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2012年2月

東京の大雪:雪原をふき来る風はつめたくて春の光のあまねくなりぬ

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 雪原をふき来る風はつめたくて春の光のあまねくなりぬ
    昭和十一年 南原繁
    --南原繁『歌集 形相』岩波文庫、1984年、24頁。

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朝からぼんやり降り出した雪ですが、昼前になってみるとかなりの降雪。

少し諸事で外出することがあり、近所をスケッチしました。

見ている分にはいいのですが、陽が落ちると路面凍結になると思います。

皆様、転倒などご注意くださいませ。


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あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑うこの民の知性を

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君が代条例が成立へ 維新・公明が合意 大阪市議会
2012年2月28日

 君が代の起立斉唱を市立学校の教職員に義務づける大阪市の君が代条例案が、28日開会の市議会(定数86)に提出される。橋下徹市長が率いる大阪維新の会の市議団(33人)と公明党(19人)が一部修正で大筋合意しており、同日の本会議で成立する見通しとなった。両会派は自民党(17人)にも賛成を呼びかけて修正協議を続けたが、自民側が独自案にこだわったため、決着は持ち越された。

 大阪府では昨年5月、府議会で過半数を握る維新の会府議団が同様の君が代条例案を提出。公明、自民を含む他会派は反対したが、維新の賛成多数で可決、成立した。府条例は府内市町村の全公立学校の教職員を対象に起立斉唱の徹底を図る「服務規律の厳格化」を掲げており、大阪市教委は「市で条例制定の必要はない」としてきたが、橋下氏は「市の意思を明確化するうえで意義がある」として市条例案の提出を決めた。

 府議会で反対にまわった公明は、昨秋のダブル選後、次期衆院選での連携を見据えて維新と接近。市議団は条例案の目的にあった「服務規律の厳格化」の一文を削除する修正を条件に、賛成する方向。橋下氏は今月、公明市議団幹部と会談した際に「公明が賛成しやすい形にしたい」と修正を容認していた。
    --「君が代条例が成立へ 維新・公明が合意 大阪市議会」、『朝日新聞』デジタル版、2012年2月28日(火)。

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http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201202280023.html

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大阪教育条例案で有識者反対声明 「意見押し付け」

 佐藤学東大教授ら教育学者を中心とする有識者グループが28日、大阪市と東京都内でそれぞれ記者会見し、大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)が大阪府市の両議会で成立を目指す教育基本条例案に反対する声明を発表した。

 大阪市で記者会見した田中恒子大阪教育大名誉教授は「橋下市長の意見を子どもに押し付けるだけだ」と批判。賛同人の元大阪市教育委員長池田知隆氏は、首長による教育目標設定に関する規定が修正されたことに関し「表現はやわらかくなったが本質的には変わっていない」と指摘した。

 条例案は首長に教育目標の設定権を与え、教育施策への政治関与を容認する内容。
    --「大阪教育条例案で有識者反対声明 『意見押し付け』」、『共同通信』2012年02月28日(火) 12:02

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http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE1EBE3E4E2E4E0E2E0EAE2E0E0E2E3E09191E2E2E2E2;at=ALL


暗い夜の記憶がよみがえる。

なかなか眠りにつくことができない。

ふと、気になって南原繁(1889-1974)の歌集『形相』をひっぱりだしてみた。

東条内閣成立の前日、いくつかの和歌を残しているのですが、そのなかのひとつが次の歌。


「あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑うこの民の知性を」


東条内閣の成立に「知性を疑う」と南原は言葉を残しておりますが、知性だけでなく、人間の存在に対する完成や想像力をも喪失しているのとちゃうかいなと思ってしまうのが、昨今の情況かも知れません。

人間精神にとって最も大切なものは何か。

それは「内心の自由」に他なりません。

それが、方法論として扱われ、テキトーな「職務違反」的な問題にすり替えられ、ひくく見積もられてしまっていく“雰囲気”って何なんでしょうか。

おもえば、南原の師・内村鑑三不敬事件のことも思い出さなければならないと思うのだが……。

ふぅ。


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『現代史のリテラシー 書物の宇宙』 著者・佐藤卓己さん」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付


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今週の本棚・本と人:『現代史のリテラシー 書物の宇宙』 著者・佐藤卓己さん


 (岩波書店・2415円)

 ◇「現在」の問題をえぐり出す--佐藤卓己(さとう・たくみ)さん
 『「キング」の時代』『言論統制』などの話題作を書いてきたメディア史家による書評集。日本の近現代史や思想、文化ジャンルの本を対象に、新聞や雑誌に掲載した書評が中心だが、初めの3分の1はドイツ現代史に関わる本が占める。実は、もともと社会主義やナチズムの宣伝研究が出発点だった。

 現在に直結する問題をえぐり出す切り口が鮮やかだ。例えば、収容所体験を持つユダヤ人化学者レーヴィの『溺(おぼ)れるものと救われるもの』(2000年、原著は1986年)の評では、「ガス室はなかった」とする言説の登場など「記憶の風化」に触れる。そして、インターネットを含む<情報洪水の現状は、メディアによる「でっち上げ」説が奇妙な信憑性(しんぴょうせい)を持つ背景となっている>と書く。

 近年の研究から、ナチ体制については「暗黒の暴力支配」といった単純なイメージで語りえないことが明らかになっている。「だから日本に関しても、戦前は暗黒で、言論統制で何も言えない時代だったという固定観念には、懐疑の目が向いたのだと思います」

 名著や古典の解説として執筆した長めの批評も収めた。目を引くのは、思想の科学研究会編『共同研究 転向』(全3冊、59~62年)の扱いだ。

 戦前・戦中・戦後の知識人の「転向」を幅広く分析した大著だが、よく知られている割に必ずしも評価は定まっていなかった。これを<個人の伝記を積み上げて体系化した斬新な思想研究>と位置づけたうえで、成果と限界を指摘している。

 「若い世代には『転向』と言ってもピンとこないでしょうが、戦前と戦後をトータルに捉えるうえで鍵になる概念です。さらに、ベルリンの壁崩壊後の『転向』や、今の原発事故後の状況における『転向』など、応用できる可能性も感じます」

 書名の「リテラシー」は読み書き能力を指す。「メディア史こそメディアの本質を知る方法である」と考える著者が読んで書いた、まさに面目躍如たる本だ。<文・大井浩一/写真・岩下幸一郎>
    --「今週の本棚・本と人:『現代史のリテラシー 書物の宇宙』 著者・佐藤卓己さん」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120226ddm015070019000c.html


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くよくよでもよいから、煮え切らなくてもよいから、自分の言動に責任をもつ生き方

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 最後につけ加えるならば、私が戦争直後に、教科書に炭を塗った世代にあたっています。日本の敗戦のとき、国民学校の五年生でした。そのため、時々「わたしは小学校には一年も行っていません」と言います。それは入学するときに小学校が国民学校に変わり、卒業するときまで国民学校であったからです。そのあと再び小学校に戻りました。したがって私たち前後の学生は一年は小学校に通ったが、私たちの学年だけは、一年も小学校に行っていない学年になりました。
 ということは、炭で塗る前の教育を、戦前にある程度受け、それとは全く対照的な教育を戦後に受けたことになります。それも同じ教師からでした。これにより生じた教師をはじめとする人間に対する不信感は簡単には拭い切れませんでした。
 先程も、ある学者たちの戦中の発言をまとめたばかりですが、自伝などを読むばあいにも、その人々が戦中にはどのような言動をしたのか、そして戦後にはどうであったか、という問題が気になるという後遺症が残りました。もちろん人間であるからには「あやまちは人の常」が前提です。見極めようとしている点は、それをあやまちと認めるか、認めたとき、それをどのように受け止めているか、という点なのです。
 したがって「心の図書館」には、戦後も平気で大手を振って生きた人でなく、くよくよでもよいから、煮え切らなくてもよいから、自分の言動に責任をもつ生き方の表れたものを入れたいと思っています。
    --鈴木範久「心の古典に親しむ」、『古典に学ぶ』人事院公務員研修所、平成十七年、12-13頁。

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昨日は恩師のところで、論文の指導を受けてきました。

暗闇のなかをとぼとぼと歩くような毎日でしたが、論点が整理され、骨格が明瞭になった感。師の学恩に感謝です。

細かな論文の話題だけでなく、日本宗教史と宗教学の問題から身近な雑事まで、都合4時間ちかくお世話になりました。

先ずはだされた宿題をきちんと来月までに片づけていこうと思います。

非常勤1つ終了となったり、orzな事件が続く2012年ですが、まあ、自分が〝決めた〟課題だけは、きちんとこなして、なるようにならせていくしかないですね。

ということで、鈴木先生、ありがとうございました。


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覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『子どもの教育』/『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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今週の本棚:富山太佳夫・評 『子どもの教育』/『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』


 ◇『子どもの教育』=J・ロック著、北本正章・訳
 (原書房・5040円)

 ◇『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』=D・ヴィンセント著、北本正章・監訳
 (新曜社・3990円)

 ◇教育と読み書きをめぐる思想と歴史
 こんな時代であるから、次のような言葉を眼にして大なり小なりうなずかない人はまずいないのではなかろうか。「最近、子どもをどう育てたらよいのか途方に暮れている、と非常に多くの人たちからわたし自身も相談を受け、若者たちが早い段階で堕落してしまうという苦情が、いまでは多くの人びとのあいだに広まっております」

 あるいは、次のような言葉。「子どもをよく教育することは、親たる者の重大な義務であり、また関心事であって、国民の福祉と繁栄は、子どもの教育に依存すること大であります」

 もうひとつ。「外国語をその言いまわしから正しい発音にいたるまでを覚えさせる最初の時期は、七歳から一四歳ないし一六歳までの時期であり、この時期には外国語でその他のさまざまなことも教えることができる教師が役立ちますし、また必要だと思います」

 勿論(もちろん)プラトンやアリストテレスがこんな発言をするはずはないし、カントやヘーゲルの発言でもない。ニーチェ、まさか。

 同じように哲学者と呼ばれても、彼らとイギリスのそれとでは大きく違うことはすぐに分かるはずである。英国の哲学者は、ヒューム、ベンサム、ミルからラッセルにいたるまで、ごくごく日常的な問題を真面目に扱う癖をもっている。引用したのはジョン・ロックの『子どもの教育』の中の言葉なのだ。教育論の不朽の名著とされる一冊である。刊行されたのは一六九三年のこと。

 つまり、バニヤンの『天路歴程』(一六七八年)が大人気を博し、万有引力の法則を解明したニュートンが一六九九年に造幣局長官になり、その五年前にはイングランド銀行が設立され、やがて株の暴落による南海泡沫事件も起きた時代である。激動の時代には教育論が書かれる傾向があるのかどうかは別にしても、そのような時代背景を頭に置いて、このジェントルマンの子弟向けの教育論を、私は楽しんだ。

 ロックの教育論は子どもの体の健康の話から始まり、子どもの「自由とわがまま」、「臆病と勇気」、「嘘(うそ)と言い訳」といったテーマを取り上げ、勉強やスポーツや手仕事(絵、園芸、農業、簿記など)の話に展開し、「教育の最後の部分は『旅行(トラヴェル)』です」ということになる--ということは、『ロビンソン・クルーソー』(一七一九年)や『ガリヴァー旅行記』(一七二六年)も、少なくとも或(あ)る部分では教育本ということになるのだろうか。後者の小説では江戸と長崎が登場するのに対して、ロックの教育論には中国の話が出てくる。「最近、中国の成人女性のものだといわれる一足の中国製の靴を見ました……中国の男性たちは他の国の男性と変わらない身長で、かなりの年齢まで生きています」。これを眼にした瞬間に、私の想像力はあちらこちらにかけめぐり始める。


 しかし、一九世紀イギリスの労働者階級の自叙伝の研究者でもあるデイヴィド・ヴィンセントの手になる『マス・リテラシーの時代 近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』を読み始めると、正直なところ、冷水を浴びせられたような気分になった。「リテラシーの歴史は、民衆文化とエリート文化という一枚岩的な図式に二度と再び安住することはできない……新たに読み書きできるようになった者たちが書物やペンを手に取った時に何をしたのか」。リテラシー、つまり、読み書きすることに内在する意義とは何であり、それに縛られることはどんな意義をもつのか。人びとはそれにどう反応したのか。そこにはどんなイデオロギーがうごめいていたのか。

 ロックの視野にはまだ入ってこなかったこうした問題を、一八、一九、二〇世紀の歴史をふまえて考察したのがヴィンセントの本なのである。しかも、その考案の素材を提供したのはひとつの国ではない。ロシアや北欧の国々、いわゆる西欧の諸国からアメリカにいたるまでのさまざまの国の資料が使われているのだ。決して厚い本ではないけれども、とても充実した内容の本で、読む者の思考を新たな方向にあと押ししてくれる言葉が詰まっている。

 例えば、今ではごく簡単に読み書きする力と言ってしまうけれども、著者はこう言っている。「読み方と書き方は、それぞれ異なる文化の伝統に属していたのである。読み方は宗教教育に必須だと考えられ、宗教教本の解読は授業の形式と同時に目的でもあった。これに対して書き方は、その技術の必要な職に就くと決められた子どもたちだけが身につける、手を使う技と見なされた……子どもを学校に残しておける経済力と熱意のある家庭の子どもだけが書き方を学ぶことができた」

 二冊ともただ読んで納得すればすむ本ではない。方向こそ違うものの、考えることを誘う本であって、実りある併読となるはずである。
    --「今週の本棚:富山太佳夫・評 『子どもの教育』/『マス・リテラシーの時代-近代ヨーロッパにおける読み書きの普及と教育』」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120226ddm015070010000c.html


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[覚え書]「今週の本棚:本村凌二・評 『哲学者マキァヴェッリについて』=レオ・シュトラウス著」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『哲学者マキァヴェッリについて』=レオ・シュトラウス著

 (勁草書房・7350円)

 ◇信仰による真理を拒んだ「近代哲学」の立役者
 二十年ほど前、「新入生に薦める三冊の本」という企画があった。そのとき私がとりあげた一冊がアラン・ブルーム『アメリカン・マインドの終焉(しゅうえん)』だった。愛や道徳を深く思いやりながら、現代における知の退廃ぶりを鮮やかに描き出す思想書。読みやすい本ではないが、多くの読者に迎えられたと記憶している。

 このブルームの師が本書の著者レオ・シュトラウスにほかならない。一九七三年に逝去したシュトラウス先生の追悼論文のなかで、今日の哲学者たちが存在や知についてのみ語っているのに、先生は諸都市や紳士たちについても語った、と弟子は指摘している。

 マキァヴェッリ(一四六九~一五二七年)は『君主論』で名高いが、半年たらずで書いた同書より、数年もかけた『ディスコルシ』は四倍の長さの重厚な書である。ローマの歴史家リヴィウスの書と格闘しながら、自らと次世代が生きる時代について深い洞察をめぐらしている。シュトラウスはこれら主著二書をもっぱら解釈しながら、マキァヴェッリの真の姿に迫るのである。

 ところで、マキァヴェッリ主義という言葉から、何を思い浮かべるだろうか。政治を道徳から切り離し、ときには冷酷でもあり、目的のためには手段を選ばない権謀術数ではないだろうか。たしかに、『君主論』のなかでは、為政者にはときには冷酷であったり暴力を行使したりすることも必要だ、と語られている。このため、後世には、その道義に反する言説のみが強調され、反道徳な「悪の教師」というレッテルが一人歩きしたのだ。

 ところが、二十世紀後半以降の研究者は、マキァヴェッリのなかに、共和主義史家、国家理性論者、愛国者、多元論者、科学的政治学者などの姿を発見する。今や、「悪の教師」論は時代遅れの偏見として斥(しりぞ)けられている。

 このような潮流のなかで、シュトラウスは「悪の教師」論を真摯(しんし)に受けとめ、その意味を徹底的に追求する。このために、大多数の研究者からシュトラウスは黙殺されてきたという。

 しかしながら、シュトラウスは伝統的な偏見に回帰するだけではない。マキァヴェッリが対話したのはなによりも異教徒のローマ人であったのだ。リヴィウスが生きた時代はキリスト教出現の前夜であり、古来の異教が衰退しつつあった。それと同様に、マキァヴェッリが生きた時代はキリスト教の衰退が予感されていた。彼は、宗教にも寿命があり、キリスト教が永続することはないと確信している。

 ギリシア人もローマ人も聖書の神への信仰を知らなかった。その信仰の示唆する真理をマキァヴェッリは拒絶してしまう。もはや、ギリシア・ローマ思想を鵜呑(うの)みにするだけではない、聖書の教えに従うわけでもない思索が生まれる。それこそが「近代哲学」であり、その創始者こそがマキァヴェッリにほかならない、とシュトラウスは主張する。銘ずべきは、政治学あるいは政治哲学の祖としてだけではなく、近代哲学そのものの立役者であるというのだ。

 この新しい哲学は「いかに生きるべきか」ではなく「いかに生きているか」に注目する。だから、マキァヴェッリにとって、正義は偉大なテーマとはなりえなかった。それを是認するにしても否認するにしても、現実を冷静に見極める精神の息吹は心に留めておきたいものだ。(飯島昇藏・厚見恵一郎・村田玲訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『哲学者マキァヴェッリについて』=レオ・シュトラウス著」、『毎日新聞』2012年2月26日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120226ddm015070042000c.html


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拝啓 石原慎太郎知事殿。 覚え書:「石原語録:知事会見から 憲法/衆院選挙」、『毎日新聞』2012年2月25日(土)付(東京版)。

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石原語録:知事会見から 憲法/衆院選挙 /東京

 ◇歴史的に無効--憲法
 ◇当分ないだろう--衆院選挙

 --21日にあった都議会自民党の集いで、「憲法を破棄せよ」と発言した。
 ◆破棄ということは激しいかもしれんが、歴史的に無効なんだから。占領のために作られた憲法を、独立した後でも続けることは歴史的にどこにも例がない。今の憲法のおかげで集団的自衛権が発揮できずにね、インド洋の給油なんか途中で打ち切るとかね。

 --「憲法破棄」を第三極の理念や新党の綱領に盛り込むのか。
 ◆私がそれに参加するならね、それは持ち出しますな。

 --民主党の小沢一郎元代表が「石原新党」について「うまくいかない、だめだと思う」と発言した。
 ◆新党、この間もできたよな。あんまりうまくいってないよね。選挙は当分ないだろうね。小沢(元代表)の裁判の決着がきちんとつくまでは、彼、選挙やりたくないだろうし、マイナスイメージになるのは必定だから、いろんな形でごねてだね、民主党は政権にしがみつく形で、選挙は任期満了ぐらいまでないと思いますな。

 --22日に会談した愛知県・大村秀章知事への評価は?
 ◆この間私の親友が愛知県の商工会議所の会頭になった。講演しに行きましたらね、そこに大村君がいたんでね、みんなの前で「この時期に減税なんてばかなこと言うな。住民税の件、取り消せ」と言ったら「あれ間違ってました。取り消します」って言った。そういうところ素直でいいんじゃないの。

 --女性専用車両を不公平ではないかと考える人もいる。
 ◆今度1回乗ってみよ。見てみないとな(笑い)。

 --橋下徹大阪市長の全職員へのアンケートの項目に「労働組合が人事に影響を持っているか」という問いがあった。
 ◆大阪市の組合っていうのはかなりのもんだから。一種の市長としてのけん制というかどう喝というか。俺はそういうことに強い関心持っているぞという意思表示になる。(24日)
    ーー「石原語録:知事会見から 憲法/衆院選挙」、『毎日新聞』2012年2月25日(土)付(東京版)。

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拝啓 石原慎太郎知事殿。

日本国憲法は「歴史的に無効」だから「破棄せよ」とのことですが、日本国憲法第99条には次のような規定があります。

「第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM#s10

「特別職としての地方公務員」たる閣下は、ご自身の発言を、この「尊重し擁護する義務」に照らし合わせたうえで、どのように正当化なさるのでしょうか。

ご教示いただけると幸いです。


http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20120225ddlk13010220000c.html

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覚え書:「急接近:青木保さん アジアに急増する文化施設、対抗策は?」、『毎日新聞』2012年2月25日(土)付。

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急接近:青木保さん アジアに急増する文化施設、対抗策は?

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 アジア諸国が近年、ミュージアムなどの文化施設整備に力を入れている。その狙いは何か。日本は今、どんな文化政策を立てるべきなのか。各国の事情に詳しい元文化庁長官で、今年1月、国立新美術館(東京都港区)館長に就任した青木保さんに聞いた。【聞き手・岸桂子、写真・須賀川理】

 ◇日本への関心を生かせ--国立新美術館館長・青木保さん(73)
 --国立美術館勤務は初めて。内側から見えたことは。

 ◆ 開館5周年を迎えた1月21日、開催中の3展覧会を無料公開にした。すると、4000人以上が来館した。開催週平日の数倍だから、無料の効果は大きい。

 国立美術館は収益を上げてもプールできず、結局は国に召し上げられる。しかし本来は、美術愛好者を含めた一般の人々に還元すべきだ。ロンドンの大英博物館のように入場無料にすることだって考えていいはず。まずは美術館に来ていただくためのサービスを工夫し、ファンを増やす。そんな取り組みが重要だと痛感した。幸い、六本木という立地は良く、黒川紀章さんの建築も魅力的。デジタル全盛の時代だからこそ、本物に接する価値をアピールしたい。

 --近著「『文化力』の時代」(岩波書店)で、東アジア諸国(ASEAN加盟10カ国+日中韓3カ国を指す)が、美術館など文化施設の建設に力を入れていると指摘しています。その背景には何があるのですか。

 ◆ 北京では昨年、中国国家博物館がリニューアルし、巨大な劇場も完成した。ソウルにも多くの文化施設が誕生している。シンガポールには10年前、オペラハウスがつくられた。2000年以降、各国の文化事情は激変している。

 経済発展が進んだ中国では、内的にはアイデンティティーの根拠が求められ、国際社会においては地位の向上が必要となってきた。そのためには自国の文化を見直す環境の整備と同時に、文化芸術を重視する姿勢のアピールが重要になる。文化が魅力的なら、外貨の獲得にもつながる。美術館の存在感は、その意味で大きい。例えばパリからルーブル美術館がなくなれば、観光客は大分減ってしまうのではないか。

 --日本にも国立の5美術館、4博物館をはじめ、地方にも多数の文化施設があります。

 ◆ ただ、ルーブル美術館や北京と台北の故宮博物院のように、世界中の誰もが知っている存在とは言い難い。一方で、諸外国の現代日本文化に対する関心が、有史以来初めてでは、と思うほど高くなっている。アニメや漫画だけではなく、村上春樹さんを代表とする文学、ファッションや料理まで、寄せられる関心は高い。残念なのは、当の日本がこうした動きを受け止める体制になっていない。諸外国は徹底して戦略的ですよ。

 --体制がないとは?

