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問いただされているのは、民主主義、議会制、独裁体制、宗教政治といった個々の教条ではない。人間の人間性そのものが問いただされている

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 伝播し普及していく観念は、本質的にその出発点から離れていく。観念の創造者が観念にいかに独特な調子を伝えたとしても、観念は共通遺産の一部と化す。そもそも観念は匿名のものなのだ。観念を受け容れる者も、観念を提唱した者と同様、観念の主人である。このようにして、観念の伝播は「主人たち」の共同体を造り出していく。観念の伝播は平等化の過程なのだ。そこでは、改宗させたり説得したりすることも、対等な仲間を造り出すことである。西洋社会に見られる秩序の普遍性はつねに、このような真理の普遍性を反映している。
 それに対して、力は他の型の伝播によって特徴づけられる。力を行使する者が力から離れることはない。力は、それを蒙る者たちの間で失われることがない。力はそれを行使する人格や社会に固着しており、この人格や社会の残余のものを従属させることで、両者を拡張していく。その場合、普遍的秩序は、イデオロギーの拡張の必然的帰結として確立されるのではない。そうではなく、この拡張の運動それ自体が普遍的秩序なのであり、それが主人と奴隷からなる世界の統一をかたちづくるのである。ニーチェのいう権力への意志。現代ドイツはそれを発見し、賛美しているのだが、権力への意志なるものはたんに新たな理想なのではない。それは、戦争と征服という己が普遍化のための形式をも同時にもたらすような理想なのである。
 ここでわれわれは周知の真実にふたたび逢着したことになる。われわれはそれらの真実を一個の根本的な原理に結びつけようと努めてきた。おそらくわれわれは、人種差別はキリスト教的で自由主義的な文化の何らかの特種な側面と敵対しているだけではないという点を示すことには成功したのではなかろうか。問いただされているのは、民主主義、議会制、独裁体制、宗教政治といった個々の教条ではない。人間の人間性そのものが問いただされているのだ。
    --レヴィナス(合田正人訳)「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」、『レヴィナス・コレクション』ちくま学芸文庫、1999年、106-107頁。

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twitterでも言及したのですが、レヴィナス(Emmanuel Lévinas,1906-1995)は「ヒトラー主義哲学に関する若干の考察」(1934)の末尾で「問いただされているのは、民主主義、議会制、独裁体制、宗教政治とった個々の教条ではない。人間の人間性そのものが問いただされているのだ」と指摘。

結局のところ、原発の問題も、橋下さんの問題も、例えば、「原発がないと電気がたらない!」とか「火力コンバインドでまかなえる!!」というような各論での先鋭化した対決で済ませてしまうとおそらく不毛な議論を延々と続けてしまうことになってしまうかも知れない。
※もちろん、そうした“詰め”が不毛というわけじゃないけど。

橋下市長さんの問題も同じ。
市交通局の運転手が給料をいくらもっているとか、労働組合の不正がったのかどうかという争点で目くらましされてはいけないと思う。

それよりも、真っ先に目を向けなければいけないのは、何度も言及していますが、原発は被曝労働含め、そして立地の搾取構造含めて、各論の対決よりも、総論として、僕達が「オワタ」ことに関与していたことを深く反省して、脱原発という責任を引き受けていく「人間の人間性の問題」として向き合うことが必要なんじゃないかということ。

そして、橋下さんも同じ。市長閣下は局部集約的に「話題」を作ってくださる。
そしてそれにオーディエンスは振り回されてしまうってことですよ。

しかし大事なことは、彼が人間を「もの」として扱おうということを「経済的発展のためにはしかたがない」だとか「業務命令」に集約してやろうとしている暴挙を、もう一度、「人間の人間性の問題」として向き合っていかないとまずいんじゃないかという話しです。

自分自身がどうだったのかという深い反省から出発して、ものごとと人間性の問題として向き合っていく--この矜持がないと、何を主張しようが空振りにおわると思うんだよね。

高橋哲哉式の道義的責任の高調はわかりますが、それを100%遂行することは現実的には困難な部分もあります。

しかし、だからといって、「関係ねーよ」っていうのも早計な気がします。

そこを「担う」ことがやっぱり大事なんだろうなあと。

おもえば、ヒトラー(Adolf Hitler,1889-1945)と対峙した議論がやはり先鋭化した各論での勝負。
総論としてとっくみあっていかないと、各論での勝利は、勝利にならない。
各論が無駄というわけでは決してありません。

しかし、根本議論をかいた場合、結局、いいようになってしまうのがまずい訳よ。


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