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2012年3月

覚え書:「特集ワイド:内閣府参与を辞任、湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと」、『毎日新聞』2012年3月30日(金)付(東京夕刊)。

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特集ワイド:内閣府参与を辞任、湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと

ブラックボックスの内部は「調整の現場」だった
 08年末の「年越し派遣村」村長として知られる湯浅誠さんが今月7日、内閣府参与を辞任した。政府の外から貧困対策を訴えてきた社会運動家が、政権内に入って約2年。中に入って見えたものは?【山寺香】

 ◇求められれば関わり続ける
 湯浅さんが最初に内閣府参与になったのは、民主党に政権交代した直後の09年10月。派遣村村長として政府を厳しく批判してきた人物の登用は、注目を集めた。10年3月に一旦辞任し、同年5月に再任用された。

 この間の政権の変化をどう見ているのか。
 「漠としたイメージで言うと、従来の自公政権から一番外れたのが鳩山由紀夫政権でした。そこで提示された格差・貧困政策の方向性はおおむね歓迎すべきものでしたが、その後の菅直人政権で少し戻ってきて、野田佳彦政権でかなり戻ってきた。菅さんのころから、かつての自民党の幅の中に収まってきたと感じています」。しかし、辞任の理由はこの揺り戻しではない。
 「辞任したのは、直接関わってきた生活困窮者らの雇用や生活、住居などを総合的に支援するパーソナル・サポート・サービスが制度化の軌道に乗ったことと、ワンストップ相談支援事業が事実上来年度の予算を確保でき、仕事に一区切りがついたため。関わった事業のめどが立ったから辞める。それは10年の時も同じで、自分の中で決めた基準です。仮に今民主党の支持率が高かったとしても、辞めていますし、今後首相や政党が代わっても、求められれば関わり続けるつもりです」

 ◇利害複雑で結果責任伴う
 社会運動家が政府に入って見えたことは何か。それは、政治が「調整」の現場であることだったという。
 「90年代にホームレス問題に関わっていたころ、社会や世論に働きかけて問題を解決したいという思いはあったが、その先の永田町や霞が関に働きかけるという発想はなかった。こちらが投げ込んだ問題は、ブラックボックスを通して結果だけが返ってくる。『政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない』と思い込み、結論を批判しました。しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです」
 ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。「以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは『やる気』の問題だと思っていたが、この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした」
 そして、こんな教訓を得たという。
 「政府の中にいようが外にいようが自分は調整の当事者であり、『政府やマスコミが悪い』と批判するだけでは済まない。調整の一環として相手に働きかけたが結果が出ない--それは相手の無理解を変えられなかった自分の力不足の結果でもあり、工夫が足りなかったということです。そういうふうに反省しながら積み上げていかないと、政策も世論も社会運動も、結局進歩がないと思う」
 それは、自らに「結果責任」を課すということだ。思わず聞いた。ブラックボックスの中身って、知らない方が楽じゃありませんでしたか。
 湯浅さんは「それはありますね」と苦笑した。「でもね、複雑なことについて、その複雑さが分かるというのは悪いことではありません。物事を解決していくには、複雑なことの一つ一つに対応していく必要があります」

 ◇シンプルとは「切り捨て」だ
 しかし今、それとは逆に、複雑な調整過程を力で突破しようという「強いリーダーシップ」が支持を集めている。代表的な人物は、橋下徹・大阪市長だろう。
 「橋下さんが出てくる前、小泉純一郎政権のころから、複雑さは複雑であること自体が悪であり、シンプルで分かりやすいことは善であるという判断基準の強まりを感じます。複雑さの中身は問題とはされない。その結果の一つとして橋下さん人気がある。気を付けなければならないのは、多様な利害関係を無視しシンプルにイエス・ノーの答えを出すことは、一を取って他を捨てるということです。つまり、世の中の9割の人は切り捨てられる側にいる」
 長年、切り捨てられる側を見続けてきたこの人の言葉は、ずしんと重い。
 「けれど、自分たちが切り捨てられる側にいるという自覚はない。なぜなら複雑さは悪で、シンプルさが善だという視点では、シンプルかどうかの問題だけが肥大化し、自分が切り捨てられるかどうかは見えてこないからです。それが見えてくるのは、何年後かに『こんなはずじゃなかった』と感じた時。本当はそうなる前に複雑さに向き合うべきですが、複雑さを引き受ける余力が時間的にも精神的にも社会から失われている。生活と仕事に追われ、みんなへとへとになっているんです」
 この現象は、政治というよりも民主主義の問題だと言う。
 「民主主義って民が主(あるじ)ということで、私たちは主権者を辞めることができません。しかし、余力がないために頭の中だけで降りちゃうのが、最近よく言われる『お任せ民主主義』。そのときに一番派手にやってくれる人に流れる。橋下さんはプロレスのリングで戦っているように見えますが、野田さんはそうは見えない。要するに、橋下さんの方が圧倒的に観客をわかせるわけです。でも残念ながら、私たちは観客じゃないんです」

 ◇誤解も含めて自分の責任と
 約束の1時間があっという間に過ぎた。湯浅さんは20分後、東京駅から大阪行きの新幹線に乗るという。もう少し話を聞きたいと、東京駅に向かう車に同乗させてもらった。 本当のところ、政権内に入ってみてよかったですか?
 「個人的にはよかったですが、『あっち側に取り込まれてしまった』という意見をはじめ、誤解はいろいろ生まれました。それは、私の責任として議論していかないといけない。参与を辞めて2週間ほどたちますが、毎晩のように飲み歩いて、議論していますよ。あちこちで納得いかないと言われながらね」
 車が東京駅のロータリーに滑り込む。問題解決のための働きかけ方は変わっても、目指すビジョンは変わらない。「2年前と変わりませんね」。そう言おうとしたが、軽く片手を上げ、湯浅さんはもう足早に改札口に向かっていた。

人物略歴 ゆあさ・まこと 1969年、東京都生まれ。95年からホームレス支援活動に関わる。東大大学院在学中の01年、NPO「自立生活サポートセンター・もやい」設立。「反貧困ネットワーク」事務局長。
    --「特集ワイド:内閣府参与を辞任、湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと」、『毎日新聞』2012年3月30日(金)付(東京夕刊)。

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http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2012/03/30/20120330dde012040004000c.html

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戦前昭和のキリスト教の自己認識:(一)利用されて利用したる時代、(二)弁証時代、(三)基礎工事を終へて直面する諸問題

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 無から有は生れて来ない。だからして、無い光を放たうとすることは、魚を木によつて求むるよりも愚かしいことである。成る程、現代文化を代表する大都会の夜は、昼をも欺くやうに明るいイルミネーシヨンや、ネオン灯の色美しい輝きを見せてゐる。然しその輝きが明るければ明るいだけ、色美しければ、美しいだけ、それだけ暗さと陰鬱な圧迫とを感ぜしめるのは何故か。真昼には空の太陽に照され、夜にはまた人工の太陽を浴びて、どう考へても光に恵まれて居るべき筈なる近代人の生活が、何が故に斯くも暗きか。

    --岩橋武夫『星とパン 世界苦に臨む基督教』教文館、昭和七年、160-161頁。

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1932(昭和7)年に刊行された岩橋武夫『星とパン』(教文館)の六章は「日本に於ける基督教々育の貢献」と題され、維新後に再渡来したキリスト教が日本社会にどのように受け容れられてきたのか回顧する内容になっているが、これが非常に興味深い。

※岩橋武夫(1898-1954)はキリスト教教育者としての側面よりも、日本を代表する社会事業家(特に愛盲事業)としての認知の方が強い。自身も大学在学中に失明している。

明治改元からおよそ60有余年。

昭和前半のキリスト教の自己認識ともいえようが、岩橋によれば、その段階は次のように分類されることになる。

(一)利用されて利用したる時代

(二)弁証時代

(三)基礎工事を終へて直面する諸問題

まず、(一)は、時期的区分として明治維新と共に信仰の自由が許されてから教育勅語・憲法の発布される明治中盤が配当されている。

「当時の覇気にとめる青年は、語学(特に英語)を学び西風の文物を獲得するに便なるを以て、競つてキリスト教に来つた。これらの青年の中には、全くキリスト教を学術文化獲得の手段として利用したものが多く、社会も亦かかる目的のもとにキリスト教的教育を歓迎する傾向甚だ濃厚にして、キリスト教教育とはその当時の欧化主義の先駆者の如く考へられた」。

開国維新後の進取の国是、欧化主義の流行を背景としながら、西洋社会そのものとしての「キリスト教」を媒介に、文物が広く学ばれたことの指摘である。そしてそのきっかけとしてキリスト教(教育)が窓口を担った。

「吾国教育界はキリスト教々育をを通して、その中に含まれたる欧米の文化を獲得せんとし、キリスト教教育はこれと繁多に、その欧米文化を通してキリスト教自体を教育せんとするのにあった」時代である。

その意味では、利用され利用した時代という規定となっている。

そして後にキリスト教主義の名門大学が次々に設置されたのもこの時代の特色である。嚆矢となる同志社大学は1875年の設立である。同志社からは、明治大正昭和をリードする牧会の指導者のみならず、文人や知識人を次々と輩出した。

加えて女子教育に先鞭をつけたのもキリスト教であることはいうまでもない。

次の(二)は、明治中盤から大正初等にかけての時期である。

国家機構の整備とともに、あたまをもたげてきた国粋主義の気風は、欧化主義の後退と入れ替わるように伸張し、内村鑑三不敬事件は、「排耶主義」へと転ずることとなる。

キリスト教排斥の代表的な論客のひとり井上哲二郎は「非国家主義的無差別愛にして、我国の伝統美徳なる忠孝一本主義と甚だしく相矛盾するものなり」と激しく攻撃の陣を張ったが、キリスト教界からは、植村正久を初め、カトリック、正教会にいたるまで、様々な形で応答をすることになる。

排耶論の展開は、おおむね三つの立場からなされている。教育勅語に代表される「儒教の立場」、それから、文明開化ののちに流行する「実利的根拠」からの宗教性攻撃、そしてスペンサー流の「進化論的立場」がそれである。

これら三つの論的に対して、キリスト教とその教育は理論に基づく立場の弁証をせまられることになる。

その意味ではまさに「弁証時代」と呼ばれる時期であり、恐らく、これはキリスト教誕生後の初期ギリシア教父たちが、キリスト教とは何かを、ギリシア・ローマ世界の知識人たちに「弁証」した経緯を岩橋は意識しているのだろうと推察される。

「各種の論争を通して、キリスト教はいよいよ学問的に、従つて広く教育的に理論の一般化を得、一方に於て宗教自体の唯物主義に対する認識論的、宗教的哲学的抗争をなすと共に、他方具体的宗教としてのキリスト教をよく我国の国民性とその精神内容に同化せしむる為、正しき努力を試みた」時代と評価できよう。

さて最後の(三)は、以上のプロセスを経た“今・現在”の時期である。

「大正・昭和の時代を迎ふるに至つた新教は、既に伝播以来半世紀を閲し、予め為すべきことの全部を完了して、今やその基礎の上に伸び行く収穫を期待する時期になつた」。

キリスト教宣教は、明治晩年にほぼその基礎が完成する。広く受容するのは都市部サラリーマン、学生世帯を中心に布教は続くが、大正期以降激増することはない。その経緯が(一)利用されて利用したる時代、そして(二)弁証時代であった。

そしてそれを受けて、昭和のキリスト教、そしてキリスト教教育は「基礎工事を終へて直面する諸問題」にどのように挑戦していくべきか。

大正後期から昭和初頭にかけて一大潮流となるのは、「マルクス主義」の問題である。大正デモクラシーをリードした民本主義を経て、実際上の社会組織の変革を目指す「マルキシズムやコンミユニズムに基く唯物運動」が、大きな障害として立ちはだかるようになってくる。岩橋もこれを驚異として認識しているようである。

「唯物運動に対してキリスト教自体の立場よりその宗教性並びに社会性の認識を新にし、一方に於て深き個人の霊的体験を主張しながら、他方に於てそれを社会化し、国家と階級との間に横はる物的諸問題の解決に邁進すべき時期が到来しつゝあることを思はせられる。キリストの福音が個人の心霊を救済するのみならず、その十字架愛の精神に基づき、社会と国家の救済を必要とすることは最早議論の余地を許さない」。

では、具体的にどのように挑戦していくべきか。

「現在のキリスト教は再び設立の精神に戻り、キリストの使命を新たに把握し、これを理論的に実践的に具体化せんとする真のキリスト教者や学徒を教養して社会に送らねばならない」。

そして五つのテーマを掲げている。

一、熱烈なる愛の奉仕

二、平和運動

三、国際主義の強調

四、男女の機会均等

五、社会連帯性の高唱

キリスト教の原点に立ち返り、男女の相互尊重を基礎にした個人の尊厳性の涵養、平和主義、国際主義、そして個と社会との連帯……この徳目が、今後の課題となるのではないかと岩橋は考えた。

確かに、その理想的なるものが、現実のただ中へ……と雪崩をうって実践へと傾倒していく若い世代に有用なのかどうかは疑問が残ることは否めない。しかし、半世紀近くわたるキリスト教再渡来の歴史を踏まえた上で、もう一度原点回帰を目指し、そしてその現代的展開を模索した「反省」、そして「自己理解」と「展望」には真摯さをうかがい知ることができる。

本書は、満州事変の翌年にあたり、翌年には満州国が成立する時期に出版されている。キリスト教に限らず、日本全体が、戦争状態であるにも「事変」とごまかしながら、戦争の拡大へと大きく傾倒していく時期である。「平和」「国際」という言葉すら使用するのが「はばかれ」つつある時代である。

たしかに「理想的」“理念”の羅列にしかみえなくもないが、時世を勘案するならば、「いうべきこと」をきちんと吐露した勇気ある挑戦と読むこともできる。教会内に目を転じても、敵はマルクス主義だけではない。キリスト教界のなかからも、国粋主義への同化をはかる「日本的基督教」という主張も大きくなってきている時期である。

だからこそ、岩橋は、キリスト教の日本における「受容」の歴史を振り返りつつ、もう一度「原点」を忘れては生けないとくさびをうった。

本書の副題には「世界苦に臨む基督教」とつけられている。先のように想像することに難くない。


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人間精神は、元来孤立的に成り立たず、交通に依て其の内容を豊富にする

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 近頃保守論者の中には、日本国家の特色は、日本のみ特有であつて、他国の習ふ事の出来ないもの、従て又日本は、道徳の点に於て、他国から学ふべきものがないと云ふ人が多い。此くの如き精神的鎖国論者は、人間精神の微妙なる働きを知らず、又文明交通の何たるを思はないものである。日本は道徳に於て万邦に卓絶して居て、他に学ぶべき事は一毫もないと假定しても、文明理想の上に於て、交通が出来ないと云ふ筈はない。例へば、世界一の大学者があつて、其の人は他人から学ぶべき事は少しもないと假定せよ。其の人が自分の知識を自分で楽しむだけで満足し、自分の知識を整頓して、他人に示し、又はそれを以て他人を教育しやうともしない場合には、其の人の知識は、延び/\と成長するであらうか。教育者の常に経験する所であるが、自分の知識を整へて、これを人に伝へると云ふ事は、単に他人を教育するだけの事でなく、又自ら気の付かなかった点に注意し、或は考へなかつた方面を発見する源となる事が多い。教育するのは、単に被教育者の利益でなしに、又教育者自らの利益である。或は宗教の信者で、絶対の安心を得、信仰に於ては奥底に達した人があると假定せよ。其の人が、自分の信仰は絶対である、他人から学ぶべき事がないとして、山林に隠遁して、自ら信仰を楽しんで居れば、それで信仰の真意義を得たものと云ひ得やうか。勿論、信仰は内心の事で、言葉を持って人に伝へ得るものでは無いが、此くの如く孤立して、自分の信仰を楽しむのは、仏教で所謂る独覚のやり方であつて、其の信仰は偏頗な畸形的信仰である。信仰の熱烈な人なれば、必ず信仰を人にも伝へたいと云ふ情熱を起すに違ひなく、而して此くの如き伝道の活動をするに依つて、其の人の信仰が、一層熱烈になると共に、其の精神が一層広潤になる事は、古来伝道者の事歴に徴して明白の事である。伝道の熱誠は、信仰から出るが、信仰が伝道の精神に依て、広く大きく且つ強くなるのは、要するに、人間精神の交通性から来る事である。
 人間精神は、元来孤立的に成り立たず、交通に依て其の内容を豊富にする。人格の力は、先に述べた如く、独立の個性を発揮するにあるが、而かも人格の感性は、交感融通に依つて出来上る。それと同じく、国家の独立、一国民固有の文明は、其の独立性を確かにし、しつかり其の源を養ふ必要のあるは、勿論の事であるが、其の独立は、又開国進取の活動に依て、広く深い意味を得て来る。古来人間の歴史を観るに、国民の交通、思想文物の交換は、実に以外に広く行はれたものであつて、交通の不便や、言語の差別など云ふ障碍を打ち越える力がある。
    --姉崎正治『宗教と教育』博文舘、明治四十五年、73-75頁。

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探求を深めたりするうえでは、井戸を掘るように一点に集中して徹底を期することは、こと宗教に限らず、様々な分野においてよくある話しかと思います。

しかし、その集中作業においても必要不可欠なことは何かといえば、孤立的な自己を対象としながら、それをやってしまうと、掘り当てるべき鉱脈へ届かないどころか、かえって目的自体を毀損してしまったり、それだけでなく、返す刀で、ほかの人を傷付けてしまうこともあるんじゃないか、と。

そしてこれは、例えば学問における真理の探究とか、信仰における信仰の深みへの追及だけでなく、自分自身が大切にしている信条や心情に関しても同じかも知れない。

避けるべきなにごとかといえば、文人にして日本で最初の宗教学者、嘲風・姉崎正治(1873年7月25日 - 1949年7月23日))が指摘する通り「精神的鎖国論者」の「独覚のやり方」なのじゃないか。

うえの『宗教と教育』は大正元年へと改元される明治四十五年の刊行。

内村鑑三不敬事件に端を発する「宗教ト教育ノ衝突」論争から20年近くたったその当時においても、ややもすると偏狭な国家主義が頭をもたげてくるなかで、その問題性を平易に説いたのが姉崎博士のうえの論考。

この書の刊行からちょうど100年目にあたるのが本年ですが、状況としては憲法も新しくなり、土壌は帝国憲法の時代よりも保障されているにもかかわらず、「精神的鎖国論者」の「独覚のやり方」が跋扈する昨今の醸成には驚くばかりです。

そして付け加えるならば、自分自身の内発性の発露として確信を深めるために何かに全身全霊として没頭するというのはどの分野においてもあり得るし、賞賛もしたい。ただ、その専念が「ほめられたい」という自己の承認欲求を満たす為だとか、盲目的に「これ、やっとけばOK」って短絡的にやってくださる御仁も多くまったくおるずだなと思う訳ですが、そうした場合においても、「精神的鎖国論者」の皆様と同じように、孤立的な自己をのみ対象として、なにがしかに従事しているケースが多いように思われる。

ふうむ。


「人間精神は、元来孤立的に成り立たず、交通に依て其の内容を豊富にする」という契機を忘れてはいけませんね。

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覚え書:「異論反論 孤立死、孤独死が増えています 『意思表示カード』で防げ=城戸久枝」、『毎日新聞』2012年3月28(水)付。

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異論反論 孤立死、孤独死が増えています
「意思表示カード」で防げ
寄稿 城戸久枝

 この1年、「絆」という言葉が飛び交い、さまざまな場で人とのつながりの大切さが語られた。しかし、一方で、孤立死や孤独死など、人間関係の希薄さによる悲劇が目立つようになった。
 東京都立川市で2件続いた家族単位での孤立死で、自治会長が涙ながらに悔やんでいる姿が印象的であった。
 孤立死や孤独死が報じられると、「周囲の人間がもっと注意していたら……」という声がよく上がる。しかし、実際のところ、周囲がどこまで踏み込むべきなのかの判断は難しい。
 私にも似たような経験がある。以前住んでいたマンションの下の階で、1人暮らしのおばあさんが亡くなった。数日間、姿をみかけなかったが、異変には全く気付かなかった。マンション前に自治体の車が止まっていて、部屋からの喪服の女性が出てきたとき、初めて一人で亡くなったのだという事実を知らされた。もし早く気付いてあげていれば……そう思っても、結局、自分に何ができたのかわからない。やるせない気持ちだけが重くのしかかった。
 東京都によると、1世帯当たりの平均人数が1・99人となり、1957年の調査開始以来初めて2人を下回ったそうだ。都は「元々単身の若者が多い上、独居高齢者が増加している」と分析しているという(毎日新聞東京本社版16日朝刊)。今後、さらに1人暮らしの高齢者は増えていくだろう。私たちは孤立死や孤独死と、どのように向き合うべきなのだろうか?
 昔はご近所さんや地域とのつながりが強かった。ただ、他人にプライバシーにまで入り込まれることを拒んだ結果が今につながっているのだともいえる。さまざまなライフスタイルの一つとして、自ら一人を選んだ人もいる。変化する時代に即した対応が必要だ。

個人情報保護問題が「見守り」のネックに
 個人レベルでできることには限界がある。自治体だけに任せるとなかなか行き届かない。自主的にさまざまな取り組みをしている自治会もあるが、結局は置かれた環境により差が出てきてしまう。自治体主導で、地域社会全体を巻き込み、情報を共有して、「見守り」を続けるシステムを構築できないか。孤立していても、公共料金の支払いや新聞、スーパーやコンビニ、宅配便など、人は必ず社会のどこかとつながっている。
 ただ、ネックになるは個人情報保護の問題だ。たとえば、意思表示カードのようなものを作るのはどうか。特に1人暮らしの高齢者や老老介護の家族など、孤立しがちな世帯には、事前に長期にわたって連絡がとれなかった際の対処方法を示してもらう。意思表示をしていない場合は緊急時、自治体などに立ち入る権限を与える。最善の策ではないが、異変に気付きながらも対応が遅れ、最悪の結果を招くことだけは防げるはずだ。

きど・ひさえ ノンフィクションライター。1976年愛媛県生まれ。1歳の息子が4月から保育園に通うことになり、「入園準備に追われています」。
    --「異論反論 孤立死、孤独死が増えています 『意思表示カード』で防げ=城戸久枝」、『毎日新聞』2012年3月28(水)付。

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むしろ自分の国の強さと、臣民に浸透した国家意識の威力への自信の強さとに基づいて「寛容」は発令されてたらしめるということ。

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 われわれは誰でも、われわれがそのもとで生きているシステムを受け入れている。そのことをかつてすでにマックス・ヴェーバーが、ロマン主義的イデオロギーやゲオルゲグループの秘教と対決する際に力説していた。しかしこのシステムの絶対的支配はもはや、個人による支配でも、支配階級による支配でもない。われわれが王位から追い落とすことのできるような専制君主が、そもそも存在しないのである。われわれすべてを取り込んでいるのは、匿名の支配である。このような状況では、権力を握る一人もしくは若干の人々に寛容の理念を要求することができないからこそ、この理念は新しい意味を獲得するのだと、いまや私は考えたい。結局は誰も権力をもっておらず、万人が奉仕している。けれどもまさにそれゆえに、寛容は普遍的な課題となるのである。憲法制定や宗教寛容令というかたちで最初に姿を現わしたときは、この理念は政治的な意味をもっていたが、やがて普遍的道徳的な要求へとその意味を広げていったというのが、実際、この理念が辿った歴史だからである。他のどんな道徳的価値もそうだが、この寛容という価値も、それが損なわれたり犯されたりするときにとりわけ、意識され表現される。だから不寛容だということは、われわれの誰もが避けたいと思っている避難である。三つの指輪の物語でレッシングのナータンが歌い始める寛容の賛歌は、宗教的寛大さと人間にとって普遍的な寛容の徳との連関を、すでに目のあたりにしているのであって、してみれば宗教的真理は結局は、倫理的-人道的な寛容に照らして証明されることになるのである。
 寛容とは、自分自身が自分の権利や権力を完全には信頼しきっていないので、そのために他人の権利を容認するような人の非決断的の態度のことなのでは決してないという重要な指摘が、ここには含まれている。強さ、自信、大らかさなどと寛容とのすでに言及した連関や、逆に不寛容と弱さとの近接性がこの指摘を支持しているのである。プロシアの王位にあった啓蒙的懐疑家[フリードリヒ二世]が多分そうしたように、国の政治を司る政治家が宗教的な無関心と懐疑から宗教的な事柄に関して普遍的な寛容を公布することもあろう。けれども彼とても、弱さからそうしたことを行うのではなく、むしろ自分の国の強さと、臣民に浸透した国家意識の威力--この力が国家を統率しているのだが--への自信の強さとに基づいて、そうしたことを行うのである。
    --ガダマー(須田朗訳)「1782-1982年の寛容の理念」、本間謙二・須田朗訳『理論を讃えて』法政大学出版局、1993年、114-115頁。

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長い引用の割にはコメンタリーがちょびっとで恐縮ですが、ガダマー(Hans-Georg Gadamer,1900-2002)は、この「1782-1982年の寛容の理念」において、「寛容の理念」に対するひどい誤解を丁寧に解いてくれます。

寛容とは、異なる他者を尊重する精神といってもよいでしょうが、流通経緯から「マイノリティーを“保障”する」という“弱いイメージ”で受容されがちですが、そういう何かを保障するというものに限定されるものではないのが実際のところなんです。

たしかに法令としては「何かを保障する」というスタイルを取らざるを得ません。

しかしここにおける「何かを保障する」というのは、前提として、お互いを尊敬して尊重するというエートスが不可欠となってくる。

だとすれば、そうした挑戦のできる「共同体」というものは、何かを否定することによって「紐帯」を強固にしようという「いびつな」「よわい」共同体ではなく、人間を人間として尊重できる「強い」共同体と評することも可能になる。

この辺の消息がなにやら誤解されているようで……こわいんですよね。


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覚え書:「引用句辞典 不朽版 鹿島茂 吉本隆明さん 大思想家を規定した人生最大の事件」、『毎日新聞』2012年3月28日(水)付。

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引用句辞典 不朽版 鹿島茂
吉本隆明さん
大思想家を規定した人生最大の事件

 わたしは五年生になると早速、親たちから知合いの先生の私塾に行けといいつけられた。なぜ率直に応じたのかよくわからない。
(中略)
 わたしはあの独特ながき仲間の世界との辛い別れを体験した。別れの儀式があるわけでも、明日からてめえたちと遊ばねえよと宣言したわけでもない。ただひっそりと仲間を抜けてゆくのだ。もちろん気恥ずかしいから勉強へ行くんだなどと口に出さない。すべては暗黙のうちに了解される。昨日までの仲間たちが生き生きと遊びまわっているのを横目にみながら、少しお互いによそよそしい様子で塾へ通いはじめた。私が良きひとびとの良き世界と別れるときの、名状し難い寂しさや切なさの漢字をはじめて味わったのはこの時だった。これは原体験の原感情ともいうべきものとなって現在もわたしを規定している。
(吉本隆明『背景の記憶』から「別れ」 平凡社ライブラリー)

 吉本隆明さんが亡くなった。「偉大なる」という形容詞が掛け値なしに当てはまる唯一の戦後文学者であった。
 私はさきに『吉本隆明1968』という本を上梓しして、私たち団塊の世代が吉本隆明をどう読んできたかを明らかにしたつもりだが、そのさい、読者から「フランス屋」の私が「吉本主義者」であったとは意外だという反応が多々あった。これに対しては、家に一冊も本がない家庭に育った人間がフランス文学なんて縁遠いものをやろうと決心するには、吉本隆明を徹底的に読みこむ必要があったのだよと答えるほかないが、それだけでは説明になっていないかもしれないので、右の文章を解説することでその代わりとしよう。
 月島で船大工の息子として生まれた吉本隆明にとって、人生最大の事件は小学五年生になった早々に起こった「良きひとびとの良き世界」との別れであった。昨日まで日が暮れるまで遊んでいたがき仲間からひっそりと抜けて塾通いを始める。それは、実家が豊かになり、三男なら工業学校にでも進学させようかという親の配慮だったのだろうが、この選択が後の大思想家を生むと同時に、「原体験の原感情というべきもの」を与えることになる。というのも、親から命じられて塾通いを始めることにより、吉本隆明は、生活以外に徹底して無関心である大衆から離脱し、最終的には世界認識の最高水準にまで到達する大知識人となるわけだが、これは彼にとってはかならずしも「良きこと」とは映らず、「名状し難い寂しさや切なさの感じ」を呼び起こすことになったからだ。
 この意味で、吉本隆明の全著作は、ひとりの人間が知識を得て、大衆から離脱し、知的営為を行うということの意味を徹底的に考えることに費やされたといっても言い過ぎではない。そして、そこから引き出された結論の一つが「もしすべての現実的条件がととのっていると仮定すれば、大衆から知識人への上昇過程は、どんな有意義性ももたない自然過程である」(『自立の思想的根拠』)ということである。
 私になりに言い換えると、自分の損得しか考えない大衆が良くも悪くもないのと同様に、生活外のことばかり考える知識人も良くも悪くもない。また前者から後者への移行も良いとか悪いとかいった倫理的な意味が付与されるべきものではなく、ある種の必然である。だから、いったん知的過程に入ってしまったものは、「大衆はバカで知識人は偉い」とも「大衆は偉くて知識人はバカだ」とも考えず、ひたすら自らの知的営為を深めて、世界とはなにか、人間とはなにかを徹底的に考えるほかはない。それしか、社会から与えられた富を社会に還元できる方法はないからだ。
 ただし、そのとき、知識人にとって、自分と家族の損得しか考えない大衆の原像を自らの思想の強度の試金石として織り込んでいくことが絶対に不可欠だ。これなくしては、どんな高尚な思想も無効だからである。
 以上が『言語にとって美とはなにか』『共同幻想論』『心的現象論』等の代表作に向かう前に吉本隆明が総括した思想、すなわち「大衆の原像」なのである。
 というわけで、フランス文学者となったいまも私は「日本人」が「日本語」でフランス文学やフランス文化のことを語ったり書いたりするという浮ついた営為の意味を、かつての大衆たるもう一人の自分に問いかけずには一行も書くことはできないのだ。
 若き日に吉本隆明を読んだという「原体験の原感情」が「現在でもわたしを規定している」のである。合掌。
 (かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 不朽版 鹿島茂 吉本隆明さん 大思想家を規定した人生最大の事件」、『毎日新聞』2012年3月28日(水)付。

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覚え書:「ひと 大学教授から合気道の道場主に転身した思想家 内田樹さん(61)」、『毎日新聞』2012年3月27日(火)付。

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ひと 大学教授から合気道の道場主に転身した思想家 内田樹さん(61)

 思想家として精力的に評論活動を続ける傍ら、神戸市東灘区に昨年11月、自宅兼合気道の道場「凱風舘」を新築し指導している。75畳もある1階のスペースで、門弟ら約150人が汗を流す。念願の道場を「武道と教育研究の拠点にしたい」と考えている。
 小さいときから体育の成績は悪かった。武道にあこがれ、剣道や空手、少林寺拳法をかじったが長続きしなかった。
 大学卒業後に進路を決めあぐねていた75年、東京・自由が丘の古びた合気道の道場をふとのぞいた。「中に入ってご覧ください」と声を掛けられた。合気道創設者の教えを直接受けた多田宏師範(82)だった。古武士のようなたたずまいに引かれて入門。「何事も許して熱心に教え続ける手ほどき」に心酔した。
 都立大助手時代は「稽古の合間に授業をしていた」ほど。90年に神戸女学院大助教授になるや大学に掛け合い、翌春、愛好会を設立して初心者約50人と稽古を重ねた。
 見えてきたことがあった。合気道の極意は相手に勝つことではなく、敵を作らないこと。会得するには一人一人が心身の動きを探求し、それを粘り強く支援するしかない。
 「学校体育にはマッチしなかった、小さい、細い、どんくさい子がめきめきと変わる」
 だから教育現場への競争原理導入には真っ向から異を唱える。「才能がいつ開花するかなんて分からない。それを楽しみにいつまでも待ち続ける」。七段の道場主の信念だ。
東京都出身で東大卒。神戸女学院大教授を昨春退職。専攻は仏現代思想。「日本辺境論」(新潮社)など著書多数。
文と写真・錦織佑一
    --「ひと 大学教授から合気道の道場主に転身した思想家 内田樹さん(61)」、『毎日新聞』2012年3月27日(火)付。

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B級グルメ列伝:東京都中野区編 中華そば 青葉(中野 本店)

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妻の実家へ春休みの帰省する息子を東京駅までおくってから、仕事へ出るには少し時間がありましたので、青春を過ごした地・中野へぶらりと途中下車。

駅前の再開発に驚きながら、サンモール、それから中野ブロードウェイをぐるっと見て回り、……10年ぶりになるでしょうか……「中華そば 青葉」(中野 本店)ののれんをくぐってしまいました。

混雑するよりちょいと前の時間にて、すんなりと着座。

いつも思うのですが、この「青葉」は店内が清潔でいいですね。

さて買った食券は定番の「中華そば」。

頼んでから5分ぐらい待つとうれしい再会です!!!

