間、執筆。毎日原稿用紙3~4枚ずつ仕上げるようにしていますが、会社員をしているからこそ、執筆に必死に追われずに済んでいるのかも。基本的に働くのはしんどいと身にしみているので、仕事も小説も淡々とやっています。

 私たちの世代は、キャリアアップは望めそうにないし、年金ももらえそうになく、働くメリットはもはやあまり感じられない。生涯賃金のめどでも分かれば、今後の働き方を考えられるのかもしれないけど、それすらよく分からず、ただ修行のように働いている。雑誌などで紹介されているロールモデル的な人を見て、私もと思ってきたけど、理想と現実のギャップを感じている人は多いのでは。

 特に私は就職氷河期世代。「内定取れなかったら人間失格」というぐらいつらい思いをした。それだけに、職場で多少の苦労をしても、自分に腹が立つぐらい心や気持ちが折れない。ワーカーズ・ダイジェストの書店用ポップで「自分の頑丈さが嫌や」と書きましたが、異常なまでに耐久力が強い世代な気がします。

 今の幸せ度は50%ぐらいかな。少しでも上げていこうというのではなく、最低限の50%が確保されていれば「悪くないな」という感じ。ほかの人やほかの世代と比べて幸せかどうかと問われても、幸福は比べるものではないので、その問い自体に意味がない。

 今日は不幸でも、今まで知らなかったいい本やいい曲に出合うかもしれない。そんな感じで、幸せな気持ちはちょっとずつでも更新できると思う。あきらめなくていいとは思います。最近仕事で悩んでいて、先日、生まれて初めて占いをしてもらいました。悪いことは言われなかったし、自分でも意外に楽しめた。まさにそんな感じ。

 私たちの世代の上昇志向のなさは、逆に目標設定の確かさだとも思います。勤勉さや忍耐力は後から獲得しづらいもので、誇っていいものだし、もっと認めてもらえたらと思いますね。【聞き手・大道寺峰子、写真・大西岳彦】

人物略歴

ふるいち・のりとし 1985年東京都生まれ。東大大学院博士課程在籍。主な著書に「希望難民ご一行様:ピースボートと『承認の共同体』幻想」「絶望の国の幸福な若者たち」。

つむら・きくこ 1978年大阪市出身。大谷大文学部卒。05年、太宰治賞を受賞した「マンイーター」で小説家デビュー。09年「ポトスライムの舟」で芥川賞を受賞。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/上 社会学者・古市憲寿さん/作家・津村記久子さん」、『毎日新聞』2012年1月16日(月)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120116ddm013100007000c.html


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リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/中 首都圏青年ユニオン書記長・河添誠さん/中央大教授・山田昌弘さん

 ◇人材育成、放棄した企業--河添誠さん(47)
 非正規雇用の増加は1990年代半ばに加速し、2000年代にさらに進みました。でも当時は不況のせいだと思われていた。「景気が回復すれば元に戻るよ」と。現実は違って、以前とは全く違う世界が眼前に現れている。

 特にここ10年の最大の変化は、企業が人を育てなくなったこと。基幹産業ではまだ新人に職業的訓練を受けさせているが、多くの産業でそんな悠長なことができなくなった。派遣労働者や契約社員で、かつ技能を持つ人を、安いコストで期限付きで雇う。「人を育てる」という基本的な考えを放棄している。

 その波は正社員にも及んでいる。使えるかどうか、働けるかどうかの判断がすごく速い。だから新卒切りや退職勧奨が増える。そこに優秀な非正規労働者をはめ込み、低賃金のまま正社員と同じきつい仕事をさせる例も多い。職を失うことへの恐怖からだれも企業にあらがえず、体や心を病んだり、過労死する人が出る。正規・非正規を問わず、30代が一人で背負うにはあまりにもひどく、きつい労働環境が日本を覆っている。

 新卒で就職に失敗したり、いったん会社を辞め派遣やアルバイトを長く続けると、職業技能は身に着かない。だから転職も難しい。年齢が上がるほど門は狭まる。

 30代は、単に仕事が見つからない以上のしんどさを抱え込んでいると思う。いつまでも一人前扱いされず、社会的存在として認知されない。カネがなく、恋人もおらず、結婚を望めない。排除された感覚を内面化してしまう。

 これを「自己責任」に落とし込んではいけない。社会の構造変化が大きな要因だから。まともな仕事に就き、職業人として生きられるよう求めることは当然の権利です。私たちがそのことを理解し、彼らの職業技能を伸ばし、労働市場に入りやすい仕組みを作らないといけない。一番はやはり、公共職業訓練を充実させること、不安定な雇用を法律で規制することです。

 みんな、がんばらなきゃいけないと思い込まされている。でも、人生にはがんばれない時もある。独りで悩まないで、いろいろな人と相談できる関係を作ってほしい。大変な時代だが絶望する必要はない。「みんなでつながって生きていこう」と言いたいですね。【聞き手・戸嶋誠司】

□首都圏青年ユニオン
本部は東京都豊島区南大塚。
電話03・5395・5359。
メールunion@seinen-u.org


 ◇「社会変わる」予感、期待外れ--山田昌弘さん(54)
 今の30歳前後が就職活動を始めた2000年代初めは、社会が変わりそうな予感があった。ベンチャー企業が注目され、正規社員と非正規社員の格差もなくなるような期待が持てた。足元の景気は不安定だけれど、いろんなことにチャレンジできそうだ、と。

 法科大学院ができたり、カウンセラーやファイナンシャルプランナーなどの専門職志向が強まったのもこの頃。組織に頼らずフリーでもキャリアを積めそうだと思えた。

 私も期待を抱いた一人。「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」という家庭に育った人が多く、親の堅実な人生が平凡でつまらなく見えた反動もあるだろう。「お金は何とかなるに違いない。プラスアルファとしてのやりがいを優先したい」という価値観が強く、「自分探し」もはやった。

 しかし、結局、期待したような社会にはならなかった。夢を持って新しい職種に挑んだ結果、成功した人は一部だけ。大部分は期待外れに終わっている。

 法科大学院が典型的だ。社会が流動化し、訴訟が増えるから法曹人が必要だとされたが、逆に弁護士さえも職探しに走る時代になった。

 能力はあるのに、不安定で低収入のまま放置されている人が結構いる。本人はこれまでの努力が報われる仕事がしたいから、専門職なら非正規や非常勤職員でも喜んで引き受ける。今さら違う道にと言われても、気持ちを切り替えられないし受け皿もない。

 残念ながら、その辺の事情が親には分からない。大学院に行ったり、専門的な勉強をしたのになぜ就職できないの?となる。「やる気があるならできるはず」と。しかも二極化しているので「よその子は定職に就き、結婚もしているのに」と考えてしまう。親は、安定雇用を享受した最後の逃げ切り世代だ。

 もちろん昔も非正規の人はいた。しかし、かつてはパート主婦など扶養してくれる人がいる中での非正規だったのに対し、今は社会に出てから非正規のまま年月を重ねている人が増えた。その最初の世代が現在の30代だ。芸術家などの夢を追って非正規を続けた人も、バブルの頃までなら、夢に見切りをつければ定職が見つかった。今は、夢をあきらめた時には仕事がない。30代男性の自殺者増加とも関係があるだろう。社会全体で考えなければならない問題だ。【聞き手・鈴木敦子、写真・手塚耕一郎】

人物略歴
かわぞえ・まこと 1964年生まれ。00年、一人でも入れる若者のための労組「首都圏青年ユニオン」結成に参加。06年から書記長を務める。
やまだ・まさひろ 1957年東京都生まれ。中央大文学部教授。「パラサイト・シングル」などの造語がある。著書に「ワーキングプア時代」、共著で「『婚活』時代」など。    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/中 首都圏青年ユニオン書記長・河添誠さん/中央大教授・山田昌弘さん」、『毎日新聞』2012年1月17日(火)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120117ddm013100014000c.html


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リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/下 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん/京都大准教授・内田由紀子さん

 ◇不条理感こそ生きづらさの実相--内田樹さん(61)
 就職氷河期に直面した世代(30代)は社会の不条理を思い知らされたはず。頭が良く、性格も問題ない、教師からも評価された学生がなぜか就職できない。一方、思いがけない人が早々と内定を手に入れる。若者たちが一番苦しむのは、この採否の基準が明らかでないところ。努力の仕方が分からないのだ。

 だから、仮に正社員に採用されて働き始めても不安は続く。同じ職場の非正規労働者と比べても、能力にそれほどの差はないと実感している。「君の替えなんかいくらでもいるぞ」という上司に反論できず、どれほど労働条件が悪くなっても堂々と是正を求められない。そういう条件で働く若者に向かって「覇気がない」と言うのは気の毒だ。

 採否の基準を明らかにしない、格付けの根拠を示さないのは、労使間に権力の非対称性を作り出すための「仕掛け」。若者たちはおびえ、自信を失い、自分を「いくらでも替えのきく使い捨て可能な労働力だ」と信じ込まされた。彼らは、どれほど劣悪な雇用条件に対しても異議申し立てができない。

 日本の企業はこの30年間、子どもたちを「規格化」することを学校教育に強く求めてきた。缶詰や乾電池のように規格化することで、「英語ができて、ネットが使えて、一日15時間働けて、上司の査定におびえる若者」が量産された。企業は「能力は高いが賃金は安い労働者」を手に入れた。今の雇用環境は、官民一体で国策的に作り出されたものだと思う。

 規格化された労働者は連帯することが難しい。集団の連帯のためには「僕はこれができる、君はあれができる」というふうに能力がばらけていることが必要。それぞれが自分にない力を持っているから敬意を抱くことができる。でも、規格化され、似たような社会的能力を持つ者が集まっても集団のパフォーマンスは上がらない。

 経済のグローバル化は世界中で若い労働者の雇用を直撃している。遠い他国での国債の暴落や政変、自然災害で、突然自分の会社の売り上げが吹き飛び、クビが伝えられる。「なぜ?」と尋ねても誰も答えられない。個人の能力や努力とかかわりなく生活が崩壊する。その不条理感が現代の「生きづらさ」の実相ではないだろうか。個人的な努力で未来を切り開くことができないという無力感ほど、若者の心をむしばむものはない。【聞き手・水戸健一、写真・川平愛】

 ◇結びつき求める若者、社会の福音--内田由紀子さん(36)
 東日本大震災の前後に、20~30代の若年層の幸福度を、内閣府経済社会総合研究所で調べました。約6割が震災後、人生観になんらかの変化があったと回答し、特に結びつき重視の傾向が上昇していました。一方、地震前から幸福度が低く、震災の影響を受けずに幸福感が低いままだった人も4割いました。そうした人たちは正規か非正規雇用かに関係なく、若者のどの層にもまんべんなくみられました。

 これには心の余裕が関連しているのではないでしょうか。周囲からは恵まれているように見えても、自分のことで精いっぱいでストレスや孤独感を抱えている人がいる。ニート・引きこもりが顕在化した世代であり、バブル崩壊後の経済的情勢の他、親世代との価値観の相違や関係性の変化も影響したと思います。

 ブータンの幸福度が話題になっていますが、日本でも先月、内閣府の「幸福度に関する研究会」で幸福度指標試案を発表しました。ブータンは仏教的思想が幸福感と結びついていますが、こうした精神的よりどころを現代の日本の30代が見つけ出すのは困難です。今の30代前半が中学高校生の頃の95年には、阪神大震災とともに、オウム真理教の地下鉄サリン事件もあり、厳しい世相の一方で、「宗教的な何か」をタブーとする風潮さえも生じてしまいました。

 30代後半の団塊ジュニアは、個人主義化する社会の中で見せかけの選択肢だけが増えていった世代。日本では個人主義と利己主義が取り違えられがちで、関係を断ち切って初めて自己実現ができると考えてしまう傾向があります。「自分探し」とよくいわれましたが、これといった規範はなく、何でも選べるようにみえて実際は選べる物は多くない。なのに、選択の責任は自分で取らなければならない。

 一方で、今の20代や30代前半には揺り戻しがあり、周りとの協調性を大事にしたいという傾向が高まっています。先の調査で、結びつきを見直そうとしている人たちは幸福度が高かった。他者や社会に何か働きかけようとしている若者がいることは、社会の福音になると期待したい。

 「自分」は一人で見つけようとしても見つからない。社会や関係性の中に身を置いて初めて見つかるのだと思います。幸福についても、「私の幸福」ではなく「社会の幸福」を追求する時代が来ているのかもしれません。【聞き手・大道寺峰子】

人物略歴
うちだ・たつる 1950年東京都生まれ。神戸女学院大名誉教授。仏現代思想専攻。映画論から武道論まで幅広く発言している。

 うちだ・ゆきこ 1975年兵庫県生まれ。京都大こころの未来研究センター准教授、内閣府「幸福度に関する研究会」委員。
    --「くらしナビ:リアル30’s:働いてる? 識者に聞く/下 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん/京都大准教授・内田由紀子さん」、『毎日新聞』2012年1月18日(水)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120118ddm013100142000c.html

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君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る

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 君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香かをも 知る人ぞ知る 紀友則
     --0038「巻一 春歌上」、『古今和歌集』

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ちょいと用事があって近所をまわっていたのですが、造園やの植え込みの梅のつぼみが大きくなっておりました。

これから一ヵ月、すさまじい寒さが東京を包み込むことでしょうが、その風雪にたえ、まもなく、その大きな花びらを開かんとする自然のたくましさに、ハッと息を呑む思い。

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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『原子力 その隠蔽された真実』=ステファニー・クック著」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『原子力 その隠蔽された真実』=ステファニー・クック著


 (飛鳥新社・2415円)

 ◇「平和と軍事」論争の秘められた歴史に迫る
 何が隠されていたのか。

 まず、アメリカの国務長官アチソンと、TVA(テネシー河流域開発公社)で有名なリリエンソールが書いた、五五ページの原子力の国際管理についての報告書であろう。それは、アメリカの原子力科学者を代表するオッペンハイマーの指導のもとでつくられた、という。

 その内容は、原子力の平和利用と軍事利用は、わけられないこと、したがって、核分裂物質の採掘・加工等のすべてを新たにつくられた国連が管理し、各々の国や企業がこれを行うことを禁ずる、というものであった。書かれたのは一九四六年三月のことである。

 このことは重要である。それは、アメリカが独占している原子力の支配を、自ら手ばなし、国際機関のもとに置き、封印することを意味しているからである。それが核の脅威から人類を守るための唯一の道であると、この人たちは考えたのである。理想主義が支配していた戦後のアメリカならではといいたい。

 だがこの報告書は修正された。国連原子力委員会のアメリカ代表バーナード・バルークによってである。重要な修正点は、核分裂物質の採掘と精製を私企業にゆだねたことである。

 かれは、自由放任の資本主義が正しいと考える今日でのフリードマンのような人間であり、その信念どおりインサイダー取引を自由に行い、財をなし、政界に進出した男だったという。この修正を知り、オッペンハイマーは絶望した。核拡散の危険がおこると。

 一九五三年のアイゼンハウアー大統領の国連での原子力の平和利用演説は、このバルークの線上のものであり、これによって原子力発電とともに核の拡散の危険性が世界的に進むことになる。

 アイゼンハウアーの国連演説の翌五四年、ソ連の外相モロトフは、アメリカのダレス国務長官とジュネーブで会談したとき、「原子力エネルギーの産業利用は、軍事利用拡大の潜在性を排除しないばかりか、それに直結する可能性がある」と批判したという。このモロトフの考えは、著者が書くように、アチソン=リリエンソール報告書の主張と同じである。モロトフはソ連の五人の科学者からの報告にもとづき、このような主張をしたのであり、この会談でダレスを追いつめている。知られていない事実である。

 原子爆弾の開発にたずさわった科学者は、ナチスドイツが、その開発を試みているということへの危機感から、それを抑止するために開発に参加した人が多い。その爆弾が日本に落とされ、多数の市民を殺したことに衝撃を受けている。だが開発に関係した軍人たちは対ソ連を早くから強く意識していたことを、著者は明らかにする。

 この流れは、マッカーシーの非米活動委員会の赤狩り--誰も彼も共産主義の同調者として糾弾する流れと共鳴していくが、国務長官アチソンとリリエンソールも、かれらによって共産主義の同調者とされている。