 ◆ 21世紀の今、日本文化の新しい動向について「ここへ行けば分かる」という場所がない。アニメ・漫画文化などのすべてが分かる施設があれば、世界中の子どもたちが来ると思う。シンガポールの美術館関係者が「日本がつくらないなら、やりたいなあ」と言っていた。

 --館長は文化庁長官在任時、「国立メディア芸術総合センター」(仮称)の設立に情熱を傾けましたが、政権交代もあって実現しませんでした。

 ◆ 漫画にまでお上が口を出すつもりか、と受け止められ、不本意だった。創造活動は民間がリードするものだが、国による土台作りは必要だ。国家が見識を示し、明確な戦略をもたないと。「はこもの」とも批判されたが、今は建築自体が注目され、町を変容させる力を発揮する。金沢市の金沢21世紀美術館や、スペイン・ビルバオのグッゲンハイム美術館がいい例だ。

アートの社会性認識を

 --独立行政法人の組織が見直されました。国立美術館は、国立博物館などを運営する国立文化財機構、国立劇場などを運営する日本芸術文化振興会との統合が決まり、職員削減が予想されます。ただでさえ他国に比べ脆弱(ぜいじゃく)な体制なのに、どう戦略を立てればいいのでしょう。

 ◆ 収益向上など、経済効率の視点だけで論議されていることが問題。いったい日本の美術館や博物館、劇場は何のために存在し、どうすれば国民に豊かな鑑賞機会を提供できるのか。それを論議すべきなのに、すっぽり抜け落ちている。

 もちろん、組織側にも改善すべき点は多い。それでも、必要な作品の紹介や保護、次世代の育成は、採算を度外視して実施するのも国立の義務です。個人的には、新美術館で展覧会を開くことが、世界に羽ばたく登竜門となればいいと思う。

 --東日本大震災発生から間もなく1年。しきりに「心の支援」「文化が大切」と言われるが、予算面では真っ先に文化系が削減・凍結されるのが現実です。

 ◆ 文化と美の復興は、むしろこれからが必要になる。音楽や美術は慰めとなり、人間に力を与えてくれるもの。美術館としては、アーティストが今、何を表現するかを見守っていくことも重要だ。また、ルーブル美術館が4~9月、岩手・宮城・福島の被災3県で展覧会を開いてくれることに、「文化大国フランス」をあらためて感じた。アートの社会性と国際性を認識すべきです。

ことば 国立新美術館 2007年開館。国立西洋美術館、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館と異なり、コレクションを持たない。美術団体の展覧会、新聞社などと共催する大型展、自主企画展を開催するほか、美術に関する情報や資料の収集、教育普及などに取り組む。

人物略歴 あおき・たもつ
 東京都生まれ。東大大学院修了、大阪大で博士号取得。大学教授などを経て07年4月~09年7月、文化庁長官。世界各地で文化人類学・文化政策学のフィールドワークに従事してきた。著書多数。
    --「急接近:青木保さん アジアに急増する文化施設、対抗策は?」、『毎日新聞』2012年2月25日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120225ddm004070109000c.html

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「現実の具体的な歴史を、あなたたちは、あなたたちの頭のなかにしかない歴史発展の大法則に置き換えているのだ」と言ってやりましたよ

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 マルクス主義者やネオ=マルクス主義者が歴史を知らないと言って私を非難したとき、私は彼らにこう答えたのです--「歴史を知らないのは、あるいは歴史から眼をそむけているのはあなたたちだ」、とね。「現実の具体的な歴史を、あなたたちは、あなたたちの頭のなかにしかない歴史発展の大法則に置き換えているのだ」と言ってやりましたよ。歴史に対する私の敬意、歴史に対する私の愛着、それは、歴史の現実の歩みが示す予見不可能性に精神のどんな構成物も取って代わることができないという、歴史が私に与えてくれる感覚に由来しています。偶然性のなかにある出来事、これは何によっても置き換えることはできないものだと私は思います。構造論的分析は、この偶然性というやつと、こういう言い方を許してもらえるならば、「うまくやっていく」のでなければなりません。
    --クロード・レヴィ=ストロース、ディディエ・エリボン(竹内信夫訳)『遠近の回想』みすず書房,1992年。

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サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre,1905-1980)との論争で有名な通り、クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss,1908-2009)は「歴史」(※)を批判したから「反・歴史主義」者と罵られましたが、これはいささか早計でしょう。

※西欧近代社会が「歴史ある人類」と自己規定するためには、「未開」民族を歴史の主体としての人間から排除する他者意識が必要だったこと、そして「未開」民族が「歴史ある人類」へと進化するためには、後者の出会いと祝福が必要不可欠という筋書き、それをレヴィ=ストロースはしなやかに暴き出した。それを歴史の否定と捉えるのは「早計」という話し。だから筋書きに精錬されるまえの出来事を「純粋歴史」と呼ぶ。

さて……
レヴィ=ストロースが批判した歴史とは、西欧近代に生まれた特権的な歴史意識。

本来、異質な出来事から形成される不連続な連続としての歴史を、年代という特定のコードを使って単一の全体に「トゥギャりました!」っていうのものが公定(=校訂の)「歴史」となる。

それを批判したわけです。

そしてこれは、西欧近代だけの問題ではありません。
そうした歴史意識は西欧との出会いによって、私の住む日本でもごたぶんにもれず、都合のいい「単一の全体」としてまとめ上げられているわけですから。

「日本国民」の展開としての歴史……などといった“創られた”「連続性」は、年代という特殊なコードを用いなければ生成することはできないし、そのことはとりもなおさず「近代」というネイションから、排除される在り方を対鏡として創られうる歴史であることを踏まえておかないと、単なるフィクションにしか過ぎないものを過剰に需要してしまうことになってしまう。

レヴィ=ストロースが退けるのは、いいように生成された歴史の連続性によって主体を確立する歴史意識。

そしてそれがたとえ、○○の解放だとか、抵抗だの……と看板を掲げた歴史であったとしても、それは所詮、欺瞞の思考に属するものにすぎない。

進歩や解放、民族や血、そして必然や対他といった概念軸によって連続性が生成されていく欺瞞の指向性。そしてその思考は、「連続」としてではなく、現実に起こった個々の出来事を表す「歴史」(レヴィ=ストロースはこれを『純粋歴史』と呼ぶ)から眼を逸らしていくことになってしまう。

様々なコードによって連続性として精錬された「歴史」には、偶然的な出来事や事物の「語り」や「息吹き」、そしてベンヤミン(Walter Bendix Schönflies Benjamin,1892-1940)のいう「アウラ」が全くない。

過去から現在へという連続へと整頓し直すことは、取りも直さず「顔」の消滅を必然する(T_T)


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「私の親兄弟はあなたの国の兵隊によって殺されたのだ」と言われた時、あなたはどう対応すべきか。

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*戦後世代は「道徳的責任」を負う必要はないが「政治的責任」はある
……以上の観点に立って「戦争責任」の問題を再び問い直すなら、次のようになろう。
 戦後世代は、旧帝国が行った戦争の「悪」の部分に対して、だれも「道徳的責任」を負う必要がない。しかし国民国家の一員としてその法的保護を受け、人権を保障された存在である限り、個体を超えた連続性としてある国家の所業の結果を何らあの形でき継がざるをえない。つまりごく形式的な意味では、すべての戦後国民にも「政治的責任」があるということになる。ただしそれは、すべtの国民に等量の(言葉で「だれもがこれこれの義務を負う」と一般的に確定できるような)責任があると解されてはならない。
 また「責任」という場合、この言葉からできるだけ情緒的、精神主義的な要素を排除しとくことが必要である。たとえば「だれもが恥じ入るべきだ」といった言い方でこれを考えると、それはいわれもなく「道徳的責任」を強制することになる。現在、「情念としての国家」の負の部分をただの個人が過剰に背負うことは、現実的でもないし、今後の私たちの生活の方向にとってよいことでもない。
 そこで、戦後世代の「政治責任」を、職分や地位、権力に応じた機能分担と考えるのが最も合理的である。つまり、たとえば国政の重要職に就くものは、国家機能の担い手として、またその職分が戦後処理に具体的にかかあるかぎりで、以前から国家の「負債」を処理する責任を負う(その場合、どんな問題〔たとえば従軍慰安婦問題〕)が、どれ程の重要性を持った「戦後処理」問題に属するかに応じて議論が分かれ、責任の取り方も変わってくるが、それはここで論ずべき、問題ではない)。また、国政に直接かかわりのない「国民一般」の政治的責任は、「より正確な歴史認識を持とうとする努力を怠らず、政治参加の際にそれをなるべく生かす」といったミニマムなものに限定されるべきである。
 人はひとりの「私」人として振る舞う限りでは、どんな意味でも個としての生活範囲を逸脱した超越的な「公」の観念に身をささげるべき必然性を持っていない。したがって、自分の時空限界を超えた「公」的な責任を引き受けなければならぬという観念は、一般者に対してけっして戒律として強制されてはならない。
 しかしまた、一人の人間が、一生の間に、自分を超えた何の「公」的な連続性の観念ともかかわりを持たないということもありえない。人は、多かれ少なかれ、「私」と「公」との矛盾を抱えたまま生きるのである。その「公」の部分とかかわるところで初めて「責任」の観念が意味を持つ。そしてそれは。道徳的、情緒的、精神的なもの--恥じたり、詫びたりする「姿勢」--と、政治的、合理的、具体的なもの--「責務」として考えられる実践--とに分けて考えることができる。「悪」の現場に居合わせたものはこの両方を背負う可能性を持つが、居合わせなかったものは、後者のみ背負う可能性を持つ。
 最後に、次のような疑問に答えておこう。
 もしあなたが中国旅行などをして、中国人から「私の親兄弟はあなたの国の兵隊によって殺されたのだ」と言われた時、あなたはどう対応すべきか。あなたは共同性を過剰に背負ってすくみ上がってはいけない。
 あなたはこう答えるべきである。「私は日本国家がかつてあなたがたに迷惑をかけたことを知っていますし、それについて国家としてしかるべき責任をとるべきだと思っています。もし私が国政の責任ある地位にいて、そのための公的な機能を公使できるなら、私は極力それを行うでしょう。しかし、旧日本国家のやったことに対する非難感情を、私が単に日本人であるからという理由で個人としての私に向けることは無意味です。私は、あなたがたに悪感情を持ったことも、あなたがたの土地を侵略したこともありません。そしてあなたがたと、国家とか民族とか入った観念をなるべく介さずに、具体的な生活行動を通じてこそ仲良くしたいと思っていますし、また仲良くなれると思います」。
    --小浜逸郎『なぜ人を殺してはいけないのか  新しい倫理学のために』洋泉社新書、2000年、228-231頁。

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ちょっと時間がないので、後日また改めようかとは思いますが、少しだけ。

小浜逸郎氏の見解に全面賛成というわけではありませんが、過度の「道義」臭を割愛したうえでの、未来への展望という意味では、このあたりの矜持は「最低限」としても持ち合わせておくことは必須だろう。

そして「あなたがたと、国家とか民族とか入った観念をなるべく介さずに、具体的な生活行動を通じてこそ仲良くしたい」ことを達成するためには、歴史を学び、責務を引き受けて生きていくしかないのでしょう。

このところ、修正主義的騒音が激しく、向き合うことすらままならない現状。そのことは何を意味しているのかといえば、「歴史」を否定したり修正したりしようとしなくとも、「歴史問題」を矮小化することはできるということだ。

歴史問題の矮小化とは何かといえば、「道徳的責任」だけでなく、「政治的責任」をも放擲する無責任な態度の謂いでしょう。

テーブルに付く前に、ひっくりかえして文句だけいうとかするのは自己の発言と行動に責任を引き受けて生きていく人間の取るべき態度ではない。


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覚え書:「経済観測 自由と牢獄=埼玉大学大学院客員教授 水野和夫」、『毎日新聞』2012年2月23日(木)付。

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経済観測 自由と牢獄
埼玉大学大学院客員教授 水野和夫

 「私たちはみな牢獄のなかにいる」と、グローバリゼーションの負の側面を早くから指摘してきた政治経済学者、スーザン・ジョージは言った(2010年)。古代ギリシャ以来、人類は常に「自由」を求めて闘ってきた。だが「所得格差の大きい国ほど人々は互いに信用しない」(R・ウィルキンソン「格差社会の衝撃」であり、社会関係は敵対的となる。
 米国では上位1%の人が所得(配当・利息収入などを含む)の23・5%を占めるようになった。1953年から79年まで10%で安定していたが、その後急上昇している。日本も例外ではない。所得上位5%の人の所得(同)の25・3%を占めるようになり、77年の19・5%から上昇傾向に転じている。
 R・ウィルキンソンは「不平等が増すにつれて、相互扶助の協力的な戦略から遠ざかり、力と侵略に基づく競争的な優位戦略に近づいていく」と言う。新自由主義の始祖である経済学者のハイエクは、一つの問題を解決しようとすれば競争か中央統制のどちらかを選ばざるをえないとして、「真の自由主義に『中庸の道』はない」と主張した。しかし、73年のチリ・クーデターを境に新自由主義を選択した西側諸国は、強いストレスと多数の自殺者が出る社会になった。
 高所得層にもストレスが高まり、不健康となるのだから、自由を極端に求めた結果、まさに現代社会はスーザン・ジョージが言う「牢獄」に入れられたことになる。不平などの拡大は社会の同質性をなくし、同質性の上に成り立つ民主主義を機能不全にさせる。同時に二極化が合意形成を困難にさせ、公開制と討論という原理の上に築かれた自由主義の政治手法に依拠する議会主義をも危機に陥れている。
    --「経済観測 自由と牢獄=埼玉大学大学院客員教授 水野和夫」、『毎日新聞』2012年2月23日(木)付。

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私たちを救い、力づけてくれたピエール神父の思い出

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ポワリエ 大戦中はなにをなさっていたのですか?
レヴィナス 私は非常に早い時期に捕虜になりました。一九三九年より何年か前に私は軍事通訳の試験に受かっていたので、ロシア語とドイツ語の通訳として動員されました。そしてレンヌで退却中の第一〇軍団とともに捕虜になりました。フランス国内に何カ月か拘禁されたのちドイツに移送されました。私はそこで特殊な扱いを受けることになりました。ユダヤ人として申告されたにもかかわらず、軍服のせいで強制収容所送りを免れたのです。そして他のユダヤ人とともに特殊部隊に編入されました。他のフランス人捕虜とは隔離されて森のなかで働きましたが、捕虜の保護を定めたジュネーヴ協定の条項の恩恵はどうやら受けていたようです。
ポワリエ 捕虜収容所での生活はどのようなものでしたか?
レヴィナス 私たちはドイツのハノーヴァーの近くの収容所(stalag)に送られたときに再編成されました。ユダヤ人と非ユダヤ人を分けたのです。ユダヤ人は特殊部隊に編制されました。これは私のキリスト教経験のうちできわめて重要なものの一つですが、この捕虜時代に、私は収容所にいたある聖職者の兄弟愛的な人間性を知って、深い経緯を抱くことになりました。彼はそのふるまいの一つ一つによって、私たちのなかにある人間としての威厳を回復させてくれました。その人物はピエール神父と呼ばれていました。姓はきいたことがありません。のちにフランスにおける慈愛の記録に多くのピエール神父という人物の事績が言及されました。私たちを救い、力づけてくれたのはその人のことだと私はいまでも思っています。彼のおかげで、悪夢は消え去り、言語はその失われたアクセントをふたたび見出し、堕落する以前の高貴さに戻ってきたかのように思われました。そののち、ユダヤ人部隊のなかでなにか問題が起こるたびに、私たちは収容所に行ってピエール神父に相談するようになりました。
 総じて、私たちユダヤ人の多くは、キリスト教的な慈愛に、ヒトラー主義の迫害の期間中にはじめて触れることになりました。経験的にはこれと矛盾するわけですけれども、アウシュヴィッツの死刑執行人たちは、プロテスタントであれカトリックであれ、おそらく全員が公教要理を教わってきたはずです。それなのに一方、私たちの同族を迎え入れ、援助し、しばしば命をも巣くってくれたキリスト教の平信徒たち聖職者たちが市民のなかにおりました。これを私たちは決して忘れることができません。オルレアン近くのサン・ヴァンサン・ド・ポール修道院が、あらゆる策略をこらし、幾多の危険をもかえりみず、私の妻と娘を保護するために果たしてくれた役割を私はつねに記憶にとどめております。私たちはそれと同質の献身を捕虜収容所で、司祭たちの人格のうちにも認めて、ありがたく思ったのです。たとえ彼らが捕虜収容所の規則であった人種差別の撤廃を果たしえなかったにしても。
     --エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)「レヴィナスとの対話」、『暴力と聖性』国文社、1991年、106-108頁。

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閉鎖的既得権益的な倶楽部とか政党といった“肩書き”はほとんどの場合、排他的標示として機能してしまうことが殆どだ。

要するに、「仲間」や「同志」に対する人間愛といったものの求心力が返す刀で違う人々を排除するものとして機能してしまう。

そして、この機能が人間の悲劇を加速させてきたことの論拠には暇がないほど。

だから、その意味では、立場や依拠集団を超えた人間の連帯をどうデザインするか何だろうなぁと思います。

まさに「カテゴリーや出自で先験的に判断する愚かさ」をどう乗り越えるかだ。

これはリアルな対面コミュニケーションにおいても、ネット空間においても同じことなんだろうと思う。

目の前に人間が存在するという事実をどのように了解するのか。

もちろん、「無限の他者に対して無限に謝るべきだ」などという倫理の無限応答によってこたえるべきだなどとはいいきれません。ただ、その人間を特徴づける指標だけで先験的に判断することはどこかで控える必要があるのだろうと。

ユダヤ人思想家・レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)は、第二次世界大戦中、ドイツ軍捕虜になりながら、励ましのドイツ人・ピエール神父の友誼を忘れていない。

この辺でしょうか……ねぇ。

さて……。
夕方、出勤前に近所の桜の木に目をやると、つぼみが大きくふくらみ始めました。
もう、春がはじまっていますね。

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覚え書:「みんなの広場:生活のためパート継続しかない」、『毎日新聞』2012年2月22日(水)付。

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生活のためパート継続しかない
パート 64(山口県)

 この3月で65歳になるが、いまだにパート勤めをしている。時間や体力を持て余しているわけではなく生活のために働いている。
 若い頃は老後のことを考えたことはなく、成り行き任せで生きてきた。故にこれとった蓄えはなく、日々その日の糧を得て暮らしている。老後の不安がないと言えばうそになる。
 誕生日の後は、国民年金といつまで続くか分からないパートの稼ぎで生活していくことになるだろう。見通しは厳しいが、それでも生きていかなければならない。同様の境遇に置かれたら、先行きを悲観してよからぬことを意識する人もいるかもしれない。
 しかし私は命尽きるまで生きていこうと思う。パートと年金以外にお金を得る手段がないのは悲しいが--。独身で家族はない。孤独死もあり得るだろう。が、私は生きていく。弱者のつぶやきである。
    --「みんなの広場:生活のためパート継続しかない」、『毎日新聞』2012年2月22日(水)付。

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文は文字ではない、思想である。そうして思想は血である、生命である

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純潔なる思想は書を読んだのみで得られるものではない。心に多くの辛い実験を経て、すべての乞食根性を去って、多く祈って、多く戦って、しかる後に神より与えられるものである。これを天才の出産物と見做すのは大なる誤謬である。天才は名文を作る、しかも人の霊魂を活かすの思想を出さない。かかる思想は血の涙の凝結体(かたまり)である、心臓の肉の断片である。ゆえに刀をもってこれを断てばその中より生血(いきち)の流れ出るものである。ゆえにいまだ血をもって争ったことのない者のとうてい判分することのできるものではない。文は文字ではない、思想である。そうして思想は血である、生命である。これを軽く見る者は生命そのものを軽蔑する者である。
    --鈴木俊郎編『内村鑑三所感集』岩波文庫、1973年、83頁。

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先日、尊敬する大先輩の文筆家が、「何度も何度も組み立てを試行錯誤し、鉋をかける」と呟いておられたのですが、深く同意すると同時に、「言葉」そのものへもう一度真摯に向き合わないといけないなと襟をただした次第です。

何かできあがったような陳腐な言葉や脊髄反射の罵声……ばかりで、言葉のハイパーインフレ状態なのが現状ですよね。

言葉に対する不信が一番怖ろしいんです。言葉に対する不信は結局のところ人間不信を不可避に招来してしまいますから。この辺はプラトンPlato,424/423 BC-348/347 BCの『パイドン』にて、言論嫌いが(ミソロゴス)が人間嫌い(ミサントローポス)に通じていくことを、ソクラテス(Socrates,c. 469 BC-399 BC)諄々と若者に諭すシーンで語られている通りです。

過度の徳論を説こうなどとは毛頭思いませんが、内村鑑三(1861-1930)が「文は文字ではない、思想である。そうして思想は血である、生命である」と指摘することだけはどこかで失念しないように心がけたいものですね。


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覚え書:「記者の目:東京大の学部生秋入学移行=木村健二(社会部)」、『毎日新聞』2012年2月22日(水)付。

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記者の目:東京大の学部生秋入学移行=木村健二(社会部)

 ◇各大学は主体的に検討を
 東京大が、学部生の入学時期を春から秋へ全面的に移そうとしている。京都大など他の有力大11校や産業界にも4月からの協議を呼びかけ、5年前後で実現を目指すもので、大学側から大胆な改革案が出されたことは評価したい。だが、東大の抱える課題が、必ずしも他大学の課題と同じだとは限らない。東大案にこだわらず、各大学は春秋の併用も含め、適否を主体的に考えてほしい。

 ◇よりグローバル、よりタフに
 入学時期の在り方を見直してきた東大の懇談会は、1月20日に中間報告を公表した。その中で秋入学移行の利点について(1)国際標準(秋入学)に合わせ留学生の出し入れを容易にし、国際化に対応する(2)入試時期は現行通りとし、入学や卒業の前後に生じる隙間(すきま)の期間「ギャップターム」(GT)で学生に多様な経験を積ませる--を挙げた。中間報告の副題は「よりグローバルに、よりタフに」。東大の掲げた二つの旗印が明快に示されている。

 この中でまず「グローバル」の面を見てみよう。

 東大の日本人学生の海外留学者は昨年5月現在、学部生が53人(全体の0.4%)、大学院生でも286人(同2.1%)にすぎず、毎年ほぼ横ばい傾向が続く。受け入れの方も既に秋入学を取り入れた大学院生こそ2690人(同18.6%)に上るが、学部生は276人(同1.9%)だけだ。大学の年間スケジュールや大学院入試、就職試験が留学の妨げになったと感じる学生が多く、中間報告は「留学の受け入れ・送り出しで、入学時期、学期のズレは余分な時間・コストを強いる」と指摘した。

 中間報告は世界全体で約7割が秋入学を採用し、欧米諸国は約8割だと指摘。4月入学を基本にした日本の教育システムを「特異な状態」と問題視した。だが、秋入学を導入すれば、すぐに留学生が増えるのだろうか。少なくとも、日本に来る外国人留学生の実態からすると、即効薬というわけでもなさそうだ。

 独立行政法人「日本学生支援機構」によると、昨年5月1日現在の外国人留学生数は13万8075人で、うち実に93.5%の12万9163人をアジアが占めた。9月入学の中国が8万7533人(全体の63.4%)と最多だが、2位は3月入学の韓国が1万7640人(同12.8%)。これを見ても、受け入れ、送り出し、ともに春入学の回路も開いておいた方がよい。

 次は、「タフ」の面だ。

 東大では、学生の「同質化」が進む。東大の学生生活実態調査によると、回答した学生1456人のうち、ほぼ3分の2が私立などの中高一貫教育を受けた学生だった。

 ある東大教授が、こんな例え話をした。「『このお菓子の運命はどうなりますか?』などと突拍子もない質問をしてみると(東大生からは)驚くほど同じような平凡な答えしか返ってこない。こういう質問だったら、フリーターの人たちの方が面白い答えが出るのかもしれない。いまの東大生には豊かな発想が乏しい」。この背景には、学生の多くが、点数至上主義に基づく同様の受験教育を受けてきたことがありそうだ。

 この東大固有の学生気質の転換に向け、中間報告では、GTを使った活動の具体例としてボランティアや国際交流など13種類のメニューを挙げた。これは、体験活動を通じて学生に「たくましく」なってもらうことに力点があるとみられる。だがこの東大固有の学生気質へのいわば「対策」は、即、他の大学にも当てはまるのだろうか。

 ◇自校の個性重視、安易な同調禁物
 東大や京大に受からず入学する学生もいる早稲田大の首脳は「多くの早大生は挫折しているから、もともとタフ。東大生はあまり苦労せずに入ってきているから、タフになることが重要になる」と話す。今後の大学間や産業界との協議では、GTの活用方法が大きな論点になる。大学によって温度差が出るのは当然で、各大学は、東大に従うだけでなく、自校の個性を見極めた検討を進めるべきだ。

 東大が開いた1月20日の記者会見で、私は単独でも秋入学を導入するのか聞いたが、浜田純一学長は「単独ではなく、必ず他の大学と一緒に」と答えた。社会への影響に配慮したのだろうが、これにはがっかりした。頭脳明晰(めいせき)で、たくましく、国際性豊か--。こんな人材が育てば、たとえ卒業時期がずれていようが、どんな企業や組織でも採用する。自信があるなら東大は単独でも導入に踏み切ればいいし、逆に他の大学が、春入学に利点があると考えるならばそれを続ければいい。繰り返すが、東大に「右へ倣え」ではなく、十分な議論を行ってほしい。
    --「記者の目:東京大の学部生秋入学移行=木村健二(社会部)」、『毎日新聞』2012年2月22日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20120222k0000m070133000c.html

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「答え」だけをとにかく早急に求める、そして主張する傾向の空恐ろしさ

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 人生論者というのは、本来モラリストのことをいうのだろう。モンテーニュだとか、ラ・ロシュフコーだとか、山本常朝だとかいった連中のことを指すのだろう。つまり、道徳家ではなく、人生を傍観している連中だ。したがって、かれらは、われわれにむかって、ぜったいに、ああしろだとか、こうしろだとか、指図がましいことはいわない。いう資格のないことを骨身に徹して知っているのだ。かれらは、ただ、あるがままの人生について、低い声でボソボソと語りつづける。そうだ。人生論者としての適正をしらべるばあいには、かれらの声を問題にするのもたしかにわるい方法ではないね。ホンモノは決して大声をはりあげて演説したりしない。しようともおもってもできないのだ。
 わたしもまた、その昔、人生に希望をもっていた時代には、モンテーニュやラ・ロシュフコーを好んで読んだものだ。そうして、わたしは、しだいに人生に絶望するようになった。おのれの力の限界をみつめながら、精一杯の仕事をしているときには、誰だって絶望するだろう。余技として人生論をかきつづけている文学者や哲学者や科学者も、専門の人生論者になれば、きっと絶望するだろう。絶望にたえながら生きていくのが人生である。
    --花田清輝「人生論流行の意味」、粉川哲夫編『花田清輝評論集』岩波文庫、1993年、185-186頁。

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このところ、根拠を欠いたような断定論の洪水に……

「ちょっと待て!」

……とツッコミを入れたくなることがよくある。

様々な問題に関して、検討すべき材料や資料はそろっている場合があっても、「そうだ」とも「違う」とも判断できないことや即答には少し時間がかかることっていうのは、世の中には多いはずだと思う。
*だからといって考えることを拒否して、物事を「アイマイ」にすませようとする日本的精神風土を容認するものではありませんので念のため。