いわゆる魚介系スープのはしりといってよいでしょうか。
鰹節や煮干しを贅沢に使っているにも関わらず、さっぱりとしてい、豚骨醤油の味わいも濃厚なのにくどくなく、少し太めかなと思われる麺の一本一本にからみつくじゃアありませんか!!!

中盤にて「ゆず唐辛子」を投入して、風味を整え、後半戦。

あっという間の戦いでした。

いやはや、満足。

知人からは「(最盛期より)味が少し落ちたと思うよ」とは言われてはいたのですが、

なかなかどうして、おいしかったです。

魚介系スープは今ではカップ麺でも扱われるようになり、全国的に受容されていると思いますが、やはりその元祖ともいうべき「味わい」に感謝。

「青葉」は「万人受け」と評されるように「癖」がないといえばないのです。

しかし、だからこそ逆に、王道の味わいを丁寧に守っている気質を感じますね。

きちんとしたスープと麺、そしてかわることのないシンプルな具で直球ストレートは奇を衒うご時世において、大切なことではないかと思います。

また近いうちに訪問してみようと思います。

こんどは「つけ麺」ですかね?


中華そば 青葉 中野本店
東京都中野区中野5-58-1
10:30~スープが無くなり次第終了
定休日 木曜日
http://aobai.jp/


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覚え書:「みんなの広場 橋下氏の教育改革、効果に疑問」、『毎日新聞』2012年3月25日(日)付。

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みんなの広場 橋下氏の教育改革、効果に疑問
元小学校教諭 65(堺市東区)

 大阪府の公立小学校を定年退職して間もなく5年。食育関係の仕事で現在も府内の学校へよく行くが、言われることはどこでも同じだ。「いい時に辞めはったね」
 大阪府の公立学校の先生たちの疲労と悩みは深い。その現状はマスコミでどこまで報道されているのだろうかと思う。毎日のようにテレビに登場するのは、橋下徹・大阪市長。そのマスコミ操作術の巧みさには恐れ入るが、こと教育問題については効果が疑問視されている内容ばかりだ。
 学校選択制、習熟度別学習、高校の学区制廃止、定員割れ高校の廃止、義務教育での留年、教師の処分強化……。どれ一つとっても、現場に長くいた者から見れば、評価できるものはない。
 勉強の苦手な子を切り捨て、現場教師のモチベーションを低下させるだけの政策ばかりに思える。本欄でも橋下氏の言動を疑問する意見が掲載されているが、当然のことだろうと受け止めている。
    --「みんなの広場 橋下氏の教育改革、効果に疑問」、『毎日新聞』2012年3月25日(日)付。

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兵隊のあとについて歩いて行く。ひとりでに足並みが兵隊のそれと揃う。

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 兵隊のあとについて歩いて行く。ひとりでに足並みが兵隊のそれと揃う。
 兵隊の足並みは、もとよりそれ自身無意識的なのであるが、われわれの足並みをそれと揃わすように強制する。それに逆らうにはほとんど不断の努力を要する。しかもこの努力がやがては馬鹿々々しい無駄骨折りのように思えて来る。そしてついにわれわれは、強制された足並みを、自分の本来の足並みだと思うようになる。

 われわれが自分の自我--自分の思想、感情、もしくは本能--だと思っている大部分は、実に飛んでもない他人の自我である。他人が無意識にもしくは意識的に、われわれの上に強制した他人の自我である。

 百合の皮をむく。むいてもむいても皮がある。ついに最後の皮をむくと百合そのものは何にもなくなる。
 われわれもまた、われわれの自我の皮を、棄脱して行かなくてはならぬ。ついにわれわれの自我そのものの何にもなくなるまで、その皮を一枚一枚棄脱して行かなくてはならぬ。このゼロに達した時、そしてそこから更に新しく出発した時に、はじめてわれわれの自我は、皮ではない実ばかりの本当の成長を遂げて行く。
    --大杉栄「自我の棄脱」、『新潮』一九一五年五月号。

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およそ100年前にアナキストの大杉栄が書いた文章が「自我の棄脱」。

評価を下す・行動する際の目安となるその人の価値に対して大きな影響を与えるのが認識になりますが、認識に被さっている所与のフィルターをどれだけ丁寧に剥がしていくのか。

もちろん、現実には完全に剥がすことは不可能だから、精確に表現すれば、認識フィルターを先験的にかぶせられていることに対してどれだけ自覚的になることができるのかどうか、というのは、極めて重大な問題だと思う。

人は生まれてから、そうしたフィルターを幾重にも後天的に駆けられてしまう。そしてそのことを先験的なものと“錯覚”して、物事に向き合っていく。

その過程で、例えば、体制にとって都合の良い“人間”へと惰化されていく……という始末。だからこそ、どういう認識構造に投げ込まれているのかどうか、というのは恐らく絶えず点検することが必要なんだろうと思う。

現代社会は、確かに、考える暇もありません。
そしてそれだけでなく、一人の人間が処理できないほど、情報が流通する環境。
さらに、本来は「これはヤヴァイ」「あり得ない」って出来事なのに、それが日常茶飯事になってしまうと、「またか」と決め込んでしまうこともある。要するに感性と知性の自己防衛という「名」の錬磨も必然する。

四六時中、考えろ……って話しではありません。

しかし、時にふれては、そう、歩いているときに、ふと、立ち止まり、少し反芻してみることは必要かも知れません。

なにしろ、人間を特定の鋳型へ流し込んでしまおう勢いが強い「世間」であるのがこの日本という社会。

気が付かないうちに「兵隊のあとについて歩いて行く。ひとりでに足並みが兵隊のそれと揃う」ってことになってしまいますからねぇ。

くわばらくわばら。

だからこそ、あえてその歩調をずらして空を見上げたりすると、春の訪れを告げる“川津桜”なんぞと出くわす訳ですよw


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覚え書:「みんなの広場 学校側の口元チェックに驚き」、『毎日新聞』2012年3月25日(日)付。

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みんなの広場 学校側の口元チェックに驚き
無職 61(滋賀県湖南市)

 君が代の起立斉唱を義務づける条例を全国で初めて制定した大阪府の府立高校の卒業式で、教頭らが教職員の口の動きを見て、謳っているかチェックしていたと報じられた。子どもの教育を行う学校での出来事なのか、とがく然とした。
 その口元を注視する目は断じて教育者の目ではない。戦前の演説会などの言論を監視する臨検の目であり、ただただ取り締まりの目だ。この高調は、条例制定時に府知事だった橋下徹・大阪市長の友人である弁護士とのことだが、府教委からの職務命令を順守したと主張し、橋下氏も擁護している。驚くばかりだ。このような教職員間に不信感が生まれる校舎で、人間的成長を目指す教育ができるのあろうか。学校側は生徒たちにどう説明するのだろうか。君が代については個々人の歴史観によって考えはさまざまだ。それを許容せず、一つの方向に向かせる権力の発動は、人間関係をゆがめる。とりわけ教育の場にあっては、絶対許されるものではない。
    --「みんなの広場 学校側の口元チェックに驚き」、『毎日新聞』2012年3月25日(日)付。

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社会変革における「体育会」と「サークル」について。

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今の時代はどうなのか知らないけれども、僕が大学に入学した90年代というのは、「サークル」の時代だったと思う。

テニスをするにしても「テニス部」の練習はなかなか休むことはできない。しかし「テニス・サークル」の場合……もちろん温度差はあるのでしょうが……、わりと自由に出入りできる。

規律と服従を規範とした強固な紐帯を軸にした共同体を「体育会」に代表される「○○部」に見出すとすれば、ある程度の規律は保ちながら、少し「揺るフワ」な共同体を「サークル」と分類することができるでしょう。
※勿論、傷害事件等々問題があることは存知ですが、最大公約数としてのその特色に注目しておりますので、念のため。

哲学者・鶴見俊輔(1922-)さんによれば、日本語の「サークル」という言葉は、1931年蔵原惟人(1902-1991)が全日本無産者芸術連盟(1928年結成)の機関誌『ナップ』が発刊されたおり、ロシア語から借りてきて使ったことが、その嚆矢だそうだ。

「サークル」は、当時の日本共産党の指導下にあったナップという組織の下に集まった様々な芸術家の専門集団や、工場内あるいは組合内につくられた文芸集団や芸術集団を指す言葉として使われたという。

ナップという組織自体は、1931年に解散し、新しい組織へと展開する。しかしこの後はいわゆる「冬の時代」。組織的弾圧の過程で、党の指導が届かなくなってくる。壊滅した場合もあるが、中には指導から独立して自主的に活動を展開していったサークルもあるという。都会の喫茶店文化や地方文化の特色を生かした工夫を重ねた『世界文化』や『土曜日』がその代表的な事例だ。

敗戦の後、共産党指導者たちは、もう一度運動の組織化を目論むものの、苛烈な内部闘争はサークルに対する把握を結果として緩めていくことになる。

「1960年までに、『サークル』というこの同じ言葉は、学問であれ、芸術であれ、なにかの文化活動を進める非専門家、つまりアマチュアのですね、の小集団を意味するもの」となり「共産党の指令と結びついていた連想」から離れていく。

もちろん、このサークルという運動・集団は「学問」「芸術」などの文化運動にのみ限定されるものではない。戦後の急速な産業化の矛盾に対する「異議申し立て」としての市民運動としても生成され、環境・公害・軍事をめぐって様々な運動が展開されたことはいうまでもない。特定の政党や集団に準拠しない「ゆるフワ」な市民連合が時代の変化に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

その意味では……単純なアナロジーで正鵠を得ていないことは否定できないが……、趣味の自主的な集いや市民運動を「サークル」に、そして、綱領に基づき統御のとれた政党や宗教をのようなものを「部」ないしは「体育会」と立て分けることが可能かもしれない。

最初に見たとおり、サークルと部(体育会)にはそれぞれ長所もあれば弱点もある。何かをきちんとのばしていこうとすれば、厳しい練習と出席が必須となる「部」に軍配があがろう。しかし、長い付き合いとしてそれを楽しみ上では、「サークル」の方が優位かも知れない。

さて、鶴見さんによれば、「サークル」の「非専門家」、「アマチュア」性という特色に注目すると3つの「弱さ」が見えてくる。長くなるがそれぞれ紹介しておこう。


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 政党と結びつかないこのような自発的な運動は、それぞれの地域の中に中心をもっており、地域のなかに住んでいる人たちが、暮らしのなかからいくらかの暇を割いて問題と取り組んでいるために、自分の地域から離れてお互いに連絡をとるということはたいへんにむずかしいことです。
    --鶴見俊輔「普通の市民と市民運動」、『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫、2001年、215頁。

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一つ目は、自発的な運動ゆえの限界であろう。


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この運動は(=原水爆に反対する市民運動のこと……引用者註)自発的な、また独立したサークルから出発したのですが、それはそのもとの見方を保つことができませんでした。政党と結びつきをいったんつくってからは、もとの独立性を取り戻すということはたいへんにむずかしくなりました。
    --鶴見俊輔「普通の市民と市民運動」、『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫、2001年、216頁。

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二つ目は、即効性との関係から、政党を中心とする政治運動と連帯した場合、当初の「息吹」が失われやすいと言うこと。


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 運動がある特定の争点を中心としてつくられるときには、その争点がなくなると同時に解散します。岸内閣に対する抗議の場合には、国会を取り巻く大衆行動は、安保条約が法律上成立してこれを強行した期しない核が退陣したときという、この運動の目的からミルと、暗と明との二重の結果が見えたときに終わりました。ベトナム戦争反対の運動の場合には、ベトナムから米軍引き上げとともに終わりました。水俣病に対する抗議の場合には、この病気に苦しむ患者が残る限り、運動は終わることができません。
 争点中心の運動が大きな運動になる場合、あれほど大きな運動が、その争点がなくなってから蒸発してしまうという事実は、それを見ている人たちに、この種の運動はきわめて不安定で頼りないという印象を与えます。それは政党の運動とは性質が違っていて、状況の変化にもかかわらず存続し続けていくという形をとることができません。
    --鶴見俊輔「普通の市民と市民運動」、『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫、2001年、217頁。

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3つ目は争点中心の運動になるから「蒸発」しやすいという危惧。


では、サークルは「弱い」運動で機能することができないと考えるべきなのだろうか。
筆者はそうは思えない。もちろん、問題や対応により、強弱があるのはそれぞれの特徴だから、その強みを生かしたアプローチで問題に向き合う他はない。しかし、「強い」運動は、必ず他者に対して排他的になっていく。それにくらべると「弱い」運動は、それ自体が「おぼろげ」という弱点はあるものの、出入り自由で、「誰もが関わる」ことが可能だ。

ここはひとつの「強み」と見るべきではないだろうか。

もちろん、既存の政治運動を全否定するつもりは毛頭ない。
ただ、それだけで解決が見つからない場合が多い現状を振り返るならば、ひとつのオプションとしてその価値は、今ほど高まっている時はないと思う。
※もちろん、パイ取り運動を普遍的レースへの参与と欺瞞する“プロ”「市民」“運動”の問題は承知ですが、ここでは横において考えた。

いわゆる大文字の「政治」だけですべての問題が解決する訳ではない。
「政治」が得意として対処できる分野は確かに存在する。しかし、「政治」が不得意で対処しにくい分野というのも同じように存在する。

だとすれば、「政治」にすべてを「おまかせする」というスタイルを少しずらしてみることも必要なんじゃないかと最近実感することが多い。

特に日本人は、「政治」にすべてを「お任せ」しておけば何んとかなる……として政治を支えてきた。しかし、政治とは時間がかかるものだし、そう「忖度」した通りに「結果」が出てくるわけでもない。

だからといって「ああ、終わった」とも諦めたくはない。現状はそうなのでしょうが。

だとすれば、「政治にできること」、「政治がニガテとするもの」(そしてそれを長期的なスパンで後者が主導権をもったかたちで前者に接続させていくような試み)というたてわけも必要なのじゃないかと思う。

くどいようですが「政治、おわった」じゃないんです。
しかし、それ以外のオプションとしては「自生的」な「連帯」としての「サークル」的集合離散には意味があるのだろうと思う。

たしかにサークルには「弱さ」「実行力」等々で問題はあるとは思います。
しかし、政治が見落としがちな側面、イデオロギーや宗教によって手をつなげなかったところを架橋する側面という「強さ」はあると思うんですよね。

ただ、両者の力関係はやはり旧来の前衛-後衛的な匂いもあるから、そこだけは警戒しなければならないとも思う。

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 一九五四年のマグロの汚染が主婦たちの読書会を動かし、やがて安井郁(一九〇七-八〇)という国際法学者の助言を得て、原水爆反対の全国組織をつくるいとぐちとなり、やがて広島と長崎に国際大集会を開くまでに至ったということがありますが、これらの大集会は、それぞれちがう国家組織の時の政策を持して譲らない左翼政党の対立によって分裂しました。この運動は自発的なサークルから出発したのですが、それはそのもとの見方をたもつことができませんでした。政党との結びつきをいったんつくってからは、もとの独立性を取り戻すということはたいへんにむずかしくなりました。
    --鶴見俊輔「普通の市民と市民運動」、『戦後日本の大衆文化史』岩波現代文庫、2001年、215-216頁。

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覚え書:「急接近:ジョルジョ・アガンベンさん ユーロ危機、フクシマ…世界の近未来は」、『毎日新聞』2012年3月24日(土)付。

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急接近:ジョルジョ・アガンベンさん ユーロ危機、フクシマ…世界の近未来は?

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 09年末にギリシャに端を発した「ユーロ危機」は資本主義という名の宗教が壊れ始めた世界での日常の出来事にすぎない--。そう断言するイタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンさんに近未来、そして「フクシマ」の原発事故が与えた衝撃について聞いた。【ローマ藤原章生】

 ◇壊れゆく「資本主義宗教」--イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンさん(69)
 --東日本大震災後、日本だけでなくイタリアでも、経済成長にこだわらない暮らしを求める声が高まってきました。ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロス氏は昨年夏、「人々は(未来への)扉が開くのを待っている。イタリアなど地中海圏が扉を開く最初の地になる」と変動を予言しました。社会の価値観は変わりますか。

 ◆ アンゲロプロスの言葉を読み、経済という独裁者が社会生活の細部にまで入り込んでいるという指摘に感銘を受けた。世界の内面を考える上で役に立つ処方箋だ。それを理解するには、資本主義に支配されている現実をよく知る必要がある。

 資本主義は経済思想というよりも、一つの宗教だ。しかも、ただの宗教ではなく、より強く、冷たく、非合理で、息の詰まる宗教だ。資本主義を生んだキリスト教のような救済、しょく罪、破門もない。私たちはよく言っても「在家」という立場でこの宗教にとらわれている。

 要は、経済成長か、それによって失われる可能性のある人間性か、どちらを選ぶかだ。資本主義が見ているのは世界の変容ではなく破壊だ。というのも、資本主義は「無限の成長」という考えで指揮を執るが、これは合理的に見てあり得ないし、愚かなことだからだ。

 --ギリシャやイタリアなど南欧の債務危機が資本主義を変える原因になりますか。

 ◆ 一連の危機はいずれ、今の資本主義世界における普通の状態にすぎなかったと思い出されるだろう。今回の危機は(ギリシャ政府による)「クレジット」(信託)の操作から始まった。それまで、クレジットは元値の10倍、15倍もの値で売られていた。銀行はクレジット、つまり人間の信用、信仰を操り、ゲームを楽しんだ。宗教=資本主義=銀行=クレジット=信仰--というたとえは現実なのだ。銀行が世界を支配し、人々にクレジットを持たせ、それで払わせようとする。

 そして、格付け会社は国のクレジットまで作った。国家には本来、主権があるはずなのに、「財政」という言葉で第三者がそれを一方的に評価する。これもまた、資本主義の非合理を示す一つの特徴と言える。

 ちょっと下品な言い方をすれば「人間性のアメリカ化」が生まれつつあるように思う。アメリカは歴史が浅く、過去と対峙(たいじ)しない国だ。そして、資本主義という宗教の力がとても強い。問題は、過去を顧みない人間のあり方、つまり「アメリカ化」に意義があるのか、それこそが来るべき未来なのか、それとも別の道があるのかということだ。なぜなら、(未来への)扉を開くには、別の道がなくてはならないからだ。

 人間と過去との関係で、ひとつ逸話を話させてもらうと、私は日本の版画が大好きで、(葛飾)北斎の作品を一つ持っている。若く賢い日本の友人にこれを見せたことがある。だが、彼は版画に書かれた字を読めなかった。ラテン語や古代ギリシャ語を読める彼が古い漢字を読めない。これは、私には、過去との関係が危機にある一つの表れだと思えた。

 --歴史を重んじる欧州人も過去を失いつつあるように思えます。危機などの非常事態が日常になってしまうのは、過去を見ていないからと言えますか。

 ◆ その通りだ。それを示すいい例が、大学の危機と、社会の「博物館化」だ。いま、過去がある所は博物館だけになってしまった。過去は忘れられ、単に展覧されるだけになった。過去を生きたまま伝える場であるはずの大学は危機にある。哲学や心理学など人間を学ぶ学科がイタリアで廃止されつつあり、これは欧州全体の問題と言える。

 ◇核被爆国がなぜ原発?
 --フクシマをどう見ましたか。グローバル化の下、ある土地の災害が世界に大きな影響を与えます。あなたの何かを変えましたか。

 ◆ かなり大きな衝撃だった。ひどく心を乱した。日本についての私のイメージも変わった。ヒロシマ、ナガサキを経験した後で、日本が50基以上もの原子炉を設置していたとは思いもよらなかった。日本は寓意(ぐうい)的な事例だと思う。なぜ、ヒロシマの悲劇を生きてきた国が50基もの原子炉を建設できたのか? 私にとっては今も謎のままだ。おそらく、日本は過去を乗り越えたかったのだろう。

 そして、(明るみに出たのは)資本主義を率いてきた人々の思慮のなさだ。それが、国を破壊するということでさえ、日常のことのように思う感覚をもたらしたのだろう。

 --「原子力の平和利用」という言葉で自分たちを欺いてきたとも言えます。

 ◆ そうだ。だが、過ちだったのだ。そこにも、まさに資本主義宗教の非合理性が見える。国土がさほど大きくない国に50基もの原子炉を築いてきたという行為は、国を壊す危険を冒しているのだから。

      ◇

 「急接近」は今回で終了します

 ◆映画監督、アンゲロプロス(1935~2012年)の言葉

 未来が見えない今は最悪の時代だ。人々に方向を示す政治が世界のどこにもない。政治家も学者も大衆も待合室にこり固まり、扉が開くのを待っている。西欧社会は真の繁栄を手にしたと長く信じてきたが、それは違うと突如、気づいた。いずれ扉は開くだろうが、その前に私たちが、そして世界が変わらねばならない。

 地中海諸国が扉を押し開く最初の地になるだろう。問題は金融が政治にも倫理にも美学にも、全てに影響を与えていることだ。これを取り除かなくてはならない。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。今の世代で始め、次の世代へと引き継ぐのだ。金融が全てではなく、人間同士の関係の方がより大きな問題だと私たちは想像できるだろうか。

 ■人物略歴

 ◇Giorgio Agamben
 ローマ生まれ。フランス、イタリアなどの大学で教えた後、現在は資本主義、グローバル化、紛争による人間性や社会の変容などをテーマに執筆業に専念している。ほぼ全著作が邦訳されている。
    --「急接近:ジョルジョ・アガンベンさん ユーロ危機、フクシマ…世界の近未来は」、『毎日新聞』2012年3月24日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120324ddm004070152000c.html

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覚え書:「特集ワイド:東大話法のトリック」、『毎日新聞』2012年3月23日(金)付(東京夕刊)。

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特集ワイド:東大話法のトリック


東大のシンボル安田講堂=木村健二撮影
 学識豊かで、丁寧で、語り口もスマート……なのに、何かがおかしい。「原子力ムラ」の人たちを取材してきて、そう感じていた。そんなモヤモヤを晴らしてくれる人がいると聞き、会いに行った。著書「原発危機と『東大話法』」が話題の東京大学東洋文化研究所教授、安冨歩さん(49)その人に。【宍戸護】

 ■エクスキューズ
 <世界は、人類が地球環境と調和しつつ平和で豊かな暮らしを続けるための現実的なエネルギー源として、原子力発電の利用拡大を進め始めていました。このような中で、東日本大震災および福島第一原子力発電所の事故が起こりました。我が国は、事故終息に向け最大限の力を発揮しなければなりません……>
 一読、批判しようのない“きれい”な文章。実はこれ、東大大学院工学系研究科原子力国際専攻のウェブサイトに今、掲載されている「原子力工学を学ぼうとする学生向けのメッセージ 福島第一原子力発電所事故後のビジョン」の冒頭の一節だ。
 「典型的な東大話法の一つですね」。山男風のひげをはやした安冨さんは、おもむろにそう指摘した。「原発を促進したのは『世界』ではなく、一部の国の政治家、官僚、電力会社、学者・技術者です。なのに『世界』を持ち出すことで責任をあいまいにし、自己を免責している。また『我が国は……しなければなりません』というのも、日本の原子力関係者が必ず使おうとする勝手な言い分ですね」
 東大東洋文化研究所で東アジア論などを教える安冨さんは、震災後、東大の現役教授やOBらが原発事故について「同じパターン」の言葉遣いをするのに気付いた。
 「例えば、『客観的に見れば……』という常とう句。権力を持った側と、そうでない側をごっちゃにして、自分の議論を無根拠に公平だと断言するのに等しい」
 こうした話法は、実は原発事故以前、むしろ過去にこそ駆使されてきた。
 例えば、90年代に総合雑誌に掲載されたある討論。そこに登場した東大工学部教授(当時)は、核燃料の再処理の危険性を訴える討論相手に対し<まず出発点として><ある程度は原子力を使った方がいい>とし、<資源リサイクルは世界的には大きな流れ>だから、<適切な規模とタイミング>で進めるべきだと語っている。安冨さんは「原子力を使うべきだという立場を一方的に宣言し、さらに自説に都合の良い話を並べ、再処理の危険という本質とは関係のない方向へ持っていく。東大話法の典型」と切り捨てる。

 ■我が国は…
 原子力ムラの関係者への取材を続けてきた記者にも、思い当たる節はある。
 「私は今回の原発事故に直接関係ありませんが……」
 「私の現役時代はこうではなかったのですが……」
 そんな前置きをしてから話す人が多いのだ。そのたびに違和感を禁じ得なかった。
 「原子力関係者の多くにとって今回の原発事故は他人の問題であり、そもそも原発自体、ご飯を食べるための手段に過ぎないことが、こうした言い方から分かります。そうでない人たち、例えば原発の危険性を訴えてきた(京都大原子炉実験所助教の)小出裕章さんだったら、『僕は福島の事故とは関係ないけども……』とは言わないでしょう」
 記者は昨年5月に小出さんに取材したが、確かにこう言っていた。「私は原子力(研究)の場にいて、その原子力が事故を起こした。だから、普通の人とは違う責任が私にはあるのです」と。
 冒頭で紹介した文章にある「我が国……」という東大話法については、脱原発を訴え続けた市民科学者の故・高木仁三郎さんも著書「原発事故はなぜくりかえすのか」で、こう批判している。<自分があるようでいて実はないのですから、事故があったときに本当に自分の責任を自覚することになかなかなっていかないのです。ですから、何回事故を起こしても本当に個人個人の責任にならない……>
 そういえば、安冨さんの本のサブタイトルは「傍観者の論理と欺瞞(ぎまん)の言葉」だった。
 その安冨さんが、さまざまな文章や実際の語りを分析しまとめたのが別表の「東大話法の規則」だ。

 ■ヘリクツの必要性
 安冨さんは、京大大学院修了後、86年に都市銀行に就職。バブル景気に浮かれる社会の最前線にいた。行内では不動産の資産査定が甘くなり、疑問をはさめば圧力がかかった。やがて正常な判断力をまひさせていく同僚たち……。そんな現場に嫌気がさして88年に退職。その後、大学院に戻り、さまざまな「暴走状態」からの離脱--を研究テーマに据えた。
 静止しているコップの水を下から熱すると、一斉に同じ方向へ流れ始め、やがて沸騰する。人間も、一人一人はそれなりの見識を持っているはずなのに、ある「条件」をそろえると、集団で一方向にまい進し始める--そうした状態を、安冨さんは「魂の植民地化」と言う。
 ならば、「原発推進」という条件のもとでは何が起こったか。「原子炉の老朽化」を「原子炉の高経年化」と言い換え、原子力の危険性を審査する委員会を「原子力安全委員会」と読み替えた。もちろん、すべてが東大関係者だけによるものではあるまいが、これらの“ごまかし”は今も解消されていない。
 「まだしも原発を始めた世代は言葉のズレの意味を理解していたが、それ以降の世代となると、もう表面的に残った言葉の範囲でしか理解できなくなる。だからヘリクツが必要になる。東大話法とは、そのヘリクツの表現方法なんです」と安冨さん。

 ■戦争への道にも
 「魂の植民地化」による言葉の暴走--そのメカニズムは、さかのぼれば「戦争に向かっていったこの国にも作用していた」と言う。<神の国だから負けない>といった都合の良い“話法”を用いて無謀な作戦を重ね、ついに焦土と化した、この国にも。
 そして、今や東大話法は、まき散らされた放射線による被害を語る場にも、持ち込まれていないか。「人間が、(放射性廃棄物の危険が残るとされる)10万年単位で責任を持って物事に対処するのは不可能なのに可能と言い、低線量被ばくの健康影響はまだ分からないのに大丈夫と言う。絶えず言葉をズラさないと現状を維持できないのが原子力の本質なのです」
 とはいえ、東大話法を見抜くのは容易ではなさそうだ。
 「肩書が立派というだけで信じてはいけない。それと、意外に思われるかもしれませんが、信頼に値する仕事をしてきた人は個性的な容貌を持ち、いい笑顔の人が多い」
 安冨さんは表情を緩めた。
 まずは、権威の言葉をうのみにする私たち自身の姿勢を改めること、身近な常識や感覚に照らしてみることが第一歩なのかもしれない。

 ◇東大話法の規則
 1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。

 2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。

 3 都合の悪いことは無視し、都合の良いことだけを返事する。

 4 都合の良いことがない場合には、関係ない話をしてお茶を濁す。

 5 どんなにいいかげんでつじつまが合わないことでも自信満々で話す。

 6 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。

 7 その場で自分が立派な人だと思われることを言う。

 8 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。

 9「誤解を恐れずに言えば」と言って、うそをつく。

10 スケープゴートを侮辱(ぶじょく)することで、読者・聞き手を恫喝(どうかつ)し、迎合的な態度を取らせる。

11 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。

12 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。

13 自分の立場に沿って、都合の良い話を集める。

14 羊頭狗肉。

15 わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。

16 わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。

17 ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。

18 ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。

19 全体のバランスを常に考えて発言せよ。

20 「もし○○○であるとしたら、おわびします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。(安冨歩著、明石書店「原発危機と『東大話法』」
    --「特集ワイド:東大話法のトリック」、『毎日新聞』2012年3月23日(金)付(東京夕刊)。

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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120323dde012040042000c.html


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およそ人間の思考というものは、その最上のものでさえ、機械的になろうとする傾向、つまり内容を公式的な言葉で表現しようとする傾向を持っている