 著者は原子力発電所の二大事故、スリーマイルとチェルノブイリについても、それぞれ一章をさき、フランス、イギリスが核保有国になるために原子力発電に進む経緯や、イスラエル、中国、インドが核保有国になることについてもふれているが、この日本版のために別章をもうけ、「三・一一巨大地震襲来」を付け加えている。事故の実態を追うこと、みごとというほかない。あらためて感心した。

 作家池澤夏樹の解説もよい。私には一六章のサッチャーの関連が面白かった。(藤井留美訳)
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『原子力 その隠蔽された真実』=ステファニー・クック著」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120115ddm015070021000c.html

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なにかを知るということは、身軽に飛ぶということではなく、重荷を負って背をかがめること

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 私が学校教育や読書から得られる知識に重きをおかないのは、やはり同じ理由からです。人々は知識を得るということに、根本的な錯覚をいただいている。人々はなにかを知っているということによって、より高く飛べるようになると思っているようです。いままで知らなかった世界が開けてくると思うのでしょう。が、それは反面の真理にすぎない。なるほど、峠の上に立った人は、谷間にうごめいている人より、周囲をよく見わたせるかもしれません。が、こういうことも考えてみなければならない。一つの峠に立ったということは、それまで視界をさえぎっていたその峠を除去したことであると同時に、また別のいくつかの峠を自分の目の前に発券するということであります。あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります。
 さらに、それは、そのもっと大きな世界を知らなければならぬという責任を引き受けたことを意味します。とすれば、なにかを知るということは、身軽に飛ぶということではなく、重荷を負って背をかがめることになるのです。人々は知識というものについて、その実感を欠いてはいないでしょうか。
    --福田恆存「教養について」、『私の幸福論』ちくま文庫、1998年、81-82頁。

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16日の月曜日で短大の哲学の授業、最終講義。

2011年度は怒濤の一年だったと思いますが、前期の履修生のみなさま、そして後期の履修生のみなさま、くだらないわたくしの講座を受講してくださいまして、先ずはありがとうございます。

授業中にも言及しましたが、わたし自身、あまり「教員」の“自覚”がありませんから(汗、ヤクザ?のようなものの謂いで驚かすことが多々ありましたが、ご了承下さいまし。

さて……
こちらも何度も繰り返しましたが、知識が潤沢=教養ではありません。

教養の軸を扱う哲学の授業でしたし、そしてそもそもの前提からいえば「知識はないよりはあった方がいい」ことはいうまでもありませんし、「漢字を知らない」ことは「知識がないから恥ずかしいこと」と道義ではありませんが、知らないのであれば「知る努力」を怠ることは恥ずかしいことです。

それをふまえたうえで、「知識が潤沢=教養」ではない。

だとすれば、いくつかあるうちのその一つの核とは何でしょうか。
やはり、それは、知ることによって責任ある人間として生きていくということにつきると思います。

自覚的な生をどれだけ選択することができるのか……ということでしょう。

知識は増えれば増えるほど、確かに、裾野で見通すという状態よりは、峠の頂から俯瞰する位置に立つということでしょう。

たしかに、三六〇度のパノラマを見通すことが可能になると思います。
ただし、それは同時に自由であるという意味でもありません。

思想家・福田恆存(1912-1994)は、「あることを知ったということは、それを知る前に感じていた未知の世界より、もっと大きな未知の世界を、眼前にひきすえたということであります さらに、それは、そのもっと大きな世界を知らなければならぬという責任を引き受けたことを意味します。とすれば、なにかを知るということは、身軽に飛ぶということではなく、重荷を負って背をかがめることになるのです」と指摘しております。

この矜持を持ち合わせながら、世界から退くのではなく、格闘するなかで、教養が“醸し出されてくる”人間へと成長していきたいですね。

そのために、大学という「手段」はあるはずです。
資格をとってナンボ……それが悪いわけではありませんよ、念のため……で終わらない「全体人間」としていきていく、世界との有機的な関係を放擲することなく、そのなかで、自分で考え、ひとびととそれをすり合わせていく、その一つのきっかけになればと思い、15回の講義をさせていただきました。

鳥は空を自由に飛びます。
しかし、飛ぶ自由にはかならず負荷がかかります。
それを引き受けながら生きていく……そう、力強い人生を歩んで欲しいですね。

まあ、偉そうなことをまたぐだぐだ並べて申し訳ないのですが、ともあれ、授業への参加、ホントにありがとうございました。

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『カエルの声はなぜ青いのか?』=ジェイミー・ウォード著」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『カエルの声はなぜ青いのか?』=ジェイミー・ウォード著


 (青土社・2310円)

 ◇共存する感覚から学ぶヒトの不思議
 音がすると同時に色を感じる人がいる。これを色聴(しきちょう)という。コオロギの声が赤く、カエルの声が青かったりする。一般にこうした感覚の共存を共感覚と呼ぶ。欧米でよく知られているのは、アルファベット文字に同時に色がついて見えるという事例である。どんな色がつくかは、人によって多少異なる。しかしデタラメということはなく、八割くらいの共感覚者が同じ色を見るという報告もある。

 この本は共感覚に関する総説である。共感覚の研究史からはじまって、赤ちゃんの知覚の発達、さまざまな感覚どうしの関係、具体的には多感覚知覚という、ふつうの人にも見られる違った感覚の共存、空間と共感覚、最後に共感覚の進化的、社会的意味を論じている。共感覚に関心のある人には、ぜひ読んでいただきたい本の一つである。

 著者は英国の現役の研究者で、共感覚の専門家である。そのため記述がやや専門的に思えるかもしれないが、趣旨は一般向けで、読むために特殊な予備知識は必要ではない。共感覚はすべての人にあるわけではないので、一般の人からヴォランティアを探す必要もあり、そうした人たちの理解を得るためにも、ふつうの市民にわかるように、共感覚を説明する訓練が著者にはできているのだと思う。おかげでこういう一般書ができたわけである。

 他人がなにを知覚しているのか、根本的にはわからない。それを論じるとクオリア問題になってしまう。私の見ている赤と、あなたの見ている赤、その見え方が同じかどうか、という問題である。著者はそういういわば抽象的な議論はまったくしない。共感覚を持つ人が実際にどう感じているのか、ふつうの人と違う点があるとすればそれはどこか、どういうテストでそれがわかるか、そういったことを扱う。

 共感覚を持つ人は、脳の中の配線が違うのだ。著者はそういう結論で終わりにするわけでもない。なぜなら、感覚はじつは面倒な課題をたくさん含んでいるからである。たとえば五感という言葉があるが、最近の議論では感覚の種類は二十を越えるという。ヒトについては、じつはわからないことだらけなのである。

 ふつうの人でも持っている、共感覚に似たものを著者は多感覚知覚と呼ぶ。食物についての感覚は多感覚知覚の典型である。「味、匂い、温度、手触り、色、さらには噛(か)んだときの音」まで加わっている。しかもそれが同期することが多い。しかしこれは著者がいう共感覚そのものではない。でもその基礎になっている可能性がある。日本の伝統であるお香では、匂いは味で分けられている。過去にこれを定めたお香の家元は、ひょっとすると共感覚者だったかもしれない。しかし共感覚がなくても、この分類は納得できる。

 この本でとくに興味深いのは、著者の調査しているさまざまな実例である。表題のカエルの声もそうだが、数字が空間の中にある形で配列したり、色がついたりする。私も個人的に聞いたことがある。その人の場合、歴史の年代が丸に配列していて、鎌倉時代はこの辺などと、いわば時計の針で示すようにするのである。オーラも一種の共感覚として理解できる。共感覚者はさまざまな事物に色が伴ってしまうことがあるからである。

 こうした知識が普及すれば、共感覚者も周囲の人たちも、もっと感覚や脳について考えるようになるだろうと私は期待している。共感覚者は決してヘンな人たちではないのである。(長尾力訳)
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『カエルの声はなぜ青いのか?』=ジェイミー・ウォード著」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120115ddm015070006000c.html

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覚え書:「時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子

 ◇欠けていた俯瞰と総合
 新聞が好きだ。毎日、朝日、日経の3紙をざっと読み、大事だと思われる記事を切り抜き、3カ月に1回の割合で読み直す。3カ月前には「点」であった記事が、時間による熟成によって情報として適度になめされ、線となり、面となる経過を味わえる。
 例を一つ挙げておこう。昨年9月29日付「朝日新聞」朝刊で、酒井啓子氏が「あすを探る」という欄に「専門知を結ぶシステムを」と題して寄稿していた。中東研究者として酒井氏は、テロや「アラブの春」をなぜ予想しえなかったのか、と批判されることがよくあったという。
 日本の中東研究は、専門的にみて高いレベルにあるのは間違いない。だが、明快な解説で知られる酒井氏が、弁明に終始するはずはなく、コラムはこう締めくくられる。これまで社会科学は、個々の専門家の知識を俯瞰(ふかん)して総合的判断を示すシステムや場を用意してこなかった。だが「研究者が個々の専門知の多様性を活(い)かしながら、同じ問題意識を共有して、戦争や災害など生活を根幹から壊す事件」に対処しうる「知」を、システムとして持っておく必要があるのではないか、と。
 重要なポイントは、俯瞰と総合という点にある。3カ月ほど前の記事を読み返した私の頭には、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の中間報告が浮かんでいる。昨年12月26日に発表され、末尾には「これまでの原子力災害対策において、全体像を俯瞰する視点が希薄」であったと書かれていた。
 この委員会は、失敗知識データベースを整備公開したことで知られる畑村洋太郎氏を委員長として、昨年5月政府内に設置された。委員会は456人の当事者から聴取し、第三者の立場から今一度、甚大な事故に至るまでの経緯につき客観的な脈絡を立てて実証する手法をとった。その成果が、500ページ超の本文と200ページ超の資料からなる中間報告となった。
 ネット上で公開されている本文全体と資料編(国家の安全にかかわる情報は一部白紙となっている)は、緊迫した瞬間をよく再現し、全体として達意の文章で書かれ、これまでの政府や東電の過度の隠蔽(いんぺい)体質からすれば、情報の開示度は高いといえる。1月末日まで、国民からの意見募集も行っているというので、一読をお勧めする。
 私も読んでみた。委員会は、(1)100年後の評価に堪える(2)国民や世界の人々の持つ疑問に答える(3)起こった事象と背景を正確に記録する(4)当事者がいかに考え、いかに動いたかを知識化する--ことを目指したようだ。そのため、責任追及より原因究明が優先されている。
 責任を追及しないでどうするとの批判もあろうが、事故の具体像と背景が完全に把握できれば、責任はいつでも追及できるはずだ。事実、報告書を読んでいけば、責任の所在は明確にされている。
 いわく、(1)情報収集と意思決定の両面で四分五裂していた政府中枢(2)原子力災害対策マニュアルで、情報入手の中枢とされていた経済産業省緊急時対応センターが全く機能しなかったこと(3)甚大な事故を想定したマニュアルに、地震・津波など外的事象による問題発生について一切載せていなかった東電の教育体制(4)対策を電力事業者の自主保安にまかせず、法令要求事項とすべきであったのにしなかった政府。責任の所在は明らかだ。
 報告書を読んでいて最も衝撃的な部分は、緊急時に、巨大な機器としての炉がいかなる「癖」を持って稼働するのかにつき、運転員の理解が甚だしく不十分であった事実を明らかにした部分である。旅客機の操縦士であれば、心身の健康チェックから始まり、機器としての飛行機につき、実地と仮想両面から訓練を受け、操縦マニュアルも血肉化しているはずだろう。多数の生命を預かる仕事だからだ。運転員は原子炉の向こう側に、被ばくしつつ避難を余儀なくされる人々の姿を想像しつつ運転したことがあったか。
 具体的には、第4章「東京電力福島第一原子力発電所における事故対処」に問題点が析出されている。委員会が重くみたのは、1号機を冷却する非常用復水器(IC)につき、全電源が喪失した場合、自動的に隔離弁が閉じるよう設計されていた簡単な事実に、当直と呼ばれる11人からなる運転員の誰一人として気づかなかった点だ。人類が最終的に制御に成功してはいない力に日々接してきた専門家集団としては、恥ずべき知的退廃ではなかったか。当直のうちICを実際に作動させた経験者もいなかった。
 資料編も見ていただきたい。6章-13「アクシデントマネジメントに関する教育等の方法及び頻度」という東電の内部資料。本資料からは、運転員を対象とした事故時の対応につきいかなる教育研修がなされていたか分かる。頻度は年1回、方法は自習と運転責任者による講義だけなのだ。
 あれほど、法的規制好きな霞が関が何故、自習と講義程度の研修でパスさせたのか。本紙の昨年9月25日付朝刊が明らかにした、東電への天下り50人以上、との事実がその背景だとすれば、あまりの分かりやすさに慄然となる。
    --「時代の風:原発事故の原因=東京大教授・加藤陽子」、『毎日新聞』2012年1月15日(日)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120115ddm002070083000c.html


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善良さには知識が伴っていなければならない。単なる善良さはたいして役に立たぬ

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三一〇
 善良な人々。--善良な人々は、その祖先たちが、他所の人の干渉に対して絶え間なのない恐怖を抱いたことを通して、自らの人柄を獲得してきた。ーー祖先たちは穏やかにし、なだめ、謝罪し、身をかがめ、気をそらせ、お世辞をいい、頭を下げ、苦痛や不機嫌を隠し、すぐまたその機嫌を直した。こうしてとうという彼らは、この繊細でうまく演奏される装置の全体をその子孫たちに伝えた。子孫たちは運命が好都合であったためにあの絶え間のない恐怖のきっかけを持たなかった。それにもかかわらず、彼らは間断なくその楽器を演奏している。
    --ニーチェ(茅野良男訳)「曙光」、『ニーチェ全集」第7巻、ちくま学芸文庫、1993年、306頁。

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悪態ついて暮らすよりも、善良な市民として生きた方が、はっきりいえば「トラブル」を未然に回避できるし、他人様から「非難」されることも極力ありませんから、そりゃあ、そのほうがいいに決まっている。

しかし、その善良であることが、「わたしは加担していませんよ、あしからず」的な貼付となってしまった場合、あまりおすすめできるものでもない。

他者から切り離された自己防衛として利用する「善良」なんか反吐が出る。

くどいけれども、悪態ついて暮らすよりも善良であることの方がおそらくマシなことぐらい僕も承知しております。いわば生きる知恵のひとつといってもいいでしょう。

しかし、その善良さは、他者と切り離されて稼働しているのか、それとも他者との有機的な相即関係のなかで、機能しているのか、これはいっぺん、点検する必要はあると思う。

そしてその「善良である」ことは、その相即関係のなかで機能するとき、ときとして社会的常識への挑戦となることもあるンですよ。

しかし、そこで、「手前どもは、関係のありません」と「良き市民」の「自己防衛」として機能してしまうとマズイわけなんだ。

「良き市民」として「善良である」ならば、住んでいる世間様に馴致されることとイコールではないはず。それをレコンキスタすることこそが「良き市民」のエートスなんだと思うわけ。

だからそれが「自己防衛の論理」として収まってしまうのならば、単なる「卑下」にすぎないし、それが社会が人間を惰化させようとする「生ー権力」への挑戦として機能した場合、“善さ”ってものが発揮するんだろうと思うんだけど、どうでしょうか。
※くどいのですが、青年反抗期のように、「ゴルァ」って破壊衝動を肯定しているわけではありませんよ、念のため。

あんまり好きじゃないけど、ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi, 1869-1948)も「単なる善良さはたいして役に立たぬ」と言ってますしねぇ。

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「善良さには知識が伴っていなければならない。単なる善良さはたいして役に立たぬ。人は、精神的な勇気と人格に伴った優れた識別力を備えていなければならない」という言葉にもよく表れております。
    --ガンジー(K・クリパラーニー編・古賀勝郎訳)『抵抗するな・屈服するな ガンジー語録』朝日新聞社、1970年。

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レヴィナスの「慈愛」と「正義」、センの「共感」と「コミットメント」