「そうだ」とか「違う」という判断を下すまえの、逡巡だとか熟慮といった大切な手続きが本来はあるはずでしょう。

そして検討を繰り返しても、「そうだ」とも「違う」とも「言い切れない」、たとえば、「わからない」としか答えようのないことがらも存在する。

しかし、そうした大切な手続きや省察・佇みとかをいっさい省いて、

「答え」

だけをとにかく早急に求める、そして主張する傾向に、何か、空恐ろしいものを感じ取ってしまう。

答え先行の軽挙妄動はこうした時代だからこそ慎むべきなんだろうと思うのだけど、いかがでしょうか。

不正や不義に目をつぶるということではありませんよ。
しかし、慎重にならなければならない時ってあるとは思うんだけどねぇ。

角度をかえれば、どのような問題に対しても「あなたはどう思うんですか?」という詰問の雰囲気も濃厚ですよ。

そりゃあある程度の問題については「こう考える」と言明できるものもありますが、すべてについて「わかる」わけではありません。

しかし、そこで「わからない」と答えると、「お前は敵か!」みたいなリアクションもされますしねぇ。

結局、イエスかノーかのマークシートで敵か味方で判断する傾向とか、相反する模範解答の横溢は、最終的には豊饒な未来を閉ざす軽挙妄動だと思う。

世の中、分からないことだらけですよ。

だから、それを誠実に知ろうと思う。

だとすれば、簡単に、「そうだ」とか「違う」だとか反応できないことってあるんです。何か正義のレースに擬した「総・言及病」は、かえってそのものから遠く離れていってしまう気がするんだよなあ。

どうなってンだろ。

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覚え書:「リアル30’s:続・反響特集第2回 上の世代が下の世代食い物に/親は突き放すことも考えて」、『毎日新聞』2012年2月20日(月)付。

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リアル30’s:続・反響特集第2回 上の世代が下の世代食い物に/親は突き放すことも考えて


 引き続き、リアル30's取材班に寄せられた反響をほぼ全文で紹介します。毎日新聞の日刊タブロイド「MAINICHI RT」でも後日紹介し、関連ツイートも掲載します。転載可能な感想、ご意見にはハッシュタグ #rt_30を付けてください。【まとめ・鈴木敦子】

 ◇上の世代が下の世代食い物に--男性33歳、翻訳家
 20年以上前なら、科学は発達して、人口も増えて、年金ももらえて、給料は増えて、家を持って、子どもができて、孫ができて、社会もよくなるという、「きっと今日よりいい明日」というのが、社会全体で無意識に前提とされていたのでは。90年代でも、また景気はよくなるんじゃないかという感覚はあったのではないか。

 私たち30代の世代は、そういう時代は完全に終わったことを肌で実感として知った最初の世代だと思う。そして単なる最初の世代でしかない。20代、10代も同じようなメンタリティーが育つだろう。そういう意味で30代が特殊だとは思わない。

 さらに、「君たちは貧乏くじを引くんだ」とはっきり言われながら年金や保険料を納めている世代。損するのが分かっていながら、強制的に保険に入らされている世代だ。年金も、会社も、ねずみ講を前提とした構造になっているから、我々は貧乏くじを引くのを分かっていて、そのシステムに強制的に入らされている、もしくは入らざるをえないという不条理の中で生きている。

 そしてそれをはっきり分かっている上の世代の政治家は見て見ぬふりをして、票の多い世代にすりよっているというのもはっきり見えている。現在、もっともバカをみる、貧乏くじを引くのは一番若い世代、子どもたち、幼児たちだが、彼らには投票権もない。一番おいしい思いをしているのは上の世代だが、彼らは団塊となって自分の世代の利得を守ることができる。

 同じ日本人同士で、上の世代が下の世代を食い物にしている構造の中で生きている。こういう環境が鬱屈感を引き起こしているように思う。

 ◇親は庇護ではなく突き放すことも考えて--男性43歳
 親と同居するフリーターに一言。普通に考えて、親は自分より先に死ぬ。今はご両親のお陰で生活できるだろうが、ご両親がいなくなったらどうするのか。その時になって考えたらいい、と思っているのかもしれないが、急にどうにかなるものではないと思う。

 親は、自分の死後も子どもがちゃんと暮らせていけるように、子どもに生活力をつけさせるのが義務だと思うし、子どもも「親はいつまでもいるものではないのだ」と自覚して、親がいなくても自分で生活できるように道を探るべきだと思う。

 もちろん、「仕事は気持ちよく生きるための手段だ」という意見には賛成だが、それは自分の力だけでとりあえず生きられるぐらいの生活力のある人になって、初めて吐けるセリフなのではと思う。

 厳しい意見かもしれないが、この(低収入のフリーターの)ままでは、ご両親が亡くなったら一緒に死ぬしかなくなってしまう。ご両親もそのことをよく考えて、子どもを庇護するのではなく、時には突き放すことも考えなければならないと思う。

 かく言う私も、一般企業での就職経験は皆無だが、親の世話にならずに暮らせるように必死でがんばってきた。それは小さいころからいつも、「いつまでも、あると思うな、親と金」と言い聞かされて育てられたからだ。

 フリーターでも構わないが、自分で独り立ちできる道を今のうちに探らなければと思う。
    --「リアル30’s:続・反響特集第2回 上の世代が下の世代食い物に/親は突き放すことも考えて」、『毎日新聞』2012年2月20日(月)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120220mog00m100025000c.html

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現実の人間は、なんらかのこれまでの理想の『望ましい』人間よりもはるかに高い価値を示している

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三九〇 〔二三一〕(673)
 私の結論は以下のごとくである。すなわち、現実の人間は、なんらかのこれまでの理想の「望ましい」人間よりもはるかに高い価値を示しているということ。人間に関するすべての「願望」は不条理な危険な逸脱であり、これでもって或る特定種の人間がおのれの保存や成長の諸条件を法則として人類の頭上にかかげたかったものであるということ。そうした起源をもちながら支配的となるにいたったいずれの「願望」も、現今にいたるまで、人間の価値を、その力を、その未来の確実性を下落せしめてきたということ。人間の貧弱さ知性の狭隘さは、今日でもなお、人間が願望するときにもっともよくさらけだされるということ。価値を措定する人間の性能はこれまであまりにも低い発達しかとげていなかったので、たんに「望ましい」のではない事実上の人間の価値が是認されなかったということ。理想は、現今にいたるまで、もともと世界と人間を誹謗する力、実在性をおおう毒気、大いなる無への誘惑であったということ・・・
    --ニーチェ(原佑訳)「権力への意志 上」、『ニーチェ全集』第12巻、ちくま学芸文庫、1993年、374頁。

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ううむ。

何といいますか、最近、政治的なスローガンだけが次々と喧噪のように襲ってくることに、極度の違和感があるんです。

もちろん、その主義主張が一考に値しないものが殆どなのですが、なかには、その真反対に完全な模範解答のようなポリティカルコレクトトークンの場合もあり、まさに乱戦という情況かなあ、と佇んでしまいます。

結局はそういう主義や主張、それからさまざまな価値観というものは、それを見本にして、現実を開拓していく「べき」事柄なのでしょう。

しかし、現実の流通情況をふりかえると、それを「武器」にして、言葉を奪われた現実に生きている人々を毀損する暴力として機能しているような感があり、結局のところ「何が望ましいのか?」と問い返したくなってしまいます。

現状よりも「そうあったほうがいい」、「こうあったほうがいい」ということは理解できるし、私の生きている社会に問題が山積することは理解しています。

ただ、まじめに生きている人間の言葉に耳を傾けず「そうあったほうがいい」、「こうあったほうがいい」……いや、それよりも「こうしたらいいんだ、ボケ」みたいになってくるとそれはやはり怖ろしいことなんじゃないのかな。

理念や主義や願望に関しては、そもそも人間が作り出したもの。
だとすれば、その人間に対する敬意を失った議論はそれがいかに高尚なものであったとしても人間を毀損してしまう。

だとすれば「現実の人間は、なんらかのこれまでの理想の『望ましい』人間よりもはるかに高い価値を示している」というこの一文は重く受け止めなければならないはずなんだが・・・


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覚え書:「今週の本棚:五百旗頭真・評 『レーガン-いかにして「アメリカの偶像」となったか』=村田晃嗣・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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今週の本棚:五百旗頭真・評 『レーガン-いかにして「アメリカの偶像」となったか』=村田晃嗣・著


 ◇五百旗頭(いおきべ)真・評
 (中公新書・924円)

 ◇保守の「大きい物語」を生きた大統領
 誰もが知る自明の人、元ハリウッドの俳優、ただし一流ではなく、B級の映画俳優、その親しみやすさと、やたら明るい笑顔で人気を博し、カリフォルニア州知事はおろか、大統領のポストまで手にした男。

 そんな風に、いささかの軽蔑を交えてレーガンという政治家を見てはいないだろうか。無理もない。同時代にもそのように見下す者は少なくなかった。そして過小評価したライバルは、ことごとくレーガンに敗れた。

 まだ評価を下すのは早いかもしれないが、リンカーンやルーズベルトとともに米国史上最も偉大な大統領にレーガンは位置づけられようとしている。近年のブッシュ大統領もオバマ大統領も、党派を超えてレーガンを尊敬しているという。

 一体、レーガンとは何者なのか、新書版ながら、はじめて本格的なレーガン評伝が日本で書かれたことを喜びたい。

 何者かを知るためには、やはり育ちから見るのがよい。19世紀半ばのジャガイモ病により、アイルランドは、人口が3分の1に激減する飢餓に陥ったが、レーガンの祖父もその時にアメリカへ逃れた。父は美貌と話術の持ち主であり、レーガンはそのDNAに恵まれたが、父はアル中で身を持ち崩し、一家は中西部を流浪せねばならなかった。救いは母が敬虔(けいけん)なクリスチャンで、子供たちに物事の明るい側面を見て夢を実現する生き方を教えた。母は父を嫌ってはならないと子供たちに告げた。

 貧乏学生のレーガンは水難救助員のアルバイトを始めたが、77名も救助する記録をつくった。人々を救う使命感と衝動が芽生えていたようである。読書も好きで、記憶力は抜群であった。苦境をユーモアで切り返す術もアナウンサー修業をする中で身につけたようである。

 レーガンが職探しを始めた頃、アメリカ社会は大恐慌の最中だった。絶望の中での希望は、炉辺談話と呼ばれたラジオ放送で国民に明るく語りかけるルーズベルト大統領であった。ニューディールはレーガンのような貧しい若者にとって希望であり正義であった。レーガンは民主党支持者として出発した。

 大戦後も60年代までニューディール連合の政治が続いた。しかしレーガンがようやく高収入を得るようになると、90%が税金に持っていかれた。異常な高負担と大きい政府に米国は蝕(むしば)まれているのではないか。「減税」と「小さい政府」論にレーガンは目覚める。さらにハリウッドの組合長を務める中で、共産党系の運動の陰惨さを知り、レーガンは反共の立場を鮮明にする。彼は、ルーズベルトと同じく明るい雄弁をもって、保守的価値を語る共和党政治家として現れた。民主党の「偉大なる社会」がベトナム戦争によって破綻した後、70年代の米国社会は保守化が底流となった。80年大統領選挙でレーガンはカーターに圧勝するが、その際、大量の元民主党支持者がレーガンに投票した。就任演説において「アメリカの最高の時は未来にある」と語るレーガン大統領は多くの人々を自らの「大きな物語」に引きつけた。ソ連を「悪の帝国」と言い放ち、SDI(戦略防衛構想)を含む軍拡をしかけたレーガンは、しかし核戦争のハルマゲドンを恐れており、ゴルバチョフという相方にも恵まれて、米ソ軍縮と冷戦終結への道を拓(ひら)いた。本書は、かつて俳優として演じた役柄がレーガン政治の下敷きとなったとの観点から繰り返し映画に言及しており、楽しみながら読める。人生に数限りなくある厄介な些事(さじ)をかわし「大きな物語」に生きる点で、映画と政治はレーガンにとり共通していたのであろうか。
    --「今週の本棚:五百旗頭真・評 『レーガン-いかにして「アメリカの偶像」となったか』=村田晃嗣・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120219ddm015070012000c.html

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他人に恩恵を求めてその与えられざるを怒り、常に世の無常を憤りながら憂き日月を送る者は実に愚かなる者である

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アゴラの記事「『ディマンディング』が生み出す弊害について」(青木勇気さん)の記事を読みながら、「確かになー」ということが多かった。

http://agora-web.jp/archives/1432039.html

「ディマンディング」とは「過剰に要求する(こと)」といった意味。
うえの記事ではいくつかの実例を紹介しながら、それの生み出す弊害について言及したものになります。

確かに生活のなかでは「異議申し立て」をしなければならない局面は無数に存在します。しかしその「異議申し立て」なるものが、発話者の「自覚」の問題と切り離されて拡大してしまうと、「自分で考え、判断すること、つまりは『自立』の障害」をもたらすことになってしまう。

例えば、民主党政権が終わっている、野田内閣が終わっている、ことは百も承知なのですが、「ぶっこわれろー」だとかその手の罵詈雑言だけを浴びせることで、「私はやるべき役割を果たした」などと勘違いするとそれは大きな誤りになってしまう。

たしかに「終わっている」し、素人に対して「じゃあ、終わっていると指摘するなら“対案”を出せや、ゴルァ」と上から目線しても意味がないことも承知です。

だけど、ある対象を適当にdisるだけで、「はい、いっちょ仕事完了」という短絡的な発想から脱却しない限りは、誰が何をやろうとも、「外野」気分で、文句だれたれておわってしまうんじゃないのか……ってそのことだけが杞憂なんですね。

まあ、話しが少し脱線しましたけど。

そういえば、今日は久しぶりに内村鑑三(1863-1930)の文章を読んでいたので最後にひとつ紹介しておきます。


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満足の人とは独立の人である、不平の人とは依頼の人である。神と自己とに頼って生存する人にはこの世ははなはだ愉快なるところである。しかるにこの明白なる原理を知らないで、他人に恩恵を求めてその与えられざるを怒り、常に世の無常を憤りながら憂き日月を送る者は実に愚かなる者である。幸福とは常にわが腕と心にある。これを他人の手に求めてわれらに来るものはただ失望と恥辱と不平とのみである。
    --鈴木俊郎編『内村鑑三所感集』岩波文庫、1973年、83頁。

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覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『日本人はどんな大地震を経験してきたのか-地震考古学入門』=寒川旭・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『日本人はどんな大地震を経験してきたのか-地震考古学入門』=寒川旭・著

 (平凡社新書・840円)

 ◇過去を読み解く、「予知」を見なおす
 M7級の首都直下地震が起きる確率は四年以内に七〇%という研究結果が、なぜか大新聞の一面で報道された。騒ぎになったがこの数字が不確かでもあり、研究者はもみくちゃ、科学への信頼にも疑問符、という事態に……。警鐘の役には立ったという好意的?見解もあるが。

 科学と社会とのコミュニケーションには、大事な要素が三つある。(1)科学者の明確で責任ある発信、(2)それを伝えるメディアの正確さと伝達力、(3)受け取る人々の科学の理解力、である。はしなくもここで示されたように、日本では三つともかなり低い。三者とも学んで鍛錬せねば。

 さて、日本は「地震予知」を国策にして莫大(ばくだい)な金と人を動かしてきた。「予知」とは、いつ何が起きるかを「予(あらかじ)め知る」ことだ。だが地震は破壊現象だから「予知」はできないと、科学者ならまず考える。ガラス板に力を加えて曲げていった時どの瞬間でどう割れるかは、割れるまでわからない。まして非常に長い時間で動く大地の破壊が相手だ。プレートの動きでいつかは起きるにしても、「いつ、どのように」を理論的に知ることは極めて困難。この点、確率や幅を持たせて推測する「予測」とは違う。冒頭の研究結果も、予知ではなく予測である。

 そのように予測すら難しい大地震だが、過去から学び、頻度のおおざっぱな時間スケールなどを掘り起こすことはできる。本書の著者は、地中の痕跡から大地震の歴史を読み解く「地震考古学」を推進してきた研究者である。特に、大地震の際の液状化現象が地層に顕著な痕跡を残すことに注目。各地の遺跡発掘や開発工事の際に地中の記録を読み、歴史文書に残る大地震との照合を進めてきた。過去の著作の中から三・一一を念頭に集成したのが本書で、「地震考古学」の現状を知るのによい。日本人が、いかに絶え間なく大地震や津波の被害を受け続けてきたか。めげない復興の営みとともに、うたれる思いがする。大地震をプレートによる「海溝型」と陸地中心の「活断層型」に分けた記述も、見通しがよい。そして日本全国、地震のない所はない!

 大津波の痕跡の調査には、長期にわたり地層が堆積(たいせき)する池や湖が有力だ。雑誌『科学』(岩波書店)の今年二月号は津波堆積物研究の特集なので、関心のある方はぜひ。

 先に述べた「地震予知」の問題について見落とせない本が、『日本人は知らない「地震予知」の正体』(ロバート・ゲラー著、双葉社・1260円)。昨年八月刊だ。タイトルがゲテモノ風とはいえ、刊行時に見落としたのは迂闊(うかつ)だった。

 著者は米国出身の地球物理学者で東大教授。かねて日本の地震「予知」研究を鋭く批判してきたことでも知られる。三・一一を受けてまとめたこの本には、日本の地震行政の驚くべき実態がてんこ盛りである。「予知はできないと知っているのに」政府の予知政策の金に群がる「地震予知」研究者たち。東大地震研究所のある所長の研究費獲得法を語る「正直発言」には、度肝を抜かれるでしょう。

 「地震予知研究」は名を変えながら大規模化し地震学者を潤してきたが、「予知」のかけらも生まず、鳴り物入りで警告した東海地震ではなくて、警戒されなかった阪神・淡路大震災、東日本大震災が続発した。それでも存続している裏には、原発ほどではないがよく似た、学・官・政の「地震予知ムラ」があるという。

 著者は地震研究の意義は認めつつ、国策としての「予知」研究の廃止、震災対策強化を求める。正面から反論できる地震学者はいるだろうか。
    --「今週の本棚:海部宣男・評 『日本人はどんな大地震を経験してきたのか-地震考古学入門』=寒川旭・著」、『毎日新聞』2012年2月19日(日)付。

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吉野作造と大川周明:「私は吉野さんに恩を蒙つてゐるので、一度お会ひして御礼を云ひたかつた」

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 吉野博士が死んでからもう一年を過ぎた。大川博士が下獄してから間もなく二年にならうとしてゐる。……この二人の学者の間に、不思議なる因縁のつながりがあることは、あまり世間に知られてゐない。
 大川博士が法学博士の学位を授与されるとき最も努力したのは吉野博士であつた。始め大川博士が学位論文を東京法科大学に提出した際、教授会がこれに好意を持たなかつたことは事実である。その訳は、一体帝大といふところは官僚主義的学閥意識の強いところあつて、(近頃は少しは変つたやうだが)学位を与へるのにも履歴とか地位とかを重んずるので、大川氏のやうな浪人学者に学位を与へることを好まない風があつた。そんなわけで大川氏の論文は某教授の手許に永らく停滞するの巳(ママ)むを得ざるに至つた。これに対して吉野博士は大川氏に同情し、たとひ論文提出者が浪人であらうと官吏であらうと大学教授であらうと、いやしくも論文そのものに価値があれば、当然学位は与へねばならぬという正しい意味の自由主義に立ち、自分は審査委員の一人として、大いに奮闘し、到頭大川氏に法学博士の学位が授与される運びになつたのである。
 東京帝大法学部の学位に対する官僚的門戸閉鎖主義を打破したのは吉野博士であり、その最初の栄誉を獲た人は大川博士であつた。ところで面白いことは、この二人の間に少しの面識もなく、そして面識のないまゝで吉野博士は死んで行つたのである。しかし吉野博士は大川博士のために尽したことを誰にも語らなかつた。吉野博士の生前、私は博士と大川博士のことについて語つたことがあるが、学位問題については一言も云はなかつた。元来吉野博士といふ人は徹底した人道主義者であつて、どんな未知の人に対しても、自分が助けねばならぬと感じたら、良心の命ずるまゝにどこまでも尽力する人であつた。そして自分のしたことを誰にも吹聴しない人であつた。私は某あんな立派な人格者は滅多に生まれてくるものではないと信じてゐる。
 大川博士は吉野博士の人力をどこからか伝へ聞いて、大いに感謝の念を抱いた。吉野博士が死んでから、私は大川博士を市ヶ谷刑務所に訪ふてこれを報告すると、博士は憮然として「私は吉野さんに恩を蒙つてゐるので、一度お会ひして御礼を云ひたかつた」と寂しく語つた。この二人の博士は思想的立場を異にしながら、互いに尊敬を払ひ、一度も面会はしなくとも著書は絶えず交換してゐた。
    --赤松克麿「吉野博士と大川博士」、『国民運動』一九三四年五月、三五頁。

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娘婿の赤松克麿(1894-1955)が岳父・吉野作造(1878-1933)と大川周明(1886-1957)の友誼を、吉野が亡くなった後に語ったのがうえの抜粋。

大川周明が東大で学位を取得する際、影になって助力したのが吉野作造ですが、吉野作造と大川周明といえば、水と油のように思想的なものは相反する定位置。

しかしながら、吉野は立場をこえて、助力を惜しまなかった。

盟友・ 内ケ崎作三郎(1877-1947)は吉野のことを「無限の親切の人」と呼んだそうですが、その消息がうかがい知れるエピソードではないかと思います。

大川の他にも、天皇親政を説き、民本主義と激しく対峙した東大の同僚・上杉慎吉(1878-1929)との日常生活における睦まじい友誼も有名な話しです。

結局のところ、この吉野のような人間に向かい合う態度をどこまで取ることが出来るか……それが課題なんじゃないかと思う。

肩書きや役職、出自や文化、そして政治的な立場や考え方によって、

「こいつとは話しにならん」

「こいつは人間じゃない」

……人そのものと向き合う前に、そうした短絡的な判断をしていないかどうか。

確認しながら挑戦していかない限り、人間はたやすく「非・人間」を拡大再生産していってしまうと思うんですよね。

話をするまえから「こいつとは話しにならん」では、そりゃあ「話し」にはなりませんよ。

こちらから閉ざすような在り方は賢明に避けていくしか在りません。


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覚え書:「急接近:森谷賢さん 本格化する放射性物質除染作業の見通しは」、『毎日新聞』2012年2月18日(土)付。

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急接近:森谷賢さん 本格化する放射性物質除染作業の見通しは

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 東京電力福島第1原発事故によって放出された放射性物質の政府主導の除染作業が、いよいよ本格化する。除染を必要とする地域は広く、汚染物質の処理方法も決まっていない。現地で陣頭指揮を執る森谷賢・福島除染推進チーム長に今後の見通しを聞いた。【聞き手・永山悦子、写真・小出洋平】

 ◇個別の要望を粘り強く--福島除染推進チーム長・森谷賢さん(58)
 --細野豪志環境相は「除染なくして福島の復興なし」とよく語りますが、地元には「除染だけでは帰れない」という訴えが多くあります。現状をどのように見ていますか。

 ◆ 避難指示を受けている約9万人の福島県の皆さんが、除染だけで帰れるわけではないということは十分理解している。安心して暮らすための生活環境の整備、例えば上下水道や電気、ガスが以前のように使えるのか、近くに買い物の場所があるのか、農業はできるのか。暮らしを支えるこれらの対策も政府がやらなければならない。だが、それらの前提として、除染しなければすべての可能性が開けない、ということも事実だ。

 --環境省は、これまで放射性物質を扱った経験がありません。「環境省に除染ができるのか」と指摘する声もあります。

 ◆ 放射性物質を扱ったことはないが、類似の経験はある。有害な化学物質や、それによる土壌汚染の浄化などの仕事は、今回の対応に近いだろう。例えば、カネミ油症事件を起こしたPCB(ポリ塩化ビフェニール)の無害化処理では私自身、国内に処理施設を5カ所設け、全国から廃棄物を集めて処理する仕組み作りに関わった。また、産業廃棄物課長として、この施設整備や青森・岩手県境に不法投棄された産廃処理にも携わった。

 --当時、どんなことに腐心しましたか。

 ◆ 産廃処理では地元自治体との調整や法律作りを担当したが、有害物質の危険性や、そのレベルに応じた対応など、住民の皆さんに納得してもらうことは確かに難しい。一方、住民が不安を持つのは当然なので、理解に役立つ情報を伝えていくことが大切だと実感した。このような行き場のない廃棄物の処理や環境汚染の現場を元通りに戻すための取り組みについての経験を福島でも生かしたい。

 --除染の方法は確立しておらず、効果も分かっていません。「巨額の税金投入は無駄ではないか」との疑問もわきます。

 ◆ 単に金銭的なことだけで政策の是非は判断できない、と考えている。今回の汚染は、本来は身の回りには存在しないものだから、安全性をより厳密に確保することが求められ、経済的観点のみから政策を選択すべきではないだろう。効率的な金の使い方は必要だが、避難したい人、古里に帰りたい人、それぞれ希望があるのだから、簡単な比較はできないと思う。

 --汚染物質の中間貯蔵施設の建設地選びで、地元自治体から異論が出ています。仮置き場確保も難航しています。それらを受け入れてもらうためには最終処分場の青写真も必要です。

 ◆ 住民説明会に参加すると、汚染物質の受け入れには大変な抵抗感があった。一方、仮置き場がなければ除染は始められない。仮置き場では徹底した遮蔽(しゃへい)をするので、放射線量は周囲より低くなる。そのような安全策を粘り強く説明していきたい。中間貯蔵施設では、できるだけ汚染物質の容量を減らし、最終処分場へ持っていく。最終処分は、環境省の基本的な考えでは県外で行うと約束しており、私たちはそれを実現すべく動く。個人的な考えだが、最終処分は、原子力発電所内の高濃度の放射性廃棄物の最終処分も念頭において進める必要があるのではないか。