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四月二十二日
 およそ人間の思考というものは、その最上のものでさえ、機械的になろうとする傾向、つまり内容を公式的な言葉で表現しようとする傾向を持っている。このような公式的な表現は、たえず骨のおれる思考活動をなす代役をつとめ、少なくとも、あとから来る者に問題の扱いを楽にする効果をもつものである。このことは、とくに宗教や哲学において行われる。それゆえ、このような公式的な表現は、その時代時代におけるこれに対する反対によって呼び起こされて、それを更新してそれぞれの世代に理解しやすくしようとする動きに従って、変化しなければならない。
 これがいわゆるキリスト教の改革の目的であり、またその功績でもあった。さもなければ、それはただ一時的な現象にすぎないであろう。
    --ヒルティ(草間平作・大和邦太郎訳)『眠られぬ夜のために 第一部』岩波文庫、1973年、134頁。

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学問で生計がたたないので一般の職場にて仕事もしているのですが、その仕事とはいわゆる業種でいえばGMS。

流通、そして対面販売の最前線にて糊口を凌ぐ毎日なのですが……はっきりいえばアカデミズムで身が成り立たないという“orz”な訳ですけども……一族郎党も抱えておりますので、“銭儲け”をしなければならないという筋書きです。

さて……。
衣類・日用雑貨から生鮮食料品まで扱う職場の夜の責任者をやっているのですが、久しぶりに土下座をさせれましたよorz

結論から言えば、商品の状態が悪かったというわけでもなく、接客トラブルでもなく、……詳しくは紹介できませんが……こっちは全く瑕疵がないのに、お客様の一方的な思いこみによって1時間近く罵倒されて、泣きそうになったよおるず。

こういう事案に遭遇するたびに……

人間って一体何なんだ((((;゚Д゚)))))))

……ってよく突きつけられます。

現実には先に言ったとおり、泣きそうにもなるし、腹も立つ。
しかし、……職をなげうつ覚悟を決め込んで……「おまえ、アホか」……って言ってしまっても、それは解決にはならないということも、同じように痛いようにわかるんです。

さて……。
言論「戦」において、「相手を否定する」ことのみに先鋭化することは、あれかorこれかという二元論ではなく、両者の持ってきたコンテンツを材料に、それを刷り上げていくという言論空間を抹殺してしまうことに傾く嫌いがある。

最後は、ルサンチマンから「おまえ、アホか」の連呼で「disり」合戦というのもよくある話し。特にネトウヨ系の議論はそれ以上にたちが悪く、根拠も資料も提示できないまま、壊れたカセットテープが同じ曲を繰り返すだけという状況で、そこには創造性は一切ない。

確かに「哲学」とはカントが『純粋理性批判』で定位したように「人間とは何か」というのは最大のテーマです。

しかし「人間とは何か」というテーマは、一端定義づけされてしまうと、その定義から逸脱する人間たちを「非人間」として扱うというジレンマも内包している。

だとすれば、「人間とは何か」というテーマは不要かといえば、それは早計だろうと思う。

「人間とは何か」を探求した先達たちの血のにじむような足跡と向き合いつつ、現実の生活の中でもそれを確認していく……この往復関係を「くだらない」と一瞥してしまうことほど怖ろしいことはない。

ひとりひとりの人間は、家族親族一族郎党から友人知人にいたるまで、所与としては何もない限り、お互いを尊重しようとする生き物だ。

何しろ、人間という「動物」だけが「生まれ落ちたまま」「ひとりで生きていくこと」ができないからだ。

だからといって過度の共同体主義ですべてOKという訳でもないし、こいつは「人間」こいつは「非人間」と屠殺場で選別する必要もない。

さまざまな知見に学びつつ、それが現実の世界においていったいどういう意味をもっているのか。

そしてその逆に、千差万別の現実世界から概念としての人間とは何なのか。

両方を諦めることなく、卵が先か、鶏かが先かという二元論を避けながら、恐らく丁寧に反芻していくほかあるまい……と。

ここには過度の道義的緊張関係も不要だし、過度の手続き論も不要だと思う。

先に言及したとおり、実際、そういうスチュエーションに遭遇すると、そりゃア「頭にはきますよ」。

しかし、それで解決するわけでもない……という忍耐は学んだような気もする。

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「ひととの出会い」に感謝

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 どこの国だってほんとうの善人は多くない、はなはだ少ない。美しい人も多くはない、はなはだ少ない。しかしいないことはない。ただそういう人にめったに会うことができないだけだ。
    --武者小路実篤『友情』岩波文庫、年、20頁。

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卒業式の折り、謝恩会にて頂いた短大生の卒業文集をぱらぱらとめくっていたのですが、ひとりひとりの卒業生の多くが、「ひととの出会い」に感謝していることがよくわかります。

同期との深い絆。
先輩の励まし。
後輩への関わり。

そして父母や関わった多くのひとたち・・・。

自分自身の学生時代を振り返ってもまさにそうなんです。

大学在学時というのは、俗に「モラトリアム」といわれる期間かもしれませんが、しかしそれまでの義務教育課程(高校はほぼ全入ですからね、そうくくります)の濃密な、空気を読む空間とも違う、そして社会に入ってからの利益や利害に配慮しながら、一挙手一投足を勘案する空間とも違う、そう、自分で考え・判断するなかで培われた人間関係や出会いというものは、まさに代え難い財産なんですよね。

だから現実には「なんじゃ、コイツ、ゴルァ」っていうのもあるんですが、それはそれできちんとそういうことに反応できる……利害関係において我慢するとかスルーするとかじゃなくてね……っていうのは、それを含めても貴重な経験なんですよ。

あと二週間もすれば、新入生がキャンパスにあふれかえることだと思います。

卒業するときに、出会いに感謝!といえるような大学時代をおくってほしいものですね。


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宙宇は絶えずわれらによつて変化する

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宙宇は絶えずわれらによつて変化する
誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるか
    --宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」、谷川徹三編『宮沢賢治詩集』岩波文庫、1979年、269頁。

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このたびはご卒業おめでとうございます。

社会にでるということは、いままで以上に「比べられる」圧力にさらされることになるかと思います。

気にするな!と割るきるのは現実には難しいかもしれません。

ただ、「宙宇は絶えずわれらによつて変化する」のもまた事実。

恬淡として自分の道をつくりゆくなかに価値が創造されてゆくのだと思います。

宮沢賢治(1896-1933)の詩を皆様におくりたいと思います。

このたびはご卒業おめでとうございます。

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覚え書:「吉本隆明さんを悼む 北川透」、『毎日新聞』2012年3月21日(水)付。

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吉本隆明さんを悼む 北川透
冬の圧力の真むこうへ
 吉本隆明さんの訃報を受けて、長い瞑目の時を持った。そして、あらためて吉本さんの生涯は詩人だった、と思う。
《世界は異常な掟てがあり 私刑(リンチ)があり/仲間外れにされたものは風にふきさらされた》
 これは吉本さんの詩「少年期」の二行だ。少年期における仲間外れ。それを経験しないまでも、怖れたことのない人はいないだろう。詩人はこれを追憶として書いているのではない。家族、友人仲間から教団、党派、国家にいたるまで、人は様々なレベルの掟や法を内在させた、共同の関係から逃れられない。それを視野に置いた関係の違和、不服従、追放の惨劇をたどる少年期の原型を、ここに見定めようとしている。
 これと同時代の『転位のための十篇』や『固有時との対話』などの詩集も含めて、吉本さんが、まだ二十代の半ばから、三十代の初めに書いた詩篇が、いまに甦るのを感じるのは、東日本大震災後のウソのないことばを求める状況があるからだろうか。それだけと思えないのは、吉本さんが、以後、展開する思想的・理論的なモチーフの強度が、ここに孕まれてるからだ。
 その逆の見方も、また可能だ。吉本さんほど、詩や文学が成立する土壌としての、基盤としての、自前の思想や構築に生涯を費やした詩人はいない。わたしは一九五七年、大学の四年生になった頃、初めて吉本隆明の著作『文学者の戦争責任』を読んだ。その昂奮がなければ、(旧)書肆ユリイカ版の『吉本隆明詩集』を求めることもなかった。それは凄い本だった。私の詩や文学への甘っちょろい夢を吹き飛ばした。
 ヨーロッパの最先端の意匠で装うモダニズムの詩も、マルクス主義や、近代的な自我の詩も、戦争下においてすべて無惨に崩壊したという、戦慄すべき事態。そこでは、いかに新しそうでも、いかに恰好よく見えても、輸入された付焼刃の知識や感覚の遊戯、孤高を誇る自意識では、役に立たないことが語られていた。新しい知識や感覚自体が駄目なのではない。それを身につけようとする時、遅れた底辺の社会に浸透する法や制度、意識やモラルと格闘しながら、自前の思想、感覚、方法を身につけるたたかいをして来なかった。そこに日本の詩の脆さがある。それをしなければ、戦争詩や翼賛文学は繰り返される、という強い自覚、開眼。
 ここから始まる一九六〇年以降の思想のたたかい。確かに吉本さんは、詩「ちいさな群への挨拶」でうたったように、たった一人、手ぶらで《冬の圧力の真むこうへ》と出ていった。吉本思想のキー・ワード〈自立〉は六〇年安保闘争における旧左翼との訣別・。擬制の終焉から出てくるが、すでに五〇年代の詩のモチーフや、詩人の戦争責任を問う論理に内包されていた。そして、何ものからも独立する表現の場の確保のために、『試行』の創刊。
 そこにすべての党派的な文学観を否定した、『言語にとって美とはなにか』の連載。一方、戦争下において、ほとんどの詩や文学が、回帰していった庶民意識や国家の問題は、『共同幻想論』として原理的に探求される。さらにそれは意識と無意識、狂気と正気、悪はなぜ根拠を持つのかなど、心的現象のすべてを解明する終わりのない試みに引き継がれる。『心的現象論』、『最後の親鸞』等々。
 わたしが吉本さんと『現代詩手帖』誌上で対談したのは、ソ連、東欧の社会主義の崩壊した後の世界認識を先取りして書かれた、『マス・イメージ論』と『ハイ・イメージ論』の中間、一九八四年十二月だった。吉本さんが変質する高度資本主義のなかで、多元的な文化の在り方について、大胆な仮説を展開していた時だ。吉本さんについてのわたしの印象は、大きな耳を持った人。
 むろん、自説は、訥々とした口調ながらも、断乎として主張されるが、わたしなどのつまらぬおしゃべりにも、じっと耳を傾けられた。その感銘を思い起こしながら、「ちいさな群への挨拶」の二行を噛みしめたい。
 《ぼくがたおれたらひとつの直接性がたおれる/もたれあうことをきらった反抗がたおれる》
 (きたがわ・とおる=詩人)
 ◆
 *詩人・評論家、吉本隆明さんは16日死去、87歳。
    --「吉本隆明さんを悼む 北川透」、『毎日新聞』2012年3月21日(水)付。

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人間は……自分の創り出すものを越えて成長し、自分の考えの段階を踏みのぼり、自分のなしとげたもののかなたに立ちあらわれる

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人間は、この宇宙における、有機物、無機物を問わず、ほかのどんなものとも違って、自分の創り出すものを越えて成長し、自分の考えの段階を踏みのぼり、自分のなしとげたもののかなたに立ちあらわれるものだ。
    --スタインベック(大橋健三郎訳)『怒りのぶどう (上)』岩波文庫、1961年、292頁。

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火曜日は、昼過ぎから、通信教育部を見事、卒業される皆様と宴席。
卒業される皆様、おめでとうございます。

一端、社会人になってからも「あえて“学ぶ”」という挑戦そのものがひとつの形になったことに最敬礼です。

人間は、学ぶことによって人間になる。

皆様、おそくまでありがとうございました。

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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『近代広告の誕生』=竹内幸絵・著」、『毎日新聞』2012年3月18日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『近代広告の誕生』=竹内幸絵・著


 (青土社・3570円)

 ◇「集団の夢」の形として読み解く「社会美術史」
 ベンヤミンは『パサージュ論』で、資本主義とは、個人の意識は目覚めて活動しているのに集団意識は深い眠りに落ちている特異な現象であり、その夢の痕跡をたどるには建築、モード、広告などを分析するしかないとした。建築、モード、広告は、集団作業であると同時に金銭が介在するため、時代の集団意識が顕在化しやすいからである。この意味で、資本主義段階に到達した一九二〇年代日本の広告を「集団の夢」として分析する研究が出てきてもよさそうに思うが、意外とこれが少なかった。社会学者はアートに疎く、美術史家は社会学に弱かったからである。本書は二つの分野を横断しながら「集団の夢」の形象としての広告を読み解いた「社会美術史」とも呼ぶべきタイプの新しい研究である。

 著者がまず注目するのは第一次大戦直後に新聞社が開催した「大戦ポスター展」。広告とは美人画プラス宣伝文という認識しかなかった日本の広告関係者は強烈なメッセージを伝える欧米のポスターに衝撃を受け、広告の変革を志向するようになる。その先陣を切ったのは田附與一郎(たつけよいちろう)という実業家で、田附は自腹を切って『歐米(おうべい)商業ポスター』を出版し、欧米ポスターを「単化」という概念で要約した。文字と商品を「出来得る限り単化表現する」のである。この「単化」概念を日本で初めて実際に応用したのが日本商業デザインの草分・杉浦非水。杉浦は自ら主宰する『アフィッシュ』誌で美人画ポスターを批判する一方、東京地下鉄道開業ポスターを制作し、商業美術の幕を開ける。

 ところで、この商業美術なる言葉を造ったのは東京美術学校出身のクリエーターで『現代商業美術全集』全二四巻という画期的な全集を刊行した濱田(はまだ)増治という人物だった。濱田は広告図案家と呼ばれて蔑(さげす)まれていた広告制作者たちに「商業美術家は醒(さ)めなければならない」と呼びかけ、ステータスの向上に努力した。

 こうして濱田の意図通りに日本に商業美術が定着したのが一九三〇年前後だが、この時代にもう一方で啓蒙(けいもう)の役割を果たしたのが誠文堂発行の『広告界』という業界雑誌だった。若き日に小倉の工房で見習い職人として働いていた松本清張は「この雑誌が私の図案の勉強だった」と回想しているが、『広告界』で編集長をつとめた室田庫造(くらぞう)こそレイアウトという言葉を日本に広め、図案工をデザイナーに昇格させるのに与(あず)かって力あった人である。室田はクリエーターのサロン雑誌化していた『広告界』の編集方針を変更し、紙面の半分を実務的記事で埋めた。「『広告界』には、商業的効果が見込める広告の実効性を重視する価値観と、広告の美的価値を理解しこれを重視する価値観の両輪が並存したのだ。これが読者層の厚みにつながった」

 だが、皮肉なことに『広告界』のこうした両面性は時代が写真時代を迎えると迷走の原因となる。写真広告には大きな資本が必要だったが、日本のクライアントはそこまで成熟していなかったからだ。「写真広告は、コストメリットという利点を持つ『単化』を牛耳ることは出来なかったのだ」。しかし、そんな中、写真広告の威力に注目する勢力が現れる。総力戦態勢を視野に入れた国家権力である。かくて写真に新しい広告表現を見ようとした広告マンたちの夢は破れたかに思えたが、戦後、それはオリンピックを契機に劇的に復活する。そう、あの亀倉雄策の東京オリンピック・ポスターによって。

 最初にして決定版といえる日本ポスター通史。
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『近代広告の誕生』=竹内幸絵・著」、『毎日新聞』2012年3月18日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120318ddm015070015000c.html


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自分の背後になる公力を恃む、服従道徳の涵養に偏執…軍隊などでも新兵を虐使する下士は、とかく自分の新兵時代にひどく窘められた者に多いとやら、吉野作造「自警団暴行の心理」より。

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公立病院の小使が患者を叱り飛ばしたり、三等郵便局の窓口で人民どもが散々こづき廻されたり、田舎者が議員になつて俄に方で風を切つたりするのは、皆同類の現象と謂ていゝ。詰り彼等は俺れには之れ丈の権があるんだぞと見せびらかしたいのである。俺の意に反しては何事も出来ないぞと威勢を見せたいのである。一言にしていへば自分の背後になる公力を恃んで自らよろこぶに急なのである。従つて他人の迷惑の如きは更に之を顧みるに遑がないのである。自警団暴行の如き、畢竟斯う云ふ通癖のたまたま変に乗じて一部民衆の野生を駆り動せる類型的現象に過ぎない。従て之を一部民衆の過失なりとして我々と全然無関係の出来事と嘯くものあらば、そは余りに短見であると思ふ。
    --吉野作造「巻頭言 自警団暴行の心理」、『中央公論』一九二三年一一月。

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1923(大正12)年の関東大震災下における不幸な事件の一つは、本来、自治の要となるべき自警団が……すべてが全てというわけではありませんが……お上の権力を傘にして、単なる暴力団になってしまったことではないかと思う。

中国・朝鮮半島の人々が撲殺されるだけでなく、聾唖者や地方出身者もその対象になったという。

この問題に関しては、「恐怖に煽られて……」という弁解が目立つが、それで全てを説明することはできない。

内務省警保局は各地方のトップに向けて「朝鮮人の行動に対しては厳密なる取締を」と警報を打電しているし、警視庁からも戒厳司令部宛に「鮮人中不逞の挙について……」などと通報じている。

実際のところ、そのほとんどはデマ・風聞にすぎないものだが、国家が発した「警報」はメディアにより「拡散」され、「自衛」という大義名分が成立する。

また、そのどさくさに紛れてアナーキストの大杉栄(1885-1923)らが殺されたり(甘粕事件)、労働運動の指導者が警察署内で軍に銃殺される事件も起きている(亀戸事件)。


被害者の数については議論が別れる部分があるが、その中間に位置する吉野作造(1878-1933)の調査によれば2613人余という。

さて……。
震災後、自警団の暴行に関しては、その問題を指摘するよりも、おおむね、「いたしかたがない」という世論が形成される。

しかし、吉野はその年11月の『中央公論』巻頭言にて、「聞くだに身の毛のよだつ様な暴行を数多き自警団が犯したと云ふは、仮令全体より見て其数の甚だ少なかつたとはいへ、国民的面目の上よりしても到底許す可からざる事態ではないか」と堂々と指摘した。

そしてその暴行へ「駆られる」原因は、一部の人間だけに限定されるものではない。

国民全体に共通する問題として警告するのである。それが冒頭の引用である。

「一言にしていへば自分の背後になる公力を恃んで自らよろこぶに急なのである」。

ではそうした通癖が生まれてくる背景には何が潜むのか。
吉野は次のようにいう。


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 茲に吾人は一言我国在来の教育が服従道徳の涵養に偏執して創意的奉仕精神の訓練を欠如せるの一事を絶叫して起きたい。上の指示する所に従へとは教へる。自己の創意に基いて世に仕うる真の機会は全く与へられない。政事に干ることが罪悪なるかの如く教へられた生年が、如何にして校門を出でゝ公民としての与へられた権利を正しく使ひ得やう。服従道徳の動もすれば陥り易き著しい弊害は、上の専横と下の不満とである。不満は時として羨望に変わる。……軍隊などでも新兵を虐使する下士は、とかく自分の新兵時代にひどく窘められた者に多いとやら。自己の深刻な経験が思ひ遣りの人情となりて将来の人格美を作る要素たるべき筈だのに、それが却つてつねに反対の結果となるのは、畢竟初めに於て創意的奉仕精神の涵養を怠つたからではないか。
    --吉野作造、前掲書。

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それは「服従道徳の涵養に偏執」してきたこと、つまり他者への創意的奉仕精神を育まなかったことが原因だと吉野いう。

他者との関わり方を学ぶことなく「命令」として訓戒がつづくとどうなるのか。
上からの一方的垂れ流しは、古参兵にいびられた新兵が偉くなると同じように新兵いびりを繰り返すという「上の専横と下の不満」を拡大再生産してしまう。

尤も服従道徳が一慨に悪いというわけではないが、創意的奉仕精神の涵養を行わなかった結果は、他者の存在への想像力を欠いた暴力で矯正すればことたりるという短絡的な思考回路を生み、「公民」などを生み出すはずはないというわけだ。


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 肴屋の小僧ふだんは主人番頭にこき使はれる。一旦自警団に加つて竹槍棍棒を与へられて町内の警備に当ると、少し位人を擲つても誰からも咎められない所から、自ら平素の枉屈を伸ばす此時だと云ふ気になる。斯うした心理--大小軽重の差こそあれ--を我国青年の頭に深く植ゑつけたのが、在来の誤つた教育方針ではないか。
    --吉野作造、前掲書。

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自分で考えること拒絶させ、ただただ命令に従う。
そして本当は厭なのだが唯々諾々と承知してしまう。
積み重なるのはルサンチマンだけだ。

そしてそれを今度は自分でやっていく。

社会の紐帯として「服従」や「命令」の機能を一方的に全否定するつもりは毛頭ない。しかしそれだけになってしまう場合、どうなってしまうのか、吉野の指摘は今なお輝きをうしなわない。

そして付け加えるならば、この吉野の文章は、現在の眼からするならば「手ぬるい」と瑕疵を指摘することはたやすい。

しかし、時代のコンテクストを踏まえる必要もある。
先に、大杉栄をはじめとする反政府的「主義者」がどさくさに紛れて殺された話に言及したが、実は吉野作造自身も、摘発対象者の一人であったということ。

運良く抹殺は免れたものの、震災から2ヵ月後にここまで丁寧に慎重に指摘するということは命がけであったということは想像するに難くない。


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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著」、『毎日新聞』2012年3月18日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著


 (朝日選書・1470円)

 ◇むき出しの「死」とまともに向き合うために
 文明はおぞましいものを人の目から隠す。その最たるものは死だろう。特に日本では報道でも死体を映しだすことを極力避けるので、いまの子供たちは人の死に直面することがほとんどない。ところが、昨年三月の大震災は突然、死をむき出しの形で私たちに突きつけた。一方、原発事故はまだ放射能による死者を出していないと指摘する人がいるとはいえ、多くの人々と広大な土地と自然を緩慢な死の潜在的な危険にさらした。

 そんな折に、ぜひ読むべき好著が出た。『日本人の死生観を読む』は、近代日本において「死生観」を表現した日本人の書物やテキストを読み解いていくことによって、人の生き死にとはいったい何であるのか、考える本である。著者は「死生学」という耳慣れない多分野的学術研究のリーダー格として尽力してきた宗教学者。「納棺師」、つまり死者を葬儀の前に棺に入れる儀式に携わる人を主人公とした映画「おくりびと」とその原作から説き起こし、「死生観」という言葉を確立した明治時代の宗教思想家、加藤咄堂(とつどう)にいったんさかのぼり、それから作家の志賀直哉、民俗学者の柳田国男とその業績を引き継いで独自の学問体系を展開した折口信夫、戦艦大和に乗って沖縄特攻作戦をかろうじて生き延びた吉田満、そして最後には、がんと直面して生きた宗教学者の岸本英夫と作家の高見順へと、考察を進めていく。

 ここに登場する死生観はじつに多様であり、ここで簡単に要約することはできない。儒教・仏教・武士道を背景に「死生観」を打ち立てようとした加藤咄堂に対して、乃木大将殉死の報(しら)せを聞いて「馬鹿な奴(やつ)だ」と日記に書いた志賀直哉。日本の「常民」に見られる「円環的」(生まれ変わりを信ずるといった)死生観を理解しながら、それが近代社会においてどのように生かされうるのかについて考えた柳田と折口。戦争やがんといった、個人の力では対抗できないものに直面し、虚無を見てしまったところから、改めて生の意味をとらえ直した吉田満や高見順。

 ちなみに、ロシアの文豪トルストイは、若いころ、ある田舎町の宿で夜中にはっきりした訳もないのに、それまで体験したこともない激しい死の恐怖に襲われたという。ある意味では、その後の彼の生と巨大な作品の数々は、その恐怖を克服しようとする努力の軌跡だった。私たちはよりよく生きるためには、そして、生きることの喜びを感じるためには、死を見つめなければならない。それはまた本書から響いてくるメッセージでもある。島薗氏の書き方は学者的でつねに冷静、思いのたけを感情的に吐露するということはないが、それだけにここで取り上げられている事例の一つ一つが重く胸を打つ。

 本書の効用のもう一つは、優れた文学作品の力を改めて、死生観という角度から照らし出してくれることだ。冒頭に引用される宮沢賢治の「ひかりの素足」は、雪の中で死にゆく弟を必死に助けようとする兄の話だが、生と死を見つめる賢治の透徹したまなざしには、誰しも心を揺さぶられることだろう。学校で読まされたとき退屈だった志賀直哉の『城(き)の崎にて』も、見違えるようだ。

 私は根が軟弱なので、いまだに権益を守ることや保身に汲々(きゅうきゅう)としているように見える電力会社経営者や、役人や、御用学者たちに、「責任を取れ」などとは言わない。ただ、せめて死にまともに向き合いなさい、と言いたい。どうかこの本を読んで考えてください。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『日本人の死生観を読む』=島薗進・著」、『毎日新聞』2012年3月18日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120318ddm015070013000c.html


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覚え書:「時流底流 国民管理に危惧 白石孝 プライバシー・アクション代表」、『毎日新聞』2012年3月17日(土)付。

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時流底流 国民管理に危惧
白石孝 プライバシー・アクション代表

外国人を含めた日本国内に居住する全員に割り当てる「マイナンバー(個人識別番号)法案」が国会に提出された。法案をみると、個人番号の利用が、社会保障や税など限られた分野でなく、政府が自分たちの都合に併せて幅広く活用できることに道を開いていることは見逃せない。法案は個人番号などの利用を「制令で定める公益上の必要がるとき」と明記した(17条1項11号)。住民基本台帳ネットワークシステムの導入に伴う住民票コードの利用事務は、法律で一つ一つ明記したが、個人番号については事実上のフリーハンドを与えている。安易な利用拡大に対する歯止め措置など全くないに等しい。
 個人番号の発行は市町村とされているが、業務は「法定受託事務」といい本来は国の事務だ。住民票コードの発行は同じ市町村でも「自治事務」と呼ばれる固有の事務とは大きく異なる。個人番号は国家による番号の割り当てで、これこそ「国民総背番号」と呼ばれるにふさわしい。福島県矢祭町は今も住基ネットから離脱している。国はその反省に基づき法律上の解釈の余地のないようにしたかったに違いない。
 ICカードの住民基本台帳カードも「個人番号カード」に切り替わるが、普及しなかった住基カードと違って法案は、本人確認のための番号カードの提示を盛り込んだ(12条)。発行は本人申請に基づく発行が建前だ(56条)。しかし、民間を含む多くの事務で提示を求められれば、カードを常に携行せざるを得ない状況が生まれるだろう。米国の社会保障番号も申請主義だが、番号なしの生活は不可能だ。
 番号とカードで国民を管理できる強い国家の基盤ができることになる。この利用に謙抑的な政権もあるかもしれないが、少なくともその条件は整うことになるわけだ。40年前に官僚が立てた構想を、脱官僚と政治主導を目指した民主党政権が実現しようというのだからあきれるほかない。
    --「時流底流 国民管理に危惧 白石孝 プライバシー・アクション代表」、『毎日新聞』2012年3月17日(土)付。

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覚え書:「急接近:ウィリアム・スウィングさん 震災で見えた日本の外国人政策の課題とは?」、『毎日新聞』2012年3月17日(土)付。

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急接近:ウィリアム・スウィングさん 震災で見えた日本の外国人政策の課題とは?