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 先のタルムード解釈をレヴィナスに促した動機のひとつに「飢え」と「飢饉」があった。いつかテクノロジーはこの課題を解決するだろうとの展望を抱きながらも、レヴィナスは国連などの介入によってもこの課題がまったく解決するされていないことを指摘している。唐突の感を免れないだろうが、レヴィナスをつき動かしているこの動機は、ある経済学者のことを筆者に連想させる。インドはベンガルに生まれたアマルティア・セン(一九三三-)である。経済学のずぶの素人として、『貧困と飢饉』(一九八一)や『倫理と経済について』(一九八七)などセンの著作を読んでいると、相異なる学的領域の単勇者でありながらも、センとレヴィナスのあいだには人間の悲惨に対するどこか共通の感性があるのではないかとの印象を抱く。
 根拠のない印象をにすぎないが、『選択・福利・測定』(一九八二)所収の「合理的な愚か者」の次の一節を見てみよう。「もし他人の苦悩を知ったことによってあなた自身が具合が悪くなるとすれば、それは共感(シンパシー)の一ケースである。他方、他人の苦悩を知ったことによってあなたの個人的な境遇が悪化したとは感じられないけれども、しかしあなたは他人が苦しむのを不正なことと考え、それをやめさせるために何かをする用意があるとすれば、それはコミットメントの一ケースである。」
 センのいう「共感」はレヴィナスのいう〈慈愛〉に、センのいう「コミットメント」はレヴィナスのいう〈正義〉に対応している、と考えるとことができる。ただ、センはこうも言っていた。「共感に基づいた行動は、ある重要な意味で利己主義的だと論ずることができる。というのも〔共感においては〕人は他人の喜びを自分でも嬉しいと思い、他人の苦痛に自ら苦痛を感ずるからであり、その人自身の効用の追求が、共感によって促進されるからである。この意味で非-利己的なものは、共感に基づく行為であるよりはコミットメントに基づく行為である」、と。〈慈愛〉と〈没利害〉、〈正義〉と〈利害〉を結びつけるレヴィナスとは逆の主張がなされているのだが、ここでは、それに加えて、「効用」(utilité)という、レヴィナスが決して十分には考えるとことのなかった観念が〈没利害〉に貼付されてされている。
 センのいう「共感」がハチソンやアダム・スミスらのモラル・センス論に由来することは言うまでもないが、センにもレヴィナスにも見られる倫理の二肢化は、感とに相前後するヒュームならびにショーペンハウアーに顕著に認められる図式だった。一方では、ヒュームの功利主義を批判し、カント的な道徳法則の理論から根本的な着想を汲み上げながらも、その理論の形成過程においてつねにヒュームの道徳原理論を意識していた現代の哲学者たちのひとり、それが前出のロールズである。センはロールズについてこんな危惧を表明している。「ロールズは、『〔身体障害者をどのように扱うかという〕難しい事例は‥‥その運命が憐憫と不安をよび起こす、われわれとは隔たった人々のことを考えざるをえなくすることによって、われわれの道徳的な識別能力(our moral perception)を混乱させることにもなりうる』と書いている。それはロールズのいう通りかも知れない。が、難しい事例は現実に存在しているのだから、身体上の廃疾、特別な治療のニーズや心身の欠陥といった事例が、道徳的に重要な意義を有していないなどとみなしたり、間違い恐れる余りにそれらを考慮の外に置くことは、必ず逆の意味では過ちを生じさせるにちがいないだろう。」
 ここでは、センは、「格差原理」と称されるロールズの「正義の第二原則」を問題にしている。「社会的・経済的不平等は最も不遇な立場にある人の期待便益を最大化するものでなければならない」との原則を。これに対して、「正義の第一原則」は、「無知のヴェール」なるものによって想定される「原初状態」に対応している。当事者の差異は彼ら、彼女らにはまったく知られておらず、そのとき人々は類似した状態にあるので、各人は同じ論拠にもとづいた正義のを構想するというのである。ロールズのいう「無知のヴェール」はある意味では「知ならざるもの」としての〈対面〉を思わせる。と同時に、〈対面〉はその任意の相手を「最も不遇な者」とみなすことでもある。ロールズのいう二つの正義の原則が〈対面〉のうちに含まれているものだが、「誰が最も不遇か」という解決不能な問題に、レヴィナスは「私以外の誰もが最も不遇である」と答えたのであって、この回答が問題の棚上げであることはもはや言うまでもない。
 そのロールズは『正義論』のなかで、愛ないし仁愛について、「困難なのは、一度に数人の人の要求が対立すると、これらの人々の愛が混乱状態に陥ってしまうということだ。(‥‥)仁愛というのは、多くの目標をもつ人々のなかで多くの愛が対立する限り、まったく正体が分からない」といっているが、これはまさに、レヴィナスが「第三者」の観念を前にして突きあたった問題にほかならない。今後の展望にすぎないが、レヴィナスの経済倫理学をセンやロールズの議論と対比していくことは重要な意義読解の課題となるだろうし、その意味では、これは次節の課題とつながる論点だが、たとえばロバート・ノージック(一九三八ー)の書物の題名--『アナーキー・国家・ユートピア』は『存在するとは別の仕方で』と同年に出版された--をレヴィナスが用いたとしても、まったく違和感はないだろう。事実、ノージックのいう「最小国家」--「配分的正義」はそこから排除される--の問題は決してレヴィナスのいう「三人の国家」(後述)とも無縁ではないのだから。
    --合田正人「焼尽のユートピア  飢えと格差--今後の課題」、『レヴィナス』ちくま学芸文庫、2000年、491-494頁。

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初出は1988年(改訂の上、文庫化が2000年)になるから、今から20年以上前の指摘になるのですが、僕もこの辺りが引っかかっていたところ。

レヴィナス(Emmanuel Lévinas、1906-1995)の「慈愛」と「正義」、セン(Amartya Sen,1933-)の「共感」と「コミットメント」は相照らす概念のように思われていたところなんですが、今後このあたりのツメも必要かも知れません。

経済学に関してはずぶの素人ですが、特に、日本では、規範経済学(厚生経済学)は経済学と倫理をリンクする部門としての規範経済学(厚生経済学)の研究が少ないこともひとつの原因なんだろうとは思います。

また比較思想の観点からみても大きな相互影響を見出すのは困難ではないかと思われるのですが(未チェックですが)、影響関係よりも、同様な思索を導き出さざるを得なかった事例としてみていくとすっきりするのかと思いつつ、この辺りをクリアにすることも、ひとつの課題ではないかと。

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「語る:ドナルド・キーンさん 著作集全15巻の刊行開始」、『毎日新聞』2012年1月12日(木)付。

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語る:ドナルド・キーンさん 著作集全15巻の刊行開始

 ◇日本文学の粋、ルビと索引充実
 日本文学研究で知られる米コロンビア大名誉教授、ドナルド・キーンさんの著作集(全15巻、新潮社)の刊行が始まった。初めての日本語作品「碧(あお)い眼(め)の太郎冠者(かじゃ)」(1957年)から最新評伝までを網羅し、隔月で刊行する。東日本大震災を機に日本国籍取得と永住を決意したキーンさんは、日本文学の声価を世界に高めた功労者。「第2の祖国」で修訂を進める著作集に込めた思いを聞いた。【棚部秀行】

 「ドナルド・キーン著作集」では、日記文学を論じた「百代の過客」や、古典芸能論「能・文楽・歌舞伎」、評伝「明治天皇」など、70年に及ぶ研究成果のほとんどを読むことができる。第1巻『日本の文学』(3780円)には、英ケンブリッジ大での52年の公開講義を和訳した「日本の文学」(63年)などを収めた。

 この巻には、英文百科事典『エンサイクロペディア・ブリタニカ』に更新しながら書いてきた「日本文学」の項を、英文でそのまま再録している。冒頭は<質量ともに日本文学は世界の主要文学の一つといってよく、その伝統と豊かさにおいて英文学に匹敵する。しかし発達の過程は全く異なっている>。多くの外国人に、日本文学に接する手がかりを与えたであろう言葉。「西洋では、人にものを教えるために文学がある。日本では勧善懲悪や人間の義務を書くものが少なく、人の心が文学の中心になっています。日本文学全般には二つのテーマがあり、それは『自然』と『愛』です」と、その特性を述べた。

 振り仮名(ルビ)と索引にもこだわっている。例えばシェークスピアを指す「沙翁」は、「さおう」か「しゃおう」か。文献には両方が同頻度で出てくるが、迷わず「しゃおう」を選んだ。「(この表記を採用した)坪内逍遙が『さおう』と読ませたいなら、別の字をいくらでも持ってこられた。『沙』を使うのは『しゃ』と読ませたいから」との見解が、その根拠だ。

 自身がアルファベットで日本語を書き起こす際、「音」が不可欠だった、という苦労が背景にある。「半ば分かっているだろう、という立場で、日本の文学史には、ルビがほとんどない。なかなか読めない字があって、逐一調べるのは時間の浪費です」

 索引についても、その少なさが「日本の本の欠点」と、かねて不満を覚えていた。著作集は索引を充実させ、最終刊には全巻通しの「総索引」をつける予定という。「何度も字引を引かずに読める。きっと未来の出版物のモデルになると思います」と語った。

 日本文学とのつきあいは1940年、ニューヨークの書店で、偶然アーサー・ウェイリー訳の『源氏物語』を手にしたところから始まった。2巻本で49セント。ちょうどナチス・ドイツ軍がフランス、イギリスなどヨーロッパ諸国を次々に攻略していた頃である。

 「『源氏』には、美のために生きている世界がありました。でも私たちが住んでいた世界は反対で、人が殺し合っていた。あれほどみにくい世界はなかった。18歳だった私は『源氏』に一種の救いを見つけ、毎晩読むようになりました」

 大戦中米海軍の通訳官を経て53年、京都大に留学。日米を行き来しながら、太宰治、三島由紀夫、安部公房、松尾芭蕉、近松門左衛門まで、古典から近代の作品を英訳した。一方、キーンさんが著した日本文学の評論や随筆集には、日本の作家が序文、解説を書いた。志賀直哉、永井荷風、川端康成といった文豪が、現役で作品を発表していた時代。客嫌いで知られた谷崎潤一郎との交友も知られる。彼らとの出会いを「運」という言葉で表現する。

 「戦後の日本文学は、元禄時代の文学に劣らないと思っています。荷風、太宰が書き、新しい人に三島、安部がいた。あんなすばらしい時代があったでしょうか。ちょうど私が現れた時期は、運がよかったのです」。さらに「どの作品も、私が最初の翻訳者だった。先駆的な仕事をできたのはうれしい。先輩がいなかったからみな優しく、出版社は喜んで発行してくれた。『古事記』から三島まで、私はあまりに野心的です」と振り返った。

 日本文学に求めてきたものは、「いろいろな角度から日本人像を見る」こと。著作集の刊行は読者にとっても、日本の文化や文学を再発見する機会になりそうだ。

 ◇日本名は「鬼怒鳴門」
 すでに報道された通り、キーンさんは東日本大震災後、日本永住を表明し、昨年9月1日に来日。国籍取得を目指している。「大勢の方から『喜んでいる』という便りをいただきました」と話すものの、法務省から許可を待つ状態が続く。

 日本名は「鬼怒鳴門(きーん・どなるど)」。日本国籍を得た場合、どんな漢字を当てようかと、以前から考えていたという。

 文字に込めた意味を問うと、「鬼怒川がきれいな名であったことと、鳴門には渦がある」と、二つの地名を挙げた。「『怒』には『ど』の音もあるので、この字を2回読んで『きぬ(ん)』と『どなるど』。それで私の名前です。戸籍上は片仮名のキーン・ドナルドですが、漢字ではこちらを使います」

 柔らかい表情、語り口とは正反対の、「鬼」「怒」の文字。「私はあまり怒ることはないですね」と笑った。=「語る」は随時掲載します。

人物略歴 Donald Keene
 1922年ニューヨーク生まれ。84年『百代の過客 日記にみる日本人』で読売文学賞、日本文学大賞、2002年『明治天皇』で毎日出版文化賞受賞。08年文化勲章。
    --「語る:ドナルド・キーンさん 著作集全15巻の刊行開始」、『毎日新聞』2012年1月12日(木)付。

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http://mainichi.jp/enta/art/news/20120112ddm014070033000c.html


ドナルド・キーン氏(Donald Keene,1922-)の恣意性は余り好きではないのですが、集積されるという意味では意味があるので。


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『ふつうの暮らし』で輝く 大熊由紀子」、『毎日新聞』2012年1月13日(金)付。

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くらしの明日 私の社会保障論 「ふつうの暮らし」で輝く
大熊由紀子 国際医療福祉大学大学院教授

真の福祉は想像力と度胸から

 プロの和太鼓集団「瑞宝太鼓(ずいほうたいこ)」が、震災被災地の海辺で鎮魂の演奏を始めた時のことです。吸い寄せられた人の輪の最前列にいた女性が、赤ちゃんの遺影を取り出しました。そして写真に語りかけ、一緒に演奏に聴きいりました。
 瑞宝太鼓がしばしば演奏に訪れる少年院からの手紙には、こうありました。
 「自分をより大きく見せようと見栄を張る、そんな心をぶっ壊してくれました。心を洗ってくれるようでした。絶対に自分を変えます」
 演奏する団員はいずれも重い知的なハンディを負っています。何が人の心を揺さぶるのか、源をたどると「愛する人と、ふつうの場所で、ふつうの暮らしを」というノーマライゼーション思想を掲げる、南高愛臨会・コロニー雲仙に行き着きました。
理事長の田島良昭さんは、かつて心身障害者対策基本法の制定に奔走しました。施設をつくれば幸せにできると信じてのことでした。ところが施設を訪ねると、ご本人たちはションボリしていました。
 訳を突き止めようと78年、自ら施設をつくり、利用者と同じ広さの厨房控室に親子3人で住み込みました。そして知ったのは「施設には普通の生活がない」ことでした。

  ◇
 自立訓練という、今でいうグループホームをつくり施設の外で暮らせるようにしてゆきました。当時は法律違反。行政はとがめましたが「不幸になった人がいるのかどうか裁判で争おう」と撃退し、07年までに施設をからにしてしまいました。日本の最先端をいく施設解体です。
 能力開発センターの町の中で働ける力をつけました。太鼓もその中で生まれました。ところが田島さんは、再び衝撃を受けました。グループホームと仕事場の往復だけの人は、変に落ち着いたおじさんおばさんになってしまっている。対照的に愛する人がいる人、結婚している人はときめいていました。そこで結婚推進事業「ぶ~け」をつくりグループホームの解体始めました。アパートで暮らすカップルが増えてゆきました。
 てんかん発作と知的なハンディを負った青年が理事長を務めるNPOふれあいネットワーク・ピアは、ケアホームなど公的福祉事業の認可を受けるほどに成長しました。
瑞宝太鼓は人々を魅了するのはバルセロナのパラリンピック閉会式に招かれるという演奏技術のすばらしさだけではなく、メンバーが恋人や家族をもち、仕事に誇りをもって輝いているからでした。
 昔作られた法律の枠を超えたところにこそ、真の福祉があるようです。それを実現するために必要なのは、本人の願いへの想像力と改革する度胸だと私には思えます。

ことば ノーマライゼーション どんなに障害が重くても、人は「ふつうの暮らし」をする「権利」をもち、社会はそれを実現する「責任」があるという思想。第二次世界大戦中、反ナチ運動で捕らえられ強制収容所を体験したN・E・バンクミケルセンが、施設と収容所に共通する問題に気づき、59年、デンマークの法律に盛り込んだ。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『ふつうの暮らし』で輝く 大熊由紀子」、『毎日新聞』2012年1月13日(金)付。

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ある私的な意見を是認する人びとは、それを意見〔世論〕とよぶのに、それをこのまない人びとは、異端と呼ぶ。

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 ある私的な意見を是認する人びとは、それを意見〔世論〕とよぶのに、それをこのまない人びとは、異端と呼ぶ。
    --ホッブス(水田洋訳)『リヴァイアサン』(一)岩波文庫、1992年、175頁。

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〔世論〕を受容して組み建て直していくのが民主主義の基本だと思っていたけど、大阪市長・橋下徹閣下(1969-)は、〔世論〕として意見を受け容れるのではなく、「異端」として退ける立場なんだよな、コワイ
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覚え書:「私のリーダー論:日本再生を/5止 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん」、『毎日新聞』2012年1月12日(木)付。