 ◇福島の側から国を見て
 --現場で住民と向き合い、どんなことを強く感じますか。

 ◆ 共通する大きな思いは「いつになったら帰ることができるのか」ということ。「(年間追加被ばく線量は)1ミリシーベルト以下にできるのか」「いつまでに終わるのか」と問われるが、現状では「はっきりと帰還の線量を申し上げることは難しい」「段階的に下げていく。帰還目標までの除染が実現できるように頑張る」と答えることしかできず、申し訳ない思いだ。だが、現実を認識したうえで、少しでも有効な除染を進めていくしかない。

 --除染への要望は、地域や個人によって異なります。どのように対応していきますか。

 ◆ 除染を進めるため1月に施行された「放射性物質汚染対処特別措置法」は前例のない除染に取り組む「よりどころ」となる法律だ。環境省福島環境再生事務所は、避難している一軒一軒に除染への要望を聞き、同意を得て、事業を発注・監督する。膨大な仕事だが、個別のニーズに細やかに応えることが一番重要と考えている。

 --除染を進めることによって、住民、国民の信頼は取り戻せるでしょうか。

 ◆ 福島環境再生事務所を開設したとき職員に話したが、「除染は初めての経験」という言い訳はできない。福島には「国への信頼が失墜した」と感じている人がたくさんいることを、肝に銘じて仕事しなければならない。そのとき、福島の人から国はどう見えているのか、福島の側に立って国を見る、ということを心がけたい。そこから初めて福島の皆さんと話ができるようになると考えている。

ことば 放射性物質汚染対処特別措置法
 福島第1原発事故後の除染や廃棄物処理を進めるための法律。警戒区域や計画的避難区域は「除染特別地域」として国が直轄して除染する。年間追加被ばく放射線量が1ミリシーベルト以上となる地域は、「汚染状況重点調査地域」と指定、国から財政支援を受けて除染する。

人物略歴 もりや・まさる
 北海道生まれ。京都大大学院理学研究科修士課程修了。環境省水・大気環境局総務課長、官房審議官(地球環境局担当)などを経て昨年8月から現職。今年1月、福島環境再生事務所長代行を兼務。
    --「急接近:森谷賢さん 本格化する放射性物質除染作業の見通しは」、『毎日新聞』2012年2月18日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120218ddm004070095000c.html


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真理を探究するには、生涯に一度はすべてのことについて、できるかぎり疑うべきである。

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一 (真理を探究するには、生涯に一度はすべてのことについて、できるかぎり疑うべきである。)
 我々は幼年のとき、自分の理性を全面的に使用することなく、むしろまず感覚的な事物について、さまざまな判断をしていたので、多くの先入見によって真の認識から妨げられている。これらの先入見から解放されるには、そのうちにほんの僅かでも不確かさの疑いがあるような、すべてのことについて、生涯に一度は疑う決意をする以外にないように思われる。
    --デカルト(桂寿一訳)『哲学原理』岩波文庫、1964年、35頁。

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「疑う」というフレーズを耳にすると、どうやら「何かうしろめたい」「できれば避けたい」と意識してしまう人が多いようだし、できることなら、そうした面倒な手続きを割愛したいという人情もわからなくはない。

しかし、そもそも「疑う」ということは、「疑うために疑う」訳ではく、「確実性」を手に入れるために「疑う」ということが哲学的思索の出発点であることは明記すべきなんじゃないかと思う。

人は様々な知識や伝統、そして常識というものを、ほとんど無意識に身につけることによって、無反省的に社会のなかで生きていくことができるようになる。

それを悪い方向から示唆するとすれば「惰化」といってもよいでしょう。
*もちろん、だからといってそのすべてをぶっ壊せという脊髄反射はよくないのだけどね。

しかし、ときどき点検していかないと、「本当は○○なんじゃないのかな」ってことから大きく逸脱し、時としては、自覚なしに他者を否定したり、またされたりすることになってしまう。

だからこそ、「生涯に一度」ぐらいは、「疑う決意をする以外にないように思われる」。


そのことによって、これまでは海に浮かぶ水面の氷山を見ていなかったにすぎなかった前日から、今度は水面下の氷山をも見ることのできる今日、そして明日という複眼的なまなざしをみにつけ、そのものへ近づいていくことができるはずですからね。

「確実性」を求める「疑い」は、「確実性」と「思いこむ」感性(=陥穽)よりは、少し彩り豊かな世界を、僕たちのまえに見せてくれるものですから。


既成の制度やら概念といったものが制度疲労から音を立てて崩れだした昨今、柔軟に対応したいものです。

まあ、からくりを理解したからといって単純に全否定するのも早計かも知れませんが、「そういうことなんだよね」っている理解があるとないでは大きな違いになりますから。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 弱者サポートの充足が急務=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年2月17日(金)付。

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くらしの明日 私の社会保障論
弱者サポートの充足が急務
湯浅誠 反貧困ネットワーク事務局長

高齢化社会の活性化に向け
 生物としての人間は老いとともに機能が低下する。若くて元気な人間を前提につくられた社会での暮らしに、不都合を感じる場面は徐々に増えていく。バリバリ働けなくなることによる所得低下を補う年金、老いに伴う疾患を治療する医療、生活面での機能低下を補う介護が必要になる。
 どれくらい補う必要があるかは人によって違う。身長が150センチなのか170センチなのか、体重が40キロなのか80キロなのか、痛いのは足なのか膝なのか腰なのかによって、50センチの段差を越えるために必要なサポートは、その量も質も一人一人違う。だから社会保障は必要(ニーズ)に応じて提供されることが原則となる。
 必要なサポートが量的または質的に不足する社会では、それが充足した社会に比べて、相対的に早い年齢から、ちょっとした疾患や機能低下で、より多くの人々が不都合や不自由を感じるようになる。自宅へのひきこもり、社交性の途絶、性格的な気難しさは、こうした社会からの物理的・心理的撤退(=排除)によって引き起こされる。
 サポートが不足したまま高齢者比率が増えていけば、人の出歩かない街は閑散とし、商業も停滞し、若い人も含めた社会全体が沈滞する。それゆえ、生物としての人間に老いが避けられない以上、若い人たちが担い手となって必要なサポートを質量ともに充足させる方が、社会は全体として活性化するはずだ。
 ところが、その理屈の通らない社会がある。そこではものすごいスピードで高齢化が進みながら、速すぎるために人々の意識が追いつかず、頭の中では依然として若いつもりでいる。社会全体が若くて元気なことを前提に設計されているので、若くない人、若くても元気でない人には居場所がなく、急速な高齢化とともに急速な社会の空洞化が進む。

 *
 人々は焦り「なんとかしなきゃ」と言うものの、その焦りはもっと若々しく、もっと元気に、と若くて元気な人間を前提にした暮らしをさらに強化する方に向かう。このため、老いを受け入れて必要なサポートを充足させることができない。結果として、必要に応じた社会保障が提供されず、とっても元気な人以外はさらに不自由になっちく。「もっと若く元気に」と叫び続け、100歳まで働けるなら、それでもいいだろう。しかし生物としての人間に、それはできない。
 必要なサポートを質量ともに充実させた方が、社会は豊かになる。社会は人間で構成され、そして人間には知恵がある。私たちの知恵を発揮させたい。

ことば 高齢化の進展
国立社会保障・人口問題研究所が1月発表した最新推計では、65歳以上の高齢者の割合は2024年に30%に達すると予測。60年に39・9%になり、高齢者1人を現役世代約1・3人で支える社会になる。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 弱者サポートの充足が急務=湯浅誠」、『毎日新聞』2012年2月17日(金)付。

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覚え書:「ザ・特集:福島第1原発事故11カ月 「死の灰」の教訓、どこへ 大石又七さんに聞く」、『毎日新聞』2012年2月16日(木)付。

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ザ・特集:福島第1原発事故11カ月 「死の灰」の教訓、どこへ 大石又七さんに聞く

 ◇ビキニ環礁水爆実験で被ばく、第五福竜丸乗組員
 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故から、11カ月が過ぎた。広くまき散らされた放射性物質の影響が懸念される中、58年前の被ばく経験を語り続ける人に会いたくなった。米国が太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で実施した水爆実験で、放射能を含む「死の灰」を浴びた第五福竜丸の乗組員の一人、大石又七さん(78)。今、何を思い、何を訴えるのか。【宍戸護】

 ◇国の対応や差別、偏見…何も変わっていない
 「広島、長崎の原爆では多くの人が爆風や熱線を浴びましたが、私たちは空から落ちてきた白い粉に放射線が含まれていて、内部被ばくしたのです」。11日、西東京市であった市民団体と市共催の学習会で、大石さんは約60人の聴衆に自らの経験を語った。東京都内で長年営んでいたクリーニング店は10年末に閉じた。がっちりとした体格に海の男の面影が残る。

 「これまで自分の体験を言葉や文章にしてきたが、元漁師の洗濯屋が言うことには振り向いてもらえなかった。しかし、福島の事故が起こってからは『他人の哀れな話』ではなくなったのです……」。「他人の哀れな話」。日本の反核運動のきっかけともなった壮絶な体験をそう表現するところに、歩んできた道のりの険しさがにじむ。

 第五福竜丸の母港がある静岡県焼津市の隣、吉田町に6人きょうだいの長男として生まれ、14歳でカツオ船に乗った。二十歳になったばかりの1954年1月、マグロはえ縄漁船の第五福竜丸で出港。3月1日の夜明け前、爆心地から約160キロの太平洋上で水爆実験に遭遇した。直後の模様を、自著「死の灰を背負って」に書いている。<閃光(せんこう)が見えてから2時間くらい、ふと気がつくと雨の中に白い粉のようなものがまじっている。(略)唇のまわりについた粉を、口に含んでかんでみるとジャリジャリして固い>

 この粉は後に、水爆で焼けたサンゴ礁が灰になって上空に飛び散ったものと分かる。「船のデッキの上に、足跡が残るくらい積もった。ただ、体に触れても熱くなく、臭いもないので怖さは感じなかったね」。コードネーム「ブラボー(万歳)」と呼ばれた水爆の威力は広島型原爆の1000倍と言われた。

 帰港するまでの2週間、食事や呼吸を通して内部被ばくを受けた。乗組員の正確な被ばく量は分かっていない。都立第五福竜丸展示館(東京都江東区)を運営する公益財団法人第五福竜丸平和協会によると、白血球減少などさまざまな状況から2000~3000ミリシーベルトと推測される。一度に4000ミリシーベルトを浴びると半数が死に至ると言われている。乗組員23人のうち、最高齢の久保山愛吉さん(当時40歳)は急性放射能症で半年後に死亡。大石さんは頭髪が抜け、白血球も減少したが、1年2カ月の入院生活を経て退院できた。

 日米政府は55年、法律的な責任を伴わない「見舞金」7億2000万円を米国が日本に支払うことで合意。ビキニ事件は政治的には「完全決着」した。だが、帰郷した大石さんを待っていたのは、被ばく者への差別や偏見、受け取った見舞金190万円へのねたみのような感情だった。返済のあてのない借金の肩代わりを求められたりした。耐えきれず、その年に東京へ移住。クリーニング店で働き始めた。「被ばくの過去を知られていないところで、人混みに紛れて暮らしたいと思ったのです」

 やがて結婚。最初の子は死産だったが、子ども2人を授かった大石さんは、差別や偏見が家族に及ぶことを恐れ事件について沈黙を貫いた。だが--「娘の結婚は2回破談になりました。世の中に女性はたくさんいるのに、何も……と。被ばく者やその家族というだけで、世間は『人間から外れたもの』と見た」。今も無念そうな表情を浮かべる。

 この間、仲間の乗組員らはがんなどで相次いで亡くなった。「このまま黙っていていいのか」。心が揺れ始めた大石さんは事故から29年後の83年、都内の中学生にビキニ事件について話したのをきっかけに、自らの体験を伝える覚悟を決めた。

 「悔しいじゃないですか。差別や偏見でこれだけつらい思いをしながら、多くの仲間は40代、50代で病死し、残された家族は苦労している。当事者である私がしゃべらなければ事件は闇の中に消えていく。声を上げるしかない。そう思ったのです」

 以後、全国各地で講演し、放射線や内部被ばくの恐ろしさを訴え続けてきた。

 「他人の哀れな話」は震災後、放射能の影響を受ける全ての人たちにとって「自らの深刻な話」となった。

 「ビキニ事件と今回の原発事故は、内部被ばくを引き起こすという意味で本質的には全く同じです。ただ、私が吸ったり浴びたりしたのは約2週間だが、福島の人たちはまだその中で生活している。とんでもない話だ。目には見えないし、古里を離れたくもない。でも、測定器を当てれば反応が出る……本当に戸惑っていると思います」

 そして、語気を強めてこう語った。「放射線、原発をどうするか。国際競争で負けたくない指導者たちには、被ばくの健康影響を重く見ることに抵抗するから任せられない。一般の人たちがもっとレベルを上げて考えないと、この問題はいつまでたっても解決しませんよ」

 「狭心症や心筋梗塞(こうそく)などの症状を改善」「ぜんそく発作を予防」「感染症を治療」……。都内にある大石さんの自宅。たくさんの薬が入った袋を見せてくれた。1日に約30種類の薬を飲む。「正直、薬で体が持っているところがある。これがなければもうダメです」

 92年には肝臓がんが見つかり摘出手術をした。今は肺に腫瘍を抱え、ぜんそくのようなせきは薬がないと止まらない。不整脈、白内障もある。いずれも被ばくとの因果関係は明らかではないが、自著「矛盾」で<これらは持病ではない。アメリカの核実験によって加えられた病気>と書いている。

 被ばくの後遺症を気にした大石さんは、ビキニ事件をきっかけに57年に設立された放射線医学総合研究所(千葉市稲毛区、放医研)で年1回、健康診断を受け続けた。しかし、それも92年を最後にやめた。結果を問い合わせても、詳細なデータを示してくれないからだという。「肝臓がんも他の病院で見つけた。放医研にとって私たちは研究材料に過ぎないのではないかと感じたのです。福島の人たちに対する国の対応の鈍さを見聞きすると、変わっていないという印象を受ける。過去の被ばく者から得た教訓を生かそうとしない限り、私たちが歩んできた苦難の道が繰り返されるのではないか」

 乗組員23人のうち既に14人が亡くなった。だが国は、久保山さんを除き、被ばくと病気の因果関係についての判断を示していない。被爆者健康手帳も交付されず、大石さんは今も通常の健康保険で治療を受けている。
    --「ザ・特集:福島第1原発事故11カ月 「死の灰」の教訓、どこへ 大石又七さんに聞く」、『毎日新聞』2012年2月16日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120216ddm013040033000c.html

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葬儀が「人」と「人外ノ者」を分かつとは怖ろしい

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葬儀の自由化
 新政府の宗教政策、教化政策を簡単に振り返っておきたい。
 一八六八年の「王政復古」による祭政一致政策に基づき、まず、大宝令にある神祇官が太政官と並び、復興されることになった。キリシタン禁制の高札の再掲、神仏分離令(神仏判然令)が出された。
 「大教宣布」のために宣教使が置かれた。その後、教部省の設置に伴い教導職が任命された。教導職は、初めは神官のみが務めたが、仏僧も参加し、その養成のための施設として中央には大教院、府県には中教院、各地に小教院が設けられた。その中心的教えとして「敬神愛国」「天理人道」「皇上奉戴」を柱とする「三条の教則」が定められた。
 一八七二年には、自葬を禁じ、葬儀は神官僧侶によるとの布告が出された。実は、この布告が、次の年にキリシタン禁制の高札が撤去されても生きていたのである。さらに一八七四年、葬儀の執行が神官僧侶のみならず教導職にも拡大された。
 この一連の動きを見ると、「神仏判然」令に反発した仏教の取り込みが見られる。まず、過激な廃仏毀釈とそれに対する抗議に対して、神仏分離は廃仏毀釈でないとの通知を出した。外国に学んで信教の自由の思想に接した真宗の島地黙雷は、教導職に任命された仏僧が、神官の下で「三条の教則」を説くことに抗議、ついで「大教院分離建白書」を一八七三年に提出した。ついに一八七五年、大教院は解散する。
 一八七五年には「教法ヲ説ク者ト教法ヲ受クル者トヲシテ共ニ信教ノ自由ヲ完全ナラシムル」ころをうたった「口達」を神仏各管長に出して。信教の自由を保障した。だが、これらからわかることは、あくまで仏教に対しては信教の自由が保障されても、キリスト教にはなかった点である。
 キリスト教による葬儀が、全面的に認められるのは、一八八四(明治一七)年の教導職の廃止まで待たなくてはならなかった。同年八月、神仏教導職が廃止されたことに伴い、一〇月、「葬儀ヲ依托スルハ一々喪主ノ信仰スル所ニ任セ不可ナカルヘシ」との内務卿口達により、初めてキリスト教式葬儀が可能になる。ところが、この口達には、続いて墓地と葬儀の場所に関し制限のある旨の言葉が見られた。

葬儀の習俗
 高札の撤去後も、キリスト教への入信を妨げる大きな要因として、依然として葬儀が神官と僧侶にしか許されていない実情をみてきた。小沢三郎は、その状況のなかでのキリスト教の葬儀を四種に分けている。
 (1)仕方なしに、異教によって葬儀を行ったもの。
 (2)国法に従うべきであるとして、積極的に合法的葬儀を行ったもの。
 (3)申し訳的に合法的葬儀を行い、それとは別に立派なキリスト教式葬儀を執行したもの。
 (4)キリスト教信仰に従って、自葬の禁を無視し、キリスト教式葬儀を行ったもの。
 一八七二年の布告に正面から違反するケースは最後の(4)であり、松本儀兵衛のケースはこれにあたる。前述の仙太郎のケースは、キリスト教式葬儀に関しては内輪で行っただけであるから(1)かもしれない。
 きわめて長期にわたるキリシタン禁制のための檀家制度の結果、日本人はすべて、どこかの寺院に所属し、葬式は仏教式に行う方式が習慣になり固定化した。
 キリスト教関係の週刊誌である『七一雑報』三九号(一八七七年九月二八日)に盛岡の鈴木舎定(しゃてい)の「質疑」と題した投書が掲載されている。鈴木舎定はキリスト信徒であるとともに自由民権運動にも従う人物である。それには、政府が依然として信教の自由を認めない次の話が記されている。
 東京の神田辺りに住む人に、ある日、役所から呼び出しがあった。何事だろうと行くと、お寺はどこであるか、また何宗であるかが不明なので定めるように告げられた。その人はキリスト教を奉じていたため、できないと答えた。それは「大変不都合千万」であるから戸長の印鑑をつけて東京府庁に届けるようにと命ぜられた。それで府庁に届けたところ、府庁からはキリスト教に回収することは聞き入れられないとの指令があった。
 この話は、まさに檀家制度の急襲が、一八七七(明治一〇)年になっても、まだ役所に残っていた表れである。仏教に対する信仰というよりも、葬式を中心とした強い習俗がつくられていたのである。これが「イエ」制度を生み、「イエ」の宗教をつくった。その結果、今日、世論調査などで宗教は何かとの質問に対し、いまだに自分の宗教でなく「イエ」の宗教を答える人が多い。
 習俗は葬儀だけにとどまらず、死者を埋葬する場である墓地にまで及んでいる。これがキリスト教徒にとっては、もう一つの難問だった。特に墓地が寺院にしかない地域は大変だった。一八八四年にキリスト教式の葬式が認められるようになっても、墓地を管理する寺院側は、各宗派が連合してキリスト教式埋葬を排斥する規約や申し合わせなどを作っている。小沢三郎の報告には、一八九一年の全国仏教者大懇話会の決議、一八九七年の千葉県富津村および一八九九年の福井県武生町の各宗寺院の規約が紹介されている。それらでは、キリスト信徒の埋葬のための墓地の貸与の禁止、キリスト教式葬儀を行った者の埋葬の拒絶がうたわれている。
    --鈴木範久『信教自由の事件史  日本のキリスト教をめぐって』オリエンス宗教研究所、2010年、48-51頁。

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仕事へ行くまで、明治日本のキリスト教禁教の高札撤廃前後の文献をまとめて読んでいたので、少しだけ紹介。

禁教高札の撤去後も、キリスト教への入信を妨げる大きな要因は、葬儀が神官・僧侶にしか許されていなかったことが原因という話しです
※禁教高札撤去後も前年に出された太政官布告第192号が生きていたからです。

その意味では1873(明治6)年2月24日の「キリシタン禁教の高札撤去」の撤去は信教の自由というよりも「黙許」(鈴木範久)と表現せざるを得ないのがその内実かも知れません。

そしてここで注目したいのは……もちろん信教の自由は大事なのですが……葬儀が「人」と「人外ノ者」を分ける指標になっていたという事実です。

葬儀が「人」と「人外ノ者」を分かつとは怖ろしい。

正式にキリスト教による葬儀が認められるようになるのは1884(明治17)年の教導職廃止まで待たねばならなかった……。

1884年10月。

「葬儀ヲ依託スルハ一々喪主ノ信仰スル所ニ任セ不可ナカルヘシ」との内務卿口達でキリスト教式葬儀が公認されるけど、現実には墓地と葬儀の場所に関しては制限を付嘱している。

結局はキリシタン禁制の檀家制度という「習俗」が「内心の自由」に対して大きく立ちはだかることになったという寸法でしょうか。

廃仏毀釈後、仏教のメインラインでは、その脊髄反射と「神道」よりも「国家」に“忠実”そして“役に立ちますよー”として制度にすりよる選択肢をとるから、基本的に異教排除の立場を堅持します。

だから、先の口達以降も、墓地を管理する寺院側は、各宗派が連合してキリスト教式埋葬を排斥する規約や申し合わせを行っている。

葬儀の自由はいくら法令で伝達してもその環境がない限り形骸化も同然ですよね。

僕は別に仏教をdisってキリスト教偉い!などというお花畑な構造を演出しようとは決して思わないけど、日本に根付く「異質なものを排除する」構造が、(葬儀や埋葬に関わる)「死」をひとつの取引材料として利用し、同化を強制しようとすることには違和感があるンだよな。

その意味では、政治的な考え方や、思想信条に基づく発想の違いが存在することは承知なんだけど、「死」をひとつの材料やネタにして、「イエスかノー」を迫る「道具」として、それを「利用」することには、その目的がいかに崇高であったとしても組みできないんだよな。

例えば、忌まわしき「村八分」という愚かなルールですら「葬儀」と「火事」は排除から除外するとしているのですが、そのムラ社会以上にorzなのが、近代日本の内心の自由を制限しようとする試み。

これがいびつなかたちでいろんなところに出てきている。

くわばらくわばら。


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多くの日本人は、ヨーロッパやアメリカには人種差別があるけど、自分たちには人種差別の伝統がないと思っているから、非常に無防備にレイシズムが表に出てきてしまう

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姜 今回の「中国人犯罪者民族的DNA」発言(引用者註……、2001年5月8日付『産経新聞』掲載の石原慎太郎都知事のコラム、「こうした民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく」と言及)は、「三国人」発言よりもはるかに悪質です。ところが、なぜか、そうした発言に対して、メディアは急速に鈍感になりつつある。
森巣 私が気になったのは、まさに、その点なんです。なぜ、石原発言は野放しのままなのか。ルペンやハイダーのような政治家を日本のメディアは極右と呼ぶならば、なぜ、石原慎太郎を極右と呼ばないのか? ルペンやハイダーでさえ、公共の場では石原のような発言はできないでしょう。冗談抜きで、「人種差別煽動・助長行為」として起訴され、本当に、刑務所の中でカンカン踊り(身体検査のため、すっ裸に剥かれ、両腕を頭上に挙げてばたばたと足踏みさせられること)をしなければならなくなります。これについては、いつかどこかで、徹底的に批判しなければいかんと思っているんですよ(「政治家『極右』と呼ぶ規準は何か」/『朝日新聞』二〇〇二年六月二日)。
(中略)
姜 そうですね(笑)。アフガニスタンをどうするのかとか、有事法制の是非をめぐる議論に日本中が巻き込まれている中で、たった四人の難民が、日本社会から拒絶され、ひっそりと強制退去させられてしまう。その矛盾は、一度みんなの眼前に提示されれば、誰にでもわかるはずなのに、メディアは取り上げようとしない。
森巣 なぜなんでしょう。
姜 さきほどの石原慎太郎の発言に関しても、それをしかめっ面で聞いたり、嘲笑する人もいますが、総体として容認してしまう日本社会の価値観そのものに、特に、アジア系の人に対するレイシズム的感情が、形を変えて残っているのだと思います。しかも、多くの日本人は、ヨーロッパやアメリカには人種差別があるけど、自分たちには人種差別の伝統がないと思っているから、非常に無防備にレイシズムが表に出てきてしまう。
森巣 ただ、私は、もう三〇年近くを海外で過ごしていますが、今でも一年に二回ほど、春と秋に、日本を「訪ねる」わけです。そうすると、もう、普段接する機会がないだけに、日本社会やメディアの感覚麻痺が急速に進行していることが、否応なくわかる。レイシズムへの無防備性はもともとあったことかもしれませんが、その感覚麻痺が近年、ますます深化しているような印象を受けるのです。
姜 おっしゃるとおりです。
森巣 セキュリティや国益を声高に語りながら、日本人以外の人間を、あまりにも安直に、視界の外に追いやろうとする空気そのものに対しては、非常に危険なものを感じます。誰もが、その空気に慣れすぎてしまっているのではないか、と。
    --姜尚中・森巣博『ナショナリズムの克服』集英社新書、2002年、24-26頁。