 <KEY PERSON INTERVIEW>

 東日本大震災から1年にあたり、国際移住機関(IOM)は外務省、明治大学と共催で日本の外国人政策を考える会議を開いた。日本はどう対応すべきか。IOMのウィリアム・レイシー・スウィング事務局長に聞いた。【聞き手・福島良典、写真・尾籠章裕】

 ◇制度整え広く人材募れ--国際移住機関事務局長、ウィリアム・スウィングさん(77)
 --日本には現在、約200万人の外国人が暮らしています。東日本大震災が在留外国人にどのような影響を及ぼしたと思いますか。

 ◆ 日本語を話せない外国人の場合、問題は意思疎通が困難になることだ。何が起きているのか、身の安全を守るには何をすればいいのか、どこに避難すればいいのか--。きちんとした情報を得られなくなる。日本に限らず、大規模な自然災害は在留外国人の社会統合をより進めなければならないという課題を浮き彫りにするものだ。

 一方、これまで日本国内で見えにくかった在留外国人の状況が分かるようになった。会議に参加した佐々木アメリアさん=宮城県南三陸町=は震災後、在日フィリピン人向けの日本語教育と就労支援の取り組みを始めた。話を聞いて分かったのは、日本社会に対する「貢献者」であるということだ。

 --現代は「移民の時代」とも呼ばれます。これまで日本は移民の受け入れを制限してきましたが、いずれ「移民国家」になると思われますか。

 ◆ 世界人口70億人のうち10億人が移民・移住の状態にある。7人に1人の割合だ。国家は人口減少、人手不足を自国内では補えない状況に対応しなければならない。一方、南北の経済・社会格差は広がり、途上国で爆発的に増えている若年層は雇用のある先進国に向かう。この現実を受け入れるなら、自分たちの国にとって望ましい対応を自問しなければならない。

 日本でも「将来は移民が必要になる」との認識が深まっていると思う。2年前にはタイに逃れたミャンマー難民を受け入れる第三国定住制度が始まった。これが恒常的なものになるかが注目される。日系ブラジル人・ペルー人等の外国とつながりのある子どもに日本語教育を提供する「虹の架け橋教室」の期間延長も決まり、タイの洪水では下請け労働者が日本に一時的に入国して本社で働くことが認められた。こうした取り組みの上に長期的な政策を打ち立てられるかが焦点だ。

 --日本政府は今年、高度な資質と能力を持つ外国人を「高度人材」と位置づけ、入国手続きや在留期間で優遇する「ポイント制」を導入します。どのように評価しますか。

 ◆ ポイント制には長所と短所がある。長所としては(外国人政策の)透明性、一貫性、効率性が高まる。だが、雇用契約と連動していないため、例えば、外国人技術者がやって来ても仕事に就けず、能力を発揮し切れない可能性もある。高度人材に限定している点も短所だ。日本の人口減少を考えると、中度・低度の外国人人材も確保しなければ、将来の人手不足を埋めることはできない。高度人材政策だけでは成功しない。

 (さまざまなレベルで外国人を移民として受け入れる)複合的なモデルが必要だと思う。オーストラリアは複合型のモデルを持っており、スウェーデンもその方向に向かっている。カナダは多文化・多民族的な取り組みを進め、定住資格や市民権を取得しやすいようにしている。受け入れ側と移民にとって互いにプラスとなるような日本の制度を整えるべきだと思う。

 ◇「社会への貢献」理解を
 --しかし、移民の本格的な受け入れには日本国内で反対意見が根強くあります。

 ◆ 歴史的、世界的に見て移民は受け入れ国に好ましい影響を及ぼす。米国の応用研究の49%は外国人留学生によるものだ。ハイチからの移民は米フロリダに着くと祖国に送金を始める。移民はやる気を持ち、起業家精神に富み、社会に新風を吹き込む。また、「成功したい」という野心があるので、受け入れ国の慣習や法律を守る傾向がある。私は来年2月、世界26カ国の外国在留国民担当相を集めて、移民の存在が社会にもたらす貢献について話し合う国際閣僚会議を開く予定だ。

 (欧州などの)伝統的な移民国家でも反移民的な見方が出ているのは事実だ。自分たちのアイデンティティー(社会への帰属意識)が脅かされるという懸念と関係がある。移民がもたらす恩恵について国民の理解を深める取り組みと、非正規移民の流入を防ぐ努力が必要だ。日本が直面する課題は大きいだろう。報道機関も人身売買などの悪い側面だけでなく、移民の肯定的な側面も伝えてほしい。

 移民自身も日本社会に適応する努力をしなければならない。言葉を学び、文化や伝統を尊重し、社会に参加する。受け入れ社会も移民を受容する必要がある。移民と受け入れ社会による双方向の取り組みが重要だ。

 --今後、日本政府とどのような協力が可能ですか。

 ◆ 移民・移住についてIOMは60年間の経験を蓄積している。この経験を共有し、日本とオーストラリア、スウェーデン、カナダなどとの比較分析を提供することができる。また、ミャンマー難民の第三国定住にあたりタイで実施しているような言語・文化教育などの分野でも協力ができると考えている。

ことば ◇国際移住機関(IOM)
 移住を巡る問題で移民や送り出し国・受け入れ国などを支援する専門の国際機関。欧州から中南米への移住を支援した欧州移住政府間委員会(ICEM)が前身。スイス・ジュネーブに本部があり、146カ国が加盟。93年に加盟した日本は主要な資金拠出国。

人物略歴 ◇William Lacy Swing
 米ノースカロライナ州レキシントン生まれ。米国の南アフリカ、ナイジェリア大使などを歴任後、03~08年、国連事務総長特別代表としてコンゴ民主共和国(旧ザイール)で国連平和維持活動(PKO)を指揮した。08年10月から現職。
    --「急接近:ウィリアム・スウィングさん 震災で見えた日本の外国人政策の課題とは?」、『毎日新聞』2012年3月17日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120317ddm004070133000c.html

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「吉野君がわれわれの間に投じた光明の理想に照らされて、われわれも亦、その途を実に遠く踏みつづけることにいたしたい」

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 吉野作造君が永眠されました。ここに、履歴を追憶するの役目をいひつかつたのではありまするが、しかし、学者としての吉野君、評論家としての吉野君については、世上の知るところがあまりに鮮やかなのであります。また、社会運動の指導者としての吉野君についても、いま新たに語を費やさねばんらぬものはないのであります。ここに、吉野君の恩師、先輩、同僚、友人、後進乃至教へ子たちと、かやうにお集まりをねがふうことのできました方方は、いづれも、皆、吉野君をよく知り、よく理解し、心からその人格に対して敬愛の念を持ち、その永眠に向つて無限の痛惜を抱くにつき、すべて志を一にせられるのであります。
 吉野君は、大学を卒業せられてから、永く支那に滞留せられました。支那に対するその深き理解と同情とに因つてわが国策を論ぜられたのでありました。この後、職を東京帝国大学に奉ぜられヨーロッパに留学せられること数年、その蘊蓄は、世界大戦を中心とする国際政局の帰趨を論ずるに独特の見地あらしめたゆゑんのものでありました。爾来二十有幾年、その諤諤の論議は、わが国の思潮についてその発展を考へる者、何人もこれを除外しては事を論じずるを得ないわけであります。殊に、維新以降明治を通じての文化につき格別の研究をかさね、政治史家としてわが近代史に対し持つてゐられた見識に至つては、全く他の追随を許さないものがあつたといはねばなりますまい。
 吉野君は、まことに、終始一貫、憂国の志士であられました。しかし、その信仰深き性格は事を嘆いてしかもみづから傷るが如きことなく、策を論ずるやつねに巧妙を求めねば止まなかつた。吉野君の所論に対しては、世上に幾分の誤解なきを得ないものがありましたが、吉野君には、いかなる場合においても、これに向つて、肩をそびやかし眉を揚げるといふやうなことはなかつた。慈顔よく人の言ふところを聴き、温容事を論じて中正の矩を踰ゆるなき、常にさうでありました。その著のなかに、會てみづから懐を述べていはれたことがあります。「自分は、平素、現在あるがままの自分の生活を充実したいと心掛けて居る」と。この謙虚にして自信のある生活を知ることができませう。また曰く、「結局において、自分は、人類社会の前途に常に光明を望み、また、常に歓喜の情に溢るるものである」と。その情熱と信仰とを想見することを得ませう。みづから奉ずることのしかく甚だ薄く、人のために計つてしかく盡さざるところなく、力を社会事業に注ぎ、援助を芸術に惜しまなかつた吉野君は、また、次のやうな告白をしてゐられます。「自分は、この世において為すべき当面の務を怠らず果たさんとしつつある。而して、多少の哲学的強要を受けることを得たことは、洽く対局の形成を展望し得るの地位においてくれた。ただ、それだけでは、茫として人生の正しき進路を識別することができなかつたであらうのに、宗教的信念は天の一方に理想の光を憧憬して、自分を正しき方向に向はざるを得ざらしめた。正しいのか、正しくないのか。人のこれを争ふ者あらばこれを争ふに任せる。兎に角、自分は、固より、この器量甚だ小なる者ではあるが、小さいながらに恵まれた生活を営みつつあることを、密かに悦ぶものである」と。かくの如き吉野君にして、しかしか恵まれざるものがあつたといはねばなりませぬのは、その畢生の事業であつた明治文化史論が、不幸にも、完成を見るに至らなかつたことであります。しかし、吉野君が起訴を据ゑつけられた明治文化の研究は、吉野君に依つて養成され、奨励され、抉掖された人たちの手に依つてその大成を見るに至ることでありませう。
 「さらば、吉野君よ、安らかに眠りたまへ。吉野君がわれわれの間に投じた光明の理想に照らされて、われわれも亦、その途を実に遠く踏みつづけることにいたしたい」--
    牧野英一
    --牧野英一「序」、川原次吉郎編『古川餘影』川原次吉郎、昭和八年、1-8頁。

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1933年の今日3月18日は、吉野作造博士(1878-1933のご命日。

自分自身が研究し私淑している先達の話題で恐縮ですが、ご紹介しておきます。

何度も繰り返し言及している通りなのですが、民本主義で大正デモクラシーをリードしたことで有名ですが、吉野博士は「民本主義」の「ため」に議論したわけではありません。

一人一人の民衆が幸福になるためには何が必要なのか……それが吉野の最終目的です。

ですから「民本主義」というシステムもそれを実現するためのひとつの素案に過ぎませんし、社会や国家の挑戦のなかで、その概念もさまざまに展開していきます。

そして最終的には「強制のない状態」が「理想」ではないか……と「無政府主義者」まで自認しております。これは吉野博士の信仰観と綿密に連動しているのですが、要するに、神と人との間には一切の介在物はないということからです。

さて先に、「吉野博士は『民本主義』の『ため』に議論したわけではありません」と言及しましたが、これはその思想的格闘だけに限定される話題ではありません。

吉野博士は、まさにデモクラットとして絶えず位置づけられる訳ですから、当時の右から左まで、勢揃いで敵対されてしまいます。右から順に見ていけば、天皇親政論者から国士様まで、社会派から無産主義者まで、絶えず論争をふっかけられております。

勿論、吉野博士は、そのひとつひとつと丁寧に向かいあっていくのですが、それだけでなく、そしてこれは見落としがちな点なのですが、議論する敵対者に対する対応において、それが敵であればあるほど、その思想だけでなく、その人間そのものまで「否定」するというパターンがよく見かけれますが、決してそうした振る舞いはしなかったということ。

確かに考え方として「おかしい」ということはあると思いますし、それをながい時間をかけたすり合わせによって検討していくことは必要ですが、「おかしい」人間は「人間としても最低野郎だ」などとは考えず、人間関係に関しては、相手が一回きりの方であろうが、古い友人であろうが、丁寧に向き合っていったということです。

ここは心にとどめおきたいところです。

冒頭に紹介した一文は盟友・牧野英一(1878-1970)が吉野博士の葬儀のさい、履歴の紹介と弔辞をつとめましたがその文章です。

「吉野君がわれわれの間に投じた光明の理想に照らされて、われわれも亦、その途を実に遠く踏みつづけることにいたしたい」。

昨今、圧倒的な勢いで暗雲が拡大しているような状況ですが、吉野作造を研究する人間としては、私自身もこの牧野英一がいう通り「その途を実に遠く踏みつづけることにいたしたい」。


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覚え書:「再生への提言:東日本大震災 福島の「草の根」に希望=「東北学」を提唱する福島県立博物館長・赤坂憲雄氏」、『毎日新聞』2012年3月17日(土)付。

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再生への提言:東日本大震災 福島の「草の根」に希望=「東北学」を提唱する福島県立博物館長・赤坂憲雄氏

 ◇赤坂憲雄(あかさか・のりお)氏
 復興の動きはあきれるほど遅い。国や県には将来へのビジョンが乏しいからだ。被災地はそんな国や県を見切り始めている。もはや受け身では何も動かないと、人々は痛みとともに気づいてしまった。

 被災市町村の首長たちは、それぞれに厳しい状況のなかで孤立を恐れず覚悟を決めて発言している。多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、草の根のレベルから声を上げている。そうした「下」からの動きこそ支援してほしい。

 福島はかつて自由民権運動の土地だった。その記憶は今も生きている。シンポジウムの場などで、誰からともなく「自由民権運動みたい」という声が聞こえてくる。現実が厳しいからこそ人々は現代の自由民権運動を求めている。

 他方、中央の東北への視線は相変わらずだ。原発事故の当事者である東京電力の姿が福島ではほとんど見えない。十分に責任を果たしてきたとも思えない。それなのに東電批判の声はとても小さい。

 10万人の「原発難民」を生んだ福島に、原発との共存はありえない。福島県には、30年間で約3000億円の交付金が下りたと聞く。小さな村の除染費用にすら足りない。「契約」は破綻した。原発は地震であれ津波であれ、絶対に事故を起こしてはならなかったのだ。福島からの脱原発はイデオロギーではない。

 放射能による汚染は、福島県を越えて東日本全域に少なからず広がっている。汚染とともに生きる選択肢しか残されていない。可能な限り子供たちの健康を守るシステムを構築しながら、しなやかに、したたかに「腐海」(「風の谷のナウシカ」)と共に生きる知恵を学ばねばならない。

 どんなに困難でも、自然エネルギーへの転換しかない。風力・太陽光・地熱・バイオマスなどを組み合わせ東北全域を自然エネルギーの特区にするような、大胆で将来を見据えた提案がほしい。日本にはその技術も経済力もあり、再生へのチャンスもある。【聞き手・鈴木英生】

人物略歴 復興構想会議委員を務めた。58歳。
    --「再生への提言:東日本大震災 福島の「草の根」に希望=「東北学」を提唱する福島県立博物館長・赤坂憲雄氏」、『毎日新聞』2012年3月17日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120317ddm003040166000c.html

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人間たちを相互に置き換えることは本源的な不敬であって、ほかならない搾取が可能となるのもこの置き換えによってである

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 政治的生にあって、人類がその作品から理解されることは間違いない。交換可能な人間たちの、相互的な関係による人間性というわけである。人間たちを相互に置き換えることは本源的な不敬であって、ほかならない搾取が可能となるのもこの置き換えによってである。歴史--それは国家の歴史である--において人間存在は、そのさまざまな作品の総体としてあらわれる。人間は生きながらにして、相続さるべきじぶんの遺産なのである。正義とは表出をあらためて可能にすることにあり、表出にあっては、相互性を欠いたかたちで人格が唯一的なものとして現前する。正義とは言葉を語ることの権利である。宗教のパースペクティヴが開かれるのは、おそらくここにおいてである。宗教は政治的生から遠ざかる。哲学もまた政治的な生へと必然的につうじるものではないのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限』岩波文庫、2006年、252-253頁。

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うーん、連日、橋下徹大阪市長さん関係の話題で恐縮ですが、やっぱり大事だから、少しだけ言及しておきます。

要するに「公務員」ならば「職務命令」に違反するな!違反するなら極刑で対処する……というのが氏の所論。

しかし、日本国憲法で規定されている通り、「人間の内心の自由」はどこまでも尊重されなければならない。

市長さん論理の建前としては、「内心の自由は自由で結構だけど、俺のいう命令は職務命令だからいやでもやるというのが賃金労働者の責任だ!」っていう寸法です。

ほー。

たしかに論理としては成立していなくもありません。

いつもの通り、「民間では考えられませんから」っておっしゃる橋下市長の議論です。

しかし、冷静になって考えてみると「社歌を歌え」「社旗に敬礼」……っていう優良企業というのは聞いたことがありませんし、あるとすれば、今、はやりのブラック企業になってしまいますよね。

ブラック企業せよ、橋下さんの手法にせよ、根本的にはコントロール願望がその根柢にあります。

コントロール願望とは何か。

結局のところ「人間たちを相互に置き換える」ことを可能とみる発想です。

現実に、唯一性をもった、名前をもち、還元不可能な存在“性”をもったひとりひとりを代補することは不可能です。

もちろん、業務的には可能でしょうが……それによってまさに現在世界は成立しているわけですが……、それでも業務では払拭できない「何か」はありますし、そこに立ち入ってはいけないというのが「相互承認」を前提とする社会のはず。

だとすれば、そこまで容易に踏み込んでしまうことには警戒的になったほうがいいと思う。

逆説的にいえば、その意味では、橋下市長さんは、「政治的生」を忠実に生きているんだろうなーー(棒読み

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覚え書:「大正100年:歴史に探る日本の針路 改元100年 大正の「社会と文化」を語る/下」、『毎日新聞』2012年3月15日(水)付。

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大正100年:歴史に探る日本の針路 改元100年 大正の「社会と文化」を語る/下

 ◇関東大震災で秩序が動揺--成田龍一さん
 ◇非科学的な「科学信仰」へ--長山靖生さん

関東大震災で東京・浅草の名所「十二階(凌雲閣)」は中ほどで折れ、下部のみの無残な姿となった=1923年9月撮影
 昨年の本紙連載シリーズ「大正100年--歴史に探る日本の針路」を踏まえ、大正期の社会と文化の変容を考える長山靖生さん(評論家)と成田龍一さん(日本女子大教授)の対談の後半。議論は関東大震災の意味、今の日本への教訓などをめぐり、多面的に掘り下げられた。【構成・大井浩一、栗原俊雄】

 --大正の終わり近くの関東大震災(1923年)は、どんな変化をもたらしたでしょうか。

 長山靖生さん 僕は福島県に近い茨城県日立市に住んでいますので、昨年の東日本大震災を身近に体験しました。それで関東大震災のことも幾らかリアルに想像できたのですが、大地震という一種の滅びを経験した社会では隣近所の助け合いが強まり、自警団が活躍しました。ところが、一方で朝鮮人の虐殺のように仲間以外の他者をヒステリックに排除してしまった。植民地の人々に対する、日本人の隠れた罪悪感の裏返しだったのでしょう。


対談する長山靖生さん(左)と成田龍一さん=東京都千代田区で、津村豊和撮影
 成田龍一さん 災害が起きると、普段は見えない社会の断面が現れます。大正期を通じて進行したのは、地域の有力な商店主や工場経営者、古くからの住人といった「名望家」の下で安定していた従来の地域秩序が壊れていくことでした。その動揺が関東大震災で一挙に表面化し、だから自警団によって地域を守るという動きになります。震災後は名望家の中身が在郷軍人会の長や、今の民生委員に当たる方面委員の長、青年団の長などに変わります。国家から任命された人が中心になるような再編成が進み、昭和の戦争期の町内会(隣組)の核になっていきます。

 また、明治の統治は上からの一方的なやり方でしたが、大正期には「主張する民衆」が出てきて、彼らを包摂しながら支配するようになります。普通選挙法を制定すると同時に治安維持法を作り、従わない人は排除する。包摂と排除という新しい統治の仕方が震災後に一気に進んでいく。これは、参加する民衆が自発的に動員されていく昭和の体制につながります。

 長山 成田さんのおっしゃる「デモクラシーゆえのファシズム」ですね。民衆が平等を求め、政府がそれを実現しようとするほど政府主導になり、全体主義的な体制が作られていく。その胎動が大正期にあると。

 成田 はい。「デモクラシーが抑圧されてファシズムの時代に入った」のではなく、デモクラシーが戦争体制の条件を作り出していったということです。そのベースが大正期の「主張する民衆」でした。それは「帝国のデモクラシー」だったからで、同時に排外主義を内包しています。

 長山 モダニズム文学や探偵小説の作家たちは上海を舞台にしたり、海外に出ていきます。作中の主人公たちはコスモポリタンとしての自覚を口にしますが、実際には日本の侵略行為に加担するようなことをしてしまっている。そういう二重性もあります。

 --学術面で特徴的な動きは何でしょうか。

 長山 科学の知識をめぐる変化がありました。開国以来、科学は進んだ西欧から学ぶものでしたが、明治末になると日本人も最先端の研究をするようになります。一方で、25年にラジオ放送が始まり電波の時代になったことが象徴的ですが、科学知識が増えると逆に「見えない」部分も出てきます。すると非科学的な「科学信仰」になる。その分節点が大正期ではないでしょうか。マルクス主義にしてもイデオロギーとして信奉されてしまいます。

 成田 22年のアインシュタインの来日が大きく報道され、相対性理論も話題になりますね。大衆社会状況が問題となって心理学や精神分析が注目され、群集心理をとらえる社会学も紹介されます。柳田国男の民俗学も、日本社会は本来どういうもので、何が失われたのかという関心から出てきます。

 --大正の問題は現在にどうつながるでしょうか。

 長山 今の格差社会の問題にしても、対策を打つほど政府が肥大化し、国民個人の裁量の範囲が縮小していく。平準化と自由のバランスの取り方が難しいですね。一歩間違えるとファシズム的な共同体の強制につながりかねない。競争にどう歯止めをかけ、平準化にどう自制を加えるかを考えるうえで、大正から学ぶことは大きいと思います。

 成田 今の日本も世代交代を迎え、旧来のシステムではうまくいかず、ある「出口」を迎えていると思います。大正期の「出口」がつまずきを持ったとすれば、どうすればよいのでしょう。二つの条件を考えます。一つはエネルギーの問題です。水力発電が躍進した大正期は、エネルギーなしに考えられない社会編成を作り上げてしまった。原子力発電など今も抜き差しならない問題です。いまひとつは、人々が物を言い、動いたのが大正期であったこと。民衆の主張と行動によってしか社会は変わらない。その変わり方によって問題は生じましたが、社会を規定するのが民衆だということは大正期の大きな教訓です。

 ※シリーズ「大正100年」をめぐる対談は、「政治と思想」をテーマに7月にも掲載する予定です。
    --「大正100年:歴史に探る日本の針路 改元100年 大正の「社会と文化」を語る/下」、『毎日新聞』2012年3月15日(水)付。

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http://mainichi.jp/enta/art/news/20120315ddm014040050000c.html


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機械は人間を生かすために機能するのではない。機械に奉仕させるためにやむなく人間を養うにすぎない

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 科学者が科学の力をたのむのは、思考のさらなる明晰さに達するためではなく、既成の科学に附加されうる成果を発見したいと希っているからだ。機械は人間を生かすために機能するのではない。機械に奉仕させるためにやむなく人間を養うにすぎない。金銭が生産物の交換に適した手順を供給するではなく、商品の流通こそが金銭を循環させる手段なのだ。最後に、組織とは共同行動を促す手段ではなく、いかなる集団であるにせよ、集団の行動は組織強化の手段でしかない。同種の転倒の例は、認識の領域における語・代数学の公式、経済の領域における貨幣・信用貸(クレジット)の象徴といった種々の記号が、現代の機能をはたす一方で、現実の事物のほうは影にすぎなくなる点にみられる。まさしく、学者とその影が役割を交換する、あのアンデルセンの物語のように。なぜなら、記号は社会的な関係性にかかわる問題だが、現実の知覚は個人にかかわる事象だからだ。
 集団を利するためにおこなわれる個人の権利の剥奪は全面的ではなく、そもそも全面的たりえない。
    --ヴェイユ(冨原眞弓訳)『自由と社会的抑圧』岩波文庫、2005年、124頁。

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自分を含めて、皆、なんらかの「正義」……それが果たしてそれに値するのかという議論はひとまず横に置きますが……に準拠して行動しようと心がけている。

けれども、実際のその行動においては、なんらかの「正義」というよりも、「正義」という言葉に照らし合わせて勘案してみた場合、実際のところ、「現実の事物のほうは影にすぎなくなる」ような転倒が起こっているのか知れない。

「機械は人間を生かすために機能するのではない。機械に奉仕させるためにやむなく人間を養うにすぎない」。

「金銭が生産物の交換に適した手順を供給するではなく、商品の流通こそが金銭を循環させる手段なのだ」。

「最後に、組織とは共同行動を促す手段ではなく、いかなる集団であるにせよ、集団の行動は組織強化の手段でしかない」。

このヴェイユ(Simone Weil,1909-1943)の告発は正鵠を得すぎている。


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覚え書:「ザ・特集:「グリーンアクティブ」中沢新一代表に聞く 「緑の意識」で政治刷新」、『毎日新聞』2012年3月15日(木)付。

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ザ・特集:「グリーンアクティブ」中沢新一代表に聞く 「緑の意識」で政治刷新

 ◇「自然との共生」ベースに 東北含むネットワーク志向。
 ◇橋下市長は吉本的しゃべくり。それとは違う言説が必要。
 ◇政策賛同者に「シール」貼り、選挙に影響力持ちたい。
 震災から1年、宗教学者の中沢新一さん(61)らが発起人となり、脱原発などを掲げる運動体「グリーンアクティブ」が活動を始めた。今ある政党とも、従来の市民運動とも違うというこの組織、何を目指しているのか。代表の中沢さんに聞いた。【井田純】
 「設立記者会見の後、自分も入りたいとか、私はこういう活動をしているのでつなげてほしい、という話がいっぱいきているんです。結構、期待が大きかったんだなと感じました」。まず設立後の反響を尋ねると、柔らかい口調の中に手ごたえをにじませながら語り始めた。
 中沢さんの他、作家のいとうせいこうさん、社会学者の宮台真司さん、歌手の加藤登紀子さんら多彩な顔ぶれがそろった2月13日の記者会見。脱原発に加えて、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)反対、格差社会への反対などを打ち出した。「グリーン」という言葉の響きから連想される内容よりも、掲げられた目標は多岐にわたっているようだ。

 組織は、新しい日本の枠組みづくりを考える構想部、ツイッターなどの草の根メディアやデモを通じた表現を展開するメディア部、経済再生の道を模索する経済部、日本独自のエコロジー(環境保護)政党としての活動を行う政治部--この四つの活動体から構成されるという。だが、何やら漠然としていてイメージがつかみづらい。
 グリーンアクティブという名称は、オーストラリアの環境保護運動に端を発し、欧州を中心とする各国に広がった「緑の党」を想起させる。事実、中沢さんらは「緑の党のようなもの」という言い方もしている。
 だが、その根底に横たわる「自然観」には、決定的な違いがあると言う。西洋文明が自然を、対峙し克服する対象と捉えてきたのに対し、日本の伝統の中には共生という思想がある。

 「私たちの民族は自然に深く根を下ろし、そこから人間関係を築き、経済活動を行い、社会をつくってきたわけでしょう。ところが従来の自然保護団体、環境政党を支えてきたのは都市部の市民だけが担う『市民運動』だった。今はネットのおかげもあって、それにとどまらない広がりを持ち始めています」
 そこには、東日本大震災からの復興途上にある東北へのまなざしもある。
 「3・11の後、僕らの意識の中で大きくなってきたのが、第1次産業を中心として自然とのつながりがものすごく深い東北という存在だった。日本人がこれからどう生きていくのかという時代に、東北の問題が浮上してきたのは象徴的なこと。だからこそ僕らの運動は、東北で農業・漁業・林業などに従事してきた人たちも含むネットワークを志向したいんです」
 東京大学入学の時点では理系だった中沢さん。東京電力福島第1原発事故をきっかけに、原子核物理学や原子力工学についての本を読みあさった。そして今、「核分裂の連鎖反応による原子力と、絶え間ない経済成長を必要とするグローバル資本主義システムは、兄弟のように似ている」と喝破する。
 「ある限界を超えると暴走する、という点もそうです。リーマン・ショックのような金融破綻と炉心溶融のような事態。いまだに止めようにも止めようがないでしょう」
 思索の軌跡は、震災後に記した「日本の大転換」(集英社新書)にも詳しい。原発に依存しない社会をつくることと、節度のない自由主義経済への抵抗。この二つは「新たな日本の土台の補強」という点でつながるというのがグリーンアクティブのビジョンのようだ。

 ところで、環境政党といえば、参院議員だった俳優の中村敦夫さんを代表として02年に発足した「みどりの会議」が記憶に新しい。
 「みどりの会議」は、中村さんが落選後に解散。その後継組織ともいえる「みどりの未来」は、地方議会議員を擁して活動を続けているが、会員数はこの1年で約2割増えたという。来年行われる参院選に候補者を立て、国政進出を図る方針を表明している。脱原発運動の全国的な広がりに加え、今の政治に対する不満が、こうした「みどり」系政治勢力の追い風になっていることは間違いない。
 国民の多くが、与野党を含む既存政党に感じているもどかしさ。その閉塞感の背景を中沢さんはこう分析する。「官僚や大企業の要求に対抗する政治の力が落ちちゃったんじゃないか。他方で、いわゆる左翼政党の対応は、まるで歌舞伎のように、ある場面が出てくると決まった所作をしてという伝統芸能みたいになっている」。そして、ふふふと笑いながら「デモだって、一種の芸能ですから」と付け加えた。アクロバティックな論を好む中沢さんらしい言い方だ。

 そんな構造にうんざりした国民が求めているのは、新たな政治の言説だという。「だから、橋下(徹・大阪市長)さんたちのグループが出てくるとすごく清新にみえる」
 橋下市長のようなスタイルを「吉本のようなしゃべくり芸」にたとえ、「それとは違う政治表現の刷新をやりたいということを、いとうせいこう君なんかとよく話しています」。
 そのグリーンアクティブが、具体的な政治力のツールとして考えているのが「グリーンシール」である。脱原発、TPP反対などの政策に賛同する候補者には、与野党、保革の別を問わず、いわばお墨付きとして「グリーンシール」を貼る。「今の制度のもとでは、僕たちみたいにお金もない弱体組織は選挙には参画できない。けれども、こうした形で政治にある種の影響力を持つことはできると思う。要は、僕らの言う『緑の意識』を持っている人には貼っていこう、そうでない人は落としましょうと」
 このアイデアに関連して、すでに複数の政治家サイドからの接触があった、と中沢さんは明かす。「秘書などのレベルで何人か来てるんですよ。このままいくと、自民党も民主党も押し流されていく。みんなの党とか維新の会などの第三の受け皿に対抗するものをどう形成していけばいいかと考えあぐねている政治家はたくさんいて、僕らの運動がどの程度の力量を持ちうるかということを測っているんじゃないですか」
 さまざまな勢力を仲介する「のり」になりたい、というグリーンアクティブ。「緑の意識」が、不透明な未来を変えていくきっかけとなるか。

人物略歴 ◇なかざわ・しんいち 明治大学野生の科学研究所所長。1950年、山梨県生まれ。83年に出版した「チベットのモーツァルト」で脚光を浴びる。「森のバロック」「アースダイバー」など著書多数。
    --「ザ・特集:「グリーンアクティブ」中沢新一代表に聞く 「緑の意識」で政治刷新」、『毎日新聞』2012年3月15日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120315ddm013040032000c.html

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種類を問わずあらゆる言論にたいして制限も留保もなく与えられる全面的かつ無限定な表現の自由は、知性にとっての絶対的な欲求である

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言論の自由
 言論の自由と結社の自由はたいてい一括して言及される。それは誤りである。自然な集まりはべつであるが、結社は魂の欲求ではなく実務生活の便法にすぎない。
 これとは逆に、種類を問わずあらゆる言論にたいして制限も留保もなく与えられる全面的かつ無限定な表現の自由は、知性にとっての絶対的な欲求である。したがってそれは魂の欲求である。知性が居心地の悪い思いをしているとき、魂のすべてが病んでしまう。この欲求に呼応する充足の性質と限界は、魂のさまざまな能力の構造じたいのなかに刻みこまれている。長方形の長編を無際限に延長しても短辺は限定されたままとどまるように、同一の事柄が限定的であると同時に無限定的であることは可能だからである。
 人間において知性は三様に行使されうる。第一に、知性は技術的問題にはたらく。すなわちすでに措定された目標にいたる手段を探索する。第二に、ある方向性を選ぶにあたって意志が熟考するとき、手掛かりとなる光を与える。第三に、他の諸能力とは分断されて純粋に理論的な思弁のなかで単独ではたらき、このさい暫定的にせよ実践的行動への配慮はすべて排除される。
 健全な魂において知性はかわるがわるこの三様の在りで行使され、そのつど自由の度合もことなる。第一の機能における知性は奉仕者である。第二の機能においては破壊者である。それゆえ、完徳の域にない人間の場合がそうであるように、悪の側にくみするのをつねとする魂の部分に、知性が悪を擁護する論拠を供給しはじめるや、これを沈黙させねばならない。しかし知性が単独で分離されてはたらくときは、主権者たる自由を享受すべきである。さもなくば、人間はなにか本質的なものを欠くことになる。
 健全な社会についても同様である。したがって出版の領域においては、絶対的自由が担保されることが望ましい。ただしその場合、出版される著作がいかなる度合にせよ著者を拘束せず、読者にたいするいかなる忠告も含まないことが了解されねばならない。そこでは悪しき主義主張を擁護する論拠であっても、全貌をあますところなく開陳してかまわない。これらの論拠は公表の良いことであり健全なことである。だれにせよ自分のもっとも糾弾する論拠に経緯を示すのはいっこうにかまわない。そのさい、この種の著作のめざすところが人生の諸問題に対する著者の立場の確定ではなく、各問題にかかわる所与(データ)の完全で正確な列挙への予備研究的な貢献であることが周知されねばならない。著作の出版が著者の身にいかなる種類のものにせよ危険を招かぬよう、法で未然に防ぐべきだろう。
 逆に、言論と呼ばれるもの--実態としては振る舞い--に影響をおよぼす意図のある出版物は、行為を構成するのであるから行為とおなじ制限に服するべきである。いいかえるなら、それらの著作はいかなる人間にも不当な損害を与えるべきではないし、なによりも人間に対する永遠の義務が法によって厳粛に認知された以上、それらを明示的にせよ暗示的にせよ否定するような要素を含んではならない。
 行動の埒外にある領域と行動の一部をなす領域、これらふたつの領域の区別を法律用語により紙上で公式化することは不可能である。そうはいってもこの区別は文句なく明解である。この二領域の分離は、その意欲さえ充分に強ければ、事実として確定するのはむずかしくあるまい。
    --シモーヌ・ヴェイユ(冨原眞弓訳)『根をもつこと (上)』岩波文庫、2010年、37-39頁。

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時々、思い出したかのように読み直したくなるのがシモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil,1909-1943)。

もちろん、内容が難解だから、何度も格闘しないと「読む」ことができないので、挑戦の連続というのがその実情ですが、上に引用した「言論の自由」という日本語で10数頁たらずの文章の冒頭には、目を見張るものがあります。

明晰な論理であるにもかかわらず単なる論証知に終わっていない。
権利論に終始するわけでなく、「人間」という深い次元から省察されており、この文章を、今話題の橋下市長さんだとか石原都知事さんに是非読んで欲しいと思い、少々抜き書きした次第です。