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私のリーダー論:日本再生を/5止 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん

 ◇求められる「父権」型--内田樹さん(61)
 世界の主な国々の指導者が30~40年前に比べると低年齢化している。単に年齢が若くなっているだけでなく、父権主義(パターナリズム)から反父権主義へという大きな流れがあると思う。

 国民と政治家はかつて信託と負託の関係だった。国民はすべてをのみ込んだ「国父」とでもいうべき人物に権限を委ね、それに対して政治家は「悪いようにしないから任せてくれ」と受け止めた。「父と子」を模したこの関係は世界経済のグローバル化によって崩れたのだと思う。市場原理が政治過程に入り込むと同時に、「父」よりむしろ「ビジネスマン」が統治者として好まれるようになったからだ。中長期的な国家ビジョンを構想できる人物よりも、マーケットの動きに機敏に反応して、そのつどの最適解を選択できるスピード感のある政治家を国民は選んだ。政治はそうやって限りなく経済活動に近づいていった。

 だが、実際の政治過程はそれほどシンプルではない。国民国家という制度はもう賞味期限が切れたかと思われたが、欧州連合(EU)の現状を見ると話はそれほど簡単ではない。グローバル化がどこまで進んでも、絶対にここだけは譲れないというローカルな価値は残る。グローバル化による標準化圧に対して、固有の言語や宗教や伝統文化を軸にまとまった国民国家が激しい抵抗を示している。

 日本の場合、1億3000万人の列島住民をどう食わせるかという課題は国民国家が担うしかない。グローバル企業はある国の国内雇用や福祉や地域経済の振興に何の責任もないし、何の関心もないからだ。誰かがそれを担わないと生産性の低い個人は切り捨てられる。個人の能力や生産性にかかわらず全国民を扶養するという仕事は国民国家以外に担い手がいない。

 行き過ぎたグローバル化に対する抵抗は国民経済の再構築という形で組織されるはずだし、世界の国々は数年以内にアンチグローバリズムにかじを切ると私は予想している。そのとき人々はリーダーとして「父」的なタイプを求め出すのではないかと思う。

 東日本大震災で露呈したのは、日本の統治者たちが現場に権限委譲することを非常に嫌い、すべてを中枢的に統御しようとして、かえってコントロール不能に陥って被害を広げたということだった。これほど広域で多様な危機に対しては、事情を熟知した現場にフリーハンドを与え、政府はそれを支援するという形が合理的だが、官邸も霞が関も病的なまでにそれを嫌った。

 日本の組織がどれも機能不全に陥っているのは、上意下達組織を作り、中央集権的にすべてを統御しようとして、前線に権限委譲しないからだ。前線指揮官にフリーハンドを与え、功績は部下に譲り、責任は自分が取るような父権的なリーダーを今、日本人は求めていると思う。【聞き手・佐藤千矢子、写真・川平愛】=おわり

人物略歴 うちだ・たつる 1950年東京都生まれ。東京大学文学部卒。思想家。武道家。専門はフランス現代思想。「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞。ユダヤ人問題のほか教育論、武道論、映画、漫画の評論でも知られる。「日本辺境論」「下流志向」「武道的思考」など著書多数。
    --「私のリーダー論:日本再生を/5止 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん」、『毎日新聞』2012年1月12日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120112ddm005010168000c.html


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が、ほとんどの「規則正しさ」は幻想でなりたっている。というのも、学校だって、会社だって、それがなければじぶんが滅びるというものではないのだから

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 じぶんがとても不安定だと感じながら、あるいはじぶんの存在がとても希薄になっていると感じながら、しかもそのことにじぶんが気づいていないとき、ひとはじぶんに一つの「規則正しい」かたちを求める。が、ほとんどの「規則正しさ」は幻想でなりたっている。というのも、学校だって、会社だって、それがなければじぶんが滅びるというものではないのだから。そして、それを核にじぶんをつくっていると、「規則正しさ」とじぶんの存在との区別がつかなくなる。だから、定年を迎え、毎日おなじ時刻に出勤する必要がなくなったとき、ひとはとても不安定になるのだ。酷薄にも「濡れ落葉」などと言われるように、それを軸としてじぶんを測れる「妻」という別の定点が必要となるのだ。
 だから、そのときのために、いやいまのために、存在がゆるんでいることに不安を感じないよう、じぶんを鍛えておかないといけないと思う。「不規則」であること、あるいはむしろ「無規則」であることを楽しむことが、案外重要なのかもしれない。
    --鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』講談社現代新書、1996年、42-43頁。

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外在的規範は、じぶんじしんを律するものとして存在する場合、それは有意義に機能するものですが、それ自身が目的となってしまうと、「ちょいと待てよ」という事態になるのが「外在的」なるものの落とし穴なんでしょう。

昨今のエスノセントリズム、国家主義の高潮の背景にも、おなじような「じぶんがとても不安だと感じながら」という風潮をひとつの背景にあるのでしょう。

幻想にしか過ぎないものを「実体」として取り違えてしまったパターンというのが実は多いのではないか、そんなふうに思える昨今です。
※といって肯定できるわけではないのですけど。

ま、外在的な幻想を全否定しようとは思いませんが、それを有意義に機能させると同じく、「『不規則』であること、あるいはむしろ『無規則』であることを楽しむ」流儀というのは同じように持ち合わせておくべきなんでしょうねぇ。

ただ私の場合は、後者の方へ重点を置きすぎているのが難点ではあるわけですが(苦笑

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覚え書:「哲学対話:小学生が楽しく テーマは人生、死、平等など 実践授業広がる」、『毎日新聞』2012年1月9日(月)付。

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哲学対話:小学生が楽しく テーマは人生、死、平等など 実践授業広がる

 ◇互いに問い考え深める 勉強する意欲に直結
 小学校で哲学対話の授業が広がっている。先生を「進行役」に、人生や運命、幸福、平等を堂々と語り合い、小学生が哲学対話を楽しむ。哲学者、教育学者の双方から「小学校で哲学の授業を」と声も上がっている。どんな授業なのか、なぜ今、哲学なのか--。【望月麻紀】

 昨秋、東京都豊島区にある私立立教小学校で、同校初の哲学の授業があった。対象は5年生の全3学級。3日に分けて計3時間の授業だ。

 哲学の授業といっても、ソクラテスやヘーゲルといった哲学者の思想の解説ではない。「白熱教室」と呼ばれて注目を集めた、米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による哲学対話に近い対話型だ。哲学者で茨城大学非常勤講師の土屋陽介さん(35)がサンデル教授役、つまり対話を進める「ファシリテーター(進行役)」を務めた。

 話し合いのテーマも子供たちが決める。どの学級でも次々に手が挙がり、ホワイトボードには死や震災、運命、人生と、取りあげたいテーマが書かれていく。さらに子供たちは「運命」と「人生」はどう関係するのか、などと持論も発表。そんなやりとりを重ね、テーマが決まっていった。

 A組「死とは何か」

 B組「大震災のように予測できない大事件に対して、対策をどう立てたらいいのか」

 C組「本当の幸せって何か。どうやって人生の中でそれに近づいていくか」

 どれも唯一の正解がない問いだ。授業でも結論は出さない。子供同士で話し合う時も、お互いに進行役を代わりながら務め、「なぜ」「たとえば」「それはどういう意味?」と問い合い、相手の考えを理解し、自分の考えを深めさせる。相手が答えに窮する質問をたたみかけて勝負をつけるディベートとは違うのだ。

 B組の授業ではこんなやりとりがあった。

 子供たちが考えた対策は「強固な堤防を造る」「住民の避難訓練や避難所の整備をする」「予測できるように科学者を育成する」だった。だが、「もっと日本全体にかかわることにお金をかけるべきだ」と話す子がいた。土屋さんが「たとえば?」と水を向けると「(国の)借金返したり」。別の男児が「借金を返すのも大事だけれど、(住民を)見捨てるのはおかしい」と反論。「訓練にはお金がかからない」という意見も出るなど、対策を評価しながら議論を深めていった。

 「ものごとを批判的、合理的に深く考え、意見の異なる人と理性的に対話するための技術を身につけるのが狙い」と土屋さん。子供たちは「楽しかった」「またやりたい」と話していた。発言できなかった子も「自分なりに考えることができた」「頭をフル回転させた」と感想文に書いた。土屋さんは立教小のほか私立玉川学園小(東京都町田市)でも4年生に授業をした。

 関西では大阪大大学院の本間直樹准教授(臨床哲学)らが実践している。兵庫県西宮市立香櫨園(こうろえん)小で07年度から総合的な学習の時間に、対話型の授業を続けている。絵や絵本を教材に話し合ったり、「平等」について語り合ったり、担任教諭との連携で多彩な授業に取り組む。

    ◇

 東京、関西ともに、米国やフランスの実践を参考にしている。米国では1970年代から哲学者が「子供の哲学」を提唱、実践を教科書にまとめた。哲学教育が盛んなフランスでは、幼稚園での哲学対話もある。

 日本の小学校では哲学は教えてこなかった。大学研究者が「小学校で哲学を」と求める背景には、内容が近い道徳教育が倫理観の教え込みにとどまっていることへの不満がある。

 土屋さんとともに小学校での実践に取り組む哲学者、河野哲也・立教大学教授は「技術や知識が生活とどう結びつくのかを考えたり、議論する機会がないため、子供たちの勉強する動機が弱く、意欲が低い」と哲学の導入を訴える。

 日本女子大学の森田伸子教授(教育哲学)は「学校で学ぶことの意味を見いだせず、学校生活に絶望する子供たちがいる」と指摘し、「仲間と問いを共有し、共に探求する哲学の授業は、子供たちが生きることの希望を取り戻す契機になるのでは」と話している。
    --「哲学対話:小学生が楽しく テーマは人生、死、平等など 実践授業広がる」、『毎日新聞』2012年1月9日(月)付。

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http://mainichi.jp/life/edu/news/20120109ddm013100003000c.html

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仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうこと……

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 仮に一人を除く全人類が同一の意見をもち、唯一人が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙させることの不当であろうことは、仮にその一人が全人類を沈黙させうる権力をもっていて、それをあえてすることが不当であるのと異ならない。
    --J・S・ミル(塩尻公明、木村健康訳)『自由論』岩波文庫、1971年、36頁。

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年があけてから、橋下徹大阪市長閣下(1969-)が狂ったように「税金を投入されてる奴は俺のように実績を出すか黙っていろ」って連呼して、特定の学者たちをやたらめっぽう「個人攻撃」している。

もちろん、識者の提示したもろもろの議論における正当な批判は真摯に受け取るべきだろうし、批判とされるもののなかに「揶揄」のようなものが含まれているならば、「大声で叫び続けたモノが勝ち」ってやり方ではなく、それを適切に取り出し粛々とクリティークすればよいだけの話し。

しかしながら、閣下の詐称するような「具体的対案」というものが仮りになければ、議論から降りろ、というのは暴論に過ぎやしないだろうか。

民主主義はひとつのシステムにしか過ぎない。様々な意見の窓口を広く集約するシステムだ。そしてそこには負担が伴う。しかしその負担をコストとして窓口を閉ざしてしまうのは早計だろう。

もちろん、現行窓口運営経費のコストダウンは必要だろうけれども、それは窓口封鎖とは同義ではない。合意形成の決断は二者択一として断定されるわけだけど、その議論の土壌を粉砕するのは論外でしょう。

しかも、公正とは遠くかけ離れた「演出家」の田原さんに呼びかけてとかネ。

まあ、何をいってもいいんだろうけれども、何を封じてもよいわけではないことを基礎の基礎として理解しない限り、それはかえって自分の首を絞めることになるのだと思うのだろうけれども……ネ。

関連:橋下徹・大阪市長「田原さん、僕のことを大嫌いな大学教授達と直接討論させて!」批判だけでなく具体的対案示せ!と内田樹・中島岳志氏らに大反論

http://togetter.com/li/239822


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覚え書:「社説:成人の日に――尾崎豊を知っているか」、『朝日新聞』2012年1月9日(月)付。

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社説:成人の日に―尾崎豊を知っているか
 ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。  
キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。
 新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
 彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
 その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。
 ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。
 オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。
 教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?  でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
 だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
 尾崎豊はどこへ行ったのか。
 あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。
 近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。
 将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
 なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
 でも、言わせてもらう。
 私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
 だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。  ともあれ、おめでとう。
    --「社説:成人の日に――尾崎豊を知っているか」、『朝日新聞』2012年1月9日(月)付。

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様々なところで波紋をよんだ記事だから記録として残しておきます。
論理的整合性の崩壊と、「居酒屋若者論」以下のていたらくな内容。
天下の『朝日新聞』なんだが……。


http://www.asahi.com/paper/editorial20120109.html


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覚え書:鴻上尚史「成人するあなたへ」、『愛媛新聞』2012年1月9日(月)付。

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鴻上尚史「成人するあなたへ」
本物の孤独と出会おう

 成人、おめでとう。でも大人とはなんでしょう。賢いあなたは、年を重ねることと、大人になることは何の関係もないと見抜いているんじゃないですか?
 あなたの周りには、二十歳をとうに過ぎているのに、少しも大人じゃない人が何人もいるはずです。
 大人と子供の違いはなんでしょう。二十歳を過ぎると、実にやっかいな問題にぶつかります。解決不可能な、どちらの結論を選んでも、間違っているんじゃなかと思えるような、正しい解決策が見えない課題です。
 でも、人生の問題とはそういうものです。大学入試まで、子供は「問題には必ず正解がある」と思い込まされていますが、もともと、人生の問題には、完全に正しい解答なんてありません。
 そういう時、子供は、自分で考えることをやめて、親や誰かのアドバイスや言いつけに従います。そうすれば楽ですし、責任も生まれません。子供とは、いつも誰かに手を引いてもらっている存在なのです。
 そして、二十歳を過ぎてもそうしている人は、絶対に孤独になりません。
 成人式でお酒を飲んで暴れている若者が、毎年話題になりますが、彼らは、本当の意味で一度も孤独になったことがない人達だと思います。
 孤独には、「本物の孤独」と「偽物の孤独」があります。
 一週間、誰とも話さなかったから孤独なのではありません。
 誰とも話さなくても、メールをやりとりし、インターネットで会話していれば、孤独ではありません。
 孤独とは、「一人で自分と向き合う」ことです。例えば、あなたがすてきなアドバイスを受けたり、役に立つ本を読んだりしても、一人でかみしめる時間がなければ、それはあなたのものにはなりません。今聞いた役に立つ情報を、右から左に伝えるだけでは、あなたのものになっていないのです。
 二十歳を過ぎて出会う解決不可能な問題は、親に判断を任せない限り、自分で解決するしかありません。が、「偽物の孤独」しか経験していない人は、アドバイスしてくれる人を求めて、ウロウロさまようのです。
 ただ、「本物の孤独」の時間が、うんうんとうなりながら問題に取り組むことができるのです。
 もし「本物の孤独」を経験したいと思ったら、あなたは、携帯電話の電源を切り、パソコンやテレビから離れて、あなただけの時間を持つ必要があります。その時間が長ければ長いほど、あなたは「本物の孤独」と出会い、自分自身と会話を始められるのです。
 「本物の孤独」はしんどいですが、あなたに暗闇を進んでいく勇気をくれます。終わりが明確でない暗闇を一歩一歩、歩く時、あなたは初めて大人になるのです。(作家・演出家)
 こうかみ・しょうじ 1958年新居浜市生まれ。早稲田大在学中に劇団第三舞台を結成。95寝ん、「スナフキンの手紙」で岸田国士戯曲賞を受賞。現在、
「KOKAMI@network」と、「虚構の劇団」を中心に活動。
    --鴻上尚史「成人するあなたへ」、『愛媛新聞』2012年1月9日(月)付。

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地上をあまりいい気になって闊歩するでない(´Д`)

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地上をあまりいい気になって闊歩するでない。別にお前に大地を裂くほどの(力がある)わけでもなし、高い山々の頂上まで登れるわけでもあるまい。
    --井筒俊彦訳『コーラン』(中)岩波文庫、1964年、98頁。