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東京都の「人権ポスター」が“炎上”していたので紹介しておきます。

①「言葉、宗教、生活習慣などの違いから、様々な人権問題が発生しています」とポスターでは表記されておりますが、この表現はあたかも「違い」が問題を生んでいるかのような印象を与えますよね、その点でアウト。

「違い」を理由として差別するのは差別する当事者の問題なのに、「違い」が問題であるような表現をするという愚劣さ。

②もうひとつ加えれば、これは東京都のトップである石原慎太郎(1932-)東京都知事閣下に対して掲示すべきかと。

「多くの日本人は、ヨーロッパやアメリカには人種差別があるけど、自分たちには人種差別の伝統がないと思っているから、非常に無防備にレイシズムが表に出てきてしまう」。
だから敏感にならなきゃいけないのに……。


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覚え書:「性同一性障害:非配偶者間人工授精 『非嫡出子扱いは民法違反』 『差別許せない』遅れる生殖補助医療関連の法整備」、『毎日新聞』2012年2月15日(水)付。

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性同一性障害:非配偶者間人工授精 「非嫡出子扱いは民法違反」 「差別許せない」遅れる生殖補助医療関連の法整備


 心と体の性別が一致しない性同一性障害(GID)で戸籍の性を女性から男性に変えた東大阪市の前田良さん(29)=活動名=と妻(30)が近く、第三者から精子の提供を受け人工授精でもうけた男児(2)を法律上の夫婦の子である「嫡出子」と認めないのは不当だとして、東京家庭裁判所に不服を申し立てる。夫婦の思いと、それを阻む法律の壁とは何なのか。【丹野恒一】

 1月27日、東京都新宿区役所。前田さんが提出しようとした出生届を確認した職員は言った。「嫡出子を非嫡出子に書き直し、父親欄は空欄にしてください。あなたが届け出るならば、届け出人欄は父親ではなく母親の同居人となります」

 GIDで性別変更したことは事前に伝えてあったので予想された対応だったが、やはりショックだった。「僕は父親だし、妻の同居人ではなく夫だ。なのになぜ?」。前田さんは「嫌です」と言い切り、席を立った。

 子どものころから自分が女性であることに違和感があった前田さんは08年3月、性同一性障害特例法に基づき性別を変更。翌月、結婚した。妻は「元は女性だったということが引っ掛かったのは事実だが、最後は『この人が好き』という自分の素直な気持ちに従った」と話す。

 子どもが欲しいと言い出したのは前田さんだった。副作用の危険もある男性ホルモンの投与を生涯受けることから「もし僕が死んでも妻を支えてくれる存在になってほしい」と考えた。妻は、子どもが差別を受けないか、その時に支える母親になれるかと半年悩んだ末、「これまでの人生は苦しいことばかりだったという夫に、残りの人生を幸せに過ごしてほしい」と受け入れ、第三者の精子を使う非配偶者間人工授精(AID)で子を産む決心をした。

 09年秋、待望の子が生まれたが、出生届を出そうとして法の壁にぶち当たった。戸籍の記載から前田さんが以前は女性だったことが分かることを理由に、嫡出子として受け付けられなかった。1年後、夫婦は出生届を取り下げ、男児は無戸籍のままだ。今回、新宿区役所に改めて届け出しようとしたのは、法務省の膝元の東京で司法の判断を仰ぐためだった。

   ◇

 前田さんと同様にGIDで女性から性別変更した神奈川県在住の男性(36)と妻(36)も昨春、AIDで女児をもうけたが、法的には非嫡出子として戸籍を作った後で特別養子縁組をして親子関係をつくることにした。

 この夫婦の場合、いったんは嫡出子として出生届が受理された。しかし後日、市役所から「非嫡出子に訂正するか出生届を取り下げて」と電話があり、「天国から地獄に突き落とされた」(妻)。

 夫婦は裁判に訴えることも考えたが、医療費助成を受けるための乳児医療証の発行が遅れたのをきっかけに考えを変えた。東日本大震災から日が浅かったこともあり、「無戸籍のままでは、いざという時に支援が届かないかもしれない。海外に避難したくてもパスポートさえ取れない」と不安になった。

 そして何よりも娘の存在が、かたくなだった夫婦の気持ちを溶かしていった。「親子関係は戸籍が決めるものではない。書類上はどうであれ、夫婦で協力して抱っこしたり、オムツを替えたりする育児を通して、親子の絆をはっきり実感できているから」と妻は話す。

   ◇

 民法772条は「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」(嫡出推定)と規定している。

 GIDの男性は戸籍に性別変更したことが分かる記載があることを理由に、法務省は「親子に生物学的な父子関係がないことは客観的に明らかだ。嫡出の推定は及ばず、非嫡出子として届け出るよう求めている」と説明する。04年に特例法が施行され、性別変更後に結婚して子をもうけたケースは、同省によると16件ある。当初は保留した夫婦もあったが最終的に15組が従った。

 残る1組が前田さんだ。前田さん側の山下敏雅弁護士は「法務省の判断は民法の条文に明らかに違反しており、性同一性障害の人たちが本来の性別で幸せな生活を送れるようにと制定した特例法の趣旨にもそぐわない」と主張する。

 一方、一般の男性が無精子症のためAIDで子を持った場合、嫡出子として受理される。法務省によると、非嫡出子であるという記載にするためには、嫡出否認の裁判を起こすことが必要。これまでこうしたケースはないといい、父と子に遺伝上のつながりがないのは同じなのに、一般男性とGIDの男性の扱いに差が生じている。

 前田さんの子に戸籍はないが、住民票は作られ、各種の社会保障も受けられている。特別養子縁組をすれば相続上の不利益が生じることもないというが、前田さんは納得できない。「法律によって男になり、夫にもなったのに、なぜ父にはなれないのか。差別だ」。その一点が、裁判を起こす動機となった。

 この問題をめぐっては、10年1月に当時の千葉景子法相が当事者を救済する対策の検討を表明したが、2カ月後に「生殖補助医療の考え方が固まっていないことが問題だ。明確な基準が定まらないと対応は難しい」とトーンダウンし、法改正に至らなかった経緯がある。

 生殖補助医療の分野では、第三者の精子や卵子を使ったり、他人に代理母になってもらったりするなど、複雑な家族関係が生じているが、法は追いついていない。前田さんの裁判が、たなざらしにされてきた法整備に向けて、一石を投じることは間違いない。
    --「性同一性障害:非配偶者間人工授精 『非嫡出子扱いは民法違反』 『差別許せない』遅れる生殖補助医療関連の法整備」、『毎日新聞』2012年2月15日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/science/news/20120215ddm013100127000c.html

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議会でも、どこでも、昂憤ばかりする人であるようだ

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昭和十八年
十月五日(火)
 問題がなくなると「統制強化」をやるのが日本人の特徴だ。今朝の新聞は「防衛行政一元化、急速要望さる」「交易指導一元化」(『読売』)、「宣伝機関の一元化の必要性」「発注の徹底的一元化」(『毎日』)といった具合に一元化を説いている。「一元化、一元化で戦争を終わりけり」。
 交通省といえばいいところを「運輸通信省」と長くというところに事務官的特徴を見る。
 キリスト教徒に対する迫害甚しとのことである。たとえば青山学院とか、立教大学とかに対し。ちょうど幕末と同じだ。
 先頃、重臣達(前、首相)が東条首相を招待した。その時、岡田啓介が
 戦争はどこもあまりパッとしていないようだがーーというと東条は昂憤して
 「あなたは必勝の信念を持たないんですか」と、プッと立ったという。また若槻礼二郎が
 「作柄がどうも心配だが」
 というと東条は
 「我等閣員は何にも食わなくても一死奉公やるつもりだ」
 とこれまた昂憤したという。
 議会でも、どこでも、昂憤ばかりする人であるようだ。イエス・マンだけを周囲に集めるのは、そうした性格だからだ。
    --清沢洌(橋川文三編)『暗黒日記I』ちくま学芸文庫、2002年、265-266頁。

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戦時下日本でリベラルの橋頭堡を守った稀有な言論人の一人が清沢洌(1890-1945)。

清沢は、のちに昭和史を著そうとしたときの記録として、新聞記事の切り抜きを含めた日記を記しはじめたが、そこにちりばめられた肉声には、迎合的ジャーナリズムの弊害、社会的なモラルの低下や無知に起因する排外主義、そして機能不全に陥った官僚主義の弊害を激しく痛罵するものがある。

清沢は、敗戦を3ヵ月後に控えた1945年5月、急性肺炎で鬼籍へ入ることになるが、残されたその鋭利な記録は、今だ色あせることはない。

冒頭に紹介したのは、敗戦の気配が濃厚になりだした昭和18年10月の一節。

読み直すたびに、現状は70年前と殆ど変わっていないということ。

そのことに戦慄を覚えてしまうのは、僕一人ではないでしょう。

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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『細部にやどる夢-私と西洋文学』=渡辺京二・著」、『毎日新聞』2012年2月12日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『細部にやどる夢-私と西洋文学』=渡辺京二・著


 (石風社・1575円)

 ◇小説を読む行為の本質、意味を知る
 何よりもまず、ディケンズの長篇小説を語った一連の短い文章がすごい。息をのんだ。渡辺京二氏は、ディケンズの現在的意味などにことさら言及しているわけではないが、私はおのずとそこにまで思いを致すことになった。

 「通俗作家ディケンズ?」で、渡辺氏はいう。自分はある時期から、高級芸術と通俗小説の境い目がまぎらわしくなってきた、その境(さか)い目が消えた経験なしにはディケンズと出会うことはできなかったと思う、と。

 そして、通俗とは何かを考える。ある時代のある社会は、それぞれの夢を生きる自我の集合体であり、そういうひしめきあう夢がぶつかって物語ができる。そして人間の夢とは通俗なものだから、ディケンズはその通俗さにどっしりと腰をすえた。

 そういわれてみると、きまじめで、安易に求道的で、夢を生きる自我を描こうとしない日本文学を思わずにいられなくなる。

 長篇小説一つ一つの読みの深さにも目をひらかされる。『リトル・ドリット』で、世間知らずの厄介者とされているエイミーがじつはかろうじて一家を支えている、というすごい倒錯が作品のかなめであり、作家の道義観がそこにまざまざと読みとれるという透徹した指摘。

 また、この長篇にも、『荒涼館』や『我らが共通の友』にも、共通するモチーフがある、という。そして、人がこの世で本当の自分の道を歩きはじめるためには、死と再生のプロセスを経なければならないという作家の思想が、複雑きわまるストーリーの中に隠されているのを、具体的に取り出してみせる。

 余談だが、最近DVDで観(み)たクリント・イーストウッド監督の「ヒア アフター」はまさに死と再生の物語だったが、主役で自分が霊能者であるのをもてあましているマット・デイモンは、なぜか熱狂的なディケンズ好きということになっていた。この映画監督はディケンズに学んでいるのだ。彼は「メーキング」の中で、「映画はストーリーがすべて」ともいっていた。

 渡辺氏のディケンズの(というより小説一般の)読み方の特徴の一つは、いつも登場人物を大切にし、人物たちを通して小説を考えようとしていることだ。たとえば『荒涼館』に出てくる、スキムポールという奇怪な人物。『ディケンズの遺産』のM・スレイターが、これを最も個性的な悪人といっていると紹介した後、この人物を特に論じている。スキムポールは、自分は詩や音楽しかわからぬ人間だといって、いっさいの責任をのがれ、それを完全に正当化している。「それが彼にとっての自由なのだ。ポストモダン的自由は早くもディケンズによって予感されていた」というあたり、ポストモダンなるものへの視線はすごみさえある。

 渡辺氏は物語と登場人物をつねに具体的に論じる。そこからしか文学批評が始まらないと考えているからだ。これは出来合いの理論で作品を裁こうとする現代日本の文芸批判のあり方とは全く違う。しかし、小説を読むという行為の本質と意味は、渡辺氏のような姿勢の中からしか見えてこないはずだ。

 他に、ゾラ論がすばらしい。人間のエネルギーの過剰を徹底した描写でとらえた、という視点は魅力的だった。しかしそれ以上に心ひかれたのは、冒頭にブーニン『暗い並木道』にふれた文章が置かれていたことだ。この忘れられた亡命作家の、果てることを知らない男と女の物語の意味を明らかにしていて、変ないい方だけれど私はほとんど溜飲(りゅういん)が下がる思いがした。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『細部にやどる夢-私と西洋文学』=渡辺京二・著」、『毎日新聞』2012年2月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120212ddm015070007000c.html


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語りをつうじて顔が私とのあいだに関係をとりむすぶとしても、顔はそのことで〈同〉のうちに組みいれられるわけではない

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 語りをつうじて顔が私とのあいだに関係をとりむすぶとしても、顔はそのことで〈同〉のうちに組みいれられるわけではない。顔は関係のなかにありながら、絶対的なものでありつづける。〈同〉のうちに囚われていることを意識が疑いつづける、独我論の弁証法が中断されているのである。語りを支える倫理的な関係はじっさい、その光線が《私》から放射されるような、意識のヴァリアントではない。倫理的関係によって〈私〉は問いただされる。このような問いただしは他者から開始されるのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限 下』岩波文庫、2006年、33頁。

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昨夜は、月末から北京へ2年間留学する若き俊英たちと一献。

半年ぶりの再会でしたが、ふたりの成長のすさまじさに驚いた次第。

まあ、生きていく上で、踏まえておかなければならないことは何か。

いくつかあるのでしょうが、そこに所属しているから大丈夫だとか、このコースに乗っているから大丈夫という安心感をどれだけ排除していけるかということ、「組み込まれる」で安心することにどれだけ抵抗することができるのか、っていうことに尽きるのは否定できないですよね。

否、逆にそのからくりを承知したうえで、その枠組みを積極的に利用して、自己の成長へと転換できるかどうか。

……このあたりにかかっているような気がします。

消極的にすいこまれていくことを自覚しないのではなく、自覚したうえで、積極的に関与する。

外見は同じだとしても内実は大きく違うはず。

……ともあれ、若き英才たちの前途に幸あらんことを祈りつつ。

私自身も大変刺激をうけましたので、私も大きく成長した姿で、次の再会を期したいと思います。

昨夜は短い時間でしたが、ありがとうございました。


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覚え書:「今週の本棚:五味文彦・評 『新古今和歌集全注釈 四』=久保田淳・著」、『毎日新聞』2012年2月12日(日)付。

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今週の本棚:五味文彦・評 『新古今和歌集全注釈 四』=久保田淳・著

 (角川学芸出版・1万5750円)

 ◇「読人しらず」に「恋の部」の妙を味わう
 古典の和歌集を読んで楽しむには、『万葉集』『古今集』と並んで『新古今集』があげられるが、『新古今集』は難しい。本歌取りを始めとする技巧がかち、すぐに歌の妙味を知りえないからだ。その味わいを知るためには、どうしても注釈が必要となる。本シリーズはその決定版である。

 春夏秋冬の四季の歌に始まり、賀・哀傷・離別・羇旅(きりょ)までがこれまでに刊行されており、本書はその第四巻の恋の部を扱っている。今後、以下の巻では、恋の続き、雑・神祇(じんぎ)・釈教(しゃくきょう)まで全六巻となる。

 著者は注釈の基本にのっとって、一首ずつ、その詞書(ことばがき)の題意、作者、歌意、語釈、本歌、参考歌、参考の本文、校異、撰者(せんじゃ)名注記、他の歌集との関係、鑑賞などを項目別に詳しく記してゆく。著者はこれまでにも何度か『新古今集』の注釈を試みてきているが、その上に立って著した本シリーズはまさに決定版の名に値する。

 通常ならば学術書であり、高額なため、こうした書評欄で紹介するのは憚(はばか)られるのだが、平易な文章でわかりやすく、簡潔にして的確に説明されているので、一首一首を味わってゆくには最適の本であり、一般の方にも知ってほしく、あえて書評にとりあげた。なかでも本書が扱う恋の部こそは『新古今集』の事実上の編者であった後鳥羽上皇が最も苦心した巻といえよう。

 著者は恋歌全五巻の構成にまず触れ、それが『古今集』に倣ったことを指摘した後、九九〇番の「読人知らず」の次の歌の注釈を示す。

 よそにのみ見てややみなん葛城(かづらき)や

 高間の山の峰の白雲

 その鑑賞の項では、恋歌鑑賞の勘所に触れた後、「読人しらず」の歌が巻頭に置かれたのは『古今集』に倣ったことを指摘し、さらにこの歌がこれまでどう理解されてきたのかや、影響を受けた歌などを記す。

 「読人しらず」の歌の意味あいに気づかされる。単に事情があってそう記されたものとか、作者の名がわからずに記されたものかと思っていたのだが、恋歌にはその匿名性が重要であると思うにいたった。そこで見てゆくと、恋歌の部の最後もまた「読人しらず」の次の歌であった。

 さしてゆくかたは湊の波高み

 うらみてかへる海人の釣船

 ところで恋歌二の巻頭が、後鳥羽上皇の指示によって藤原俊成卿女の次の歌が据えられたことはよく知られている。

 下燃えに思ひきえなんけぶりだに

 跡なき雲のはてぞかなしき

 著者はこの歌が『狭衣(さごろも)物語』を踏まえていて、絶賛された歌であることを指摘し、しかし藤原定家があまり評価していなかった事実を語り、その理由を物語に付きすぎていたからではないかと見ている。

 その定家の歌も、後鳥羽上皇の指示によって恋歌五の巻頭に置かれたが、次の第五巻所収分であれば、この歌の注釈がどうなるのかを楽しみにしたい。

 上皇はどうも巻頭歌と巻末歌には特別に配慮していたらしく、恋歌一の巻末には在原業平の歌を置き、恋歌二の巻末には上皇が絶賛した歌人の西行の次の歌を置いている。

 思ひ知る人有明のよなりせば

 つきせず身をば恨みざらまし

 著者は、上皇がこの片思いの歌を巻末に置き、次の巻から逢(あ)う恋の歌を並べたことを指摘し、歌の内容については、いかにも軽い感じの歌の裡(うら)にある身を恨む重苦しさを味わうべきであるとする。

 本書からは歌の一つずつが歌集全体のなかで息づいていることがわかってくる。全巻の完結が待ち望まれるが、それにしても本書の値段はあまりにも高過ぎる。それが残念。
    --「今週の本棚:五味文彦・評 『新古今和歌集全注釈 四』=久保田淳・著」、『毎日新聞』2012年2月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120212ddm015070005000c.html

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覚え書:「今週の本棚:江國香織・評 『あの川のほとりで 上・下』=ジョン・アーヴィング著」、『毎日新聞』2012年2月12日(日)付。

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今週の本棚:江國香織・評 『あの川のほとりで 上・下』=ジョン・アーヴィング著

 (新潮社・各2415円)

 ◇歴史のように「個」を越えて生きていく物語
 何て深く耕された物語だろう。驚愕(きょうがく)する。言葉を失う。というより、言葉でいっぱいになって、温かく、この上なく、満たされてしまう。ふーっ、とため息をつくのがやっとだ。だからほんとうは、誰にも言いたくない。「ケッチャム」がどんなに特別かということも、「ドーシードー」のことも(アーヴィングの小説がいつもそうであるように、今度の小説にも忘れられない言葉がたくさん埋め込まれている)。どの頁(ページ)の、どの一文にも物語の血が流れている。どこを切っても物語の肉が切れる。本のなかで、この物語は生きているのだ。

 一九五四年のニューハンプシャー州から、この長い小説は始まる。すでに衰退の兆しが見えつつある、小さな林業の町から。そこには荒くれた労働者たちがいる。定住していたり、流れ者だったりする。そして、彼らに一歩もひけをとらずたくましい女たちがいる。

 主人公ダニーは、労働者たちに食事を供する食堂の、コックの息子だ。母親はすでに亡くなっている。十二歳のダニーにとって、この土地が世界のすべてだ。男たち、女たち、林業、川、熊や犬、そして食堂。でも、事故が起る。きわめてアーヴィング的な、瞠目(どうもく)すべき事故(ダニーが父親の愛人を、熊と間違えてフライパンで殴り殺してしまう!)が。

 父子は町を出る。逃亡生活が始まる。大切なのはあらすじではないとはいえ、二人はまずボストンで暮し、やがてカナダに移り、さらにまた移動する。どちらも誠実な人柄なので、慕われるし、友達ができたり女ができたりする。コックは非常に腕がよく、どの町でも仕事に打込む(その描写がすばらしい。一軒ずつの店の佇(たたずま)い、湯気や匂い、音、活気。人々の働きぶりや誇り、実に実においしそうな、その時々の流行や、地域のお客の生活や好みを想像させる料理。イタリア風だったりフランス風だったり、中華風だったり)。ダニーは店を手伝いながら成長し、結婚したり息子を持ったり離婚したりしつつ作家になる(この、ダニーの作家としての遍歴、および創作作法は、ユーモラスでややシニカルな、余裕ある手さばきでアーヴィング本人を彷彿(ほうふつ)させるように書かれている)。そうやって、父子が生きていくあいだにアメリカも変遷し、ベトナム戦争があり、ツインタワービルの崩壊がある。最終章は二〇〇五年。

 それぞれの場所で、人々はつねに生活を営む。本文の小見出しにあるとおり、「事故の起こりがちな世の中」で。歴史がそうであるように、物語も個を越えて進む。個はそこから逃れられない。でも、物語を支えているのはつねに個だ。さまざまな、風変りな、厄介な、魅力的な。たとえばコックの親友であり、ダニーにとって二人目の父親のようなケッチャム、大女で力持ちでタフだけれど、やがて悲しいシックスパック・パム、複数の人間の回想のなかで生き続けるダニーの母親のロージー、それに勿論、熊と間違えられるインジャン・ジェイン。挙げればきりがない。小説の出だしで死んでしまうアンジェロも、気の毒なその母親も、ダニーを出征から守るために妊娠するケイティーも、実力派の料理人たちも、空から降ってくる女も。読んで、一人ずつに出会える喜び!