ヴェイユは、まず、人間精神の自由にとって不可欠ともいえる言論の自由と結社の自由を取り上げ、この混同を慎重に退けながら、「魂の欲求」というまなざしからその筋道をたてなおします。
※だからといって結社の自由は下らないものであるということではありませんよ、念のため。組織化される集団は、どのようなものであれ、必然的に人間を抑圧してしまうことへの懸念ではありますが。

そして言論の自由を次のように定義します。

「あらゆる言論にたいして制限も留保もなく与えられる全面的かつ無限定な表現の自由は、知性にとっての絶対的な欲求である。したがってそれは魂の欲求である」。

そう、言論の自由とは知性に端を欲するということ。その知性とはどこに由来するのかと言えば、「魂」に源がある。

言論の自由が抑圧されるということは、魂そのものが抑圧されるということを理解しておくことが必要だろう。

「同一の事柄が限定的であると同時に無限定的であることは可能だからである」。

では、その言論の自由はどのように構想されるべきか。後半部分にその青写真が具体的!に開陳されています。。

知性の遂行と機能を手がかりにして、その発露においては、そもそも「絶対的自由が担保されることが望ましい」。

しかし、それを実現させる上でのアポリアをどのようにさけていくべきか。
こちらも具体的に展開されています。

言明はデータであるべきとすれば、伝聞の憶測であってはならないし、「為にする批判」であってもならない。

そして、振る舞いに影響を及ぼす場合は、「制限に服するべき」と釘を刺すけれども、同時にその制限は、現実的には、「法律用語により紙上で公式化することは不可能」ともいう。

絶対的「自由」の地平と人間としての「矜持」をどのように並立させるのか……これはヴォルテールの言う「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という理想へ向けたひとつのビジョンですね。


いやー、繰り返しになりますが、橋下市長さんだとか、石原都知事さんに読んでもらいたい。


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覚え書:「再生への提言:東日本大震災 自発的変革の気概を=ジュネーブ大教授・日本学科長、ピエール・スイリ氏」、『毎日新聞』2012年3月14日(水)付。

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再生への提言:東日本大震災 自発的変革の気概を=ジュネーブ大教授・日本学科長、ピエール・スイリ氏

 昨年、私は本紙で「日本では天災が世直しの契機でもあった」と指摘した。あれから1年。私は失望している。日本の内側から、大きな復興を契機に、長期停滞の20年を再構築する気概も生まれてくると期待したが、無反応なままであるのに驚いている。
 歴史家の目から見て、今の日本の停滞の原因は、積極的に独自の未来モデルを創造してこなかったことにある。経済・外交政策の失敗、懸念されていた問題に抜本的な対策をとらず先送りしてきた。
 戦後復興の後に、独自の対策を生み出す機会も十分あったに違いない。その後、新自由主義経済をモデルに取り入れたが、現在それが失敗であったことが分かっているのに、曖昧なままだ。外交は、いまだに領土・歴史問題でもめている。第二次大戦の戦後処理からいつまでも解放されない。対米関係も、沖縄問題が象徴するように従属的な立場しか見えてこない。
 福沢諭吉は「文明論之概略」の中で、あらゆる人間関係が「力」の大小で序列化された「権力の偏重」を、日本文明を貫く病理と指摘したが、それは今なお根強いようだ。あまりにも権力に従順すぎる傾向を感じさせる。
 中世の日本では、領主、農民、僧侶、町衆などあらゆる階層で、共通の困難な課題に立ち向かう自立的集団「一揆」が結成され、社会を根本的に動かすダイナミズムがあった。日本には時代の課題に鋭く反応してきた伝統があり、江戸、幕末、明治、大正、戦後まで、自発的な変革のエネルギーが躍動していた。
 それが1980年代ごろから消滅し始めた。各階層の指導者たるべきエリートたちが、社会変革の責任を果たしてこなかったのが原因だ。国家と民衆への裏切りと言ってもおおげさではないだろう。
 表にまだ表れていないが、エネルギーは生まれようとしているのかもしれない。社会を変革させてきたダイナミズムの歴史の片りんを、近い将来に見ることができるだろうか。【聞き手・伊藤智永】

人物略歴 元日仏会館フランス学長(99~03年)。59歳。
    --「再生への提言:東日本大震災 自発的変革の気概を=ジュネーブ大教授・日本学科長、ピエール・スイリ氏」、『毎日新聞』2012年3月14日(水)付。

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http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120314ddm003040128000c.html

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「宗教アレルギーから脱していくためのまじめな学習」の必要性

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 もしかしたら、日本人には、宗教が非近代的だ、という観念があるのかもしれない。だからそれを知ることは、自分が古くさい考え方に左右されることになるまいかという恐れがあるのかもしれない。たしかにヨーロッパの民衆は、キリスト教会のなかでも布教に熱心だったカトリックの権力から離れて(信仰からは離れていないが)、近代技術を手に入れた。そしてその力を移入して近代化した日本人は、宗教の価値を世界で一番否定する理由を、そんな歴史からもつのかもしれない。つまり生半可な知識で日本人は、ヨーロッパが政治権力を教会から引き離したことを見て、信仰を生活の全般から引き離すことが近代的であるのだと、勘違いしているのかもしれない(たしかにヨーロッパでも、現代では信仰から離れてしまった人が多いのだが)。しかし、技術の力で経済力をつけた日本は、今や精神の空洞化に悩んでいる。カルト的な宗教はますます日本人の宗教不信を増している。このままでは出口の見えない状態となってしまうだろう。
 つまりこのあたりで日本人は、宗教アレルギーから脱していくためのまじめな学習を必要としているのではないか。
    --八木雄二『中世哲学への招待』平凡社新書、2000年、12-13頁。

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相変わらず、ワイドショーとゴシップ雑誌は、芸能人と占い師の追跡ばかりしている。

両者の関係は憶測に基づくコメントばかり。

家賃の未払いは当事者同士の問題だから、詳細に報道される必然性はないし、「知る権利」を楯に“覗き見”することは権利の濫用も甚だしいところだろう。

こうした一連の報道をみていると虫唾が走るのは僕一人ではないと思う。

しかし、それよりも問題なのは、日本人自体の宗教に対する「向き合い方」そして、負の傾向を助長してしまうメディアのスタンツなんだろうと思う。

メディアは、「占い師」のマインド・コントロールや洗脳の「深刻さ!」を訳知り顔の専門家に語らせる一方で、朝と夕方の情報番組で、(朝の場合は)「その日」、そして(夕方の場合は)「翌日」の占い結果を紹介している。

この光景が象徴的だ。

宗教に関心がないことと無知であることはイコールではないはず。
関心がない、無宗教であることは、その人の「ことがら」だからそれでいいと思う。
しかし、宗教に対する基礎的な知識を欠いたまま「関心である」とか「無宗教である」ことを自認することは筋がちがうと思う。

よくわからないけれども、テキトーに「マインドコントロールだ」「洗脳だ」というレッテル張りで、対象に対する深い省察もなく、片づけてしまう「根性」、そしてそう動員してしまうメディアこそ問題だろう。

「無知」を「無関心」と錯覚させ、宗教を全て「キワモノ」扱いとしてそれ以上考察しないこと……まずは、この現状こそ洗脳でありマインドコントロールであることを理解するところからはじめた方がよいのではないか?


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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『ツナミの小形而上学』=ジャン=ピエール・デュピュイ著」、『毎日新聞』2012年3月11日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『ツナミの小形而上学』=ジャン=ピエール・デュピュイ著


 (岩波書店・1995円)

 ◇「思い描けない」という原理的な困難
 一年前に起こった大きな破壊についてたくさんの本が書かれた。恐怖の体験の報告があり、社会的なシステムの欠陥を分析する本があり、原発を巡る論争があった。

 『ツナミの小形而上(けいじじょう)学』は哲学である。自然科学と並んで存在の意味をもっぱら思弁で探るのが形而上学だが、この本はそのような西洋思想史の伝統の延長上にある。

 ここに言うツナミは直接には二〇〇四年のスマトラ沖地震のものであり、背後にはヨーロッパの知識人に衝撃を与えた一七五五年のリスボン地震と津波がある。その上に二〇一一年の日本の津波が重なることを著者は「日本語版への序文」で述べる。

 哲学の価値は普遍性にある。重力の法則が宇宙ぜんたいに通用するように、哲学の真理は人間ぜんたいに応用されるべきものだ。だからここではツナミの問題が、アウシュビッツや、ヒロシマ・ナガサキ、9・11、更に温暖化などと重ねて論じられる。

 キリスト教には、神は全能なのになぜこの世界には悪があるか、という大きな問いがある(災害は犯罪と並んで悪と見なされる)。一七五五年のリスボンの津波はそういう意味でショックだった。それを受けて本書はライプニッツ、ルソー、ヴォルテールの思想を辿(たど)りなおす。

 しかし今の状況は彼らでは賄えない。「私たちが道徳とか倫理とか呼ぶものはどれも、終わったばかりの前世紀に姿を現した、巨大な悪の重みに十分耐えることができない」とデュピュイは言う。(我々が科学技術という自分たちに由来する悪を持ってしまったから、とぼくは考える。)

 未来に不安がある。破滅が予想される。核の危機や温暖化や資源不足や国際紛争は見えているのに、なぜ回避できないのか? 我々について言えば、原発は危険に決まっていて、放射性廃棄物は蓄積される一方なのになぜ核燃料サイクルは止められないのか? たびたび津波に襲われてきたのになぜ人は海岸に住むのか?

 これについてデュピュイは「たとえ知識があろうとも、それだけでは誰にも行動を促すことはできない」と言う。なぜなら「私たちは自分の知識が導く当然の帰結を、自分で思い描けないから」。

 この論法の延長上にアウシュビッツの有能な官吏だったアイヒマンが登場する。彼は自分は組織の歯車の一つに過ぎなかったと弁明した。裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、彼の真の罪は「考えの不足」にあると言った。彼もまた「思い描け」なかったのだ。

 この先はぼくの応用問題である。福島第一原子力発電所を設計し建造し運転していた人たちの立場をアイヒマンに重ねることは不穏当だろうか? とんでもない災厄を引き起こしながらそこに一片の悪意もなかったという点で彼らは似ている。

 悪意はない。憎しみはない。敵の姿を見ないままに殺せる巡航ミサイルを発射する「ニンテンドー戦争」の兵士たちに果たして戦意があると言えるか? あるいは核ミサイルの?

 テロリストの方がまだ人間的と言ってみようか。しかし今のテロリストは無差別である。9・11の実行者は浅沼稲次郎を殺した山口二矢(おとや)とは違うのだ。彼らが高層ビルから落ちて行く偶然の「被災者」の無念を「思い描いて」いたとは思えない。(ここで彼らを「犠牲者」と呼ばないのは、「犠牲=捧(ささ)げられたもの=聖性=神」という回路さえ彼らが奪われていたからだ。これについては本書の中のホロコーストとショアーを巡る議論が興味深い)

 思い描けないものを思い描かせる寓話をデュピュイが紹介している。一時はハンナ・アーレントの夫だった哲学者ギュンター・アンダースの創作--世界は滅びるという予言が聞き入れられないことに落胆したノアは、ある日、身内を亡くした喪の姿で街に出る。誰が死んだのかと問う群衆に彼は「あなたたちだ」と言う。その破局はいつ起こったのかという問いには「明日だ」と答える。

 未来を現在に取り込むことによって、その未来が現実化しない方向へ世界を向ける。ノアのところへ一人の大工が来て、方舟(はこぶね)を造るのを手伝う、と言う。

 だが、もう「明日」を迎えてしまった我々はどうすればいいのか? 更なる「明日」に備えることはできるのか? 「明後日」はどうなる? 西欧の形而上学と我々の無常観の違いが明らかになる事例がある。

 一九五八年、ギュンター・アンダースは広島と長崎を訪れた。「その惨劇について、彼らは皆、まるで地震、あるいはツナミ、あるいは隕石(いんせき)の落下であったかのように語っている」と彼は言った。

 我々日本人はあまりに天災に慣れている。リスボンの津波は唐突だったが台風は毎年のように来る。だから我々はジョン・ダワーが言うように「敗北」をさえ「抱きしめ」たのではなかったか。

 論旨は未整理で、哲学史への言及も多く、決して読みやすい本ではない。翻訳もいささか生硬。強引に読んだこの書評にはぼくの私見が混じっている。それでもこれは苦労して読むに値する本である。(嶋崎正樹訳)
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『ツナミの小形而上学』=ジャン=ピエール・デュピュイ著」、『毎日新聞』2012年3月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120311ddm015070060000c.html

おまけ。

ジャン=ピエール・デュピュイ「悪意なき殺人者と憎悪なき被害者の住む楽園――ヒロシマ、チェルノブイリ、フクシマ――」。2011年6月30日、東京大学駒場キャンパスにおける講演記録。


pdf→ http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/Dupuy_japanese_2011.pdf


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「東洋か、西洋か」「どっちが偉いのか」などという発想しかできないようでは「近代の超克」を繰り返す

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※twitter連投のまとめですが一応のこしておきます。

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし」。

確かに高校古文は「ゆく河のながれは……」は日本人の「無常観」の代表的表象と定義する。しかし、無常観の原点ともいうべき原始仏教の「諸行無常」に立ち返ると、「もののあはれ」のような表層的・美意識的な理解とは異なる力強さが浮かび上がってくる。

「物事はすべて移ろい行くものであり、不変な存在などない」と釈尊は喝破した。
「諸行」を「無常」と覚知することは、感傷的・耽美的・厭世的シニシズムとは全く異なる、いわば、時間軸で対象を完全に相対化してしまう認識の出発点であろう。

その意味で冷徹に災害の様子を綴る『方丈記』は、リアリズム文学のひとつといえるかもしれない。

さて……。
仏教の流布が「壮大な伝言ゲーム」だし、俗に「三国仏教」と言われるように地域的な展開や受容(土着化)が現象としてあることは、不可避の現象であることと承知している。

そして、原点が偉く、展開が歪曲だ……などと言及するつもりもありません。

ただ、「美しい書き出しは中世の特徴である無常観……」という定型句で、物事を理解したつもりになってしまう、そこで思考が止まってしまうことには警戒的であるべきではないかということだ。

これは『方丈記』や『無常観』に限らず、幅広く流通している「定型句」で理解したつもりになってしまう落とし穴。だからこそ読んで目から鱗は大事だろう。

震災以来(そして震災以前からもそうですが)、ナショナルな方向へ舵が切られる場合、かならず「日本の卓越性」として「無常観」が、鳴りモノ入りで登場する。

確かに、現実世界が「無常」であることを理解し、「捕らわれず」(=執着しないで)生きていくことは大事だとは思う。

しかし、鳴りモノ入りで喧伝される場合、「命に執着しないでよい」という言説として体制に利用されることがあまりに多いから、「警戒」した方がいいと思う。
※そして背景には東西対比という思惑からの一方的な持ち上げが潜むわけで、それはおるずな噺です(「絆」の連呼も同じですが)

諸行が無常だから「執着しない」。

しかし国家は「命に“執着”しないで、“お国”のために散華しろ」って文脈で「利用」する。この接続されると、違和感が増幅されるということ。

私人として「もののあはれ」を大切にしたり、原始仏教式のストロングな認識論から世界を認知(=絡む訳でもある)するのは大賛成だ。

太平洋戦争を振り返るまでもなく国家は若者たちを「桜の花びらが一斉に散る」ように、お国のために“死ね”という。そしてメディアに都合のいい文化人たちが、(反西洋というルサンチマンから)安易に日本の伝統的な文化や日本の精神的風土を「万歳、万歳、万々歳」などとやり始める……。

「ああ、それはアナタがキリスト教に関する研究者だから東洋的なるものを貶めて、西洋的なるものを大事な舶来品のように礼讃しているンだろ!」と難癖をつけられそうですが、本意はそうではありません、まあ勿論ディシプリンとして準拠するのはシカタガナイ部分もありますが。

ただ「東洋か、西洋か」と紋切り型で迫ってくる二者択一の言論構造を退けながら、改めるべき点は改めたり、学ぶべきことは学ぶことが必要なんだろう。いつまで経っても「東洋か、西洋か」「どっちが偉いのか」などという発想しかできないようでは「近代の超克」を繰り返すだけだと思う。


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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『鴨長明 方丈記』=浅見和彦、校訂・訳」、『毎日新聞』2012年3月11日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『鴨長明 方丈記』=浅見和彦、校訂・訳


 (ちくま学芸文庫・1050円)

 ◇災害を見据えた古典が示唆するもの
 「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」

 高校の古文の時間に、この美しい書き出しは中世の特徴である無常観の表現と教えられたまま時は過ぎた。それがなぜか、東日本大震災後しばらく思考停止となり、積極的な読み書きができない中で、「方丈記」という文字に惹(ひ)かれたのである。読んで予想との違いに驚いた。みごとな「災害ルポルタージュ」であり、今何を考え、何をしたらよいかへの示唆が次々出てくるのだ。たった二〇ページの中に。解説に「災害を正面から取り上げた日本で最初の記録」とある。

 長明が二十三歳からの九年間(一一七七~一一八五年)に大火、辻風、福原遷都、飢饉(ききん)、大地震と天災人災合わせての事件が続いた。今と似ている。安元の大火を見よう。「風にたえず、吹き切られたる焔(ほのほ)、飛ぶが如くして、一、二町を越えつつ移りゆく。その中の人、うつし心あらむや。」火元の樋口富の小路から末広に燃え広がり、京の三分の一を焼いた。公卿(くぎょう)の家十六が焼け、死者は男女合わせて数十人、馬牛は無数に死んだとある。焼跡を歩き現場調査をした記録である。

 辻風も起き不安の中、反平家の動きに対し清盛が福原遷都をする。思いつきで「世の人、安からず、憂へあへる、実(まこと)にことわりにもすぎたり」である。新京の建設は難航し、結局還都となった。巨大な浪費と空しい結果だ。「いにしへの賢き御世(みよ)には、あはれみをもつて、国を治め給ふ」。煙の立つのがとぼしいと租税もゆるしたのに、今の世はなんだと長明は嘆く。天候異常で飢饉も来る。元号を「養和」、「寿永」と改めるがそんなことで救われるはずもない。いたいけな幼子が亡くなった母の乳房を吸っている様が描かれる。長明は、京都下鴨神社の神官の子として生まれたエリートだが、庶民、女性、子どもなど、人々の生活を確かめ、その視点で社会を見ている。

 更に地震だ。「おびたたしく大地震(おほなゐ)振ること侍(はべ)りき。そのさま、世の常ならず。山はくづれて、河をうづみ、海はかたぶきて、陸地(ろくぢ)をひたせり。」「おそれの中におそるべかりけるは、ただ地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか。」震源地は京都の北東、マグニチュード七・四と推定されている。最後に、「人みなあぢきなき事をのべて、いささか、心の濁(にご)りもうすらぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後(のち)は、言葉にかけて言ひいづる人だになし。」とある。風化である。恐(こわ)い。

 長明は都の生活を捨て、里に方丈、つまり一丈四方の庵(いおり)を建てて暮らす。縁者の妨害で下鴨神社の神官になれなかったという個人的問題もあったようだが、都の大きな家で暮らすことの儚(はかな)さを感じたのだ。この庵は組立て式、移動可能で事実最初の大原は寒過ぎたのか、伏見に移っている。庵内は寝床、法華経、普賢と阿弥陀絵像、琴、琵琶があるのみだ。のみと書いたがこれで充分なのだ。外をよく歩き楽しんでいる。

 無常という言葉の受け止め方は難しいが、自然は常ならずは事実だ。長明は、それを受け入れ自律的に生きている。科学技術時代に生きる私たちも、天災・人災の重なった被害から立ち直るには、自然と向き合い、その中にいることを確かめながら、なお自律的に生きるしかない。一人一人が自らを生き、支え合い、地域に根ざし、自然を活(い)かした社会をつくることだ。これができなければ私たちは何も学ばなかったことになる。
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『鴨長明 方丈記』=浅見和彦、校訂・訳」、『毎日新聞』2012年3月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/news/20120311ddm015070014000c.html

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問いただされているのは、民主主義、議会制、独裁体制、宗教政治といった個々の教条ではない。人間の人間性そのものが問いただされている

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 伝播し普及していく観念は、本質的にその出発点から離れていく。観念の創造者が観念にいかに独特な調子を伝えたとしても、観念は共通遺産の一部と化す。そもそも観念は匿名のものなのだ。観念を受け容れる者も、観念を提唱した者と同様、観念の主人である。このようにして、観念の伝播は「主人たち」の共同体を造り出していく。観念の伝播は平等化の過程なのだ。そこでは、改宗させたり説得したりすることも、対等な仲間を造り出すことである。西洋社会に見られる秩序の普遍性はつねに、このような真理の普遍性を反映している。
 それに対して、力は他の型の伝播によって特徴づけられる。力を行使する者が力から離れることはない。力は、それを蒙る者たちの間で失われることがない。力はそれを行使する人格や社会に固着しており、この人格や社会の残余のものを従属させることで、両者を拡張していく。その場合、普遍的秩序は、イデオロギーの拡張の必然的帰結として確立されるのではない。そうではなく、この拡張の運動それ自体が普遍的秩序なのであり、それが主人と奴隷からなる世界の統一をかたちづくるのである。ニーチェのいう権力への意志。現代ドイツはそれを発見し、賛美しているのだが、権力への意志なるものはたんに新たな理想なのではない。それは、戦争と征服という己が普遍化のための形式をも同時にもたらすような理想なのである。
 ここでわれわれは周知の真実にふたたび逢着したことになる。われわれはそれらの真実を一個の根本的な原理に結びつけようと努めてきた。おそらくわれわれは、人種差別はキリスト教的で自由主義的な文化の何らかの特種な側面と敵対しているだけではないという点を示すことには成功したのではなかろうか。問いただされているのは、民主主義、議会制、独裁体制、宗教政治といった個々の教条ではない。人間の人間性そのものが問いただされているのだ。
    --レヴィナス(合田正人訳)「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」、『レヴィナス・コレクション』ちくま学芸文庫、1999年、106-107頁。

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twitterでも言及したのですが、レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)は「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」(1934)の末尾で「問いただされているのは、民主主義、議会制、独裁体制、宗教政治とった個々の教条ではない。人間の人間性そのものが問いただされているのだ」と指摘。

結局のところ、原発の問題も、橋下さんの問題も、例えば、「原発がないと電気がたらない!」とか「火力コンバインドでまかなえる!!」というような各論での先鋭化した対決で済ませてしまうとおそらく不毛な議論を延々と続けてしまうことになってしまうかも知れない。
※もちろん、そうした“詰め”が不毛というわけじゃないけど。

橋下市長さんの問題も同じ。
市交通局の運転手が給料をいくらもっているとか、労働組合の不正がったのかどうかという争点で目くらましされてはいけないと思う。

それよりも、真っ先に目を向けなければいけないのは、何度も言及していますが、原発は被曝労働含め、そして立地の搾取構造含めて、各論の対決よりも、総論として、僕達が「オワタ」ことに関与していたことを深く反省して、脱原発という責任を引き受けていく「人間の人間性の問題」として向き合うことが必要なんじゃないかということ。

そして、橋下さんも同じ。市長閣下は局部集約的に「話題」を作ってくださる。
そしてそれにオーディエンスは振り回されてしまうってことですよ。

しかし大事なことは、彼が人間を「もの」として扱おうということを「経済的発展のためにはしかたがない」だとか「業務命令」に集約してやろうとしている暴挙を、もう一度、「人間の人間性の問題」として向き合っていかないとまずいんじゃないかという話しです。

自分自身がどうだったのかという深い反省から出発して、ものごとと人間性の問題として向き合っていく--この矜持がないと、何を主張しようが空振りにおわると思うんだよね。

高橋哲哉式の道義的責任の高調はわかりますが、それを100%遂行することは現実的には困難な部分もあります。

しかし、だからといって、「関係ねーよ」っていうのも早計な気がします。

そこを「担う」ことがやっぱり大事なんだろうなあと。

おもえば、ヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)と対峙した議論がやはり先鋭化した各論での勝負。
総論としてとっくみあっていかないと、各論での勝利は、勝利にならない。
各論が無駄というわけでは決してありません。

しかし、根本議論をかいた場合、結局、いいようになってしまうのがまずい訳よ。


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覚え書:「みんなの広場 原発再稼働を求める地元住民へ 主婦 75(福島県郡山市)」、『毎日新聞』2012年3月9日(金)付。

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みんなの広場
原発再稼働を求める地元住民へ
主婦 75(福島県郡山市)

 国内で稼働中の原発はわずかです。運転停止中の原発立地住民の中には一日も早く稼働させてほしいとの声が強くあるようです。しかし、冷静な判断が必要です。原発が運転再開されれば地元自治体には原発交付金が入り若者には仕事が与えられます。原発には「絶対安全」はありません。第一、福島原発事故の原因が究明されていないのに、「テスト妥当」など絵空事です。福島原発も政府や東電から「原発は絶対安全で自己は起きない」と事あるごとに聞かされておりました。住み慣れた故郷を追われ、先祖伝来の田畑を捨て慣れない土地での仮設住宅生活。この先、何年続くか全く分からないのです。目先の原発利益に目がくらみ「絶対安全」を信じた立地住民が間違っていたのです。原発の地元住民の皆さん、間違いのない判断をしてください。
    --「みんなの広場 原発再稼働を求める地元住民へ 主婦 75(福島県郡山市)」、『毎日新聞』2012年3月9日(金)付。

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どんなにきびしく暑い日でも かならず夕暮れが慰めてくれる そして愛情をこめ おだやかに そっと 母のような夜がその日を抱きしめてくれる

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それを忘れるな

どんなにきびしく暑い日でも
かならず夕暮れが慰めてくれる
そして愛情をこめ おだやかに そっと
母のような夜がその日を抱きしめてくれる

私の心よ おまえも おまえ自身を慰めるがよい
おまえのあこがれがどんなに激しくおまえを悩まそうと
おまえを母のようにやさしく抱きしめてくれる
夜が近づいているのだ

ひとつのベッドが、ひとつの棺が
安らいを知らぬこの遍歴者のために
見知らぬ人の手で用意されるだろう
その中でおまえはついに休息するのだ

それを忘れるな 私の奔放な心よ
どんなよろこびをも愛するのだ
そしてにがい苦しみをも愛するのだ
おまえが永遠に休息せねばならぬときまで

どんなにきびしく暑い日でも
かならず夕暮れが慰めてくれる
そして愛情をこめ おだやかに そっと
母のような夜がその日を抱きしめてくれる
    (一九〇八年)
    --ヘルマン・ヘッセ(フォルカー・ミヒェルス編、岡田朝雄訳)『地獄は克服できる』草思社、2001年、16-17頁。

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写真は昨年の3月11日の夕方の都下。
夕焼けだったんだなあと思い出す。

今日は饒舌になれません。

ヘッセ(Hermann Hesse,1877-1962)の詩をひとつ紹介しておきます。

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覚え書:「個人識別番号利用法案:不明確な『公益』 監視社会化懸念」、『毎日新聞』2012年3月10日(土)付。

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個人識別番号利用法案:不明確な「公益」 監視社会化懸念

 外国人を含め住民票を有する全員に割り当てた個人番号を使って、行政機関や企業が保有する個人情報を利用するための個人識別番号利用法案(マイナンバー法案)が国会に提出された。15年1月の導入を目指す番号は、将来的には民間利用にも道を開く事実上の国民背番号だ。法案では捜査機関への情報提供も認めるなど監視社会化への懸念も広がる。どのような内容なのか整理した。【臺宏士】

 ●所得把握は不完全?