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ちょいと今週・来週にかけて、書き物案件の締め切りが数件あり、なかなか更新がすすまず大変申し訳ない次第です。

今日は、一日部屋にこもって資料精査・原稿執筆・事務仕事をこなしていたのですが、やっぱり息が詰まってしまいますので、私淑する井筒俊彦先生(1914-1993)の訳による『コーラン』(قرآن qur’ān)をパラパラめくってリフレッシュしていたのですが、ひさしぶりに読み返すと、驚くことばかり。

いくつかの要文を抜き書きしたりしていたのですが、ここではひとつ紹介しておきましょう。

ほんと、自分自身すらきちんとコントロールできない「動物」であるはずなのに、どうしてそこまで、ふんぞりかえってしまったんでしょうねぇ、人間って「動物」は。

『啓蒙の弁証法』式に人間の理性批判をしようなどとは思いませんが、「理性」にも限界はあるし、存在として「動物」としての側面は消しがたいものですから、そこにも限界がある。

世界宗教は、そのことの自覚への促しを滔々と説いてきたわけですが、この辺が、どうも……別に信仰するしないには容喙しないというか、物理的存在論からしても関係ない話ですが……ずっぽりと抜け落ちているひとびとと出会うことがあり、当惑することが多いのですが、昨今の世論においても、その経緯をすっとばした声高な議論が多く、脱力するばかり(´Д`)

たぶん、原発をめぐる議論もそうだし、政治で一切が決着するとして「大声を挙げたモノが勝ち」みたいな過激な議論を展開する手合いもそうなんだろうと思う。

だけど、脱力しても仕方がありませんので、資料精査・原稿執筆・事務仕事をこなしていくしかないですね。

数日こんな感じです。

ご寛恕を。

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覚え書:「今週の本棚:丸谷才一・評 『カフカ 夜の時間-メモ・ランダム』/『カフカノート』=高橋悠治・著」、『毎日新聞』2012年1月8日(日)付。

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今週の本棚:丸谷才一・評 『カフカ 夜の時間-メモ・ランダム』/『カフカノート』=高橋悠治・著

 ◇『カフカ 夜の時間-メモ・ランダム』
 (みすず書房・3360円)

 ◇『カフカノート』
 (みすず書房・3360円)

 ◇「辺境」に向かう新たな芸術の試み
 中欧から東欧にかけて、旧オーストリア=ハンガリー二重帝国の版図だったあたりは、文明論的関心の対象としておもしろい。作曲家=ピアニスト高橋悠治の本を読むと、彼が音楽的にも言語的にもこの地域に惹(ひ)かれていることがわかる。たとえば彼は書く。「シェーンベルク以来のヨーロッパ風現代音楽の音から手を切りたい、と思っている」と。ウィーンから離れようとしながらプラークのカフカにこだわるのかな?

 というのは、彼は一九六〇年代、カフカの創作ノートをテクストにして作曲しようと努め、このノート『カフカ 夜の時間』を書きつづけた。八七年に上演。八九年に初版出版(晶文社)。みすず書房版の『カフカ 夜の時間』は再演の反省を含めての増補新版。その執着ぶりを見ると、文学者の個性に対する愛着よりも、あの地域の、ヨーロッパの辺境としての条件に興味をいだいているらしい。たとえば彼はカフカの文学の、商業ジャーナリズムを媒介としない前近代的な発表形態、孤独と自由にあこがれる。そしてまた、辺境であるせいでの言語的運命にも。なぜなら、日本こそヨーロッパの辺境の最たるものだから。

 二十世紀後半の音楽は、音列技法はもちろん、さまざまな技法を使い、どんなに前衛的にみえようと、全体の統一をめざす限り、ドイツ・オーストリア的な一元論や普遍主義から離れられなかった。偶然性でさえ管理され、全体の構図の枠のなかに収まっていた。(中略)思いついた音からはじめても、そこから思うままにうごかしていくのではなく、思うままにならない音を追って曲がり、先の見えないままにすすむのは、即興とどこがちがうだろうか。(中略)

 「もしインディアンだったら、すぐしたくして、走る馬の上、空中斜めに、震える大地の上でさらに細かく震えながら、拍車を捨て、拍車はないから、手綱を投げ捨て、手綱もなかった、目の前のひらたく刈り取った荒地も見えず、馬の首も頭もなくなって」(カフカ「インディアンになる望み」)

 ことばを書けば、それが存在しはじめる、ただしこの世界のなかではなく、どこともしれない文学空間のひろがりのなかで。

 シェーンベルク以来の現代音楽に別れようとすると、言葉が必要となり、そこでまたカフカの断章三十六片と出会う。六〇年代の失敗ののち半世紀後にまた試みられて(その台本が「カフカノート」)、今度はもっと即興性が強くなり、全体の統一は軽んじられ、神が細部に宿り過ぎ、ストーリーの方向は茫漠(ぼうばく)としている。それでも「カフカノート」という「演劇でもオペラでもない、作品でさえないこころみ」に参加しなければならない聴衆の負担は増す。わたしは昨年四月、シアターイワトで公演に立会い、感覚の斬新と趣向の妙と豊かなエネルギーに熱中したり、疲れ果てたりした。文学の場合と違い、パーフォーミング・アーツは、テクストを読み返したり、飛ばし読みしたりするわけにゆかない。そういうジョイスやプルーストやカフカの読者の特権はわれわれに与えられていないから、芸術の新しい形態や方向を探求することの当事者となる者、すなわち享受者の責任の取り方はむずかしい。
    --「今週の本棚:丸谷才一・評 『カフカ 夜の時間-メモ・ランダム』/『カフカノート』=高橋悠治・著」、『毎日新聞』2012年1月8日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『前キリスト教的直観-甦るギリシア』=シモーヌ・ヴェイユ著」、『毎日新聞』2012年1月8日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『前キリスト教的直観-甦るギリシア』=シモーヌ・ヴェイユ著

 ◇『前キリスト教的直観-甦(よみがえ)るギリシア』
 (法政大学出版局・2730円)

 ◇眩い「愛の源流」が継承されゆくドラマ
 偽らざるところを言えば、本書を評する資格があるのだろうか、と評者自身で思う。女性でもない、キリスト教徒でもない、神秘家はおろか、詩人でも哲学者でもない、労働運動にも反戦運動にもくみしたことがない。

 だが、世俗にまみれた凡庸な読み手にも、こんなにも美しく純粋な魂があるのだろうか、とふるえる心はある。もちろん、訳者の華麗に流れる訳文が著者の魂と共鳴する響きに魅せられたせいかもしれない。さすがに「あとがき」のなかで、訳者自身、三六五日立ち返る一冊と記すだけのことはある。

 生まれながらの盲人とその不幸の原因について尋ねられたとき、イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである」(「ヨハネ福音書」)と答えている。

 不幸な境遇にある人は「なぜ、何のために」と叫び、その問いをくりかえす。この叫びが原因の追求なら応答を見出せるが、目的の追求ならいかなる答えもない。この宇宙全体には合目的性が剥奪されているのだから。この深い絶望のなかで人間の魂は苦悶(くもん)する。それは神の不在であり、神の沈黙である。信仰心を欠く者なら、ここでたじろぐか、後退(あとずさ)りするかだろう。だが、ヴェイユにとって、この苦悶のうちでこそ神の愛が光り輝くという。

 イエスは紀元三〇年ころ、十字架刑に処せられた。正義と認められることなく、法による罪人として不名誉なまま処刑されている。「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と天を仰ぎながら。この呪われたイエスは復活し栄光につつまれたキリストによって覆い隠されている。だから、われわれがあがめるのは、正義そのものではなく正義と認められることにすぎない、とヴェイユは喝破する。

 このような完全なる正義の人の苦しみは、すでにプラトンによっても予知されたことであったという。彼は「すすんで正義であろうとする人はひとりもいません。不正義をとがめはするものの」(『国家』)と語り、「人間が愛するものは、善をおいてほかにないのです」(『饗宴』)とも指摘する。ここでヴェイユは「人間の不幸は、エゴイストたりえないことである。神だけがエゴイストである」という逆説を唱える。

 ヴェイユの叙述はしばしば論理的とはいえず、われわれを戸惑わせる。しかし、そこにはイメージの論理ともよぶべきものが連鎖しており、どこまでも純粋な次元にまで読者を引きずりこむ。ソクラテス以前の哲学者たちもピタゴラス派も悲劇詩人たちも、そしてプラトンも、言葉の奥にひそむイメージを追究することで、つながり合うのだ。だから、物語としてではなく、象徴として読み解くことになる。プラトンのなかでもこよなく美しいという数行がある。

 「最重要なことは、愛(エロース)が神々のうちにあっても人間のうちにあっても、不正義を働かず、不正義をこうむらないということです。というのも、愛(エロース)のもとに苦しみが訪れようとも、愛(エロース)は力によって苦しむことはないからです。愛(エロース)に力は到達しません。」(『饗宴』)

 力は絶対的な権限をもつ。だが、同時に、絶対的に軽蔑されるべきものでもある。それを見破ったところに、ギリシア人の偉大さがあり、全ギリシア思想の純粋な核があるという。この眩(まばゆ)いばかりの愛の源流がキリスト教のなかに継承されていく思想のドラマ。それをヴェイユは全身全霊をあげて直観したのだ。(今村純子訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『前キリスト教的直観-甦るギリシア』=シモーヌ・ヴェイユ著」、『毎日新聞』2012年1月8日(日)付。

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なぜ人間は人間で共に悲しみ喜ぶようにならないのか

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 日本人の死は日本人だけが悲しむ。外国人の死は外国人のみが悲しむ。どうしてこうなければならぬのであろうか。なぜ人間は人間で共に悲しみ喜ぶようにならないのか。
    --岩ヶ谷治禄『新版 きけわだつみのこえ』岩波文庫、1995年、275頁。

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第二次世界大戦の学徒出陣での声を集めた「きけわだつみのこえ」からひとつ。

どのような思想や信条、そして政治的立場をとろうと自由だとは思うが、人間の「死」について「国境」をはじめとする「境界」を付けてしまうことは違和感がある。

先日も「カダフィ大佐の死」関する中学生の投書から「人が死んで喜ぶような人であってはならない。たとえ、それが人殺しであっても同じだと思う」というのを紹介したと思うのですが、ホントに、「ざまぁ、みさらせ」ってなるとアウトなんだろうということを強く実感する。

今日はたまたま遺稿集を読んでいたのですが、好むと好まざるに関わらず、ペンを銃に代えて投入された学徒兵の肉声にその感を新たにさせられた次第です。

ぎりぎりの精神状態に置かれたひとりひとりの言葉が、強靭な精神力に支えられており、そこに感動を覚えてしまいます。

と同時に、圧倒的な狂気的の中で、このように知性的に問題を捉え、連帯という希望を抱き続けたことに驚愕もしてしまいます。

この素朴な言葉をどのように受け止めていくのか。

僕の課題なのかも知れません。

人間と人間との連帯は、外形的装飾によってじゃまされるはずはない。
カテゴリーや属性、そうしたものは本来的には、呪物信仰的な現代の「マモン」なんだろうと思う。

歴史を振り返れば、人間は、困難な状況の中でも希望を見出し生きていくことができる。
知性と感性を鈍磨させることなく、手を取り合っていける努力を継続していきたいと僕は思う。

関連エントリ http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20111201/p1

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覚え書:「特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・東浩紀さん」、『毎日新聞』2012年1月6日(金)付(夕刊)。

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特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・東浩紀さん

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇思想をかけた議論を--東浩紀さん(40)
 「子どもにとって学校とは、何年も友達と過ごす一つの世界です。突然、その世界から切り離されてしまった。これは暴力です」
 哲学書が本棚に並ぶ静かな大学の研究室。作家であり、活発な評論活動で知られる論客、東浩紀さんは昨年4月、編集長をしている言論誌の取材で福島県浪江町に入った。その直後、福島第1原発から20キロ圏内が警戒区域に指定され、訪れた地域への立ち入りも禁止された。
 「小学校には子どもたちのランドセルがそのまま残されていました。子どもたちの習字や工作も放置されたまま。誰もいない教室の光景が深く印象に残っています」
 「この暴力は、原発事故が起こした。少なくとも地震と津波による単なる天災によるものではない」
 被災地の話になると、言葉は熱を帯びてくる。

 <震災でぼくたちはばらばらになってしまった>
 昨年8月、言論誌の巻頭文にそう記した。今も状況は変わっていないと感じている。
 東さんは「正確に言えば、震災前からばらばらだったことが、震災で明らかになったということ。福島在住と東京在住、年収300万円と3億円では、被害の深刻さも対応能力も全く違う。2011年の漢字は『絆』でしたが、この国のどこに絆があったのでしょうか」と問いかける。
 「原発が安全かどうかを巡り、親しい友人が言い争い、極端な例では夫婦関係が壊れたりしている。こういう経験を私たちはしてこなかった。過去30~40年、日本には本質的な政治課題がなかったからです」
 東さんは、ツイッター(短文投稿サイト)やニコニコ動画(動画サイト)などのニューメディアでも積極的に発言してきた。新旧両世代から一目おかれるこの人は、閉塞(へいそく)感あふれる今の言論状況をどう見ているのか。
 「深刻な問題は日本政府の言葉を日本人が信じられなくなったことです。政府は福島第1原発の冷温停止状態と事故収束を宣言しましたが、その言葉を信じている日本人がどのくらいいるのでしょう。政治家の言葉が軽くなると何も決まらなくなります」
 そして、原発事故対応に「もし」が許されるならと前置きし「一時的なパニックを招いたとしても政府は初期段階でメルトダウン(炉心溶融)を公表しておけばよかった。そうすれば、ここまで信頼を失うこともなかった」と指摘した。
 「日本政府は、単純に言って、謝罪すべきだと思う。初期段階で事故の規模を見誤った。意図的な情報操作もした。見通しの甘い原発政策で歴史ある町や村を放棄せざるをえない状況になった。これは政府の責任であると謝罪しなければ、話が始まらない」と力を込める。
 しかし、謝罪の言葉は誰からも語られず、日本は年を越した。
 「3・11以降、やはり思想のようなものが必要なのかなと思っています」。東さんはそう話す。
 「日本は利益配分ばかりを考えてきた。象徴的には田中角栄氏以降そうです。論壇といわれる場所では、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加すると損か得かとか、年金を誰にどう支払うかとか、要するに、おカネの話ばかりしている」
 いらだたしさを隠しもしない。TPPも年金問題も目の前の利益配分の側面ばかり議論されることがやりきれない。
 東さんは「日本という国が100年後にどういう国になっているべきか。この国は何を目指すのか。国の形、将来像が議論されなくなった国家は方向性を失って漂ってしまう」と警鐘を鳴らす。
 「これだけ大きな震災に見舞われたのに、東北全体を見据えた復興計画が議論される気配すらない。これは各市町村ごとではなく、広域の問題であり、中核都市や高速道路網、企業誘致など地域全体の大規模なビジョンが出てくるべきでしょう」と話す。
 「長期的な広い視野を下敷きにした議論が今ほど必要とされている時代はない。それなのに対応できる人材がすごく少なくなっている。そこから立て直さないといけなくなっています」
 わずかに表情が陰る。「これまで知識人と呼ばれる人たちは新聞社や出版社が用意した論壇という狭い世界で何となく役割を果たしていたのではないか。震災後、その空虚さが見えてしまった」
 挑発的、ともいえる言葉が飛び出した。原発をめぐって友人や夫婦までもが仲たがいする今、自らの存在を懸けた血の出るような議論が、政治にも論壇にも求められているということなのだろう。
 震災後、脱原発の集会やデモを呼びかける知識人が増えた。だが、震災から10カ月。原発事故が当初発表よりも深刻だったことが浮き彫りになっても、デモや集会に事故直後のような盛り上がりは感じられない。東さんは「呼びかけ自体を否定するつもりはないが、以前のような運動が必ずしも効力を持たなくなったという現実もある。社会に届く言葉を作るためには、新しいスタイルの雑誌を作るなど、議論の足場作りから始めなければいけないのではないか」という。
 突然、カタカタと研究室の本棚が音を立て始めた。地震だ。東さんは「大きいですね」と少しの間を置き、続きを語り始めた。
 「僕は『一般意志2・0』という著書で、日本から始まる新しい民主主義の形を提案したつもりです。脱原発にしろ、別の目標にせよ、最終的に国家論、国の形に結びつかないと一時的な運動で終わってしまう」
 「新しい政治を議論するには、新しい論壇が必要です。個人のメールマガジンなどには注目すべきものがある。いずれ、ネットを舞台とした組織的なメディアが新しく生まれてくるのではないでしょうか」
 思わず「それはどんなものに」と聞くと、「まだ分からないですね」とそっけない答えが返ってきた。
 そして、思い出したように続けた。「明治期の知識人は偉かったと思います。個人で苦労して大学や出版社を作った。その苦しさを平成の知識人は忘れてしまったのかもしれない」
 研究室を後にして夕暮れのキャンパスに早稲田大学の創設者、大隈重信の銅像を探した。「理想を持て、それを行う勇気を持て」。明治の偉人のそんな名言を思い出した。【浦松丈二】

