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覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『子どもの教育』/『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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今週の本棚:富山太佳夫・評 『子どもの教育』/『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』


 ◇『子どもの教育』=J・ロック著、北本正章・訳
 (原書房・5040円)

 ◇『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』=D・ヴィンセント著、北本正章・監訳
 (新曜社・3990円)

 ◇教育と読み書きをめぐる思想と歴史
 こんな時代であるから、次のような言葉を眼にして大なり小なりうなずかない人はまずいないのではなかろうか。「最近、子どもをどう育てたらよいのか途方に暮れている、と非常に多くの人たちからわたし自身も相談を受け、若者たちが早い段階で堕落してしまうという苦情が、いまでは多くの人びとのあいだに広まっております」

 あるいは、次のような言葉。「子どもをよく教育することは、親たる者の重大な義務であり、また関心事であって、国民の福祉と繁栄は、子どもの教育に依存すること大であります」

 もうひとつ。「外国語をその言いまわしから正しい発音にいたるまでを覚えさせる最初の時期は、七歳から一四歳ないし一六歳までの時期であり、この時期には外国語でその他のさまざまなことも教えることができる教師が役立ちますし、また必要だと思います」

 勿論(もちろん)プラトンやアリストテレスがこんな発言をするはずはないし、カントやヘーゲルの発言でもない。ニーチェ、まさか。

 同じように哲学者と呼ばれても、彼らとイギリスのそれとでは大きく違うことはすぐに分かるはずである。英国の哲学者は、ヒューム、ベンサム、ミルからラッセルにいたるまで、ごくごく日常的な問題を真面目に扱う癖をもっている。引用したのはジョン・ロックの『子どもの教育』の中の言葉なのだ。教育論の不朽の名著とされる一冊である。刊行されたのは一六九三年のこと。

 つまり、バニヤンの『天路歴程』(一六七八年)が大人気を博し、万有引力の法則を解明したニュートンが一六九九年に造幣局長官になり、その五年前にはイングランド銀行が設立され、やがて株の暴落による南海泡沫事件も起きた時代である。激動の時代には教育論が書かれる傾向があるのかどうかは別にしても、そのような時代背景を頭に置いて、このジェントルマンの子弟向けの教育論を、私は楽しんだ。

 ロックの教育論は子どもの体の健康の話から始まり、子どもの「自由とわがまま」、「臆病と勇気」、「嘘(うそ)と言い訳」といったテーマを取り上げ、勉強やスポーツや手仕事(絵、園芸、農業、簿記など)の話に展開し、「教育の最後の部分は『旅行(トラヴェル)』です」ということになる--ということは、『ロビンソン・クルーソー』(一七一九年)や『ガリヴァー旅行記』(一七二六年)も、少なくとも或(あ)る部分では教育本ということになるのだろうか。後者の小説では江戸と長崎が登場するのに対して、ロックの教育論には中国の話が出てくる。「最近、中国の成人女性のものだといわれる一足の中国製の靴を見ました……中国の男性たちは他の国の男性と変わらない身長で、かなりの年齢まで生きています」。これを眼にした瞬間に、私の想像力はあちらこちらにかけめぐり始める。


 しかし、一九世紀イギリスの労働者階級の自叙伝の研究者でもあるデイヴィド・ヴィンセントの手になる『マス・リテラシーの時代 近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』を読み始めると、正直なところ、冷水を浴びせられたような気分になった。「リテラシーの歴史は、民衆文化とエリート文化という一枚岩的な図式に二度と再び安住することはできない……新たに読み書きできるようになった者たちが書物やペンを手に取った時に何をしたのか」。リテラシー、つまり、読み書きすることに内在する意義とは何であり、それに縛られることはどんな意義をもつのか。人びとはそれにどう反応したのか。そこにはどんなイデオロギーがうごめいていたのか。

 ロックの視野にはまだ入ってこなかったこうした問題を、一八、一九、二〇世紀の歴史をふまえて考察したのがヴィンセントの本なのである。しかも、その考案の素材を提供したのはひとつの国ではない。ロシアや北欧の国々、いわゆる西欧の諸国からアメリカにいたるまでのさまざまの国の資料が使われているのだ。決して厚い本ではないけれども、とても充実した内容の本で、読む者の思考を新たな方向にあと押ししてくれる言葉が詰まっている。

 例えば、今ではごく簡単に読み書きする力と言ってしまうけれども、著者はこう言っている。「読み方と書き方は、それぞれ異なる文化の伝統に属していたのである。読み方は宗教教育に必須だと考えられ、宗教教本の解読は授業の形式と同時に目的でもあった。これに対して書き方は、その技術の必要な職に就くと決められた子どもたちだけが身につける、手を使う技と見なされた……子どもを学校に残しておける経済力と熱意のある家庭の子どもだけが書き方を学ぶことができた」

 二冊ともただ読んで納得すればすむ本ではない。方向こそ違うものの、考えることを誘う本であって、実りある併読となるはずである。
    --「今週の本棚:富山太佳夫・評 『子どもの教育』/『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120226ddm015070010000c.html


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