 個人番号法案は野田政権が進める税と社会保障の一体改革関連法案の一つだ。社会保障と税分野で共通の番号を使うことで一人一人のより正確な所得把握を可能にしようとする狙いだ。

 内閣官房で社会保障改革を担当する向井治紀・内閣審議官によると個人番号は、11桁の住民票コードより多い桁数を予定し、(1)全員への割り当て(2)他の人と重複しない(3)官民での広範囲な流通(4)長期間の利用--が特徴。地方自治体が発行する住民票コードと異なり、国が割り当てを自治体に依頼する。

 現行の住民基本台帳カードは廃止。番号は新たに発行される「個人番号カード」に記載される。カードの発行は本人の申請が原則だが、行政手続きの際に本人確認に使うなど全員の所持を想定している。

 法案では年金、保険、公衆衛生、住宅、学校・教育関係など93件の事務で番号を含む個人情報の利用を可能にした。

 住民基本台帳ネットワークシステムを運営する地方自治情報センターを改組し、総務省と内閣府が共管する地方公共団体情報システム機構が担当。導入に向けて政府は、情報提供ネットワークシステム構築やシステム改修、「個人番号カード」の発行費用などで総計数千億円規模を見込んでおり、住基ネットの約400億円をはるかにしのぐ。

 例えば、税務当局は、ある人の所得について同じ個人番号で管理された支払い調書を効率的に名寄せして課税できたり、生活保護など所得に応じた社会保障の給付が可能になるというのが導入に向けた、うたい文句だ。ただし、政府は「番号が導入されたからといって所得把握が完全にできるわけではない」(向井審議官)と予防線を張る。

 ●捜査機関は例外扱い

 法案は2月14日に閣議決定され、全容が明らかになった。注目されたのは、政府が昨年6月に公表した「社会保障・税番号大綱」で、言及されていなかった捜査機関への情報提供が例外扱いされたことだ。法案の17条は番号など個人情報の提供を禁止した。その一方で、例外として捜査機関や国会、裁判所、税務当局などに加え、「その他政令で定める公益上の必要」(11号)を挙げている。

 今月6日に東京・永田町で行われた市民グループ主催の集会では、清水雅彦・日本体育大准教授(憲法)は「刑事事件の捜査だけでなく、政令事項にしていくことで国会をバイパスし、内閣だけで一方的にできるようになってしまう。公益上の必要というあいまいな表現で、個人情報が使われる余地が拡大する可能性がある」と指摘した。

 個人番号や個人情報が適切に取り扱われているかについて、公正取引委員会のように政府から独立性の高い「個人番号情報保護委員会」が監督することになる。委員長1人と6人の委員(うち3人は非常勤)で構成され、行政機関などに対して、指導・助言や勧告・命令、さらに立ち入り検査権を持っている。

 しかし、11号に該当する場合は適用対象から除外(48条)された。法案は行政機関に対して、個人情報が記載されたファイルを保有する場合に、事前に漏えいの危険性や影響の評価などファイルの取り扱いに関する評価書の作成と委員会による承認を求めているが(14、15条)、国会や裁判所については対象外だ。

 また、自分の個人情報をどの機関が利用したのかを「システム機構」が運営する「マイポータル」(16年1月運用開始予定)で確認できる仕組みを導入する。自己情報へのアクセス権を保障しようという狙いだが、11号は対象外だ。

 ●匿名社会化

 個人情報保護法の全面施行(05年4月)に伴って、「保護」を口実にした情報・不祥事隠しや、地域で要援護者リスト作りが進まないなど必要な個人情報の共有が滞る「過剰反応」が相次ぎ、匿名社会化が大きな問題となった。

 法案では施行後5年の見直しを明記した。政府は▽税▽社会保障▽防災の3分野以外での行政事務や、民間分野での利用を幅広く認めていく方針だ。

 法案は、番号を含む個人情報を正当な理由なく提供した行為について4年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金を科す内容だ(62条)。行政機関個人情報保護法では、2年以下の懲役または100万円以下の罰金。個人情報保護法では民間事業者は監督大臣の命令違反に対し、6月以下の懲役または30万円以下の罰金とされており、現行法より重罰化した。

 内閣官房の担当者によると、「正当な理由」には、個人情報保護法で適用が除外された、報道や学術、政治分野などへの提供行為が含まれるかについて「判断する材料」との解釈にとどまっている。

 消費者委員会は、同法改正も視野に有識者による専門調査会を設置し検討してきたが結局、昨年8月に出した結論は「引き続き検討」と先送りされた。問題を放置したままの番号法の制定は、内部告発の萎縮や、匿名社会化をいっそう進める恐れがある。

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 ◆関連条文

 ◇第17条11号
 次の場合を除き、提供してはならない。国会法、訴訟手続きその他裁判所における手続き、刑事事件の捜査、その他政令で定める公益上の必要があるとき(要旨)

 ◇第48条
 前3条(委員会による助言、勧告・命令、立ち入り検査)の規定は17条11号に該当する場合は適用しない(同)
    --「個人識別番号利用法案:不明確な『公益』 監視社会化懸念」、『毎日新聞』2012年3月10日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2012/03/10/20120310ddm012010128000c.html


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国民が主権者であり、政治の主体者であるという近代民主主義の基本原理を無視した「お上の政治」論がいまだにまかり通っているかのような風土には驚くほかないが……

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 西洋近代に誕生した国民国家モデルは、いくつかの下位モデルを生み出しつつ今日までの国際社会の単位として機能してきた。しかし、そうした「近代的」な国民国家の限界と弊害が今日ほど明らかになってきた時代はない。何よりもまず、世俗的な近代国家を目指した結果、「自由と平等、博愛のフランス共和国」などの近代国家の理念や「自由と平等の国」、「神のもとの国家・アメリカ」という建国の理念に代表されていた、多様な国民を一つの社会として統合する「理念」が希薄となり、その結果、国家機構や権力の存立そのものが目的となり、国民が国家に再び隷属させられかねない危険性が生まれている。一部の政治エリートによるテクノロジカルで操作的な支配、国民を管理・操作する機能が強化される傾向にある。支配の暴力性が現代的なスタイルで顕在化してきたということもできる。その一方で、一般国民の社会全体への責任や他者との連帯、政治的関心などの社会的な行為を生み出す倫理的基盤も解体しており、孤立したバラバラの個人が任意の行動をとる様相を呈しはじめている。
 このような傾向は、個人主義や民主主義の原理を内発的に発展させられなかった日本をはじめとうる後発近代国家社会においては顕著に現れている。日本では宗教法人法が「改正」され、宗教団体の自由と自治、社会的活動をさらに制限しようとする政府と、信教の自由は社会活動を伴う市民的自由の基盤であり、それを制限すべきではないという主張が対立している。宗教は民主主義と相入れないという暴論が政治家から語られ、政教分離原則は宗教を国家権力から引き離すためのの制度であるという一面的な主張が展開されている。国民が主権者であり、政治の主体者であるという近代民主主義の基本原理を無視した「お上の政治」論がいまだにまかり通っているかのような風土には驚くほかないが、当事者たちの利害関係を背景にした論議を超えて考えると、これからの日本社会をどのように形成するかというナショナル・アイデンティティーをめぐる論争でもある。これらの極論は、いずれも欧米のモデルをどのように解釈するかという視点しか見えてこない。日本が東アジアの歴史と文化に属する点を考慮に入れた冷静な論議が、今ほど必要なときはあるまい。アジアおよび国際社会の真正なる一員として、模倣でない国家像、ナショナル・アイデンティティを形成していかねばならないといえよう。
    --中野毅「宗教・民族・ナショナリズム」、中野毅・飯田剛史・山中弘編『宗教とナショナリズム』世界思想社、1997年、21-23頁。

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1995年の阪神大震災、そして続く地下鉄サリン事件によって、宗教を根幹とする思想・信条の自由は、制限されても「やもう得ない」という風潮から、憲法で保障された「結社の自由」と「信教の自由」を尊重した「宗教法人法」が翌年、大きく「改悪」されることになる。

改悪から10数年、監督義務を強化させたにもかかわらず、結果として見れば、監督義務の怠りが理由で、問題は野放しのままだし、それを支えるべき人間のエートスは劣化の一歩をたどるばかり。

その意味では、当時、私は大学生でしたが、当初から思っていたとおり、人間の自由を保障する大切な法律に手を加え、国家権力による「介入」を認めるのではなく、様々な現行法で対応する方が小回りが利くのではないかと思っていたのですが、その通りのような状況。

結局は、少年犯罪の件数とトリックと同じで、針小棒大で、「介入しよう」と目論む権力とそしてそれに荷担するメディア……。
※くどいけど権力バーサスなんとかという単純な見取り図で全て説明できるなどとは思っていませんが、一応、実体としての機能も否定できないので、そう表現しております。

しかし最大の問題は、問題は、人間の自由を「めんどくさくなって」人間自身が手放してしまうこと。

人間は自由であればあるほど、その自由の重荷に耐えることができない、とフロム(Erich Seligmann Fromm,1900-1980)をひくまでもない。

そしてその心情がうまーく利用されていく。

異なるものを排除せよ、それが一国民主主義(キリッ……っていう風に。

上に引用したのは、宗教社会学者中野先生の「宗教・民族・ナショナリズム」のほぼ末尾の部分から。出版が1997年だから、ちょうど宗教法人法改悪の翌年にあたる。

問題点の指摘と展望がコンパクトにまとめられている部分だと思ったので抜き書きした。
「宗教は民主主義と相入れないという暴論が政治家から語られ、政教分離原則は宗教を国家権力から引き離すためのの制度であるという一面的な主張が展開されている」。

「国民が主権者であり、政治の主体者であるという近代民主主義の基本原理を無視した『お上の政治』論がいまだにまかり通っているかのような風土には驚くほかない」

この二つの問題は正面から議論されることなく、そのまま流通しているのが現代だし、より状況は悪化の一途を辿っている。

首長が公務員の内面調査を「アンケート」と称して行おうとすることに誰も違和感を覚えないし、国旗・国歌の「強制」を「職務義務」などとすり替えて議論されることも同じ。

欧米のモデルをそのまま輸入する必要はない。

しかし、「日本が東アジアの歴史と文化に属する点を考慮に入れた冷静な論議が、今ほど必要なときはあるまい。アジアおよび国際社会の真正なる一員として、模倣でない国家像、ナショナル・アイデンティティを形成していかねばならないといえよう」。

という創造が必要な岐路において出てくるのは、画一的な戦前礼讃と思想統制は「やむを得ない」というシニシズム。

自分が好きな場所に……もちろん自分自身のコストによってですが……自由に生けること。
好きな歌を歌えること。
興味のある本を読むことが出来ること。

何かを信じる、そして信じるものを変えたりすること。

自由とは当たり前の「空気」のように流通している。

だからその「ありがたみ」が感じにくいかもしれないけれど、それがひとつひとつ「統制」下におかれていくということがどういうことか時々想像した方がいいかも知れない。

大多数の日本人は、ほとんど「葬式仏教」式の受容だから、宗教に興味がないことは承知している。だとしても、その「無関心」に安住して、「宗教が制限される」ということを「対岸の火事」と眼差すことは、足下をすくわれることになる。
※めんどくさいから一応言及しておくが、宗教そして宗教の周辺部分としてのスピリチュアルに起因する犯罪をスルーせよと言うわけではない、念のため。

なぜなら信教の自由が人間精神の自由の根幹をなすからだ。

ここから、表現の自由、結社の自由、思想信条の自由への圧迫は容易なものになるし、その逆もしかり。

すこし敏感になった方がいいこともあると思う。


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覚え書:「母と子の戦場:3・10東京大空襲/上・下」、『毎日新聞』。

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母と子の戦場:3・10東京大空襲/上 息子抱き、火の粉走る川へ

 ◇燃える街、逃げ惑った末に いかだに泳ぎ着き、助けられた 「戦争加担した」しょく罪に体験語る
 「炎が吹き付けられる中、1歳3カ月の息子を背負って逃げました。突然、背中の子がギャーッと異常な声を上げたんです。見ると口の中で火の粉が燃えていた」
 被害が大きかった東京都江東区に建てられた東京大空襲・戦災資料センター。橋本代志子さん(90)は、小学生の子どもたちの食い入るようなまなざしを受け、時折声を詰まらせながらあの夜のことを語った。

   × × ×
 一家は、両国近くに8人で暮らしていた。メリヤス工場を営む両親のもと、4人姉妹の長女として育った橋本さんは、跡取りとして夫を迎え長男に恵まれた。初孫で、娘ばかりの家に生まれた久しぶりの男の子。祖父母の愛情を一身に集め「博、博」とかわいがられた。「暗い時代、博は両親の唯一の生きがいだった」。橋本さんは振り返る。
 何もかもが不足していた。日々の食べ物に事欠き、橋本さんは母乳が出なかった。母乳が出ない証明書を医師からもらい、町会長の印を受け、区役所に届けて初めて粉ミルクが買えた。量が足りず穀類の粉を混ぜて飲ませた。おしめにする布もなく、親戚中から古い浴衣を集めて縫った。
 午後になると町内を歩き回り、空を見上げるのが日課だった。風呂を沸かすまきが不足し、営業している銭湯は数少ない。煙突から煙が出ている銭湯を見つけては、息子をおぶって行った。「丸々とした赤ちゃんなんかいなかった」と橋本さん。銭湯の洗い場でもせっけんやタオルから目が離せない。うっかりすると盗まれてしまうからだ。赤ちゃんとのんびり湯船につかることなどできなかった。小さくなったせっけんをそっと泡立て、大切に使った。
 1945年3月9日夜、軍務に就いていた夫は近隣の国民学校に駐屯していて不在だった。1歳だった博さんは、久しぶりに入浴してぐっすり眠っていた。
 深夜、警報が鳴った。両親と3人の妹、博さんを背負った橋本さんは防空壕(ごう)に避難した。B29の爆音がおなかに響いた。子を抱いて身を縮めた橋本さんに、外を見に行った父が叫んだ。

 「いつもの空襲と違う」

 壕の外は真昼のような明るさで、強風にあおられて火の粉が吹雪のように吹き付けた。ガスバーナーの炎を四方から浴びるようだった。逃げ惑う群衆で道はあふれ、妹(17)を見失った。妹は5升炊きの大きな釜を抱えており、手をつなげていなかった。「お姉ちゃん、待っててー」。2度ほど聞こえた叫び声が、最後となった。
 炎にあおられ逃げ場を失った人々で、竪川に架かる三之橋は身動きできなかった。かまどの中にいるような熱さ。橋の中央では人が生きながら焼かれていた。母は橋の際に橋本さんと博さんらを引き寄せ、ねんねこをかぶせその上に身を伏せた。さらに父が覆いかぶさり、火に耐えようとした。
 橋本さんの髪がちりちりと音を立て、きな臭いにおいがした。頭巾のない人たちの多くは、髪に火がつき、転げ回っていた。
 「代志子、川へ飛び込め」。父が叫んだ。「飛び込め、飛び込め」。ためらう橋本さんに、父は激しい声で繰り返した。母は頭巾を脱ぎ、橋本さんにかぶせた。白髪交じりの髪が熱風で逆立っていた。無言で見つめる悲しげな母の顔を、70年近くたった今も忘れられない。
 息子をぎゅっと抱きしめ、川へ飛び込んだ。猛烈な熱さの中から冷たい水に入り、肌が刺されるように痛んだ。水面を火の粉が走り、頭や顔に絶えず水をかけないといられなかった。古式泳法を習っていた橋本さんは、流れてきたいかだ目がけて泳ぎ、赤ん坊を乗せた。「この子の命だけは救いたい」。その一心だった。
 いかだで流されていると、男性2人が乗った小舟が近づき、助けてくれた。川の中からずっとうめき声が聞こえ、人が水中に沈むのも見た。両親と17歳の妹の消息はついにわからない。遺骨代わりに、三之橋のたもとの砂を持ち帰った。
 橋本さんらは、疎開のため用意していた千葉県の家に身を寄せた。よちよち歩いていた博さんは一時歩けなくなり、黒い便を毎日した。もうだめかもしれないと覚悟したが、無事に育ってくれた。戦後、2児に恵まれた橋本さんはいま、博さん一家と暮らし、6人の孫、2人のひ孫にも恵まれた。

   × × ×
 茶色く変色しボロボロになった「妊産婦手帳」を、橋本さんは大切に保管している。腹立たしいのは、出産予定日が「生産予定日」と記されていることだ。「女性は子どもを生産する機械だったのか」。当時は気づかなかった一文に、女性と子どもが置かれていた立場を思う。
 東京大空襲・戦災資料センターで体験を語ることは、作家の早乙女勝元さんに誘われ10年前から始めた。空襲体験を話す前日は、今でも眠れない。もう話したくないとも思う。
 でも「大人だった自分も戦争に加担した」しょく罪の気持ちが、橋本さんを突き動かしている。勝つために、国の命令に従い我慢したことが、大切な家族を死なせることにつながったのではないか。首に茶色く残るやけどの痕のように、後悔は消えない。
 資料センターで話し終えると、子どもたちに折り紙で作った「羽ばたく鶴」を手渡している。「多くの命が失われた中で生き残り、生きることの素晴らしさをしみじみ感じる。子どもたちには命の大切さを伝えたい」

   × × ×
 一夜にして10万人の命が失われた67年前の東京大空襲。今年もまた3月10日が巡ってくる。子を背負い猛火をくぐった2人の母の証言を聞いた。【木村葉子】
    --「母と子の戦場:3・10東京大空襲/上 息子抱き、火の粉走る川へ」、『毎日新聞』2012年3月8日(木)付。

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http://mainichi.jp/life/today/news/20120308ddm013100003000c.html

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母と子の戦場:3・10東京大空襲/下 背中の娘に生かされた

 ◇川に落ち、ずぶぬれで一夜/翌朝、動かぬ口に母乳含ませる/戦後は児童施設で数百人の「母」に
 くすんだ色の展示物が多い中、ひときわ鮮やかな一角が目を引く。赤い着物と、赤い毛糸のチョッキ。東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)には、鎌田十六(とむ)さん(99)の娘の早苗さんが、3月10日の東京大空襲の夜に着ていた着物が飾られている。襟元のぼんぼんは、早苗さんがよくしゃぶっていたという。
 母におぶわれた早苗さんは猛火をくぐり、冷たい川に落ちた。過酷な逃避は生後6カ月の小さな命を奪った。鎌田さんはこの晩、恋愛結婚をした八つ年下の夫と母も亡くした。幸せな結婚生活は、3年しか続かなかった。

   × × ×
 「まだ生まれていないのか」
 逆子のため陣痛は2日間に及び、いきむ力もなくなった鎌田さんを見た産院の院長は、驚いた。1944年の夏。当時まだ一般的ではなかった帝王切開の手術を受けた。駆けつけた夫は、「手術も病室も一番いいものにしてください」と頼み込んだ。
 真夏の暑さもあって傷口は化膿(かのう)し、子どもと一緒に1カ月も入院した。1等個室は居心地がよく、看護婦の対応も丁寧だった。娘が次第に愛らしさを増すのがうれしかった。「お人形さんみたい」。すやすや眠る初孫の顔をのぞき込んで、母は繰り返した。子煩悩の夫は、家にいる時は片時も早苗さんを離さなかった。せきも鼻水も出ていないのに「風邪かもしれない」と、病院に連れていった。

   × × ×
 灯火管制で町は暗闇に包まれていた。1945年に入ってから、東京は夜も昼も空襲があった。鎌田さんはおぶった娘に月を見せ、「今夜も無事でありますように」と手を合わせた。
 3月10日深夜、空襲が始まった。火の手は人の体も吹き飛ばすような強い風にあおられて広がり、住んでいた浅草・蔵前も火の海になった。鎌田さんは早苗さんを背負い、70歳を超えた母とおしめを入れたかばんは、夫が守ってくれた。
 人波に流されて、隅田川のほとりに来た。火の粉と煙が吹きつけ目が開けられない。数歩進んでつまずき、川の中に頭から落ちた。水音に気づいた夫も、川に飛び込んだ。
 冷たい水が肌を刺す。ずっと寝ていた早苗さんは、細い泣き声を上げた。鎌田さんは眠気に襲われた。「このまま寝ていれば、冷たさを忘れられるだろう」
 はっと我に返った。「早苗はどうなる」。川の中に横倒しになった大八車があった。「子どもを何とかして」。声を振り絞ると、誰かが荷台に上げてくれた。
 気を失っている間に夜は明けた。ずぶぬれで凍えた体は動かない。多くの遺体がくすぶる焼け野原を歩き出した。避難所の学校にたどりつき、保健婦に子どもの様子を尋ねた。
 「亡くなっています。赤ちゃんの分まで元気になって」。静かな声だった。

 人があふれる教室で娘を下ろした。鼻や額に点々とやけどがあるが、寝ているようだった。一晩飲ませず球のように張った乳房から、冷たい口元に母乳を絞り入れた。
 夫の遺体は1週間後に川から見つかり、母の死は焼けた衣類の一部で確認した。「私が助かったのは、早苗をおぶっていて背中がぬれなかったから」。鎌田さんはそう思っている。

   × × ×
 翌年の3月。上野の地下道は人いきれでむっとした暑さだった。焼け出された人が足の踏み場もないほど寝ていた。ぼろぼろの服をまとったさみしげな子どもたちが、家族を亡くした自分の姿と重なった。
 この光景が忘れられず、子どもの世話をする仕事につこうと思った。東京都内の児童養護施設で、保母として働くことになった。70歳まで勤め上げ、育てた子どもは数百人に上る。
 戦後すぐに働いた養育院では、90畳の大部屋に子どもたちが布団を4列に敷いて寝ていた。ある晩鎌田さんは、訪ねてきた知人にベッドを譲り、子どもの布団に滑り込んだことがある。「隣で寝たでしょ。うれしかったよ」と言われた。その子の笑顔はずっと胸に残っている。
 「施設の子」と言われぬよう、しつけには気を配った。ほうきの持ち方やほこりの集め方、人の目を見てあいさつすること……。厳しく言い含めた。4~5歳の子どもが幼い子の入浴を手伝うのを見ると、「甘えたい盛りなのに」とふびんに思う気持ちがこみ上げた。
 住み込みで働く鎌田さんの居室には、「お母さん」「お母さん」と子どもの出入りがしょっちゅうあった。24時間休みはなく、だれかが風邪をひけば一気に広まり、休日も返上だ。鎌田さんは当時を振り返る。「いくらしんどくても、子どもといればつらいことは吹き飛んでしまった」
 子を持つ人からの再婚話を何回か持ちかけられた。でも「自分の子が育てられなかったのに、人様の大事な子どもは育てられない」と断り続けた。早苗さんを背負った重みや抱いた時の感覚は、忘れられない。
 鎌田さんはいま都内で妹と暮らしている。写真館で撮った早苗さんの写真は空襲で焼けてしまった。娘が生きていた唯一の証しである着物を、07年に戦災資料センターに寄贈したとき、鎌田さんは願った。
 「もう二度と、早苗のような子が出る世の中になりませんように」【木村葉子】
    --「母と子の戦場:3・10東京大空襲/下 背中の娘に生かされた」、『毎日新聞』2012年3月9日(金)付。

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http://mainichi.jp/life/housing/news/20120309ddm013100024000c.html


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新しい人間とは人間が生における至高の価値とみなされるような暁になってのみ出現しうる

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 共産主義は新しい社会のみならず新しい人間をも創造したと主張する。ソヴィエト・ロシアでは新しい人間について、新しい精神構造について、盛んに語られ、ソヴィエト・ロシアを訪れた外国人も同じくそれについて語ることを好む。けれども新しい人間とは人間が生における至高の価値とみなされるような暁になってのみ出現しうる。もし人間がたんに社会の機構における一個の煉瓦にすぎぬと考えられているなら、もし人間が経済過程の道具にすぎないなら、ひとは新しい人間の出現よりはむしろ人間の消滅、言いかえれば人間疎外の過程の深化について語らねばならぬ。
    --ベルジャーエフ(田中西二郎、新谷敬三郎訳)「ロシア共産主義の歴史と意味」、『ベルジヤーエフ著作集』第7巻、白水社、1960年。

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「有用性」ということを全否定するつもりは毛頭ないのですが、「有用性」という尺度によってのみ判断が下されるようになると、人間にとって「有用」であるべきかどうかという原点が喪失してしまい、特定のトピックに先鋭化した「有用性」が人間をえり好みしてしまうようになってしまう。

わかりやすい例がマルキシズムの「実践」だろう。
たしかに、ソ連成立以前のロシア帝国で人々は塗炭の苦しみを味わっていた。そしてマルクス(Karl Heinrich Marx,1818-1883)の思想に啓発を受けた人々が、問題を指摘し、人間を苦しめるものを批判し、人間の解放を目指した……いささか単純化の嫌いはあるが、筋道としてはそうなる。

さて……。
史上初のマルキシズム国家となったソ連の歴史では、反宗教的プロパガンダが執拗に繰り返される。何しろ帝室や特権階級と結びつき、支配の一翼をになったのが国教となったロシア正教だからである。

そこでしばしば使われた言葉に“法衣を着ない司祭”というレーニン(Vladimir Ilyich Lenin,1870-1924)の有名な言葉がある。社会主義の革命や新しい社会の建設に際しては、清廉な司祭は堕落した法衣の司祭よりも有害である……という主張だ。

法衣の司祭は追放や抹殺が容易だが、清廉な司祭はそれが困難である--。
同じように、優れた在俗の宗教者すなわち“法衣を着ない司祭”は、宗教を社会から根絶するためには、より危険であり、有害なのだという。

社会主義革命やプロレタリア独裁に「役立つ」(有用である)ものが善であり、そうでないものが悪である、そして共産主義という新しい教説が善であり、人民の敵としての宗教という古くさいものこそが悪であるという絶対的規範から言えば、当然の帰結であろう。

そしてこの善と悪との「演出」は、共産主義と宗教という二項間の問題ではなく、「人民の敵」というレッテルを貼られたものは、すべて「有害なもの」、「有用でないもの」として駆逐されることになる。

そして、過酷な弾圧を経て成立した社会は「新しい社会」であり「新しい人間」の大地であると喧伝されていく。

しかし、ベルジャーエフ(Nikolai Aleksandrovich Berdyaev,1874-1948)は、そこに根本的な疑義を投げつける。

先に言及したように、特定の有用性によって「鋳造」された社会や人間は、人間にとって「有用」な社会でもないし、革命が否定したような古い人間の拡大再生産にほかならない。

それは「新しい」「至高の価値」のものどころか、「人間の消滅」「人間疎外の過程の深化」に他ならない。

結局は「有用性」の観点が、ロシア帝国という枠組みから共産主義という「イデオロギー」にずれただけにすぎず、人間を「一個の煉瓦にすぎぬ」と考えたり、もう少し具体的にいうならば、人間を「経済過程の道具」と捉える発想には、変わりはない。

ここには、警戒すべきであろう。

共産主義体制の崩壊を、20世紀を締めくくる歴史的事件として数えることができるから、共産主義のイデオロギーや実践は過去のものだからもう「終わった」ことと捉えるのは早計かも知れない。

なぜなら、ベルジャーエフの指摘は、主語が「共産主義」でなくても成立する命題であるからだ。

新しい人間はどこから来るのか。

「けれども新しい人間とは人間が生における至高の価値とみなされるような暁になってのみ出現」するということだ。


人間が何かにとって有用であると捉えるのか、それとも人間に即して考えていくのか。

人間から人間を生成していくのか。それとも反省という契機を欠いたなんらかの権威や規範・概念から人間を生成していくのか。

ここには大きな違いがある。

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覚え書:「異論反論 埼玉で親子の餓死遺体が発見されました 成人した子がいても…… 寄稿=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年3月7日(水)付。

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異論反論 埼玉で親子の餓死遺体が発見されました
成人した子がいても……
寄稿 雨宮処凛

 先月28日、さいたま市長への「申し入れ」に同行した。
 その8日前、さいたまで親子3人の遺体がアパートから発見されたことを巡ってだ。
 60代の夫婦と30代の男性の死因は餓死とみられている。半年前から家賃を滞納し、電気・ガスは止められ、所持金は数円だったという。親子は生活保護の相談に訪れることもなく息絶え、死後2カ月ほどたってから発見された。
 この日、「反貧困ネットワーク埼玉」は市長に要望所を提出し、生活困窮者支援について自分たちのノウハウを提供したいこと、行政と民間が協働し、一過性ではなく常設された協議会などをもうけ、孤独死や生活困窮の問題に継続的に取り組む必要があることなどを訴えた。
 申し入れに同行して感じたことは、市側も今回の事件に関して相当悩んでいるということだ。親子3人はさいたまに住民登録がなく、どこか隠れるように暮らしていたという。電気やガスなどの事業者と連携し、滞納によって止められたなどの事例があれば行政が介入できるようなシステム作りの必要性が強調されているものの、そこには「個人情報」という壁が立ちはだかる。行政側にSOSを発しない困窮者の把握の難しさ。しかし、生活保護は住民登録と関係なく受けとることができる。多重債務や家庭内暴力(DV)などさまざまな事情から、住民登録をできない人は多くいる。そしてそんな人々は、もともと貧困リスクにさらされてもいる。複雑な事情を抱える「住民登録のない人」をどう支援していくか。申し入れでは、多くの課題が浮き彫りとなったのだった。
 また、今回の事件でショックだったのは、死者の中に30代の長男が含まれていたことだ。高齢者だけの世帯であれば民生委員や地域の目が届きやすい。が、「成人した子どもが同居している」となると、エアポケットに落ちるようにしてそこから漏れてしまう。

親の年金で生活する30代以上の「子ども」
 しかし、成人した子どもとの同居は決して安心材料ではない。さいたまでは、2年前の夏に76歳の男性が熱中症で志望している。10年以上前に電気を止められていた男性は、48歳の長男と同居していた。しかし、長男は腰痛などで長年働けず、2カ月で十数万円という男性の年金で生活していたという。
 国勢調査によると、この国の3割近い世帯が「夫婦と子どもからなる世帯」だ。しかし、その「子ども」に年齢制限はなく、低賃金や失業といった理由で親元を出ることができない30代、40代、それ以上も多く含まれる。その中には、今回の事件について「ひとごとではない」と思った人も少なくないはずだ。「あそこは息子さんがいるから大丈夫」という今までの視点を少し変えてみると、きっと想像以上に深刻な事態が広がっている。
あまみや・かりん 作家。1975年生まれ。反貧困ネットワーク副代表なども務める。「東日本大震災から丸1年となる11日に、米シカゴ大で開かれるシンポジウムに出席します。震災後1年間の日本社会の動きについて報告する予定です。
    --「異論反論 埼玉で親子の餓死遺体が発見されました 成人した子がいても…… 寄稿=雨宮処凛」、『毎日新聞』2012年3月7日(水)付。

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「見よ、神ハ谷中ニあり」

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一九一三(大正二)年二月一二日付、島田熊吉・宗三宛書簡
見よ、神ハ谷中ニあり。聖書ハ谷中人民の身ニあり。苦痛中に得たる智徳、谷中残留人の身の価ハ聖書の価と同じ意味で、聖書の文章上の研究よりハ見るべし。学ぶべきハ、実物研究として先ヅ残留人と谷中破壊との関係より一身の研究をなすべし。徒らニ反古紙を読むなかれ、死したる本、死したる書冊を見るなかれ。(聖書ニくらべて谷中を読むべきなり)
    --田中正造『田中正造全集』第一九巻、岩波書店、一九八〇年、165頁。

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歴史学者・鹿野政直氏は、近代日本の人権思想史上で「金字塔を打ちたてた」のは、田中正造(1841-1913)であると指摘している。このことに全く異論はない。

正造は、日本で最初の公害事件といわれる足尾鉱毒問題に、文字通り身を晒して闘った人物として有名である。しかし、正造の実践には「聖書」の思想が深く刻まれていることはなじみが薄いかも知れない。

1902年、川俣事件公判の際にあくびをした罪で有罪判決を受け、巣鴨牢獄に入獄したときが正造の聖書との出会いである。内村鑑三(1861-1930)が新約聖書を差し入れ、正造はむさぼるように読んだという。以後、聖書の言葉をたびたび引用するようになり、正造の思想と実践とに深い影響を与えていく。

正造にとって聖書とは何だったのだろうか。
冒頭で紹介した書簡では「死したる本、死したる書冊を見るなかれ」と指摘している。また1909年の日記では「聖書を読むよりハ先ヅ聖書を実践せよ」「聖書を空文たらしむるなかれ」とも記している。

この言葉に耳を傾けると、聖書で描かれたイエス・キリストは、“徹底した無私の実践のひと”と肌身で理解したように推察される。

1904年から正造は谷中村に住むようになる。ただなかにありつづけることで、正造はイエスに倣い、その生を生きようとし、残留民と共に生き闘う中で、苦難を受けている民衆の姿に神の存在を感じ取ったと思われる。

「見よ、神ハ谷中ニあり」。

足跡を振り返ると、正造自身が衆議院議員でもあったことから、政治の世界での改善からその歩みを始めたが、前年に議員を辞職し、その年末に明治天皇に直訴している。

その後、聖書と出会うわけだが、①議会中心から被害地の農民中心へ、②「民権」問題から「人権」問題へ眼差し、③そして底辺に置かれたひとびとの人権に注目……と眼差しが大きく転換する。

そしてその正造を支えたのは聖書の一句一句の言葉である。

たしかに正造は「キリスト教」に「入信」はしなかったし、その理解は伝統的なキリスト教のそれではない。しかし、正造の聖書の理解は、実践的であり、文字通り最も苦しむ人々の眼差しから「人権」を捉え直し、公害事件(環境問題)に関しても生命の次元から再考しようとした取り組みは、稀有な事例と思われる。

亡くなる前年の1912年3月の日記には次のように書かれている。

「人権また法律より重し。人権に合いするは法律にあらずして天則にあり」

正造にとって、人権とは法律で規定される「権利」のひとつではない。

ややもすると、人権が単なる「権利論」として受容される嫌いが強い日本社会。たしかにその側面は否定できないが、それで全てでもない。

聖書に薫発を受け、そして実践し、人権とは人間が生きるということのトータリティと喝破した正造の事跡は改めて評価されるべきだろうと思う。

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覚え書:「再生への提言:東日本大震災 指導者は強い姿勢を=東京都知事・石原慎太郎氏」、『毎日新聞』2012年3月7日(水)付。

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再生への提言:東日本大震災 指導者は強い姿勢を=東京都知事・石原慎太郎氏