人物略歴 あずま・ひろき 1971年、東京都生まれ。東京大大学院博士課程修了。早稲田大文学学術院教授。言論誌「思想地図β」編集長。「クォンタム・ファミリーズ」で三島由紀夫賞。近著に「一般意志2・0」など。
    --「特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・東浩紀さん」、『毎日新聞』2012年1月6日(金)付(夕刊)。

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http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120106dde012040012000c.html

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覚え書:公共哲学としての吉野作造

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 吉野は、キリスト教牧師海老名弾正(一八五六-一九三七)の影響のもと、ヘーゲルの方哲学や歴史哲学の研究から出発しました。その際吉野を惹きつけたのは、自由の弁証法的発展というヘーゲルの歴史観や制度論であり、彼はそれに立脚するかたちで、日露戦争をロシアのツァーリズムの「専制」に対する「自由」の勝利とみなしました。
 「自由の具現化としての立憲政治」の到来を歴史の必然性としてとらえるヘーゲル的観点が、一九一六年に吉野がとなえたいわゆる民本主義の根底にあったことは、吉野の公共哲学の特質として注目されなければなりません。民本主義とは、主権者が誰なのかという問題に触れることなく、「政策決定を民の意向にもとづかせる」という思想です。
 吉野は、ルソー型の人民主権を非現実的とみなし、政策決定は民の意向に沿ったかたちで有能なプロの政策立案者が行い、それを選挙によって民がチェックするという意味で、民本主義をとなえたといってよいでしょう。「民の公共」にもとづきながらも、複雑な政策の立案は一般民衆ではなく「政府や官」が行うという彼の考え方にも、へーゲリアン的デモクラシーの公共哲学がうかがえます。
 自らのヨーロッパと中国での体験をもとに、吉野はこのような民本主義こそ、第一次大戦後の各国で実現される「世界の大勢」とみなしました。明治初期の自由民権運動が時期尚早であったのに対し、現代はまさに民本主義が時代の要請になっており、しかもそうした要請は、欧米諸国だけではなく、中国にもあてはまると彼は考えたのです。
 中国政治史にも精通していた吉野は、中国革命が民本主義の方向に進むかぎりにおいて、たとえそれが抗日ナショナリズムというかたちをとったとしても、支持しうるという考えを打ち出しました。また一九一〇年以降、日本の支配下におかれた朝鮮の統治に関しては、その撤退をとなえたわけではないにせよ、日本への同化政策ではなく、朝鮮独自の民族性や文化を尊重すべきことを訴えました。朝鮮政策は朝鮮人の心をつかむような統治を行うことによってのみ正統性を得るけれども、そのような統治を行うのに日本政府は失敗していると批判したのです。
 だが、その後の日本の満州における膨張政策や朝鮮での野蛮な政策は、吉野の穏健な民本主義の理想やへーゲリアン的な歴史のオプティミズムを裏切る結果となりました。しかし、たとえそのへーゲリアン的側面に共鳴できなくとも、吉野の歴史的展望をもった公共哲学は、哲学なき政治学が一人歩きしがちな今日、あらためて再評価されるべきでしょう。
    --山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書、2004年、101-102頁。

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「VIEWPOINT 日仏に共通する長期的視野欠落 クロード・ルブラン」、『毎日新聞』2012年1月7日(金)付。

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VIEWPOINT 日仏に共通する長期的視野欠落
クロード・ルブラン 仏クーリエ・アンテルナショナル誌、現ズーム・ジャポン誌編集長

 サルコジ大統領を評価するフランス人は少ない。前回07年大統領選挙の支持者の多くでさえ、21時37分や嫌気がさし、遠ざかっている。日本でも野田佳彦首相の人気は芳しくない。首相の交代が大杉、国民は愛着を持てずにいるようだが、より本質的には、指導者が長期的なビジョンを示せないところに両国共通の課題がある。
 フランスでは大統領選を4月に控え、主要な候補はスケールの大きさに欠ける。サルコジ氏最大のライバル、社会党のオランド候補は存在感のなさを揶揄され、出身地の小さな町を政治の中心地にする野望を達成するのがせいぜいだろうとからかわれている。
選択肢の少なさは日本も同じだ。野田氏の首相選出は民主党内の人材不足からで、民主党政権が誕生した09年には誰もがマニフェストに期待したが、それもつまずいた。
失望した日本人が坂本龍馬など歴史的人物に範を求めるのはフランス人がドゴール将軍に理想を求めるのに似ている。彼らがかうて見せた将来への長期的ビジョンを渇望しているのだ。
 日本の政治家が官僚任せにして済んだ時代はすでに終わった。だがそれでもなおビジョンを示せる政治家は現れない。私の知る限り、田中角栄氏が唯一の例外で、現在の野田首相の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への積極的姿勢も、形を変えた従来の対米依存にすぎず、若い世代である橋下徹氏の主張もポピュリズムと保守主義を混ぜただけに見える。
 フランスもさほど変わらない。07年のサルコジ氏の公約への期待はすでに失望に変わった。サルコジ氏は社会の不公平さを減らすどころか増やし、次第に保守色を強めた。これが支持率低迷の一因だが、より重要なのは、サルコジ氏に国の将来を展望する目がないことだ。欧州債務危機の火消しには躍起だが、20年後のフランスをイメージする力には欠けるとみられている。
 フランスの次期大統領には、経済に関する実現しない公約よりも、時代の先を読むビジョンが求められる。その意味で「脱原発」を訴える「欧州エコロジー・緑の党」のジョリ候補が若い世代から支持されるのは理解できる。フランス人が期待するのは、大局的な視野に立った将来への大きな挑戦なのかもしれないのだ。

ことば 仏大統領選
4月に第1回投票、過半数を獲得する候補がいない場合、5月に第2回投票を行う。社会党のオランド氏は昨年10月の党予備選でオブリ党第1書記を破り公認。このほか極右「国民戦線」のルペン党首、「欧州エコロジー・緑の党」のジョリ候補らが名を連ねる。サルコジ大統領は正式な表明をしていないが出馬が確実。社会保障や原発の削減などが争点になる。世論調査では支持率でオランド氏がサルコジ氏をリードしている。
【構成・宮川裕章】
    --「VIEWPOINT 日仏に共通する長期的視野欠落 クロード・ルブラン」、『毎日新聞』2012年1月7日(金)付。

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覚え書:「みんなの広場 政治番組とバラエティー番組」、『毎日新聞』2011年1月5日(木)付。

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政治番組とバラエティー番組
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 「メロスには政治がわからぬ」。そう太宰治が書いたメロスのように、僕は政治がわからない。でも人としてあたりまえのことなら、わかる。なぜ、平和がよく、戦争はいけないのか。常識である。理由なんか、いらない。
 最近テレビを見て、おかしいと感じる。とりわけ、国会中継等の政治番組、そしてバラエティー番組。この二つには共通点がある。それは、人を傷つけて支持率や笑い、つまり「自益」を得ようとすること。政治ならば野党が与党を批判し、バラエティーでは誰かの痛みやコンプレックスをとりあげ、笑いをとる。
 それらがその世界の常識であったとしても、人を害して自益を得ようとしているのなら「戦争」と変わらないと思う。決して、平和ではない。それを支持したり、おもしろがったりしてしまう僕らも間違っているのではないか。
    --「みんなの広場 政治番組とバラエティー番組」、『毎日新聞』2011年1月5日(木)付。

※ 名前は匿名にしています。

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吉野作造:森有礼の『宗教自由論』に関連して

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森有礼の『宗教自由論』に関連して

 明治文化全集宗教篇に森有礼が米国で書いた『日本宗教自由論』が載録されてある。サンマースのロンドンで作った雑誌Phoenixを見ていると、一八七三年六月発行の第三十六号にその抄録が出ているのを眼に留めた。抄録そのものには何の奇もないが、C.U.と署名した次の註解は一寸面白いと思った。
 --上記は森氏の上書の簡単な抄録に過ぎないが、それでも「寛容」を通り越して完全な「宗教自由」を主張する意味は明に覗われる。して見ると該問題に対する彼れの立場は従来誤解されていたのだ。去冬知事バッキンガム、ピーター・パアカー氏、エヌ・ジー・クラーク博士、果ては国務卿までが条約改正の提議に際し宗教自由の承認を迫ったのに森氏は断乎としてこれを斥けたのであった。
 国民的自負心が内政事項に関する他の指示に屈従せしめなかったのはもっともである。しかも彼れは内心においては宗教自由ならびに政教分離の主義を遵奉しかつそれが適当の時期において、条約上の義務としてでなくまたは外部の圧迫に依ることなしに、日本政府自らに依て承認せらるべきを予期していたのだ。目下未だその運びに到らざるが如きは調査審議のためであろう周密に準備を整えるには常に時を要する。しかし我々は最早その終局の結果については毫末の疑をも挿まない。特派大使一行の一人より聞いた話だが倫敦において先き頃、カンターベリー大僧正と会見した時、大僧正も国家と宗教の完全なる分離が日本帝国の再建の上に極めて必要いなる旨を進言したそうである。
    --吉野作造「森有礼の『宗教自由論』に関連して」、『明治文化』昭和四年十二月。

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ちょいと時間がないので「覚え書」ですいません。

しかし、この晩年に吉野作造(1878-1933)は「明治文化」研究に従事しますが、日本の伝統を辿ることによって、……当時の……日本の現状が「終わっている」(=宗教統制)ことを批判すべく研究と発表をしていたという事実には注目すべきでしょう。

批判において外野の位置から批評するのは簡単だけど、当事者に届きにくい。だからこそ伝統に従って伝統からの逸脱という立ち位置でで勝負する。

まあ、ひとつの「脱構築」の好事例なんでしょうねぇ。

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覚え書:樹の沈黙を聴く 1983-2-25-Friday

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樹の沈黙を聴く
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 河のそばに樹があって、われわれは日が昇るとき、数週間も毎日それを眺めていた。地平線の上に、樹を越えてゆく日がゆっくり昇るにつれて、くだんの樹は突然、金色になる。あらゆる木の葉がいのちで生き生きとし、それを見守っていると、時間が経つにつれて、名称などどうでもよいその樹--大事なのはその美しい樹なのだ--その途方もない本質は、地上いっぱいに河を覆って広がるように見える。日が少し高く昇ると、葉はひらひらと揺れ踊りはじめる。そして一時間ごとにその樹の質は変わってゆくように見える。日の昇る前は、くすんだ感じで、静かで遠く、威厳に満ちている。そして一日がはじまると、木の葉は光を浴びて踊りだし、偉大な美のあの特別な感じを持つのだ。日中までにその影は深まり、そこに坐って、太陽から護られ、決して淋しさを覚えることもなく、その樹を友としていることができる。そこに坐れば、樹だけが知ることができる、深く根づいた安泰と自由の関係がある。
 夕刻に向けて、西空が沈みゆく日の光を受ける頃、その樹はしだいにくすみはじめ、暗くなり、それ自体の中に閉じこもってしまう。空は赤、黄、緑と変わるが、樹は静まり、隠れ、夜の眠りに入る。
 もしその樹と関係を持てば、人間との関係も持てるだろう。そのとき、その樹に責任を感じ、世界中の樹に責任を感ずるだろう。しかし、もしこの地上の生きものとの関係を持たないなら、人間とのあらゆる関係も失われるだろう。われわれは決して樹の本質を深く掘り下げて見ない。われわれは決してほんとうにそれに触れ、その固さとその荒い樹皮を感じ、樹の一部であるそのひびきを聴かないのである。木の葉を通り抜ける風の音でも、木の葉を揺るがす朝の微風でもなく、それ自体のひびき、樹の幹のひびき、樹の根の沈黙したひびきである。そのひびきを聴きとるには、途方もなく敏感でなくてはならない。このひびきは、この世の騒音でも、心のざわめきでも、人間の争い、人間の戦いの野蛮さでもなく、宇宙の一部としてのひびきである。
 われわれが、自然や、昆虫や、飛びはねる蛙や、友を呼んで丘の間に啼くフクロウなどとの関係をほとんど持たないのは奇妙なことである。地上のあらゆる生物に対し、何らかの感情を持つようには決して見ないのだ。もしわれわれが自然と深く根づいた関係に入ることができるなら食べるために動物を殺したりは決してしないだろうし、猿や犬やモルモットを自分たちの利益のために損なったり、生体解剖したりは決してしないだろう。われわれの傷や身体を癒す別の方法を見つけるだろう。しかし、心の癒しは何か全く別のものである。もしわれわれが自然ととるならば、樹の上のオレンジと、コンクリートを突き抜ける草の葉と、雲に覆われ、隠された丘陵とともにいるなら、その癒しは徐々に起こってくるのである。
 これは感傷でもロマンティックな空想でもbなく、地上に生き、動きまわるあらゆるものとの関係の実態である。人間は幾百万の鯨を殺し、いまだに殺し続けている。それらを殺すことによって得られるあらゆるものは、他の方法でも手に入れられるのだ。しかし、明らかに人間は生きものを殺すことを、逃げる鹿、素晴らしいカモシカ、巨象を殺すことを好む。お互いを殺すことも好んでいる。他の人間を殺すことは、この地上の人間の生の歴史を通じて止んだことがない。もしわれわれが、自然や現実の樹木や藪や花や草、そして流れる雲と深く長い関係を持つことができるなら、またそうでなくてはならないのだが、どんな理由があろうとも他の人間を殺すことは決してしなくなるだろう。
 組織化された殺人が戦争である。そして、われわれは特殊な戦争、核や何かの戦争のデモはしても、戦争反対のデモは決してしない。われわれは、他の人間を殺すのはこの世の最大の罪悪だとは決して言ったことがない。
    --J・クリシュナムルティ『最後の日記』平河出版社、1992年、10-13頁。

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樹を眺めるたびにこの一節を思い出したい。


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『はたしてそうか』と問いを投げかけつつ思考すること

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 思考が自らを展開するためには、すなわち未来へと向かうためには、たえず思考はその過去へと遡らねばならないようなのだ。一切他の思考に関わることなしに、みずからの力だけで歩む思考というのはありうるだろうか。一見そうした思考があってもよさそうに思われるのだが、そしてまた天才的な思考とは前人未踏の地を独力で切り開くそうした思考の典型であるようにも見えるのだが、はたしてそうだろうか。よくよくみて見れば、そうした思考も必ずやみずからの思考と共振する過去の思考との対話と対決を経て、みずからの途を歩みはじめたのである。そもそも思考がある一つの問いの前に佇むとき、すなわち何ごとかに対して「はたしてそうか」と問いを投げかけつつ思考しはじめるとき、そこにはすでにそのように問いを投げかけられ、場合によっては乗り越えられてゆく思考が出会われているはずだろう。これはすなわち、何もないところからは思考は生まれないということ、すでに何らかの思考の只中にあることからしか思考ははじまらないということにほかならない。
    --斉藤慶典『哲学がはじまるとき --思考は何/どこに向かうのか』ちくま新書、2007年、10-11頁。

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「先生、哲学は自らが考えることだと、いいますけど、どう考えればいいのでしょうか?」っていう質問をよく学生から受けますが、こうした質問をする際、発話者はおそらく「前人未踏の地を独力で切り開くそうした思考」のことのみを「自らが考える」ことと理解していることが多く、まずこの誤解から解かなくてはいけません。

