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人間精神は、元来孤立的に成り立たず、交通に依て其の内容を豊富にする

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 近頃保守論者の中には、日本国家の特色は、日本のみ特有であつて、他国の習ふ事の出来ないもの、従て又日本は、道徳の点に於て、他国から学ふべきものがないと云ふ人が多い。此くの如き精神的鎖国論者は、人間精神の微妙なる働きを知らず、又文明交通の何たるを思はないものである。日本は道徳に於て万邦に卓絶して居て、他に学ぶべき事は一毫もないと假定しても、文明理想の上に於て、交通が出来ないと云ふ筈はない。例へば、世界一の大学者があつて、其の人は他人から学ぶべき事は少しもないと假定せよ。其の人が自分の知識を自分で楽しむだけで満足し、自分の知識を整頓して、他人に示し、又はそれを以て他人を教育しやうともしない場合には、其の人の知識は、延び/\と成長するであらうか。教育者の常に経験する所であるが、自分の知識を整へて、これを人に伝へると云ふ事は、単に他人を教育するだけの事でなく、又自ら気の付かなかった点に注意し、或は考へなかつた方面を発見する源となる事が多い。教育するのは、単に被教育者の利益でなしに、又教育者自らの利益である。或は宗教の信者で、絶対の安心を得、信仰に於ては奥底に達した人があると假定せよ。其の人が、自分の信仰は絶対である、他人から学ぶべき事がないとして、山林に隠遁して、自ら信仰を楽しんで居れば、それで信仰の真意義を得たものと云ひ得やうか。勿論、信仰は内心の事で、言葉を持って人に伝へ得るものでは無いが、此くの如く孤立して、自分の信仰を楽しむのは、仏教で所謂る独覚のやり方であつて、其の信仰は偏頗な畸形的信仰である。信仰の熱烈な人なれば、必ず信仰を人にも伝へたいと云ふ情熱を起すに違ひなく、而して此くの如き伝道の活動をするに依つて、其の人の信仰が、一層熱烈になると共に、其の精神が一層広潤になる事は、古来伝道者の事歴に徴して明白の事である。伝道の熱誠は、信仰から出るが、信仰が伝道の精神に依て、広く大きく且つ強くなるのは、要するに、人間精神の交通性から来る事である。
 人間精神は、元来孤立的に成り立たず、交通に依て其の内容を豊富にする。人格の力は、先に述べた如く、独立の個性を発揮するにあるが、而かも人格の感性は、交感融通に依つて出来上る。それと同じく、国家の独立、一国民固有の文明は、其の独立性を確かにし、しつかり其の源を養ふ必要のあるは、勿論の事であるが、其の独立は、又開国進取の活動に依て、広く深い意味を得て来る。古来人間の歴史を観るに、国民の交通、思想文物の交換は、実に以外に広く行はれたものであつて、交通の不便や、言語の差別など云ふ障碍を打ち越える力がある。
    --姉崎正治『宗教と教育』博文舘、明治四十五年、73-75頁。

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探求を深めたりするうえでは、井戸を掘るように一点に集中して徹底を期することは、こと宗教に限らず、様々な分野においてよくある話しかと思います。

しかし、その集中作業においても必要不可欠なことは何かといえば、孤立的な自己を対象としながら、それをやってしまうと、掘り当てるべき鉱脈へ届かないどころか、かえって目的自体を毀損してしまったり、それだけでなく、返す刀で、ほかの人を傷付けてしまうこともあるんじゃないか、と。

そしてこれは、例えば学問における真理の探究とか、信仰における信仰の深みへの追及だけでなく、自分自身が大切にしている信条や心情に関しても同じかも知れない。

避けるべきなにごとかといえば、文人にして日本で最初の宗教学者、嘲風・姉崎正治(1873年7月25日 - 1949年7月23日))が指摘する通り「精神的鎖国論者」の「独覚のやり方」なのじゃないか。

うえの『宗教と教育』は大正元年へと改元される明治四十五年の刊行。

内村鑑三不敬事件に端を発する「宗教ト教育ノ衝突」論争から20年近くたったその当時においても、ややもすると偏狭な国家主義が頭をもたげてくるなかで、その問題性を平易に説いたのが姉崎博士のうえの論考。

この書の刊行からちょうど100年目にあたるのが本年ですが、状況としては憲法も新しくなり、土壌は帝国憲法の時代よりも保障されているにもかかわらず、「精神的鎖国論者」の「独覚のやり方」が跋扈する昨今の醸成には驚くばかりです。

そして付け加えるならば、自分自身の内発性の発露として確信を深めるために何かに全身全霊として没頭するというのはどの分野においてもあり得るし、賞賛もしたい。ただ、その専念が「ほめられたい」という自己の承認欲求を満たす為だとか、盲目的に「これ、やっとけばOK」って短絡的にやってくださる御仁も多くまったくおるずだなと思う訳ですが、そうした場合においても、「精神的鎖国論者」の皆様と同じように、孤立的な自己をのみ対象として、なにがしかに従事しているケースが多いように思われる。

ふうむ。


「人間精神は、元来孤立的に成り立たず、交通に依て其の内容を豊富にする」という契機を忘れてはいけませんね。

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