 ◇石原慎太郎(いしはら・しんたろう)氏
 この1年間の行政の動きは全く評価できない。あまりにも動きが遅い。力を使い切れていない。緊急事態であり一種の戦争なのだから、それぞれの「司令官」は権限をフルに使わなければならない。
 例えば、被災地のがれき処理を地元業者に請け負わせるのは分かるが、ゼネコンが効率的に処理できる重機を持っているのに活用しない。さまざまな知識や経験がある役人がいても、政治家が使いこなせていない。がれきを受け入れる自治体を広げるために、首相や担当大臣は「ご協力をお願いします」という姿勢ではなく、強い言葉で命じる、あるいは政令を出すべきだ。
 放射線量をきちんと測り、安全性が確認されたがれきであるにもかかわらず、放射線の風評におびえる人々の反対に遭っている自治体の首長らにも同じ姿勢が求められる。
 それができないのは被災地を再生することへの情熱や指導力、被災した人々に対する思いやりが足りないからだ。
 復旧・復興が進まないのは、戦後の中央集権の仕組みが通用しなくなったからとも言える。大きな権力を持つ者たちこそが、被災地の悲惨さを最も把握していなければならないのに、資料を読んでばかりで現場を知ろうとしない。戦後の日本を良くしたのは役人でもあるが、ダメにしたのも役人だ。雲の上の人になってしまった。
 トインビーは著書「歴史の研究」の中で、「いかなる大国も必ず衰微するし、滅亡もする。その一番厄介な要因は、自らに関わる重要な事項について自らが決定できぬようになることだ」と指摘している。これはそのまま震災や昨夏の節電、原発問題への対応にもたつく日本の姿に当てはまる。
 ものごとの決断、決定には強い意志が要り、その成就のためにはさまざまな抑制や、犠牲さえ伴う。それなのに戦後の日本は、重要な事柄を決めるのに米国の意向を伺ってばかりきた。国家が堕落し、そんな国家の中で国民も堕落した。多くの日本人の人生、生活を占めるのは物欲、金銭欲でしかなくなった。
 この状況を変えるには、占領軍から押しつけられた歴史的に無効な憲法を破棄し、自分の国を自らが守る、運営していく憲法を作ることだ。そうすれば、日本人は本当の「自立」を自覚し、一体感、連帯感を持つことができる。今回の震災でも昔だったら日本人はもっと連帯感を持っただろうに、と思う。【聞き手・渡辺暖】

人物略歴 作家。一橋大在学中に芥川賞。79歳。
    --「再生への提言:東日本大震災 指導者は強い姿勢を=東京都知事・石原慎太郎氏」、『毎日新聞』2012年3月7日(水)付。

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「占領軍から押しつけられた歴史的に無効な憲法を破棄し、自分の国を自らが守る、運営していく憲法を作ること」が「この状況を変える」特効薬には思えないし、戦後社会が「物欲、金銭欲」の恥辱にまみれた世界、戦前社会がそうじゃない世界と発想すること自体がお花畑の二分法にしか思えないんだけど……ううむ。

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20120307ddm003070067000c.html


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覚え書:「橋下スタイル」『毎日新聞』連載まとめ

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橋下スタイル:/上 船中八策、メールで即決 側近「出してみたら、お化けに」

 わずか10枚の紙が国政を揺さぶっている。橋下徹・大阪市長が率いる「大阪維新の会」が次期衆院選に向け、作成した政権公約「船中八策」の原案だ。「日本再生のグレートリセット」をうたい、首相公選制や参院廃止など統治機構改革まで踏み込んだ。橋下氏は衆院選での連携の条件として、各党に船中八策への賛同を迫っている。
 既成政党は距離を測りかね、右往左往している。参院議員の輿石東・民主党幹事長は「そう簡単にはいかない」と不快感を示し、自民党の石原伸晃幹事長も「首相公選制や参院廃止はわが党の公約ではない」と慎重。しかし、世論の期待を受ける維新を真正面から批判できず、民主党幹部は「触らぬ神にたたりなしだ」ともらした。
 昨年11月の大阪府知事・大阪市長選を制した橋下氏は、持論の大阪都構想の実現に向け、当初、2段構えの国政進出を描いていた。まずは既成政党に都構想実現への協力を求め、応じなければ独自候補を擁立。しかし、次第に、維新独自で候補者を大量に立てる主戦論に傾いていく。
 「既成政党を支援しても選挙で利用されるだけで改革が実現できない」
 橋下氏ら維新幹部が想起したのは、道州制などを掲げ、92年に発足した「平成維新の会」の二の舞いにならないかという懸念だった。評論家の大前研一氏が率いた同会は、93年衆院選で政策理念に賛同する既成政党の候補者を支援し、大量当選させた。しかし、改革の実現を見ないまま解散に追い込まれた。
 自前で候補者を大量に立てるなら、政権公約が必要になる。橋下氏は昨年末から、維新政調会長の浅田均・大阪府議会議長らにメールを送り、「維新と言えば五箇条の御誓文だが、その形を作ったのは坂本龍馬が起案した船中八策だ」と書いた。浅田氏は「8本のアジェンダを作って、その下に具体的な政策が入るイメージかな」と返信。橋下氏と浅田氏のメールのやりとりが続き、積み上げた政策は92項目に及んだ。
 1月18日夜、橋下氏は松井一郎・大阪府知事や浅田氏ら維新幹部と大阪市内で会い、「『地方から国を変える』を掲げてきたが、今の国政では何も変わらない。この国を変えるのなら今しかない」と高揚した様子で語った。橋下氏が目標議席について「インパクトがある数字が必要だ」というと、松井氏らは「200(議席)でしょ」と勢いづいた。
 「現行の年金制度はいったん清算。リセットして新たな年金制度を作る」。2月13日夜、大阪市内のホテルで行われた維新の全体会議。所属議員約100人を前に、橋下氏は口頭で「船中八策」の骨格を説明し、「現実の政治・行政を動かす社会制度を変えていく」とぶちあげた。
 政策を立案する際、党政調の会議を重ねる既成政党と異なり、維新はスピード感を重視する。深夜、橋下氏がメールで問題提起をすると、多い時には30人規模の維新幹部やブレーンが返信し、方針が決まっていく。一方で、国政は衆参で多数派が異なる国会のねじれに加え、消費増税など主要政策を巡り党内すらまとまらない。「決定できる民主主義」をうたう維新と、機能不全に陥った国政は対照的に映る。
 2月27日夜、松井氏ら維新幹部は大阪市内で、東国原英夫前宮崎県知事と会談した。維新は次期衆院選候補を養成するため、「維新政治塾」を3月に開講する予定で、知名度のある東国原氏に講師を依頼した。
 国政進出へ着々と準備を進める維新。橋下氏のブレーンは船中八策の原案をこう振り返った。
 「日常のメールのやりとりをかき集めて、『結構いいじゃん』という感じでぽっと出したもので、私たちは驚いた。生煮えで出してみたら、ばか受けして、お化けになっちゃった」。話題優先の維新の政策づくりは拙速の危うさもはらんでいる。

    ◇ 
 次期衆院選をにらみ、橋下氏ら大阪維新の会が存在感を増している。既成政党と一線を画す「橋下スタイル」を探った。
    --「橋下スタイル:/上 船中八策、メールで即決 側近『出してみたら、お化けに』」『毎日新聞』2012年3月2日(金)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120302ddm005010095000c.html


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橋下スタイル:/中 仮想敵攻撃、小泉元首相と共通点 「会話でスパーリング」

 自民党の小泉純一郎元首相にタイプが似ている--小泉政権時代、竹中平蔵総務相補佐官を務めた元財務官僚の高橋洋一氏は、5年余りの長期政権を担った元首相を思い出していた。2月21日昼過ぎ、東京都港区のホテル。高橋氏は「大阪維新の会」代表の橋下徹・大阪市長に誘われ、中華料理店で初めて会食した。

 橋下氏は政権公約「船中八策」の原案に盛り込んだべーシックインカム(最低限所得保障制度)や年金の掛け捨て制など、社会保障制度改革について高橋氏の意見を求めた。資料を持たずに現れた橋下氏は一切、メモをとらない。約3時間に及んだ会食後、高橋氏は「小泉元首相と同じように、橋下さんも会話でスパーリングしている感じだった」と、2人の類似点を挙げた。

 実戦方式で行う格闘技練習のようなやりとりを通じ、自分の考えを収斂(しゅうれん)させるのが橋下スタイルだ。知事時代から、思いついた政策を大阪府幹部に一斉メールで流し、検討や調査を指示。府幹部はテレビゲームのキャラクターに例え、「スーパーマリオみたいに、議論を通じて考えを進化させていく」と話す。

 「スパーリング」の手法は直接対話に限らない。「あんた方、何様なんだよ」。昨年2月から始めたツイッターでは、自分に批判的な学者やメディアを厳しくこき下ろしてきた。ツイッターは橋下氏にとって「ストレス発散の手段」。主に深夜や休日に立て続けにつぶやき、フォロワー(発言を追う人)数は約61万人と、国内の政治家でトップになった。

 小泉元首相は持論の郵政改革などを通じ、党内の抵抗勢力を「仮想敵」に見立てて、対決姿勢を演じてきた。橋下氏も昨年11月の市長選で対抗馬を支援してきた市職員労働組合に執拗(しつよう)な批判を続ける。全職員を対象にした政治・組合活動に関するアンケート調査が批判されても、「長年、ゆがんだ市役所と組合の関係があった。正そうと思ったら、相当な力を込めないとできない」と反論する。

 「橋下が生きるも死ぬも全て公明党市議の皆さん次第。国政選挙ではできる限りのことをさせていただきたい」

 1月13日、大阪市内で開かれた公明党大阪府本部の新春年賀会。来賓としてあいさつした橋下氏は市政への協力の見返りに次期衆院選での選挙協力を示唆した。与党にあたる大阪維新の会は市議会で単独過半数を得ておらず、第2会派の公明党を加えると、議会運営が安定するからだ。

 公明党大阪府本部幹部は「実際に会うと、低姿勢で話し上手な好青年。知らない人ならころっとだまされる」と話す。攻撃的な一面と、したたかな別の顔。3年9カ月、橋下氏を見てきた府幹部は「議論をふっかけて反論しないと振り向かない。すり寄ると、相手にしなくなる」と複雑な橋下像を振り返った。
    --「橋下スタイル:/中 仮想敵攻撃、小泉元首相と共通点 『会話でスパーリング』」『毎日新聞』2012年3月3日(土)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120303ddm005010023000c.html


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橋下スタイル:/下 連携「どこでもいい」 「バブル」な支持で既成政党手玉


中央から時計回りに橋下徹氏、石原慎太郎氏、白浜一良氏、前原誠司氏、渡辺喜美氏=コラージュ・清田万作
 「6選挙区の応援をお願いします」

 乾杯が終わると、公明党の白浜一良副代表は本題に入った。2月17日夜、白浜氏は大阪市内の日本料理屋に橋下徹市長を招き、次期衆院選に向け大阪維新の会との選挙協力を要請した。白浜氏が「2大政党は漂流しているが、維新は期待を集めている」と持ち上げると、橋下氏も選挙協力について「よく理解しています」と応じた。

 公明党は次期衆院選の小選挙区で、計9人の公認候補を立てる。中でも大阪の4選挙区と兵庫の2選挙区を抱える関西は主戦場だ。公明党は09年の前回衆院選で小選挙区候補を全て落としており、「橋下人気」を無視できない。維新の地方議員には自民党からの離党者が多く、公明党幹部は「自民党との選挙協力だけでは不安がある」と話す。

 維新の獲得議席は11から12--支持母体・創価学会が独自に行った世論調査も、公明党の背中を押した。衆院選比例代表の近畿ブロック(定数29)の獲得議席を予想したもので、民主党と自民党が各5議席。みんなの党と共産党が各2議席、公明党は4議席で、3の可能性もあった。

 公明党の姿勢に、自民党は警戒感を募らせる。次期衆院選での政権奪還は、公明党との選挙協力が大前提。しかし、関西での自民、公明両党の選挙調整はこれからで、自民党幹部は「自民と維新が対立する選挙区で、公明党はどちらを支援するのか」と不安感を隠さない。

 「俺はお前のことを心配している」

 大阪市特別顧問の中田宏前横浜市長は2月27日、大阪市内で民主党衆院議員に会い、こう語りかけた。直接的な言葉はなかったものの、議員は維新への勧誘と受け取った。維新の目指す大阪都構想を巡り、民主党の前原誠司政調会長は橋下氏との会談を重ねるが、党勢低迷で若手議員の動揺は収まらない。ある民主党議員は地元支持者から「離党して維新に行くべきだ」と迫られ、迷っているという。

 中小政党は生き残りをかけて、維新との連携を競い合う。みんなの党の渡辺喜美代表は近く、維新との勉強会をつくる方針。一方、国民新党の亀井静香代表らは石原慎太郎東京都知事を党首に、橋下氏らと連携する「石原新党」結成を模索する。橋下氏のブレーンは「我々はどの政党でもいい。維新の政策を実現できないなら、対抗馬を立てて消えてもらう」と余裕を見せた。

 毎日新聞が3、4日に行った全国世論調査で、維新の国政進出に「期待する」と答えた人は61%に上る。橋下氏は5日、調査結果について「完全なバブルですよ。うれしい半面、怖い」と記者団にもらした。維新に向かう民意の期待感はまだ実績への評価ではなく、不毛な対立を続けてきた既成政党に対する不信の裏返しにすぎない。「動かない政治」を続けながら、橋下氏にすり寄る各党の姿勢が、政党離れに拍車をかけている。
    --「橋下スタイル:/下 連携「どこでもいい」 「バブル」な支持で既成政党手玉」、『毎日新聞』2012年3月6日(火)付。

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http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120306ddm005010122000c.html

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覚え書:「みんなの広場 批判ばかりの政治家にうんざり」、『毎日新聞』2012年3月5日(月)付+ちょっとコメント

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みんなの広場
批判ばかりの政治家にうんざり
中学生(15) 千葉県流山市

通常国会での谷垣禎一自民党総裁の発言を聞いていると、少し前の民主党に似ているなと思います。日本人は批判するのが得意であり、好きだということを痛感するからです。思えば、国会では批判している場面しかニュースで見ないし、人の悪口ばかり書いてある週刊誌も世から消えません。
 私は、批判ばかりしていていっこうによくならない場所で仕事をしている国会議員の給料が、毎日必死で働いているお父さんやお母さんが収めた税金であることを思うと、もっと国のために働いてよと言いたいです。TBSのドラマ「運命の人」を見ていても、国会議員は自分を守っているだけのように思えてなりません。
 もちろん、国会議員全員がそういうわけではないことはわかっています。しかし、批判することばかりを考えるより、どうすれば国会や国がよくなるかを考えるべきです。そして、どんどん借金ばかりが増えて増税などを国民に訴えるなら、もらいすぎの議員の給料を減らして欲しいです。
    --「みんなの広場 批判ばかりの政治家にうんざり」、『毎日新聞』2012年3月5日(月)付。

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覚え書にコメンタリーするの忸怩たるものがありますが、この中学生の素朴な疑義を読み、この言葉は真摯に受け止める必要があるだろうと思いましたので、少しだけ言及しておきます。

結論からいえば、この子の「毎日必死で働いているお父さんやお母さん」は偉いなぁ、ということ。

実は、「この為にする批判」という問題は、ここにおいては、政治家同士のやりとりがひとつの起点にはなっているのですが、それが実は拡大再生産されるというのが、メディアを介した日本の政治に対する反応の仕方なんだろう。

要するに、

政治家同士がお互いを批判する。

それをバイアスをかけて批判をメディアが報道する。

そして映し出された映像を見ながら、、、

「ゴルァ」だとか「アフォーか」とか「オワタ」みたいな感じで、情報の最終的な受け手がそれを批判するという構造がそれです。

たしかに「ゴルァ」だとか「アフォーか」とか「オワタ」って“反応”したくなる気持ちは分からなくはない。

しかし、そのように「批判」を繰り返すだけでは何も変わらないのも事実だし、起点となる、そして最も唾棄すべき政治家たちと何も変わらない。

日本には、disるという「批判」文化???は存在するけれども、何が問題で、そしてどのように対処していくべきかという「クリティーク」の文化は存在しないからでしょうか。

まあ、テキトーに悪口をいっておけば、「済む」というくだらないことを、輪をかけてやっている……。

それが現状でしょう。

俗に「子は親の背中みて育つ」と言われますが、その意味で、この子の「毎日必死で働いているお父さんやお母さん」は偉いとふと思った。

確かに言いたいことは山ほどあるのだろうけど、「政治家たちは糞だ」みたいなことを、テレビのニュースを見ながらグダグダ言及するのではなく、自分自身の取り組みを、恐らく大切にしながら生活と格闘している……そう、僕は想像した。

以上、僕の想像にしか過ぎない言説ですが、この声……真摯に受け止めていきたいと思います。


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宗派は或る団体の専有物ではない。之に値する何人にも恵まるべきものである。丁度神様はすべての人類の神様である様に。

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 元来宗教は動(やや)もすると「一種の党派」になり、「いくら自分では公平なつもりでも識らず/\に自分の宗旨に肩をもち」たがるものである(大庭氏訳一六七頁)。併し少しく聡明を開いて考へて見れば、斉しく是れ一人の神の光の反映ではないか。修道院の長老が聖廟騎士に皇帝暗殺の密計を授けんとした時、騎士は「自然がたとひ一筋でもわしの顔をあなた(皇帝ザラディンを指す)の弟様に肖せて作つて呉れたとすれば、魂もそれに対応(かな)ふやうなものが少しだつてないでせうか」と答へて、既に人類的性惰の民族的宗派的超越を暗示して居る。然るに基督教徒は自分が基督教徒だと誇り、人間だといふことを誇らうとしない。而して「基督といふ名前です--基督教徒が諸方へ拡めたがつてゐるものは。あらゆる傑(すぐ)れた人間の名前をその名前で辱しめ、そして併呑しようといふので」あつて「創造主が性[生ママ]ある総べてのものにお賦与(さず)けなすつた愛をば」忘れてゐる(大庭氏訳六二-六三頁)。是れ豈指輪の真贋を争ふ三人の兄弟の姿その儘ではないか。真贋の争をやめて謙(へりくだ)りて神の命に聴け。神の賦与せる愛に眼醒めよ。そこに何んの宗派の別があるか。第四幕第七駒に元と馬丁であつた修道僧とナータンとがレヒヤヤーを送り届けられた際の昔話がある。ナータンがレヒヤーを育てやうと決心するに至つた物語に感動して修道僧は「ナータンさん! ナータンさん! あなたこそ基督教徒です! 神様にかけて、あなたこそ基督教徒です! こんな立派な基督教徒はかつてなかつた!」といへば、ナータンはまた「お互いに恵まれてゐる! あなたから見てわしを基督教徒とする所以(もの)が、わしの眼にもあなたを猶太教徒に見せますから」といつて居る(大庭氏訳二〇四頁参照)。是に至つて宗派は或る団体の専有物ではない。之に値する何人にも恵まるべきものである。丁度神様はすべての人類の神様である様に。

 五
 愛と聡明とに依て理想世界を建設せんとするが蓋しレッシングの大本願であらう。不幸にして吾人は宗派に捉へられ、民族に捉へられ、本来しかあるべき人格を作り上げて居ない。「本来の人格といふものは此世界で余儀なくされてゐる人格と何時(いつ)も一致してゐる」とは云へぬ(大庭氏訳二二二頁参照)。余儀なくされて居る人格から本来の人格に向上する様に吾々を覚醒することがレッシングの『賢者ナータン』を書いた目的の一つであり、而して是れ実にまた世界平和の理想に燃えて居るすべての人の不断の努力であつた。この精神は現代の日本に必要がないだらうか。
    --吉野作造「賢者ナータン」、『文化生活』一九二一年九月。

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吉野作造(1878-1933)の趣味の一つが観劇。
少年時代の村芝居、旅芝居への熱中から始まり、中学・高等学校で歌舞伎に親しみ、終生感激の楽しみの一つとして過ごしたようですが、ヨーロッパ留学中も大いに楽しんだそうです。

そのなかでひときわ大きな影響を与えたのが、レッシング(Gotthold Ephraim Lessing,1729-1781)の『賢者ナータン』(Nathan der Weise)。

話の筋は譲りますが、人間の価値は民族や宗教などそうしたカテゴリーによって代表されるものが総てではない、そのひと自身のふるまいによる「かも」との指摘ですが、吉野作造はこの『賢者ナータン』に大いに感動したそうです。

血や肉による消せざる特殊性というものから総て否定することは不可能です。

しかしながらそれでありながら、同じように還元不可能な特殊性を保持した他者とどのように向かいあっていくのか……吉野の議論には、つねにそうした問題意識が孕まれているように思われて他なりません。

だからこそ、つねに吉野が念頭においていたのは、「寛容」の精神をどのように「実践していくのか」という問題。

おもえば、中国・朝鮮半島からの留学生を死ぬまで支援するわけですし、早い段階から植民地主義も批判している。

主権の所在を問わないから「限界がある」と民本主義は批判されますが、批判だけで何もできないことは問題だからと、政治へ具体的に注文するだけでなく、広く社会事業を展開する。

そして、吉野自身は「リベラル」としての……これも少し問題はあるのですが……クリスチャン・デモクラットですが、相手が相反する天皇親政を説く人間であろうが右翼の巨頭であろうが(上杉慎吉や笹川良一)、そして左翼だろうが無政府主義者であろうが(大杉栄との交流は有名)、関係なく交わった。

理念をどのように生かしていくのか。

彼の足跡はそのヒントに満ちあふれている。


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覚え書:「今週の本棚:五百旗頭真・評 『とめられなかった戦争 さかのぼり日本史(2)昭和』=加藤陽子・著」、『毎日新聞』2012年3月4日(日)付。

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今週の本棚:五百旗頭真・評 『とめられなかった戦争 さかのぼり日本史(2)昭和』=加藤陽子・著


 ◇五百旗頭真・評
 (NHK出版・998円)

 ◇あの戦争の転機を史眼と人間性でとらえる
 『さかのぼり日本史』シリーズの「戦後 経済大国の“漂流”」を扱う第一部を私は担当した。その誼で、戦争の時代を扱った続編である本書をひょいと手にし、たちまち引き込まれた。もともとNHKテレビ番組用に語られ、それを本にしたものである。軽やかな口調だが、その背後に著者の並々ならぬ学術的考察の蓄積がある。裾野の広い確かな研究にもとづきながら、一般の読者に分りやすく論ずる作品である。
 太平洋を舞台に3年9カ月にわたり死闘を繰り返した日米戦争の要所を語りつつ、著者もサイパン陥落を、日本の敗戦が宿命づけられた決定的瞬間であるとしている。まず真珠湾攻撃によって日本側は空軍の優位を実演した。それでいて、太平洋島嶼の基地を艦隊決戦のための補給地とする古い思想を脱しえず、島嶼を航空拠点として用いる思想が不徹底であった。日本軍はサイパン島に4万4千の守備隊を集めたが、米軍の制空権・制海権の下、猛烈な空爆と艦砲射撃によって、7万の米軍が上陸を開始する前に、日本軍の水際防禦陣地はほぼ壊滅した。マリアナ沖海戦で日本は機動部隊を失い、サイパン失陥により日本本土はB29の空爆圏に入った。敗戦必至となったこの時点から1年以上戦い続ける中で、310万にのぼった日本人全犠牲者の大半が失われ、戦後の日本に深い傷を残したとしている。
 それにしても、国民総生産で12倍、産油量で777倍もある米国に対して、日本はなぜ戦争に踏み切ったのか。当時の軍人も国民も日米の国力差を知っていた。弱いアジア諸国をいじめるのと異り、米国との国力の差を精神力で立ち向い克服するのを快とする国民感情や日露戦争の勝利体験といった心理的要素で説明する他はないようである。日中戦争開始後、陸海軍が「臨時軍事費」の特別会計により戦争準備の恩典を得ていたことが開戦決断を支える要因であったとの指摘は新鮮である。第一次世界大戦直後から、日本が帝国国防方針によって、米国がオレンジ・プラン策定によって、共に将来の戦争を予期していた一面があること、日本の南部仏印進駐に対し米国政府が石油全面禁輸などの激烈な制裁で応じたのは対ソ配慮ゆえであったこと、結局のところ日中戦争が日米戦争への導火線であったことなどが論じられている。
 日中戦争は長期にわたる大規模な戦争であったが、両国とも米国が中立法を発動して支援や貿易を止めることを嫌って、戦争ではない「事変」とした。長期化したのは「短期決戦で押したい日本と、アメリカとソ連の介入までどうにか戦線を維持し……たい中国との、対照的な戦略ゆえ」としている。それにしても、その場その場の事態への強い応戦に夢中になる中で、かくも全体的状況への洞察を見失うことができるものである。それは昔も今も変らないとの想いを禁じ得ない。
 事の始まりは満州事変であった。昭和初期の経済的絶望の中で、松岡洋右の「満蒙問題は我が国民の生命線」という言葉が人々の心を捉えた。「満蒙」も「生命線」も、何と不正確な言葉であろうか。もともと中間のあいまいな了解を、陸軍は明確な約束なのに中国が守らないと日本国内で宣伝した。東京帝大生の88%が、武力行使をしても満蒙の権益を守るべきだと答えた。満州事変はメディアと世論の圧倒的支持を享受し、満蒙の一部であると国内でイメージされた熱河へ関東軍は侵攻した。正確な概念を魅力的なイメージの下で消し去る風潮の恐ろしさを改めて教えられる。歴史への精通とヒューマンな視点の結合を特徴とする本書である。
    --「今週の本棚:五百旗頭真・評 『とめられなかった戦争 さかのぼり日本史(2)昭和』=加藤陽子・著」、『毎日新聞』2012年3月4日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120304ddm015070034000c.html

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自分自身へ眼をむけない限り、「善いことをやっている」つもりで官僚的に「極悪」業務をやってしまう

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全体主義的支配の本質、またおそらくすべての官僚制の性格は、人間を官吏に、行政装置の中の単なる歯車に変え、そのようにして非人間化することであるということは、政治学および社会学にとっては勿論重要な問題である。
    --ハンナ・アーレント(大久保和郎訳)『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』みすず書房、1969年、289頁。

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人間と社会の問題を考えるうえで、避けて通れないのが、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt,1906-1975)の傑作『イェルサレムのアイヒマン』になることは論を待たない。

アイヒマン(Adolf Otto Eichmann,1906-1962)とはホロコーストの中心人物の一人で、戦後南米へ逃亡していたところ、イスラエルの諜報機関の手によって逮捕されエルサレムで裁判を受けることになった。

アーレントは、その裁判から死刑執行へ至るまでを克明に描いた。しかし読者はその作品に面食らってしまうことになる。大量殺戮の中心者の一人だから、世界中は、アイヒマンを「タフな」極悪人として想像したが、実際のところ、アイヒマンは極悪人どころかとるにたらない小役人・小心者に過ぎないことが明らかになったからだ。

この対極的な事実は何を意味しているのか。

アーレントは、アイヒマンは言葉と他人の存在に対する「想像力の完全な欠如という防御機構で身を鎧っているから」大量殺戮を“事務作業”として遂行したと喝破した。つまり「考える能力――つまり誰か他人の立場に立って考える能力――の不足」が人間を人間として扱わないトリガーになってしまうということ。

日常生活では、メディアの報道の影響が大きいが、凶悪犯罪は、「極悪人」が行うことが定番である。しかし、じっくりとその経緯を腑分けしていくと、たしかに「極悪人」が遂行することもあるが、案外「普通」の人間が、上からの命令に盲従したり、システムや機械の力を過信したりするなかで“それとなくやってしまう”ことの方が多いのかも知れない。

だから、アーレントは、「<陳腐>であり、それのみか滑稽である」とも評している。人間生命に内在する怜悧さが、それとなく発動していく様は、どこにでもごろごろと転がっている。

さて……。
しかし、人間がそうした暴挙をそれとなく遂行し、ごろごろと転がっているものだからといって、

「おれは弱い人間だから“いたしかたない”」
「アーレントの指摘は峻厳すぎる」
「フツーの人間にそれを背負うには重すぎる」

……式に、そこに居直りを決め込むのは早計かも知れない。

その感覚が分からなくはないし、眉間にしわを寄せながら24時間それを抱え込んで生きていくことは実質的には不可能だろう。

後のミルグラム実験では、人間は、正当と考えられる権威に命じられたなら自らの道徳観に反しても罪のない他人を傷つけてしまう。そのとおり、人間は弱い存在だ。

しかし、弱いからといって、そこに「抗うことができない」と“降参”を決め込むことは早計だ。

何かに無自覚であること。
そして自身の現状を肯定するのではなく、居直ってしまうこと。
言葉を使い古して、想像力を失ってしまうこと。

この誘惑と絶えずたたかっていかない限り、僕自身がアイヒマンになってしまうことだけは否定できない。だからこそ、人間の弱さへ居直ってはならないし、それを決してエクスキューズにしてはならないのだろう。

蛇足的ながら、本書の出版を最も批判したのはユダヤ人たちだったという。要するに「ナチを擁護した」というのがそれである。追及においては、極悪人が暴挙をなすという「神話」がうまく発動するから、その構造が崩壊してしまうからなのだろう。

しかし、自分自身へ眼をむけない限り、「善いことをやっている」つもりで官僚的に「極悪」業務をやってしまうのが人間の常なのだと思う。

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『人類の宗教の歴史』=F・ルノワール著」、『毎日新聞』2012年3月4日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『人類の宗教の歴史』=F・ルノワール著

 (トランスビュー・3360円)

 ◇「新しい宗教家」が俯瞰する9大潮流の普遍
 表題に「人類の宗教」と書かれていることの意味は、べつにサルやネコの宗教があるからというわけではない。特定集団の信仰史ではなく、人類に一般的な宗教というもの、その歴史という意味である。すなわち世界の宗教全体をむしろ一つのものとして通観した歴史であり、だから副題には「9大潮流の誕生・本質・将来」とある。
 本書は二部構成になっている。第1部は第5章までで、宗教の起源を考える。第2部は第14章までで、「救いへの主要な道」と題して、よく知られた代表的な宗教をそれぞれの章で扱う。すなわち各宗教が「9大潮流」として同じ重さでまとめられている。最後に一章分の短い結論があり、宗教の現代と未来が論じられる。「科学知識の瞠目(どうもく)するような進歩にもかかわらず、人生は依然として深い謎である」という結語で終わる。
 著者は一九六二年生まれ、フランスの新しい宗教家とでもいうべきか。『ル・モンド』の宗教専門誌『宗教の世界』の編集長。多くの著書があり、二つの邦訳がすでにある。なかなか興味深い人物で、こうした本を書くことでもわかるように、東洋思想とくに仏教にも造詣が深い。自身がカトリックであることについては、若いときにたまたま修道院にこもって執筆をしていたときの宗教体験をインタビューで語っている。こうした人でないと宗教に強い関心を持てないであろう。それと同時に、さまざまな宗教を俯瞰(ふかん)できる力業を持つのはたいへんなことだと思う。ついわれわれは、宗教とは一つの道に深く入っていくことだと思ってしまうからである。著者の態度には、よい意味での西洋文明の普遍性への志向を読み取ることができる。
 第1部の宗教の起源は、文字で書かれた歴史以前のことになる。だから第1章は考古学的な考察である。具体的には埋葬儀礼、洞窟絵画が典型である。第2章は「神が女性であった時代」。わが国でも縄文のヴィーナスならなじみが深いであろう。これが「雄牛との結合」となるのは、生殖の神秘を意味している。さらにそこから祖先祭祀(さいし)となる。第3章が「都市の神々」、第4章が「世界の神々」続いて第5章が「人類の枢軸転換期」である。章の題名を記したのは、著者の論述の筋道がよく示されているからである。最後の章の題名はヤスパースの議論から取られており、紀元前七世紀から同五世紀の間を指している。中国、インド、西洋で、この間に人類史上で似たようなことが同時に起こる。宗教史でいうなら個人の救済という概念の発生である。そこから今日われわれが「救済の宗教」と呼ぶものがはじめて生まれる。以下の章はその各論となる。
 第6章は「中国の叡智(えいち)」で、道教と儒教を扱う。続いてヒンドゥー教、仏教、ギリシャの叡智、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、生き続けるアニミズムという章が続く。つまりこの部分はそれぞれの宗教の歴史についての各論である。たがいの有機的関連が薄いのは、事柄の性質上、やむをえないのかもしれない。ただしそれぞれの項目に関心のある人にとっては、興味のある記述が見られるはずである。
 人は自分自身を自然と身体から切り離し、すべてに回答を与える、単なる脳となってしまったことに気づいていない。しかもそれが全世界に幸福をもたらすと信じ込んでいる。それはほとんど現代のマンガだ。著者はそう語っている。世界には似たようなことを考える人がいるものだと、私は思う。私自身は宗教家ではない。しかし宗教に関心を持つのは、こういう人がいるからである。(今枝由郎訳)
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『人類の宗教の歴史』=F・ルノワール著」、『毎日新聞』2012年3月4日(日)付。