もちろん「前人未踏の地を独力で切り開くそうした思考」なんてものに到達できればそれにこしたことはありませんが、実際のところ「そうした思考」なんて存在し得ないのも事実でありますから、結局の処、様々な考え……それは過去のものもそうですし、現在のものもそうでしょう……と「対話と対決を経て、みずからの途を歩み」はじめるしかありません。
※個人的には、「無からの創造」のような「前人未踏の地を独力で切り開くそうした思考」なんて存在しているとは思いませんけどネ

それが書物のスタイルをとることもあれば……学としてはそうなりますが……、社会的な事象もその対象となるでしょう。

それに対して「『はたしてそうか』と問いを投げかけつつ思考」する。

一切はここに尽きるわけで、その挑戦をどれだけ選択することができるのかどうかというところでしょうか。

様々な考え方やアイデアと対峙しながら、自分自身でも『はたしてそうか』とツッコミをいれつつ反芻していく。

その営為をこつこつ積み重ねていくとき、ぱっと開けてくる時っていうものはあるもんです。

ですから、短い冬休みですけれども、大学生には、古典的な名著と呼ばれるものと、がっぷり対話と対決して欲しいのですが、今は「就活」で忙しいご時世だから、難しいのですかねぇ(涙


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少年が認識したり模倣したりするように努めている理想を形成しているものは、この大人およびあの大人である

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 子供は遊戯から学習という厳粛な行為へ移行することによって少年になる。子供たちはこの時代に、好奇心、とくに歴史に対する好奇心、にもえ始める。子供たちにとって彼らに直接には現われない諸表象が問題になる。しかし主要な問題はここで、彼らの心のなかに、彼らがそうあるべきものに実際まだなていないという感情が目ざめるということである。彼らがかこまれて生きている大人のようになりたいという願望が生き生きとしているということである。ここから子供たちの模倣欲が発生する。両親との直接的統一に関する感情は、精神的母乳であって、子供たちはこの母乳を吸飲することによって成長するのである。それに対し、大きくなりたいという子供たち自身の欲求が子供たちを育てるのである。このように子供たち自身が教育を求めて努力するということがあらゆる教育の内在的な契機である。しかし、少年はまだ直接性の立場に立っているので、少年にとっては彼がそこへ高まって行くべきいっそう高い者は一般性または事象の形態においては現われず、与えられたもの・個別的なもの・権威の形態において現われる。少年が認識したり模倣したりするように努めている理想を形成しているものは、この大人およびあの大人である。子供はこの立場においてはもっぱらこの具体的な仕方で自分自身の本質を直感するのでえある。それ故に、少年が学ぶべきものは、彼に対して、権威に基づき且つ権威といっしょに与えられなければならない。
    --ヘーゲル(舟山信一訳)『精神哲学 上』岩波文庫、1965年、128-129頁。

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最近、小学2年生の子供が歴史に興味を持ち、世界の歴史や日本の歴史……といっても本格的な何ではありませんが……を漫画や子供向けの読み物ですけどね、よく読んでおります。

時間軸から「人間とは何か」という問いを学び始めたということでしょうか。

大いに応援したいと思います。

それから、将棋にも興味が出たようです。

小学校の高齢者交流教室?のようなところで「将棋入門」のような企画があり、それに参加したのがきっかけです。先月から、地域の将棋教室にも参加して、「腕を磨いている」ようです。

自宅でも時々「指す」のですが、まあ、へたくそな僕よりも「ヘタクソ」なので、木っ端みじんに粉砕してしまいますが、たまに「手を抜いてくれ」と懇願されるのでわざと負けることもあります。

おそらくこの場合、「勝利を味わう」という醍醐味の体感よりも、親と一緒に遊びたいというのが先にきているのでしょう。週に1、2度、それぞれたった10数分ですけど、少し大事にしたいなとも思います。
※勿論、「勝ち」「負け」に執念をもって取り組むことが生きる上では必要な一方で、その価値だけを絶対のものとして捉える落とし穴も存在することは言うまでもありませんが、ここではそれが本論ではありませんので割愛します。

しかし、子供の成長してゆくさまを見るにつけて、学びは模倣から始まると言われますけども、その「お手本」となる「大人」の在り方っていうのは、実際のところ「大事だな」と痛感せざるを得ません。

2日に帰省先から東京へ戻ってきたのですが、そんなことを少々考えながら……、「在り方」をもう一度点検しないとね……などと、通俗的な話ですけどもねw

別に懐古的な道学を講釈しようなどとは思いません。

ただ……、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)は『精神現象学』を魂の発展のドラマとして構成しておりますけども、「少年が認識したり模倣したりするように努めている理想を形成しているものは、この大人およびあの大人である」というこの意義を、ときどき点検していかないとネ。

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歴史の流れに入ってゆくこと

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 歴史の流れに入ってゆくことによって自分の身が汚れはしないかと心配するのは、徳ではなく、徳を逃れようという道である。或る人々は、罪が存在し横行するこの現実、この人間的事物と人間関係の具体的世界に手を染めることは、それだけで積みに染まることにほかならないと考えるように見える--あたかも罪は、内部から完成するものでなく、外部から感染するものであるかのように。これは、ファイリザイ的潔癖であって、手段浄化の教えではない。
 手段純化の教えは、まずなによりも、諸手段の階層性の問題にかかわっている。それは、人間にふさわしい目的は人間にふさわしい手段によって追求されなければならない、ということを要請する。それはまずもって、ただ一般的に善いばかりでなく・その目的に真に適合し・自身に目的の印章と刻印を帯びているような手段を取り上げようとする積極的な意志がなければならないと主張する--すなわち、かの共同善の本質に属する正義やかの、共同善の完成に属するところの、世俗生活の聖化そのものを体現しているような手段を。
    --ジャック・マリタン(久保正幡・稲垣良典訳)『人間と国家』創文社、昭和三七年、87-88頁。

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おそらくこのマリタン(Jacques Maritain,1882-1973)の指摘がひとつのキモになるんだろう。

関わることによって「自分の身が汚れはしないかと心配」するのは、汚れるどころかそのあべこべで、「徳をのがれようという道」になってしまう。

また関わることはしないけれども、問題を指摘することによって自分を「マシ」と確立するのもおそらく同根。

まあ、関わることは大事なんだけど、今度は「関わっている」から「何をやってもいい」とか、「イコール善」と短絡してしまうのも手段純化とは程遠い野蛮な暴挙。

その両極をさけながら、具体的世界のなかで、共同の問題を解決していくしかないんでしょうねぇ。

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「新春座談会:2012年 日本経済、逆境から将来へ」、『毎日新聞』2012年1月1日(日)付。

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新春座談会:2012年 日本経済、逆境から将来へ

 東日本大震災と福島第1原発事故、欧州債務危機、歴史的な円高……。未曽有の試練にさらされた2011年の日本経済。景気低迷や財政悪化に加え、産業空洞化・雇用喪失懸念も高まる中、将来をどう切り開けばいいのか。経済界で活躍するファーストリテイリング社長兼会長の柳井正さん、イー・ウーマン社長の佐々木かをりさんと、「『フクシマ』論」で注目される新進気鋭の社会学者、開沼博さんに論じてもらった。(司会は松木健・毎日新聞東京本社経済部長、写真・岩下幸一郎)

「経済敗戦」から再起--柳井さん
もっと多様性持って--佐々木さん
ポスト成長、自覚を--開沼さん
日本経済の現状

 --バブル崩壊後、日本は変革を迫られながら、できずに来ました。
 柳井さん 日本は90年代以降、成長しておらず、経済敗戦の状況。震災への対応で政治や行政の古い体質が浮き彫りになったが、それでも「まだ何とかやっていける」との雰囲気がある。税と社会保障の一体改革の議論でも(弱者への)分配論が目立ち、仕事を持って自立し稼ぐことの大切さが置き去りにされている。

 佐々木さん 日本は戦後、経済的に豊かになり、「そこそこの幸福感」を得た。新興国の台頭や少子高齢化など構造変化で、旧来式では前に進めないと分かっていても「そこそこうまくやってきた」との思いが残り、次の成長へのエネルギーにつながってこない。

 開沼さん 若者世代は生まれた時から絶望もしないが、何かをなし遂げたいという渇望感もあまりない。6~7歳の時、バブルが崩壊し、景気は悪くなったが、周りにモノがあふれていた。多くの家庭に車があり、海外旅行も(安くなって)望めば行ける。安直な希望に満足しがちだ。

 --欧州危機や超円高、電力不足など環境は厳しくなっています。
 柳井さん 経済の国境はなくなった。我々は小売業で本来、最も国内的な産業だが、生き残りをかけて海外に出ている。「日本製は品質がいい」との考えだけでは通用しない。日本のトップ企業でも、グローバル化に遅れれば負ける。

 佐々木さん 80年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」的な発想から脱皮して真摯(しんし)に前進する時。個々の企業がグローバル市場にいることを認識する必要がある。「日本の会社」の枠を超えることが求められている。

 開沼さん 経済低迷の中、日本企業は高付加価値のモノ作りで生き残りを目指しているが、うまくいっていない。若い世代は「経済の閉塞状況」に慣れきってしまっている。

 --グローバル化は産業空洞化や雇用喪失をもたらす側面もあります。
 柳井さん 空洞化は先進国共通の問題。企業も個人もそれを前提に考えていくしかない。かつて隆盛を誇った日本の繊維や石炭産業は国際競争に敗れて衰退したが、今回のグローバル化の波はもっと大規模で激しい。日本の企業も国民もいまだにバブル期までに蓄積した財産を食い潰して過ごしているが、このままでは衰退の一途だ。「昔の栄華を懐かしむ」のはバックミラーを見ながら車を運転するようなもの。日本にずっと住んで働いて成功できる時代ではない。

 佐々木さん 商社に入った若者でも海外赴任を嫌がる人がいると聞くが、地球上のどこでも力を発揮できる人材であってほしい。働くとは、機能することであり、役立つということ。大学の就職課はいまだに学生をブランド企業に就職させることを目標にしているが、教育現場の意識を変え、若者が働くことで貢献していく可能性を広げてほしい。

 開沼さん 日本社会が抱える困難がフクシマ論で描いた原発立地自治体の出口なき現状と重なる。福島第1原発事故後も立地自治体の選挙で原発推進派が勝っているのは、原発関連の雇用が無ければ経済が成り立たないから。製造業を誘致しても円高で海外に移ればおしまいだし、1次産業はもちろん、今さらリゾート開発の夢も見られない。空洞化問題も同じで、リスクを知りながら、先延ばししたことで対応が難しくなっている。


 ●TPPどう対応
 --世界に誇った自動車や電機産業も韓国などに追いつかれ、テレビさえ国内で作れない状況です。
 柳井さん 何でも日本でやろうと考えない方がいい。日本人は他国の文化と付き合うのが苦手だが、グローバル時代に適応しないと企業も個人も生き残れない。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)参加は日本再生の最後のチャンスかもしれない。国益を失うとの声があるが、日本は戦後、米国などとの交渉をこなし、経済大国になった。

 佐々木さん TPPで日本と相手国双方がプラスを作り出す可能性はある。外交交渉力がない前提で「TPPに入れば負ける」との議論はやめたい。うまくいかない点が出ても、それをバネに前向きに変わればいい。

 開沼さん ある地方議会で若い議員1人だけがTPPに賛成した。地域の職業構成は8割がたが第2次、3次産業で第1次産業はわずか。議員の多くは何となく農漁業が脅かされると反対したが、若い議員は「思考停止からは何も生まれない」と同調しなかった。考え続ける中に答えはある。

 --社会保障制度をはじめ戦後を支えたシステムが機能しなくなっています。
 柳井さん 国は国民や企業の財産を赤字国債という借金に変え、年金など社会保障を繕っている。国民の大切な資金を預かり、利子を付けて年金で返すと言いながら、約束が守られていない。消費税増税を言うなら、そのことをまず謝るべきだ。何でも上から制度で縛るのもやめた方がいい。オリンパスの損失隠し事件では規制でガバナンス(企業統治)を高めようとの声があるが、事件は規制の緩さに帰因するのではなく、経営者の問題だ。
 開沼さん 若い世代は将来十分な年金がもらえない不安を持ちつつも、どう備えるかまでは考えていない。どうせもらえないなら、保険料を払わなくてもいいかと開き直っている。

 佐々木さん 参政権を18歳に引き下げて若い世代の意見を政治に反映させることが大切だ。教育や若者にもっと投資する必要があるが、そういう声が政治に取り上げられていない。政治や企業にはもっと多様性が必要。「女性や外国人の登用を増やすだけで多様性が持てる」と誤解されることがあるが、多様性の本当の意義は10人いればみんながそれぞれ案を出し、多様な視点で物事を決めること。日本は戦後長らく、東京中心の一定の大学を出た男性が政治、経済、メディアの実権を握って「あうんの呼吸」で物事を決めてきた。かつてはこの「ボーイズネットワーク」がスピードや力を持ったが、グローバル社会や多様性の時代に移り、機能しなくなっている。


 ●企業や働き手は
 --企業や働き手はどう変わるべきですか?
 柳井さん 二十数年前、中国から香港に移った華僑と仕事した。彼らがアジアでモノを作り、欧米に売る姿を見て、ビジネスに国境はないと痛感した。日本も第二次大戦後は何もなく、ビジネスマンは海外にモノを売りに行った。開拓者精神を取り戻す必要がある。

 開沼さん 福島では安全神話に頼った国の原発行政が制度疲労を起こしていたにもかかわらず、根本的な安全対策をしなかったことが事故につながった。古いOS(基本ソフト)にアプリケーション(応用)ソフトを追加してもバグ(不具合)が出て、パソコンが動かないようなものだ。空洞化や若者の雇用も同じで、高度成長期やバブル期の思考のままでは対応しきれない。

 --バブル期に働き盛りだった世代は、何とか食っていけるとの思いが強い。その世代がリストラの標的になる一方、若者は将来に希望が持てずにいます。
 柳井さん 日本全体がサラリーマン社会になってしまったということ。バブル世代も「意識を変えないと死にますよ」と言われたら、頑張らざるを得ないはずだ。若い人にはもっとチャレンジしてほしい。日本にはあらゆるビジネスの要素があり、急成長するアジアも近い。中国にも欧州にも飛躍する舞台はある。

 佐々木さん 希望とは自分で作り出すもの。私の子供時代はインターネットは無く、ネット企業で活躍することは想像しなかった。待っていないで動くことが大切だ。

 開沼さん 若者に覇気がないと言われるが、上場企業で25歳の最年少社長が誕生し、地方議会では地盤・看板もない20代後半の若手がトップ当選している。ただ、若手には枝葉末節の追求にとどまる傾向もある。安全保障なども含めて、上の世代が築いてきた国家レベルの大きな問題設定を乗り越えることが必要だ。

 ●今年はどんな年
 --12年は日本にとってどういう年ですか?
 柳井さん 日本がバブル崩壊後の経済敗戦から立ち上がる年になってほしい。単なる経済回復を目指すのではなく、日本人や企業がもっと目線を上げて、もう一度、世界でナンバーワンになるには何が必要かを考えていきたい。

 佐々木さん 一人ひとりが世の中に何をプラスできるかを考え、行動する年。うまくいかなくても、制度や他人のせいにせず、自分が組織や日本をどう良くできるかを考え行動すれば、必ずいい方向に動く。

 開沼さん 11年は日本がポスト成長期の自覚を突きつけられた。85年のプラザ合意からか、95年の円高時からかなど起点の設定の仕方はいろいろあるが、成長期に培われた制度やシステムが疲弊しているのに、国や企業、個人は十分に自覚せず、課題を先送りしてきた。その結果、多くの矛盾が噴出している。震災はこの現実を鮮明にしたが、私たちはまだ考え方を変え切れずにいる。12年はポスト成長時代を自覚した上で、新しい価値観をどう作るかが課題。そうしないと、一層厳しくなる。

人物略歴

 ◇やない・ただし
 ファーストリテイリング社長兼会長。父が創業した小郡商事を「ユニクロ」ブランドを擁する国内最大のカジュアルウエアチェーンに発展させた。山口県出身。62歳。

 ◇ささき・かをり
 イー・ウーマン社長。ウェブ上で「働く人の円卓会議」を展開、企業のブランドコンサルティングや商品開発を行う。国際女性ビジネス会議を主宰。横浜市出身。

 ◇かいぬま・ひろし
 社会学者。東大大学院博士課程在籍。3・11以前に進めた福島第1原発と周辺地域の考察「『フクシマ』論」で第65回毎日出版文化賞。福島県いわき市出身。27歳。
    --「新春座談会:2012年 日本経済、逆境から将来へ」、『毎日新聞』2012年1月1日(日)付。

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http://mainichi.jp/select/biz/news/20120101ddm010020007000c.html

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他の文化が滑稽に映る様子と同じように、もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか?