 豊かな、濃密な、おもしろい小説である。あまりにもおもしろかったので、読み終ったあと、他の本を読みたくなくて困った。

 この作家とおなじ時代に生きていることを、私はほんとうに幸福に思う。(小竹由美子訳)
    --「今週の本棚:江國香織・評 『あの川のほとりで 上・下』=ジョン・アーヴィング著」、『毎日新聞』2012年2月12日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120212ddm015070028000c.html

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「最近の子供は駄目だ」「若い連中は危ない」「昔はよかった今はダメ」といった御高説への疑義

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twitter連投のまとめで恐縮ですが、大事だから残しておきます。


未成年の凶悪犯罪は多くなったという「風潮」が強いので、「犯罪白書」と「警察白書」で少年刑法犯(未成年)の検挙件数を確認していたら、人口比の問題もあるのですが、やっぱり「風潮」かもと思わざるを得ない。

誰かが「少年犯罪は増加している」と誘導しているんだろうか。

少年の殺人事件は、戦後に限ってみれば(1972年までは沖縄県除く)、1951年、1961年の448名がトップで、次点は60年の438名。

少年人口比率(対10万人)だと1951年(2.55%)、1954年(2.25%)。

75年以降はほぼ100名以下で推移(2005年まで)。

さらに絞ってみよう。
触法少年(14歳未満)の殺人事件の場合、1960年(15名)、1949年(11名)の順。

検挙総数(殺人・強盗・放火・強姦・暴行傷害・脅迫恐喝・凶器準備集合・窃盗・詐欺横領・賭博・猥褻)の場合、1981年(67906件)、1982年(65926件)。

因みに少年刑法犯(交通事件含む)の総検挙件数トップは83年(317438名)、次が82年(310828名)。

勿論、人口比の問題もあるのですが、事件史を見ていると、戦後~高度経済成長にかけての時期に、所謂猟奇的事件が頻発している。

強制猥褻は58-71年に突出して千件オーバー。

「最近の子供は駄目だ」「若い連中は危ない」「昔はよかった今はダメ」といった御高説をよく聞く。

全部が全部とはいいませんし、事件は起こってはいるからそれはそれで問題だとは思う。

しかし、怜悧に件数を確認すると、ただのヨタ話に見えてきたような気もします。

専門家ではありませんので数値だけの比較でしたけどね。

因みにCiNiiで「少年犯罪」で検索をかけると、849件。

http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E5%B0%91%E5%B9%B4%E7%8A%AF%E7%BD%AA&range=0&count=20&sortorder=1&type=0

示唆に富む指摘はあるのでしょうが、これは後日の課題にしましょう。

何れにしても「最近の子供は駄目だ」「若い連中は危ない」「昔はよかった今はダメ」といった御高説は、意図的に演出されて人口に膾炙されていることは間違いない。

誰が何のために誘導しているのでしょうかねぇ((((;゚Д゚)))))))


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私たちは「まあ、大丈夫だろう」……そう思うのは自由ですが、その保証はどこにもない。

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 「私たちが闘争の中で経験させられたことですが、教会に対する国家の圧迫は、時を経るに従って激しくなってゆきましたし、教会はだんだんと隅っこの方へ追いやられて押しこめられてしまい、告白教会の中での一致は、国家の圧力によって危機に瀕しました。そしてそういう中で、国家は、告白教会の中の個々グループ間の反目を深めてそれらの分裂をはかったのです。
 最後には何もかも崩壊して廃墟となってしまったように思われました。
ある人は戦いに疲れ、またある人は意気阻喪してしまいました。そしてあらゆるものが失われてしまったような気持ちに襲われることがしばしばでした。
しかし、私たちはそんな不信仰におちいることは許されませんでした。私たちは、神様があらゆることをいつまでもその手の中に保っていて下さるのだということを、忘れるわけにはゆかなかったのです。
 牧師はある時こう言いました。「教会というのは、国民大衆が万歳を唱えながらするデモンストレーションでありません。そうではなくて、教会は信仰をもった者の集まりです。誰がそれに属するのか、これを知っているものは、神様のほかにありません。神様は信ずる者の数を数えられております。信ずる者はあらゆる民の中に散らされております。しかし私たちは、その信仰者は支えられて滅びることがないということを確信していてよいのです。
 おそらく教会は、今よりももっとひどい厳しい苦しみに出会うことでしょう。今はまだ教会と行動を共にしている人たち、単に政治的な理由だけからーーつまり、国家との関係うをなんとかうまく折合いをつければ危機を切り抜けられるだろうと考えてーー教会にとどまっている人たちは、やがてふるいにかけられて、教会を離れ去ってゆくことでしょう。
 しかし、教会闘争がただいたずらに戦われているのではないということ、これだけはなんとしても確かなことです。そこで起こっていることは何か。それは、教会が真の教会に立ちかえったということなのです。こういう事実こそ、教会闘争のまっただ中で国民の間に福音がまったく沈黙してしまうことがないならば、やがてわがドイツ国民にとって何か大きい意味をもつものとなるでしょう」。
    --O・ブルーダー(森平太訳)『嵐の中の教会 ヒトラーと戦った教会の物語』新教出版社、1989年、117ー118頁。

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おそらくここ20年ぐらいの社会的潮流の特徴とは何かといえば、いくつかあるでしょうが、そのひとつが右傾化と排外主義への傾倒という問題なのじゃないのかと思う。

様々な立場や考え方があることは承知だけれども、出自や信条によって人は罵声を浴びせられたり、排除されたりしていいわけではない。

そして、罵声を浴びせる人々は、それを罵声とは考えていないし、ノンポリを決め込む不特定多数の中産階級なるものは、

「まあ、まあ……」

などとお茶を濁しつつ、両者から距離をとる、乃至は、許容してしまう……そうした趨勢ではないでしょうか。

もちろん、仮に問題があるのだとすれば、罵声は一方的な排除ではなく、対話というチャンネルを使って、相互理解を深め、決していくべきなのでしょうが、こうした空間に対話なんて存在しない。

罵声を上げるのは、ハナから「言葉」に対する信頼がないからだ。だから、単純なスローガンを連呼して、「大声を出したモノが勝ち」という図式を強引に作っていく。

そして、そこに眉をひそめる“自称”良識派の市民たちから、それを既成事実として認めるよう「譲歩」を迫るという構造でしょう。もちろん、“自称”良識派は当座としてはイタクもなければカユクもない。そこが罵声派のつけいるところ。

しかし、それが積み重なっていくとどういうことになってしまうのか。

そのところを考えておかなければならない時期にさしかかっていると思う。

特定の出自や信条を排除するということは、今のところ“さしあたり”あなたのそれが排除されていないものであったとしても、その安全地帯がいつ浸食されるかはわかったものではありません。

ここなんだろうと思うのですが……ねぇ。

私たちは「まあ、大丈夫だろう」

……そう思うのは自由ですが、その保証はどこにもない。

あるのはそう「夢想」すること根拠無き確信だけでしょう。

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覚え書:「脱原発:中沢さん、内田さんら提言の意見広告」、『毎日新聞』2012年2月11日(土)付。

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脱原発:中沢さん、内田さんら提言の意見広告

 思想家の中沢新一さん、内田樹さん、作家のいとうせいこうさんが呼びかけ人となった「意見広告を出す市民の会」が、11日付毎日新聞朝刊に「私たちは原発のない日本をめざします」と脱原発を宣言する意見広告を出した。中沢さんは「潜在的な人々の意思が、新聞を通じて可視化されることに意義がある」と話している。意見広告には文化人や音楽家を中心に若い世代も含めた約150人と約20団体が賛同した。同会は今後も同様の活動を続けるといい、いとうさんは「未来に対する倫理として、方向を変えなければいけない。若い世代も意見広告を出せると伝えたい」と話した。
    --「脱原発:中沢さん、内田さんら提言の意見広告」、『毎日新聞』2012年2月11日(土)付。

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http://mainichi.jp/photo/news/20120211k0000m040138000c.html

報道記事

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吉野作造:思想取締を非とする積極的理由

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 思想取締を非とする積極的理由
 思想取締に根拠のないことは前述の通りだ。根拠がないといふ丈けならまだ我慢も出来る。併し官憲の取締には更に之を非とすべき積極的理由もあるのである。今日の政治家がこの事に気の附かぬのは、私共の常に大に遺憾とする所である。
 何故に官憲の取締を非とするか。
 第一に官憲の取締は善悪の別を固定するからである。思想上の判定は極めてエラスチツクでなければならぬとは、文化政策上の第1原理である。今日の善も明日は悪となるかも知れぬ。其時々々の判断に拘泥しては、思想の進歩は停滞してしまう。然るに官憲の鑑賞は、其の是とする思想の信頼を国民に扶植することも覚束ないが、其の非とするものの講明は機械的に之を禁ずるので、国民の思想生活をば時の政府の判断に依て不当に拘束するの弊がある。此種の弊は形の上に現はれぬだけ、余毒の及ぼす効果は怖るべきものであることを知らねばならぬ。
 第二に官憲の取締は思想生活に於ける一番正しい態度を国民に阻むの結果を来すからである。思想生活に於て一番正しい態度は、常により正しからんと努むることだ。之が正しいと一時の判断に執着するは、既に過誤の第一歩に踏み込むものである。固より其時々に於ては、一番正しいと信ずる所に拠て行動せねばならぬことは勿論だが、之と同時に、もツとより良き立場はないものかと常に懐疑的態度を執ることが必要なのである。而して斯の態度は独り自由政策の下に於てのみ育つものである。然るに官憲の取締は正に之に相反し、取りも直さず国民の思想生活を盲目的ならしむるものに外ならない。尤も中には、どんな事を考へてもいゝと許したら、暗愚の民衆は何を考へるか知れたものでないと難ずる人があるかも知れない。之は前にも述べた如く、大衆を愚物視する封建的謬想に捉へられた考方であつて、今日の様に「人」を信じ「その良能の発達」を信ずべしとする時代に在りては、「自由」こそ各人をして「その無くてはならぬもの」を発展せしむる唯一の機会だと謂はねばならぬ。尤も教育普及の程度その他種々の社会事情に依て、多少の制限の認めねばならぬことはあらう。が、官憲的思想取締の百害あつて一利なきことだけは、何の点から観ても、極めて明白であると考える。
    --吉野作造「思想は思想を以て戦ふべしといふ意味」、『中央公論』一九二六年五月。

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今からちょうど86年前の吉野作造(1878-1933)の指摘なのですが、官憲が思想を取り締まるということの不合理さを諄々と説いた文章です。

つまり……

1)官憲の取締は善悪の別を固定する、
2)官憲の取締は思想生活に於ける一番正しい態度を国民に阻むの結果を来す、

……という2つの理由から明確にNOを訴えたもの。

震災後、社会全体が管理体質へとシフトするなかで、その意味をもう一度考えなければならない。

結局のところ、人間を信じることができないから「取り締まろう」って発想になるのでしょうが、取り締まりは「常により正しからんと努むる」人間を阻害するものとして機能してしまう。なぜかと言えば、善悪の別を固定化したものと考えるから。

なんとなくの雰囲気で、「あれよあれよ」と事が進んでいくのが一番コワイんだよなぁ。

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松屋「牛めし」、並盛で240円の件

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久しぶりに、ジャパニーズファストフード・松屋で「牛めし」を頂戴したのですが、期間限定の値下げ中での販売でしたので、並盛で240円!という驚きの価格!

夕方少し前に入店していただきましたが、驚き価格のおかげでしょうか、2-3人いらしたお客様たちも、基本的に「牛めし」を召し上がっていらっしゃいましたが、少し考え込んでしまう。

たしかに安いのは、この不況の時代において「ありがたい」という素朴な感情として否定できないし、お財布にも「優しい」ことに感謝せざるを得ないのですが、果たして、正当な価格なのかとも思ってしまう。

勿論、原価がこれぐらいで、結果としてこの価格でならなんとかなるかという数値計算の上ではじき出された金額なんでしょうが……、240円という「安さ」でいいのかと思ってしまいます。

経済事情に関してはアマチュアですから、詳しくは存じませんが、ありがたいと同時にそう考え込んでしまうわけです。

たしかに、同業他社や他の外食産業との熾烈な競争から必然された価格なのでしょうが、このところの価格競争というものは、モノや労働に対する価値を無理矢理下げているんじゃなかろうか?

たしかに、ありがたいのですけど、その部分に少し佇んでしまうという寸法です。

で……。
まあ、美味しく頂戴しましたが、この手のファストフードは、たまに食べると美味しいのですが、連日になると、「もういいや」ってなってしまうのが不思議なところ。

月に1度ぐらいがちょうどいいということでしょうか……ねぇ????


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「なんの……いまとなっては、おもしろかったわえ」

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 苦笑と共に、信之が、
 「われらに面倒が見きれぬことよ」
 「御苦労を、おかけいたしまいた」
 しみじみと、右近がいった。
 「なんの……いまとなっては、おもしろかったわえ」
 事もなげに、一当斎信之が、
 「大名のつとめと申すは、領民と家来の幸せを願うこと、これ一つよりほかにはないのじゃ。そのために、おのれが進んで背負う苦労に堪え得られぬものは、大名ではないのじゃ。人の上に立つことをあきらめねばならぬ。わしが、孫の伊賀守を、あくまでも拒みぬいたのも、それがためであった。人は、わしを名君と呼ぶ……が、名君で当り前なのじゃ。いささかも偉くない。大名たるものは、いずれも名君でなくてはならず、そのことは、別にほめられるようなことでも何でもないのじゃ。百姓が鍬を握り、商人が算盤をはじくことと同じことよ」
    --池波正太郎『獅子』中公文庫、1995年、250頁。

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昨日は、またしても情けない話しですが、近況を心配してくださった卒業生から、

「一杯やりましょう」

……とお誘いを受け、吉祥寺にて晩酌。

ありがたいことです。

現実は、これから大変になっていくことは承知ですが、

あとになって今の時期を振り返るときがきた暁には、

「なんの……いまとなっては、おもしろかったわえ」

……などと放言できるようにしたいものです。

ともあれ、Hさん、ありがとうございました。


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覚え書:「みんなの広場 戦争反対と核廃絶を後世に」、『毎日新聞』2012年2月8日(水)付。

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みんなの広場 戦争反対と核廃絶を後世に
無職 83(大阪府羽曳野市)

 新しい年を迎えると、気持ちは一新し、展望に胸を膨らませます。ところが、東日本大震災に関する新聞やテレビを見ると、今なお不安がよぎり、涙が流れます。その一方で、被災地の方々が苦しみや悲しみを乗り越えつつ、頑張っておられる姿に日本の力強さを感じております。
 大津波や原発事故に生活を破壊されたままの現状を見ると、繊細に遭った67年前の自分を思い出します。そして、忘れられない、いや、忘れてはいけない戦争の悲惨さについて、私は世の人々に伝えていかなければならないと思うのです。
 「過去の話」と片づけられがちですが、過去と現在は決して別物ではなく、密接につながっているのです。現在と未来のために、二度とあのような戦争が起こらないよう、世界の平和の大切さを後世に伝えていかなければなりません。そのために核兵器は絶対に地球上から廃絶しなければなりません。私の思いを命のある限り訴えていきたいと考えています。
    --「みんなの広場 戦争反対と核廃絶を後世に」、『毎日新聞』2012年2月8日(水)付。

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愛も手で触ることはできません。だけど、愛が注がれる時のやさしさを感じることはできます。愛があるから、喜びが沸いてくるし、遊びたい気持ちも起きるのよ。

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 はじめて「愛」の意味について訊(き)いた朝のことを覚えている。まだ、語彙が少ない時だった。庭で早咲きのスミレを数本摘み、サリバン先生のところへ持っていった。先生は私に感謝のキスをしようとした。しかし、当時は母以外の人からキスされるのは嫌だった。すると先生は、片手で私をやさしく抱き寄せ、手のひらに「ヘレンのことを愛しているわ」と綴ったのである。
 「愛って何?」
 そう尋ねる私を先生はさらに引き寄せ、私の胸を指差して言った。「ここにあるわ」この時はじめて、自分の胸の鼓動を意識したのだった。しかしこの答えに、ひどく戸惑った。その時はまだ、手に触れられない、抽象的なものを理解することができなかったからだ。
 サリバン先生の片手に握られているスミレの匂いをかいでから、私はこう訊いた。指文字と身ぶりを混ぜた質問である。「愛って、花のいい香りのこと?」
 「いいえ、違うわ」と先生。
 私はもう一度考えた。あたたかい日差しが、ふたりの上に注いでいた。
 「これは、愛ではないの?」この暖かいものがやってくる方向を指差して尋ねた。
 「これは愛ではないの?」
 太陽ほど素晴らしいものはない、と私には思えた。太陽の暖かさのおかげで、あらゆるものが生長できるからだ。だが、先生は首を横に振った。私は意味がわからず、がっかりした。なぜ、サリバン先生は「愛」を具体的に示してくれないのだろう?
 それから一日か二日後、私は違う大きさのビーズを糸に通す勉強をしていた。はじめに大きなビーズを二個、次に小さなのを三個というぐあいに、順序を決めて通していく練習である。だが、ミスばかりしてしまう。先生は忍耐強く、穏やかに、繰り返しミスを指摘してくれた。そしてやっとのことで、配列が間違っていることに気がついた。それから、少しの間、神経を集中し、どの順番でビーズを通せばよかったのか考えようとした。すると先生は私の額に片手を当て、もう一方の手で、私の手に力強くはっきりと綴りを書いた。「考えなさい」
 その瞬間、「考える」ということばが、今自分の頭の中で起きていることを示すのだと分かった。この時はじめて、抽象的な事がらを認識したのである。
 それから私は、長い間、じっと考え続けた--ひざの上のビーズのことを考えていたのではない。いま得られた新しい視点から「愛」の意味を見つけようとしたのだ。この日、太陽は一日雲に隠れ、時折にわか雨が降った。と急に太陽が顔を出し、南部ならではの強い日差しが降り注いだ。
 私は、また同じ質問をサリバン先生に繰り返した。「これは、愛ではないの?」
 「愛というのは、いま太陽が顔を出す前に空を覆っていた雲のようなものなのよ」これだけでは、当時の私には理解できなかった。そこでやさしくかみ砕いて、サリバン先生は説明を続けた。
 「雲にさわることはできないでしょう? それでも雨が降ってくるのはわかるし、暑い日には、花も乾いた大地も雨を喜んでいるのがわかるでしょう? それと愛は同じなのよ。愛も手で触ることはできません。だけど、愛が注がれる時のやさしさを感じることはできます。愛があるから、喜びが沸いてくるし、遊びたい気持ちも起きるのよ」
 その瞬間、美しい真理が、私の脳裏にひらめいた--私の心とほかの人の心は、見えない糸で結ばれているのだ、と。
    --ヘレン・ケラー(小倉慶郎訳)『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(新潮文庫、平成十六年)。

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人間は、言葉によって対象を理解し、その「実在」を了解します。
しかし、「実在」の「了解」とは、対象が物理的に存在することを同義とするわけでもありません。

否、逆の方向から見れば、言葉によって「実在」が規定される……、タゴール風に言えば、人間によって、価値が価値あるものとされ、目に見えなかった真理が真理たらしめられる……とでもいえばいいでしょうか。

そうした言葉との出会いともどかしさをヘレン・ケラー(Helen Adams Keller,1880-1968)が、美しく描写したのが、うえの引用部分。

ことさら言葉に過信する必要もないけど、普請する必要もない。

その中庸さをどこかで学び、身に付けておかないと、人間は観念や実在物の奴隷になってしまう。


……ってことで今日は、ありがたく「松露」を頂戴しております(汗


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覚え書:「哲学カフェ:震災語る 『ふるさと』『復興』とは/議論通し『気づき』の場に」、『毎日新聞』2012年2月7日(火)付。

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哲学カフェ:震災語る 「ふるさと」「復興」とは/議論通し「気づき」の場に

 コーヒーや紅茶を飲みながら、市民たちが身近なテーマについて対話する「哲学カフェ」。東日本大震災後は、震災をテーマに各地で活発に開かれている。どんな議論が繰り広げられているのか、仙台の取り組みを取材した。【中村美奈子】

 図書館やギャラリーなどが入る仙台市青葉区の公共複合施設「せんだいメディアテーク」。1月22日に「考えるテーブル てつがくカフェ」が開かれ、若者から高齢者まで約80人が参加した。テーマは「<ふるさと>を問い直す <復興>のために」だ。
 「ふるさととは一体何なのか。当たり前だと思っていることを、そもそもそれって何だろうと問い、対話の中で自分の言葉で編み上げていくのが哲学です」。冒頭、進行役の西村高宏・東北文化学園大准教授(42)が参加者に語りかけた。発言は要約筆記され、スクリーンに字幕で次々と映し出される。
 「最初に、自分のふるさとについて話してください」と西村さんが水を向けると、若い男性が手を挙げた。マイクを持ち「自分の生まれ育った所。思い出がある所。(仙台市沿岸部の)貞山(ていざん)運河が僕のふるさと。実家は津波でなくなり、寂しかった。家族がふるさとでは」と話す。
 37歳で東京から来たという男性は、出身地をふるさとと思えないと言う。「ベッドタウンの千葉県柏市の出身。学校に“ふるさと柏”と書かれていた。でも柏には、ふるさと性を感じられない。そういう人もいるのでは」
 「家族」と関連づける人、「ふるさとと感じられない」という人。西村さんが論点を整理する。「ふるさととは自分の何かをしゃべるような所があり、そこが、ふるさとを読み解く上で大事なのかなと感じます」とし、「被災地には絶対にふるさとに戻りたいと言う人がいる。なぜそんなにこだわるのでしょうか」と投げかけた。
 高齢の男性は勢いよく挙手し、「お母さんに関係する懐かしい所だから」。40代くらいの男性は「自分にとって落ち着ける、安定できる場所では」。「落ち着くとは?」と西村さんから問われると、男性は「自分を再確認できる所で、ホッとできる感覚につながると思う」と続けた。
 西村さんは「自分の再確認や他者からの承認と、どうしても自分の問題が出てくる」と受けた後、「今回、福島第1原発近くの警戒区域では、住民が戻れずにいる。新しい所にふるさとはできず、失ったきりなのか」と語りかけた。
 40代くらいの女性は、ふるさとのキーワードに「原風景」を挙げた。「映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のような世界」とも話した。西村さんは「原風景とは、その人の核となる部分を作る体験が風景として出ているもの」と説明し、哲学者の内山節(たかし)さんの文章を紹介した。自然とのかかわり方が、山や川と共存するための「作法」(決まり事)として、村人の暮らしや儀式に表れるという。
 40代の男性は「高度成長期にベッドタウンの団地に住んだ人たちは、ふるさとを作ろうとしたのでは」と指摘した。千葉市内の公団の賃貸住宅で育ち、大学入学を機に仙台に移り住んだという。「お祭りが象徴的なのでは。私の育った団地には8月ごろ、団地祭があった。毎年広場にやぐらが組まれ、自治会も屋台を出し、子どもの私も親と店番をした」と振り返った。
 西村さんは、民族紛争で解体した旧ユーゴスラビア出身の映画監督、エミール・クストリッツァさんの言葉を引用した。
 「祖国とはテリトリーではなく、記憶なのだ」

       *
 仙台での「てつがくカフェ」は10年5月、西村さんが呼びかけて始まった。対話を通して自分の考えをたくましくしようと、当初は「じぶんってなに/だれ?」「場の空気ってなに?」などを取り上げた。昨年6月からは震災をテーマに、ほぼ月1回開催し今回は7回目。飛び入りで参加できる。参加は無料(飲み物は有料)。各回の対話は、フリーペーパーのような形で発行を検討中という。
 4回目の参加という30代の女性は住んでいた仙台市内の賃貸マンションが震災で全壊し、借り上げ住宅で暮らす。ボランティアで訪れた宮城県南三陸町の惨状を見て、自分が被災者というのが申し訳なく、「仙台独特の苦しさ」を感じていたという。
 だが、昨年12月のカフェで、フランスから帰国したある参加者が「私は日本中が被災地だと思っています」と発言したのを聞き、「自分を被災者と認めていいんだな」と心が軽くなった。「ヒントがちりばめられている場。刺激を受けます」と話した。
 主催者の西村さんは「他人に向かって発した自分の声を自分で聞き、自分の考えに気づくという点が大きい。もんもんと考えていてもダメで、議論を聴くことにも意味がある。議論を通して自分の考えをたくましくしてもらえたら」と語った。
 次回の「てつがくカフェ」は今月10日午後6時半から、「<復興>が/で取り戻すべきものは何か?」を話し合う。

 ◇知識不要、自由に対話
 哲学カフェは90年代のフランスが発祥とされる。日本では00年代初頭に始まり、京阪神や東京を中心に、九州や被災地の仙台、福島、岩手、山形などで開かれている。一般の個人がそれぞれ主催。哲学思想の知識は必要なく、肩書抜きで誰もが自由に参加でき、対話する。分かりやすく意見を述べ、他人の発言は最後まで聴くのがルールだ。
 大阪市での「実験哲学カフェ」は、01年から続いている。月2回の開催で、大阪市北区の飲食店「雲州堂」を会場とする回と、当日決めるペアで歩きながら語る回がある。参加無料で、飲み物代は自己負担。次回は今月19日午後2~4時、雲州堂で。テーマは「いい話があるんですけどね。」。
    --「哲学カフェ:震災語る 『ふるさと』『復興』とは/議論通し『気づき』の場に」、『毎日新聞』2012年2月7日(火)付。

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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120207ddm013040013000c.html

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覚え書:「記者の目:連載『リアル30‘S』を取材して=水戸健一」、『毎日新聞』2012年2月7日(火)付。

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記者の目:連載「リアル30‘S」を取材して=水戸健一

 くらしナビ面で元日から掲載した連載「リアル30’s 働いてる?」の取材をした。バブル崩壊以降の「失われた20年」に青春期を過ごし、就職時に氷河期だった30代たち。その彼らを30歳の私=私大卒、04年入社=は、他の同年代の記者とともに追った。転職を繰り返す会社員、派遣切りに遭った非正規労働者……。彼らはみな「生きづらさ」を抱えていた。

 ◇「期待して裏切られた世代」
 「生きづらさ」を一言で説明するのは難しい。長くアルバイトを続け、今は無職の男性(31)は「アルバイトでいくら働いても(就職して)正社員になれるような技術は身につかなかった。不安定な生活から抜け出せない」と語った。また、会社員の女性(30)は「何かあっても社会は助けてくれない。貯金は会社が立ちゆかなくなったときのため」と話す。単なる雇用環境の厳しさだけではない閉塞(へいそく)感がある。
 30代は主に、バブル崩壊後に就職した世代。まだ景気回復を信じ、「まじめにやれば何とかなる」と思っていたが、現実は違った。「期待して裏切られた世代」と、関西学院大の鈴木謙介准教授(社会学)は言う。また彼らは社会の厳しさを割り切っている20代に比べ、「自分の努力が足りなかったのでは」と自分への責めも引きずっていた。
 連載3回目で紹介した男性(31)が特に印象的だった。高卒で働き始め、アルバイトから派遣労働者へ。しかし、派遣先の自動車工場は08年のリーマン・ショックの影響で業績が悪化し、派遣切りされた。現在は生活保護を受けながら、就活している。
 男性は「(高校卒業時に)落ちても落ちても面接を受け続け、小さな会社でも正社員になればよかった」と悔やむ。高校卒業当時はアルバイトで学費をため、専門学校に入るのが正社員への近道と考えていた。だが、ファミレスとコンビニで1日14時間働いても貯金は増えない。派遣労働者になったが、米国発の不況で失業するとは予想もしなかったという。男性はこれまでの選択を「間違えていたみたい」と伏し目がちに語った。
 総務省の労働力調査によると、11年1月の25~34歳の完全失業率は6.4%。就職氷河期が始まる直前の92年1月の数値は、2.4%だった。25~34歳の非正規労働の人数も、20年前の91年は約10人に1人(10.9%)だったが、10年は約4人に1人(25.9%)まで増えている。
 長引く不況下では、年齢を重ねるほど非正規労働からの脱出が難しい。新卒時に進路を誤ると、やり直しがきかない。無力感にとらわれ、貯金など自己防衛の意識が強くなっても、当然だろう。私は男性の話にうなずきながら、「あまり自分を責めないで」と思わざるを得なかった。
 連載で毎日新聞にメールや手紙で寄せられた反響も、30代からが多かった。ツイッター(@real30s)でも紹介すると、こちらでも4000人以上の人が読んでくれた。記事を自分に引きつけ、「努力しても報われない」「誰もが幸せになれた時代が特殊だった」と書き込んでいた。私も「選択が違っていたら、自分もどうなっていたか分からない」と書き込んだ。
 記事にはならなかったが、大手製紙会社の元社員の男性(30)は、億単位の予算を扱うプレッシャーに耐えきれず1年で退職。取材当時はスーパーでアルバイトをしていた。 彼は最初は「僕は生産性のない人間。何も考えずに体を動かしているだけ」と自嘲気味だった。だが、趣味の話になると表情が明るくなった。バイト勤務は朝5時から正午まで。午後は毎日のように美術館を回り、鑑賞を楽しむ。「以前は満員電車の通勤がどうしようもなく嫌で、朝も起きられなかった。今、会社勤めの時よりも早く起きられるのが不思議」。手の届く範囲で幸せを求め、心のバランスを保とうとしている。

