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少年が認識したり模倣したりするように努めている理想を形成しているものは、この大人およびあの大人である

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 子供は遊戯から学習という厳粛な行為へ移行することによって少年になる。子供たちはこの時代に、好奇心、とくに歴史に対する好奇心、にもえ始める。子供たちにとって彼らに直接には現われない諸表象が問題になる。しかし主要な問題はここで、彼らの心のなかに、彼らがそうあるべきものに実際まだなていないという感情が目ざめるということである。彼らがかこまれて生きている大人のようになりたいという願望が生き生きとしているということである。ここから子供たちの模倣欲が発生する。両親との直接的統一に関する感情は、精神的母乳であって、子供たちはこの母乳を吸飲することによって成長するのである。それに対し、大きくなりたいという子供たち自身の欲求が子供たちを育てるのである。このように子供たち自身が教育を求めて努力するということがあらゆる教育の内在的な契機である。しかし、少年はまだ直接性の立場に立っているので、少年にとっては彼がそこへ高まって行くべきいっそう高い者は一般性または事象の形態においては現われず、与えられたもの・個別的なもの・権威の形態において現われる。少年が認識したり模倣したりするように努めている理想を形成しているものは、この大人およびあの大人である。子供はこの立場においてはもっぱらこの具体的な仕方で自分自身の本質を直感するのでえある。それ故に、少年が学ぶべきものは、彼に対して、権威に基づき且つ権威といっしょに与えられなければならない。
    --ヘーゲル(舟山信一訳)『精神哲学 上』岩波文庫、1965年、128-129頁。

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最近、小学2年生の子供が歴史に興味を持ち、世界の歴史や日本の歴史……といっても本格的な何ではありませんが……を漫画や子供向けの読み物ですけどね、よく読んでおります。

時間軸から「人間とは何か」という問いを学び始めたということでしょうか。

大いに応援したいと思います。

それから、将棋にも興味が出たようです。

小学校の高齢者交流教室?のようなところで「将棋入門」のような企画があり、それに参加したのがきっかけです。先月から、地域の将棋教室にも参加して、「腕を磨いている」ようです。

自宅でも時々「指す」のですが、まあ、へたくそな僕よりも「ヘタクソ」なので、木っ端みじんに粉砕してしまいますが、たまに「手を抜いてくれ」と懇願されるのでわざと負けることもあります。

おそらくこの場合、「勝利を味わう」という醍醐味の体感よりも、親と一緒に遊びたいというのが先にきているのでしょう。週に1、2度、それぞれたった10数分ですけど、少し大事にしたいなとも思います。
※勿論、「勝ち」「負け」に執念をもって取り組むことが生きる上では必要な一方で、その価値だけを絶対のものとして捉える落とし穴も存在することは言うまでもありませんが、ここではそれが本論ではありませんので割愛します。

しかし、子供の成長してゆくさまを見るにつけて、学びは模倣から始まると言われますけども、その「お手本」となる「大人」の在り方っていうのは、実際のところ「大事だな」と痛感せざるを得ません。

2日に帰省先から東京へ戻ってきたのですが、そんなことを少々考えながら……、「在り方」をもう一度点検しないとね……などと、通俗的な話ですけどもねw

別に懐古的な道学を講釈しようなどとは思いません。

ただ……、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770-1831)は『精神現象学』を魂の発展のドラマとして構成しておりますけども、「少年が認識したり模倣したりするように努めている理想を形成しているものは、この大人およびあの大人である」というこの意義を、ときどき点検していかないとネ。

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