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 次に多文化主義を語るうえでの、ヨーロッパの宗教的・イデオロギー的遺産に含まれる貴重な側面があります。私にとって守り抜く甲斐のあるヨーロッパ的価値とは何か? 近代哲学の初期段階においてはすでに……デカルト『方法序説』を読めば、彼が思想の追究を始めたきっかけが書いてあります。他の文化が滑稽に映る様子と同じように、もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか? それで、どれほど滑稽かが認識できる。自らの文化がいかに偶然的かを実感するわけです。生まれついた文化が自然だと思わせる生来のルーツから、離脱することができるのです。間違っているかもしれませんが、私はこの体験こそがヨーロッパがもたらしたものだと考えています。そのような意味で、ヨーロッパは真に普遍性を導入した。ヨーロッパの遺産において肯定できる側面です。
    --スラヴォイ・ジジェク(岡崎玲子、インタビュー・訳)『人権と国家 --世界の本質をめぐる考察』集英社新書、2006年、9-10頁。

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ヨーロッパから何を学ぶのかといえば、やはりこの「普遍性」ということではないでしょうか。

勿論、そうはいっても、野蛮⇔文明に軸をおいてそこから世界をヒエラルキーとさせたヨーロッパの思想性、力を伴った文化帝国主義の問題は承知しておりますし、その負荷は厳しく検討・精査されてしかるべきです。

しかしそうした負の側面だけで終わらせることなく、何かを為した場合、必ずそれについての「真摯な反省」という議論が出てくる柔軟さにはいつも瞠目してしまいます。

そういうものがいろいろありますが、その一つが、「文化がいかに偶然的か」という観点。

もっとも……

「そんなこたァ知らねえよ、ヨーロッパ世界がNO.1」と仰ってはばからない欧州人はゴマンと存在しますし……

「草臥れた東洋よりも、ヨーロッパの方がエレガントなんだよね」と無知丸出しの西洋崇拝の東洋の方々もゴマンと存在しますし……

……そんなことはもとより承知です。

しかしながら、たえず自分自身を相対化させていく、そして……しかもイデオロギーの奴隷として発想するのではなく、自分自身の「頭」と「心」をつかって……その意義を学び、「そういうものに“すぎない”」と導き出す柔軟さはやっぱり学ぶ必要があるんです。
私自身は神学研究者として『ザ』ヨーロッパですよ。

そのことへの自覚はあります。

しかし、どちらが偉いかという議論を超えて、西は東から学び、東は西から学ぶことによって、どうものごとを見ていくのか……という視点はやっぱり必要なんです。
※そもそも西⇔東という二律背反の発想そのものがオリエンタリズム(⇔オクシデンタリズム)のマジックなんだけど、それはひとまず措く。

もちろん、『ザ』ヨーロッパに関わっておりますが、肩入れはしておりますよ。しかし、それは崇拝ではなく、その慧眼から何を学び、この生きている社会に反射させていくのかという意味なので、単純に「西洋乙」クラスタか……などとは片づけないでくださいまし。
伝統的に、東洋の社会は、本来、仮象にしか過ぎないものを後生大事に「実体」として扱う精神風土に加え、「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の思考麻痺した全体優先の発想が濃厚です。

だからこそそうなるわけなんですが、別に西洋が素晴らしいなどとすっとぼけた吹聴をしようとは思いませんが、だからこそ「我」から「相対性」を導く「学び」は、「ものごとをどう見るか」という意味では身に付けておくべき流儀だと思うのですけどネ。

何かを語ると「このヨーロッパかぶれ」とかよく言われますが、「かぶれ」てレッテル張りする人間ほど「かぶれ」ている御仁はいないよな、と思いつつ、脱線しましたね。

もどります。

ジジェク(Slavoj Žižek,1949)はデカルト(René Descartes,1596-1650)の『方法序説』での“疑う”という事に注目して「もし自身の文化を異邦人の視点から捉えたらどうか? それで、どれほど滑稽かが認識できる。自らの文化がいかに偶然的かを実感するわけです。生まれついた文化が自然だと思わせる生来のルーツから、離脱することができるのです」と指摘しております。

もちろん、この離脱=完全な客観化というお花畑ではないのはいうまでもありませんが、「自分てどうよ」っていう問いかけが常にもっておかないと、「滑稽」であることを知らない“裸の王様”になっちゃうよ、ってことですねw


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人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。

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 人間はどんな荒唐無稽な話でも、聞いているうちに自然とこれがあたりまえと思うようにできている。そして、それがすでにしっかりと根を下ろしてしまう。だから、これを削ったり抹殺したりすると、とんでもない目にあう。
    --ゲーテ(竹山道雄訳)『若きウェルテルの悩み』岩波文庫、1978年、70頁。

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新年あけましておめでとうございます。

時代が大きく揺れた昨年来、つくづく実感したのが、「人間精神の自由」をこれっぽちも大事に考えない、また経緯をするーして居直り強盗を決め込む連中。

いろんな人間を見てきた気がします。

しかし、「お前ら、アホか」

……っていっても始まりません。

もう一度、一人一人の人間とのつながりから、わたしもアナタも人間であるという原点から、時代の空気を転換しゆくささやかな挑戦を、より丁寧に探究させていただければと思う次第です。

今年も、まあ、偉そうなものいいや、ゴルァとか、もしくは活字の暴力団……分量が長すぎてorzという意味でのですよ、念のため……と化す、いや、より以上にそうなるかもしれませんが、まあ、ここはひとつよしなにと思う次第です。

それではみなさまに幸多からんことを。

以上。

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覚え書:「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。

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社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也

 今年はオウム真理教をめぐる刑事裁判がすべて終結した年だった。重い教訓を生かしたいが、信者たちがなぜ、深刻な犯罪に走ってしまったのか、解明するのはこれからの課題だ。

 大部な研究書「情報時代のオウム真理教」(宗教情報リサーチセンター編、春秋社)が今夏に刊行された。若手からベテランまで18人の研究者たちが膨大な1次資料を分析している。その記述で、オウムが情報発信能力にたけていたうえ、メディアが結果としてうまく使われていたことが印象的だった。

 何種類ものビデオやアニメ、説法テープ、出版物、歌、ロシアからのラジオ放送が布教のために駆使された。音楽では、一般の人に対するもの、信者の信仰を深めるためのもの、出家信者のみを対象に「敵」への明確な意思を示したものの3種類があり、3層構造によって、代表者への絶対忠誠が深められていったという。

 また、テレビのワイドショーやバラエティー番組はオウムを「ネタ」として消費し続けた。この本の責任編集者である宗教社会学者の井上順孝・国学院大教授は、オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないかと指摘する。

 地下鉄サリン事件から16年がたち、若者たちの宗教意識からは事件の風化が見て取れる。事件直後は宗教教団への強い不信があったのに、2000年代半ばごろから確実に宗教への関心が高まっているというのだ。

 たとえば、「宗教と社会」学会などの昨年の意識調査では、大学生4311人中、11.9%が「信仰を持っている」、38.2%が「宗教に関心がある」と答えた。いずれの数字もこの10年間、増え続けている。

 さらに二つの要因が気になる。一つはインターネットの発達で、社会の情報化が飛躍的に深まっていることだ。不特定の人が情報を通して宗教に触れる機会は多くなっている。

 また、東日本大震災や原発事故がもたらす影響も注目される。多くの日本人が死に直面したり、文明のあり様を疑ったりした経験は宗教意識にも、変化を及ぼすのではないか。

 自分が生きる意味は何なのか、死後をどう考えるのかなど、宗教的な問いかけは人間本来のものだろう。宗教への関心が深まることには、肯定的な側面もあるかもしれない。でも、オウムのようにそれを悪用する集団が出ないとも限らない。

 そんな中で教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。(論説委員)
    --「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111230k0000m070083000c.html


「やや日刊カルト新聞」による【書評】『情報時代のオウム真理教』
http://dailycult.blogspot.com/2011/10/blog-post_7000.html?spref=tw

※以下関連ツィートのまとめ

テレビはオウムを『ネタ』として消費⇒「オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないか」(井上順孝氏)。教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。

うえの書評では「井上氏は『癒しブームやスピリチュアル・ブームに棹さしたような論考のなかには、何か危ういものが混じっているのを感じることがある』と、昨今のジャーナリズム、特にテレビの報道姿勢に警笛を鳴らす」。

しかし、この「『ネタ』として消費」はヤバイ。
北朝鮮の扱いも「ネタ」のひとつ。

結局、対象を分析しようとか批判(クリティークとしての)しようという眼差しではない。

要するに「おもしろおかしけりゃいい」っていう「揶揄」。

チャップリン(Charles Spencer Chaplin, Jr.,1889-1977)の「笑い飛ばす」とは程遠い2ch文化でしょ。

問題あるよな。

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覚え書:「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。

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社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也

 今年はオウム真理教をめぐる刑事裁判がすべて終結した年だった。重い教訓を生かしたいが、信者たちがなぜ、深刻な犯罪に走ってしまったのか、解明するのはこれからの課題だ。

 大部な研究書「情報時代のオウム真理教」(宗教情報リサーチセンター編、春秋社)が今夏に刊行された。若手からベテランまで18人の研究者たちが膨大な1次資料を分析している。その記述で、オウムが情報発信能力にたけていたうえ、メディアが結果としてうまく使われていたことが印象的だった。

 何種類ものビデオやアニメ、説法テープ、出版物、歌、ロシアからのラジオ放送が布教のために駆使された。音楽では、一般の人に対するもの、信者の信仰を深めるためのもの、出家信者のみを対象に「敵」への明確な意思を示したものの3種類があり、3層構造によって、代表者への絶対忠誠が深められていったという。

 また、テレビのワイドショーやバラエティー番組はオウムを「ネタ」として消費し続けた。この本の責任編集者である宗教社会学者の井上順孝・国学院大教授は、オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないかと指摘する。

 地下鉄サリン事件から16年がたち、若者たちの宗教意識からは事件の風化が見て取れる。事件直後は宗教教団への強い不信があったのに、2000年代半ばごろから確実に宗教への関心が高まっているというのだ。

 たとえば、「宗教と社会」学会などの昨年の意識調査では、大学生4311人中、11.9%が「信仰を持っている」、38.2%が「宗教に関心がある」と答えた。いずれの数字もこの10年間、増え続けている。

 さらに二つの要因が気になる。一つはインターネットの発達で、社会の情報化が飛躍的に深まっていることだ。不特定の人が情報を通して宗教に触れる機会は多くなっている。

 また、東日本大震災や原発事故がもたらす影響も注目される。多くの日本人が死に直面したり、文明のあり様を疑ったりした経験は宗教意識にも、変化を及ぼすのではないか。

 自分が生きる意味は何なのか、死後をどう考えるのかなど、宗教的な問いかけは人間本来のものだろう。宗教への関心が深まることには、肯定的な側面もあるかもしれない。でも、オウムのようにそれを悪用する集団が出ないとも限らない。

 そんな中で教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。(論説委員)
    --「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111230k0000m070083000c.html


「やや日刊カルト新聞」による【書評】『情報時代のオウム真理教』
http://dailycult.blogspot.com/2011/10/blog-post_7000.html?spref=tw

※以下関連ツィートのまとめ

テレビはオウムを『ネタ』として消費⇒「オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないか」(井上順孝氏)。教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。

うえの書評では「井上氏は『癒しブームやスピリチュアル・ブームに棹さしたような論考のなかには、何か危ういものが混じっているのを感じることがある』と、昨今のジャーナリズム、特にテレビの報道姿勢に警笛を鳴らす」。

しかし、この「『ネタ』として消費」はヤバイ。
北朝鮮の扱いも「ネタ」のひとつ。

結局、対象を分析しようとか批判(クリティークとしての)しようという眼差しではない。

要するに「おもしろおかしけりゃいい」っていう「揶揄」。

チャップリン(Charles Spencer Chaplin, Jr.,1889-1977)の「笑い飛ばす」とは程遠い2ch文化でしょ。

問題あるよな。


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覚え書:「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。

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社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也

 今年はオウム真理教をめぐる刑事裁判がすべて終結した年だった。重い教訓を生かしたいが、信者たちがなぜ、深刻な犯罪に走ってしまったのか、解明するのはこれからの課題だ。

 大部な研究書「情報時代のオウム真理教」(宗教情報リサーチセンター編、春秋社)が今夏に刊行された。若手からベテランまで18人の研究者たちが膨大な1次資料を分析している。その記述で、オウムが情報発信能力にたけていたうえ、メディアが結果としてうまく使われていたことが印象的だった。

 何種類ものビデオやアニメ、説法テープ、出版物、歌、ロシアからのラジオ放送が布教のために駆使された。音楽では、一般の人に対するもの、信者の信仰を深めるためのもの、出家信者のみを対象に「敵」への明確な意思を示したものの3種類があり、3層構造によって、代表者への絶対忠誠が深められていったという。

 また、テレビのワイドショーやバラエティー番組はオウムを「ネタ」として消費し続けた。この本の責任編集者である宗教社会学者の井上順孝・国学院大教授は、オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないかと指摘する。

 地下鉄サリン事件から16年がたち、若者たちの宗教意識からは事件の風化が見て取れる。事件直後は宗教教団への強い不信があったのに、2000年代半ばごろから確実に宗教への関心が高まっているというのだ。

 たとえば、「宗教と社会」学会などの昨年の意識調査では、大学生4311人中、11.9%が「信仰を持っている」、38.2%が「宗教に関心がある」と答えた。いずれの数字もこの10年間、増え続けている。

 さらに二つの要因が気になる。一つはインターネットの発達で、社会の情報化が飛躍的に深まっていることだ。不特定の人が情報を通して宗教に触れる機会は多くなっている。

 また、東日本大震災や原発事故がもたらす影響も注目される。多くの日本人が死に直面したり、文明のあり様を疑ったりした経験は宗教意識にも、変化を及ぼすのではないか。

 自分が生きる意味は何なのか、死後をどう考えるのかなど、宗教的な問いかけは人間本来のものだろう。宗教への関心が深まることには、肯定的な側面もあるかもしれない。でも、オウムのようにそれを悪用する集団が出ないとも限らない。

 そんな中で教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。(論説委員)
    --「社説:視点・オウムの教訓 今後に生かしたい=重里徹也」、『毎日新聞』2011年12月30日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111230k0000m070083000c.html


「やや日刊カルト新聞」による【書評】『情報時代のオウム真理教』
http://dailycult.blogspot.com/2011/10/blog-post_7000.html?spref=tw

※以下関連ツィートのまとめ

テレビはオウムを『ネタ』として消費⇒「オウムを不特定多数につなぐ役割を果たしたのではないか」(井上順孝氏)。教訓をどう生かすのか。既成の宗教はもちろん、私たちメディアのあり方も問われている。

うえの書評では「井上氏は『癒しブームやスピリチュアル・ブームに棹さしたような論考のなかには、何か危ういものが混じっているのを感じることがある』と、昨今のジャーナリズム、特にテレビの報道姿勢に警笛を鳴らす」。

しかし、この「『ネタ』として消費」はヤバイ。
北朝鮮の扱いも「ネタ」のひとつ。

結局、対象を分析しようとか批判(クリティークとしての)しようという眼差しではない。

要するに「おもしろおかしけりゃいい」っていう「揶揄」。

チャップリン(Charles Spencer Chaplin, Jr.,1889-1977)の「笑い飛ばす」とは程遠い2ch文化でしょ。

問題あるよな。

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