 ◇働くこと以外にモデルない社会
 労働を生きがいにできた時代と異なり、今は働くことで充足感を得にくい。働くこととは別に充足感を模索しているのに、はた目には「自分勝手」「努力が足りない」と映る。だが本人たちも、「働けばすべてが得られる」以外のモデルが示されていないから、悩んでいる。
 「別の選択をしていたら」とか、「今後は選択を間違えられない」という不安感とも緊張感ともいえない感覚。それこそが、30代の抱える生きづらさの正体だと思う。年配世代の多くは、仕事が定まらない30代の若者にいら立ちを感じている。だが、彼らにこう尋ねてみたい。
 「今、この社会で30歳として働いてみたいですか。昔と同じ生き方で幸せになれるでしょうか」
    --「記者の目:連載『リアル30‘S』を取材して=水戸健一」、『毎日新聞』2012年2月7日(火)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20120207k0000m070122000c.html

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覚え書:「風知草:枝野と鈴木貫太郎=山田孝男」、『毎日新聞』2012年2月6日(月)付。

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風知草:枝野と鈴木貫太郎=山田孝男

 枝野幸男経済産業相(47)が最も高く評価している首相は鈴木貫太郎だそうだ。最近出た雑誌「g2」(講談社)のインタビューで自ら語っている。口達者な弁護士閣僚と、寡黙で仙人めいた軍人老宰相。この取り合わせは面白い。
 鈴木は日本が第二次大戦に負けた時の首相である。鈴木は戦争を終わらせた。枝野は何を終わらせるのか。
 先週末、枝野に直接確かめると、「近代でしょう」と即答した。近代って? 「規格大量生産の社会」。原発を終わらせることとは違う? 「原発がメーン(の課題)ではない。むしろ省エネがポイントです」。枝野はそう言った。

 「g2」のインタビューは20ページに及ぶ。政権交代への幻滅、エネルギー政策、憲法、小沢一郎と話題は多岐にわたるが、全編を貫くキーワードは「脱近代」である。観念的と言えば観念的。インタビュアーの薬師寺克行東洋大教授(元朝日新聞政治部長)が、さまざまな突っ込みを入れている。

 --近代化とは?
 枝野「経済成長のもとで、物を他国に売って豊かになっていくプロセスです」
 --民主党が批判している格差拡大や非正規雇用の増加はそうした(=近代化継続の)矛盾の表れですか?
 枝野「近代化を成し遂げた国は、新たに近代化する国に追いかけられ、(新興国と)同じ土俵で競争すれば社会が悪くなっていく。小泉(純一郎)さんがやったことがそれ。こうした問題は『ポスト近代』の社会システムをつくることで克服すべきだと思う」……。
 似ても似つかぬ2人だが、見方によっては共通点がある。国の重要政策を左右するキーパーソンだが、ハラの内は読めないというところだ。
 鈴木は第二次大戦末期の1945(昭和20)年4月、首相になった。当時、内閣は和平派閣僚と抗戦派閣僚の呉越同舟だった。海軍出身の鈴木は本心を明かさず、抗戦派の顔を立てながら、巧みに和平へ導いたというのが通説である。
 枝野はどうか。この人はつまるところ脱原発なのか、原発維持なのか。脱原発派も、原発維持派も、枝野の本心を読み解こうと一生懸命だ。
 全国54基の原発は順次定期検査に入っており、このままなら4月末に全部止まる。枝野は自治体に再稼働容認を働きかけるかと思いきや、「原発ゼロでも大丈夫」と言わんばかりの新聞インタビュー(朝日新聞1月27日朝刊)が出た。
 「心情としては、再稼働に限りなく慎重であるべきだという主張に近い」という発言(1月18日記者会見)もあった。その枝野は、同時に、原発輸出を容認し、新成長戦略の旗を降ろさぬ枝野でもある。
 枝野も、民主党政権も、矛盾と混乱のまっただ中にいる。そこを突かれると、枝野は切り返した。「明治維新も混乱期だった。混乱そのものが問題なのではなく、次の時代の建設に向かう動きかどうかということが本質だと思います」
 枝野が鈴木の名を持ち出したのは、「自分は今は首相を目指していない」と強調するくだりだった。鈴木は敗戦間近、重臣の推挙と天皇の説得で渋々、内閣を率いた。「時代から求められた人が首相になるべきで、そういう人が大きな仕事をするんですよ」と枝野。 時代は枝野を呼び出すだろうか。(敬称略)
    --「風知草:枝野と鈴木貫太郎=山田孝男」、『毎日新聞』2012年2月6日(月)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/fuchisou/


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ナショナリズムとはまずは情念の問題なのだとすれば……

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 ナショナリズムは近代国家を構成する欠かせない「イズム」だが、その内実はじつはあまりない。第六章でも名前を挙げた大澤真幸が指摘するように、ナショナリズムには、自由主義や社会主義や共産主義のような哲学的な基礎が欠けている。にもかかわらず、それはふしぎなことに世界中の人々を惹きつけ続けている。その事実は、ナショナリズムの力が、理性ではなく欲望に、国民の意識ではなく無意識に根ざしたものであることを意味している。ナショナリズムとはまずは情念の問題なのだとすれば、ナショナリズムに駆動された国民に対して、欲望の対象がいかに魅力を欠いているか(国家がいかに虚偽で覆われているか)、欲望の実現がいかに「高くつく」ものなのか(排外主義がいかに経済的な損になるか)、一所懸命説いたとしてもたいして効果は望めないのは当然のことだろう。実際に過去四半世紀、知識人たちは理知的なナショナリズム批判をあちこちで繰り返してきたが、政治的にはほとんど影響力をもつことができなかった。ネイションはいまでも欲望されている。ナショナリズムもまた、理性や言葉の力ではどうにもならない物質性を帯びていたのである。
    --東浩紀『一般意志2.0--ルソー、フロイト、グーグル』講談社、2011年、153-154頁。

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哲学的な、まあ、要するに「理念的」言語を欠落させているからこそ「理性や言葉の力ではどうにもならない物質性」を帯びているのが、近代国家で絶賛流行中の「ナショナリズム」。

そう。「情念」の問題なんでしょうねぇ。

だから、「欲望の対象がいかに魅力を欠いているか(国家がいかに虚偽で覆われているか)、欲望の実現がいかに「高くつく」ものなのか(排外主義がいかに経済的な損になるか)、一所懸命説いたとしてもたいして効果は望めない」ことは、よく実感します。

さて、どうしましょうかw


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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『南方熊楠大事典』=松居竜五、田村義也・編」、『毎日新聞』2012年2月5日(日)付。

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今週の本棚:持田叙子・評 『南方熊楠大事典』=松居竜五、田村義也・編

 ◇持田叙子(のぶこ)・評 『南方熊楠(みなかたくまぐす)大事典』
 (勉誠出版・1万290円)

 ◇科学と神秘を結ぶ思想世界をひらく
 南方熊楠(一八六七~一九四一年)は、底しれぬ魅力をたたえる近代の知で、読書人ならだれでも一度は、この存在に近づいてみたくなる。

 博物学者にして民俗学者、生物学者であり、古今東西の文献に自在に通じる。学問の実践にも情熱的で、地域の生態系のかなめとしての森を守る運動に、力をそそいだ。エコロジーの先駆者でもある。

 近代の知としての彼の大きな特色は、早く欧米で最先端の自然科学をまなびながら、一方で、前近代的な神秘へのゆたかな感性と畏れを失わなかったこと。むしろ彼は、科学と神秘を対立するものでなく、結合し補完しあうものととらえた。そこにこそ、昔の人の知恵を切りすてる浅薄な科学合理主義とは異なる、新しい叡智(えいち)がはなひらくと信じた。

 <熊楠>の名にも象徴的なように、彼は自然を分析対象として、客観化なんかしていない。自分も、自然の一部--そう心えて顕微鏡をかざした。土や虫、樹々の呼吸に息をあわせた。衝撃的な思考、つい人間中心に考える概念に、アッパーカットを喰(く)らわされる。

 こんな風に刺激のアロマにみちる熊楠の著作だけれど、前述のように分野が広範、そして博覧強記をはらむ文脈が多義的にうねり、うずまき、飛躍するので、ひとりでは心細い。深い森に呑(の)みこまれてしまいそう。

 思いきり迷うのも醍醐味(だいごみ)ではあるが、このたび、民俗学・生物学・比較文化・説話学など諸分野の学者が最新の研究成果をいかし、熊楠の思想世界を総合的に照らす本事典が刊行された。熊楠へのすぐれたサーチライトの集大成として、ぜひご紹介しておきたい。

 事典、と銘うつように、研究者のみならず一般読者も活用できるよう、明解にひらかれているのが本書の特長。いたずらに熊楠を巨大・神格化することなく、事実を重視し、各分野よりわかりやすく説明される。情報もゆたかに提供されているのが、入門者にもまことにありがたい。

 六部構成。第一部は「思想と生活」とし、<神社合祀反対運動><事の学><メディア戦術><変形菌><夢><性と愛>など四〇のトピックを設け、学問思想の重要な柱を解説する。ここがまず白眉、読みごたえがある。

 たとえば<南方マンダラ>の項目は、あらためて感動的。熊楠は、変形菌の生態にとくに注目した。変形菌とは、土ともコケ、虫とも変化し、一部を静止(死)させつつ生きる。千変万化、変容し、死につつ生きるこの原始生物のエネルギーに熊楠は、無数の生滅の循環をはらむマンダラ--宇宙の原理を感受する。

 第二部は「生涯」、伝記である。奇人の熊楠には伝説がまつわるが、その霧をはねのけ、精緻な調査によりつづられる。若き日のアメリカ・イギリス滞在にかんする資料も豊富。

 第三部は「人名録」。熊楠と親交のあった、あるいは特筆すべき一〇六名を解説する。同性愛の親友もいれば、ロンドンで知りあった孫文、柳田國男、宮武外骨らの名が目をひく。

 第四部は「著作」篇。英国で二〇代で発表した「東洋の星座」をはじめ約四〇篇の論考の書誌と概要を紹介する。第五部は、研究史・資料の解説。第六部は「年譜」でむすばれる。

 懇切な本書を一読すると、熊楠のすべてがわかった気になるけれど、それは剣呑(けんのん)。本書を手引きにナマの熊楠を読むこそ、<事典>の正しい使い方。ちなみに稿者は目下、本書を道しるべに、熊楠の日記に突入中です。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『南方熊楠大事典』=松居竜五、田村義也・編」、『毎日新聞』2012年2月5日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120205ddm015070030000c.html


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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『トクヴィルの憂鬱』=高山裕二・著」、『毎日新聞』2012年2月5日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『トクヴィルの憂鬱』=高山裕二・著

 (白水社・2730円)

 ◇民主主義の功罪を予見した「若者」
 冷戦以前、トクヴィルは民主政治の必然を認めながら社会主義を敵視した保守的歴史家として扱われていたが、冷戦以後、一転して、唯一残された選択肢である民主主義を成立の時点で功罪両面から徹底考察した予言者として高く評価されるに至っている。欧米知識人業界では「マルクスの後はトクヴィルだ」というのが合言葉にすらなっている。

 本書は、そんなトクヴィル・ルネッサンスの中、この冷徹な観察者をユゴーやバルザックなど同時代のロマン派世代の中に置き直すことで、彼もまた存在しない絶対に憧れるロマン派特有の「憂鬱」に冒された世紀病患者であり、むしろその憂鬱が彼をして時代を超えたデモクラシー理論の発見に向かわせたとする示唆に富む論稿である。

 だが、そもそもロマン派的憂鬱はどのようにして生まれるのか? 「人間の欲望の目の前にある障碍(しょうがい)だった特権は破壊されており、自己の外部にある法制度的な障碍はいまや問題ではない。だが、万人が『同じもの』を求める結果、万人において解放され増大する欲望は満たされない」。こうしたロマン派世代特有の憂鬱を背負いこんだトクヴィルにとって、解決策を与えてくれるように見えたのが独立後間もないアメリカだった。「アメリカは封建制のない共和国であり、大革命後のフランスあるいはヨーロッパにとっては『未来』を意味した。トクヴィルもまた、新しい社会の未来を見定めるため、平等化/民主化が極限まで進んでいると考えられたアメリカを旅行先に選んだ」

 その成果が帰国後の一八三五年に発表された『アメリカのデモクラシー』第一巻であり、そこでトクヴィルはアメリカで発見した「個人の利益追求が結果的に全体の利益につながるという発想」はフランスでも適用可能と信じたが、しかし、やがてことはそれほど単純でないと考えるようになる。民主政治の宿痾(しゅくあ)たる無関心と嫉妬の問題に気づいたからだ。

 まず、機会平等が徹底されるにつれ、巨大な欲望の実現不可能性が明らかになり、無力感と同時に社会に対する無関心が生まれる。しかし、その社会的無関心は一方で自分らに似た存在に対する羨望(せんぼう)や嫉妬を呼び起こす。「無関心な社会で各人が他人を意識するのは一見矛盾しているが、当人の精神構造においてはなんら矛盾ではない。無関心な社会に生きる人間は、他人にそれ自体として(その他在において)関心をもつわけではなく、人は自己の存在を確定させるためにその尺度としての他人を意識するのである」。

 つまり、他人は自分の位置と大きさを定める定規として意識されるだけなのであり、そこから特定の集団内の極端な他者欲求が生まれる。「トクヴィルはこうした分析を通じて、人間は完全に自律できる、自律すべきだとする近代理論の前提がある種の神話であることを示唆している」。だが、そうした絶望にもかかわらず、トクヴィルは絶対や完全を希求しつづけた。その意味ではトクヴィルはパスカルに近い。すなわち、トクヴィルは、パスカルが人間を超えた次元があることを理性によって認めることで信仰に留(とど)まったように、「人間は根本的諸問題を解くことはできないが、これへの回答が存在することを理性を用いて認める必要がある」として、民主政治に絶望はしなかったのである。

 トクヴィルを、民主主義社会で全能感と無能力の落差に懊悩(おうのう)する元祖「現代の若者」と見ることで、彼のより根源的な重要さを明らかにした力作と言っていい。
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『トクヴィルの憂鬱』=高山裕二・著」、『毎日新聞』2012年2月5日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120205ddm015070039000c.html

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日本で最も頻繁に使われる「しかたがない」という政治的な言葉を、あなたの辞書から追放すること

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……個人はすべて、少しだけなら自分の環境を変えることができる--この点は、誰もが認めると思う。みなさんにも、そのような経験が少なくとも数回はあるはずだ。そこからもう一歩進んで認識すべきなのは、とても小さな努力の積み重ねが突如として大きな結果を生むことがあり、それがさらに重なれば重大な変化をもたらしうるということだ。言いかえれば、日本を変えるための小さな貢献が的を射たものであれば、しかも他の人びとの小さな貢献とうまく結びつけば、かなり有意義な結果が得られるかもしれないのだ。
 だが、そのためには、まず基本的かつ重大な一歩を踏みださなくてはならない。その最初の一歩については、すでに第一部で述べた。つまり、日本で最も頻繁に使われる「しかたがない」という政治的な言葉を、あなたの辞書から追放することである。これからは、決して「しかたがない」と思ってはいけないのだ。
 どうしようもないことが世にあるのは、私も充分にわかっている。まったく手のほどこしようのないこともあるものだ。だが、「しかたがない」という破滅につながる言葉を使っていると、何をしても無駄だと安易に結論づけるようになる。だからこそ、使わないようにすべきなのだ。「しかたがない」と思っていると、何か新しいことをやってみようという気が失せてしまう。
 「しかたがない」と思ったりすることは、市民としての立場を弱めることになる。市民とは何かについては第一部で述べたが、もう一度要約しておこう。まず、あなたは人間である。人間であるのは、意識した結果ではなく、人間に生まれたからだ。また、あなたは国民であり、その証拠に役人から国名を記したパスポートの発行を受けられる。これは市民であることと同じだと思う人が多いが、そうではない。市民になるためには、市民であるとはどういうことかを理解したうえで、市民として行動しなくてはならない。そうしないかぎり市民とは言えないと認識することが重要だ。
    --カレル・ヴァン・ウォルフレン(鈴木主税訳)『人間を幸福にしない日本というシステム』新潮社、2000年。

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ううむ。
ありがたいことなのですが、わたしの近況を心配して、大分の学生が、お酒を贈って下さった。

ありがたいというか申し訳ないといいますか。

いや、ありがたいです。

ありがとうございます。
※真似してはいけませんよw

それから、最後のスクーリングとなってしまった大阪での受講生たちが、「氏家先生へ、仕方がないは禁句やで! ファイトぉ~!!」っていうエールの写真を送ってきて下さいました。

ありがたいというか申し訳ないといいますか。

いや、ありがたいです。

2月に入ってから、現在、求職と拡大の挑戦中。
とはいえ、抱えている仕事もおろそかにできませんので、できるだけ丁寧に、そして迅速にを心がけながら、生きております。

そんなにひっぱっているわけでもありそうでもなく、ただ、進むしかないので、課題を片づけながら創造への模索をつづけているというところでしょうヵ。

割と元気ですよw

……というか、正直なところ、学事は殆ど終わったのですが、終わったからこそ、自分の研究も春先までに一つはやっつけなければならないタスクもあるので、結構、目の回る忙しさ。

ですから、割と元気です。

……というか、あれだけ学生諸氏に口酸っぱく「日本で最も頻繁に使われる『しかたがない』という政治的な言葉を、あなたの辞書から追放すること」を連呼しまくった張本人ですから『しかたがない』っていう閑がないようにチャレンジです。

……ってことで、頂いたのは、本格いも焼酎「松露」(松露酒造、宮崎県)、「開運 無濾過 純米 赤磐雄町 開運」(土井酒造、静岡県)。共に一升瓶。

今日は開けませんよ。

まだレポート添削も少し残っておりますし、応募書類の作成も途中ですので。

……ということで、割とといいますか、「しかたがない」と嘆く閑がないことがツライです(笑


以上。

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「統治することのもっとも少ない政府こそ最良の政府」というモットーを、私はこころから受け入れるものである

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 「統治することのもっとも少ない政府こそ最良の政府」というモットーを、私はこころから受け入れるものである。また、それがよりすみやかに、組織的に実施されるところをぜひみたいと思っている。それは実行に移されるならば、とどのつまりは「またく統治しない政府が最良の政府」ということになり、これまた私の信念にかなうわけである。ひとびとが、このモットーを受け入れる覚悟ができたとき、彼らがもつことになるのは、まさにそのような政府であろう。
 政府とはたかだか、ひとつの方便にすぎない。ところが、たいていの政府は不便なものときまっており、またどんな政府にしろ、ときには不便をきたすことがある。常備軍の設置に対しては、これまでもさかんに有力な反対論が唱えられてきたし、それは世間の耳目を集めるだけの価値をもっているのであるが、つきつめて言えば、それとおなじ反対論が常置政府に対してもなされてもよいわけである。常備軍(アーミー)とは常置政府がふりまわす腕(アーム)にすぎない。その政府にしても、人民がみずからの意思を遂行するために選んだ方式にすぎないのだが、人民がそれを通じて行動を起こすことができないでいるうちに、ともすれば政府そのものが常備軍と同じように乱用され悪用されることになりかねない。今日のメキシコ戦争を見るがよい。これなどは、常置政府をみずからの道具として利用している比較的少数の個人のなせる業である。人民は、はじめからこんな手段に訴えることには同意しなかったであろうから。
    --H.D.ソロー(飯田実訳)「市民の反抗」、『市民の反抗 他五篇』岩波文庫、1997年、8-9頁。

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18世紀以降の領域制国民国家体制が「国家」というシステムを形成しているという現実を受け入れるならば、どのような立場に準拠しようとも、結局は国家は「道具」にしかすぎないという出発点を忘れてはならない。

これを忘れて議論するから、

糞の役にも立たない「お国自慢」というのが始まるんだな。

道具は道具にしか過ぎないし、道具であるなら、それがうまく機能するように調整していくのが筋なのですが、道具ということを忘れて、後生大事な「宝物」のように扱ってしまう人が多い。

個々人の「自慢話」でも食傷気味なのに……それがその人に即したものであれば拍手をおくれますけど……、それが無自覚に大きな単位に「忖度」「夢想」されたもになればなるほど、胃がやられてしまいますね(涙

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覚え書:「リアル30’s:働いてる? 反響特集 同世代から共感の声 厳しい批判、連帯探る動きも」、『毎日新聞』2012年2月2日(木)付。

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リアル30’s:働いてる? 反響特集 同世代から共感の声 厳しい批判、連帯探る動きも

 生きづらい時代を懸命に生きる30代を追った連載「リアル30’s 働いてる?」(1月1~18日、計12回)に多くの反響が寄せられた。手紙やメールは200通近くにのぼり、ツイッター上でも途切れることなくつぶやきがあった。叱咤(しった)激励や、日本の将来を心配する声などさまざま。一部を紹介する。【鈴木敦子】

 「いったん辞めれば次の仕事がなかなか見つからない。無理してがんばれば心身を病む。それでも働かなければいけないのか。心地よさを求めることは悪いことなのか」

 にいがた青年ユニオンの副執行委員長、桜井秀之さん(36)は手紙でこう訴えた。高校在学中にバブルがはじけ、求人はほぼ皆無。やむなくフリーターや派遣労働に就いたが、リーマン・ショック後は真っ先に仕事を切られた。「私たちは、学校を出て就職するという最初の人生設計が18歳にして崩れた世代。将来を描けないほど過酷な社会を生きています」

 東京都内の女性(32)は、新卒で入った会社の勤務が不規則で体調を崩し、1年半で辞めた。生活のために急いで決めた仕事は、大学事務の契約職員。人間関係に恵まれ、やりがいがあったが、5年で契約満了。「悔しさ、むなしさ、寂しさで言葉にならなかった。結局は使い捨てなのか」

 今は別の大学に勤めるが、仕事量は増え、人間関係もギスギスしているという。「私はただ心身の健康を維持しながら、安定した生活を送りたいだけ」

  ◇  ◇

 連載の第1、2回は、会社の「歯車」であることに背を向け、自分なりの価値観で働く銀行員や経営者を紹介した。3、4回は非正規雇用から抜け出せない労働者や、解雇におびえる正社員を取り上げた。

 5回は仕事以外のつながりを大切にする人たち。6、7回は業界の常識から外れた働き方を模索する僧侶らを、8、9回は心地よさを求め転職を繰り返す若者らを紹介した。「軽い」と見られがちな若者だが、みな真面目すぎるほど現実に向き合い、格闘していた。

 「記事にすごく共感した」という20代後半の男性からは「『ニートやフリーターは自己責任』という人もいるが、大半は好きでしているわけではない。一度落ちたらはい上がれない、この社会に恐怖を感じるから」という声が届いた。

 正社員になれる日を待ちわびてパートで働く書店員の女性(28)は「まだ30歳ではないが、人ごととは思えない」と感想を寄せた。自身は困窮に直面し、「子どもを持ちたいと願うことすら間違いなのか」と嘆く。京都府の女性(40)も「過労死寸前まで働いたり、正社員になれなかったり、なってもすぐに解雇されたり……もう自己責任の範疇(はんちゅう)を超えている」と憤った。

 非正規の職を転々としてきた茨城県の男性(38)は、A4判4枚にわたり「生きにくい」現状をつづった。「アルバイトをいくら続けてもキャリアにならない。氷河期で正社員になれなかった僕らは、年収200万円やそこらで人生あと40年生きなければならない」

  ◇  ◇

 夢を追い「自分探し」を続けた結果、定職に就かない30代に対し、厳しい意見もあった。大阪府の男性(62)は「あくせく働かず好きなことをできるのなら心地よいだろう。だが彼らを養っているのは一生懸命働き、税金を納め、保険料を支払い、子どもを育てている現役世代。彼らは現実逃避しているだけ」と批判した。男性には、仕事に育児にがんばる30代の子どもが2人いるため、許せなかったという。

 同世代からの批判もあった。松山市の会社員男性(36)は「自分も仕事から逃げたいと思ったことは何回もあるが、逃げなかった。(記事は)がんばっていない人に『自分は悪くない。社会のせいだ』と勘違いさせないか」と案じた。

 働き方の問題を安易に「世代間ギャップ」に終わらせてはいけないという意見もあった。川崎市の団体職員、矢野朗さん(57)は「企業が生き残っても、働く人の暮らしが壊れてしまってよいのか。私も含め50代以上の世代は、働くことや人生にとって大切なことを次世代に伝えてこなかったのではないかと痛感する」と書いた。

 世代の垣根を越え、互いの生きる時代を思いやることも必要だ。沖縄県に住む女性(36)は30代を覆う閉塞(へいそく)感が気になり、昨秋、同世代が集まっておしゃべりする場を設けたという。

 「『俺たちの時代はもっと大変だったんだ』という人に、30代が安心して語れる場が少ない。でも、分かってもらえないことを嘆いて周囲に理解を求めるだけでなく、自らも理解してもらえる努力や工夫をしていかなくちゃ、と思う」

 ◇ツイッターにも数百件
 簡易投稿サイト「ツイッター」に連載の公式アカウント(@real30s)を設けたところ、フォロワー(読者)は約4200人、つぶやきも数百件に上った。