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http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20120304ddm015070031000c.html

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王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず

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中学校のときの同級生にクリスチャンがひとりいた。
修学旅行は、京都・奈良の史跡・社寺仏閣が中心のコースだったと思う。
その時、その同級生は、お賽銭を投げるだとか、鳥居をくぐるだとか、手を合わせるだとか、そうした「慣習」をきっぱりと拒否した。

キリスト教徒と一口にいっても様々な立場の人もいるし、同じ教派であっても、受け止め方の温度差はある。

しかし、今にして思えば、恐らくそういうことに峻厳なプロテスタントの所属だったのだろうと推察されるけれども、中学3年生の少年が、自らの内心の自由を尊重する立場から、そうした「圧倒的に同調化」してくるものに「ノー」と意思表示したことには、一種のすがすがしさを覚えたことが懐かしい。

もちろん、仲間たちは、そうした姿に対して、

「なんで、やらないの?」
「日本人としておかしいのじゃないの?」
「調和を乱す奴だなーー」

……って不躾な言葉で対応した。

そして、少し知恵のある連中は、

「信仰は信仰として大事だけど、形式的に皆に合わせるだけならば、信仰を否定することにはならないから大丈夫だよ」

との言葉で……恐らく同情と心配からなのでしょうが……励ましていた。


さて……思い出話はここまで。

異なるものを排除して、制服を着せた軍隊という「古来の伝統」とは相反するイコンを接ぎ木して、それを強固した同調同圧社会というのが日本の実状なんだろうと思うわけだが、そこで便利に使われるのが「調和(を乱すな)」というフレーズだろう。

「調和を乱すな!」。

この「調和」という言葉は、楽典式の本来の字義通りに解釈するならば、それは様々な音が「うまく整い、全体のバランスがとれていること」(=ハルモニア)の生成を意味するものだ。

だとすれば、全てが単音で形成されることイコール「調和」を意味するわけではない。

しかし、どうやらこの国では、皆が皆それを遂行しないと「日本人としておかしいのじゃないの?」という単音「誤読」としての「調和」が流通しているようだ。

そしてもうひとつの盲点は、「形式を合わせることは、内実に関与しない」という言い方に出てくるから、そこに注目したい。

近代日本の信教の自由(内面の自由)の歴史を振り返ると、実はこのフレーズがマジックとして機能しているのがひとつの事実。

本来、内心の自由は、完全に取り締まることが不可能だ。
思想信条は、どのようにねじ伏せられ・制限されようが、魂までは奪われてたまるか……と命がけで抵抗する。

これは鎌倉時代の仏僧日蓮(1222-1282)が『撰時抄』のなかで言及した魂の独立宣言として理想的に表現されている。

「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」

この立場は、あらゆる思想信条においても根本的には同じだろう。

しかし、それを逆手に取って、「内心は許すが、外面は従え」というのは、いささか乱暴だろう。これをこの国土世間では、やすやすと受容されてしまい・やってしまうことには驚いてしまう。

戦前日本の、治安維持法へ至る統制の経緯を振り返ると、形式・職務違反として「制限」から「内心の自由」へ踏み込んでいくのがその常道だからだ。

このあたりをふまえていかないと、単音一色主義を「調和」と錯覚したり、「これは、しきたりだから、内面に踏み込んでいる訳ではないんですよ」という内心を圧迫する話法を公定することになってしまう。

本来、異なる音がひとつに介したときすばらしい音色となるのが「調和」であるとすれば、全員が同一行動を「軍隊」の行進のようにとるのではなく、それに対して手を合わせる人もいれば、手を合わせない人もいる、そしてどうでもいいやと思うひとがいるというほうが、字義にかなった「ハルモニア」になる筈だ。

そして、業務だから「内心の発露」を制限してもよい……というのは理由にすらならないわけなんだがorz

いやはや。

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覚え書:「VIEWPOINT 橋下市長は職員調査命令撤回を=ローレンス・レペタ」、『毎日新聞』2012年3月3日(土)付。

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VIEWPOINT 橋下市長は職員調査命令撤回を
ローレンス・レペタ 明治大学法学部特任教授

 大阪市の橋下市長は2月、市職員へのアンケート調査で、労働組合活動や支持する政治家などに関する個人情報を強制的に答えるように命じた。命令が許されるのならば、日本の民主主義社会にとって大きな後退になるだろう。
 米国史に詳しい人なら、プライバシーや結社の自由に対する同様の攻撃があったのをご存じだろう。最も有名なのは1950年代にマッカーシー上院議員らが率いる米上院小委員会が俳優や作家、学者らの政治歴を調べた例だ。共産主義が米国を席巻するという恐怖感から行われ、後に「赤狩り」と呼ばれた。
 職員への調査で、橋下氏は「正確な回答がなされない場合には処分の対象となりえます」と述べたが、マッカーシー議員らの調査を拒否した人たちも処罰によって脅かされ、多くの作家や大学教授が政治信条や政治活動の秘密を守る憲法上の権利を主張して、仕事を失うなどした。
 ブルックリン大学教授だったハリー・スロックアワー氏は52年に小委員会に呼ばれた。共産党員だった過去について証言を拒否し大学を解雇されたが、憲法で保障された権利を侵害されたとして提訴。56年、米連邦最高裁は解雇を違憲とする判決を下した。
 同じころ米南部では黒人に平等な権利を求める公民権運動が始まっていた。55年、アラバマ州でバスに乗っていた黒人のローザ・パークスさんが黒人用に分離された座席への移動を拒否し逮捕された。
 パークスさんは全米黒人地位向上協会の会員だった。アラバマ州政府は協会に会員名簿の開示を求めたが、会員への暴力や嫌がらせにつながると恐れた協会は拒否した。州政府は協会を提訴した。
 58年の連邦最高裁判決は全員一致で、結社の自由が民主主義社会に不可欠な権利だとし、「結社の自由を保つためには多くの状況でプライバシーを守ることが必要だろう」と指摘した。判決は個人情報の保護における画期的な出来事として賞賛されている。
 「公権力の乱用から個人情報の保護」は簡単に実現したわけではない。スロックアワー氏やパークスさんといった個人の勇気のおかげで米国人は今日、憲法上の権利を享受しているのだ。この歴史を考慮すれば、橋下市長の命令は衝撃的だ。日本が民主主義社会だと認識しているのなら、橋下市長は直ちに命令を撤回すべきだ。【訳・秋山信一】
    --「VIEWPOINT 橋下市長は職員調査命令撤回を=ローレンス・レペタ」、『毎日新聞』2012年3月3日(土)付。

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「木語:「30万人説」広めただけ=金子秀敏」、『毎日新聞』2012年3月1日(木)付。

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木語:「30万人説」広めただけ=金子秀敏

 <moku-go>

 名古屋市の河村たかし市長が物議をかもした。1937年の南京事件の被害者について「30万人とされるような大虐殺はなかったのではないか」と発言した。

 「30万ではない」説は日本国内では多数派だろう。ただし、では何人かとなると、20万説からゼロまで割れている。

 中国は30万が定説だ。根拠は東京裁判や南京軍事法廷だと主張している。共産党中央と中国政府が認定した数字だ。河村氏はそれが正しくないと思うなら、党中央と中国政府に言うのが筋だろう。南京市の役人に「党中央の歴史認識は間違っている」とねじ込んでみてもらちは明かない。相手を間違えている。帰国した代表団は、なぜ席を蹴って抗議しなかった!とネットでたたかれているという。

 タイミングも間違えている。ネットで2月23日付米国メディアCNNの書きぶりを検索してみたらいい。

 出だしが「日本の市長が、多くの記録によって立証された、70年以上前に中国で起きた虐殺事件を軽く見て怒りを呼んでいる」。次の段が「南京に侵入した日本軍のレイプ、殺人、略奪で殺された市民は30万人と見積もられる」。

 次が「事件は最近クリスチャン・ベール主演の映画『ザ・フラワーズ・オブ・ウォー(戦争の花)』で描かれた」。ここが問題だ。この映画の中国語タイトルは「金陵十三釵(チンリンシーサンチャイ)」。金陵とは南京、釵はかんざし。女性たちが米国人牧師のいる教会に逃げ込んだ。日本軍が女性を差し出すよう迫る。女学生を救うために売春婦たちが進んで犠牲になるという戦争美談だ。

 中国映画としては史上最高の約70億円をかけ、張芸謀(チャンイーモウ)監督がメガホンをとった。昨年12月13日、わざわざ「南京大虐殺記念日」を選んで、北京で封切りのセレモニーが行われた。同じ日に、南京の記念館では反日運動団体が5000人集会を開いた。危ういことに映画の売り込みと反日運動が連動している。

 大ヒットしている。映画館を出てくる中国人は興奮して「尖閣諸島を奪回せよ」と叫んでいるという。30万人が正しいかどうか、中国人が冷静に語りあえる時ではない。

 米国のCNNが30万人説を振りまくのはなぜか。米国も中国も東京裁判では同じ対日戦勝国である。日本の戦争犯罪がなかったとする歴史認識は持ち合わせていない。

 結局、河村発言でなにがどうなったのか。CNNが張芸謀映画を宣伝し、30万人説がいよいよ世界に広まった。この結果について河村氏は責任を感じているだろうか。(専門編集委員)
    --「木語:「30万人説」広めただけ=金子秀敏」、『毎日新聞』2012年3月1日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20120301ddm003070059000c.html


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旨いもの・酒巡礼記:東京都・新宿区編「ビア&カフェ BERG」

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 大治郎は、また老人に出会った。
 山谷堀の南に、真土山(まつちやま)の聖天宮(しょうてんぐう)がある。
 この日も、大治郎は田沼屋敷からの帰りで、いつもよりは時刻も早かったものだから、聖天宮へ参拝してから、門前の〔月むら〕という蕎麦屋へ入り、
 「酒をたのむ」
 と、いった。
 大治郎も、大分に変わってきたようだ。
 長い修行を終え、江戸の父の許(もと)へ帰って来たころの秋山大治郎は、一人きりで蕎麦屋へ入って酒をのむことなど、おもってもみなかった。
 いや、蕎麦は食べても、まだ明るいうちに酒を口にするなどとは、それこそ、
 (とんでもない……)
 ことだったといってよい。
 小兵衛とちがって、二合ものめば真っ赤になってしまう大治郎なのだが、ともかくも、こうして酒に親しむという気分を、
 (わるいものではない)
 と、おもいはじめてきたらしい。
 それもこれも、父・小兵衛のすることを見ているからであろう。
 酒がくると、おもいついて蕎麦掻きもたのんだ。
 月むらは、一年ほど前に開店した蕎麦屋だが、場所柄、小ぎれいな店構えで、奧には小座敷もある。
 酒も蕎麦もうまいというので、たちまちに客がつき夕暮れ間近い、この時刻にも入れこみは客で埋まっていた。
 入れこみの真中に通路があって、突き当たりに大川(隅田川)をのぞむ小座敷が二つある。
 黒塗りの小桶の、熱湯の中の蕎麦掻きを箸で千切り、汁につけて口に運びつつ。大治郎はゆっくりと酒を楽しんだ。
 こんなことを秋山小兵衛が見たら、何というだろう。
 「せがれめ、小生意気なまねを……」
 苦笑を洩らすにちがいない。
    --池波正太郎「逃げる人」、『剣客商売12 十番斬り』新潮文庫、平成六年。

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ほとんど毎日晩酌は欠かさないとおりの生活ですが、そとで呑(や)るのも好きなわけですが、大勢でわいわい呑むのも楽しいものですが、ひとりでサクっとやるのもなかなかの快味なのではないかと思います。

先日、久しぶりに新宿に降りたので、ビアパブとでもいえばいいでしょうか……かならず訪問する「ビア&カフェ BERG」に1年ぶりに逗留。

ちょうど帰宅時間帯とかさなり店内は大盛況でしたので、メニューをあれこれ考えるよりも定番の「ジャーマンセット」をオーダー。

パンが二品とパテ二品。
ザワークラウトとレタス。
それからソーセージとハム。

ビールセットでお願いしてヱビスの「黒」にて乾杯。

パンもハムも自家製で、小麦と肉のうま味が凝縮された「間違いのない」味わいを舌鼓した次第です。

たしかに、ロンドンのパブやコーヒーハウスは、発祥としては、飲んでおわりという場所よりも、そこで投資から娯楽、学芸からスポーツまで論じられた「社交場」だったかと聞いたことがありますが、その日は一人で訪問しましたが、昔はよく仲間と短時間のやりとりに利用してことが多かっただけに、そうした雰囲気も味わいつつ、楽しませていただきました。

「長居」するのではなく、「サクッ」と気分転換や語らい……忙しい現代人にとってはまさに都会のオアシスではなかろうか……などと思うのは私ひとりではあるまい。

あ、忘れていましたが、「ビア&カフェ」というふれこみの通り、珈琲のたぐい、カレーといった軽食もなかなか素晴らしい味わいです。


BERG
東京都新宿区新宿3-38-1 ルミネエストB1
7:00~23:00
http://www.berg.jp/


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覚え書:「東日本大震災:暮らしどうなる? 避難所、仮設での暴力防げ」、『毎日新聞』2012年3月1日(木)付。

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東日本大震災:暮らしどうなる? 避難所、仮設での暴力防げ

女性、子どもに被害多く 支援団体、対策作りへ実態調査
 東日本大震災に関連して起きた女性や子どもたちへの暴力や性暴力が、相談支援を続けてきた団体によって少しずつ明らかになっている。支援団体は被害実態をまとめ避難所の運営指針や仮設住宅入居後の訪問支援などに生かそうと、情報を集めている。【稲田佳代】

 全国女性相談研究会(東京都豊島区)は、被災地や首都圏の避難所などで女性の相談を受けてきた。会のメンバーで、ふだんは配偶者間暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)被害者の支援などに取り組む吉祥(よしざき)真佐緒さん(42)は、数々の被害を見聞きした。
 福島県内のある避難所では、夜間に30~60代の女性が襲われ性的被害を受ける事件が3件起きていたという。若い女性から「私も襲われるかもしれない。怖い」と打ち明けられ知った。気配や物音で、3人が被害にあったことは避難所の公然の秘密のようになっていた。
 加害者は同じ避難所の中年の男とみられ、周囲も感づいていた。男は深酒をして酔っていることが多かった。吉祥さんは、夜間常駐する自治体職員に相談したが「なんとなく分かっているけど、悲鳴が出ず被害の届け出もないので男女の営みに口出しできないんです」と言われた。
 その後に襲われた別の中年女性は「やめて」と大声を上げたため、110番通報で警察が来た。しかし女性は「この年で襲われたなんて恥ずかしい。家族に迷惑がかかる」と被害届を出さず、警察の事情聴取から帰ってきた男は、同じ避難所で暮らし続けた。解決策が見いだせず、吉祥さんが男に直接抗議したところ、男は当てつけのようにズボンを脱ぎ下半身を見せた。
 女性たちが声を上げないことについて、吉祥さんは「被害者や加害者、警察官、自治体職員らが全員顔見知りの中で、丸く収めたいという思いが働くのかもしれない」と推測する。
 酒に酔った男性同士が避難所でケンカしているのも目撃した。避難者の女性に尋ねると「毎日です」。暴力を見せることも虐待の一種だ。ケンカの様子を子どもも見ていた。
 女児からは、トイレに男性がついてくる、更衣室をのぞかれる、ひわいな言葉をかけられるなどの訴えが多かった。ボランティアの男性から「チューして」と迫られた子もいる。

     × ×
 昨夏までに多くの被災者が仮設住宅に移った。全国女性相談研究会が仮設住宅を巡回するようになると、10月ごろから相談内容にDVが目立ってきた。「女性相談」と掲げると人目を気にして相談できない人もいるため、「女性限定のハンドマッサージ」と呼び込み、女性たちの声に耳を傾けている。
 吉祥さんが仮設住宅に着いた途端、一室から「てめえこのやろう!」という怒鳴り声と大きな音がしたこともあった。妻が暴力を振るわれているらしく、その家の子どもはおどおどしていたという。
 被災地には、暴力を生みやすい環境要因が増えた。大切な人や仕事を失った喪失感からのアルコールやギャンブルへの依存、夫婦が一日中顔を突き合わせていなければならない狭い仮設住宅、放射能の問題と子育てに対する夫婦の認識の相違、義理の親との望まない同居……。
 吉祥さんによると特に多いのは、震災で失業した夫が義援金や東京電力の賠償金の使い道を勝手に決めてしまうケース。妻が注意すると逆上し、暴れる。生活費を使い込んで渡さないことも経済的なDVに当たる。だが妻のほうが「仕方がない」と我慢したり、「あなたがしっかりしなきゃ」と周囲から励まされることが多いという。
 吉祥さんは女性に、頼れる相談先を1カ所は確保しておくことを勧める。誰かに話せば、「何か分からないけれど生きづらさを感じている女性が、『これはDVかもしれない』と気がつく第一歩になる」からだ。

     × ×
 これまで、大震災に関連した女性と子どもへの暴力について、公的な調査は行われていない。
 性暴力問題などに取り組む被害者や看護師らでつくる「災害時の性暴力・DV防止ネットワーク」は、震災から半年間に、被災3県で少なくとも14件の暴力被害を把握している。報道や被災地の医療関係者からの情報、メンバーが見聞きした情報をまとめた。
 地震による停電中に部屋へ侵入してきた男に女性が襲われた事件や、中学校に寝泊まりしていた女性ボランティアが襲われた事件など強姦(ごうかん)・強姦未遂が4件、強制わいせつが4件、DV2件などだ。DVの1件は、宮城県石巻市の仮設住宅で起きた。男が酒に酔った内縁の妻の顔を殴り、両手両足を縛って頭に布団をかぶせて死亡させたとして逮捕致死罪で起訴された。
 代表の山本潤さんは「平時でもDVや性暴力の被害は訴えにくい。災害時はなおさら沈黙してしまう。被災者から『東北は男尊女卑の文化が根強いから仕方がない』と、あきらめにも似た言葉も聞いた。地域性に配慮した実態把握や支援をしたり、ふだんから暴力防止教育を行ったりすることが必要」と訴える。
 被災地の女性支援に取り組む団体でつくる「東日本大震災女性支援ネットワーク」は3月末まで、被害情報をアンケートで集めている。隠れた被害実態をまとめ、現在、国や地域で策定が進む防災計画や復興計画に反映させようとする取り組みだ。信頼できるデータがあれば、女性が暮らしやすい避難所作りや、他人の目が届かない仮設住宅の支援などの必要性を、行政や市民に納得してもらいやすくなる。
 「被害者本人か、直接被害者から話を聞いた人」の協力を呼び掛けている。情報を提供できる人は同ネットワーク調査チーム(電話03・3830・5285)まで。周囲に知られたくない人には郵送方法などを配慮する。
    --「東日本大震災:暮らしどうなる? 避難所、仮設での暴力防げ」、『毎日新聞』2012年3月1日(木)付。

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http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2012/03/01/20120301ddm013040021000c.html


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習慣としきたりの訓練を受けなくてはなりません。一回限りではなく、持続的に、永遠に


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資本を社会的なものに向けるためには、有権者は民主主義の習慣としきたりの訓練を受けなくてはなりません。一回限りではなく、持続的に、永遠に。(学校は閉鎖しません。いずれの世代も、教育を受けにやって来ます。それゆえ、私は「導き続ける」と言ったのです。政治形態を変えるただけで、永遠にすべてがうまく行くということにはならないのです。)
    --スピヴァク(中井亜佐子訳)「他のアジア」、鵜飼哲監修『スピヴァク、日本で語る』岩波書店、2009年、127頁。

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昨日は、昼過ぎから夕方まで尊敬する文筆家の方としばし懇談。

現在の社会情勢、それから未来への展望をブリーフスケッチ。

閉塞的情況が展望されるわりには、わざとそれに気が付かないふりをして日常生活がオートマチックに「遂行」され、粛々と欲望が消費されていく……。

自分自身の日常生活もおなじように「遂行」されていますから、別にそれを大上段から否定しようとは思いません。

ただ、自分自身がどこに立っているのか。

どのような経緯の足跡のうえにいるのか。

そして、つぎにどう足を運んでいくのか。

この点はときどき留意しておかないと足下を掬われてしまうし、発想自体も硬直化するか、使い古された言語を無反省に消費するだけしかできなくなってしまうんじゃないかと。
「習慣としきたりの訓練を受けなくてはなりません。一回限りではなく、持続的に、永遠に」というのが頭をふとよぎり、そしてそのことは、何か一つを悪者にする、そして、その反対に何か一つを正義として扱う……そういう悪癖の誘惑をどれだけ回避できるのかどうかにかかっているじゃないかと痛感した次第です。。

お忙しいなか、時間を割いていただき、ありがとうございました。

久しぶりに、脳を再リセットした感。

ちょうど昨日は仕事が休みなので、少々ゆっくりと反芻できたように思いますが、今日から終日また仕事。

ルーティーンは「慣れ」が肝要になるわけですが、ホントにその「惰化」をどれだけ相対化させることができるか、ひとつ今日からまた挑戦していこうと思います。


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国民のどの部分も「自己の反省」が無い。凡そ自己に対して反対の運動の起つた時、これを根本的に解決するの第一歩は、自己の反省でなければならない。

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 朝鮮の暴動(三・一独立運動のこと……引用者註)は、言うまでもなく昭代の大不祥事である。これが真因いかん、又根本的解決の方策いかんに就ては、別に多少の意見はある。ただこれらの点を明かにするの前提として、予輩のここに絶叫せざるを得ざる点は、国民の対外的良心の著しく麻痺して居る事である。今度の暴動が起こつてから、いわゆる識者階級のこれに関する評論はいろいろの新聞雑誌等に現われた。しかれどもその殆どすべてが、他を責むるに急にして、自ら反省するの余念が無い。あれだけの暴動があつても、なお少しも覚醒の色を示さないのは、いかに良心の麻痺の深甚なるかを想像すべきである。かくては、帝国の将来にとつて至重なるこの問題の解決も、とうてい期せらるる見込みはない。
 一言にして言えば、今度の朝鮮暴動の問題に就ても、国民のどの部分も「自己の反省」が無い。凡そ自己に対して反対の運動の起つた時、これを根本的に解決するの第一歩は、自己の反省でなければならない。たとい自分に過ち無しとの確信あるも、少くとも他から誤解せられたと言う事実に就ては、なんらか自ら反省するだけのものはある。誤解せらるべきなんらの欠点も無かつた、かくても鮮人が我に反抗すると言うなら、併合の事実そのもの、同化政策そのものに就て、更に深く考うべき点は無いだろうか。いずれにしても、朝鮮全土に亘つて排日思想の瀰蔓して居る事は疑いもなき事実である。朝鮮に於ける少数の役人の強弁の外、今やなんびともこれを疑わない。而して、我国の当局者なり、又我が国の識者なりが、會てこの事実を現前の問題として、鮮人そのものの意見を参酌するの所置に出た事があるか。
    --吉野作造「対外的良心の発揮」、『中央公論』一九一九年四月。

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1919年の今日。

先の朝鮮国王李太王の国葬のその日。

ソウルにおいて独立宣言が発表せられ、学生を先頭とする数十万の民衆が示威行進を行い、その動きは全国に波及しました。

この平和的な示威に対して、当時の日本政府は残虐な弾圧を行い、政府発表の「不確実」な統計でも以降3ヶ月の間に7千人近くの朝鮮半島の人々を殺害し、事件を収束させたといいます。

当時のメディアの主要な論調はどのようなものでったでしょうか。

そのほとんどは、天道教徒、あるいはキリスト教徒の陰謀にその根拠を求め、特にアメリカ人宣教師の煽動にその根拠を見出しています。そしてこの民衆運動を非難する一方、独立運動に関しては、「不逞鮮人」とのレッテル貼りにて、それを敵視し取り締まれという論陣を展開しております。

当時、真正面から、朝鮮半島の民族自決を認めよとの論説は『東洋経済新報』社説「鮮人暴動に関する理解」(五月一五日号)や『太陽』(六月号)掲載の「朝鮮自治問題」(京都帝国大学教授・末広重雄)ぐらいでしょうか。

さて……。
私自身は吉野作造(1878-1933)の研究をひとつの翠点におき、近代日本キリスト教思想史……というか吉野作造がクリスチャンであったことすら知らない方が多いと思いますが……の研究をしておりますが、そうした論調よりいち早く問題を指摘していることをひとつ紹介しておきます。

吉野のこの運動に対する反応は、冒頭に紹介している通り、当時のメインストリームである翼賛論調とはまったく異なるもの。

吉野は同論説にて、誰かに「煽動」された運動という僻見をいち早く退け、当事者である朝鮮半島の人々の立場に立って事態を見極めろと指摘しています。

そして過去の朝鮮半島統治政策に問題がなかったのか……と問うだけでなく、基本方針として「民族同化政策」そして「併合の事実」そのものの「反省」を突きつけています。
※のちの具体的提言としては「さしあたり」の改革として、1)言論の自由、2)同化政策の放棄、3)差別待遇の撤廃、4)武断統治の廃止に言及。→「朝鮮統治の改革に関する最小限度の要求」、『黎明講演集』第六輯。

勿論……ねぇ、吉野の論説を、現在の眼差しから、

「ぬるい」

「温情主義の限界w」

「ああ、ポストなんちゃらの観点から見ると、“上から目線”だよね」

「(結局は)主権の所在を問わない“民本主義”の限界orz」

……等々、「批判」することは“容易”なわけです。

しかし、とやかくいう前に、吉野博士の「自己の反省」への言及、そして「併合の事実そのもの、同化政策そのものに就て、更に深く考うべき点は無いだろうか」という植民地主義そのものへの“批判”は当時の「制限下」という「言論の自由」の「コンテクスト」情況においては、踏み込んだ、発言だとは思います。

とやかく論評するのは簡単なんですよ。

しかし、僕が吉野作造を信頼する一点は何かといえば、博士自身が汗をながしてそれを実践しようとしたこと。
※「僕が吉野作造を信頼する」と言及しましたが、もちろん「価値自由」は知ってますけど、それはくどいけど、フリーハンドの「客観性」ではないのは言うを待たないし、詳細はヴェーバー(Max Weber、1864-1920)の「客観性論文」でも読んでください。

だから、朝鮮半島の留学生を支援するために、東京帝国大学を辞めて、より給料のいい新聞社へ移ったりとか……移ってそうそう、筆禍で辞職してるけど……、死ぬまで、金融投資しながら、支援しているんですわ。

ああ、これこそ、金だけ出していれば、「おれは正義」みたいな薄っぺらいそれではありませんよ。

吉野博士は、それを「信念」として実践しているんだよ。

そのことにね……、

「ああ、すごい日本人がいた」

……っていう短絡発想ではなく、「すごい人間がいた」っていうことで、僕もその衣鉢をつぎたい。

正直、ビンボーで何もできないし、幸いなことに「研究」と「教育」に関わっているからあれですけど、自分に関わるひと、そして自分の子供には、「出自」やら何やらで判断するような人間を形成していきたくはない……よね、

脱線したけど。簡単に吉野作造には「限界」があるって言えないんだ。


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覚え書:「異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してはならぬ=佐藤優」、『毎日新聞』2012年2月29日(水)付。

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*p2*[覚え書]覚え書:「異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してはならぬ=佐藤優」、『毎日新聞』2012年2月29日(水)付。


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異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してはならぬ
寄稿 佐藤優

日本の政治が機能不全を起こしている。この閉塞状況を打破してくれるのではないかと橋下徹大阪市長に対する期待感が高まっている。同時に、橋下氏の手法が、ファシズムに親和的な「ハシズム」でないかという懸念も有識者の中で強い。筆者は、橋下氏の政治手法はファシズムと根本的に異なるとみている。まず橋下氏にはファシズムに特徴的な金融資本批判と社会的弱者に対する再配分という主張が欠如している。それ故に橋下氏が弱肉強食を是認する新自由主義者であると決めつけるのも間違いだ。橋下氏は、目の前にある問題を現実的に解決しようとする実証主義者である。
 さらにファシズムの特徴は、排外主義にある。国内政治において、橋下氏は常に仮想敵を作り出して、自らの権力基盤を強化するという手法をとっている。ポピュリズムの文法に従い、中国、韓国、北朝鮮、あるいはロシアを標的に定めた排外主義を用いると、橋下氏は国民的支持を急速に拡大できる。そのことをわかっていながら、橋下氏はあえて排外主義カードを切らない。外交・安全保障問題の重要性を橋下氏が直観敵に理解しているからだと思う。

天賦の才を日本のために活用すべし
 一部の有識者からの批判に対し、橋下氏はツィッターで感情的な言語を用いて激しく反応することがある。しかし、それ故に橋下氏に他者の見解に耳を傾けないという独善家というレッテルを貼るのは間違いだ。「お前はいかがわしいやつだ」という視座から行われる高踏的な批判に対して「何を偉そうな」と橋下氏は毒舌で応えるが、そうでない批判については、熟慮し、政策で軌道修正を行う。「船中八策」のたたき台で提唱した首相公選制についても元首は天皇であるということを明確にした。国民の直接選挙に基づく首相が生まれると権力と権威が一体化し、日本の国家体制を成り立たせる根底(伝統的な言葉でいうところの「国体」)を毀損する可能性があることに橋下氏が気づいたのだと思う。
 また、たたき台では米海兵隊普天間飛行場の沖縄県内移設を盛り込んだ「米軍再編のロードマップ(行程表)履行」と規定していたのを改め、「日本全体で沖縄の基地負担の軽減を図る新たなロードマップの作成に着手」と明記し、「普天間は県外で分散移設」との文言を加える方向で検討しているという(23日読売新聞電子版)。普天間問題の本質が、沖縄に過重な基地負担を強いている構造化された差別にあることに橋下氏が気づいたから、このような方針転換を行ったのである。
 橋下氏には確かに危うい要案がある。しかし、過ちを犯さないのは何もしない人だけだ。橋下氏を潰してはならない。民意を的確にとらえ、かつ柔軟に変容することができる橋下氏の天賦の才を日本のために活用すべきだ。
さとう・まさる 1960年生まれ。作家。元外務省主任分析官。同志社大学院神学研究科修士課程修了。「野田政権下で北方領土交渉が動くような予感がします。筆者のところにも、モスクワからさまざまなメッセージやシグナルが送られてきます」
    --「異論反論 橋下大阪市長に注目が集まっています 危うくとも潰してはならぬ=佐藤優」、『毎日新聞』2012年2月29日(水)付。

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