 「毎回、自分はどうだろうと思いながら読んでいる。同世代として思い悩みながら。考えに賛否両論あるにせよ、どの職業についても生きづらさは感じている気がするから」(shineさん)

 「持てる立場の人の頑張りや能力は認めるが、持たざる立場の人のことを理解しようとしない感覚にがっかりさせられる。人間はそれぞれ立場も違えば、元々の能力や頑張れる力にも差がある」(30代後半女性・みーごんさん)

 引き続き30’sを追います。アカウントもこのまま残します。
    --「リアル30’s:働いてる? 反響特集 同世代から共感の声 厳しい批判、連帯探る動きも」、『毎日新聞』2012年2月2日(木)付。

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http://mainichi.jp/life/job/news/20120202ddm013100012000c.html

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拙文「書評 『一般意志2.0』東浩紀著」、『第三文明』2012年3月、第三文明社、92頁。

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書評 『一般意志2.0』東浩紀著
熟議民主主義を補完する「アップデート」という試み

 「民主主義」という言葉を耳にすると、普遍的な理念だとは思うものの、その現状に軽蔑と失笑を禁じ得ないのは評者だけではないだろう。しかし「民主主義オワタ(終わった)」と断定する早計さを、本書は丁寧に気付かせてくれる。
 著者はルソーの「一般意志」を手がかりに民主主義の更新を説く。一般意志とは個々人の意志が全体の意志と一致した状態のことだ。これまでは単なる理念に過ぎなかったものだが、ウェブ社会の技術革新はその実現を予感させている。ここに一つのヒントがある。
 民主主義は、選挙でアクセスし、熟議で合意形成を目指すシステムと理解されてきた。しかし現代社会は、選挙や熟議だけでは処理できないほど複雑になっている。声が届かないこと、そして無視されることに僕たちは苛立(いらだ)ってしまう。だとすれば、その限界を踏まえたうえで更新・補完していくのも一つの戦略だろう。
 たとえば、政策審議をネット中継し、見た人の意見を政治家たちにリアルタイムで可視化した場合、密室の熟議はより開かれたものにならざるを得なくなる。これまで集約されなかった意志や行動履歴といったものがデータベース化されて利用できるようになれば、当然それは政治への新しい接続を開くことになるだろう。
 総記録社会の「一般意志とはデータベース」として、それを利用することなのだ。
 著者のラジカルな未来予想図は、一見夢想的に見えるが極めて現実的な内容だ。政局報道に食傷気味の人にぜひ読んで欲しい。著者が語る「夢」は間違いなく手あかにまみれた「民主主義」「政治」「政府」といった窮屈な「1・0」を柔軟な「2・0」にアップデートしてくれるからだ。まずはここからだ。(神学研究者・氏家法雄)
    --「書評 『一般意志2.0』東浩紀著」、『第三文明』2012年3月、第三文明社、92頁。

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手前味噌で恐縮ですが、久しぶりに紀要とかじゃないものに一本原稿を書いたので紹介しておきます。


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人間社会は、貴族的である限度に応じて社会たりえ、貴族性を失うに従って社会たることを止めてしまうほど、貴族的なもの

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 今日われわれは、残酷な大衆支配のもとに生きている。まさしくその通りである。わたしはこの大衆の支配を二度にわたって「残酷」と呼んだ。ありふれたきまり文句の神さまにはすでに十分に貢物に捧げたので、これからは、手に入れた切符を持って、心楽しく本題にはいり、内部から出し物を眺めることができるわけである。読者諸兄は、今までのたぶん正確ではあろうが、皮相的な記述のみでわたしが満足するとお考えだったろうか。今までの記述は単に表面的・側面的現象に関するものであり、実はその裏に過去から見た場合に恐るべき事実が存在することを見逃しているとお考えだったろうか。もしわたしが、ここでの問題をうち切り、この論文にこれっきりで終止符を打ったとすれば、読者諸兄が、大衆が歴史の表面に信じがたい登場をなしとげたということに、わたしがいくらかの憎悪感と嫌悪感を抱き、不機嫌で侮蔑的な言葉を口にしたにすぎないではないかと考えられても、それは正しいというほかないであろう。特にわたしは、周知のごとく、歴史に対する根本的な貴族主義的な解釈の支持者であるからなおさらのことである。根本的というのは、わたしはいまだかつて人間社会は貴族的でなければならないといったことはないばかりか、それ以上のことをいってきたからである。わたしは、人間社会はその本質上、好むと好まざるとにかかわらずつねに貴族的であるといってきたし、また日ごとにその確信を強めている。人間社会は、貴族的である限度に応じて社会たりえ、貴族性を失うに従って社会たることを止めてしまうほど、貴族的なものなのである。わたしは社会を問題にしているのであって、国家(ステート)について語っているのではない点を誤解しないでいただきたい。
    --オルテガ・イ・ガゼット(神吉敬三訳)『大衆の反逆』ちくま学芸文庫、1995年、23-24頁。

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生まれによって判断されることは唾棄すべきだが、矜持をもたず、生きているだけという状態も同じく唾棄すべきだろう。

ひとは行いによって「貴族」たりえる。
そして「責任」を自ら引き受けることが可能になる。

自己に対する責任は、とりもなおさず他者の存在に対する責任へと道ずる。

無関心・無責任を決め込むことは、自分を放棄することにつながるンだけど、その辺を勘違いするととんでもないことになってしまう。

権力者によって演出された「“馬鹿”な大衆」なんてどこにも存在しない。

存在するのは、権力に関わろうが・関わらなかろうが、「無関心・無責任」を決め込むことだ。

何も土足で他人に家に入れとか、「意識の高い~」になれっていう話しではない。

それよりもむしろ、他者へのチャンネルを自ら閉ざすなということが精確かもしれない。

他者へのチャンネルを自ら閉ざすことによって、都合のいい「大衆」が組織され・動員されていくからだ。


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覚え書:「記者の目:ソーシャルメディアと新聞=小川一」、『毎日新聞』2012年2月2日(木)付。

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記者の目:ソーシャルメディアと新聞=小川一

 ◇「情報民主主義」実現へ協力を
 ツイッターやミクシィ、フェイスブックなどのソーシャルメディアは、東日本大震災をはさんで日本で大きく進化し、今、その流れはさらに加速している。一方、震災では、マスメディアの一つである新聞も被災者に寄り添う報道を続けてきた。二つのメディアが今後、力を合わせれば、社会はさらによりよい情報を受け取れると思う。毎日新聞社では、月内に研究会を開き、新聞がこの新たな時代にどんな貢献をできるのか考えていく。そして議論の内容は、私のツイッターアカウント(@pinpinkiri)からも随時、発信する予定だ。

 ◇新聞に反省迫る
 最初に震災後のツイートの一部を紹介したい。

 <韓国人の友達からさっききたメール。『世界唯一の核被爆国。大戦にも負けた。毎年台風がくる。地震だってくる。津波もくる……小さい島国だけど、それでも立ち上がってきたのが日本なんじゃないの。頑張れ超頑張れ。』ちなみに僕いま泣いてる。>。これをはじめ、震災では世界中から日本への励ましの声がツイッターで届き続けた。

 福島の詩人、和合亮一さんはこんな詩を寄せた。<放射能が降っています。静かな夜です><髪と手と顔を洗いなさいと教えられました。私たちには、それを洗う水など無いのです>。俳人の長谷川櫂(かい)さんの「震災歌集」も私はツイッターで知った。<かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを><つつましきみちのくの人哀しけれ苦しきときもみづからを責む>

 私は、これらを時を忘れて読みふけった。そしてソーシャルメディアが持つ力に改めて目を見張った。リアルタイムな情報の伝播(でんぱ)と、励ましと共感の輪の広がり。そこに流れる輝く言葉の数々……。新聞社に入って30年。その多くを警視庁などを担当する社会部記者として過ごしたが、これらの現象は、新聞に大きな反省を迫っていると感じた。

 輪転機に輸送・販売網と大きなインフラを持つ新聞は、テレビやラジオなどとともに長く発信手段を独占してきた。記者たちは、取材の「特権」も得ていた。私も社会部記者時代、この特権から、多くの要人と会い取材することができた。だがツイッターなど、全ての人が発信手段を持った今、新聞記者は特別な存在ではない。記者がひとりよがりや見当はずれの報道をすれば、容易に批判され、直ちに見放されてしまう。

 無論、新聞には大きな存在意義がある。今回の震災でも、新聞は被災地の避難所で奪い合うように読まれた。被災者らは新聞を読んだ後、それを丁寧にたたみ直し、読むのを待つ次の人へと手渡していた。昨年5月、現場でボランティア活動をしていた私は、その光景に胸を打たれた。また石巻日日(ひび)新聞が、被災地で出した手書き(壁)新聞は全新聞人の誇りでもある。

 そこで、一つの提案をしたい。今後、新聞はソーシャルメディアと協力することで、もっと大きな社会的貢献ができると思うからだ。

 ◇「ソーシャル」の健全発展に貢献
 毎日新聞は91年以来、「情報デモクラシー」というキャンペーンを続けてきた。公権力や企業が隠す情報を市民の側に取り戻す「情報主権」「情報民主主義」の実現を目指すものだ。キャンペーンでは情報公開法の制定を求め、制定後はその運用の問題点を追ってきた。また、公権力によるメディア規制の危険性を指摘し告発もしている。

 ソーシャルメディアが広がる中、私はさらに進化した「情報デモクラシー」を目指したい。今、全ての人が自由に発信し、誰とでもつながれる社会が訪れた。だがネット上では、名誉毀損(きそん)やプライバシーの侵害、偽情報などが横行する。そこで、マスメディアはソーシャルメディアの健全な発展に貢献すべきだ。

 新聞記者がソーシャルとマス二つのメディアを結ぶことからそれは始まると思う。ネット上に拡散する情報の信頼性を、記者がソーシャルとマス双方で指摘する。自らの取材のプロセスを公開し、記事化の前に読者とやりとりする……。いろいろなことができるはずだ。(コンテンツ事業本部)

 ◇ソーシャルメディア
 ネット上で人と人をつなぐメディアの総称。新聞、放送などマスメディアが不特定多数への一方通行の発信なのに対し、利用者同士が双方向で発信できる。世界で8億人が使うフェイスブックのほかツイッター、ミクシィなどが代表。

 ◇ツイッター
 06年に米で始まった無料のネットサービス。利用者の名前などを登録しアカウント(ツイッター上の名前)を取得すれば短文(ツイート)を投稿できる。また「フォロー」機能で他のユーザーを登録すると、そのユーザーのツイートを自動的に収集できる。フォローした人を「フォロワー」と呼ぶ。
    --「記者の目:ソーシャルメディアと新聞=小川一」、『毎日新聞』2012年2月2日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20120202k0000m070090000c.html


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覚え書:「異論反論 オウム平田容疑者が出頭しました 今なおよりどころない社会 寄稿=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年2月1日(水)付。

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異論反論 オウム平田容疑者が出頭しました
今なおよりどころない社会
寄稿 雨宮処凛

 オウム真理教による地下鉄サリン事件から、今年で17年になる。そんな年明け、「平田信容疑者出頭」というニュースが日本を駆け抜けた。
 17年に及ぶ逃亡生活の果ての大みそかの出頭。昨年は事件から16年を経てオウム事件の全公判が終結したところだった。13人が死刑を言い渡され、事件が裁判の上では「決着」を見たところで不意に姿を現した逃亡犯。警察の対応が批判される一方、同居していた女性も逮捕されたが、逃亡生活は謎に包まれている。
 また、23日には公安審査委員会が、オウムから分派した「アレフ」と「ひかりの輪」への観察処分を更新することを決定した。
 サリン事件が起きた1995年、私は20歳だった。史上最悪の無差別テロ事件を起こしたオウムはしかし、存在そのものがこの国のあり方に疑問を投げつけるものだった。
 出家信者の多くが高学歴の若者たち。物質主義や拝金主義など、戦後日本を下支えしてきた価値観の批判。バブル崩壊から数年後のこの国は、大きな岐路に立たされていた。それまでの右肩上がりの成長がストップし、一億層中流という言葉が崩れ始めたころ。いわば、「どうすれば幸せになれるのか」がわからなくなった時代の幕開けだ。

宗教持たない日本人
自殺問題と深い関係
 オウムの存在は、この国の多くの人の心をさわつかせた。当時、若者たちと集まれば、必ずオウムの話になった。サリン事件は許しがたいとしながらも、「自分たちには彼らを否定するだけの何があるのだろうか」と必ず誰かが言うのだった。突き詰めれば「より多くの利益を生み出す者だけに価値がある」というこの社会で、どうすれば「生きる意味」や「生きる価値」を得られるのか。若者らしい問いでありながらも、非常に宗教的・哲学的な問いである。
 あれから、17年。「どうすれば幸せになれるのか」は、まずます不透明になっている。「安定した職」を求めての競争は激化し、増え続ける貧困層と大企業の内部留保は、あらゆる矛盾を突きつける。そうして年間の自殺者数は14年連続で3万人を超えている。
 オウムの事件によって新興宗教へのアレルギーは強まったものの、一方で、この国の多くの人はよりどころとすべき宗教を持たないという事実がある。そのことと自殺の問題は、実は深い関係があるように思うのは私だけだろうか。また、ここ数年、若い女性を中心としたスピリチュアルブームがあるものの、その背景には働く女性の半分以上が非正規雇用、単身女性の3割以上が貧困という厳しい現実も見え隠れする。
 オウム事件から17年。あの頃、オウム幹部を追いかけていた「上祐ギャル」たちは今、少しは生きやすくなっているのだろうか。

あまみや・かりん 作家。1975年生まれ。反貧困ネットワーク副代表なども務める。著書に「14歳からの原発問題」など。「2月11日に福島大で開かれる『反貧困フェスタ2012inふくしま』に出ます。福島現地で『復興』を考えるイベントです」
    --「異論反論 オウム平田容疑者が出頭しました 今なおよりどころない社会 寄稿=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年2月1日(水)付。

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自分自身のうちに、最も悪質なファシストや犯罪者におけるのと全く同質の悪がひそんでゐること

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日本の進歩主義者は、進歩主義そのもののうちに、そして自分自身のうちに、最も悪質なファシストや犯罪者におけるのと全く同質の悪がひそんでゐることを自覚してゐない。一口に言へば、人間の本質が二律背反にあることに、彼等は思ひいたらない。したがつて、彼等は例外なく正義派である。愛国の士であり、階級の身方であり、人類の指導者である。そのスローガンは博愛と建設の美辞麗句で埋められてゐる。正義と過失とが、愛他と自愛とが、建設と破壊とが同じ一つのエネルギーであることを、彼等は理解しない。彼等の正義感、博愛主義、建設意思、それらすべてが、その反対の悪をすつかり消毒し、払拭しさつたあとの善意だと思ひこんでゐる。
 その何よりの証拠に、彼等は一人の例外もなく不寛容である。自分だけが人間の幸福な在り方を知つており、自分だけが日本の、世界の未来を見とほしてをり、万人が自分についてくるべきだと確信してゐる。そこには一滴のユーモア(諧謔)もない。ユーモアとは相手の、そして同時に自分の名かのどうしやうもないユーモア(気質)を眺める余裕のことだ。感情も知性と同じ資格と権利とを有することを、私たちの生全体をもつて容認することだ。過去も未来と同様の生存権を有し、未来の過去と同様に無であることを、私達の現在を通して知ることだ。そこにしか私たちの「生き方」はない。それが寛容であり、文化感覚といふものではないか。
    --福田恆存「進歩主義の自己欺瞞」、『文藝春秋』昭和三十五年一月。

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僕自身は保守派だとも思わないし、脊髄反射としての改革派なんてたやすい旗をふりたいとも思わないけど、大事にしていることは、目の前の人間をどれだけ大切にできるかということ。

イデオロギーが人間を規定することの愚かさは、人間の歴史が証明しているし、恣意的な「ずるずるべったり」が不正を許容していしまうことも同じです。

卵が先か、鶏が先か……っていう不毛な議論を乗り越え、どのように人間と関わっていくのか。

たぶんそこに、寛容性のヒントがあると思うんです。

だからこそ、他者と不可避に関わっていく、不可思議な、そして矛盾に満ちた自分自身の二律背反を深く踏まえないといけないはずなんですが、

今日のご時世、

そのへんに無自覚に、なにやってもいいんだ、ゴルァが多いですよね。

ふぅ。

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覚え書:「発信箱:政治が消えた世界で=伊藤智永(ジュネーブ支局)」、『毎日新聞』2012年2月1日(水)付。

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発信箱:政治が消えた世界で=伊藤智永(ジュネーブ支局)

 ギリシャの映画監督、アンゲロプロス氏が先週、事故で亡くなった。映画狂だった学生時代、一番心揺さぶられたのが同監督の「旅芸人の記録」(1975年)だ。
 万事おきて破りの作りである。
 カメラがゆっくりと360度回転する長いワンショットの中で、舞台は同じ広場や街路なのに年代が変わる。登場人物たちは、同じ空間を別の時間へ移動する。
 愛憎や戦闘といった劇的な場面は映し出されず、暗闇や無人の画面を延々と見つめながら音や声で想像するしかない。
 俳優はほとんどしゃべらず、劇中劇のセリフや歌で表現する。かと思えば、役を離れて正面を向き、状況を説明し始める。
 こんなふうに激動のギリシャ現代史が描かれるから、とても難解なのに、日本では初公開の79年、「キネマ旬報」ベストテン外国映画1位に選ばれる人気だった。
 本物らしく見せるより、作り物であることを隠さず、観客の思考や想像をかき立てた方が、伝わる密度が濃いからだろう。分かりやすい方が伝わるとは限らない。
 週末、押し入れからDVDを引っ張り出した。一人きりの追悼上映会だ。
 独立と侵略、共和制、王政復古、ファシズム、占領、抵抗、解放、内戦、左派と右派の連立、軍事独裁……。ギリシャは、あらゆる政治の試みに敗れた実験場だった。これは政治への絶望の記録である。
 やがてアンゲロプロス氏は、政治映画を撮れなくなる。「今日、政治家は経済の話しかしない。私はどの立場から語ればいいのか。相手はどこに立っているのか」
 亡命者の孤独を描く作風に変わったが、世界中で世界像を戦わせる政治が消え、“たちずさんで”いるのは監督自身と見えた。非番の警官のバイクにはねられた不慮の死は、不吉に暗示的で痛ましい。
    --「発信箱:政治が消えた世界で=伊藤智永(ジュネーブ支局)」、『毎日新聞』2012年2月1日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20120201k0000m070097000c.html


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覚え書:「地方発 廃校は知と遊の隠れ資産」、『毎日新聞』2012年1月31日(火)付。

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地方発 廃校は知と遊の隠れ資産
小山内誠 NPO法人「あおもりNPOサポートセンター」副理事長
コミュニティーの形成目指して

 「あなたたちがこの廃校を使ってくれて、たくさんの人が来るようになった。ありがとう」。地域の古老からそう言われ、ウルッとなった。
 青森市の中心部から車で20分ほどの中山間地の集落、青森市王余魚沢(かれいざわ)地区にある王余魚沢小学校が廃校になっていると聞いたのが2008年。青森市当局に掛け合ったら、意外と簡単に借用許可が出た。ところが、町内会からストップがかかった。「NPOとはどんなことをする組織なのか」「廃校で何をやろうとしているのか」「地域住民に不利益となるようなことはないのか」
 急きょ召集された住民集会で、たくさんの質問を浴びせられた。一つ一つ丁寧に答え、不安のないことを示した。地縁の濃いムラ社会に、異物が入ってくることへの懸念は、私自身もわかる。しかし、ここは私たちのミッションを理解してもらうために、時間をかけなければという思いだった。
 初年度、助成財団「トヨタ財団」からの支援を受けて、20件ほどのプログラムを展開した。工芸系の講座や展示会、食べ物系の講座、ジャズやフォークなどのコンサートだ。町内会の回覧チラシに月々のプラグラムを入れて、お知らせした。だが、すべて無料にもかかわらず地域住民の参加はほとんどなく、都市部からの参加者でプログラムは推移していった。
 2年目に、町内会の婦人部から相談があった。「NPOさんで面白いことやっているようだけど、町内のイベントに知恵をかしてほしい」というものだった。小躍りした。地域の子供たち向けの夏休みイベント「夕涼み会」に、アイデアを提供し、私たちも参加した。ちょっと地域とつながったような気がした。
 3年目に「かれいざわアートICHIBA」というイベントを開催した。フリーマーケットとアートイベントをコラボさせたようなプログラムだったが、その時に来た地域の古老に言われたのが「ありがとう」の言葉だった。
 4年目の今年度、旧校舎と別棟にカフェをオープンさせ、6500人ほどの来場者を数えた。( http://www.kareizawa-club.com )
 小学校は、地域住民にとって最も思いの深い知と遊の空間であろう。廃校になって朽ちていく寸前に、再生する手助けをしようというミッションを、地域はうっすらと理解し始めているように思う。古い校舎は何も語らないが、ここに積み重なっている歴史が、私たちに不足している"縁”のありがたさを感じさせてくれる。効率優先の現代、自分自身の"時間”を取り戻すための空間として、廃校を抱えるコミュニティーに注目してみてもいいのではないか。

ことば 廃校活用
少子化や過疎化に伴い、1992年から08年までの17年間で計4533校の公立小・中学校が廃校になった。青森県は北海道、東京都、新潟県に次ぐ全国第4位の242校。08年度の都市農山漁村交流活性化機構の集計によると、全国の廃校舎の66%が活用され、廃校活用の運営主体の60%が地方公共団体で、NPO法人による運営は5%ほど。昨今、廃校サミットや廃校フォーラムなどの開催を通して、廃校活用ネットワークがスタート。昨年12月には第1回全国廃校活用フォーラムが旧王余魚沢小学校体育館で開かれた。

おさない・まこと 1947年青森市生まれ。地域誌の編集やイベント企画などの業務を経て、96年に青森県第1号のNPO法人を設立。
    --「地方発 廃校は知と遊の隠れ資産」、『毎日新聞』2012年1月31日(火)付。

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人間の知性は一旦こうと認めたことには、これを支持しこれと合致するように、他の一切のことを引き寄せるものである

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 人間の知性は(或いは迎えられ信じられているという理由で、或いは気に入ったからという理由で)一旦こうと認めたことには、これを支持しこれと合致するように、他の一切のことを引き寄せるものである。そしてたとい反証として働く事柄の力や数がより大であっても、かの最初の理解にその権威が犯されずにいるためには、〔ときには〕大きな悪意ある余談をあえてして、それら〔反証〕をば或いは観察しないか、或いは軽視するか、或いはまた何か区別を立てて遠ざけ、かつ退けるかするのである。それゆえに、海難の危険を免れたので誓いを果している人々の図が、寺に掲げられているのを示して、さて神の力を認めるかどうかと、尋ねつつ迫られたかの人は、正しくもこう応じた、すなわち彼は「だが誓いを立てた後に死んだ人々は、どこに描かれているのか」と問いかえしたのである。占星術、夢占い、予言、神の賞罰その他におけるごとき、すべての迷信のやり方は同じ流儀なのであり、これらにおいてこの種の虚妄に魅せられた人々は、それらが充される場合の出来事には注目するが、しかし裏切る場合には、いかに頻度が大であろうとも、無視し看過するのである。ところがこの不正は哲学および諸学のうちには、極めて抜け目ない形で忍び込んでいる。そこでは一旦こうと認められたことが、残りのものを(それがはるかに確かで有力なものであろうとも)着色し〔自分と〕同列に帰してしまう。それだけではない、かりに我々のいま言った魅惑や虚妄がなかったとしても、人間の知性には、否定的なものよりも肯定的なものに、より大きく動かされ刺激されるという誤りは、固有でかつ永遠的なものである、未来正当には、両者に対して公平な態度を取るべきであるのに。いや逆に、すべて正しい公理を構成するには、否定的な事例のもつ力のほうがより大きいのである。
    --ベーコン(桂寿一訳)『ノヴム・オルガヌム 新機関』岩波文庫、1978年、87-88頁。

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お金がないので新刊をなかなか買うことができないので、古典ばかりを読み直しておりますが、イングランド近世の思想家フランシス・ベーコン(Francis Bacon, Baron Verulam and Viscount St. Albans、1561-1626)の『ノヴム・オルガヌム』の叙述に瞠目するばかり。

教科書的に紹介すれば、人間の陥りやすい偏見や先入観、誤謬といったものを四つのイドラ(idola:幻像)として指摘し、観察や実験を重んじるイギリス経験論への筋道をつけたマニフェストのような作品です。

ただ、それは勢いをつけて鉈を振り下ろすようなマニフェストというよりも、人間のドクサを指摘していくその繊細な筆致は、薄皮をはぐような鋭利な職人芸。

確かに「人間の知性は(或いは迎えられ信じられているという理由で、或いは気に入ったからという理由で)一旦こうと認めたことには、これを支持しこれと合致するように、他の一切のことを引き寄せるものである」。

人間の情報選択の恣意性は、その人の都合のいい形で遂行されるわけですけれども、まさにこれはベーコンが500年前に指摘したとおり。

最近、様々な議論において「ちょっと待てよ!」……っていう暴論が割合に大手を振って歩いている様を見るにつけ、冷や汗をぬぐう暇なしという情況でしたので、綿密に人間の億見をじわりじわりと突くベーコンに拍手喝采!

ホント、最近、イドラだらけ(涙

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